「四季つれづれ」


深深と降る真綿のような雪に、ただ、見とれた。
真っ白で穢れのない、触れば冷たいはずなのに何故だか暖かいような…温かな室内から眺める雪はそんな印象を与える。
きっと風が吹き乱れて降る雪であれば、その寒さを感じて身震いするのだろう。
もし霙(みぞれ)ならば、その雨粒のような姿に冷たさを感じる、そう思う。
どれも凍えるほどの冷たさなのに、感じ方が違うというのは不思議なものだ。

そんな冷たい雪は今はただ風もなく、一面悲しげな雲をたたえた空から音もなく降り続いている。
美しいものだ、素直にそう感じた。
普段、真冬でも滅多に雪など見ないせいか、真っ白い雪は自分にとって日常と違う何かがあるように思えてならない。もちろん、ダルマやウサギになったそれは形を成しているから暖かいとか美しい、などという気持ちは生まれない。降る雪、ただ深深と降り、目の前を真っ白に染める白いそれが、自分の中で他のものとは違うものとして見ている、そんな気がするのだ。
それが美しいと感じるからなのか、暖かいと感じるからなのか、それは分からない。
ただ、自分の中で“特別”な存在であることは確かだ。
何故だろうか。ふと考えてみる。
雪というものに、何かしら想い出があっただろうか。
生まれ故郷には確かに冬はよく雪が降る。
いつも雪投げや雪ダルマを作っては、はしゃいでいた。
しかし住んでいたのは子供の頃の話で、いまや都会暮らしの方が何倍も長い。
それにそんな印象的な雪の想い出など、なかったように思う。

どさ…と屋根から雪が落ちた。雲間から太陽の陽がわずかばかり差し込んで、パラパラと落ちてくる雪に光が反射する。白い雪の眩しさに目を細めた。
ふと誰かの横顔がよぎる。
真っ白な雪に似た、誰かの…

ああ。
懐かしい人を思い出した。
ずいぶんと昔の、淡い想い出が蘇る。
だから雪が特別に感じるのかもしれない。
懐かしさに口元が緩んだ。
うろ覚えな、淡い記憶。
とても一つに繋がりそうにないほど、あやふやだ。
けれどそれがとても大切なものであるという、よく分からない確かな想いがある。
あやふやだからこそ、切なくて大切に感じるものなのだろうか。

それにしても…
そんな大切な想い出を忘れていた自分に少し呆れた。
かといって今思い出したところで何かあるわけでもないのだが。

どさ…また雪が落ちた。

あれは、いつのことだったか…


その人と出逢ったのは、紫陽花の咲く頃。
幾つの時だったか、それすらも霧の中にいるようなぼんやりと不確かな記憶。
けれど、彼女の存在だけは、とても鮮やかに残っている。
雨の中、鮮やかに咲き誇る無数の紫陽花の中に、彼女は居た。
その花びらに触れ、愛らしいその鼻先を近づけ香りを一人楽しむように。
花びらに触れる彼女の白い手が鮮やかな紫陽花の中で際立っていた。

その人の顔をしっかり思い出せるか、と言われればたぶん無理だ。
印象に残る目元、口元…部分的に覚えているだけなのだ。
きっとその人と街中ですれ違っても分からないと思う。
その人も、自分の顔など覚えてはいないだろう。

そう、確かそれは中学生の頃だった。
自宅から少し離れたところにあった紫陽花の公園。
通学途中に寄り道をした時に見つけた公園だった。どうしてそんな方へ寄り道をして、公園を見つけたのか、それはすでにあやふやでよく分からない。友人の家の傍にあったのか、それとも……いや、思い出せそうもない。
しかし、そんなあやふやな記憶が、余計にその想い出を神秘的なものにしているような気がする。

その人は恥ずかしそうに、
「最近引っ越して来たんです」と言った。
どうやって話し掛けたのか…向こうから話し掛けてきてくれたのだったか…。
「お家はこの辺りなんですか?」と彼女が問う。くるくると、赤い雨傘を回しながら。
確か、何も言わずただ頷いた。

すべてがあやふやすぎて、もどかしい。
記憶を辿っても、決して明確なものへは繋がらないことは分かっているのだが。
それでもやはり、思い出せることは思い出したいと願っている自分がいる。
忘れていたことを彼女が悲しんでいるわけでもないのに。

そこで彼女が自分と同い年だと知った。
「私より年上だと思っちゃった」柔らかい笑顔がとても眩しかった。

まだ友達のいない彼女は、近所にあったその紫陽花の咲く公園に来て、寂しさを紛らわせていたらしい。最初はただ通りすがっただけだったのだが、あまりにキレイなので毎日訪れているんだ、と彼女はそんなことを言った。
どこの中学?だとか、そんなたわいのない話をした記憶がある。細かいことは何一つ覚えていないのだが。確か名前も聞いたし自分も名乗ったはずなのだが、彼女の名前すら思い出せない。ただ、学校では会ったことがないから、学区が違うのは確かだ。そういえば公園の周辺は、隣の学区だった。
それからというもの、彼女に会いたくて学校の帰りに必ずその公園に寄るようになっていた。
たわいのない、日常の出来事を彼女と話すだけで、とても嬉しかった。

夏になってもその公園で彼女と会う日は続いた。それは彼女が紫陽花の時期が終わってもその公園に来ていた、ということになるのだが、どうしてだったか…それはよく覚えていない。
だが、残念なことに夏休みに入ってしまったせいで会える日は極端に減ってしまい、学生にとって何より楽しみな夏休みだというのに、この時ばかりは長い休みに嘆いたものだ。

自分は彼女のことが好きだったんだろうな、と思う。今思えば子供染みた、単なる憧れのような気持ちだったのかもしれないが。
それでもその時はそれが恋だとか愛だと感じたのだろう。

彼女の家が公園の近所の通り沿いだと分かると、用事がある時はいつもその道を通るようになって、家に帰る時はたとえ遠回りになってもその道を選んでいた。姿を見かければお互い声を掛け、ひとしきり話しては名残惜しい気持ちで家に帰る…。
ああ、そういえば近所の駅で帰りが一緒になったことがあった。
彼女の家の前まで一緒に帰り、そこから自宅へ向かう。遠回りなのだが、そんなことは気にならなかった。どうせならもっと遠ければいいのに、と思ったこともある。
二人で並んで歩く、ただそれだけでとても幸せだった。


けれど幸せな時間というものは、長くは続かないものだ。
ほんのひととき、そんなものなのだろう。それを痛感した。
なるほど、それで彼女のことを忘れてしまっていたのかもしれない。
初めて経験した悲しい別れ。
心の底から悲しくて、そんな悲しい想い出は忘れた方がいいと子供ながら感じたのか、今の今まで記憶の奥底に押しやっていた、のだろうか。
確かにあれほど悲しいと思ったことはなかった。

ようやく秋らしい爽やかな風が吹き始めた頃、彼女から近々引っ越すことを打ち明けられた。
親の転勤で、遠い所へ行くと。
その時の自分には受け入れがたい現実であり、彼女への気持ちを何一つ口にしなかったことをひたすら後悔した。どうして言わなかったんだろう、と。毎日会いたくて公園に行っていたのに、結局何一つ気持ちを伝えていないのだ。
その時…そう、とても悩んだ。引っ越してしまう前に彼女に気持ちを伝えるべきか、このまま何も言わずに“さよなら”をするか。どちらが正しいとか、間違っているわけでもない。だから余計に悩んだ。
結局、彼女に言ったという記憶はない。言おうとはしたのだが…。
彼女と最後に会った日、何と言葉を交わしたのだろうか…。
どうやって彼女と別れたのだろうか…。

…ふと、彼女の悲しげな微笑みがぼんやりと浮かんだ。
何故悲しげな瞳をしているのだろう。
彼女はいつだって、心が温かくなるような暖かい笑顔を向けてくれていたのに。
何か、とても大事なことを忘れているのか…。
それは…一体……。
僕は何を忘れているのだろうか…


「…あら、やだ。居たの?」という声とともに、辺りが急に明るくなった。
ハッとして顔を上げると、リビングの入り口に妻が立っていた。
「…だめじゃない。こんな暗いところで本読んでたら」
「……え、もうそんなに暗くなってた?」
外はすでに薄暗くなり、確かにこれでは部屋はさらに暗かっただろう。本を読んでいたことすら忘れて、思い出すことに必死になっていたようだ。膝の上には開きかけの本がめくられることなく寂しげに置かれている。しおりを挟み、静かに本を閉じた。
よく見れば外の雪はすでに止み、まるで写真のように静止した銀世界だけが窓の向こうに広がっている。
「なぁに?気付かなかったの?…あ、分かった、寝てたのね?」
「違うよ、寝てないよ。考え事」
「考え事ねぇ…本当に?ねぇ、あなたもコーヒー飲む?」クスクス笑いながら妻は言う。僕が何と言おうと妻はまず疑うのだ。
「うん、もらおうかな。…あのね、俺だって考え事くらいするよ」
「はいはい。それで?考え事って?仕事のこと?」キッチンから妻が尋ねる。ちっとも心配している感じはない。たまには心配そうに聞いてくれてもいいのに…と思うところだが、考えていることが大したことではないからそう多くも望めない。
「いや、昔を思い出しててね」
「…昔?」
「そう、昔。…あれは、初恋だったのかなぁ…」ガラにもなく、そんなことを呟いた。断片的に思い出したその人のことは、やはり自分にとってとても大切な存在だったように思うのだ。
クラスの何とかちゃんが可愛いとか、そういう次元ではなく、恋や愛に近いもの。
ただ、そんな想いを寄せていた人のことをすっかり忘れていたというのことについては、やはりとんでもなく情けないのだが。
「…え?何て?今、“初恋”って言った?」笑いを含んだ妻の言葉がコーヒーとともにやってきた。
「何だよ、笑うことないだろ」
「だって…。そういう話、聞いたことなかったもの。はい、コーヒー」
「そうだっけ?ん、サンキュ」
「そうよ。そういう話、あなたしないじゃない」
「夫婦でそんな話、普通しないでしょ」苦笑いして妻を見た。
「そう?面白いからいいんじゃない?ね、いくつぐらいの時の話なの?」何だか妻の目がキラキラしている。女というのはどうしてそういう類の話が好きなのだろう。
「…そんな期待するほどの話じゃないんですけどね」
「大丈夫、そんなに期待してないから」
「…なら聞かないで下さい」
「それでも聞きたいのよ」
「……」
何と返しても結局は話すことになってしまうのは、何故だろうか。
僕の眉毛はこれからも下がる一方だ。


仕方がないので妻にはかい摘んで(思い出したことだけ、とも言う)話すことになった。
中学の頃、公園で出会った同い年の女の子を好きになり、彼女が引っ越してしまうまで公園で会ったり駅で会えば一緒に家まで帰ったり。結局自分の気持ちを言えないまま、彼女は引っ越してしまった…と。かなりかい摘みすぎだが、簡潔にいえばそういうことだろう。
「へぇ…そんなことがあったのね」ニコニコ笑いながら妻はしきりに僕の顔を覗き込んでは頷いた。
「…そういう顔で見ないでくれる?何?意外?」
「う〜ん、意外…っていうわけじゃないけど、何だか不思議」
「不思議?」
「うん。みんな、似たような思い出があるんだなぁって。あなたにもあったのね、そういうの」
「あなたにも…ってことは何だよ、おまえも?」
そう聞き返すと、少し照れくさそうに妻は笑った。
「何だよ、俺だけ話させて自分は内緒、とか言わないでくれよ」
「そう言おうかと思ったんだけどね。だって恥ずかしいじゃない」
「俺だって恥ずかしいんですけどっ」
「あはは、そうよね。誰だって恥ずかしいわよねぇ…」
「そうだよ。はい、俺は話したんだからちゃんと話しなさいっ」
「…でも私もしっかり覚えてないのよ。昔すぎて」
「それは同じでしょ。俺みたいにかい摘んで話せばいいよ」
「…ヤキモチ焼かないでよ?」
「焼くかっそんな昔の話にっ」
…と言い返してはみたが、はたして……。


「…確か私も中学の頃だったわ。父は転勤族でね、結構転校することが多かったの。まだ新しい学校に慣れてなくて、友達もいなくて…。学校が終わると遊ぶ友達がいないから一人で近所の広場みたいなところに行ってたの。そこで会った男の子と仲良くなってね。毎日のように二人でおしゃべりしたんだ。…名前も顔も忘れちゃったけど、すごく優しい子だったのよ。学校は違ったみたい。隣の学区だったのかな」

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その人はこちらに気付くとゆっくりと顔を上げた。空色のスカートがそよ風に小さくはためく。
まっすぐで、何の迷いもない澄んだ瞳をしていた。
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え…?今のは…何だ?
「何?どうかした?」
「え?ああ、いや。何でもないよ。…それで?」
「それでね、その子はその広場を通学路にしちゃってるんだって言っててね。私、会いたくて毎日その広場に通っちゃったの。可愛いでしょう?」

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「また会えたね!もしかしてここを通学路にしてるの?」
「…うん。この時期はね」
「そうなんだ。行きも帰りも楽しみがあっていいね」
「うん。紫陽花が咲いている間はずっとここを通るから……ま、またここで何度か会えるかもしれないね」そう言うと、彼女はとても嬉しそうに笑った。
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……妻が話すたびに、あの頃の僕と彼女が出てくる。これはどういうことなのか…。
妻の思い出と僕の思い出が似ているから、なのか…?
「…でも結局はまた転勤でね。引っ越すことになっちゃって。その子に引っ越すこと言うの、辛かったなぁ…。自惚れだけどね、その子も私のこと、想っててくれてたかもしれないのよ。通学路っていうのは嘘で、私に会いにその場所に来てくれてたのかなって。ま、それは私の想像なんだけど」

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「えっ!?引っ越す!?」
「……うん。お父さんがまた転勤するんだって…」
「……い、いつ?」
「…今度の土曜日……」
悲しげな顔で俯く彼女。胸が苦しくなった。
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「好きですって言おうかすごく悩んだんだけど、言ってもお別れでしょ?だから言わずに笑顔でお別れを言うことにしたの。泣きそうになりながら、必死に笑顔を作って。“さよなら”って。言ったあと、涙が止まらなかったなぁ……」

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「あの…っ」意を決して口を開くと、彼女がゆっくりと顔を上げた。
吸い込まれそうな彼女のまっすぐな瞳。その時、初めて直視したような気がする。
高鳴る鼓動を感じながら再び口を開く。
「俺…」
「……」彼女が俯いた。秋風が彼女の髪を揺らす。
「……俺」
「……言わないで…」
「…え?」
「お願い、言わないで…」俯いたまま、か細い、消えてしまいそうな声で彼女が言った。
「……」
「…もう、会えないかもしれないから…」
「……」
僕が言おうとしていることを、彼女は分かっているのだろうか。
「笑顔で…お別れ言おうって決めてたの」
何かを振り切るように彼女が顔を上げた。その瞳には、何かが光っている。
「いっぱい色んなことお話できて、楽しかったよ。ありがとう」潤んだ瞳で、彼女は精一杯微笑んだ。
「……」
「…元気でね。さよなら…っ!」
髪を揺らして走る彼女の背中を、ただ見送るしかなかった。
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「……はい、終わり。ね?あなたの話と似てるでしょ?…いやぁね、こういう話するの恥ずかしいわね〜」照れくさそうにそう言って妻は微笑んだ。
「あ…」
「…え?」

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「俺、賢。“賢い”の“賢”。君は?」
その人は僕に優しく微笑んだ。
「私は−」
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そうだったのか。やっと思い出した。あれは、あの人は…。
「はははっそうか、そうだ、思い出したっ」可笑しすぎて涙が出る。
「なぁに?何を思い出したの?ねぇ?あ、本当はその子に告白したとか?」
「…いや?もっとすごいこと」本当にもっとすごいことすぎて、自分でもびっくりだ。
「えっなにっ!?」
「う〜ん、しいて言うなら…その想い出話には続きがあったってこと…かな」
「続き?え?じゃあその子とはその後も会ったってこと?引っ越した後に連絡があったの?」
「…それは秘密」
「あら今更秘密にしなくたっていいじゃない。教えてよ」相変わらず目をキラキラさせて妻は僕の顔を覗き込んだ。
「簡単には教えられないなぁ…」こんなに変わってないのに気づかなかったなんて。情けない。
「何よ〜ケチね。じゃあヒント!」
「ヒント?…う〜ん、ヒントかぁ…」
「うん、ヒント。ヒントちょうだい!」
「……ヒントは…“いま”かな」
「いま?……いまって“現在”の“今”よね。…あ、まさか浮気相手?」
「いるかっそんなもんっ」
「だよね。ええ?いま?居間じゃないし…いま……今……何だろう…」
真剣に悩む妻を横目で見ながら、本棚に本を戻して外を見た。相変わらず外には真っ白な世界が広がっている。窓を開けると、凛と澄んだ冷たい空気が全身をとりまき、暖かすぎる室内にいたおかげでその寒さがとても気持ちよかった。

一面の銀世界。この雪景色を肴に美味い酒が飲みたくなった。
「あなた、寒いわよ」
「あ、ごめんごめん。な、今夜…」
「言わなくてもちゃんと用意します。お酒でしょ?それもこの前買った美味しいお酒」
「さすがっ」
「何十年あなたの奥さんしてると思ってるの。あなたの考えてることはだいたい分かります」
「あはは。…あ、もうコーヒー飲み終わっただろ?カップもらうよ」
「あら、珍しい。洗ってくれるの?」
「たまにはね」
「もう雪は降っちゃったから槍が降るのかしら」クスクスと笑う妻に苦笑いを返してキッチンへ向かう。

妻はまだ答えを考えているようだ。眉をひそめて首を傾げている。
あのヒントで分かる人は、そうそういないだろう。
かといって答えを言わないでおくのは、申し訳ない気がするし、こんなにすごいことを僕の胸にだけしまっておくのももったいない。

コーヒーカップを洗い終わると、首を傾げている妻に声を掛けた。
「なぁ、今度俺の実家に帰った時にさ、連れて行きたいところがあるんだけど」
「え?どこ?何か美味しい食べ物でもあるの?」
「…食い気しかないのか」
「あはは…つい」
「まったく…」
「ごめんごめん。それで?どこなの?」
「公園だよ」
「…公園?」
「そう、公園。6月頃に行こう」
「何で6月なの?何かあるんだ?」
「うん。そこ紫陽花が有名でね。町でも評判の名所なんだよ」
「へぇ!そうなの。それは楽しみ。私、紫陽花好きなのよね」
「……紫陽花を見たら、男の子のこと思い出せるかもしれないしな」

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「町でも評判の、紫陽花の名所なんだよ」
「こんなにキレイなんだもの、名所になるよね。…本当にキレイね。私、紫陽花大好き」と彼女は笑った。
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ふと妻が動きを止めて、驚いたように僕を見た。
「……ねぇ、どうしてその男の子と会った広場に紫陽花があったこと分かるの?私、紫陽花のことは話してないよね?」
妻の言葉に、にんまりと笑った。
「さぁ、どうしてでしょう?」
目を丸くする妻。
変わってないよ、あの頃と。
いや、あの頃よりもっとキレイになったかな。
「……ちょっと待って?……え?」目をパチクリさせて妻は僕を見る。
あの頃のおぼろげな記憶を手繰り寄せているのかな。
僕は、どう?
あの頃と変わったかな。

あれから僕は、何度君と紫陽花を見たかな。
夏も、秋も…そしてあの頃君と過ごせなかった冬も春も、気付かないうちに何度も君と一緒に過ごしてきたんだね。
あれから何十年経った?
気付くのが遅いよね。
僕も、君もね。

「……ねぇ、あなた。もしかして…」
僕はあの頃のように照れ笑いを妻に向けた。

また、逢えたね。


―Fin―


***********あとがき******************
はい、「四季つれづれ」でございました。読んでいただきましてありがとうございますm(__)m
アルフィーの若い頃の曲ということで、歌う桜井さんも声が若くて印象が違いますよね。この曲はとても大好きでして、特に前奏のギターが好きです。そしてそこに入る桜井さんの歌声。あの歌い出しは最高です!
前奏のギターを聴いて最初に浮かんだのは雪でした。なので歌詞に合わせて雪のシーンから物語を始めてみました。雪のシーンは如月として現在、そして水無月、葉月、神無月を過去として構成してみたわけですが、せっかくなので如月である2月にアップすればよかったのかも(^^;)でも12月から雪は降っていますし、まぁいいか!(こらこら)
こんな風に二人して出会ったことを忘れてる、なんてことはさすがにないとは思いますが、子供の頃の思い出はどんなに大切でも年々薄れていくものです。
たまには笑っちゃうようなくすぐったい昔の初恋を思い出してみてはいかかでしょうか?(*^m^*)

2006.1.15


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