「いつも君がいた」


君がこの街を離れて、僕は独りになった。まるで寂れた公園に転がっている、忘れられたスコップみたいに。

三日前、君はこの街を出て行った。
君は一言「今はあなたの傍を離れた方がいい」そう言った。君の辛そうなその一言に僕は何も返せなかった。ただ、君の肩をそっと抱いている事しかできなかった。君に訳も聞けず、ただ夜空を見上げて涙をこらえるしかなかった。
僕は君を見るのが辛くて、列車に乗った君の姿をまともに見ていない。君も…泣いていたのだろうか…。

君が傍に居ない、その事実をまだ受け止めきれなくて、仕事が終わると君が去っていった駅へ向かう。そこに戻ってきているんじゃないだろうか…"ただいま"っていつもの笑顔を僕に向けてくれるんじゃないだろうか……そんな都合のいい事ばかり考えて。
駅に着くと、もう駅員も誰も居なくて、駅の改札に灯りがポツンと点いているだけだった。昼間はこんな寂れた駅でも、学生やお年寄り達で結構賑わっているものなのだが、すでに夜の11時を回っているから、昼間のように賑わっているわけもない。
僕は無人改札を通り抜け、ホームへ出た。とても東京にあると思えない小さな駅だ。ここは東京の端で遠慮がちに走っている路線だから無理もないけれど。でもそれでも僕と君にとっては、大切な街だった。

僕はひっそりとある、駅のたった一つのベンチに腰を下ろした。一昨日も昨日も、こうして独り座っていた。たまに来る列車の車掌が、僕を見て怪訝に思ってるみたいだったけど、そんな事をいちいち気にしているほど、周りを見る余裕はなかった。

君と出会ったのは大学に入ってすぐの事だった。入るサークルを探し歩いている時、お互いキョロキョロしていてぶつかったよね。君は僕より頭一つ分小さくて、肩までの髪を後ろに一つでまとめて、化粧っけもなくて。身体に似合わない大きなカバンを持っていたっけ。ぶつかった事を何度も何度も謝るから、"いや、僕も前を見ていなかったから"って言うのに、謝り続けて。最後はお互い、だんだん可笑しくなって、笑いあったよね。翌日同じ講義で会って、毎日顔を合わせるようになって、いつの間にかいつも一緒に居るようになって…。君と居ると僕は僕らしく居られる、そう感じるようになっていた。
僕が大学を辞める時の事、君は覚えてるかな。いっぱい相談に乗ってくれたよね。君が居たから僕は夢を追いかけようって決めたんだ。君が傍に居てくれるなら、どんな事でも乗り越えて行ける、あの時心からそう思ったんだ。君も同じように思ってくれていると信じていた。でも……

五日前、君は僕のプロポーズを受け取ってくれなかった。僕には信じられなかった。出逢った頃と同じように、君は微笑んで頷いてくれると思っていたのに。
君も同じ気持ちでここまで二人で歩いてきたんじゃなかったのかって…君に聞いた。君は「今のあなたとは一緒になれない。一緒になったら二人ともだめになる」そう答えたね。僕にはその君の言葉の意味がまだ分からないよ。君は僕に何を伝えたかったんだい?今の僕って何?出逢った頃の僕と違う、君はそう言いたかったのか?僕は今でも出逢った頃のままだよ。何も変わってなんかいない。君を想う気持ちも、夢を追いかける気持ちも、何もかも同じだよ。なのに何故?答えてくれよ…!

答えが返ってくることなんてあるわけなかった。だって君はこの街に居ない。僕の傍に居ない。プロポーズを断って、君は街を出ていってしまった。僕には君の言いたかった事は二度と分からないのだろうか。そしてこのまま君は僕の元に戻ってきてくれないのだろうか。

駅にゆっくりと列車が入ってきた。ふと僕は列車を見やる。列車から高校生と思われる一組のカップルが降りてきた。確か、一昨日も昨日も同じ時間に二人を見た気がする。気になって二人の姿を目で追った。彼の方は、肩に何か大きな物を抱えている。ギターだ、僕はすぐに分かった。大事そうに肩に背負い、彼女も隣でそっとギターに手を添えていた。彼の夢は彼女の夢でもあるんだな、僕は直感でそう思った。懐かしい想い。僕と君の姿がだぶって見えた。

−ねぇ、あなたの夢って何?−
君の声が聞こえた。僕は驚いて辺りを見渡した。でも誰も居ない。ただ、列車が発車し駅を出ていく所だった。空耳か…僕は俯いてため息をついた。
−歌手になりたいんだ−
…今度は僕の…声?
−えっ歌手?!そっか、そうだよね。歌、上手いもんね。きっとなれるよ。私も応援するよ−
…また君の声……。
…ああ、そうか。これは…あの頃の僕と君の会話…。
よく、将来の事を語り合ったっけ。
僕の夢みたいな話、いつも付き合ってくれたね。僕が売れたら毎日君の大好きなケーキを食べに行って君の大好きなレコードを買って…なんて、馬鹿馬鹿しい話、いつも隣で聞いてくれたよね。
−そんな事言って、売れたら私の事なんて忘れちゃうくせに−
君はよくそう呟いていたね。
忘れるわけないじゃないか。君が居たから夢を叶える事ができたんだから。君は僕の青春のすべてだった。なのに…
…君が居なくなったら、叶えた夢は誰の為にあるんだろう。僕は何の為に夢を叶えたのだろう。ようやく君を幸せにできると思ったのに…。

−そんなんじゃだめだよ!−
珍しく君が僕に怒った事があったよね。あれはどうしてだったっけ。あの時、何の話をしていたっけ。
何かが引っ掛かる。とても…大切な言葉だったような……。

反対のホームに最終列車がやってきた。二両編成に客は3人くらい。最終列車だからそんなものかな、そう思いながら、わずかな停車時間を終え、車掌が笛を吹いて扉を閉じる列車を見つめた。僕の居るホームにも、10分後に最終列車がやってくる。それを見届けたら家に帰ろう、僕は諦めと虚しさと寂しさが混ざったため息を足元に落とした。

反対ホームの列車が駅を出て行く。何だか見ていなくてはいけないような気がして、僕はずっと列車を見ていた。何事もなく駅を出て行き、駅はまた静まり返った。列車が見えなくなって、僕はようやくホームへ視線を戻した。
「あ……」僕は反対ホームに一人の女性が立っているのを見つけた。僕に背を向けてじっと立っている。あの頃の君にそっくりだった。髪には君のお気に入りの髪留め、手には君のお気に入りの何でも入る大きなカバン。僕は無意識のうちにベンチから立ち上がっていた。
−夢が叶ったらどうするの?−
ふいにまた君の声がして、目の前にまるでそこにいるかのようにあの頃の僕と君が現れた。僕達はあの頃よく通った公園のベンチに座っていた。
「え?夢が叶ったら?」
「そう、だって歌手になるのが夢なんでしょ?歌手になったら夢が叶ったって事じゃない」
「う、うん、まぁ、そうだなぁ」
「そうしたらどうするの?そこで終り?」
「終りって…そんな先の事までまだ考えてないよ。第一まだ歌手になれるかどうかも分からないのに」
「うん、まぁそうなんだけど。でもその先が大切なんじゃないかなぁって私は思うの」
「その先?」
「そう。だからね、歌手になったらどうしたいのか、っていうのも考えなきゃねって」
「そんなの先の事すぎて全然分からないって。とりあえず歌手になる!それでいいじゃん」
「そんなんじゃだめだよ!」

目の前のあの頃の君が突然立ち上がって叫んだ。そう、そうだ。この時君は初めて僕に怒ったんだ。

「ど、どうしたんだよ。何怒ってるんだよ」
「そんないい加減な夢でどうするの?そんな事が夢なの?それだったら誰だってちょっと頑張ればできちゃうじゃない!」
「…じゃあどうすればいいんだよ。歌手になるって夢じゃだめって事なのか?」
「…そういう事じゃないの。歌手になる事が夢なのは、とってもいいよ。私もその夢は叶ってほしいと思ってる。でも、歌手になればそれでいいの?歌手になったらそれでもう夢は終りなの?その先は?今は歌手になる事を夢見ているのが精一杯なのは分かってる。だから頑張って歌手になってほしい。でも、でもね…」

僕は夢を叶えて歌手になった。あの頃の夢を叶えた。人の歌じゃなくて、自分の歌を歌っている。僕の言った夢は叶った…今の今までそう思っていた。
でも僕は本当に夢を叶えたのか…?…叶っているのか?…僕の夢って何だ?
あの時の君の言葉が蘇る。
「夢はいつまでも追い続けなきゃだめなのよ。夢にはまだまだ先があるんだから」

ああ、そうか。そうなんだ。君はそう僕に伝えたかったんだね?
歌手になりたかった僕が歌手になって、それで終り。そう思って夢を終わらせていた僕に違うと言いたかったんだね?あの頃語っていた夢だけで終わらせようとしていた僕に、本当の夢をもう一度思い出させようとしてくれたんだね?
わかったよ、君のあの時の言葉。
「今のあなたとは一緒になれない。一緒になったら二人ともだめになる」
こんな中途半端な所で夢が叶ったと思い違い、君を幸せにできると思った僕は何て情けないんだろう。こんな僕が今、君を幸せにできるはずがない。守れるはずもない。
だから君は、僕の傍から離れていったんだね。もう一度あの頃のように夢を追いかけてほしくて。

−ねぇ、あなたの夢って何?−
君の声がさっきよりはっきりと聞こえる。
「…僕の夢……」
−そう、あなたの夢−
「僕の夢は……いつまでも変わらず君を愛し、いつまでも歌い続けること…」

気がつくと、背を向けていた女性が振り向いていた。あの頃の君だった。
「…あ……」
届かないのに、つい手を伸ばした。君はあの頃の笑顔で優しく微笑んでいた。
−いつも傍で応援してるからね−

最終列車の灯りがホームに近づいてくると、あの頃の君の姿はいつの間にか消えてしまっていた。夢を忘れていた僕の為に、わざわざあの頃からやってきてくれたのか、と思うと君の優しさが胸を熱くした。
僕は迷うことなく駅に到着した最終列車に乗り込んだ。
君の今居る街へ、君に逢いに。そして、もう一度いつも君が居た頃の自分に戻る為に−。



「お疲れさまでしたー」
「おう、お疲れ」
「お疲れさまです!今日、すっごく良かったですよ!」
「サンキュー」
ライブを終えて、控え室に戻ると、達成感と疲労感で妙にテンションが高かった。それはスタッフも皆同じようだ。お疲れ様の一杯を気持ちよく飲み干した所で、
「おーお疲れ〜!今日は一段と盛り上がったなぁ!」とメンバーの一人が入ってきた。
「お疲れ。おまえも飲む?」クーラーボックスから冷え冷えのビールを取り出してやると、嬉しそうに受け取った。
「サンキュー。……美味っ!!」
「これだからビールはやめられないよなー!」同意しながら、ビールをもう一本クーラーボックスから取り出した。
「でもおまえは飲みすぎ。それで終りにしとけよ」
「…うっ」言い返せないので二本目は味わって飲もう、とちびちびと口へ運んだ。
「……なぁ」
「ん?」
「今日、やけに歌に入り込んでたけど、何かあったのか?」
「…よくなかったか?」
「いや、よすぎて弾くの忘れそうになった」
「おいおい。冗談だろ」
「本当だって!いつも以上に歌に入り込んでたからさ、何かあったのかなぁって思ったんだよ」
「……あの頃を思い出してさ。若かりし頃の事」
「ふーん……あ、そうか。今日観に来てたからか」
「よく言うぜ。観に来るって知ってたからあの曲入れたんだろーが」
「…別にそういうつもりじゃ…ないけどさぁ」と言いつつ、顔にはその通りです、と書かれていたので可笑しかった。
「何笑ってんだよ」
「…別に?」
「何だよ……あ、でもいいのか、こんなところでのんびりしてて。待ってんじゃないのか?」
「ん?ああ、先に帰ってるって言ってたから、もう居ないと思うけど」
「一緒に帰ればいいのに。東京のライブの後くらい仲良く帰れよなー」
「いいんだよ、どうせ家に帰ったら居るんだから」
「あーはいはい。そうだなー。家に帰れば居るもんなー」お互いにぐいっと最後の一口を飲み干した。

「おーい、これから飲みに行こうって話が出てるけど、どうするー?」もう一人のメンバーが顔を出した。
「おっ行く行く!…おまえは?」いつもなら当然行くけど…今日はやめておこう。
「…今日はまっすぐ帰るよ。遅くなるとぶちぶち言われるしな」
「ははは、妻帯者は大変なことで。独身でよかったー」
「ふん、どーせ。んじゃ、そういう事で」
「おう。気をつけてな。お疲れさん」

メンバーとスタッフに見送られ、僕はタクシーで家へと向かった。
一人になって、今日のステージを振り返る。最近で一番声の調子がよかった。君が観に来てたからかな。君は僕の真正面でまさにベストポジションに居たね。きっとあいつが席を手配したんだろうな。余計な事を…。
あの曲を歌い終わった時、何気なく君を見たら、微笑みながら泣いていたね。君もあの頃の事を思い出していたのかな。
いつも以上に緊張してて、ちゃんと歌えてたのか自分では分からなかったよ。帰ったらどうだったか感想聞かなきゃな。もしかして君もちゃんと聞いてなかったりして…。

帰ったら、あの頃の話をしよう。それから、これからの夢を聞いてほしい。
これからも君に傍に居てほしいから。二度とあの時のように夢は終わらせないから。

君の為に僕は歌い続けるよ。
いつまでも変わらぬ想いを−
いつも傍に居てくれた君の為に−


*****作者あとがき********************

賢狂の「いつも君がいた」を読んでいただきありがとうございます。

このお話はアルフィーの曲を題材に書いた最初の作品です。
最初はどうやって書き進めればよいのか悩みましたが、自分の感じたまま話を作ってみよう、ということでこんなお話になりました。

このお話には、桜井さんの歌に対する想いを表現したい、という気持ちと、いつまでも歌い続けてほしい、という賢狂の願いが込められています。
つまりはこんな風にこの曲をステージで歌っていたらいいなぁ、という賢狂の願望です(笑)

みなさんの曲のイメージを壊していないといいな、と思っている賢狂でした(^^;)

2004.5.9


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