「二人のお願い」


五月某日

「……で…できたぁ!!」
はぁ~!と大きく息を吐いて高見沢はパソコンをパタンと閉じた。
驚くほど順調で少し拍子抜けしたけれど、これでひとまず安心だと胸をなで下ろす。

コロナワクチンの接種予約の受付が始まった今日、早速パソコンから予約を試みた。
どうせすぐには繋がらないだろうと、軽い気持ちで予約サイトに飛んでポチッとしてみたのだが、驚くほど簡単に入れて、「え?…え!?…ええ!?」と逆に焦ってしまった。
ニュースや情報番組で騒がれているほど、実は予約に人が殺到しているわけでもないのかなと思ったが、接種日を選択する画面でスケジュールと照らし合わせていたら、どんどん埋まっていく。確かにたくさんの人が見ているようだ。
「これなら、電話よりネットの方が時間もかからずにスムーズに予約ができそうだな。二人にも教えとこうかな」
そう呟いた時、コンコンとドアがノックされた。スタッフかな、と振り返らずに返事する。
「はい」
「………」
返事がない。それに入ってくる様子もない。
(…何だ?)
怪訝に思って振り返り、そして、その目に飛び込んできた光景にギョッとする。
1cmぐらい開いたドアの隙間から、恨めしそうな目がこちらを見つめていた。
「ひ!!!オ、オバ…ッ!!!」
「…た~か~み~ざ~わ~」
ものすごく低い声で名前を呼ばれたが、声が半端なく良かった。それに、よく見たらハの字に下がった眉毛も見える。誰!?と聞くまでもなかった。半端なく声が良い人物は一人しかいない。
「び、びっくりしたー!!な、なんだよ桜井!そんな隙間から覗いて!」
「し、執筆中かなと思って…」
「今は書いてないよ」
「今、いい?」
「いいよ?」
「邪魔じゃない?仕事中ならまた後でいいんだけど…」
何だかものすごく遠慮がちだ。
こういう時はだいたい何か言いづらいことがある時だ。
長い付き合いだから分かる。
あのことかな、このことかな、とあれこれ巡らせる。
(もしかしたら、仕事のことかな)
ツアーができていないこの状況には、なかなかのストレスが溜まる。
配信でのチャットやラジオなどでファンからたくさんのメッセージはもらっているけれど、それだけじゃ足らないのだ。

みんなの顔が見たい。
みんなの声が聞きたい。
みんなに会いたい。

会場を揺らすほどのみんなの歓声、拍手、熱気。
当たり前のように傍にあったものを一年以上も感じられていないのだから、欲求不満にもなる。
お互い、会った時に吐き出してはいるものの、吐き出す量より溜まる量の方が多いはずだ。
特に桜井はツアーがない分、高見沢や坂崎より仕事に出向く機会が少ない。きっと二人よりも溜まっているのだろう。
「なに遠慮してんの。遠慮する仲でもないだろ?入れよ」
「いやーん、たかみー格好良い~」
「気持ち悪い!さっさと入れって!」
「お邪魔しま~すっ」
「で、何だった?」
「いや~ちょっと…高見沢にお願いが…」
「お願い?ストレス溜まってて吐き出したいとかじゃなくて?」
「ストレス?あぁ~まぁ、それは今のところ大丈夫。二週間おきの配信で高見沢に笑わせてもらってるから」
「え、俺?そんなに笑わせてる?」
「スイーツ落としたりこぼしたり、商品名間違えたり、チャット読み間違えたり。アクリル板に指突いたり、サンタになったりそれからー」
「わぁ!もういい!!言わなくていい!」
「な?笑うとこ山ほどあるだろ?」
「…そうですね!これから気をつけるって!」
「いや、気をつけなくてもいいから。今後もずっとそのまんまでお願い」
「な、なんで!」
「面白いから」
「おも…」
「ま、そもそも気をつけてもやるだろうから、無駄だけどな」
「ぐ…」
「五分後には気をつけることも忘れるだろうしな」
「う゛…」
何も言い返せない。
「…いや、そんな話をしに来たんじゃなくて」
「あっと、そうだった。お願い、だっけ?」
「そう、あのさぁ……あ…」
何かに気づいて桜井が指差す。指差す先にあるのは、机の上に散らかったワクチン予約の書類だ。
「ああ、ワクチン予約。電話よりネットの方がすんなりできるかなと思って、今やってたんだよ」
「やってたんだ」
「うん。で、終わったとこ」
よく見たら、書類が入っていた封筒は足元に落ちていて、複数枚ある書類は机の上のあちこちに点在している。いつの間にこんなに散らかしていたのか…と少々びっくりする。
散らかった書類を一カ所に集めてまとめるが、トントンしても角が揃わない。むむむ…と思っていると、桜井に書類を奪われた。高見沢の足元に落ちている封筒を拾い、キレイに揃えられた書類は元の封筒にきちんと収納された。
「はい」
「…ありがと」
「来たのは、これのことなんだけどさ」
「ああ、これの話だったんだ?」
「うん。終わったってことは予約できたんだ?」
「簡単だったよ。すんなり繋がったし、電話より楽ー」
ガシッ!!
桜井が高見沢の手を両手で握り、ズイッと顔を近づける。
「な、なに…」
「騎士(ナイト)の高見沢!小説家の高見沢先生!!いや、神様!仏様!高見沢様!!荒川村出身のこの桜井賢のお願いをどうか一つ!聞いてはいただけぬか!!」
「う、ううううううん?」
「その、パーソナルコンピューターとやらで拙者の分も予約していただけないだろうか!!」
誰もが知っているが、桜井はとにかくそういうものに疎い。携帯電話も仕方なく持っているだけで、自分が電話をかける時しか電源を入れないから、単に桜井が公衆電話を使わなくても電話ができるだけだ。
スタッフやメンバーが携帯電話にかけたところで、桜井には繋がらない。
おかげで未だ桜井家ではFAXが大活躍である。
「…久しぶりに聞いたよ、パーソナルコンピューターなんて。予約ね、いいよ」
「おお!有り難き幸せっ!!拙者、これで明日からも生きていけますぞ!!」
「おまえ、どこの誰だよ!?」
「荒川村の桜井賢でござる。以後お見知りおきを!」
「そんなの50年も前から知ってるよ!」
「さすがお代官様!」
「お代官じゃないし!」
「ご老公様!」
「おまえ、”水戸黄門”観てただろ!!」
「はーっはっはっはっは!」
「普通に頼めよ!!」
「普通?…じゃあ…たかみー、おねがい!今度店に来てくれた時にサービスするからぁ!」
「普通がスナックのママかよ!サービスなんかしなくていい!!」
「え~照れちゃってぇ」
「照れてない!嫌がってんの!」
「本当はうれしいくせにぃ」
「うれしくない!」
「え~たかみーが歌ってほしい曲、歌うわよぉ~」
「え!いいの?じゃあね~」
「歌ってほしいんかい」
「桜井の歌は聴きたいもん」
「何十年も横で歌ってるのに?そろそろ飽きたでしょ」
「飽きないよ。桜井の歌は死ぬまで聴きたい」
「…そ、そうですか」
「あれ、照れてる?」
「照れてない」
「照れてるじゃん」
「…照れてない!」
「ははは!照れてる~」
「だから照れてないって!もう俺の歌の話はいいよ!」
「ははは~!ってかさ、スタッフに頼むんじゃなかったの?iPodみたいにやってもらうんだと思ったのに」
「いや、だってさぁ…今んとこ予約できるの65歳以上だけだろ?さすがに若い子に頼みづらくってさぁ」
「ああ、若い子はまだ予約もできないもんな」
「そう。高見沢なら、ササッと予約できるかなと思って聞きにきたんだよ」
「うん、あっという間にできたよ。書類はあんの?あるなら今やるよ」
「本当!?持ってくる!」
「おう」
桜井はうれしそうに笑うと、書類を取りに部屋を出て行った。
くくく、と高見沢は笑って、戻ってくるのを待つ。

けなすと拗ねるくせに、褒めると照れて逃げる可愛いやつなのだ。
オネエになったり、武士みたいになったり、照れたり笑ったり、見てて飽きないのは桜井も同じだ。
それなのに、自分には声しかないと桜井は言う。
良いところはいっぱいあるというのに。
高見沢と坂崎は、桜井の声だけのために一緒にいるわけじゃない。
桜井賢というその人が好きだからだ。
好きじゃなければ、こんなに長く一緒にはいられない。
そこをもう少し自覚してほしいところだ。

「持ってきた!!」
可愛いえくぼを作って、桜井が戻ってきた。
若かりし頃と変わっていない笑顔にホッとする。
言い合いをすることもあるけれど、とにかく優しいやつだ。
無理難題を言っても、文句を言いながらもやってくれる。
失敗するとフォローしてくれるし、転んだりすれば心配してくれる。
その優しさにいつも助けられている。

”声しか良いところがない”
そう自分を評価する謙虚な桜井。
だからこそ、一緒にいたいと思うのかもしれない。
だからこそ…
「好きなんだろうな」
「ん?何て?」
「何でもない!よーし!じゃあ、やるか!」

(桜井もずっとそのまんまで頼むよ)

あの頃と変わらない笑顔を浮かべ、高見沢はパソコンを開いた。







「…で、何でおまえの分まで俺が?」
「え~桜井のついでにいいじゃん」
「おまえは自分でできるだろ?桜井はパソコンが使えないからやってあげたんじゃん」
「え~でも、高見沢は自分のも桜井のもやって慣れてるでしょ?」
「そ、そりゃあ、二回もやってるから慣れたけど…」
「じゃあ、いいじゃん。パソコン、予約サイト開いたままでしょ?すぐできるじゃん」
「……」
「ね~高見沢ぁ~!やってよぉ!また配信の時にパンあげるから。ね?」
「あれはおまえが買ってきたわけじゃないだろ!」
「そうだけど、美味しいでしょ」
「まぁ、美味いけど…」
「というわけで、俺のもお願いしまぁす!」
「どういうわけだよ!自分でやれよ!」
「……」
「スマホもあるんだし、自分でー」
「…高見沢は俺より桜井が好きなんだね」
「はぁ!?何でそうなる!?」
「だって俺のはやってくれないんだから、そういうことでしょ?」
「そういうことじゃない!」
「じゃあ、俺のこと好き?」
「は!?」
「…好き?」
「……す、すすすすす好きに決まってるだろ!」
「…本当?」
「ほ、本当!」
「よかった!俺も高見沢のこと、好きだよ」
「う、ううううん」
「だからさ、高見沢」
「う、うん?」
「俺の分もやってほしいな?」
「…う、うん」
「わぁい!高見沢、大好き~」
「へへ……って、あれ!?」
「じゃあ、やろっか!はい、俺の書類!」
「……」

小悪魔、恐るべし。


おわり


***********あとがき*******************
読んでくださってありがとうございます(^^)
5/30の配信で高見沢さんがワクチンを打ったというお話を聞き、二人の分の予約もしていたら可愛いなと思い、書いてみました。
坂崎さんとのやりとりは、ぜひ坂崎さんの顔を思い浮かべて読んでいただけたらと思います。
単に「好き好き」言い合っているだけの小話になりましたが、楽しんでいただけたらうれしいです~。

2021.06.06


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