「風の詩」


風のうなり声に俺は振り返った。
見えない敵が、すぐ近くまで迫っている。
そんな不安にとらわれ、肩を震わせた。

ああ。
さっきから何度同じような感覚に陥っているのだろう。
何度振り返っても、そこにあるのはいつもと何ら変わらない風景だというのに。
見えない敵?そんなもの居やしない。
今の俺たちに敵という大層な存在など、いるはずがない。
そもそも味方だっていないのだ。
敵の出現を心配する前に、自分の身を心配すべきだ。

風が足元の砂を巻き上げて、空高く昇っていく。
その声は荒々しく、時に悲しげだ。
まるで泣いているように聴こえる。
俺の心と同じだ。

「どうした?」
不安げに友が俺を見上げた。
憤り、悲しみ、喪失感、そして明日への不安…友の顔にも疲れが見え始めていた。
「…いや、何でもない」
これ以上、不安にさせる必要はない。
すでに俺たちは、いくつもの重い荷物を背負っている。
彼にまた重い荷物を背負わせたところで、誰も得などしない。
さらに自分たちを苦しめるだけだ。

俺を見上げた友の目は、何か言いたげだった。
眼鏡の奥の彼の瞳が、無言で俺に訴えかける。
何が言いたいのか十分解かっている。
それは俺が言いたいことでもあるのだから。

これからどうすればいいのか。
何をすればいいのか。

途方もないその問いかけは、すでに何度となく自分の心に繰り返している。
もちろん返答があるはずもなく、俺たちにその答えをくれる者もいない。
昨日までなら、一人くらい力を貸してくれる者がいたかもしれないが、”仲間”だった者たちとの関係は、今やすべて壊れてしまった。
今の俺たちに行くべき道を示す者も、手を差し伸べてくれる者も誰一人いないのだ。

けれど、壊したのは俺たちではない。
俺たちの意思と関係なく、俺たちを操り人形のように操っていたあいつらが壊したのだ。

そうだ。
俺たちは人形じゃない。
生きている人間だ。
俺たちには俺たちの想いがある。

仲間?あいつらはそんなものじゃなかった。
俺たちに仲間なんていない。
信じられるのは自分だけだ。


押さえ込まれていた感情が一気に爆発した昨日、俺たちはあいつらの元から飛び出した。
行き先にあてがあるわけでもなかったが、カゴから外の世界へと解放されたことで喜びと安堵感でいっぱいになった。
俺たちは人間に戻ることができたのだ。
自分の想いのまま生きて行ける。
もう誰にも縛られない!

そう、俺たちは自由だ!
自由なんだ!


けれど、そんな気持ちは一瞬にして消えた。

自由と引き換えに、何もかも失ったのだ。
手に入れた一欠けらの地位も名声も。
そして居場所も。
これまで積み上げてきたものは、一つも残っていない。
カゴの中で得た蓄えは一握り。
すぐに尽きるだろう。
残るのは、身体一つと使う場所を失った仕事道具だけだ。

もう一度心に問いかける。

今の俺に何ができるのだろう。
居場所さえなくした俺たちを受け入れてくれる場所があるのだろうか。
この世界のどこに、俺たちの居場所があるのだろうか。


やはり答えは返ってこない。
当然だ。
先を見失った俺が、答えなど返せるはずもない。
それは隣を歩く友も同じだ。
彼も答えを見失っている。


選んだ道は、俺たちの想いと同じはずだった。
だからその道を選んだのだ。
それなのに、その道から俺たちは逃げてきた。

いつ?
いつ道を間違えたのだろう。
道の途中に、他の選択肢などあっただろうか。
他の道を見落としたのか。
いや、他の道などなかった。
俺たちが歩いていたのは、夢へと続く一本の道だったはずだ。

それならば、いつ間違えたのか。
間違えようがないのに。

まさか−

全身の血が、ドクドクと高鳴る。

俺たちは最初から間違っていたのか−


「二人とも、顔色が悪いぞ」
俺たちより先を歩いていたもう一人の友が、立ち止まって俺たちを振り返っていた。
彼の顔は、俺たちとは違ってずいぶん晴れやかだ。
なまじ顔も整っているから余計爽やかに見える。
「なぁ、腹減らないか?何か食べようぜ」
小柄な友と顔を見合わせてため息をついた。

「おまえは能天気すぎだ」
彼の元へと歩み寄る。
「そうか?」
「今の状況を分かってるのか?」
俺の問いに彼は笑った。
「分かってるさ。仕事がなくなり、あてもない…と」
「分かってるなら何か考えろよ」
「そうだよ、これからどうするんだよ?」
小柄な友は、抱えていた仕事道具を下ろして問いかけた。
「どうするって…だからまずは食欲を充たして、考えるのはそれからだろ」
「腹がいっぱいになれば、いい考えが浮かぶってか?」
「浮かぶかもしれないじゃないか」
「浮かばないかもしれないじゃん」

俺たちの冷たい言葉にムッとする。
「おまえらさ、何でそうマイナス思考になってんだよ?」
「ならない方がおかしいよ」
小柄な友のその言葉に俺は大きく頷いたが、彼には通用しなかった。
「何でだよ?」
小さな目を見開いて友が彼を見上げる。
「何でって…何にもかもなくなったんだよ?」
「その分、自由になっただろ」
ため息が出る。
「あのなぁ、いくら自由でも−」
「俺は、俺たちの夢を阻む存在がなくなったことの方がうれしいんだよ。今のところあてがないっていう現実よりも、仕事がなくなったっていう不安よりも」

友と二人、彼の言葉に驚いた。
不安より自由になったことがうれしいだって?
この状況で、何故そんな風に思えるのか。
「…何でそんな風に思えるんだよ?この先どうなるのか、どうしたらいいのか、自分の未来が不安じゃないのか?」
「不安に決まってるだろ」
「じゃあ−」
「明日やその先の未来が不安なのは当たり前だろ。未来を約束されたやつなんていないんだ。どんなやつだって一分、一秒先が幸せとは限らない。違うか?」
「そ、そりゃあそうだけど…」
「おまえらはそんな果てしない不安に怯えて生きていくのか?そんな生き方で自分のたった一度の人生を終わらせるのか?そんなつまらない人生なんて、俺はいやだ。俺は目の前にある自分の夢を追いかける。果てしない未来なんて関係ない。今、ここにいる自分のために生きたいんだよ」
「おまえ…」
「もちろん、簡単に叶えられる夢だなんて思ってないさ。障害だってきっとある。でも、諦めたらそこで終わりだ。先なんてない。だからこそ諦めたくないんだよ」

友と二人、ハッとして顔を見合わせた。

そうだ。
諦めたら、それこそ何もかも終わってしまう。
なくなってしまう。
俺たちの夢も、俺たちの想いも。

「これからは自分たちのやりたいことができるんだ。あいつらが作ったレールの上じゃなくて、俺たちが作り出すレールの上を、俺たちの意思で進めるんだよ。俺たちが俺たちでいられるんだ」
彼の大きな瞳はキラキラと輝いている。
希望に満ちた、いい目だ。

道が閉ざされたのは紛れもない事実だ。
けれど、夢へと続く道が一つだと誰が決めた?
そこにある作られた道だけが手段じゃないんだ。
道の先が途切れていたとしても、その先は俺たちが作り出せばいい。
獣道なら切り開けばいい。
崖なら橋を架ければいい。

道は俺たちの想いで作られていくものなんだ。


どうやら俺は大事なことまで見失っていたようだ。
それをこいつに気づかされるとはな。


「…そうだな。もうあいつらはいないんだ。俺たちを縛る存在はなくなった。好きなように進めるってわけだ」
「…つまり野良になったわけだね。首輪がなくなった分、身は軽いし気は楽になったね」
そう言って小柄な友が笑う。
「そうさ、一番重かった荷物はなくなったんだ。こんなうれしいことはないだろ?」
「でも野良になった分、敵は多くなるかもね」
「敵?そんなのかかってこい!だ。全力で戦ってやる!」
「おいおい、流血沙汰はやめてくれよな」
「そうそう、暴力なしでね」
「分かってるさ。実力で勝負だ」
「実力…ねぇ…」
足元の仕事道具に視線を落とした。
俺に実力がないのは自分でもよく分かっている。
二人の友とは違い、必要に迫られて手にした仕事道具だ。
そう簡単に技術が身につくわけがない。
だが、二人は幼少の頃から手にし、玄人並みの技術を持っている。
実力は十分ある。

「おまえらは大丈夫だよ。その腕があれば、いつかはこの仕事で食っていけるようになるさ」
「まるで自分はダメみたいな言い方だな」
「おまえらみたいに腕がないんだ、当たり前だろ」
「それはこれから頑張ればいいだろ。腕のいい先生が隣にいるんだ、厳しく教えてもらえよ」
「そうそう」
師匠でもある小柄な友は、俺の肩を叩いて歯を見せた。
「お手柔らかに頼むよ」
「それは生徒次第だね。頑張らない生徒には厳しいよ」
小柄な友の眼鏡がキラリと光り、俺は条件反射のようにビクリとした。
「頑張るから睨むなよっ」
「睨んでないよ、失礼だなぁ」
いや、確実に睨んでいた。
彼の小さな目を侮ってはいけない。
今も笑顔ではあるが、目はちっとも笑っていない。

「でも、忘れるなよ?」
長身の友が急に神妙な顔で俺に言った。
「何を?」
「おまえがここにいる意味だよ」
「…え?」
真剣な眼差しの友をじっと見つめた。
「おまえが持つ道具も俺たちが持つ道具も、おまえがいなきゃ持ってる意味がないんだからな」
「…?それはどういう−」
「俺たちはおまえがいるから、ここにいるってことだよ」
「…な、何言って−」
「そうだね。そうじゃなきゃ、こんなになってまでこの仕事にしがみついたりしないよね。とっくの昔に全部捨てて逃げてるよ」
と小柄な友まで頷いた。
予想外の二人の言葉に心底慌てた。
いつも二人からこき使われ、散々からかわれているのだ。
そんな言葉が二人の口から出てくるとは、夢にも思っていなかった。
今度はゴマまでするようになったか。
「…な、何だよっ…そ…そんな思ってもないこと言うなよっ き、気持ち悪いっ!」
「気持ち悪いって失礼だなぁ。ねぇ?」
「そうだよ!いいか!よく聞け!?」
俺を指差し、端整な顔立ちの友は睨むように俺を見た。
「…な、なんだよ?」
「俺たちはおまえがいなきゃ、ダメなんだからな!」
「は!?」
「そこんとこ、ちゃんと分かっとけ!」

まるで愛の告白ともとれる彼の台詞に顔が火照る。
「な…何を恥ずかしいこと言ってんだよ!やめてくれよっ」
「何だとっ!?こっちは真剣に−」
「あ、それ、一部訂正して」
小柄な友が手を上げる。
「は?何だよ、訂正って?」
「”俺たちは”じゃなくて、”俺は”にしてよね。まるで僕も入ってるみたいで、何かやだ」
「何だよ、それ!」
俺を押しのけ、小柄な友に詰め寄った。
「だっていなきゃダメってことはないもん」

…それはそれで何だか悲しい。

「何言ってんだよ。いないと”何でいないんだよ”って言ってるじゃないか!」
「いないから”何でいないのか”って言っただけじゃん」
「そんな言い方じゃなかったぞ!寂しそうに言ってたぞ!」
「寂しそう?そりゃあ、からかう相手がいないんだもん、寂しいは寂しいよね」
「かわいくないな!」
「かわいくなくて結構」
「何をっ!?」
「何だよ?」
言い合いの喧嘩に発展してしまった。
これは俺のせいなのか。

「お…おいおい。何も喧嘩することはないだろ」
「だって!」
端整な顔は今や園児のようなふくれっ面になっていた。
彼は俺より先に生まれたはずなのだが、それは記憶違いか。
「まぁまぁ、いいじゃないか。人それぞれなんだから」
「そうだそうだ」
俺の背後に回り、小柄な友は言う。
「何だよ、意地張っちゃってさ!本当はいなきゃダメって思ってるくせに!」
「だから僕は−」
「ああ、もういいよ。そんなことで喧嘩しないでくれよ。とりあえず…その…おまえは俺がいなきゃダメって思ってくれてるってことだろ?」
「そう!」
ためらうことなく彼は大きく頷いた。
あまりにはっきりと答えるので、照れくささなど消えてしまった。
「はは、ありがとよ。そんな風に言ってくれてうれしいよ」
若干鳥肌が立ったけど、という言葉は何とか飲み込んだ。
すると、彼のふくれっ面がパァッと笑顔に変わった。
「…単純なやつ」
小柄な友の呟きに思わず吹き出す。
その言葉は喉元まで出掛かっていた俺の台詞と同じだ。

「単純な方が素直でかわいいだろ。意地っ張りよりマシだよ」
「…誰が意地っ張りだって?」
眼鏡の奥の小さな目がキラリと光る。
「あーはいはい。もうやめやめ!ほら、飯食いに行くんだろ?店探そうぜ」
「そうだな。もう腹ペコだよ。確かこの辺に安くて美味い店があったよな」
「…ああ、何か有名な店があるって聞いたことがあるな」
「どの辺だっけな。こっちだった気がするんだけど。ほら、行こうぜ」
単純で切り替えの早い素直な友は、また元気に歩き始めた。
あのパワーはどこからやってくるのか。
いつもは呆れていたが、今日ばかりは尊敬してしまう。

「俺たちも行こう」
彼曰く意地っ張りなもう一人の友は、不機嫌そうな顔をして先へ進む彼の背中をじっと睨んでいたが、呆れたようなため息を一つ落とすと、ようやく歩き始めた。
「本当、単純なやつ」
「まぁまぁ。…でも、そんな単純なやつのおかげで色々気づかされたし、今日はあいつに感謝しなきゃな」
「…まぁ…それはね。僕も昨日のことで頭が真っ白になってたからね」
「本当、あいつは色んな意味ですごいやつだな」
「そうだね。どんな構造になってるのか気になるよね」
「はは、確かに。…でも…」
「ん?」
「何かうれしかったな」
「何が?」
「さっきのあいつの台詞」
「“いなきゃダメ”ってやつ?」
「そう、それ。すっげぇ恥ずかしかったけど、あいつにあんな風に言われて、俺はここにいていいんだって思えたよ」
「……」
「少しは必要とされてるんだなぁってさ」
「…少しってことはないでしょ」
「え?」
「あいつにとって、絶対いなきゃいけない存在ってこと」
「…そ、そうかな…」
「そうだよ。…もちろん、僕にとってもね」
俺の呆けた顔を見て、小柄な友はクスリと笑った。
「何だよ、その顔」
「…だってさっき“いなきゃダメってことはない”って…」
「あ、あれは…あいつが女みたいな言い方するから…あれじゃまるで告白じゃん」
友は照れくさそうに俯いた。
「確かにそうだけど…」
「…僕だって、いなきゃ困るって思ってるよ。もちろんあいつも。僕がこの仕事をしたいって思ったのは、二人がいたからなんだから」
「……」
「何だよ、その目。疑ってんの?」
「え、いや、珍しいこと言うなぁと思って…」
珍しすぎて、友をまじまじと見てしまう。
俺があまりに見るので、友は照れくさくなったのか、
「…今日は特別」
と言うとそっぽを向いた。
普段からあまり本音を語らない彼の口からそんな言葉を聞いて、思わず口元が緩む。

「おーい!店あったぞぉ!」
前方から高い声が聞こえてきた。
友が一所懸命にこちらに手を振っている。
「おお!今行く!」
手を振り返してその声に応える。
「店、あったみたいだね」
「そうらしいな」
友と二人、彼の元へと歩みを進めた。
「美味いといいな」
「……」
が、何故か友の返事はない。
不思議に思って見下ろすと、友はじっと俺を見上げていた。
「…な、何だよ?」
「この際だから言っとくけど」
「は?」
「僕とあいつがここにいる理由」
「…うん?」
「それは昔も今も同じだから」
「?」
「おまえと歌いたい、それだけ」
「…え?」
呆ける俺を尻目に、友は続ける。
「だから“いなきゃダメ”なんだよ。おまえがいなきゃ、僕たちは成立しない」


この世界に飛び込み、夢を追ってここまで来たが、正直、自分の居場所がどこか定まらなかった。
俺の存在価値は?
俺がここにいる意味は?
二人にとって俺は何なんだ?
聞きたいことは山ほどあった。
けれど否定されることが怖くて、ずっと聞けないでいた。

出会った頃のようにただ「歌いたい」という想いなど、この数年で薄れてしまったのではないか。
“道具さえ扱えれば、誰でもいい“そんな言葉が二人の心にはあるのではないか。
歌うことしかできない俺は、そんな不安でいっぱいだった。

けれど…

―おまえがいなきゃ、僕たちは成立しない―

その言葉は、俺が一番欲しかった言葉だった。
口先だけかもしれない。
今だけかもしれない。
それでも、俺の不安を、俺の迷いを、あっという間に消し去るほどの力を持っている。

俺はここにいていいんだ。
俺はここにいなきゃいけないんだ。

俺の居場所は“ここ”なんだ。


「…あれ?泣いてんの?」
友の小バカにしたような声に、ハッとして顔を上げた。
「ば、ばか言え!泣くわけないだろ!」
「…目が潤んでる気がするけど?」
「…ゴ、ゴミが入ったんだよ!」
「ふーん、ゴミねぇ…」
全然信じていない。
本当に、こいつには嘘が通じなくて困る。

「おーい!何やってんだよ!早く来いよ!」
店の前で待つ友の声がさらに大きくなる。
「分かってる!今行く!ほ、ほら、行くぞ!」
俺の後ろをついてくる友は、クスクスと笑っている。
「笑うなよ!」
「笑ってないよ」
「笑ってる!」
「笑ってないってば。あはは」
「笑ってるだろうが!!」
「あははっ」
「だから笑うなってーのっ!」

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

「よし、OK!」
満面の笑みで友が大きくOKサインを出した。
やっと出たOKにホッとして胸を撫で下ろす。
ヘッドフォンを外してスタジオの扉を開けた。
「いい声出てたじゃん」
「気持ち入ってたし、力強さも出ててよかったよ」
満足そうに頷く二人に笑みを返し、椅子に腰掛けタバコを取り出した。
仕事のあとのこの一服がたまらなく美味い。
ここに酒があればもっと美味いのだが、そんなことをしようものなら“禁酒禁煙”にされてしまう。
それは困る。
今はタバコだけ、酒は家に帰ってからの楽しみだ。

「…でもさ」
小柄な友が呟く。
「ん?」
「歌ってる時、こっち見たよね?」
「……」
相変わらずよく気づくやつだ。
一回しか見ていないのに。
「…え、そうだった?」
キューティクルな長髪を束ねた友はきょとんとして首を傾げた。
…そうだろうと思った。
「何か気になるところでもあるのかと思ったんだけど?」
「何だよ、何か気に入らないのか?」
「ち、違うよ」
「じゃあ何だよ?」
「歌とか歌詞とかがどうこうじゃなくて…」
「じゃなくて?」
「レコード会社を辞めた日のことを思い出してさ」
「…辞めた日?ああ、二人がどんよりしてて−」
「おまえが能天気だった日な」
「そうそう」
「能天気とは何だ!失礼だな!」
「だって本当のことじゃん」
「うるさいな!で!何でまたそんな昔を思い出すんだよっ?」
「この曲歌ってるとあの日に繋がるんだよ。あの日の気持ちとか、俺たちのおかれた状況とか」
すると、小柄な友が小さな目を見開いた。
何かを思い出したのかもしれない。
「ふ〜ん?」
能天気だった友は反応が悪い。
それはそうだろう、何せ能天気だったのだから。
「ま、能天気だったおまえには分からないだろうけどな」
「なんだとっ?俺だって−」
「あの〜…」
スタッフの一人が恐る恐る顔を出した。
「何っ?」
「お話し中にすみません…っ そろそろ時間が…」
「…あ、そっか、俺行かなきゃ」
「何、この後仕事?」
「そう」
「大変だなぁ」
「そうでもないよ」
「元気だな、おまえ」
「まぁね。じゃ、あとよろしくな」
「おお。お疲れ」
「お疲れさーん」

友の背中を見送って、タバコを灰皿に押し付けた。
もう1本吸おうかと思った時、友が楽譜を見ながらギター片手に曲を口ずさみ始めた。
相変わらずさらりと弾いてのける彼に感心する。
タバコに伸びた手を引っ込め、目を閉じてその音色と歌声に耳を傾けた。

アコギの音色があの日の風と俺たちを連れて来る。
途方に暮れた自分、疲れきった友の顔、晴れやかなもう一人の友の顔。
あの時はこの先どうなることかと思ったが、食事を終えた頃には、三人ともすっかり笑顔になり、ああでもない、こうでもないとこれからのことを話し合っていた。
能天気な彼の言葉はあながち嘘ではなかったというわけだ。
なかなか侮れない男であることは十分承知しているが、彼の行動や考えにはいつも驚かされる。
きっとこの先も彼には驚かされっぱなしだろう。
本当にあいつは面白い男だ。

歌の途中で友の歌声とギターの音色が止まった。
目を開けると、友は何かに笑っていた。
「何か可笑しいか?」
「…いや、思い出し笑い。本当、あん時あいつは能天気だったよなぁと思ってさ」
「だよな」
「あと、あいつが女みたく告白したこととか」
「はは、そうそう。で、二人が言い合いの喧嘩になって」
「僕は喧嘩したつもりはないけどね」
「俺から見たらあれは喧嘩だったぞ」
「仕方ないでしょ。あいつが食いついてくるんだから」
「…うん、まぁ…そうだなぁ…」
どっちもどっちだったと思うのは俺だけか。

「変わらないよね、僕たちは」
「ああ。でも、変わらないからこそ、今もこうして活動していられるんじゃないか?」
「そうだろうね。ま、悪く言えば成長してないってことだろうけどさ」
「はは、そうかもしれないな」
「あ、でも休肝日を作ったのは成長したよね」
「まぁね。まだまだ俺の肝臓には頑張ってもらわないといけないからな」
「そうだよ。まだまだ元気で頑張ってよ。あいつ曰く、あと35年やんなきゃいけないんだから」
あと35年…気が遠くなる。
「35年っていうと…90歳だろ?想像できないな」
「案外元気に三人で杖ついて歌ってるかもね」
友がそう言ってクスクス笑う。
「さすがに誰かいないだろ」
「まぁ…90歳だしね。じゃあ全員引退して隠居生活だな」
「全員?一人ぐらいは現役でいるかもしれないぞ」
「長生きしてたとしても、現役はないよ」
「何でだよ?……あ−」
友に聞き返してから彼の言いたいことが分かった。
友がニヤリと笑う。
「理由は一つしかないでしょ?」
彼の意地悪そうな笑みの理由も一つしかない。
あれから30年以上経っている。
俺だって少しは成長したんだ。
友に負けじとニヤリと笑い返す。
「そうだな。俺たちは−」

『三人じゃなきゃ』


もう泣かねぇぞ。


―おわり―

************あとがき******************
読んでくださってありがとうございます。
35周年のお祝いとして「風の詩」を書き上げてみました。
25日には間に合いませんでしたけどね(^^;)
「風の詩」をライブで初めて聴いた時から、小説にしてみたいと思っていました。
何の話だ?という感じで始まりますし、それぞれ名前を言わないので、設定の前置きをしようかとも思ったのですが、三人揃えば何とか分かっていただけるかなぁと思ったので、前置きはしませんでした。
一応、3枚目のシングル「府中捕物控」が発売中止になって、レコード会社を辞めた時の話です。
そんなことがあったからこそ、今の三人があるんじゃないのかなぁと思うので、”転機”のお話として書いてみました。
三人というより桜井さんメインになってますけどね(笑)

曲のイメージで全編重たい感じで書くつもりでしたが、三人揃ったらいつもの感じになってしまいました(^^;)
何か一つの話じゃないみたいですよね(笑)
それはそれで面白いかなと思ったので、そのままUP。
「風の詩」を聴きながら読んでいただけたら、とっても幸せです(*^^*)

35周年、本当におめでとうございます!
これからもついていきます(*^^*)

2009.8.29

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