最初に見えたのは、水のイメージ。
時に激流となって猛り、清濁全てを飲み込むが、平素は穏やかに凪ぐ、大いなる力。

次に感じるのは大地。
目立たず、顧みられることは少なくても、しっかりと全てを受け止める、揺るがぬ礎。

そして炎が灯る。
自らも焼き尽くすような危うさを孕みながらも、明るく温かく燃え盛る、艶やかな輝き。

そこに遅れて風が加わる。
気まぐれで不安定だけれど、決して立ち止まることなく皆の背を押し続ける、聖なる導き。

水に清められ、大地に支えられ、炎に照らされ、風は知る。
自らの命のある理由を。

風を纏うは、神に仕える者の証。
麗しき女神の器より、穢れし暗黒を解き放つため、神に贄を差し出すは、司祭の務め。
そして役目を果たした風は、その動きの全てを止め、女神の腕へと抱かれる……。

身体中から、冷や汗が吹き出した。
今日は珍しく、最近は隠居生活してて滅多に館から出ないオディロ院長が、朝の礼拝で説教なんてしたもんだから、それなりに真面目に聞いてたら、変なモン見ちまった。
いや、見たっていうより、イメージを感じたっていう方が正しいか。
それでも初めは結構いい感じだったのに、最後の方は何だよ、あれ。
美人の女神様の顔がひび割れて、瞳の奥が変な色に光ってて、歪んだ笑いが口元に浮かんでて、でっかい身体で冷たい両腕を広げて、オレを飲み込もうとしてた……。

あー、やだやだ!
オレは、自分よりデカくて年上の硬質の女より、小さくて柔らかくて、あったかい女の子の方が好きなんだ。
抱かれるよりも、断然、抱く側。
それなのに、気持ち悪いモン見ちまった。
こういう日は、ドニの町に行って、気晴らしするに限るぜ。

「聖堂騎士団員ククール」
……こうやって、名前の前に長ったらしい肩書を付けて呼んでくるのは、この修道院の中でも一人だけだ。
「何でしょうか、マルチェロ団長殿」
「オディロ院長がお呼びだ。院長の館へ行くように」
「はい。わかりました」
以上で、会話は終了。
お互い、必要最低限の事しか言わず、シンプル・イズ・ベスト。
結局、これが一番平和なんだよな。


「どうやら、夢見が悪かったようじゃな」
院長の館へ行くと、オディロ院長が香りの良い、とっておきのお茶を淹れてくれた。
「別に…悪い夢なんて見てませんよ」
「そうか。起きてる時に見るのは、夢とはまた違うかのう?」
何か、色々見抜かれてるみたいだ。
「お前は、意識してる時は見事に表情を隠すが、そうでない時は、人一倍顔に出やすいんじゃよ。誰も教えてはくれんか?」
オレはただ黙って、首を横に振る。
基本的に、人前で、意識してない自分を見せることなんてしない。だから、誰かに指摘されるわけもない。
だけど、そんなことをわざわざ口に出す必要も、どこにもない。

オディロ院長はそんなオレの様子を黙って見ていたけど、やがてゆっくり立ち上がって、オレの目の前に立った。
院長は初めて会った十年前と、そんなに変わってはいないはずだけど、オレがデカくなったせいで、すっかり小さくなってしまったように見える。
「ククールや……」
いきなり頭に手を置かれ、ポンポンと叩かれてしまった。
「お前はいい子だよ」
思いもかけない言葉と行動に、顔が赤くなっていくのがわかる。
だけどすっかりうろたえてしまって、どうにもならない。
「いや、もう、いい子って歳じゃ……」
「何を言っている。私のような年寄りから見れば、お前なぞ、ひよこのようなものじゃ。それに、幾つになっても、お前が私の子であることは変わらんよ。……これだけは覚えておおき、ククール。誰が何と言っても、お前はいい子じゃよ。私の自慢の息子だ」
初めて会った日と同じ温かさの手に頭を撫でられ、嫌なイメージの事なんて、もうすっかりどうでも良くなってしまった。
「さ、気晴らしに行くつもりだったのじゃろう? もういいからお行き」
本当にもう、すっかり何もかもお見通しだ。

「おお、そうだ。気が滅入っている時には、やはりダジャレで心を和ますのが一番。新作を思いついたので、聞いていくといい」
聖職者の娯楽に関してオディロ院長が寛大なのは、自分自身がお笑いに情熱を注いでるからだ。
だけど、半生を注いできたっていうわりに、そのセンスは……。

「ククール、ドニの町で遊ぶのは、ほどほ『どに』な」

……何かもう、本当に何もかも、どうでも良くなりそうだ。

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