節分のころ

                                                      絵と文:都筑信介

           (本作品はフィクションであり、登場人物等の名称はすべて架空であり、実在しません。)

 章夫さんは、アンナちゃんと二人暮らし(?)です。今日は節分。章夫さんの住んでいる町の南に、十一面観音菩薩がまつられている狸山観音というお寺があり、毎年盛大に、節分の豆まきがおこなわれるとのことで、章夫さんはアンナちゃんとパン屋の敦子さんをさそって、行ってみることにしました。まだ2月なので寒いのなんの、しかしその新鮮な冷気が、あたり一面をおおいつくす中、
邪鬼を追い払って、福を家内に呼び寄せるという言い伝えにより、威勢よく、「鬼は外~、福は内」という掛け声が、堂内に鳴り響き、豆が大衆のなかに、まかれる光景は、今年こそは、疫病もなくなり、天変地異もなく、平和な年であってほしい、というみんなの願いがきこえてくるような響きでした。



アンナちゃんはというと、豆の匂いはするけれど、落ちた豆までは拾ったりせず、「なにか、変わったことしているなあ~」というような表情で、ずっと豆まきを見ていました。
そんなことをしていたら、もう、午後3時。章夫さんは、
「もう3時だ、これから先は、急に寒くなるぞ。そして、午後5時ごろには、陽は落ちて、まっくらだぞ~」
「さあ、もう帰り支度をしないと。」
でも、もう境内の梅が咲きそうだとか、白い椿の花が、花ごと下の苔に落ちて、とても情緒があってきれいだとか、ちょっとあそこの茶屋にいって、お茶とお団子を食べようだとか、
せっかく来たんだから、とかいって、それなりにたのしんでいたら、ほんとに帰り道は、もう真っ暗で、ご丁寧に、満月まで、お山の影から登場して、帰り道は月明りの静寂なムードになってしまいました。



 たった今、夜がきて、あたり一面は真っ暗になり、
月明りだけが、僕たちが見える唯一の光のようだ
でも、僕は、何も怖くない、なにも恐れることはないだろう
そう、君が僕の横にいてくれさえすれば、
だから、ずっと僕の横にいて、ずっとこのまま横にいて~

たとえ、今見上げている天空が割れておちてきても
山が粉々になってつぶれて押し寄せてきても
僕はなにも怖くない、そしてなにも恐れることはないだろう
そう、君が僕の横にいるかぎりは
だから、ずっとこのまま、ぼくの横にいて、離れないでいて

 「え、これ、何かの歌?」
「そうだよ、英語の歌だよ。時代は、1960年代、のイギリスで、ロックンロールという踊れる音楽がダンスホールで流れていたころの歌。
有名な4人のグループのうちの1人が、当時を懐かしく思って、1990年代にリバイバルさせた歌。」
「ロックンロールにしては、こうやって日本語にしたせいもあるかもしれないけれど、ずいぶん詩的ね」
「そうだろう、1990年ではこれが共感を呼んだんだ。」
「それに、月明りというのが、なんともロマンチックでいい。」
「今、環境問題や、災害が社会の大きなテーマになっているだろう?だから、こういうのは、余計に新鮮なのかもね?」
「この歌の存在を知らない、若い世代も、いっぱいいるかも」



そうやって、夜道を歩いていると、
「ねえ、あそこに見えるの、狸(たぬき)じゃないの?」
「ほんとだ。じっとこっちを見ているぞ。」
「狸のカップルのようだわ、かわいい」



「おどかさないように、そーとみているだけにしましょう。」
「ははは、あちらも、そーとしておいてって言ってるようだ」
「きっと、月明りにひかれて出てきたんだ、歌通りだ。いい顔してる。

そうやって、その地をあとにしたのでした。


どうでしたか?疫病や社会不安などで、こういうシツエーションを忘れてしまっていた方も多いのではないでしょうか?
今年こそは、明るくいい年にしたいですね。


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