送り火

                                         絵と文 都筑信介

       (本作品はフィクションであり、登場人物、地名、店名等の名称等は全て仮名で、実在しません。)


章夫さんは、アンナちゃんと二人暮らし(?)です。季節は、8月のお盆が近づくある日、章夫さんは、いつも通り、朝早くから、アンナちゃんと散歩し、「アンナ、朝早くなのに、ずいぶん暑いなあ、」と、自宅に戻った章夫さんが、アンナちゃんに、お水を汲んで飲ませていますと、「おはようございます。」という、女の人の声。そう、となりの桃子さんが、お子さんのあずきちゃんを連れて、朝のご挨拶?にみえたのでした。


「アンナちゃん、おはよう!」、あずきちゃんのお手々にアンナちゃんが、にこっと笑って、「くん、くん、くん」と。
「章夫さん、実は、お聞きしたいことがあって」 と桃子さん。「え、また、あらたまって、なに~」
「風のうわさで聞いたんだけど、章夫さんって、楽雲寺の和尚さんとは親しいの?」
章夫さんは、「ああ、昔からの付き合いでね。ときどき、散歩がてら、遊びに行って、話をするよ。」
「よかった、実は、まだ、ここには、去年越してきたばかりで、わからないことも多くて、、、、
この子も、一度も、お盆との、「迎え火」、と「送り火」というのを、やったことがなくて、一度、見せてやりたくて」
「そうだな、とくに、楽雲寺の「送り火」は、毎年けっこう盛大で、きれいで、情緒的だぞ~。
とくに、あの和尚さんの方針で、送り火については、仏に祈る心を大切にしたいので、宗派などを問わず、だれでも
、来て、手をあわせてもいいと、いってみえる。」
「よし、和尚さんに、お願いして、あずきちゃん連れて、送り火と、「虫封じ」に行ってみるか?」
「はい、よろしく、お願いします。ところで、「虫封じ」て何?」
「ははは、行けばわかるよ!」と。



お盆の最後の日、章夫さんは、桃子さんたちと、楽雲寺の「送り火」にやってきました。提灯の明かりが、暗いお寺の中で、幻想的にともっています。「あ、あそこで、提灯を売っている。」
「そう、1つ買って、えーと、薄井あずき、だから、「薄井家」と書いてもらったらどうかな~」「わーい」
「さあ、それを、お寺の本堂の回廊に結んで、つぎは、こっちだぞ~」


「章夫さん、こんばんは。こちらへどうぞ、」きれいな、お姉さんが、あずきちゃんに声をかけました」
お名前は、なんていうの?」 「薄井あずきです。」「おりこうさんね、あずきちゃん、では、この筆で、ちょっとおまじないをするから、ちょっとじっとしててね。これを、やると、ばい菌がみんな取れて行って、、病気にならずに、元気に大きくなるといわれているわよ、わかった?」
あずきちゃんは、金色の法衣をまとったきれいな「お姉さん」~「でも、女のお坊さん?」に、みとれていると
お姉さんは、あずきちゃんの頭に、筆をちょっと当てて、「ちーん」と。「さあ、これでよし、もう病気にはならないわよ。」
「あずきちゃん、よかったね」
「へえ、これが、虫封じなの」
さあ、本堂の仏さまに、お参りして、お団子でも食べにいこうか?」



「こうやって、毎年、家に帰ってきた「先祖さまたち」をこうやって、天に送るのね。すばらしいわ。」と桃子さん。
「うちの、パパにも、こういう気持ちがちょっとでも、あったらなあ」と。
「なにかあったの?」と章夫さんがなにげなく聞くと、「実は、最近、夫との間で、いろんなことが言いあいになって」
「私としては、もうちょっと、この娘と、こんなゆったりした時間をすごしてほしいし、もうちょっと、私の気持ちや、考えていることを、わかってほしいんだけど、俺は、そんなのはいやだ、とか、こうしろ、とか、決めつけちゃって」
「あたかも、俺が働いているから、いまの生活があるんだ、といわんばかりのことをいうの?」
章夫さんは、「男は、結婚すると、妻は完全に自分の支配下にあって、なんでも、自分のことをうけいれてくれると思う傾向が強いんだなぁ~、もちろん、熟年になってくると、妻が外堀を埋めて、しっかり、もう1つの居城を構えて、堂々としてくるんだけど、それから、和解の言葉を述べても、時遅しだね」
「要は、その時、その時の妻の気持ちを、ちゃんと考え、いっしょに感じてやれるかなんだけど、なかなか、結婚数年で、
このような、「大きな心」をもっている人は限られるとおもうなあ。」
「これは、ある本にも、書かれているように、男と女の脳の違い、でもあるわけだから、でも、、」
「でも?、、、」と桃子さんが、こちらを向いて、そのあとを聞くと、「こういう若い時は、二度とないんだから、ちゃんと
「わたしは、こうしたいの?もうちょっと、わたしのことをわかって」ぐらいのことは、ちゃんといって、これはSOSよ!」
というぐらいことは言っても、いいんじゃないかな?」
「うん、わかった、そうしてみる」と。


いかがでしたか?年に1度は、自分の心にあった人を思い浮かべて、送り火で、手を合わせることは、いいことですね。
そして、いまの自分が、恵まれている、家族に助けられている、と思い、そういう感謝の気持ちを、天の祖先に告げる機会としたいものですね。


                             もとに戻る