そよ風の吹くころ
     
                                            絵と文  都筑信介


                             注)本作品はフィクションであり、使われる名称等は全て仮名で、実在しません。



 ある銀行の午後の応接室の1シーンです。「あ、、」と思ったら、倒れたコーヒーカップからこぼれたコーヒは、あっという間に、テーブルの上に広がり、お客様のスーツの上に、てん、てん、てん、とまたたく間に滴れ落ち、まわりのひとが、
「あ~あ、ひどいことになっちゃた~、たいへん、たいへん」と、雑巾を取りに行く音、お客さんの洋服をひとまずタオルで拭く音、あわてて店長を呼びに行く音、予備室にお客さんを誘導する音、そして音はしないものの、同僚や上司からなんとなく降り注ぐなんともいえない空気。バタバタバタ、そして、すべてが終わったあとで、一人になって帰るときのなんともいえない
虚脱感、自分の心に空いた大きな穴。夕方の帰り道、そよ風だけが何もなかったのように優しく吹いてゆく。
そんな、そんな、1日でした。


  しばらくして、ある朝早く、散歩をしていた章夫さんとアンナちゃんの目に、公園のベンチで思い悩む瀬凛(せりん)さん
がとまりました。アンナは、瀬凛さんががとても悩んでいるのがわかったのか?「くーくー、、」といいながらそっと膝元に近づいてゆきました。瀬凛さんは、アンナが自分の心のうちを察してくれたのが、よほどうれしかったのか?「よしよし、いい子ね、おいで」といって、アンナをベンチの上で抱きかかえて、思わず、涙をぽろり。


そんな瀬凛さんに、章夫さんがゆっくり話しかけました。章夫さんは、瀬凛さんは、駅前の銀行の窓口でみたことがあるなあと、思っていましたから、「おはようございます、どうしました?たしか、ちょっと前に、銀行の窓口で振込手続をしたとき、お見受けしたことがあるように思いますが~」  瀬凛さんも、章夫さんが朝早くから、アンナちゃんを連れて散歩しているのをよく見かけていましたから、「はい、わたし、銀行に勤めています。」そして、今回のことを、かくかくしかじか、だと話しました。そして、友人には、「もう、上司の人が、謝って、クリーニング代を払ったといってたから、もういいじゃない」とか、「職場で気まずい思いをするんだったら、やめたらいいじゃない?」といわれるが、自分がきちんと謝っていないことへの、罪悪感
や、無力感、がずっとあって、心が晴れないといいます。そして、「やはり、きちんと私自身であやまりにいこうかな?」
「でも、1人で自信ないし」。章夫さんは、「心配なら、家の玄関口まで、アンナちゃんとついて行ってあげるよ。アンナが守り神だね。ははは。」



しばらくして、瀬凛さんは、勇気を出して、服を汚してしまった「お客さん」を、直接訪問して、「こんにちは、〇×銀行の兄素戸 瀬凛(あにすと、せりん)と申します。先日は、たいへん失礼なことをしてしまい申し訳ありませんでした。」、「今後、このようなことがおきないように、十分注意します。」と、あやまりました。
お客の男は、淡々と、「ああ、もう、終わったことだから、もういいよ。洗濯もしてもらったし。」
男は、瀬凛さんから、謝礼の「おまんじゅう」を受け取ると、さっと家のなかに入ってしまいました。瀬凛さんは、少々「拍子抜け」の心境で、家をあとにしましたが、
帰りの道で、章夫さんから「そうか、それは、ちょっと予想外だったね。でも、まあいいじゃないか、きちんと、心をこめてあやまったんなら、それでいいよ。」
と、瀬凛さんのやったことをほめました。



しばらくして、ある日、章夫さんから、「ちょっと、伝えることがあるから、寄ってくれないか~」と連絡があり、瀬凛さんは章夫さんの家を訪問しました。
「こないだは、大変だったね。でも、相手方はともかく、町中では、瀬凛さんのやったことに好感というか、子供たちへのいいお手本だとか、その心を敬愛する
話でもちきりだよ。お饅頭を買ったとき、そこのおかみさんに、なにげなく話したでしょう?」「あそこのおかみさんは、町のスピーカーだから、あさ、あの人が聞いたことは、
夕方には、ほとんどの町の人が知ってるよ。」「そしてね、ついに、ある会社の社長さんが、そんな素直な娘さんはいまどきめずらしい、ぜひ、うちの嫁にほしい」
といって、一度会わせてくれないか?といって、先日みえたぞ」「どうする~?」。瀬凛さんは、思わず微笑んで、「アンナちゃんありがとう、アンナちゃんからのすばらしいプレゼントだわ~。」そういって、アンナちゃんを撫ぜ撫ぜする瀬凛さんでした。


  というお話ですが、いががだったでしょうか?人間だれしも失敗はありますね。そして、自分のまわりでも、同僚や、後輩、そしてこのように商談の相手でも。
 そして、故意にやったものでなければ、起こったことの大小にかかわらず、それを責めたりするのではなく、「自分がやっても、こういうことが起きたかもしれない」と、
広い心をもって、いっしょに対応策を考えるというように考えたいものですね。こういう事態のときに、「人間の器の大きさ」が問われます。そして、自分の行動は、意外に自分に近い人が、よく見ています。毎日、毎日あなたが、真心(まごころ)をもってやっていることは、ちゃんとみんなみていて、その何倍ものよい形で、あなたにかえってくるようなことは
意外に、人生のなかでは多いような気がします


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