浜辺の歌の物語
                                    
                                            絵と文    都筑 信介

    1、あした浜辺をさまよえば
      昔のことぞ しのばるる
      風の音よ 雲のさまよ
      寄する波も 貝の色も

    2、ゆうべ浜辺をもとおれば
      昔の人ぞ しのばるる
      寄する波よ 返す波よ
      月の色も 星のかげも

    3、疾風(はやち)たちまち波を吹き
      赤裳(あかも)のすそぞ ねれひじし
      病みし我は すでにいえて
      浜辺の真砂(まさご) まなごいまは

   有名な歌なので、歌詞をみただけで、メロディが浮かぶ方も多いのではないでしょうか?

    1と2の歌詞は、比較的よく知られ、この歌の中核的存在であることは間違いないのですが、
   3番があったんだ、、、と思う方も多いと思います。この歌の作詞者は、林古渓という人で、この詩は
   大正2年(1913年)東京音楽学校の校友雑誌「音楽」に、「はまべ」という名で掲載されたようです。
   どうも、この誌は、原作は4番まであり、このうちの1番と2番は、上にかいた通りですが、3番と4番は
   原作とは違い、改変されてしまったようで、作詞者自身が気に入らなかったのではないか、という言い伝えが
   いろんな本やインターネットで紹介されています。ここからは、筆者の推測ですが、この歌の本来の気持ちは、  1番と2番にみられる日本の砂浜の海岸の美しさではなく、自分のいとしい人(たぶんこの誌をかいた前後に
   病気などで他界した?)に、見せてあげたかった?という趣旨ではないかと想像します。
   今日は、あくまで、この推察にもとづいた想像上のお話を挿絵とともにかいてみようと思います。
   (絵と文は筆者がかいたもので、引用ではありません。名前はすべて仮名であり、実在しません)

  喜平は、ある田舎の小学校の教師でした。学童たちは、みんな元気で、夏休みともなれば、野山や川そして、
  海岸の砂浜で、蟹とたわむれる毎日でした。そんな元気な子どもたちとは対照的に、喜平は、自分の妹の娘  である珠子がこどものころから病弱で、戸外にはほとんど出ない毎日をすごしているのを、大変気にしていました 。
                                 
ある日、喜平は、町まで出向き、珠子を見舞にいくことにしました。珠子は、思ったよりは、元気でしたが、相変わらず、床につく時間が大半で、縁側からたまにみる外の景色に、心ときめくものの、思うようにならない自分の体に
ため息の出る毎日だと、おじさんの喜平にいうのでした。
そして、こんなことを聞いてきました。「おじさん、海って青いの?」
「そうだよ。砂浜から沖にいくにつれ、澄んだ青から、濃い青になるんだよ。群青色(ぐんじょういろ)っていう感じかな?」すると、「いいなあ、わたしも、その白い砂浜や青い海を一度みてみたいなあ」と。
「でも、いまのわたしでは、それはできないから、おじさん、その海の美しさが、手にとるようにわかる詩を作って
それを歌にしてくださらない?」
喜平は、とても自分の才能では、そんな希望をかなえられないと思いましたが、珠子の純粋な心に、覆いをかぶせるようなことは、とてもできず、思わず、「そうだなあ、ちょっと時間はかかるかもしれないけれど、やってみよう。」といってしまったのでした。「じゃあ、歌ができたら、音楽の先生に、ここにきてもらって、歌ってもらってね」
と、珠子は、あすにでも歌が聴けるようなはしゃぎようです。



次の朝、喜平は、自分のうちから歩いて半里ほど(約2km)の海岸にきてみました。いいお天気で、風もおだやかで、歩いていくと、そよ風が磯の香りを運んでくれて、そんな静かな砂浜に、白い波が打ち寄せ、そして引き、その音がやむことなく喜平の耳に響くのでした。そして、その波のむこうには、珠子に話した通りの、群青色の海が、
満々と水をたたえ、その美しさは比類なく、いまこの場にいる自分にしか観られないもののように思えました。
喜平は、あらためてこの海の美しさに感動するとともに、この海の姿は、ずっと昔からかわらないのだ、昔の人も
きっと同じことを感じて、ここを歩いたのだろうと。風が砂粒の1つ、1つに沁み入り、その中をヤドカリがゆきかう
姿はこっけいで、幼きころの思い出を巻き戻してみるような光景です。



日がくれてからのも、喜平は提灯片手に、海岸へいってみました。あたり一面は真っ暗ですが、その闇を照らすかのように、空には銀河が散りばめられ、あたかも宝石のの下にいるようでした。そして、海からは潮風とともに
波が寄せて引いていく音色が、たえまなく聞こえてくるのでした。満天の星は、その雄大さで自分を圧倒しているようにもみえ、人なぞしょせん小さなもの、自然の広大さに比べれば、砂浜の一粒にもみたないようにも思えました。

翌朝、喜平は、夜にしたためた「浜辺の詩」を、友人の音楽家に送りました。自分の気持ちを、きれいな歌に
してもらえるように。そして、その歌を、珠子の前で歌ってあげらることを夢見て。

というお話なのですが、その後の結末がどうなったかは、想像におまかせしますが、約100年も前の日本では、
まだ「結核」は不治の病で、若くして他界してしまうひとも決してまれではなかったようです。
それゆえ、自然の美しさやひとの感情に対する描写は、たいへん繊細で、1つ1つの文や絵に思いがこもっているような気がしますね。そんなことを考えながら、「浜辺のうた」をもういちど、口ずさんでみるのもよいと思います

                  
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