「Nobody Knows Me」



−本当の僕を誰も知らない−

「……え?」立ち止まって振り返る。
後ろを歩いていた坂崎が、真横から照る夕陽を眺めながら何かを呟いたのだが、棚瀬には何と言ったのか聞き取れなかった。
「…坂さん?」棚瀬の声に坂崎は足を止めてこちらを向いた。涼やかな秋風が坂崎の柔らかい髪をなびかせて通り過ぎる。
「……ん?…あれ?…俺、口に出てた…?」口に出していたことすら気づいていなかった坂崎は、少々驚いた様子で棚瀬を見つめた。
「あ、え、ええ。聞き取れなかったですけど…。何でした?」
「…いや…たいした事じゃないから」
「…そ、そうですか?」
「うん」
「……」坂崎に"うん"と言われても何故だか納得できない。それだけ坂崎の呟きがとても大切な言葉ではないかと思ったのだ。そのくらい、坂崎の声はいつもとは違うもの…のような気がする。

そんな棚瀬の心を読み取ったのか、坂崎がぷっと吹き出した。
「たーなせ、何心配してんだよ〜。本当にたいしたことじゃないから。ちょっと昔を思い出しただけ」
「…昔、ですか?」不安げに尋ねる棚瀬に対して坂崎は微笑んで小さく頷き、自分を照らす夕陽にもう一度視線を戻した。
「…若い頃、ここで…同じように夕陽を見たことを思い出してさ」
「ここで、ですか。まぁ、確かに昔からここへはよく来てますしね」
レコーディングスタジオまでの道のり。この道路の上を渡した歩道橋はいつも利用していた。スタジオの前まで車で行けばわざわざ歩道橋なんて渡る必要はないのだが、この渡りなれた歩道橋は坂崎にとって来る度に渡らなければならない、そんな存在なのだ。

マネージャーの棚瀬はそんな坂崎の気持ちを承知している。だからいつもここへ来る時はスタジオの手前で車を降りて歩くのだ。
もしかしたらそれは他の二人にとっても、同じかもしれない。デビューする前から、そして売れなかった頃歌っていたライブハウスに行く時、いつも渡ったこの歩道橋。酔っ払って転げ落ちそうになったこともある。その頃から変わらないこの場所に、何か特別なものを感じるのだろう。
周りの建物や見える風景もずいぶん変わってしまったのだが、ここから見える夕陽だけはあの頃と同じだ。

おかしい、坂崎は思う。ここから夕陽を見たのは今日だけじゃない。レコーディングする日はだいたい通っているから何度となく見ているはずなのだ。だが今日はいつもとは違う夕陽に見えた。
何故だろう…。
心の中で心の奥に居るあの頃の自分に尋ねた。

青い空が徐々に紅くなり、夕陽が辺り一面を赤く染めて棚瀬も坂崎の顔をも朱色に変えていく。
坂崎は細く長く伸びた自分の影にあの頃の自分を重ねてみた。ずいぶん年を重ねてきたけれど、自分の影は変わらないな、と思う。たとえ変わっていたとしても、自分では気づかないのかもしれない。こうして立ち止まらなければ見えないものもある。もちろん立ち止まっても見えないものだってある。

一段と夕陽に染まった坂崎の心の奥から、先ほど問いかけた答えが返ってきた。
"あの日もこんな秋の日だった"
ああ、だからか…。
蘇る記憶。
あの日の涙。

―あの時もこの歩道橋の上だったんだ―

ずっと思い出すことさえなかったあの出来事。
そんな過去を思い出した自分に驚いた。30年も前のことなのだ。今更思い出してどうこうするようなものでもないのだけれど…坂崎は不思議に思う。
あの出来事は坂崎にとってとても辛いものだった。辛いからこそ、心の奥にひっそりと沈めていたのかもしれないのに、何故今頃思い出すのだろう。思い出すことに、何か意味があるというのだろうか。
坂崎の心にあの時の自分の想いが蘇ってくる。

でもとても辛い出来事だったけれど、もう坂崎の胸はあの頃のように痛むことはなかった。
それは何故か。
遠い記憶…だからではなく、あの時の想いも消えてなくなってしまったから…でもない。
長い年月の中、アルフィーとして走り続けてきた坂崎。
辛い記憶はいつしか想い出へと変わるもの。
坂崎の中で、想い出になったということかもしれない。

「…今頃思い出すなんてな」坂崎は小さく笑った。
「え?」聞き返す棚瀬。見るとやっぱり不安そうな顔で坂崎を見ていた。
―もうあの頃の弱い俺じゃないよ―
「だから、何心配してるんだよ。昔のこと思い出しちゃ悪い?」
「えっ…いや、そんなっ悪いとは思ってませんよっ?ただ…その…何か…坂さんが…あまりに感慨深げだから……」
「なに、感慨深げに過去を思い出すのは俺らしくないってか?」
「いやいやっそんなっ誰もそんなことは…っっ」ブルブルと大きくかぶりを振って棚瀬が慌てる。
確かに坂崎が感慨深げに考え込むことはあまりない。長年一緒に居る棚瀬が不安になるのも分からないでもない。そのことは坂崎自身も分かっていた。
坂崎の心に眠る、破れた恋の想い出。いつもの坂崎ならそんな話はマネージャーやメンバーにもしない。自分の中で始まり、そして自分の中で終わらせる。
けれどこの想い出は、何故か話した方がいいような、そんな気がした。それは棚瀬にするべきなのか、メンバーにするべきなのか、それは分からないけれど。
そして坂崎の心が何かを伝えたがっている。

―思い出したつもりだけど、まだ思い出していないことでもあるのか?―

心に問いかけても、返ってくるのは一言だけ。
"自分で思い出せよ"
自分の性格もそうだが、心も相当意地が悪いらしい。
坂崎は一人苦笑いをした。
怪訝な顔の棚瀬をチラリと見てから腕時計を見やった。レコーディングまでまだ十分余裕がある。
思い出したこの場所で棚瀬に語るのも悪くはない。
―だってもう想い出だから―
夕陽に背を向けて歩道橋の鉄柵にもたれかかった。
「しょうがないな。教えてやるよ」
「え?」きょとんとする棚瀬に坂崎は微笑んだ。
「今日だけだからな」
歩道橋の上を、また秋風が通り過ぎた。


あれはまだデビュー前のことだった。
相変わらずギターを弾く毎日。来る日も来る日も坂崎はギターを離さなかった。
大学に行っても講義には出ないでとにかくギターを弾く。一体何の為に大学に入ったのか、そう言われることもしばしば。けれど坂崎にとって大学とは、二人と歌う為。同じ場所で同じ空気の中、それぞれの想いを歌声で重ね合うことだった。
その歌声をもっとたくさんの人に聴いてもらいたい。そう願いながら。

そしてその頃坂崎には付き合っている女(ひと)が居た。
大学で知り合った可愛らしい人。友達の彼女の友達だった。
彼女から付き合ってほしいと言われて、軽くいいよとOKとして始まった付き合い。
けれど最終的には坂崎が彼女にどっぷりはまってしまっていた。
彼女の笑顔や声、くるくる変わる表情とか、存在すべてが愛しくて。
「坂崎くんのギター、私好きよ」その言葉だけで幸せな気持ちになれた。

−ギターと同じくらい傍においていたいと思ってたんだよ−
−相当、好きだったんですね−
−うん、相当ね。…好きだったな−

プロになることを目指していた坂崎。
「頑張って」そう言って微笑む彼女の優しい瞳。隣でギターの音色に聞き入る彼女の姿。いつまでもその姿が、自分の隣にあるものだと坂崎は信じて疑わなかった。
今思えば愛とは呼べない、そんな程度の恋愛。けれど、若かった坂崎にとって、この愛は永遠のもの。ずっとずっと続いていくものだと信じていた。

−…あの…本当にそんな話私にしていいんですか?−
−別に…する分には問題ないけど。あ、なに、聞きたくない?−
−えっいや、そんな…っ−
−それならやめとこっか?別に話さなきゃいけないわけじゃないし−
−いやっそんなことないですっ!ものすごく聞きたいです…っ−
−…そ?しょうがないな、じゃあ話してやるかぁ−
−はいっお願いします!……って坂さん?本当は聞いてほしいだけじゃないんですか?−
−……−

彼女との付き合いが続くなか、坂崎は「ALFIE」としてデビューした。もちろんデビューしても売り込まなくては売れるわけがない。あれやこれやとキャンペーン、テレビ・ラジオへの出演などが続き、彼女とはなかなか逢えなくなった。時々電話のやりとりはあったけれど、なかなか時間がとれなくていつも短くて。彼女は電話の向こうでとても明るく振舞っていたけれど、本当は寂しかったはずだ。
坂崎自身も、今までは逢えるなら毎日というほど逢っていただけに相当辛くて、途中で何もかも投げ出して彼女の元へ行きたくなったこともあった。
でもそれじゃダメなのは分かっていた。何もかも投げ出してしまったら、今まで自分が頑張ってきたことは何だったのか。せっかく彼女が応援してくれているのに、それすら無駄にしてしまうのか。挫けそうな心に、彼女の"頑張って"という言葉を思い出させる。
彼女の存在は坂崎にとってなくてはならないものだった。夢に向かうためのパワーを与えてくれた大切な人なのだから。
だから坂崎は頑張ろうと決めた。彼女の為に。そしてこれからの自分の為に。

ところが坂崎たちのデビューは、自分たちが望んだ形のものではなかった。自分たちの想いとはうらはらなアイドル路線の道が準備されていて、かといって上の方針に背くわけにもいかない。方向性の違いへの戸惑い、その中でどうしても消すことができない自分たちの歌への想い。進むべき道に迷いつつも、日々用意された道を流されていく。止めることのできない流れ。坂崎たちは流れに身を任せるしかなかった。
けれど流されていくなかでどうしても譲れないものがあった。ギターと歌、だ。この二つだけはいつも変わらず傍にあるもの。そして何があっても捨てられないもの。
それに縋るように、坂崎たちは周りに流されながらも懸命だった。

デビューして2ヶ月、ようやくまともな休日をもらうことができた。坂崎は真っ先に彼女の元へと向かう。ここ1ヶ月は電話さえできない状態だった。季節もいつの間にか夏から秋へと変わっていた。
逢える日に逢わないと、次はいつ逢えるのか分からない。思い描いていた道を進んでいるわけではないけれど、そんな道でも挫けず歩いているのは、彼女が居るからこそなのだ。
今すぐにでも逢いたい。そして彼女の笑顔が見たい。

急いで彼女の家に行ったのだが、残念ながら彼女はアルバイトに出ていて家には居なかった。
今のように携帯電話やメールなんてものもないから、連絡の取りようがない。かといってバイト先に電話するのは彼女に迷惑だろう。けれど、今日を逃したらまたしばらく逢えないかもしれない。色々考えたあげく、思い切ってアルバイト先まで行くことにした。びっくりさせてやろう、なんて気持ちも少々あったのかもしれない。
彼女の笑顔を早く見たい、そう想いを募らせ店の近くでバイトが終わるのを待った。

30分ほど経った頃、彼女が店から出てきた。彼女は坂崎に気づかず駅の方へと歩いて行く。慌てて追いかけ、彼女の名前を呼んだ。彼女がゆっくりと振り向く。
坂崎が何より見たかったのは彼女の笑顔…だった。けれど…
「………坂崎くん」
彼女の瞳にはあの頃の優しさはなかった。
むしろ坂崎と目を合わせたくないように顔を背ける。
"逢いたかった"という言葉も返してはくれない。
むしろ逢いたくなかったというようなため息。
「もう、私違う人と付き合ってるから。坂崎くんなんかよりずっと私を想ってくれる優しい人」
彼女が坂崎に微笑むことはなかった。
彼女の笑顔は、もう別の男のもの。
「1ヶ月も何も連絡しないような人、私いやなの。いつまでも自分のこと想ってるなんて思わないで。有名人なんだから、有名人と仲良くしたら」
坂崎は走っていく彼女を追いかけることができなかった。
彼女の中に坂崎を想う気持ちはない、それが分かっているから。
どうして?という問いかけすら坂崎にはできなかった。
これ以上彼女からの冷たい言葉を聞きたくなかったから。
坂崎の心に悲しみの涙とともに、孤独という闇が広がっていった。

−この愛は永遠に続くものじゃなかったの?−
−あの時くれた言葉は嘘だったの?−
−僕にくれた微笑みは偽りだったの?−
−君にとって僕は何だったの?−
−僕が君のことをどれだけ想っているのか本当に知ってるの?−
−君は僕のこと、どれだけ知ってるの?−

−君は僕のこと、知らない−
−知らないよ−
−知らないんだ−
−誰も…−

「何ですかっその人はっ!」棚瀬が大声で坂崎に言う。
「うるさいよ、棚瀬。何興奮してんの」
「だってその人ひどいじゃないですか!そんな1ヶ月逢えなかったからって次の人に乗り換えるなんてっ」
「うん、まぁね、でも若い頃ってそんなもんじゃない?想いの深さとか、そんなことじゃなくて、うわべの優しさ=本当の優しさだと思うんだろうね。ま、俺も若かったってことだ。まだ二十歳そこらの若造なんだから、"坂崎くんのギター好きよ"な〜んて言われたらメロメロになるさ」
「だからって!」
「まぁまぁ。昔の話なんだってば。これも一つの経験ってことでね」坂崎はそう言って微笑んだ。
「…そうですけど…っでも腹立ちますよ、そんな人っ」
「…確かその子、俺の次に付き合ったその人に二股かけられてたらしいよ。人生うまくいかないもんなんだよね」
「当然ですよ。そんな人が幸せになれるわけがありませんよ」まだ棚瀬はご立腹らしい。
「その後も何度か見かけたけど、ばっちり化粧していつも違う男と歩いてたなぁ。純粋な子も変わっちゃうんだなぁって何か悲しかったっけ」
「いいんですよっそんな人のこと坂さんが気にしなくても!そういう人だったってことですよっ!」
「あはは、そうだったのかもね。でも若い頃なんてのは誰でもそんなもんだって。おまえにも一つや二つあるんじゃないのぉ?」
「…えっ私ですかっ?ありませんよっそんなのっ坂さんじゃあるまいし!」
「どういう意味だよ、それ」
「そのままの意味ですっ」
「…ちぇ、みんな俺を何だと思ってるんだよ。まったくさ〜…」そう言いながらも坂崎は笑顔だった。
そして先ほどに増して空一面を夕焼けに変えている夕陽にまた視線を送る。
「…それで、坂さん?」
「ん?」
「この夕陽とはどんな関係があるんですか?」
「…ああ、その後の話だよ。振られてさ、とぼとぼ歩いてたら自然にここに来ちゃって。ここでメソメソしてたら夕陽が俺を照らしてくれたってわけ。だからこの夕陽を見て、その話を思い出したんだよ」
「そうだったんですか。それで感慨深げになってたわけですね。でもここはよく通ってますよね。夕陽も何度か見た気がするんですけど、どうして今日思い出したんでしょうね」
「ああ、それはこんな季節だったからじゃないかな。振られたの秋だったから」
"それだけじゃないよ"
坂崎の心がぽつりと呟いた。
−…え?それだけじゃない…って……?それ、どういうこと?−
心は答えない。
−意地悪せずに教えろよ−
"…答えはここにあるだろ"
「…ここ?」
「…坂さん?どうかしました?」棚瀬がそう尋ねた時、聞きなれた声が坂崎の名を呼んだ。
「あれ、坂崎ここで何やってんの?」
「珍しいなぁ、二人で道草?」
「あ、高見沢さん、桜井さん」
−ドクン−
坂崎の心が大きく反応する。
−あ…そうか。…あの時…−
二人は坂崎の傍まで来ると、懐かしそうに夕陽に目を細めた。
「ここからの夕陽はあの頃と変わらないなぁ」
「そうだな。景色は変わったけど、三人で見てたこの夕陽は相変わらずキレイだよな。この夕陽を見てる時はタバコは吸えないね」
「あ、じゃあ坂崎にこの夕陽をキレイに撮ってもらっていっつも桜井の前にぶらさげとくか!」
「やめてくれよ、それじゃ一生吸えないよ!俺の楽しみを奪うなよなっ」
「あはは、冗談だよ。でも吸いすぎはよくないんだぜ?」
「……そっか、そうだったな」坂崎が突然呟いた。
「…え?」全員が坂崎を見る。

−そうだ。あの時、ここで夕陽を見ていたら二人が…桜井と高見沢が今みたいに来たんだ。−
"やっと思い出したか"
心が温かく囁いた。


−本当の僕を誰も知らない−
あの時、孤独感に苛まれた坂崎はこの歩道橋で泣いた。
誰も自分のことを知ろうとしない。
分かってくれない。
本当は弱いのに。
上から与えられた道を歩くことがどれほど辛いのかなんて、誰も分かってはくれないんだ。
誰も信じたくない。
信じられない。
僕は独りだ。

「ALFIE」としてこれからもやっていく自信が坂崎にはなかった。
自分を見失い、自分らしさすら周りから認めてもらえなくなりそうで。
そうなることが怖かった。
自分て何?
自分らしさって何?
僕の進むべき道はどこにあるの?
坂崎は一歩先の未来さえ闇に閉ざされ、動けなくなっていた。

暗い闇の中、自分を失くしかけた坂崎。
その闇に光なんて届かないと思っていた。
光を届けてくれる人なんて誰もいないと…。
でもそれは間違っていた。
そんな坂崎に手を差し伸べてくれた人がいた。
坂崎の心の問いに答えてくれた人がいた。

「坂崎が頑張ってること、俺たち知ってるから」高見沢の声。
「坂崎は今のままでいいんだよ」桜井の声。
まるで一筋の光のように坂崎の凍った心を溶かす言葉だった。

こんな近くに坂崎のことを一番に分かってくれる人たちがいることを忘れていた。
誰よりも近くで、誰よりも今の辛さを分かってくれる二人。
坂崎の弱さも、坂崎の何もかもを受け止めてくれる二人。
一緒に同じ道を歩いている二人。

誰が独りだって?
同じ辛さを感じて同じ舞台で闘っている仲間がいるじゃないか。
僕は何の為に歌手になった?

−二人と歌いたいからじゃないか−

「坂崎?おーい、坂崎?」
「坂さん、しっかりして下さいよ〜っ」
「……あれ、何、みんなどうかした?」我に返ると心配そうに三人が坂崎を見つめていた。
「どうかした、はこっちのセリフだろ!突然何か呟いたかと思ったらぼーっと考え込んじゃって、いくら呼びかけても反応ないし!」高見沢がぎゃあぎゃあ言いながら怒っているので、
「ああ、ごめんごめん。考え事しちゃって」と、とりあえず謝っておくことにした。
「あの〜〜すみませぇんっ!」歩道橋の下から川原が手を振っている。
「あれ、川原、どうかした?」
「どうかした、じゃないですよぉ〜!もう時間ですよ!早くして下さいよぉ〜!」
「…あ、本当だ!何だよ今日は遅れずに済みそうだと思ってたのにっ!坂崎のせいだからな!」
「だからごめんってば」坂崎は謝るしかない。
「はい、じゃあ急ぎましょう!」棚瀬が運動不足の身体に鞭打って走り出した。そんな棚瀬に負けるかと高見沢が追い抜いていく。棚瀬も負けじと追いかける。
「…かぁ、元気なやつらだなぁ。階段で転ぶなよぉ!」桜井がやや呆れ顔で二人に声をかけつつ、坂崎を振り返った。
「振られた時のことでも思い出してたのか?」ちょっと意地悪な笑顔を坂崎に向ける。
「……覚えてたの?」驚きつつ尋ねる坂崎は桜井と並んで歩道橋の階段を降りていく。
「覚えてるさ。確か、あの時も秋だったろ?さっき歩道橋に来た時に夕陽に照らされてた坂崎の顔見たら、あの時と重なったよ。30年経ったけど、変わってないよな、俺たち」
「うん。だからこそ、同じ場所で思い出せたのかもしれないな」
「そうかもしれないな」
「桜井」
「ん?」
「ありがとな」
「…何だよ突然」
「へへ、何かね、言いたくなったの。高見沢にも言わなくちゃな」
「変なやつだなぁ…」
坂崎はあの頃と変わらない微笑みを桜井に向けた。
30年分の"ありがとう"を込めて。


本当の僕を誰も知らない。
ううん。
本当の僕を二人は知ってる。
僕も本当の高見沢と桜井を知ってるよ。

誰よりも。

そう、誰よりも。

−Fin−



−−−−−−あとがき−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

はい、「Nobody Knows Me」でございました。
とっても大好きな曲なので、かなり時間をかけて書いたのですが、うまく表現できなかったところも多々あって、自分としては悔しい気持ちがあります。まだまだ勉強不足でございます(TmT)

登場する若かりし頃の幸ちゃんの彼女さんは、ものすっごく嫌な人にしたかったんですけど物足りないし…(^^;)読んでくださったみなさんが「なにこの女!」と思っていただけたなら良いんですけどね。

曲としては、「誰も知らない」のですが、そこはあえて「知っている」としてみました。曲の続き…のような、忘れていた記憶から「知っている」ということに気づく幸ちゃんを書きたいな、と思いまして。30年経ったからこそ気づく何かがあるのかもしれない、なんて思ったんですよ。この曲で小説を書くにあたって何度も何度も聴いた私自身の、今聴いて感じるこの曲の印象、といいますか。うーん、何だか上手く言えませんが…。
とにかく、歌詞の内容に現在(いま)をプラスしたいな、という気持ちが強かったので、こんなお話となりました。

この曲のみを聴き続けた日々が懐かしいです。たぶん1ヶ月はこの曲だけ聴いてたと思います(^^;)何はともあれ無事UPできてよかったです。

読んでいただきましてありがとうございました(*^^*)

2005.2.15


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