「Sister of The Rainbow」



「こんなに長い時間、ギター持たないのって珍しいよなぁ…」
「ポロッポー」
「…鳩の君に言っても仕方ないか」
「クルッ クルッポー」
「それ、一応返事してくれてんの?」
鳩に話しかけてる僕ってきっと周りの人から見たらかなり変な人だろうな、と思う。雨が降ってるからそんなに人は居ないけど、それでもやっぱり通り過ぎる人は怪訝な顔をしている…気がする。
でも今日は新しい発見をしたからいいんだ、と自分に言い聞かせる。
鳩も雨宿りするんだってこと。

僕は今、とある場所にある遊園地に居る。いや、遊園地って言えるほどの所ではないかもしれないけど、入口に“遊園地”という言葉が書いてあったから遊園地であってると思う。まぁ丘の上にある遊園地だから景色が悪いわけじゃないし、一応この辺じゃデートコースに入ってる…んじゃないかな。

各地にある世界一の落差、とか速度、とかそんな大層な乗り物はないけれど、森に囲まれた自然いっぱいの子供向け遊園地って感じかな。
せっかく愛用のカメラも持ってきたのに、今日はあいにくの雨模様。そろそろ雨が上がってもいいような空なんだけど、まだ止みそうもない。梅雨明けはまだ一週間後らしいから雨が降るのは仕方がないけど、もしかして僕の上にだけ雨雲があるんじゃないだろうか、なんて思ってしまう。

一応屋根付きの休憩スペースに居るから濡れるってことはないけれど、雨宿りにやってくる数羽の鳩たちが入ってくるたびに小さな水滴が僕に飛んでくる。どうせなら飛び込んでくる前に外で体の水滴を落として来てくれればいいのに。水滴が飛んでくるたびに眼鏡のレンズにピピッと付いちゃうんだよね。わざと眼鏡に向かって水滴を飛ばしてるわけじゃないけど、こうも何度もやられると嫌がらせかと思う。それにその水滴が微妙に温く感じるからそれがまた気持ち悪くて困る。髪も湿気でクセがひどいから収拾つかなくて朝のスタイリングの面影すらないし。猫毛でその上クセ毛。
今の僕にいいところを見つけるのは至難の技だろうな。

気が付くと僕の周りには鳩だらけになっていた。ベンチの下に落ちているお菓子なんかのカスを見つけては啄ばんでいる。
「いつの間にこんなに集まったんだろ…ねぇ、どっから来たの君たちは」
驚きつつも念のため数えてみる。…8、いや9羽だ。2人掛けのベンチがたった一つあるだけのこのスペースに、人間1人と鳩9羽。まるで鳩小屋に居るみたい。

ここの鳩はやたらと人懐っこい。油断していると服やズボンの裾を引っ張られたり、靴の上や肩の上に止まったりする。食い物を持っていたらもっとひどい。どこからともなく何十羽と飛んできて、止まれる所すべてに鳩がまとわりつく。人間止まり木の完成だ。よくここに初めて来た人がそんな目に遭っていて可哀想だなぁと思うんだけどつい笑ってしまう。自分じゃなければその姿はかなり面白い。こっそり写真撮ったりなんかして。
今度は一羽の鳩が僕が座るベンチに飛び乗って僕の大事なカメラを突付いていた。
「こーら、何してんの。これは食い物じゃないって。めっ」鳩に“めっ”って言っても効き目ないんだけどさ。でも長年愛用している一眼レフなだけに言わずにはいられないんだよね。
鳩は顔を傾けて片目で僕を見上げた。
「あ、なかなか可愛いじゃん」すかさずカメラを構えてシャッターを切った。
カシャといい音が響く。

何でこんな所に居るのかって?うん、確かに誰もがそう思うよね。子供向けの遊園地に、しかも土曜日に男が一人で来ているなんて、誰が見たっておかしい。僕もおかしいと思う。
僕の鳩と戯れる行動もおかしいことの一つ。そんな鳩に話しかけたり写真撮ったりする心の余裕なんてないのに、現実逃避して都合が悪いことから目を背けたい気持ちのせいで、今直面している問題から逃げようとしてるだけなんだ。僕の気持ちはもっと別のところにある。

実は今、彼女と待ち合わせ中。1ヶ月ぶりのデートなんだ。そしたら普通だったら嬉しくてそわそわしている状態のはずでしょ?
…でも、この遊園地に10時に待ち合わせてるんだけど、もう約束の時間から30分は経過してる。遅刻なんてしない彼女が30分も遅れるなんて、意図的にそうしてるとしか思えない。この程度の雨で電車が遅れるわけないしね。
意図的…つまり、今日の待ち合わせはお互いが楽しみにしていた1ヶ月ぶりのデートっていう単純なものではないってこと。1ヶ月ぶりに連絡を取って僕が勝手に来てほしいというメールを送っただけの、僕だけで決めた待ち合わせなんだ。
喧嘩中…というわけではない。でも、今日会えなかったら彼女とは一生会うこともなくなるかもしれない。たぶんそのくらい今日という日は重要なんだ。

1ヶ月前、最後に会う約束をした時もものすごく久しぶりのデートの予定だった。だけど当日、彼女から“会えない”ってメールをもらって僕は呆然とした。こんなこと、今までなかったから。
会えない理由はメールに書いてあった。たぶん泣きながら、何度も書き直しながら送ったメールなんだと思う。真面目で真っ直ぐな彼女らしい言葉。
一言で言えば、“しばらく会わないでいたい”ってことだった。
僕は一言“分かった。気持ちの整理が出来るまで待ってるよ。”とだけ返した。その時はそう返すのが精一杯だったんだ。本当は会いに行って自分の気持ちをぶつけたかったけど、不安定な気持ちの彼女に、そんな言葉を投げつけても余計彼女を苦しめるような気がして、できなかった。その時は、僕にできるのは待つことしかなかったんだ。

ようやく僕自身の気持ちをまとめられたのが、つい一週間前のこと。彼女のメールが来る前に、僕は彼女にメールを送った。約1ヶ月電話もメールもなかったから、まだ彼女の中では気持ちの整理ができてないんだろうけど、その間に僕自身の気持ちは固まった。僕の気持ちを伝えて、彼女の心が決まればいいなと思ったから。
メールには僕の気持ちと、そして今日ここで待ってる事を書き添えた。彼女の返事はなかったけれど。

「…返事がないってことは、ダメってことかなぁ、やっぱり…」雨のせいなのか、どうしても悪い方へと考えてしまう。そしてどんどん落ち込んでしまう僕が居た。一体彼女の中の僕という存在がどのくらい小さくなっているのだろうか。彼女しか見えていないのは僕だけで、彼女の方はすでにもっと若くていい男を見つけてそっちに気持ちがいってしまってるんじゃないか、なんてね。

そりゃ、一端の芸能人だから会える時間が極端に少なかったりして“それ付き合ってるの?”と言われてしまうほどの付き合いかもしれないよ。彼女は一般人で普通に会社で働いてる。休日が同じなんてことも仕事が終わる時間が同じってことも滅多にない。ゆっくり会えるのは、僕らのコンサートの為に彼女が休暇をとって来てくれる時くらいだ。

それなら同じ世界の人にしろって誰かが言ったっけ。そうすれば似たような生活だからもっと会えるよって。好きになった人がそういう世界の人ならそれでいいさ。でも僕は彼女がいい。一般人で生活がほぼ逆で僕と違って落ち着いてて僕よりずいぶん若いけど、でも僕は彼女じゃなきゃいやなんだ。僕には彼女しか見えない。だって僕の心はあの日で止まってるんだから。彼女と出逢ったあの日から。

彼女と出逢ったのは、去年の12月。ある地方のコンサート会場を囲む大きな公園だった。珍しく朝から暖かくて、散歩でもしようかなって僕はその公園に行ったんだ。公園は冬枯れで物悲しい感じだったけど、それはそれで情緒があるし、人の少ない公園っていうのは結構好きだからカメラまで持って出掛けたんだよね。何かいい被写体ないかなぁ…って探していたら、噴水の傍のベンチに座る女性を見つけた。スポーティーな格好をしていたから早朝ジョギングしてる人なのかなぁってちょっと遠巻きに眺めていたら、彼女の横に野良猫がちょこんって座ってたんだ。だめだね、猫好きはそういうの見ると傍に行きたくなっちゃう。気づかれないように…うん、何故か気づかれちゃいけない、って思ってそーっと近づいたんだ。

そしたらその猫が彼女の膝に乗って撫でろって訴えてる。彼女も猫が好きだったみたい。嬉しそうに猫を撫でていとおしそうに眺めてた。その姿が僕にはすごく印象的で、だけど、その笑顔の裏にものすごく大きな悩みがあるんじゃないかって思ったんだ。何故かは分からないけど、その笑顔は猫だけに向けられていて、今の彼女はその他に対しては決して笑顔を見せないんじゃないか、って。きっと仕事か何かで辛いことがあったんだろうな、と思ったよ。

これは僕が話し掛けて解決することじゃないかもしれない、そう思って立ち去ろうとしたけど、僕の足は一向に動こうとしなかった。まるで足の裏と地面が接着剤でくっついてしまったみたいに、立ち去ることを拒むんだ。
僕の心が、彼女を捕らえて離さない。一目惚れだった…のかな、もしかして。うん、たぶんそう。

彼女は最初、僕のことをものすごく怪しい人だと思ってたみたい。そりゃ、見知らぬ男が声を掛けてきたら怪しいよね。しかも僕のことを知らなかったから余計だったんじゃないかな。
僕が何か尋ねると、彼女はちょっと答えたくない感じで聞かれた事だけを返してきた。僕のことを信用していないんだよね、きっと。だって僕には猫に向けたような笑顔を見せてくれないし、話口調もとってもそっけなくて。下手したら不審人物だって通報されてしまっていたかもしれないな。
そんな彼女が何かに悩んでるってどうして僕は分かったんだろう。これは今でも僕の疑問なんだ。

彼女は“私は不幸です”って感じではなかったし、ちょっとクールな人なんだと思えばそれで特に気になる点なんてなかったと思う。だけど僕は彼女が何かに悩んでいるんだってことに何故か気づいた。それも一時的なものではなくて、ずっと昔から彼女が抱えてきた何か。誰にでもそんなことは一つや二つあると思うけど、たぶんこの時一番そのことについて彼女は悩んでいたんだろうね。自分というものを失いかけているような…そんな気がしたんだ。彼女の今の姿は彼女本来の姿じゃないって。

少し経ったら最初より警戒心は解いてくれたけど、もちろんちょっと話しただけでは見知らぬ人に対して笑顔にはなれないよね。彼女の悩みが解決したわけでもないし。
だから、とにかく彼女をどうにか元気にしてあげたかった。きれいな人が悩む姿ってなかなか絵になるけど、彼女には悩んでる姿は似合わないと思ったんだ。笑ってほしい、僕にも笑顔を見せてほしい、そして彼女の力になりたいって。

その日、僕は当日のコンサートチケットを一枚カバンに入れていたんだ。偶然出会った僕を知らない人に来てもらえたら、なんて思って。準備しておいてよかったと心から思ったよ。
僕は彼女にそれを渡した。その時発売したばかりのアルバムもセットにして封筒に入れて渡したんだ。中は家に帰って見てって言って。何故だかその場で僕が誰だか知られるのは避けたくて。もしかしたら知ってる場合もあるからね。

そしたら彼女が言うんだ。“せっかくだからサインがほしいです”って。でもサインしたら僕が誰か分かっちゃう。バンド名を書くわけだから。そこで僕は考えた。もし今日のコンサートに来て、ファンになったらファンクラブに手紙を送ってって。ここでの話を書いてくれれば分かるしってね。そしたら僕から連絡するから来年の6月にまた来た時にここで会おうよって。
そのあとも色々話をして…決して悩みを打ち明けてくれたわけじゃなかったけど、僕の言葉で彼女の中に引っ掛かっていた何かが取れたみたいだった。最後には僕にも笑ってくれたし。

会場に戻った僕は、メンバーに一曲変更したいって頼んでみた。当日曲目が変わることは珍しくないから、さほど驚いた様子はなかったけど、“何で?”と聞かれてしまった。返答に詰まった僕に“ま、何となく分かるけどな”と二人は笑って変更を承諾してくれて。あとは彼女が来てくれることを願いながら練習に励んだっけ。

開演時間、ステージに出て真っ先に彼女が来ているか探した。場所は分かってるけど、そこだけじろじろ見るとファンが怪訝に思ってしまう。演奏しながら僕は真正面の5列目をちらりと見やった。彼女は来てくれていた。
ちょっと放心状態で、自分が今どんな状況に置かれているのか理解できていないような、そんな感じ。でも彼女はステージの僕をしっかりと見つめていた。

そんな彼女に贈りたかった曲。変更したのはその曲だったんだ。今の彼女に聴いてもらいたかった。本来なら会場に居るすべての観客に歌うのが歌い手の使命だと思う。でもその曲だけは、彼女に捧げたかった。本当の笑顔を僕に見せてほしかったから。
歌い終わって彼女を見た時、彼女は僕を見て微笑んでくれた。頬に流れる涙がきれいだと思ったのを覚えている。

コンサートツアーが終わって新年を迎えると、手紙が届くのを待った。本当に手紙を送ってくれるかどうかも分からないのに、毎日ファンレターの中から彼女の名前を探す日々。もしかしたらファンにはならず“ありがとね”程度なのかもしれないのに、そう思うと自分のしていることがやたらと馬鹿馬鹿しく思えたけど、探さずにはいられなかったんだ。

あの日のコンサートから1ヶ月後、彼女と同じ名前の人から来た手紙を見つけた。住所はその地域。ドキドキしながら封筒を開けると、癖のないきれいな字で“公園であなたに写真を撮られたあなたのファンです”と書かれていた。もう、まわりのことなんて気にせず飛び上がったよ、僕は。
“6月にまた会えたら嬉しいです”って書かれていたけど、僕は書いてあった携帯の番号にすぐに電話した。6月までなんて待てないんだもん。

電話には当然彼女が出た。僕だって名乗ったら、あの時よりもずいぶん明るい声で“手紙届いたんですね。よかった。”って返してくれた。“元気そうだね”って言ったら“おにーさんのお陰です”って。あ、“おにーさん”っていうのは彼女が僕に付けた名前ね。
僕は抑えられなくて“来週会いに行っていい?”って聞いてみた。彼女、ちょっと驚いたみたいで一瞬間が空いたけど、“いいですよ”って言ってくれたんだ。“あれ、でも6月って言ってませんでした?”って質問には笑って誤魔化したけど。
ちょうどその地域で仕事が入ってたんだ。これを利用する手はないよね。
マネージャーに感謝だ。

仕事は一日だったけど、前日に無理言って休みをもらってマネージャーより一足早く出掛けた。日曜日だったから彼女も仕事が休みだしね。
待ち合わせはもちろん出会った公園。1月にあの公園に行ったの、初めてだったかもしれないな。
彼女はあの噴水の傍のベンチに座って待っていた。僕を見つけると、あの時とは比べ物にならないくらいの微笑みを僕に向けてくれたんだ。それだけで僕は十分幸せな気持ちになったよ。

「わざわざ来ていただいて…」彼女が照れくさそうに言ったっけ。もう僕が何者かすっかり承知しているから余計照れくさかったのかな。でもしっかりアルバムを持ってきていてサインペンまで準備してた。それには僕は大笑いだったよ。もちろん約束通りサインはしたけどね。
その日、かなり冷え込んでいたから彼女は公園の近くの自分の部屋へ僕を連れていってくれた。本当に公園から目と鼻の先だった。
部屋で暖かい紅茶を入れてくれて、彼女は僕と出会った頃のことを話してくれた。

どうやら彼女には、周りに自分のことを理解してくれる人が居なかったらしい。友達にも悩みを打ち明けられず、いつも一人で悩んでいたって言っていた。そしてその時、結婚まで考えていた彼と別れて間もなかったということだった。
「そんな時、おにーさんに会ったんですよ」彼女は僕を見つめて言った。
「初対面の見知らぬ人が何故自分の悩みに気づいてくれたのか、今でも不思議ですけど、本当に嬉しかったんです。コンサートに行って、おにーさんの歌を聴いて、自分を認めてもらったような気がしました。今じゃ、こんなにCDが増えちゃってファン一直線ですよ」そう言って彼女は部屋の一角にある棚を見やった。よく見ると、僕のバンドのCDだけじゃなく、僕が出した写真集やギターの教本まで揃っていた。サインしたアルバムは棚の上に誇らしげに飾ってくれてたな。

「揃えすぎだよ」と僕が笑って言うと、彼女はものすごく恥ずかしそうに笑った。
「手紙に書いてあったけど、会場で友達が出来たんだって?」と聞くと、彼女の顔がぱぁっと明るくなった。そして立ち上がって棚の上のアルバムの隣に飾ってあるフォトフレームを手に取り僕に差し出した。
「あの時、隣の席だった人なんです。早苗さんって言います。おにーさん達のことを色々教えてもらってるんですよ」彼女に言われる前に隣の席に居た人だって分かってたけど、あえてそれは言わなかった。この地域に来るといつも見かける美人さんだったから。たぶん彼女は白くてど派手な長髪男のファンだ。

僕は“また会いに来ていい?”となかなか言い出せなかった。会えない距離じゃないけど、同じ東京に住んでいてもなかなか会えないのに、こんなに離れていたら次はいつ会えるのか全く分からない。それに彼女の気持ちもどうなのか分からないから余計だ。ファン=恋愛対象、と断言できるものじゃないし。さらに彼女との年の差も言い出せない要因の一つでもあったかな。

僕が頭の中でそんなことを考えていると、彼女が口を開いた。
「…私、今の会社を辞めようと思ってるんです」
彼女曰く、ここで一区切り付けて、また新たな場所で自分らしく仕事をしたいという気持ちが日々強くなっているそうだ。でも不安もあるからなかなか決断できないみたい。
「ここを離れて違う場所で働きたいっていう気持ちもありますけど、やっぱり不安で…」
僕は運がいい。もう言わずにはいられなかった。
「東京においでよ。そしたら僕も居るし力になるよ。もちろん、歌手とそのファンとして、じゃなくて」
その時の彼女の顔、今更だけど写真撮っておけばよかった。

僕は運良く彼女を東京に呼び寄せた。だからといって僕が彼女の新しい生活環境を整えたわけじゃない。新しい職場も住む場所も、彼女は自分で決めた。彼女はそういう人だから。僕が手助けしたことと言えば、東京の地理についてぐらい。そしてどちらかと言えば夜遅くに家に行ったりして彼女の新しい生活を邪魔してたかもしれない。でも彼女は新しい生活の中に僕を優しく迎え入れてくれた。

でも会えるのは1ヶ月に2,3回。ゆっくり会えるのは1ヶ月に1回ぐらい。付き合ってるのかどうなのか微妙なところだけど、それでも僕は彼女が同じ街に居るだけで嬉しかった。
僕は彼女を得て幸せだった。でも彼女は得た物も多かったけど、失った物もたくさんあってきっと内心辛かったと思う。地元で出来た例の友達とも、メールのやりとりだけになってしまったし、前の会社で手にしていた物はすべて失っている。新しいことを始めるのは体力的にも精神的にもかなり大変だったと思う。それでも彼女はそんな部分を僕に見せることは滅多になかった。もともと人に頼ることが下手な人だから。

4月から始まったコンサートツアー、新しい生活が始まって間もないのに、東京やその周辺の会場には休暇を取って来てくれた。きっと色々無理して来てくれてたんだと思う。でもそんな時も彼女はそういう所を表には出さない。だから来てくれるのは嬉しいけどものすごく心配になる。僕は何度も彼女に言ったっけ。“僕には甘えていいんだよ”って。恋人の僕には弱い所も見せればいいんだよって。それを包むのが僕の役目なんだからって。彼女は照れくさそうに笑って頷くんだけど、それでもやっぱり自分の弱い所は見せたがらない。きっと限界が来るまで、彼女は自分をさらけ出すことはしないだろうと思った。

たぶん、1ヶ月前が彼女の限界地点だったんだろう。東京へやってきて4ヶ月。新生活での不安や4ヶ月間心に溜めてきたものが溢れてきたんだと思う。まだ新しい仕事への自信を付けたわけじゃなく、東京での暮らしに完全に慣れたわけでもない。不安要因なんて日々生まれていただろう。

実は2ヶ月前に予兆があった。それに気づいたのは1ヶ月前の例のメールをもらってからだけど。
久しぶりに会った時に珍しく僕の背中に寄り添ってきた。僕は甘えてくれたことが嬉しくて舞い上がってたけど、今思えばたぶんあれが彼女の精一杯の心の中を表現した行動だったんだろうな。それに気づけなかった自分にものすごく腹が立った。一番彼女を分かっているつもりだった自分の愚かさに泣きたくなった。
何が“僕には甘えていいんだよ”だ。自分の言った言葉がこれほど下らない言葉に聞こえたことはない。こんな僕に彼女が自分をさらけ出すなんて、あるわけがないよね。

彼女が気持ちの整理をすることになったこの1ヶ月は、僕の気持ちの整理をする期間にもなった。ある意味、この1ヶ月は冷静に考えるいい時間になったことは確かだ。そして彼女の気持ちをきちんと理解する時間にもなった。

彼女は2ヶ月前僕に甘えてくれたけど、彼女にとってはそれが自分の自信を失うきっかけになってしまったようだ。
彼女の中には、甘えていい部分とそうでない部分が存在する。恋人に依存してはいけない部分、つまり自分で解決しなければいけないと彼女が思っている部分、どうやらその部分で僕に甘えてしまおうとしたらしい。

僕は改めて彼女の心の内を知った。
新しい環境になかなか慣れることができないもどかしさ、これからへの不安、寂しさ。そんなさまざまな気持ちに悩みながらも、彼女はすべてにおいて僕に頼ることができない人なのだ。

他人にとっては“たかがそんなこと”と思うことでも、彼女にとってはとても大切な、自分の核というべき部分であって、その部分を誰かに頼ってしまうことは、彼女にしてみれば自分という人格を見失うことになってしまうんじゃないだろうか。
それだけ、彼女は自分らしさを誇りに思っているのかもしれない。だから余計に僕に頼ろうとした自分が許せないのだろう。彼女は僕と何もかも依存しあう関係にはなりたくないのだと思う。
そして彼女は僕としばらく会うことをやめたいと言ったのだ。自分という人間ともう一度向き合う為に。もう一度、僕との関係について考える為に。

僕はどうなんだろう。
確かに僕も何もかも依存しあう関係はごめんだ。それじゃ一緒に居たってお互いの為にならない。相手に何を求め、何を与えるべきなのか。
色々考えた。お互いの弱い部分を認めてお互いを支える、とか、辛いことがあった時は傍に居て慰める、とか。でももしかしたら言葉では言い表せない部分に何かを求めているのかもしれない。結局まとまった答えは出なかった。

ただ出た答えは“彼女を愛している”ということだけ。それは今も変わっていないし、むしろあの時より深く想っている。彼女に何度と言った“甘えていいんだよ”という言葉も、今なら本当に彼女を想って言うことができる。
だから彼女にメールを送った。僕の今の気持ちを書いて。

−バサバサッ−
鳥の羽ばたく音が聞こえて僕はハッとした。僕の周りにいた9羽の鳩たちが一斉に飛び立ったらしい。

「…あれ、雨上がってる…」ベンチから立ち上がり、空を見上げると、雲の切れ目から光の筋がいくつも差し込んでいる。僕の所にも一筋の光がまるでステージのスポットライトのように差し込み、僕を照らしてくれた。
眩しい太陽の光に僕は目を細めた。

その時、慌てたような靴音が目の前にある小さなメリーゴーラウンドの向こうから聞こえてきた。水溜りで靴が濡れることも気にせず、走ってきているようだ。
メリーゴーラウンドの向こうからやってきたのは、僕が待っていた大好きな彼女だった。息を弾ませ、左手に開いたままの傘を持っている。頬はピンクになっていて、傘を差していたはずなのに髪には水滴がいくつも付いているみたいだ。

僕の姿を見つけると、ぴたりと足を止めた。弾む息を整えるようにしながら、僕を見つめている。彼女の瞳は潤んでいて、今にも涙が零れそうだ。
唇はかすかに震えている。

彼女はきっと僕が怒ってると思っている。だから僕の前まで来る勇気がないのだ。
だけど僕の中に“怒り”なんてどこにもない。来てくれたことへの喜び、それだけだった。

でも彼女に抱きつきたい衝動を抑えつつ、僕はちょっと意地悪っぽく笑い名前を呼ぶことにした。“心配したんだぞ”っていう意味を込めて、だ。
「…エーリ?」
「……っ」ぶわっとエリの瞳から涙が零れた。
エリの泣き顔を見るのは三回目だ。
風に揺れるエリの髪。そして零れる涙。
いつ見ても、エリの涙はきれいだね。
雨上がりの虹より、何よりも。

ほら、もう一度二人の物語を始めよう。
あの虹を渡るのも悪くないね。
エリとなら渡れるよ。

ね、僕と虹を渡ろう。
雨上がりのあの虹を−

−Fin−


***********あとがき******************

「Sister of The Rainbow」を読んでいただきましてありがとうございます。

気づいた方は多数いらっしゃると思いますが、このお話は、「ひとりぼっちのPretender」の続きです。
前回はエリちゃんの視点でしたが、今回は坂崎さんの視点。
坂崎さんがエリちゃんのことをどう想っていたのか、ライブであの曲を歌った想いは?そんなところを一番に表現したつもりです。
もちろんその後の二人…も大切な部分ですけどね。

その後が気になっていた方もいらっしゃったので、みなさんの感想がとても気になります〜(^^;)想像と違ってたり夢を壊しちゃってたらすみませんです。
でもこのお話だけが二人の続きではないと思っています。この曲を使ったからこそ、こういう続きになったわけです。

みなさんの中にある二人の続きも消したりしないで下さいね。
このお話は私の中の想像。
みなさんの中にあるストーリー、それも二人の続きの一つですよ(*^-^*)

2004.11.15


感想をいただけるとうれしいです(*^^*)
メール または 賢狂のブログの拍手コメントへ