赤とんぼの話

                                                               絵と文:都筑信介
           (本作品はフィクションであり、登場人物等の名称はすべて架空であり、実在しません。)

章夫さんは、アンナちゃんと二人暮らし(?)です。ある秋の夕暮れ時、夕焼けがとてもきれいなので、章夫さんはアンナちゃんをつれて、町の北にある楽雲寺の北側を流れる楽北川にかかる橋の方へと、足を運びました。秋のさわやかな風が、川辺からそよそよと流れるように、章夫さんたちにすずしく吹いています。橋の終わりごろに差し掛かったころでした。一人の女性が、岸の木の先端をみつめています。「何だろう?」と章夫さんが、そっとのぞいてみると、そこには、翅(はね)を休めて木の枝にとまっている「赤蜻蛉(あかとんぼ)が一匹」。赤蜻蛉の白い翅が夕日に映えて、その可憐な姿が、なんともいえないくらい愛らしい。



「とても、可憐でしょう?」と、女の人は、アンナとあしを止めて、赤蜻蛉をみつめていた章夫さんに声をかけました。
「こんにちは、いや、もう、こんばんはかな?赤蜻蛉とても、かわいらしいですね。こんなに優雅に赤蜻蛉が飛び交うのをみるのは久しぶりですね。
いや~来てみてよかった」
「そう、秋と言えば、この赤蜻蛉です。」
女の人はこう言い終わるか、終わらないかぐらいに、突然岸をバックにして、まるで歌劇でも始まるかのように、歌を歌い始めました。



 ♬ 夕焼けこやけの赤とんぼ  おわれて見たのはいつの日か
♪ 山の畑の桑の実を 小籠につんだはまぼろしか
♬ 十五でねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた
♩ 夕焼けこやけの赤とんぼ とまっているよ竿のさき

 パチパチパチパチ  「とても、お上手、思わず聞き入ってしまいました。ひょっとして、音大の学生さん?」
「はい、いま、音大の声楽科で、学んでいます。でも、歌そのものもいいんですけど、その歌が詠まれた背景を知るのも興味がありまして」
「なるほど、それもすばらしい」と章夫さんが興味深そうな顔をすると
「とくに、この歌は、独りぼっちになった時に、こうやって、赤とんぼを見ながら歌うと、自分にも作者と同じような気持ちになれるので、大好きです。」
「この歌は、三木露風(1889~1964)という人が、書いた詩で、小さいころ、多分、このねえやにおぶられて、眺めた赤とんぼを、大人になってから、ふと職場でみたときに
それを思い出して、詠んだ歌だとされています。」
「ほう?」
「露風も、4歳の時に、両親は離婚し、母親からは離されてしまい、ずいぶん寂しい思いをしたとされています。そうして、このねえやの背中におぶられて、夕焼けのなか、赤とんぼが
木に止まる姿を見て育てられたのでしょう。ねえやは15歳でお嫁にいっちゃうのですから、露風をおぶっていたのはねえやが、たぶん12~13歳のころ、つまり6年生くらいのころですよね。
そんなことを考えると、ねえやはとてもやさしく温かいひと、、、」」
「今も、昔も、一人寂しい思いをしている人は同じですね。」
「自分も、今は、独りぼっちで、淋しいと感じる日も多いです。でも、」
「でも?」
「ねえやのような、やさしいひとが、過去にいたんだと思うと、わたしもそういう人になりたいと?」
「それは、すばらしい。ぜひ、そうしてください。アンナちゃんも、うんうんっていってますよ。」



「さようなら!!」
だんだん、薄暗くなり、夕闇があたり一面に忍び寄るころ、女の人は、道路の反対側に行き、手を振りながら、遠くへ消えて行きました。
10分のすると、もう真っ暗です。「さあ、アンナ、急いでかえらないと!」


どうでしたか?秋の夕暮れ、赤とんぼが舞う光景をみたら、三木露風が感じた思いを思い出して、赤とんぼの美姿にみいるのも、よいかもしれません。
そう、淋しいのは、自分だけではなく、過去のだれかさんも?と。

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