夏の思い出
                                                        絵と文:都筑信介

                     (本作品はフィクションであり、登場人物等の名称はすべて架空であり、実在しません。)

章夫さんは、アンナちゃんと二人暮らし(?)です。章夫さんの住んでいる町の北には、竜が出たことで有名な竜神池がありますが、その池の東側はなだらかな丘陵地で、その先は
蜻蛉(トンボ)が飛び交う湿地帯となっています。この湿地帯は、昆虫や群生する植物を保護するために、木製の遊歩道が整備されています。章夫さんは、日中は暑いので、少し陽が傾く午後3時ごろから、敦子さんを誘って、アンナちゃんと、この湿原にいってみることにしました。まだ、暑いのですが、時折、どこからか涼しい風が舞い、ほんのちょっと「秋」を感じさせるような感じです。



よく見ると、ところどころに、丸みを帯びた白っぽい花。そうです、水芭蕉(ミズバショウ)です。もう、花が終わって、色があせたものもあり、それもいろいろなところでみられます。
「まだ、これから咲きそうなものもあるけど、かなり前に花が咲いたものもあるね。」と章夫さん。
「そうね、花期がわりと長いみたいね。」
そんなことを話しながら、木の道をしばらく歩くと、突然、ある歌が風に運ばれて、章夫さんたちのところに、流れるように伝わってきました。

♬♪ 夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空
♪  霧の中に うかびくる やさしい影 野の小径(こみち)
 
♪ 水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
  夢見て咲いている水のほとり
♪ 石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
  はるかな尾瀬 遠い空



パチパチパチパチ、「とても、お上手、思わず聞き入ってしまいました。」と章夫さん。
「いつぞや、夕暮れ時に、お会いした 音大の学生さんですよね?」
「はい、あの時は、たしか、赤とんぼの歌でした?」
「それにしても、すばらしい声で、マイクなしで、これだけ音響効果あるんですから、すごいです」と敦子さん。
「のどかな夏を感じさせるいい歌でしょう?この歌は、わたしがとても気に入ってる歌の1つです。詩がいいでしょう?この歌を作詞したのは、新潟県上越市生まれの女性なんですよ。」
「なるほど、確かに、自然の描写がとても繊細ですからね」と敦子さん。
すると、音大の学生さんは、まるでミュージカルのように、歌の解説を始めました。



「この歌の作詞者は、江間章子(えましょうこ 1913~2005)というお方で、幼少のころ、上越市から、岩手県北部の山間部に移ったとされています。実際に水芭蕉の花が咲くのは、意外と早く、5月くらいから咲くこともあるようです。たぶん、歌詞にある尾瀬でも同じで、尾瀬で水芭蕉の花が見ごろになるのは、子供たちが夏休みになるよりは、かなり前ということになります。では、なぜ?夏がくれば、思い出すのでしょうか?それは、江間章子さんが、寒冷地の岩手県北部に移住したために、水芭蕉の花が咲くような夏になるのが、たぶん、7月ごろで、このころに岩手県で咲いた水芭蕉の花と夏のイメージが重なったのではないかと思われます。つまり、彼女は実際には5月くらいに尾瀬を訪問して水芭蕉の花をみたのかもしれないけれど、そのイメージは岩手県奥地では、7月の夏にあるのでしょうか?だから、題名も夏の思い出なんですかね?」
「へえ~、歌詞には、そんな深い背景があるのですか~」と章夫さん。
「そして、」
「そして?」
「石楠花色っていうのは、ピンク色ですよね?これも、つい水芭蕉の花にみとれていたら、あっと言う間に、夕暮れ時になってしまった、ピンク色の空になってしまった、ということなんでしょうね?」
「なるほど、この歌は、ずーと長い時間ここにいて、ゆっくり情景を楽しんだということですね。」
「昔は、今よりずっとゆっくり、時が流れていたのですね?そうですね、この詩が書かれた時代には、スマホもインターネットもなく、本だけですからね。そよ風の中で、眺める水芭蕉の花は、とても可憐で、美しいので、ずっと見ていたのしょうね。でも、ひょっとしたら、その感情は、今我々が忘れかけている「大事なもの」なのかもしれませんね。」
「うーん、いい話をありがとうございました。」
「あら、ここも、そろそろ夕方の石楠花色になってきましたよ?」
「ほんとだ、きれい」
では、そろそろ帰らないと、、



どうでしたか、昔は、今より、ずっとゆっくりと時がながれていたのかも、しれませんね。すこし、われわれも、かつての時間を呼び戻すことが大切かもしれませんね。
スマホやパソコンのない時代は、実際に目で見るものがすべてで、画像は転送されませんので、その時その時の目の前の光景が印象的で、「こんなにもきれいだ」
と感じたことでしょうね。長時間、花と会話をしても、誰にも邪魔されないし、ゆっくり日が暮れるまで、自然と向き合うのもよし、それを詩にしたためてもよいし、絵にかいてもよいし、
我々はこういう「いやされる時間」を忘れてしまっているのかもしれませんね。この絵とお話しで、すこし、その「時間」がよみがえるかな?


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