サムデイ (いつか、君にもわかるときがくる?)

                                絵と文:都筑信介
                               (本作品はフィクションであり、登場人物等の名称はすべて架空であり、実在しません。)

章夫さんは、アンナちゃんと二人暮らし(?)です。新しい年を迎えました。どこもかしこも「お正月休み」かなあ?と思うのは、昔のこと。最近は、スーパマッケットが、どこも元旦から営業というところが多く、年末に食料を買い込まなくても、新年にお買い物に出れば、なんでも売っている時代で、ずいぶん便利になったなあ~と。そこで、章夫さんは、敦子さんとアンナちゃんと初詣がてら、スーパーマーケットにお買い物にでました。スーパーの駐車場に車をとめて、外に出ると、もう、たくさんの人が、来ていました。
「まだ、冬休みだから、家族連れの方が多いわね。」
ふと、みると、パパに連れられて、幼い女の子が楽しそう?



♪ 最初に思い出すのは、パパに「どうして?」と聞いたこと。
  パパは、いつも笑って、僕の手をひきながら、こう言っていた 「いつか、きみにもわかるときがくるさ」と

 ♬ パパがこの世から去る時、パパはこう言っていた「大人になるんだ、そうすれば、いつか、きみにもわかるときがくるさ」と

 ♪ 4月のある日、一人の男の子が僕に誕生した。そのとき、妻が生まれた子にこんなことを言っていた。「いつか、きみにもわかるときがくるさ」と

  でも、みんなに言っておく、今がいいんだ、若い時がいいんだ、なぜなら、「いつか」は決して来ないから。

「それ、なにかの歌?」
「うん、1970年代のアメリカのカントリー的なロックバンドが歌った歌でね。このグループは、古き良き時代の青少年のいだく、普通の感情や思いをギターで奏でる感じで、僕はきにいっていた。
「そう、たしかに、1970年代には、日本にもフォークソングという分野があったわね。ギターで、奏でるサウンドはとても新鮮だったわ。」
「今の歌が、どちらかというと、リズムや音質が重視されているのに比べると、当時は、語る詩が大切で、今とは、だいぶ異なるね」
「さあ、次は、初詣に行って、おみくじでもひいてみるか」



「どうだった?おみくじは?」
「なになに、今は夜明け前の薄暗い細い道にあり、1つ1つ丹念に心して行えば、やがて視界は開け、明るさ他に比するものなし、小吉」
「よかったじゃないの?」
「そうだな、最近は、おみくじにも、いろんなものがあるらしいよ」
「へえ、どんな?」
「たとえば、狂後ち大吉とか、実際、有名な由緒ある神社でも、こういうのがあるらしい。」
「そうよね、ずっと1年狂だったら、たまらないものね。今はよくないけど、やがてよくなるというなら、頑張るもんね!」
「そう、神様はだれも見捨てない、あなたをちゃんと見てますよ。ということかな。」
そういいながら、石の階段を降りると、「お稲荷さん」がありました。



「あれ~、ここのお稲荷さん、こんな顔してたっけ?」
「ほんとね、まるで、キツネがそのまま、石になったみたいだわ~」
「こちらを向いて笑ってる。夜になったら、動くんじゃないか?」
よく見ると、なにか、キツネが「ニカッ」と笑ったようにもみえました。
後ろで、どこかでみたような誰かさんも、同じようなことを考えてみていますよ。猫もきつねは苦手だからね。


いかがでしたか?みなさんも、スタートはそこそこでも、明るい飛躍する年になりますよう

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