「悲しき墓標」


また夏がやってきた。
毎年この時期になると、無性に18の頃を思い出す。
どんなに忙しくても、今という時間に漬かりきっていても、だ。
何故、だなんて問いかけは必要ない。
思い出す理由なんて、一つしかないんだから。

忘れてしまいたい過去は誰にでもあると思う。
今を生きることに必要のない過去は忘れたっていい。
忘れた方が幸せなことだってあるはずだ。
けど、忘れちゃいけない過去もある。
ずっと胸ん中に残しておかなきゃいけない、そんな過去が。
良い想い出ならいい。いつまでも胸ん中にあったって辛くはないから。
でも、悲しい出来事をいつまでも残しておかなきゃいけないのは何より辛い。
思い出すたびに、その頃の俺に戻ってしまうから。
何十年と経ってるのに。

あの頃の眩しい想い出の中で、何より鮮やかに残るあいつの姿。
一生消えない18のあいつ。

今年はいつもより重くなりそうだ。
もうすぐあの日が来る。


「お疲れさまでした。…坂さん?」棚瀬が車のドア開けて俺の名前を呼んだ。
「…え?あ、ごめん。着いてたんだ」自宅に着いたのに、気づかなかったらしい。
苦笑いして俺は車を降りた。
「何か考え事ですか…?」
「ん、まぁね」
「…あ、もしかして彼のこと、ですか」さすが長年付いてるだけのことはある。棚瀬はずばりと言った。
「うん…また今年も来るからさ。…って毎年来るのは当たり前なんだけど」
「……今度の土曜日、ですね」
「棚瀬日にち覚えてんだ、すごいね」
「そりゃ…もう、何十年と坂さんに付いてますから」
「そっか、そうだよな。毎年のことだから、覚えちゃうよなぁ」
「…お参りに行くんですか?」
「うん、そのつもり。…確か土曜日は−」
「仕事入れてませんよ。大丈夫です」
「……まさかその為に土曜日空いてんの?」
無言で棚瀬が頷く。ちょっと気が利きすぎじゃないだろうか。有難いけど。
「別に仕事入れてくれてもよかったのに。行けなきゃ前後にずらせばいいんだからさ」
「その日に行かなきゃ意味がないじゃないですか。大事な日なんですから」
「…まぁ、そりゃ、そうなんだけど……ありがと」妙に照れくさくて小声でボソリと呟く。
「いいえ。では、また明日迎えに来ます」棚瀬は笑顔で車に乗り込むと、俺に会釈をして帰っていった。
棚瀬を見送ると、ようやく自宅へと入る。
途端にお出迎えの猫たちが俺を取り囲んだ。しっぽを立てて足にスリスリ。とりあえずこれで一日の疲れはだいたいなくなっちゃう。単純だな、俺って。
「はいはい、ただいま」
“ニャー”
“ウニャー”
「はいはい、すぐエサあげるから待ってなさい。とりあえず俺に水ぐらい飲ませてくれよ」
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ゴクゴクと飲み干す。あっという間に500mlのペットボトルは半分になった。
「ふ〜…。こうも暑いとやだね〜」もうすぐ陽が落ちるというのに、日中の暑さが残っていて蒸し暑い。
“ニャー”
「わかったわかった」足元に絡みつく猫たちをすり抜け、エサの準備に取りかかる。大所帯だからエサの準備も大変だ。老猫には老猫用、ちっちゃいのにはちっちゃい猫用…とエサも分けなきゃいけない。まぁ、飼ってるのは俺なんだから、それを面倒くさいとは思っちゃいないけど。
いつものように定位置にエサを置いていくと、猫たちは次々に食事を始め途端に静かになる。
ようやくソファに座って残りのミネラルウォーターを口に流し込んだ。
「…土曜日か……」カレンダーを見つめてポツリと呟く。

今度の土曜日は、俺にとって特別な日。
大事なやつが逝っちまった悲しい日だ。
最近の話じゃなく、もうずいぶん前の話。
30年以上は経っているけれど、それでもつい昨日のことのようにその日のことは覚えている。
毎年、その日はあの頃の自分を嫌というほど思い出す。
楽しかったことも、嬉しかったことも。そして悲しかったことも全部。
どちらかといえば、悲しかったことの方が鮮明に覚えている気がする。
あいつが死んだ日のことは、特に。

“〜♪”ジーンズの尻ポケットに入れてある携帯が鳴った。
画面に電話の主の名前が表示されている。
そういえばさっきまで一緒にいたこいつも、俺との繋がりであいつと付き合いがあったっけ。
「もしもし?もう家に着いたの、桜井」
『ああ、今着いた。おまえも家?』
「うん、さっき着いたとこ。何、珍しいじゃん。桜井が電話してくるなんて。携帯でかける練習?」笑いながらそう尋ねると、少々ムッとした声が返ってきた。
『何だよ、電話しちゃいけないのか?…あ、女が隣にいるとか?』
「いないって。あ、でも美人猫は隣にいるけどね」
『猫かよ。』何だか残念そうな声。女が隣にいてほしかったのか?
「…それで?何か用事だったんでしょ?」
『あ、ああ。…坂崎さ、土曜日は仕事?』
「…いや、土曜日はオフ。……何で?」
『俺もオフなんだけど…』
「うん…」
『…行くんだろ?』
「…二人目だな」
『…え?』
「土曜日の話をされたの、二人目ってこと」
『…二人目?え、誰…ああ、棚瀬か?』
「そう。よく分かったね」
『だって高見沢はあいつのこと知らないだろ。』
「まぁね」
『棚瀬はずっと毎年のことだからその話題を出してもおかしくないしな。』
「うん、ちゃんと“今度の土曜日ですね”って言われた。しかも土曜日がオフなのは棚瀬が気を遣ってくれたみたいでさ」
『へぇ、棚瀬もなかなか気が利くな。』
「気が利きすぎるのも困るよ」
『まぁな、もっと違うところに気を利かせてくれりゃいいんだけどな。』
「そうそう。…それで?」
『え?ああ、そうだ、まだ話の途中だったな。俺もオフだから俺が車出そうか?って話。俺もできればその日に行きたいし。』
「去年は確か、桜井は仕事だったもんな」
『ああ、翌日に行ったけど、あいつに“何だよ一日遅れか?坂崎は昨日ちゃんと来たぞ?”って言われてる気がしてさぁ…。』
「あはは、あいつなら言いそうだな。でも、いいの?せっかくの週末オフなのに家族サービスしなくて」
『家族サービス?そんなのいつもしてますよ?だから−』
「うそだぁ」
『嘘じゃねぇよ。飯作ったり掃除したり洗濯したり…』
「それは普段から桜井の担当でしょ?」
『何言ってんの!普段はやりませんよ。当然奥さんの仕事!……え、あ、いや、何でもない。こっちの話。うん、違う違う。』傍に奥さんが居るらしい。慌てた口調で桜井が言い訳(?)している。
「……クククッ」電話の向こうで奥さんが何か桜井に言い返しているようだが、遠くてよく聞こえない。けど、桜井の慌てっぷりで桜井が不利になっていることは確かだ。
『…だから違うって。あ、もしもし?ごめん、坂崎。』
「怒られた?」
『え、おこ…怒られたわけじゃねぇよ。』
「あ、そう?じゃあチクチク刺された?」
『…そんな感じ。まったく、耳はいいんだからなぁ。』
「またそういう事言うと、聞こえちゃうよ」
『大丈夫、今セナの散歩に行ったから。ふーやれやれ。』
「大変ですなぁ、既婚者は」
『大変ですよ、既婚者は。いいですねぇ独身は。』
「はは、でも帰ったら居てくれるんだからいいじゃん。“お疲れさま”って言ってくれる人が居るってのはいいことだよ」
『…まぁ、な。』ちょっと照れくさそうに笑う桜井が目に浮かんだ。
「じゃあ、桜井がよければ車出してもらおうかな。実は車、調子悪くてさ。点検してもらおうと思ってたところだったから助かったよ」
『あらら、愛車は入院予定でしたか。了解。じゃあまた前日にでも連絡するよ。』
「わざわざ連絡くれなくても、前日どうせ仕事で会うじゃん」
『あ、そっか。そうでした。じゃあそん時に決めりゃいいな。』
「うん。…ありがとな」やっぱり礼を言うのは照れくさい。途端に小声になってしまう。
『いえいえ。んじゃ、そういうことで。』
「うん……あ、桜井っ」
『ん?なに?』聞き返す桜井の声を聞いて、ハッとする。言おうとした言葉を慌てて飲み込んだ。
「……いや、ごめん、何でもない」
『……何だよ、気になるじゃん。』
「ほんと、何でもないよ。大したことじゃないから」
『…ふーん…?じゃあまたな。』
「うん、また」電話の向こうで“プツッ”と切れる音がした。
『ツーツーツー…』電話の切れた音。
桜井と話した話題が話題だからか、その音が妙に物悲しく聞こえる。
電話の向こうにはもういないのに、そこにいてほしいような、自分でもよく分からないがそんな気持ちになった。
ようやく自分の携帯の切りボタンを押す。切ってもなお残るこの物悲しさは何なのだろう。
それに…さっき、俺は何を言おうとした?
あいつの命日が近づいているから、センチメンタルになってるのだろうか。
言ったところでこの気持ちが和らぐわけじゃないのに。
きっと口にしたらしたで、また新たな気持ちが生まれてしまう。
あいつの時よりも、もっともっと重い気持ち。
これ以上重いものはいらないだろ?
あいつだけでいいんだよ。
もうこれ以上、考えるなよ。


高3の時、俺はそいつと知り合った。高校の同級生で、見た目ワルっぽくて。でもそれは見た目だけの話で、実際はすごくイイやつだった。家族や友人を大事にしていたし、学校にもきちんと来ていた。バイクが大好きで、ロックも大好きで。面白いことにフォークも好きだって言って、放課後俺のギターに合わせて歌ったりもした。
桜井と会う時についてきたこともあった。同い年なのに見た目がワルっぽいから桜井なんて最初は敬語だったっけ。すぐにそんなこともないって分かって普通に話せるようになったけど。
桜井の歌声をいつも褒めていた。
“おまえら絶対売れるよ”
俺のギターも褒めてくれたっけ。
“デビューしたら絶対コンサートとか行くからさ、頑張れよ!”
あいつの口癖だった。

お互い夢があった。
よく冗談を言いながら、その中に本気を隠して、お互い探り合うように真意を見つけようとした。どっちもそれが分かっていて、逆にその探り合いが楽しくもあったっけ。
おちゃらけたやりとりの中に、あいつは俺の本気を、俺はあいつの本気な気持ちを読み取っていたと思う。どっちも何も言わないけど、ひっそりとお互いの夢を応援できる、いい友達だった。
そしてデビューしたら一番に喜んでくれた…そう今でも思っている。

知らせを聞いたのは、事故の数時間後だった。
夜、高速道路をバイクで走行中、カーブに差し掛かった時に雨で濡れた路面でスリップして転倒。
側壁に身体を強打して意識不明の重体、だと。
信じられない知らせに、俺は連絡をくれた担任と一緒に病院へ向かった。
“何かの冗談だろ?重体なんてのは嘘で、どうせちょっと転んでさぁって笑うに決まってる。俺たちを驚かそうとしてるだけなんだ。”
信じたくなくて、嘘だと思いたかった。あんなに運転の巧いやつが、転倒なんてあるわけがない、と。
“嘘だ…嘘だよな?”病院までの道のり、担任の車の中で俺は震えが止まらなかった。

病院に着くと、手術室の前で数回会ったことのあるあいつの母親が、愛用していたあいつの赤いヘルメットを抱いていた。担任が母親へ駆け寄る。顔を上げた母親の目には涙しかなかった。あいつを求めるような悲しい目。
あいつはもう居ないのだと、痛いほど伝わってきた。言葉にしなくても、もう、その母親の手の中にあるヘルメットをかぶるやつが居ないことは分かっていた。
けれど頭の中で分かっていても、それでも俺は信じたくはなかった。
そんな、突然の別れなんてあるわけない。
夕方まで学校でいつもみたいに笑ってたんだ。
“また明日な!”ってあいつは帰っていったんだよ!
なのにどうして…!
最後に見たあいつは、眩しいくらいの笑顔だった。
それが今はもう、冷たくなって…二度と目を開けてはくれない。
もちろん笑ってくれるはずもない。
桜井の歌声も俺のギターも褒めてはくれない。
あいつの声は、二度と聞けない。
あいつの名前を呼んでも、あいつは振り向いてもくれない。
もう居ないのだから。

悲しくて…悔しくて…。
でも涙が出ない。
こんなに悲しいのに泣けないなんて。
あいつの亡骸を目の前にしても、泣くことができない。
俺はどうしたらいいのか分からなくなった。
あいつの母親に言える言葉も、見つからない。
泣いている母親と担任を残し、まるで逃げるように俺はその場を離れた。

静まり返った病院内に俺の足音だけが響く。
自分自身すら見失いそうな不安に襲われ、待合室の椅子に崩れるように座り込んだ。
でも震えは止まらないし不安な気持ちもなくなりはしない。
結局どこにいても、逃げ出してしまいたいほどの不安と恐怖が襲ってくる。
なのに、俺は泣けないでいた。あいつが死んだのに。
何故泣けない?
どうしたら泣ける?
考えようとしても何も考えられない。


ふと顔を上げると、その先に公衆電話があった。
暗がりの病院の中にポツンとあるその電話は、俺を呼んでいるような気がした。
引き寄せられるように電話の前に立つと、小銭を入れて回しなれた番号をダイヤルする。
5回目のコールで桜井が不機嫌そうに電話に出た。夜遅かったから。
「…桜井?俺……」自分でも驚くほど声が出ない。何もかもに力が入らなくて、受話器を持つ俺の手はまるで俺の物じゃないみたいに弱々しかった。
『…坂崎?どうした?こんな遅くに…。今、どこだよ?大丈夫か?…何かあったのか?』
俺の第一声があまりに弱々しかったからか、桜井は電話の向こうで心配そうに尋ねる。
そんな桜井の声を聞いて視界が歪んだ。
たぶん繋ぎとめていた何かが、切れたんだと思う。
桜井に、あいつのことを告げた。途切れ途切れに。
『…悪い冗談……言うなよ…。なぁ…坂崎。…嘘…だろ…?』桜井の震える声。
嘘だったら、どんなにいいだろう。
俺だって“嘘。冗談だよ!”って笑って言いたいよ。
でも、信じたくなくても、あいつはもう居ないんだ。
逝っちまったんだよ…。
電話の向こうで静かに泣いている桜井と一緒に、ようやく俺も泣いた。


何十年経った今でも、あいつが死んだことに対してまだ信じられないという気持ちは残っている。
いつか、ひょっこり戻ってくるような、そんな気がして…。
“よっ!久しぶり!”なんて、楽屋を訪ねてきてくれる気がして仕方がない。
命日に毎年墓参りに行っているのに、そんな気になるのはおかしな話だけど。

いいやつほど、早く逝っちまう。
年々そう感じる。
人間も動物もみんな。

ずっとみんなで、ずっとずっと生きていけたらいいのに。

そんな気持ちが年々強くなっているからだろうか。
今年は、いつもよりあいつの命日が重く感じる、そんな気がする。
だから桜井にあんなことを口走りそうになったのかもしれない。
桜井や高見沢に言ったところで、何かが変わるわけじゃないし、逆に困らせるだけなのに、な。
二人の困惑した顔が目に浮かぶ。
二人を困らせるつもりじゃなくて、心のどこかにいつもある言葉。
だけど、簡単に口にしたくはない言葉でもある。
口にすることで、そうなることが…現実に起りうることだと思い知らされるから。

…ほら、また考えてる。
ただ、いつものようにあいつの所へ、あいつが眠る墓へ行けばいいじゃないか。
何より重い気持ちを自分から背負うことはないんだよ。
な、考えるなよ…。



そういう時に限ってその日はあっという間にやってくるものだ。気が付けばもう土曜日。
珍しく気だるい朝を迎えて、今日はもう少しベッドでまどろみたいと思った。寝たような寝ていないような、何だかすっきりしない。
「…まだ全然時間あるしな。今日はゆっくり……うぇっ」あお向けの俺の腹と胸に猫たちが乗っかった。
当然、猫たちがそんな俺の様子に配慮してくれるわけはない。腹減った攻撃がいつものように始まる。
「…こっこらぁっ!腹とか胸に乗るのはやめなさいっ苦しいんだからっ」なんて言っても猫たちが聞くはずがない。いつもは好き勝手に遊んでるチビたちまでベッドに上がってきた。俺の周りを猫たちが囲み、いつ上に乗ろうかスタンバイしている。この状態ではどう考えてもまどろむことは不可能だ。
「ああっもうっ!起きりゃいいんだろっ起きりゃ!」うりゃっと上半身を勢いよく起こすと乗っていた猫たちが得意げにジャンプして台所へと向かう。
“最初から起きればいいのよ。ほら、おとーさんっご飯用意してよっ”とでも言っているかのような後姿だ。
飼っているのは俺だけど、何だかやられっぱなしの自分に苦笑する。怒ればそれなりに猫たちもビクビクしたり反省したり謝りに来たりするんだけど、ほとんどは振り回されっぱなしだ。それでも飼っちゃうんだよな。
結局いつも通りの時間に活動開始。オフじゃないみたい。

でもあれこれ動いていたら、あっという間に時間は過ぎてしまった。いつも通りに起きてよかったのかもしれない。
ベランダの鉢植えに水をやっていると、見慣れた車がマンションの前で止まった。時計を見ると約束の10分前。誰かさんとは大違いだ、なんて思いながら部屋に戻り、バッグを持って家を出た。
俺がマンションから出てくると、桜井は車の中で軽く手を上げる。
「相変わらず早いね」助手席の扉を開けて開口一番に言った。
「そう?早すぎた?」
「いや、きっと桜井なら10分前には来るだろうなと思ってたから」
車に乗り込むと早速出発。
「…あ、花どこで買う?近くで買う?」
「うん、確か近くに花屋あったから」
「そか、じゃあいいな。……あんまり寝てないなら寝とけよ」
その言葉にドキッとした。相変わらずそういうことにはよく気づく。桜井や高見沢にはなかなか誤魔化しはきかない。
「…寝たんだけど、何か寝足りない感じなだけだよ。なに、俺そんなに眠たそうな顔してる?」
「眠たそうっていうか、疲れてるっていうか…最近妙に考え込んでることが多かったからさ。何か悩んでんのかなぁと思って」
「……」何も言えず、桜井から視線を外した。誤魔化すように窓の外を見る。
「…何だよ、この前の電話からおかしいぞ?何か悩み事があるんじゃないのか?俺でよければ聞くぞ。…まあ、恋愛の相談はあんまり役には立てないけど…」
「恋愛の悩みじゃないよ」思わず苦笑いした。
「あ、そう?じゃあ何?仕事のことか?確かになぁ、おまえ働きすぎだぞ」
「仕事でもないよ」桜井の恋愛じゃなければ仕事、っていう発想、単純で好きだな、俺。
「え、違うの?…じゃあ何だろ。俺たちには言えないようなことなのか?」
「……」言えないこと、じゃなくて、一番言いたいことだけど言いたくないんだよ、と心の中で呟く。
「…まぁ、無理に話せとは言わないけどさ」そう言いつつ心配そうな顔をする。顔には思い切り“何だよ話せよな”って書いてあるよ。ほんと、分かりやすいよね、桜井って。
「桜井に言えないことじゃないんだけどさ、ちょっとね、口にしたくないというか…」
「…ふーん…?……坂崎、おまえさぁ…考えなくてもいいこと考えてないか?」
「うん、たぶんそうだね。考えなきゃ別にこんな気持ちにならなくていいと思う」
「考えすぎなのもよくないぞ。考えるから悩んじまうんだよ」
「分かってるんだけどね。でも、考えちゃう時期なのかも」
「…まぁ…確かに今年は色々あったからな。おまえにとっちゃ辛い年だよな」
「…うん、そうだね。…いいやつってのはどうしてこう、早く別れなきゃいけないんだろうなぁ…」
「嫌なやつほど長生きなんだよな。逆ならいいのにな」
桜井も思うことは同じらしい。きっと、俺が桜井に言いたくても口にしたくないという言葉も、ある程度予測できているような、そんな気がした。

途中、花屋に寄ってからあいつの墓がある墓地へと向かった。郊外にある墓地の周囲は木が生い茂り、セミの声がうるさいほど聞こえる。一体どのくらいの数がいるのか、あまりの鳴き声に耳がどうにかなりそうだった。
ときおり、セミの鳴き声に負けないくらい威力がありそうな突風が吹く。少し高台にあるせいか、ここへ来る時はいつも風が強い。
「セミ、すげぇな。この木1本蹴ったら何匹くらい飛んでくかな」先を歩く桜井が目の前のクスノキを見上げて言う。
「何匹、じゃなくて何十匹はいるんじゃない?」そう返した俺を振り向くと、途端にイタズラ坊主みたいに意地悪そうな顔になった。愛用のスポーツキャップを被っているから余計に子供みたいに見える。
イタズラ坊主は木に近づいてクスノキを蹴ろうと足を上げた。
「やめてよ〜。俺まで被害に遭うじゃんっ!ほら、行くよっ」桜井のシャツを引っ張る。
「わっ水が零れるって!」
「自業自得でしょ!」

あいつの墓は、相変わらずキレイにしてあった。いつも、親族のお参りが終わっている頃を見計らって訪れるようにしているので、必ずかえたばかりの花と真新しいロウソクと線香の残りがある。毎年、命日にしか来ないから知らないだけで、本当は今日だけキレイにしてるってことなのかもしれないけど。
「…あいつのお袋、よく来てるんだな」墓石の上から水を掛けつつ、桜井がふいに言った。
「え?どうしてよく来てるって分かるの?」
「ほら、隣の墓見ろよ。こいつの墓より新しいのに、下の方とか雨の日に跳ねた泥でだいぶ汚れてるだろ?」
「…あ、うん」
「周りも雑草生えてるし、墓石にその辺に自生した花の花粉か花びらの色素が付いてる。あれ、洗っても取れないんだよな。…でもこいつの墓、下の方までキレイだし、雑草だって一つもない。この時期、雑草なんてのは一日二日で生えちまうのにさ。それだけいつもキレイにしてる人がいるってことだよ」
「…へぇ。いつの間に分析したの」ちょっとからかうように尋ねてみたけど、
「何十年も通ってると、この墓地の大抵のことは分かっちまうさ。隣の墓にあんまりお参りに来る人がない、なんて知らなくてもいいこと、もな」と桜井はいたって真顔で真面目に答えてくれた。
買ってきた花を墓石の横にそっと置き、途中で消えて残っている真新しいロウソクに桜井のライターで火を灯す。
「きっと風が強いからまたすぐ火は消えちゃうだろうけど」
「ま、そりゃ仕方ないよ。ほい、線香」桜井が線香を差し出す。
「ん、ありがと」受け取って線香に火をつける。風があるとなかなかつかない。
「…ついた?」
「…う〜ん……あと2本まだ…あ、ついたついた」1本1本に小さく灯った炎を軽く手で仰ぐ。途端に白い細い筋状の煙が上がり、独特の香りに包まれた。
あいつの墓石の前で桜井と並んでしゃがみ込む。両手を合わせて目を閉じた。最後に見たあいつの笑顔が今でも忘れることができず瞼に焼き付いている。
「…あいつさ、夢があったんだ」
「夢?へぇ…どんな?」
「内緒」
「なんだよそれ。今更内緒もなにもないだろ」
「うーん、内緒っていうかさ、俺もあいつからしっかり聞いたわけじゃないんだ。…そうかな、っていう程度の話なんだよ」
「ふーん…?」
「…あいつが夢を叶えた姿、見たかったなぁ…」
“オレも見たかったよ、おまえたちのステージ”
ふとそんなあいつの声が聞こえてきたような気がした。たぶん、あいつの心がここにあって俺と話ができるのなら、そんな風に返してくるだろうな、という俺の単なる思い込みだとは思う。でも俺の記憶に残っているあいつの声で聞こえたような気がした。もしかしてココにいるのかもしれない。俺たちを、現在(いま)の俺たちを、見ていてくれてるのかもしれない。
ウンと伸びをしながら立ち上がった。桜井が続けてゆっくりと立ち上がる。
「さて、そろそろ行くか?」
「そうだね。行こうか」一歩踏み出したところで立ち止まってあいつを振り返った。

自分の想いとは裏腹に事故で逝っちまったあいつ。
バイクの操縦ミスとかあいつ自身に非があったとしても、あんな終わりで納得なんてしてなかっただろう。
夢を叶えることも、追うことすらもできなかった。心残りなんて俺や家族が思っている以上にあったと思う。
それでもあいつの死に顔は穏やかだった。まるで眠っているような今にも目を開けていつもの笑顔を見せてくれるような、そんな顔をしていた。
本当は心残りがあって、悔しかったのに。
その想いさえ俺たちに見せることなく、最期まで強がったまま逝っちまった。
あいつらしいと言えばあいつらしいけど。
でも最期ぐらい本音見せてほしかったよ。
「また、来年も来るよ。来年は…もっと色々ふっ切って来なきゃな」苦笑いをあいつに向けて、墓地を出た。
「昼飯どうする?それともこの後何か予定入ってんなら帰るけど?」先を歩く桜井が俺に尋ねる。
ずっと変わらない桜井の背中。あいつの葬式の帰りも、こんな風に桜井の後ろを歩いていた。
「…桜井、ちょっと寄ってほしいところがあるんだ。昼飯はその途中で何か食べようよ。いい?」
「お?おお、俺は全然かまわないけど…寄ってほしいとこって?」


「……ここ?」桜井が神妙な顔で振り返く。俺は小さく頷いた。
「…高速道路には花は供えられないからね。本当は上に置きたいんだけどさ」俺が見上げると桜井もつられて上を見る。見上げた先にあるのは高速道路だ。
あいつの事故現場。その現場のすぐ脇にある一般道の歩道に改めて買った花を手向けた。
「何年かぶりに来たけど、ここはちっとも変わらないなぁ」
「…俺は初めてだな、ここに来るのは……」相変わらず神妙な面持ちで桜井が呟く。被っていたキャップはいつの間にか脱いで右手に持っていた。
「ごめんな、こんなとこまで付き合わせて。…色々考えちゃってるせいかな、今年はここに来なきゃいけない気がして…」
「いや…一度は行かなきゃな、ってずっと思ってたからさ。“やっと来たのか”ってきっとあいつも言ってるだろうよ」そう言って桜井は小さく笑った。
「……うん、言ってそうだね」

バイクが大好きで、ロックやフォークが大好きだったあいつ。
俺のギターが好きだと言ってくれたあいつ。
桜井の歌声が好きだと言ってくれたあいつ。
デビューしたらコンサートに絶対に行くって…言ってくれたあいつ。
俺たちもあれから色々あったよ。
デビューできたけど、失敗したり、挫折したり。
ほんと散々なことばっかりだった。
もちろん素晴らしいこともたくさんあったけどね。
俺、まだ頑張ってるよ。
あの時と変わらず桜井と歌ってる。
おまえは会ったことないけど、高見沢ってやつとも、ずっとずっと一緒にやってる。

俺さ、これからも夢、追い続けるから。
おまえの分も。
おまえが追いかけられなかった、叶えられなかった夢も、俺の夢と一緒に連れて行くよ。
桜井と、高見沢と三人で。
だから見ててくれよな。
…見ててくれよな。
…な。

またあいつの声が聞こえたような気がした。
相変わらずの笑顔で、いつものように。
あの頃のように。
“頑張れよ!”

いつだっておまえは俺の中に笑顔でいてくれるんだな。
こんな風に考え込んでる俺のこと、きっと“バカだなぁ!”って思ってるだろうな。
ほんと、バカだよな。
そろそろ、切り替えなきゃな。
おまえのおかげで少しふっ切れそうだ。
ありがとな。
俺、頑張るよ。

「坂崎?…なにぼーっとしてんだよ?」桜井につつかれてハッと我に返った。
「えっあ、ごめん」
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ちょっとね、あいつに“頑張れよ”って言われた気がしてさ。頑張んなきゃなぁと思って」
「そうだな。あいつの分まで頑張らないとな」
「うん」
「少しは…切り替えられそうか?」俺の表情から何か察したのか、桜井がそう尋ねる。
「…だいぶね。俺が考えたって仕方ないことだし、この先のことなんてなるようにしかならないんだからね。ほんと、考えるだけ損なんだよなぁ…。でも考えちゃう。損な性格だよね」苦笑する俺に、桜井は隣でいや、と首を振った。
「考えるな、とは言わないさ。でも、何も一人で考えるこたぁない。何の為に俺や高見沢がいると思ってるんだよ。歌う為だけの仲間じゃねぇんだ。ちったぁ俺たちのことも頼れよな」
「…桜井……」桜井を見上げると、突然スポーツキャップが頭に降ってきた。
「わっ何だよっ」びっくりしてキャップを取ると、隣にいた桜井がいない。
「あ、あれ?」
「はーい、幸ちゃ〜ん、帰りますよ〜」ややオカマみたいな口調で路駐した車のところへ向かう桜井が俺に向かって手を振っていた。
「な、なんだよ〜。突然帽子被せといて。…まったく……」口ではブツブツ言ってるけど、実はちっとも怒ってもないし呆れてもない。さっきのは桜井の照れ隠しであり、俺のためでもある、それが分かってるから。最近感動するとすぐ涙が出ちゃうんだよね。…年かな。

車のところまで行くと桜井に帽子を渡した。
「ほら、帽子」
「はいよ。んで、あと行くとこは?」
「あと?あとはないよ。桜井も運転疲れたろ。帰りますか」
「あ、もう終わり?そう。じゃあ帰るか。ま、別に運転には疲れちゃいないけどな」
「相変わらず運転好きだねぇ」
「好きだねぇ」ニカニカッと昔から変わらない笑顔を俺に向けた。本当に好きなんだな車。
「じゃ、帰るか」
「うん」
走り出した車の窓から自分で手向けた花を見つめた。
“また、来るよ”
飛びきりの笑顔のあいつが俺に言う。
“また来いよ”


「…ったく今日も暑いなぁ!こりゃ今年の夏イベは相当暑いぞ。覚悟しとかないとな」
「うん、そうだね」
「まぁ、冷夏よりはいいけどさ、暑すぎるのもなぁ。お客も大変だし、俺たちも大変だしな」
「ステージって客席より暑かったりするからね」
「そうそう!せめて涼しい風が吹いてくれりゃいいんだけどな。無風の時もあるし…。いい年の俺たちには結構きついんだよな、野外ってのは」
「…ぷっ おっさんくさい発言だなぁ」
「だっておっさんだもん、仕方ないだろ」
「…まぁね」返す言葉がない。
「ま、おっさんはおっさんなりに野外に向けて体調整えなきゃな。おまえもしっかり体調整えろよ?夏イベ終わっても次の週もずっと仕事なんだからな」
「分かってるよ。桜井は酒、タバコ控えめにな」
「……」
「返事がないんですけど?」
「……控えめね、控えめ…」明らかに控えめにする気のない声。こりゃ見張ってないとダメかもな。マネージャーに言っておこう。
桜井がそんなんだから、本当は俺も言いたいんだよ。
ほんと、言っちゃうよ。
「…桜井ぃ…」
「ん?」
「…お」
パァーーーーーーーーーーーーーッ
突然クラクションが鳴り響いた。と、同時にダンプカーがものすごい勢いで隣を追い越していく。
どうやら俺たちの車が邪魔だったらしく、反対車線に出て追い越しをかけ、追い越しながらクラクションを鳴らしていったようだ。
「制限速度守って走ってんのに怒られてもね」
「ほんとだぜ。…まだ鳴らしてやがる。まったく!」
「よっぽど急いでんのかな」どんどん遠ざかるダンプカーの後姿を見つめて呟いた。
「で?」
「…え?」
「今、何か言っただろ?バカのクラクションのせいで聞き取れなかった」
「…いや、ただ、桜井の声があってのアルフィーなんだからさ、健康には気をつけろよって言いたかっただけ。ファンも心配してんだからさ」
「はいはい。分かってますよ。いい具合に酒が届いてんのに、そのうち届くもんが全部養命酒になってもイヤだからな」
「そっちの方がいいんじゃないの?」
「やめてよ」
「ははっじゃあそうならないようにしてよね」
「だから、分かってるって!もう耳にタコだよ!」
結局、俺の言いたくて、でも言いたくない言葉は、意を決して口に出したにも関わらず運悪く桜井には聞き取れなかったようだ。もうこれは、桜井にも高見沢にも言わなくていいっていうことなのかな。言わなくても、二人は分かってるってこと、だよね。それでいい。いいことにしよう。
考え込むのも、もうなしだ。
今日で18の俺ともしばらくお別れ。きっとまた来年のこの時期になったら戻ってきちゃうんだろうけど、それは仕方がないよね。辛い過去だけど、あいつが俺の中で笑顔でいてくれる限りは大丈夫だ。いつかこの辛い過去が、想い出になるまで時が過ぎるのを待つしかない。いつ想い出になるかな。30年経ってもダメってことは、あと30年?…俺、いくつだよ!
でもいいや。無理に想い出にする必要はないんだから。


「ほい、到着」
「おう、ありがとなぁ。本当助かったよ」桜井に礼を言うと、助手席のドアを開けた。相変わらずギラギラした夏の太陽が照り付けている。
「まだまだ暑いなぁ。…高見沢、きっと今頃アイス食ってるな」
「あ、言えてる!しかもバナナ味な!」けらけらと桜井が笑う。うん、俺もそう思う。
「んじゃ、また」
「おう、またな」
ドアを閉めて桜井を見送ろうと車から少し離れた時、何故か助手席の窓が開いた。
「…?桜井?」首を傾げて窓を覗く。桜井は前を向いたままで、視線だけを俺に向けた。
「あのさ」
「うん?」
「…俺たちはさ、普通に働いてる人たちに比べればまともな人生を過ごしてきてないと思うんだ」
「…?う、うん、まぁ…普通の人生じゃないよね」
「そんな人生を過ごせてきているのは、お人好しじゃなくて、図太いからだと思うんだよ」
「……?」
「……俺たちはあいつみたくいいやつじゃないから、長生きしそうだよな」
「…さ」
「さっきのおまえのセリフ、そのままおまえに返すよ。高見沢も、もしおまえに言われたら同じこと言うぜ」
「桜井…おまえ、聞こえて…」
「…あいにく、地獄耳なんでね」ニヤッと桜井は笑うと、俺の言葉も待たずに行ってしまった。
車の中で手を上げる桜井が一瞬見えた。
何だか悔しい。負けたような気分になった。
やっぱり結局は桜井にはお見通しだったってことか。きっと高見沢にも。

悔しいけど、俺には一番嬉しい言葉だった。
他のどんな言葉をもらっても嬉しくはなかったかもしれない。
ということは、やっぱり負けたってことかな。

でも、もう二度と言わないよ。ふざけて、は言うかもしれないけどね。
本気ではもう言わない。そのまま返されちゃうんだからね。

でももし二人に言われたら、俺もそのまま返してやる。
それが俺の本心だから。


言われたら言うよ。
そのセリフ、そのままおまえに返すよって。
笑顔で言ってやるよ。

俺より先に逝くなよ
って。


―Fin―

******あとがき***************************

読んでいただきありがとうございます。
最後に書いた言葉は、私にとっても「何より言いたいけど口にしたくない言葉」です。なかなか書く勇気がなく、書いている途中でこのセリフを出さないまま終わらせようかと何度も思いましたが、悩みに悩んで結局最後に書きました。こんなたった一言なのに、パソコンに打ち込むまで相当時間がかかりました。

坂崎さんが今、こんな気持ちじゃないとしても、大事な人がいる誰もが心のどこかに持っている気持ちだと思います。考えるとものすごく辛くて悲しいのですが、時に真剣に考えなければいけないことで、逃げてばかりいるわけにもいかないことだと思っています。

この話は、私の一番の願いでもあります。
いつまでも三人でいてほしい、何よりの願いです。

2005.8.15

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