「Wind Tune」



「お誕生日おめでとう。君が生まれたこの日に、こうして一緒に居られて幸せだよ」そう言うとあなたはにっこりと微笑んだ。あなたと二人で誕生日を過ごす、そんな日が本当に来るなんて、まるで夢のよう。
「ありがとう」照れくさくて”私も一緒に居られて幸せ…”なんてとてもじゃないけど言えないわ。
「いつも仕事が忙しくてなかなかゆっくり逢えなくてごめんな」彼は申し訳なさそうに私に言った。ううん、と私は首を振る。
「今夜は君と僕だけの…二人だけの時間を過ごそうな。誰にも邪魔なんてさせないから」
「…本当に?…そう言いながらまたいつものように電話が鳴ったり誰かが来たりするんでしょ?」
ちょっと意地悪だったかな。でも意地悪を言いたくなる私の気持ちも分かって。だってこんな風にゆっくり二人で逢うことなんて今までなかったもの。店の外にはあなたの付き添いが居たり、まるで私からあなたを守るようにマネージャーが店の影に居たり…。二人っきり、なんて今まであった?
案の定、あなたはとっても困った顔してる。今までのこと、何て言い訳しようって考えてるんでしょう?

「いいよ、電話が鳴って呼ばれたら今までみたいに出掛けて。だって大切なお仕事でしょ?それを私の我が儘で“行かないで”なんて言えないもの」あなたが口を開く前に、私はそう言ってシャンパングラスを手に取る。きっとあなたの言葉は“ごめん”よね。分かってる。あなたのファンよりあなたの傍に居るだけで私は十分恵まれてるんだもの、これ以上あなたに何も望んではいけないのよ。

しばらくして、あなたがそっと私の手を取った。俯いていた顔を上げると、そこにはいつもと少し違うあなたが居た。
「今日は今までみたいなこと、絶対にないから。携帯も電源切ってあるよ。マネージャーにも今日だけは邪魔するなって言ってある。…だって今日は君の誕生日だろ?誰よりも君の傍で祝ってあげたいんだ」
その瞳に弱いのよね、私。真っ直ぐ私を見つめて、優しい言葉を私にくれる。そんなあなただからいつも許してしまう…。今日はいつもより優しいよね。誕生日だから?じゃあ明日になったらまた元に戻るの?…でもずっと今日みたいに接してもらったら、私は溶けてしまうわね。やっぱり一年に一度でいいのかも。
「…ありがとう」私の言葉にあなたは少年のように嬉しそうに微笑んだ。
いつまでもあなたの笑顔は変わらないわね。ずっとずっと前から。

まさかあなたと出逢えるなんて、思ってもいなかったわ。あなたはかけ離れた世界の人。私はただのファンの一人。あなたのステージを客席から見つめるだけのファン、ずっとそうだと思ってた。
「…偶然って、すごいね」目の前に居るあなたを見つめて私は呟いた。あなたが“え?”と顔を上げる。長い綺麗な髪を後ろで結わえて、ステージとは違うシンプルなスーツを着るあなた。ステージの衣装も素敵だけど、飾らないあなたも素敵。こんな姿を見られるのも私だけ。そう思うと、嬉し
くて仕方がないわ。
「偶然ってすごいねって言ったの」
「偶然?何が?」
「私たちが出逢ったこと。どのくらいの確率なのかしらね」私がそう言うと、あなたはちょっと不機嫌な顔になった。
「…どうしたの?」と私が尋ねると、あなたは少し口を尖らせて、
「…出逢ったことを偶然だ、って言うから…」と答えた。
「偶然じゃないってこと?」
「…僕はそう思ってる」
「じゃあ必然?」
「そ、必然。出逢うべきして出逢ったんだよ、僕たちは。偶然なんかじゃない」
「…ね、今、曲を書いてない?」私の言葉にあなたはピクッと反応して、
「……意地悪だな」と呟いてグラスを手に取った。
「それで?本当のところはどうなの?」
「……書いてますっ」
「やっぱり!…どんな曲なの?」
「…まだ、頭の中で考えてる段階だから、何とも言えないよ。また明日には内容が変わるかもしれないし」
「そう。あなたが歌うの?」
「うん…たぶん。他の二人は“歌えない!”って言うだろうからなぁ…」
「甘いラブソングなのね」何だか可笑しくて私、笑っちゃった。“歌えない!”って首を振る二人の姿も目に浮かぶわ。
「何笑ってんだよ。誰もそんなこと言ってないぞ」
「だって…二人が嫌がるって言ったら甘いラブソングじゃない。甘いラブソングはあなたの担当でしょ?」
「別に担当じゃないよっ ただ−」
「はいはい。ただ二人が歌ってくれないのよね」
「…うん、そう。だから仕方なく僕が歌うんだよ」
嘘ばっかり。本当はあなたが歌いたいんでしょう?…なんて言ったら拗ねてしまうわね。だから言わないけど…

ねぇ、あなたはいくつラブソングを作ったの?それは誰のために作ったの?その曲も誰のために作ってるの?あなたと出逢ってから、今までただのファンとして聴いてきた数々のラブソングが私には苦しくて仕方がないの。一体どんな女(ひと)の為に作り、あなたは誰に向かって歌っているのか…だから出逢ってからのあなたのステージはいつも胸が締め付けられる。数あるラブソングを私の為に歌ってくれたとしても、それは違う女(ひと)の為に作った曲。私への気持ちではない。
「…どうかした?気分でも悪くなった?」顔を上げるとあなたが心配そうに覗き込んでいた。
「あ、ううん、ちょっと考え事。どんな曲かなぁって」
「これ以上は教えないぞ」
「うん、分かってる。だから想像してたの。完成が楽しみね。……ん、これ、美味しいね」
「うん、なかなかだな。気に入ってもらえて嬉しいよ。また来年もここにしようか」
「……毎年同じ店?それはどうかと思うけど?…それとも、面倒くさくてお店考えたくないとか?」
「ちっ違うよ、そうじゃなくて…」わたわたとして慌てるあなた。そんなあなたを見ていたら、考えたくないこと、考えちゃった…。
「……それとも、来年は違う女(ひと)と来ようと思ってるの?」
「え?」びっくりした顔をしてあなたは私を見た。私の好きな大きな瞳で。
せっかくの私の誕生日なのに、こんなこと聞いてどうするんだろう、自分自身
に問いかけた。きっとあなたを困らせるだけなのに。分かっていたのに、聞いてしまった。でもいつも心のどこかにある私のあなたへ対する不安な気持ちだから、結局はいつかこうやって口に出すことになってたと思う。それが早いか遅いか…ただそれだけのこと。
「…ごめんなさい」でも何も今日、こんな幸せな時間を過ごしているときに言うべき言葉じゃなかったわね。言ってから後悔するなんて…。あなたの顔を見ていられなくて、私は俯いた。あなたから出る次の言葉をただひたすら待つしかなかった。
「……明日、休みだっけ?」まるで何事もなかったかようなあなたの言葉。
「…え?」あなたの言葉の意味が分からなくて、私は次の言葉が出なかった。
「…何呆けてるんだよ。明日、休みかって聞いてるんだよ」
「え、あ、ああ。うん、休みよ」
「そうか。じゃあこれ食べたらケーキでも買ってうちで食べようか。家の近くに美味いケーキ屋があるんだ。一度食べさせようと思ってたんだよ。ここからならうちもケーキ屋も歩いて行けるし、風にあたりながら帰ろう」そう言うとあなたはいつもの笑顔を私に向けてくれた。
私の言葉は…あなたまで届いていないの?…わざとなの?それとも気にしていないだけ?
もしかして、今日であなたとは会えなくなるの……?
私の中に心の闇が広がった。

あなたと出逢ったのは、私のお気に入りの楽器屋。友人の結婚式に出席することになって、友人一同で歌おうって決まったから楽譜を探しに行った時。結婚する友人も私と同じであなたのファンだったから、あなたの歌を歌おうと思って楽譜を探していたのよね。前日、コンサートに参加したばっかりだったから余韻に浸りたくてあなたに繋がるものを手に取りたかったっていうのもあったんだけど。
そこの楽器屋さん、楽譜がたくさん揃っているのは嬉しいことだけど、棚が高くて背の低い私には楽譜を取ることが大きな試練だったわ。しかもあなたのバンドは名前が「あ」行なんだもの。どこに行っても一番上よね。
いつもは傍に店員が居るから取ってもらってたけど、その日は傍に店員が居なくて…。何とか自分で取ろうと必死に頑張ったけど、届かなくて。やっぱり無理かな、と思って手を引っ込めたら、横にあなたがやってきて、スッと楽譜を取ってくれた。
「この楽譜で合ってる?違ってたら僕、すごい自意識過剰だよね」そう言いながら楽譜を私に渡してくれたあなた。びっくりして声も出なくて、ただひたすらあなたの顔を眺めてた。
「ファンの子…かな?もしかして昨日のコンサートにも来てくれた?」そう尋ねられて、ようやく私はウンって頷いて、震える声で、
「わっ私っ大ファンなんですっ昨日もすごくよかったです!」って答えたら、ステージで見せる少年のような笑顔で、
「ありがとう。僕も昨日楽しかったよ」と手を差し出してくれた。
きっとあなたはすぐに立ち去ってしまうだろう、そう思ったけど、“他に好きなアーティストは居ないの?”なんて普通に話し掛けてくれたよね。
「ピアノ弾くの?」
「ピアノは弾きたいんですけど、不器用で…」
「じゃあそのピアノ用の楽譜はどうするの?」
「あ、これは…友人の結婚式で歌を歌うことになって、友人もファンなので、この中から選ぼうかなって思ったんです。友人の一人がピアノを弾けるので、その子に弾いてもらう予定なんですよ」
「結婚式かぁ…ラブソングはかなりあるけど、結婚式に似合う曲あったかな…」あなたは苦笑いしてたっけ。
「昨夜はこの辺りに泊まられたんですか?東京へは…」
「うん、ほら、深夜に生でラジオ出演があったし、近くても帰るとなるとしんどいからね。付いてるスタッフにも悪いから、昨夜はこっちに泊まったんだ。夕方帰る予定。それまではこの辺でギターでも物色しようと思ってたんだ」
「そうなんですか。いいギターありました?」
「うん、一つ見つけたよ。なかなかお値打ちでね。結構いい音だったからさっき買ったとこ。ここの店長もいい奴だしね」
「え、ここに前も来たことあるんですか?」
「こっちにコンサート来るときは前日とか今日みたいに翌日に寄ってること多いよ。上にあるスタジオをちょっと借りてギター弾いてるときもあるし」
「私もここはよく来てるんですよ!それもコンサートの前日とか翌日とか。じゃあ、今までもしかしたら同じ時間に店内に居た、なんてことがあったのかもしれないですよね!うわ〜すごいっ!」私が一人で騒いでいると、あなたはちょっと照れくさそうに、
「…実は…君を何度かこの店で見かけてたんだ。今日も会えるかな、と思って来たんだ」と小声で言った。
「今日は珍しく楽譜コーナーに店員が居なくてようやく話しかけるチャンスだ!って思って、たまらず声かけちゃったよ」

あなたからそう言われてびっくりしたわ。私のこと、“いいな”って思って見ててくれたなんて、絶対に夢だと思った。きっとからかってるんだって。
「…あの、私のことからかってるんじゃ…」たまらず私はそう聞いたわ。するとあなたは勢いよく首を振った。
「からかってなんかないよ。いつも、僕らの楽譜を真剣に見つめて、幸せそうに歌を口ずさんでくれて、すごく嬉しくて。コンサートで前の方の席に居ないかな、っていつも探してた。一度、直接話してみたいって思ってたんだ」
「……」私は驚きで何も返せなかった。
「軽いやつだと思われても仕方ないと思う。僕はずっと君を見ていたけど、君はステージの僕を見てただけだし、こんな所で声を掛けるなんて、何てやつだって思われるのは当然だと思う。でも、話しかけられずにはいられなかったんだ。この先ずっと客席の君とステージの僕、なんていう関係は嫌だった。ステージから降りた僕も知ってほしかったんだ。君のことも、客席だけじゃなくて、会場から離れた日常の君も知りたかった。…なんて、思ってたなんて信じてもらえないかもしれないけど…話をするだけでも付き合ってもらえないかな…。嫌?」照れくさそうにそう話すあなたは、まるで中学生の男の子みたいだった。

断れるわけないじゃない。私はあなたのファンなのよ。軽いやつ、だなんて思うわけないわ。自分の存在をステージの上からだけでも知ってほしかったんだもの、同じ目線の高さで話ができるなんて夢にも思わなかった。
喫茶店に行って、あなたから色々質問されて、私が独身で恋人が居ないって知るとまた少年のような笑顔になってた。そんなあなたを目の前で見られるなんて、私って何て幸運なのかしら、嬉しくて緊張して何を話したのかすらよく覚えていないわ。
「また、会えないかな」真剣なあなたのまなざし。あなたからその言葉が聞けるなんて…。


店を出ると、あなたは無言で私の手を取った。時折、あなたに気づく人が居たけれど、みんな私のことは気にも留めていないみたい。それだけ、あなたは女性と歩いているのが当たり前ってことかしら。
「こら、ぼーっとしてると転ぶぞ」あなたが私の額をコンと突いた。
「あ、うん」
「おっちょこちょいなんだから、ちゃんと前と足元見て歩けよ」ちょっと意地悪そうな顔であなたは私を見た。
「なぁに、その言い方。自分の事は棚に上げて。あなただってステージからよく落ちるじゃないの」
「…それは」
「演出って言いたいの?じゃあこの前テレビですごい大ボケ発言してたのは?計算して言ったの?」
「……」
「私より天然なんだから、私におっちょこちょいなんて言えないわよっ」
「……ちぇ」
「ふふっ」私が笑うと、あなたは悔しそうな顔をしたけど、
「…じゃあ、二人ともおっちょこちょいってことにしよう」って言った。それならまだ許せるわ。

「ここ?美味しいケーキ屋さん」
「うん、ここのえ〜と…何だったかな…」
「…もしかして美味しいって評判のケーキがどれだったか忘れたの?」
「………」
「それじゃ意味ないじゃない。ほら、思い出して」
「え〜と〜……」あなたはうんうん唸って頑張って思い出そうとするけど、この様子じゃ出てきそうもないわね。別に違うケーキでもいいのよ。あなたと二人で食べられるなら。
「え〜と…あ!」
「思い出したの?」
「確か…“チョモランマ”?」山の名前なの?…ということは……
「……もしかして“モンブラン”?」
「そう!それ!!」
「全然違うじゃないっ」可笑しくてお腹がよじれそうだわ。ほんと、これだから純天然は困るわ。
「まぁ、いいじゃん。分かったんだし」
「そうだけどね?」
ようやく“モンブラン”を手に入れ、あなたの家へ向かう。あなたの家に行くなんて何ヶ月ぶりかしら。
「ね、部屋はちゃんと掃除してるの?」
「…たま〜に…」
「ドア開けたらホコリがドサッと落ちてくる、なんてないよね?」
「…それはさすがにないと…思う」苦笑しながらあなたが答える。
「ないことを祈るわ」家に着いたらまずは掃除からかしらね。
「ないってば」
「はいはい」こんなたわいのない会話が私は好きよ。ステージを降りた素のあなた。私しか知らないあなたの姿。
そんな姿をあとどのくらい見ていることができるんだろう。いつ“別れよう”って言われるんだろう。

出逢った時はただの気まぐれでもいいって思ってた。あなたに愛されるなら、ほんの短い間でもいいって本当に思ってたの。でも長くなっていくほど、ずっとこのままで居たい、ずっと私を見ていてほしいって思うようになって…女ってだめね、愛しい人に愛されると欲が膨らんで初めの純粋な気持ちも消えていってしまう。ただのファンだった頃の、ステージのあなたを見つめる純粋な私は、どこへ行ったのかしら…。
あなたと出逢ってもうすぐ1年。きっと来年の誕生日、あなたは私の傍に居ない。別の女(ひと)の隣で、私に向けていた笑顔をその女(ひと)に向けるのよ…。

「…さっきの質問だけど…」あなたがふいに口を開いた。あなたの家まであと5分くらいの所。
「え?」隣のあなたを見上げると、あなたはとても真剣な瞳をしていた。そう、出逢った頃と同じ瞳。吸い込まれそうな綺麗な瞳。
「…来年の今日、僕は今年と同じように君の誕生日を誰よりも傍で祝うつもりだよ」
「……っ」いつも心に陰を落としていた気持ちが溢れそうになり、今にも泣いてしまいそう。堪えながら私は、
「…く、口では何だって言えるのよ。そんなつもりないなら、そういうこと言わないで」とあなたに言った。
「祝うつもりなかったら、言うわけないだろ。僕はそんなに器用な男じゃないよ」
「でも…」
「でも?何?…どうせ僕が女をとっかえひっかえしてると思ってるんだろ?1年もすれば次の女に行くんだって。何考えてるのか目を見れば分かるよ」
「だって−」
「分からないでもないよ。こんなナリだから、世間からは女ったらしで彼女がいっぱい居る、とか何とか言われるよ。そうかと思えば男が好きなんじゃないかっていう恐ろしいこと言うのも居るし。そんな話を聞いたらそれが真実なんじゃないかと思う気持ちも分かる。でも、そんな世間の奴らより、君は誰よりも僕の傍に居るじゃないか。目の前の僕の姿を信じてくれないのか?」
「…信じてるわ。信じてるけど…でもいつかあなたが私の傍から離れていくんじゃないかって不安なの。だってあなたは私だけのあなたじゃないもの。ステージではたくさんのファンが居る。それにきっと今までも素敵な恋人がいっぱい居たんでしょ?ファンや昔の恋人たち…その中で私はあなたにとってどんな存在なのか…分からなくなるの…。あと少ししたら私も昔の恋人たちの中に入っちゃうんだな…ってどうしても考えてしまうの…」
「……この1年、ずっとそんなこと考えてたのか?」
「…口に出したらあなたを困らせるし、離れていってほしくないから言えなかったけど、いつも心のどこかにそんな気持ちがあったわ。でも怒らないで。こんな気持ちにならない方がおかしいわ。あなたに愛された人は、みんな同じ想いを持ってたはずよ。苦しくてあなたの元を去った人だって居たと思うわ。私はこんな気持ちをずっと心に隠しておくなんてできなかったの」
「…そうか」あなたはそう呟いただけで何も言わなかった。そんな風に考えていた私のこと、嫌いになった?聞きたくても聞けなかった。

あなたの部屋があるマンションに着いた。こんな気まずい雰囲気で買ってきたケーキを食べるなんて、そう思って“やっぱり帰る”そう言おうとした時、あなたは握っていた私の手を強く握った。
「…帰るなよ」
「でも…」こんな雰囲気いやでしょ?お祝いしてあげよう、なんて気分じゃなくなったでしょ?私は心の中で尋ねた。
「最近ゆっくり話もしてなかっただろ?さっきの話もちゃんと話したいし。それとも、もう僕の傍に居るのは嫌になった?」
「嫌だなんて…」
「じゃあ、帰るなよ。帰る理由、ないだろ?」

久しぶりに来たあなたの部屋。案の定散らかっていて、よく寄っていけよ、なんて言えたものだわ、と思った。そう思いながらも別の女性が来ていない、ということが分かってホッとする気持ちも私にはあった。
「上がれよ。…少々汚いけど」足元に散らばっている雑誌や空き缶を目に付くものだけ拾い、部屋の隅に寄せた。
「紅茶、入れてくれるか?」
「うん…あ、ケーキ冷蔵庫に入れるね」キッチンへ向かい、私が買ったヤカンに水を入れて火にかける。ケーキはほとんど空状態の冷蔵庫に入れた。冷蔵庫にいつも絶やさずあるのはビール。今日もやっぱり入っていた。
キッチンを何気なく見渡すと、何ヶ月前に来た時に整頓した棚は、その時の状態が保たれていた。単に何一つ触ってないんだな、と思う。流しに鍋や使った食器が一つもないから、きっとこの数ヶ月はキッチンさえ使ってないんだろう。
「紅茶はこの前綺麗にしてくれた棚に入ってるから」
「あ、うん。これね」紅茶の存在を確認し、棚から取り出した。一緒に買い物に行った時に買った紅茶。賞味期限は大丈夫かしら、と裏を見ると、何とか期限は切れていなかった。封も開けていないから、期限が切れていても大丈夫だとは思うけれど。ヤカンいっぱいに水を入れたから沸くまでに結構時間がかかる。

どうしたものか、と思っていると、あなたが部屋から声を掛けてくれた。そういう所、よく見てるよね。
「まだ沸かないんだろ?座ってろよ」
「うん」振り向いたらあなたはソファに座って手招きをしていた。素直にそこまで行くと、あなたは私に向かって両手を広げた。
「…それは…なに?」
「何って…おいでって意味じゃん」
「いっ…いつもと一緒で隣でいいじゃないっ」
「たまにはいいだろ。こんな風にゆっくりできるなんて、何ヶ月ぶりだと思ってんだよ。…ほらっ」ふくれっ面であなたは私の手を取って、自分の身体で包むように私を座らせた。
「はっ恥ずかしいんですけどっ」
「何言ってんの。二人きりだからいいだろー」そう言ってあなたは私を後ろからそっと抱きしめてくれた。
「……」
「…相変わらず小さくて華奢だなぁ…」
「どうせスタイル良くないです…」
「誰もそんなこと言ってないだろ。僕と…20センチ違うんだっけ?」
「…うん」
「んじゃ体重はどんくらい違うのかな…」
「秘密っ」
「あ、そう。まぁ僕より重くないことは確かだよな」
「重かったらおかしいでしょっ」
「あはは」
「んもぅ…」
「……さっきの話の続き、してもいい?」あなたにそう言われて、本当は続きなんてしたくなかったけど、うん、と頷いた。あなたが何も言わないうちから、涙目になってきてる。
「あんな辛い気持ち、1年も隠しておくなよ。僕、心配だったんだからな、何か悩んでいること気づいてたから…」
「…き、気付いてたの…?」
「気づかないわけないだろ?嘘がつけない目してるんだから」
「……」
「…確かに今まで色んな女(ひと)と付き合ったよ。色んな恋愛をしてきた。君が言ったように“傍に居ると苦しい”って僕の元から去った女(ひと)も居たよ。その時はどうして居なくなったのか理由が分からなかったけど。若かったんだよな、僕。今は色々経験して、分かるようになったんだけど、まだ分からないことばっかりだよ。君に出逢う前…あの楽器屋で君を見掛ける前まで、それまで僕は一人の女(ひと)と長く付き合えなかったんだ。何がいけないのか、自分では分からなくて結構悩んでたんだよ。いつも長続きしなくて、いつも泣かせてしまって…。このままじゃ自分が作る歌のように永遠を誓える恋愛なんてできないんじゃないかなぁってよく思ってた。永遠の愛を歌ってるくせに、自分はそんな恋愛できない、まるで詐欺師みたいだよな」苦笑いをするあなたに私は、
「そんなことないっ」と首を振った。
「あなたの歌は私の胸を…ファンの胸を熱くしてくれる。その気持ちに嘘はないわ」私の言葉を聞いて、あなたは微笑んだ。
「そんな時君を見かけたんだ」
「…私?」
「うん。…楽器屋で、昨夜のコンサートの歌を思い出すように、楽譜に魅入って歌を口ずさんでる君を見つけたんだ。楽器屋でファンに出逢うことって今までも何度かあったけど、君のように真剣な目で楽譜を見て時にコンサートを思い出して泣いたりする人、会ったことなかったから」
「…な、泣いてる時に見かけたの?…やだ…きっとあなたの言った言葉を思い出してた時だわ」
「そうやって素直に感情を表に出せる君に僕は惹かれてた。君の嘘のない、まっすぐな瞳でステージの僕じゃなくて、普段の僕を見つめてほしい、と思ったんだ。だから、さっき1年も心の中に隠してた気持ちを話してくれて、正直嬉しかったよ。ショックな部分もあるけどね。辛い気持ちを一人で隠してるなんて、君らしくないよ。言いたいことは全部言ってくれていいから。僕も君になら、何でも話したい。ステージでは、何があっても歌を歌わなくてはいけない。自分の今の気持ちに嘘を付いて歌うこともある。その気持ちを分かってくれるのは、君しかいないと思ってる。この1年、ゆっくり話す時間がなくて、君に辛い気持ちを一人で背負わせてしまってた。…ごめんな」
ううん、と私は大きく首を振った。涙が止まらない。
「わ、私こそ、ごめんなさい。あなたの気持ちも考えずに…。あなたもいっぱいいっぱい辛いことがあるのに、まるで私だけ辛い思いをしてると思って…」私は振り返ってあなたに抱きついた。あなたがぎゅっと私を抱きしめてくれる。
「いいんだよ。僕はこの1年、君にずっと癒されてきたから。今度は僕が君を癒してあげるよ。今までできなかった分も含めて」私の頬に流れた涙に優しく口付けて、あなたはそう囁いてくれた。

ずっとこのままで居たいな、と思っていると、キッチンからピーと聞こえてきた。
「あ、お湯が沸いたみたい…」
「ほっとけよ」そう言ってあなたは私の髪を優しく撫でてくれたけど、
「…じゃあケーキも食べないの?」と聞くと、
「食べる!」と即答した。可笑しくて瞳に残っていた涙が引っ込んでしまったわ。
「じゃあ紅茶入れるね」
「うん」さっきより優しい笑顔で、あなたは頷いた。

「あ、店で言ってた新曲だけど」ケーキを頬張りながらあなたが言った。
「うん?あ、口の周りにクリーム付いてる。もう少しきれいに食べてね」ティッシュを手に取って、クリームを拭う。
「仕方ないだろ、付いちゃうんだから」そう言ったあなたの顔は、まるで子供みたい。
「はいはい。それで?新曲がなぁに?」
「あ、そうそう。新曲さ、詩はほぼ出来てるんだ」
「そうなの?だってさっきはまだ頭の中で考えてる段階だって…」
「外でそんな具体的な話をするわけないだろ。誰が聞いてるか分からないんだから」
「あ、そうね。じゃあさっきのは嘘だったんだ」
「そ、嘘。それでさ、ケーキ食べたら詩を見てほしいんだ」
「私が?…そんな、まだ二人にも見せてないんじゃないの?」
「うん、まだ」
「そんなの私に見せていいの?」最後の一口を口へ運んだ。
「一番最初に君に見てほしいんだ」そう言うと、あなたは部屋の隅にあるデスクの引き出しから、一枚の紙を取り出した。
「…大事な詩を、そんな所にしまってて大丈夫なの?」
「え?別に大丈夫でしょ。こんな甘いラブソング、僕以外は歌えないし。メロディにしにくいだろうしね」
「そうなの?」
「うん、たぶん。はい、とりあえず最後まで読んでから感想求む。その間に片付けとくよ」
「え、大丈夫?割らないようにね?」
「僕は子供じゃないっ」まったく!そうぶつぶつ言いながらあなたは皿や飲み終わったカップを手に取ってキッチンへ向かった。そう言って何度割ったっけ?
あなたに気づかれないように小さく笑って、あなたから手渡された詩に目を通した。


(”Wind Tune”の歌詞はオフィシャルサイトにて)


キッチンでカップを洗うあなたに、そっと後ろから抱きついた。
「…ん?どうした?珍しいな。雪でも降るんじゃないか?」
「ありがとう。…何より嬉しいプレゼントだわ」
「……」照れくさいのか、あなたは何も言わなかった。顔をあげると、あなたの横顔がかすかに赤くなっていた。
「でもね、すごく気になったんだけど…」
「…何が?」
「ほら、ここ。“Happy Birthday, Dear Only Love 君が生まれたこの日に 風の調べにのせて 愛が生まれそうさ”って所。じゃあまだ愛が生まれてないってこと?」
「…あのなぁ、詩なんだからそういう細かいこと気にするなよ。気に入らないならそれボツにするぞ」
「えっダメ!絶対作って!もう気にしないからっねっ?」
「…冗談だよ。ちゃんと歌にしてアルバムに入れるから。完成したらあげるよ」
「うんっありがとうっ」
「それから…過去の…その…」
「昔の恋人さんたちのこと?」
「…う、うん、そう。…そんなこと気にしてんじゃないぞ?お互い昔の話なんか気にしたらきりないぞ」
「そうね、過去は過去。今は今だもんね。まったく気にしない、っていうのは無理だけど、今のあなたを信じていれば大丈夫かなって思う。だって私は過去のあなたじゃなくて、今のあなたが…好きだから…。…あ、テーブル拭いとくねっ」恥ずかしくて私は台拭きを手に取ってそそくさとキッチンを出た。後ろからあなたの小さな笑いが聞こえた。

あなたは不慣れな手つきで洗い物。私はテーブルを拭く。いつまでもこんな風に二人で過ごしていけたらいいね。
数多くあるあなたのラブソングも、あなたが愛した恋人たちのことも含めて、愛せるようになりたいな。今はまだ無理だけど、あなたのすべてを包んであげられるような、素敵な女性になりたい。

「…………」キッチンであなたが何かを呟いた。
「え?なぁに?聞こえなかった」
「何でもないよ。大したことじゃないから」そう言って洗い終わってあなたは部屋へ戻ってきた。
「本当に?…何かすごいことを呟いたんじゃないの?」何だかとっても気になる。
「本当だって。…おっと、もうこんな時間か。…泊まってくよな?」
「え…いいの?」
「…いいに決まってるだろ。それとも何か?帰りたいのか?」
「ううん、一緒に居たい」
私があんまり素直に言うから、大きな瞳をさらに大きく見開いて私を見てる。
「なぁに?本当は帰ってほしいの?それなら帰るよ」
「…帰ってほしいわけないだろ。今日は特別な日だろ?」
「…うん」あなたを見つめて私は微笑んだ。あなたも私に微笑んでくれる。
「誕生日おめでとう」今までで一番優しいキス。あなたがくれたもう一つのプレゼントは、甘いモンブランの味がした。


僕は君の寝顔を見つめて呟いた。
あの詩は、去年の君への贈り物。
君を初めて見た日が、去年の君の誕生日だったこと、君は知らないよね。
去年君に言えなかったHappy Birthdayをどうしても贈りたかったんだ。
その日から愛が生まれたんだよ。

僕は眠る君の頬にそっと口付けた。

「Happy Birthday, Dear My Girl……」



−Fin−


********あとがき*******************

はい、「Wind Tune」ということで甘くしてみましたが(笑)いかがでしたでしょうか。
あえて、女性側からの視点で書いてみたのですが、それでよかったような、そんな気がしてます。

サイト「相方紹介」の「賢狂の小説の得意分野」に坂崎狂が「優しい甘々な話」と書いておりますが、実はわたくしめも坂崎狂同様、甘い話は苦手です(^^;)
坂崎狂の場合は「書いてると砂吐きそう…」なのですが、わたくしの場合は、「恥ずかしくて書けない…」のです。

このお話も書くことが決まった時(ちなみにお題を決めるのは坂崎狂。坂崎狂のお題は賢狂が決めます。)はたして書けるのか…と非常に不安でした。
恋人同士の甘い語らい(笑)なんてどう書けばいいのやら…最初は書き上がるとは夢にも思っていませんでした。

人間ってすごいですね。照れも何も気にしちゃいかーんっっと開き直ると書けるものなんです(笑)このお話は賢狂作恋愛小説の出発作品です。後世まで大切にしようかと思います(笑)

そんな作品を読んでいただいたそこのお方、本当にありがとうございました☆

2004.6.15


感想をいただけるとうれしいです(*^^*)
メール または 賢狂のブログの拍手コメントへ