「See You Again」




 その時は一瞬、何もかもが止まったような錯覚に陥った。
 泣けばよかったのか、怒ればよかったのか。
 それとも鼻で笑っておけばよかったのか。
 いまでも、どうすれば最良だったのかは分らない。
 分らないまま、未だ、それは心の奥底に沈んでいる。
 普段は気が付かない程度の、小さな痛みと共に。


 その言葉を見たのは、これで一体何度目だろう。
 幾度となく目にし、耳にしてきた文句。
 初めの頃は、それにいちいち反応して、むかついたり落ち込んだりしていた。
 そのうち慣れて苦笑で紛らわすコツを覚えたけれど。
 しかし。
 今、この文章を前にして、気持ちが沈みこんでいる自分がいる。
 胃の裏側あたりに、嫌な重み。
 呼吸困難に似た胸の辺りの痞(つかえ)もある。


 焦り、なのだろうか。
 しかしどうして今頃?
 もう諦めたはずのことなのに。
 悩んだって懇願したって、どうしたって止められるものじゃない。
 そんなことは十分に分っているはずなのに。

 目の前で、知覚出来ない程の明滅を繰り返す文字の列。
 無機質なはずのそれが、自分の細胞の一つ一つまでも落ち込ませる。

 どこの誰とも知らない、これまでに一度も訪れたことなどない、偶然に立ち寄っただけのホームページ。
 時間潰しのために、思いつきで自分の名前を検索してみただけ。
 それにヒットした数あるサイトの中の一つで、そこを選んだのは、ページの名前が面白かったから。
 ただそれだけだったのに。

 ページを開いてゆっくりと内容を眺めながら、ヒットしたはずの自分の名前を探した。
 そして見つけた項目の先頭に書いてあったのは、

 『昔好きだったモノ』

 食べ物や遊び、ドラマやなんかのテレビ番組、そして、よく聴いていた音楽。
 そこに自分のフルネームとバンドの名前があった。


 なんのことはない。
 このサイトの経営者は、『昔』俺達のことが好きだったのだ。
 一時期とはいえ、好きでいてくれたのだ、素直に喜べばいい。
 ライブにも何度も参加してくれていたようだ。
 ただ、今は違うアーティストが気に入っている。
 それだけのこと。
 だけど、聞いてみたくなる。
 『好き』ではなくなった理由を。
 何故離れていってしまったのか。
 繋ぎ止めておけなかった、原因を。

 今までにだって同じような言葉を何度だって聞いてきた。
 テレビ番組で共演した司会者に、「子供の頃、とても好きでした」と言われたことがある。
 ラジオのパーソナリティーに、「一時期良く聴いていた」と言われたこともある。
 そう、過去形なのだ。
 今も、ではない。
 そんなことを考えるのは、浅ましいと思うのだけれど。
 自分だって、例外じゃない。
 大好きで、飽きるほど聴き込んでいたのに、最近全く聴かなくなってしまったアーティストなんて大勢いる。
 部屋にこっそり貼っていたアイドルのポスターだって今はどこにあるか分らないのだ。
 あんなにも熱狂していたのに。
 しかし決して嫌いになった訳じゃない。
 飽きた、とも言いたくはない。
 未だに好きは好きなのだ。
 ただ、一番ではない。

 きっとこのサイトの人も同じなのだろう。
 今はもう一番好きなアーティストが自分達ではない、ということだけだ。
 そう、これは恋愛と同じ。
 いつまでも、自分だけを見つめていてくれると信じた恋人も、いつの間にかすれ違って他の大切な人を見つけていたりする。
 嫌いになった訳じゃない、ただ、更に強く想える人に出会ってしまったのだ、と。
 その心を惹きつけておけるだけの何かが、自分に足りなかった。
 そういうことなのだ。


 なのに、何故だか寂しくて仕方がない。
 まるで、良く知らない場所で、取り残されてしまったような、なんとも心許ない感じ。
 そういえばそんな心理状態を描いた映画が最近あったな。
 あれは確か空港で何ヶ月も足止めされて、しかも言葉もほとんど通じなくて、不安で不安で仕方がないっていう話だったはずだ。
 雑誌か何かで紹介文を読んで、見に行きたいと思っていたのに、結局忙しくて行けなかった。
 あの男がどうなるのか、結末が知りたかったのに。
 今度、DVDでも出たら買おうかな。
 まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。

 つまりは、ここで俺が悩んでいても仕方がないっていうことだ。
 そう、結論付けてみたが、胃の裏あたりのもやもやは軽くならない。
 身体の中から嫌なものを出してしまいたくて、深く溜め息をついてみる。
 しかし、あまり変わらなかった。
 もう一度だけ溜め息をついて、パソコンの電源を落とす。
 小さな音を立てて画面がブラックアウトする。
 同時に、扉を叩く音が聞こえた。

 「高見沢さん、そろそろ・・・」
 巨漢のマネージャーが、スタンバイの催促にきたのだ。
 それに対して 、ああ、とも、うん、ともつかない生返事を返し、上着を手に取りながら立ち上がる。
 視界に入らないよう、手探りでパソコンを閉じ、覇気のないまま、ドアを開けていてくれるマネージャーの傍を通り抜け、舞台袖へと向かった。
 浮き上がらない心と比例して重たいままの足取り。
 気持ちを入れ替えなければならないのに。
 目の前が、晴れてこない。

 何度目かの溜息と共に、舞台袖通路前に繋がる最後の角を曲がった。
 それ程足音を立てずに歩いていたつもりだったのだが、その場へ到着する前に、すでに、サポートメンバーも含め集まっていた全員が、一斉に俺の方へ振り向く。

 ・・・・・・あぁ・・・・・・。

 その光景を見た時、くすぐったい様な、何かが軽くなったような、気がした。
 理由はすぐに思いつく。
 俺は今、安心したのだろう。
 変わりゆくものを嘆く自分に、変わらずにずっとそこにあり続ける、強いもの。
 安心を手に入れて、そして、少し欲張りな気持ちになる。
 「なあ、おまえらさ・・・」
 聞いてみたくなったのだ。
 俺達の魅力とは何か。
 こんなにも長い間、ずっと一緒に居られる訳を。

 いや、答えはなんとなく分っている。
 桜井はきっと、
 「魅力?何をいまさらなこと言ってるんだ、おまえは。何かあったのか?それとも今度の新曲で煮詰まってるのか?」
 そんな風に怒りながら心配してくれるだろう。
 そして坂崎はきっと、
 「たかみーの魅力じゃなくて、おれらの魅力?そんなの三人だから、じゃない?」
 おちゃらけて、そして笑いながら、答えを返してくれるのだろう。
 家族よりも恋人よりも、ずっと長い時間を共にしてきた仲間なのだ。
 照れくさくて、シラフじゃ聞けやしない。
 『いまさら』で『三人だから』なのだから。
 しかし問いかけ始めておいてやめるのも癪(しゃく)だ。
 ここは一つ・・・。
 「一曲、追加していいか」
 そんなことを聞いてみた。
 「また変えるのかよっ。いつも言ってるけどお前コロコロ変えすぎだよ」
 「ライブ真っ最中に言われるよりはましでしょー、桜井さん。で、どこに、何入れんの?」
 「曲目は『See You Again』で、3回目のアンコールに一曲だけ」
 「お、強気だねぇ、高見沢センセー。3回目のアンコールなかったらどうすんだよ。まあ無理やりでも出られるけど」
 「ないことはないだろうけどさ。それにしても3回もやるのかよ、今日。大丈夫か?」
 「やれる。いや、やる」
 言い切った俺に、二人はしょうがないという態度を取りながら、それでも承諾してくれた。
 出来ないなんてこと、俺は考えなくていい。
 やはり桜井は怒りながら心配し、坂崎は笑いながら、答えをくれたのだから。
 当たり前のことが当たり前のように返ってくる。
 これほど心強いことはない。
 「よし。それじゃ、今日は最初っから飛ばしていくぜ」
 いつも通り、手を重ね合わさずに重ね合わせて、気合を入れる。
 流れ始めたオープニングの曲に、坂崎と桜井の声が重なった。
 「ま、一丁頑張りますかっ」
 「張り切りすぎてまたコケたり落ちたりするなよっ」
 後ろを振り向かなくても、ちょっと横を見れば、こいつらがいる。
 だから俺は走り続けることが出来るのだ。
 どんなことがあっても。
 みんなは、息切れして休憩したり、横道にそれて離れてしまったりしてもまた追いついてこればいい。
 いつ戻って来ても、また一緒に走ることが出来るように。
 俺は、この二人とずっとここで、ステージの上で、走っているから。

 「あきらめない夢は終わらない」

 この言葉を嘘にしない。
 どれだけみんなが離れていっても、また帰ってくること、俺は諦めないことにした。
 だからこそ、これを選んだのだ。

 『See You Again』

 本来、恋人に向けて作った歌だが、俺達は以前からこの曲を「次への約束」のために使ってきた。
 その「次」がいつになるかは分らないけれど。
 別れた時の、あの小さな痛みはどうしたって残ってしまうけれど。
 それでも信じ続けるために。
 また逢える、「次」のために。

 だから、俺は、



 もう時を止めない。



 ―終―


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あとがきという名の悪あがき。(涙)

3ヶ月もお時間をいただきながら、この短さって一体・・・。
大変お待たせしてしまって、申し訳ありませんでしたーっ。m(_ _)m
今回、自分自身、書いていて痛い言葉がいっぱいです。(^^;)
知らず知らずのうちに相手を傷付けてしまう言葉ってありますよね。
どれだけ気を付けていたって、相手がどんな言葉で傷付くのかは、正直計り知れない訳ですし。(^^;)
そんな訳で、色々反省をしながら、この話はきっちりと真面目に書いてみました。(いつも不真面目な訳では・・・訳ではっ(汗))
あ、この話の中にでてきた映画はですね、お気付きの方もいらっしゃるかとは思いますが、トム・ハンクス主演の「ターミナル」でございます。
ちょうどその辺の部分を書いている時に、DVDが発売されてまして、職場でプロモーションが流れていたので、ちょっくら取り入れてしまいました。
それにしても・・・私の作品、最後の書き方殆ど同じ・・・。(--;)
もうちょっとひねらないとなーと、反省しつつ、今回はこの辺で。