紫陽花の季節に

                                   絵と文   都筑信介

                 (本作品はフィクションであり、登場人物等の名称は全て仮名であり、実在しません)。

章夫さんは、犬のアンナちゃんと二人暮らし(?)です。だいぶ陽気もよくなり、藤色やピンク色の紫陽花(あじさい)の花が、街のところどころでみられるようになりました。
ある晴れた日、章夫さんは、アンナに、「なんか、急にレーズンパンが食べたくなったなあ~。残念ながら、君は犬だから、レーズンは食べられないけど、代わりに焼き芋にするとして、買いにいってみるか~?」というと、アンナはすぐに、それがわかったらしく、「それゆけ、ワンワン」と言わんばかりに、玄関の方へ、一目散に駆けてゆきました。
外は、いいお天気でした。25度はあるでしょうか?もう半袖で十分で、それでも、陽があたると少々暑いくらいです。駅のパン屋さんめがけて歩いていくと、途中の公園の周りの紫陽花は、薄い藤色やら、可憐なピンク色のフリルのついた花が、「もうこんな季節よ」と言わんばかりに咲いていて、気持ちよい「そよ風」が、木間を抜けて、葉がサラサラと協奏曲のように音を奏でる、といった感じです。



しばらくして、駅前のパン屋さんにつくと、お待ちしていましたと言わんばかりに、パン屋の敦子さんが出迎えてくれました。「やあ、敦子さん、こんにちは!例のブドウパン、焼きあがってる?」というと、敦子さんは笑って、「はい、きょうも、おいしくできていますよ。さっき、花に水をやろうと思って、外にでたら、章夫さんの姿がみえたので、待っていました。」.
そして、付け足すように、「ちょうど、よかったと思って!」と。
「え、何が、ちょうどよかったの?」と、章夫さんが不思議そうに尋ねると、「実は、章夫さんに、お願いがあるの!、そんなに悪い話じゃないわよ。」
「あのね、私の高校の後輩で、さよりちゃんという子がいるんだけれど、その子が恋親しんでいる彼が、大学の休みに帰ってくるらしいの、そこでね、彼とのデート用のお弁当を作りたいというんだけれど、あの子の家、兄弟も多いし、台所でごそごそやってたら、お母さんにもばれちゃうし、という相談をうけたの。」
「そこで、章夫さん、お願いなんだけど、あの子に日曜日の朝早く、台所使わせてやってくれない?」
章夫さんは、突然の話だったから、ちょっとびっくりしたようだったけど、敦子さんが章夫さんを方を向いて、「ね?」と笑うと、「いいよ」と一言。



しばらくして、ある日の午後、例のさよりさんが、突然では何だから、と事前に電話があり、挨拶にやってきました。アンナちゃんと、2人(?)で、お出迎えです。
「こんにちは、わたし、馬殿(バディン)さより、と申します。敦子さんからのお願い、こころよく受けていただいて、ありがとうございます。」
「どういたしまして、わたくし、アンナと申します。当日はよろこんでおまちいたしております。」なんて顔をして、きちんと正座しているアンナに、「おりこうさんね、まるで、わたしの言ったことがわかってるみたいだわ~」。章夫さんは、「当日は、買い物にいかなくてもいいように、適当に、弁当の具になりそうなものを冷蔵庫に入れておくから」と。
「よかった、気軽に受け入れてもらえて、敦子さんも頼れるいい人だけど、いい人にはいい人がお友達にいるのね。」と。



日曜日の朝早く、さよりさんはやってきました。「さあ、がんばって、作らなくっちゃ~。アンナちゃんの夕御飯もいっしょに作るからね!」
アンナちゃんは、ずーと、さよりさんの横で、「どんなものができるかな~」というような顔で、見学です。
そして、「おじさん、ありがとう。ここにあるのは、おじさんとアンナちゃんの夕御飯です。あとで、たべてくださいね。」
「きをつけて、いってらっしゃい」



さよりさんは、駅に急ぎました。2年ぶり、背比べの歌と同様、「おととしの5月」以来の再会です。こころときめく、瞬間まであと15分。


いかがでしたでしょうか?自分にもこのような1ページがあったといわれる方もおられると思います。一方、このようなシーンが最近減ってきているとお感じになっている方もあろうかと存じます。かつては、どこにでもあった、かようなシーンですが、最近は、「ドラマ(drama)の中の1シーン」と、とらえて、現実とは程遠いと考えるひとも少なくないと思われます。
ただ、心の片隅で、「そうだったら、いいなあ」、とか「自分も、そういった場面に遭遇したら、そうしたい」あるいは、「自分もそういった昔の気持ちを忘れかけていた、そんな気持ちは大切にとっておきたい」と感じる人がいれば、この心は「ドラマ」のなかに、生き続けています。そして、もし、そういうドラマが制作されるとしたら、多分、そのドラマを心待ちにし、ビデオをとってでも見たいと思うことでしょう。そして、毎日のちょっとした、「思いやり」、「感謝」がまた、新しい「ドラマ」を生み出すことになるということを。


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