「BLUE AGE REVOLUTION」



−俺のこと、覚えていますか?−

俺はガラにもなく緊張していた。聞きたいがなかなか口に出せない。
だって忘れているかもしれないし。いや、忘れているに決まってる。
聞くだけ無駄だと分かっている。いくらなんでも覚えているわけがない。
でも…。
彼は、もしかしたら覚えているかもしれない。
だって、そういう人だから。

別に覚えてなくてもいいんだ。
救われたのは本当のことだし、感謝したい気持ちも嘘じゃない。
彼のおかげで現在(いま)の俺があるんだから。
忘れてたからってショックを受けるほど子供じゃないさ。

でも期待する気持ちがあるのも紛れもない事実だ。

彼が俺を見る。
俺の鼓動がさらに速くなり、手のひらに一瞬にして汗が噴いた。

−俺のこと、覚えていますか?−
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
「くそっ!!」
―ガシャーンッ―

周りの人たちが驚いて振り向いている。といってもようやく眠りにつく夜明け前の繁華街を歩くのは朝まで飲んでいた酔っ払いか早朝散歩をする俺から見れば無意味なことをするやつら、ぐらいだ。せいぜい3,4人しかいない。でも他人に見られてもいい気分はしない。こっちは何て言ったってムシャクシャしてイライラしているんだから。じゃなきゃビールケースを蹴ったりはしない。
足元にビール瓶が転がり、数本は割れている。どうせ中身は空っぽ、目の前の破片を踏み潰した。
興味がないくせに振り返ったやつらをいつものように睨む。案の定、やつらは慌てて目をそらし何事もなかったかのように歩き出した。そうしてあっという間にいつもの風景に戻る。まるで俺の足元に転がっている割れたビール瓶も俺が割ったんじゃなくて見えない誰かが、もしくは最初から割れていたかのように。
やっぱり同じだ。大人たちが違う行動をとったことなんてあっただろうか。
(だからイヤなんだよ、大人ってのは!)俺は小さく舌打ちした。

ここ最近、というより高校に入ってから毎日がつまらなくなった。進学校なんかに入ったのがそもそも間違いだったのかもしれない。だって進学する気なんてさらさらなかったし、ましてや将来自分がどうなりたいかなんてまったく考えてもいなかった。だからこそ親が進学校に行け、と言ったのだが、自分の意志で決めた高校でもないのに、はたして行く気になんてなれるものだろうか。
結局俺は一年我慢したが限界に達し、中退した。もちろん親は許すはずがない。でも無駄な学費を払うこともバカらしくなったのか、最後には“勝手にしろ”と言っただけだった。理由も聞かないまま、息子のことを見捨てたってことだ。
それから一年。バイトをしながら、ライブハウスで知り合ったやつらとバンドを組んだ。最初はかなり楽しかった。好きな曲を歌い、好きなことだけする。一生、こんな風に好きなことだけをする人生を送りたいとまで思った。やりたくないことなんてする必要はない。我慢なんてしなくていい。努力、なんて言葉は無意味だ。

でもそんな生活は、長く続くものじゃなかった。

しばらくしたらそんなやつらと一緒にいることも嫌になった。まるで“俺たちは自由に生きる”という協定でも組んでいるようで、逆に縛られるような感覚になる。やつらが“明日はこうしよう”とか“あれはこうだ”と言うたびに、それが呪文のように俺の頭をぐるぐると回った。俺はただ自分の思う通りに生きたいだけなのに、つるんでいるやつらがそれを許してはくれない。
嫌だといえば仲間から外される。ひどい時は殴られた。

そうして俺は自分というものが分からなくなった。

自分は何をしたらいいのか分からない。とりあえず今まで作り上げた日常から逃げるしかなかった。俺を知っているやつらがいないところで、ただ過ごす日々。
そして気が付けば自然と夜から出歩くようになった。朝になったら家に戻り、それから眠りにつく。
もちろん親は毎日うるさく言ってくる。
「近所で何と言われているか分かってるのか!恥をさらすな!」
息子が何を思っているのか、それは聞かないのか?
親が気にしてるのは世間体だけ?
じゃあ学校に行ってさえすればいいってことなのか?
当たり前に授業に出て、テストを受けていれば親はそれでいいってことか。
息子はそれが苦痛で中退したっていうのに、俺の気持ちは気にしてもくれないのか。

あんたたちにとって俺は、何なんだよ。
俺がどうあれば満足なんだよ。
俺はあんたたちの言うことを聞くロボットなんかじゃない。

「くそっ」口から出るのはそんな言葉だけ。
この何ヶ月、俺は誰かと会話しただろうか。
何かがズキンとした。


顔を上げると、まだ一人だけ俺を見ていた。一瞬たじろいだ。そんなこと、滅多にないから。
キャップをかぶりTシャツにジーパンの、ヒゲを生やした40代ぐらいの男だ。散歩でもしているのか、飲み屋の帰りなのか、判断はできない。ただ、他のやつらと違うのは、俺を見る目が違う。だから俺はたじろいだのだ。
白い目で見ているわけでも、怒りを込めて見ているわけでもない。どんな感情があるのか分からないが、そんな目ではなかった。
まさか補導員じゃ…一瞬だけそう思った。けれどこんな風貌の補導員なんて今まで見たことがない。
「…見てんじゃねぇよっ」とにかく俺は自分の動揺を隠すためにそいつにはき捨て、威嚇のために足元に転がっている空き瓶を蹴ってやった。そいつの足元に空き瓶が転がっていく。だいたいの大人はそうすれば俺を恐れて逃げるように背を向ける。ろくでもない若者には触れないように。
だが、それでもそいつは、ただ俺を見ている。何も言わない。
動揺を隠せなくなってきた。
逃げるように路地の奥に向かう。追ってきたら走って逃げればいい、密かに様子を伺いながら路地を進む。
「あ!ここにいたんですか!」誰かが走ってくる足音。
「…ああ、どこ行ってたんだよ?」あいつの声のようだ。
「それはこっちのセリフですよ!振り向いたらいないんですもん、驚きましたよ」
「あ、そうか。俺が立ち止まったのに気付かなかったのか」
「そうですよ。こんなところで立ち止まるなんて思わないじゃないですか!」
「そうだな、悪い悪い」
(…今のうちだ。)背中の向こうで交わされる会話を盗み聞きしながら、俺は目の前の角を曲がると走り出した。
なぁ、何が今のうちなんだ?
俺は、何から逃げているんだ?逃げる必要があるのか?
答えが見つからないまま、ただ前に向かって走るしかなかった。


「……あいつ、変なやつだったな」自販機で買った炭酸飲料を口にふくんだ。これが最後の買い物だ。ゴツくて見た目は立派な俺の財布には、帰りの電車賃だけが寂しく残っている。これを使うわけにはいかない。
夜が明けたら一旦家に戻ってようやく眠りにつく。まさに昼夜逆転のとんでもない生活になっている。
とんでもない生活だと分かっているのに、やめようという気はなかった。
いや、やめようという気がないわけじゃない。こんな生活ではダメだと分かっているのに、今の俺にはやめる勇気も変わる勇気もないだけ。

商店街の路地を抜けたところにあるこの小さな公園は、俺の休憩場所になっている。夜明け前だから子供もいないし、ベンチもないから早朝散歩の人間もあまり来ない。日中だって人が大勢いることなんてほとんどないし人と接したくない俺にとっては、かなり居心地のいい場所だ。
少し休んだらここから離れることにしよう。ゾウの形をしたコンクリートの塊(本当は幼児用の滑り台なんだろう)に腰を下ろした。

こんなことは滅多にない、そう思わずにはいられなかった。あいつが補導員ならあそこですでに近づいて声をかけてくるはずだ。赤の他人で補導員でもない男が、俺なんかをじっと見ているなんて気持ちが悪い。何を考えているのか分からないから余計だ。だから無性に逃げたくなる。
さっきの男は、無責任な大人たちと違って、自分のことをしっかりと視界の中に入れていた。目も逸らさなかった。自分を認めてほしい、自分から目を逸らさないでほしいと思っているのに、本当にそうしてくれそうなタイプの人間に会うと怖くなる。まだ正面から現実とぶつかる勇気が俺にはないから。また支配される、そんな恐怖があるから。

だいたいの大人たちは、俺みたいな若者を見ると同じ顔をする。
“最近の若いやつは…”
若いから何だよ。最近の大人だってひどいもんじゃないか。子供の非行に真剣に向き合わないで全部子供のせいにする。“そんな風に育てた覚えはない”よく言う。子供は親見て育つんだよ。常識も非常識もそこで身につける。子供の姿は親の姿。それを分かって言ってんのか?
「こっちから見りゃ“最近の大人は…”なんだよ。ふざけんな。……っ痛!」突然手に痛みが走った。
右の手のひらに、切り傷があった。よく見れば指や手の甲にも小さな傷がある。どうやらさっきビールケースを蹴った時にガラスの破片が手に当たったようだ。ペットボトルの水滴がしみて、ようやく気づいたらしい。気づかない自分の鈍感さに驚いた。
「そういやさっき何か痛みが走った気がしたけど、これだったのか」
手のひらは案外傷が深いらしい。ぎゅっと押すとまだじわじわ血がにじみ出てくる。
もちろんこんな時間に病院は開いていない。救急ナントカセンターみたいなところならやっているんだろうが、病院に行く金なんて持ち合わせていない。俺の手元にあるのは電車賃しかないのだから。
「…そのうち止まるだろ」安楽的な、いい加減な答えを出し、放っておくことにした。命に関わるほどの大怪我じゃないのは分かる。ただ、少々傷が深いだけで、しばらくすれば自然に血は止まり傷口はふさがるだろう。それがどのくらい後なのか、それは分からないけど。

傷口をじっと見つめていると、
「…あ!」突然何かを見つけたような男の声がした。ビクリとして顔を上げると、そこにいたのはさっきの俺を見ていた男だった。隣にはもう一人男がいる。さっきあの男の元へ駆けつけて来た声の主だろうか。商店街を抜け、公園前の通りを歩いてきたらしい。
変わった風貌の、やっぱり補導員だったのか!ヒゲの男は、公園の中に入ってきた。警察に連れて行かれるなんてまっぴらごめんだ。
俺が慌ててバックを掴み立ち上がると、男はそれに気付き眉毛をハの字にして困ったような顔をして立ち止まると、
「ああ、違う違う」と言った。ドスのきいた声で“待て!”と言われるかと思っていた俺は、意外にも優しい感じの声だったので思わず立ち止まって男を見た。
「補導員でも刑事でもないから逃げなくていいよ」俺のことをしっかり未成年と認識した上で、そして俺が補導員か刑事だと勘違いしていることも察しがついているらしい。
「いくらなんでもこんな補導員はいないでしょ」男は相変わらず眉毛をハの字にして、しかし今度は困った顔ではなく笑顔だった。嫌な感じはしない。どちらかと言えば俺には好感が持て…いや、見た目で判断するのはよくない。
「…なんか用?」二人の男を交互に見やった。ヒゲの男は相変わらず俺を見ているが、一緒にいる男は俺をチラッと見ただけでビクビクしながらヒゲの男に何やら小声で話している。

俺が言うのも何だけど、その態度の方が普通かもしれない。俺の容姿と言えば、髪の色は銀色に近いグレーで、肩につくぐらいの髪、眉毛は細くて耳と鼻と唇にピアスがついている。耳にいたっては自分でもいくつ穴を開けたか忘れるぐらいだ。人を睨むことが常になってきたからきっと目つきも悪い。最近の大人から見たら確実に“関わらない方がいい”タイプだと思う。服装も裾はボロボロで膝に穴の開いたぼろきれみたいなジーンズ、少々大きめのよれっとした何ともいえない柄のTシャツ。ジャラジャラとそんなに必要ないだろ、と言われそうなぐらい身につけたアクセサリー。
…何で自分で自分を分析してんだろう。意外にも自分は冷静なんだなと思う。

「じゃあ、おまえ先に行ってろよ。もう場所は分かったから。俺もすぐ行くし」
「そんな一人じゃ危ないじゃないですか。何かあったら大変ですし…っ」
「…なぁ、用があるなら早くしてくんない?」俺が口を挟むと途端にビクついてもう一人の男はヒゲの男の後ろに下がった。でかい図体しているくせに臆病らしい。ちょっと面白い。からかいたくなるタイプの人間だ。
「ああ、ごめんごめん。いやね、君には迷惑かもしれないんだけど怪我が気になって」ヒゲの男は俺の右手を指差す。
「…え?」驚いた。自分でも気付いていなかった怪我に、この男は気付いていたのだ。いつだろうか。
「何で…怪我してるって……」
「ん?さっき君がビールケース蹴った場所にね、血がついてる破片があったんだよ。道路にも点々と落ちてたし。血の量からしてそこまで重傷じゃないとは思ったんだけど、病院に行きそうもないから心配になってね。血はもう止まった?」
何とお人好しな男なんだろう。それともただのバカなのか。見ず知らずの、しかも今時の関わったら何をされるか分からないような風貌(自分でいうのも何だけど)の若者が負った怪我の心配をするなんて。そんなことして何か得なことあるのか?治療費を払ってくれるんなら俺は得するけど、この男は何一つ得なんてないはずだ。非行少年を保護して更生させる、なんて仕事をして金でももらっているのなら話は別だけど。

「…俺の心配して何か得なことでもあんの?」俺の問いかけにヒゲの男はきょとんとした。きっとそんなこと聞かれると思ってなかったんだろう。つまり損得なんて何も考えてないってことか。
「得なことがなきゃ、俺みたいなのに声なんてかけないと思うけど。きっとそっちの人はそう思ってんじゃねぇ?」ヒゲ男の後ろでビクついている男を指差した。案の定さらにビクついている。ほんと、からかいがいのある奴だな。
「得かぁ…そこまで考えてなかったなぁ。とにかく怪我が気になって仕方なかったからね」
お人好しなバカってことで決定だな。俺の周りにはいなかったタイプだ。
俺の周りには、損得を考えるやつしかいない。親も含めて。
自分が損するはめになる人間は、すっぱり切り捨てるんだ。
でも…。
俺はお人好しでバカなこの男が、少し羨ましかった。俺も昔はお人好しで損得なんて考えてなかった。目の前にあるものを素直に見て、素直に笑ったり泣いたり。その頃の自分がきっとこんなだったんだろうと思う。
この男は、ずっとそうやって過ごしてきてるんだろう。それが少し、いや、少しどころかものすごく羨ましかった。

どうして俺はこんな風になってしまったのか。正直自分でもよく分からない。周りの環境、理由を一つ挙げろと言われれば、それぐらいしか思い当たらない。
もちろん自分の内面にも問題はあるだろうが、一番の原因を作ったのは親や周りの人間たちだ。親があんな世間体だけを気にするような人間でなければ、俺は途中で改心している。

この男が俺の親だったら、たとえ高校を中退してもこんな風にはなっていない気がする。
自分の親みたいに目を逸らさない。対等な人間として見てくれている。
久し振りに自分が人間であることを実感できた気がした。

ふと期待する気持ちが生まれていることに気付く。
―この人なら俺を分かってくれるかもしれない―

…いや、待て。何を…。俺は何を考えてるんだ。
たかが知らない人間が怪我の心配をしてくれただけ。それが本心なのかどうかも実際のところ分からないじゃないか。口では損得なんて…って言ってるけど、本当は何か裏で企んでいるかもしれない。
悪の組織の人間で、人身売買とか麻薬とか、そんな組織の人間かもしれないじゃないか。
そういう人間は嘘がうまいんだ。目だって嘘がつけるかもしれない。それに目だけで善悪の判断なんてできるもんじゃない。
頭の中はやや混乱し始めた。全部この男のせいだ。

「おーい、大丈夫か?」ヒゲ男が心配そうに…いや、心配そうなフリをして俺に聞いた。
「あ、あんたに関係ねぇだろ!誰も心配してくれなんて頼んでねぇんだ、ほっとけよ!」
「うん、まぁ関係ないんだけどさ。…でもこんな時間に一人でいるからそれも心配で…」
「だから関係ねぇって言ってんだろ!だいたいなぁ!」俺はヒゲ男を指差して睨んでやった。俺が睨んでちょっとまくし立てれば逃げ出すに決まってる。
頼むから俺を混乱させないでくれ!
が、
「あっ!」と突然、ヒゲ男は俺の次の言葉も待たずに自分に向けられた俺の手を掴んだ。
「なっ…何すんだよ!」こっちは今にも殴りかかりそうな剣幕なのに、男は何だかやたらと嬉しそうな顔をしている。何なんだ一体!
「君!」
「だから何なんだよ!離せよっ!」
「君、ギター弾くんだ?」
男の言葉はあまりにも意外で、そしてあまりにも唐突だった。今までの会話のどこに“ギター”なる言葉が繋がるのか。
この男とは会ったこともない。こんな男、ライブハウスで見たこともない。
「……」俺が何も言えずポカンとしていると、男は相変わらず嬉しそうな顔をして、
「…あ、当たった?」と言った。ハッとして男の手を振り解く。
「…な、何で突然ギターが出てくんだよ!訳の分かんねぇこと言ってんじゃねぇよ!だいたいなぁ、あんた一体何者なんだよ!」
確かに俺はバンドでギターを弾いていた。担当はエレキだったけど、本当はアコギが一番好きだ。人間関係が嫌になってバンドはやめたけど、歌は今でも好きなことに変わりはない。本当は続けたかった。でも周りが、自分の未熟さがそうさせてはくれない。人間関係に上手く順応できない俺が、バンドなんて組んでいられるはずがなかったんだ。
ファンはいた。突然解散したことをひどく残念がっていることは知っている。本当は俺だって解散なんてしたくなかったさ。いつかはプロになれるかもしれない、そう自分も思っていたから。
全部自分が未熟なせい。何にも縛られない自由を求めているせい。だけど人にせいにして現実から逃げ続けている。周りや親のせいにして。

何でこの男は俺を現実に引き戻すようなことばかり口にするのだろう。
だっておかしいだろ?初対面の人間が自分が押し込めている隠された部分に、こんなにも気付いて入り込んでくるなんて。

「俺?…俺もね、バンドやってるんだよ。君のような指してるんだ、メンバーのやつがね。だからギターやってんだなぁと思って。アコギ?それともエレキかな?」
何で?どうして?そう混乱している間にも、ヒゲ男は楽しそうに俺に尋ねる。
ヒゲ男は羨ましいぐらい嬉しそうな笑顔だ。
自分の凍った心に男の声と笑顔がやけに沁み入るのはどうしてだろう。
そういえば…俺は、いつから笑ってない…?
「エレキ…」口が勝手に動いた。
「エレキか〜すごいよなぁ、6本弦が弾けるなんてさぁ。俺はね、4本まで。ベースしか弾けないよ」
男が俺に笑いかける。
偽りのない目。裏の組織とか人身売買とか、疑うところなんてどこにも見当たらなかった。
これでこの男がそんな人間だったら、世界中の人間が信じられなくなるだろう。
「それに必要に迫られてベースやりはじめた人間なんだよ。本当はね、ドラムやりたくて貯金してたんだけどメンバーに“ベースやれ”って言われてベースになっちゃってねぇ。きっと君はギターが好きで始めたんでしょ?いいよねぇ。バンドとかやってるんだ?」

何でこんなにヒゲ男の声が心地いいんだろう。
おっさんだぞ?おっさん。
きっと俺の親父と同年代だ。
親父の声を聞いたって心地よくなんてなったこともない。
親父の声はいつだって荒々しくてそれでいて愛情の欠片も感じられない冷たい声だ。
聞くたびに嫌気がさす。
母親の声はいつだって怯えている。俺に暴力を振るわれるんじゃないかとビクビクして、最近はまともに声もかけてこない。

家に帰っても、俺は家族と一言も口をきかない。
もちろん外に出ても話す相手なんていない。
いつだってどこにいたって俺に話し掛けてくれるやつなんていなかった。

ああ…そうか。だからか。
ようやく俺は気付いた。
男の笑顔や声がやけに心地いい理由(わけ)。

そう。
この人は、数ヶ月ぶりに普通に話し掛けてくれた人なんだ。
そして、それだけじゃない。
この人は、俺の姿を、存在をその目に映してくれて、俺から目もそらさずにいてくれて、普通に話し掛けてくれている。親さえも目を逸らすような俺に。
見ず知らずの不良少年なのに。
声をかけたって得もないのに。

「…君?……どうした?傷が痛むのか?」俯いた俺に心配そうにヒゲ男が声をかけてくる。
もちろん傷が痛んだわけじゃない。ただ…不覚にも泣きそうなほど嬉しかったから。
こんな人を待ってたわけじゃない。でも心のどこかで待っていたのかもしれない。
こうやって俺を普通の人間として見てくれる人を。
だからこんなに、たかがこれだけのことに涙が出そうになっているんだろう。

普通に声を掛けてくれた、たったそれだけで泣きそうになってしまうほど、俺は誰かを求めていたのだろうか。自分ではよく…分からない。

「ははは…。…ったく。あんた変わってんなぁ」俯いたまま、男に言った。自分でも声のトーンが幾分上がっているのが分かる。顔を上げると、男はまたきょとんとして、
「…そう?」と首を傾げた。
「見知らぬ人間の怪我を心配してさ、次は突然指見て“ギター”って。その前に俺には関わらないようにすんのが普通だろ?自分で言うのも何だけどさ、俺どう見ても“今時の何するか分からない若者”だろ?ほら、隣の人はそう思ってる。それが正しいんだよ」ヒゲ男の影でこっそり頷いた連れの男を目ざとく指差した。またビクついてやんの。
「そうやってさ、今時の若者に誰彼声かけてると、そのうち痛い目見るぜ。俺はあいにく人を殴ったり蹴ったりするのは好きじゃないから助かっただけだ」
「そうかな。そりゃ、最近の若い子は何するか分からなくて怖いって子もいるけど、君は違うでしょ」
「一緒だよ」
「そう?…違うと思うなぁ……」
「…どこが?」
「どこ…と言われて“ここが”と正直ズバリと言えるところはないんだけど、何て言うか雰囲気というか…目…そう、目が違うかな」
「…目?」
「うん、目かな。…どうにも表現し難いけどね。何だか目が違うような気がする」
「…ふ〜ん、目ねぇ…」目が違う、と言われても俺自身違いが分かりそうもない。こういうお人好しにしか分からないような違いなのかもしれない。

「で、あんたバンドやってんだ?何弾いてるって言ったっけ?」
何だか開き直っている自分がいる。こんな風に人に尋ねるのも久し振りだ。なかなかないだろうこの機会を楽しみたいと正直俺は思った。
「ん?ベース」
「弾くだけ?歌は?」
「歌も一応やるよ。他のメンバーもギター弾きながらリードボーカルとるしね」
「へぇ…でもどんな音楽やってんの?フォーク?まさかロックはないよな、その歳で」
「失礼だなぁ。音楽に歳は関係ないよ…ってあいつが言いそうな台詞だな。これでもロックバンドです」
「え?おっさんロックやってんの!?すげぇ!」
俺のその言葉を聞いて、それまでヒゲ男の後ろに隠れていた連れが慌てたように、しかし怯えながら、
「き、ききき君っ“おっさん”は失礼だよっ!そ、そこら辺のアマチュアバンドの人じゃないんだからねっ」と小さく吠えた。
「あ?…アマチュアじゃ……ない?」それって…つまりは…アマチュアの逆ってことで…
俺が呆けてヒゲ男を見ると、かなりばつの悪そうな顔をしていた。
「おい、川原、別にそんなこと言わなくたっていいだろう?」少々強い口調でヒゲ男が連れを嗜める。
「でも失礼じゃないですか…っ!天下の−」
「いつ天下取ったよ。今、俺は普通のおっさんとしてここにいるんだよ。サングラスしてないだろ?素なんだから。そういう時は俺が誰、だなんてのは教えなくていいの」…テンカ?サングラス?
「いや、でも…」
「“でも”も“へちま”も“ひょうたん”もない!」
「桜井さん、“ひょうたん”は元々ないで…」
「うるさい。だいたいここを歩くはめになったのは誰のせいだ?」…サクライ…サン?
「そ、それは…僕の…」
「そう、おまえが道に迷ったからだろうが。幸い棚瀬に連絡がついてこの商店街抜ければ行けるって分かったからよかったものを、もし分からなかったらどうするつもりだったんだよ。だいたいおまえは棚瀬に頼りすぎなんだよ。どうせ一緒に移動すると思ってたんだろ?」
「…はぁ、ごもっともです……」
「初めて行くスタジオの場所くらい、頭に入れとけよな」
「はい…すみません…」…スタジオ…?
「そんなんだから高見沢に怒られるんだよ。その怒りのとばっちりが俺にくるってこともそろそろ分かってくれよな」タカミザワ…?…え?

「ちょ!ちょ、ちょっと待てよ!」ようやく俺は二人の会話に割り込んだ。二人が俺を見る。何だか俺の存在を忘れていたかのような顔だ。
「…アマチュアじゃなくて…天下で…」
「いや、天下ってほどのものじゃ−」ヒゲ男の眉間にしわが寄る。
「それに“タカミザワ”って……あんた“サクライ”って…サングラスって……」
俺はヒゲ男を見上げて、もやもやっと想像で目元にサングラスをおいてみた。
「…ああっ!」見覚えのある姿。もちろん髪型や服装は全然違うけれど、そのヒゲは…。そうだ、何で気付かなかったんだ!
ヒゲ男は“あちゃ〜”と言わんばかりの顔になった。
「あんたっ!アル」
「しーーーーーーっ」指差して叫んだ俺にヒゲ男は慌てて人差し指を立てた。
「まだ夜明け前なんだし、そんなに叫ばないでくれよ」
「あ、桜井…ベースの…」放心状態の俺は、ヒゲ男…いや、桜井…サンにくぎ付け状態だ。
「そんな珍獣見るような目で見ないでよ」
「いや、珍獣みたいなものですよ」
「川原くーん?…誰のせいでこうなったんでしょうねぇっ」
「え、僕は別に何も…」
「何言ってんだよ。おまえが“アマチュアじゃない”だとか“天下”だとか言うからだろっ」
「桜井さんだって高見沢さんの名前口にしたじゃないですか」
「それはおまえが−」
「あのっ!!」ようやく我に返った俺は、興奮気味に立ち上がった。目の前に、いるなんて。
「おっ…どうした突然立ち上がって」俺と向かい合って会話をしている、なんて。
「俺っすんません!」とにかく今までしたことがないくらい深々と頭を下げた。
「え?何が?」またきょとんとした声。
「だって俺、桜井サンに向かって“おっさん”って…」
「おっさんはおっさんだから仕方ないでしょ。きっと君のお父さんと似たような歳だろうしね。下手すりゃ俺のが上だったりしてなぁ」
「でも、やっぱ俺失礼な−」
「な〜に言ってんの。さっきまでのガン飛ばしはどこ行ったんだよ。最近の若者は危ないんじゃなかったっけ?」ニカッと歯を見せて桜井サンは笑った。テレビとはちょっと雰囲気が違う気がした。何だか少年みたい。
「いいよ、普通に喋ってくれて。偉い人間じゃないんだから。でも、君みたいな若い子がよく俺だって分かったね。あ、高見沢って名前を聞けばだいたい察しはつくか」

確かに俺ぐらいの奴らに彼らを知っているやつはあまりいない。彼らの曲が流行ったのは、俺が生まれた頃だ。桜井サンが疑問に思うのも当然だろう。
「俺、好きなんだ、桜井サンの歌。だから分かったんだ!」いつになく俺の声は弾んでいた。自分でも笑っちゃうほどだ。
「え?そうなの?…ご両親の影響とか?」両親、と聞いて少々不愉快になったが、事実その通りだった。小さい頃から親が聞いていたのは彼らの音楽なのだ。
その影響で俺は小さい頃から聞いていた。
ギターを始めたのも、バンドを始めたのも彼らのようになりたかったから。
「…そう、ガキの頃から母親が聴いてた」
「何言ってんの。まだガキでしょ!」桜井サンの言葉に、そうだった、と素直に思った。そう、俺はまだ17歳。桜井サンから見れば立派なガキだ。
「う、うん、そうなんだけどさ」何だか照れくさくなってポリポリと頭を掻いた。
「そうかぁ、嬉しいなぁ。あ、じゃあ高見沢のエレキが好きなんだ?エレキやってんだもんな」
「それも好きだけど、俺、アコギが一番好きなんだ。こんなナリだけど。だからギターは坂崎サン尊敬してんだ。テレビ見て、あんな風に弾きたいなぁって」
「じゃあ坂崎のファンってことだな」
「坂崎サンも好きだけど、俺が一番好きなのは桜井サンの歌だよ。桜井サンみたいに歌いたいと思ってバンド始めたんだから」
不思議な気分だ。人を見下したような、今までの汚い言葉が嘘のように消えている。さっきまでどう喋っていたのか、正直分からなくなった。
まるで、素直に生きていた頃のような…。でもそれはただ、今この時期(とき)だけ。きっと明日になったらまたさっきまでの俺に戻るんだろうけど、憧れの桜井サンの前だけは、昔の俺でいたい、純粋にそう思った。

「またまた、お世辞が上手いね、君は。あ、まだ名前聞いてなかったね。俺は知っての通り桜井。君は?」
「俺の…名前…?ええと…」言いにくかった。憧れの人と出会った今の俺は、堂々と名乗れるようななりじゃない。今の俺を桜井サンの記憶に留めてほしくないような…。
「言いたくないなら無理に言わなくていいよ。何て呼んだらいい?…ほら、“君”じゃ話をするのに失礼だから」また俺の気持ちを見透かしたように桜井サンが言う。
「…言いたくないっていうか言いにくいんだ。ほら、俺こんなだろ?だから−タケシ、タケシでいいよ」
「分かった。タケシくんだな」桜井サンは笑顔で俺の名前を口にした。すごい嬉しかった。

「さ、桜井さん、そろそろスタジオへ…」おどおどと連れの男が桜井サンに声を掛ける。するとこの人はマネージャーか。
桜井サンはこれから仕事らしい。歌手というのは、こんな時間から仕事をするのか、とやたらと感心している俺がいた。たぶん、その日によって仕事の時間はマチマチなんだろうが、こんな夜明け前に大変だな、とガキみたいなことを思った。…実際まだ大人たちから見れば立派なガキ、なんだけど。
夢のような時間はあっという間に終わるもんなんだな、と心の中でしみじみ思う。憧れの人と喋るなんて、普通はないに等しい。こうして会って話しただけでも奇跡だ。

でも、俺自身はもっと話を聞きたい、聞いてもらいたいと思った。実際に憧れの人に会うと、願望が膨らんでしまうらしい。
それに桜井サンになら今の俺をそのまま受け入れて俺の叫びを聞いてくれるような気がしたから。が、さんざんひどい事を言った自分にそんなことを言う権利はない。俺は密かに落胆した。

マネージャーと思わしき臆病な男に言われて桜井サンは腕時計を見ている。そんな様子を眺めていた俺だったが、ふと、桜井サンが俺を見た。俺のことを気にしてくれているみたいだ。何だかドキドキする。
「まだ早いじゃん」桜井サンはそう返した。何時からやるのかもちろん俺は知らないが、どうやらまだ時間があるらしい。
「そうですけど…」
「おまえ先行ってて。まだ早いし。どうせ二人が来てからしか始められないんだろ?」
「ええ、まぁ、そうなんですけど…」
「その時間になったら行くから」
「は、はぁ…。あの…でも…」不安そうに桜井サンと俺を交互に見やった。きっとこの人は、俺が何かしないか心配で仕方がないのだ。
「この人、マネージャー?」桜井サンに聞いた。
「そう。目的地を忘れるダメなマネージャー」
「そんな言い方しなくても…」やや半べそになっている。
「あのさ」半べそマネージャーに声を掛けると、またビクッとして逃げ腰になった。
「俺、桜井サンには何も悪いことしないから。そんなビクビクしなくていいよ。あんたにも何もしないし。悪かったな、怯えさせて」素直にそんな言葉を口にしている自分に驚いた。マネージャーも少々驚いたようだ。俺からそんな言葉が出てくるとは彼も思っていなかったんだろう。
「ははは、怯えてたのはこいつが臆病すぎるからだよ。でかい図体してんのになぁ」
「どうせ臆病ですよ…。分かりました、じゃあ先に行きます。時間前には来て下さいよ?」
「分かってるって。高見沢じゃあるまいし」
「遅れないで下さいね!」
「だから分かってるっての!」何度も念押ししながらマネージャーは公園を出て行った。

「高見沢サンは遅刻の常習犯なんだ?」
「ん?そうそう。あいつに時計は必要ない。時計好きって言ってるけどね、動いてなくてもいいの」桜井サンはそう答えると、俺が座るゾウの向かいにある若干座りにくそうなリスに腰を下ろした。
「時計の意味ないじゃん!」
「そう。きっと止まっててもあいつは気付かないよ」
「ひどい言われようだね。高見沢サンと仲悪いの?」
「…仲?仲は悪くないよ。別段良くもないと思うけど。周りからは仲良いね、ってよく言われるけど、本人たちは“そうでもない”と思ってるけどね」
「それって仲良いってことじゃないの?仲良くなきゃこんなに長い期間バンドなんてやってられないよ。もしくは三人ともメンバーのこと全然気にしない性格とか」そうだよ、そうじゃなきゃ何十年も同じメンバーでバンドなんて組めやしない。同じようにギターが好きで、歌が好きでも、いつかは一緒にいることが苦痛になる。
「ん〜全然気にしないわけじゃないんだけど、何て言うのかなぁ…三人がそれぞれ他の二人を認めてるっていうのかな。自分に敵わない何かが二人にはあるし、二人も自分には敵わない何かが俺にあると思ってくれてる…と思う。これはもしかしたら俺だけが思ってることかもしれないけどね」照れくさそうに桜井サンはそう言った。
「いいね、そういうの。俺、ダメなんだよなぁ…」
「ダメ?何が?…あ、バンドのメンバーとうまくいってない?」
「うまくいかなくなって辞めたんだ。本当は続けたかった…んだけどね」
「…それだけ、メンバー全員に個性があったってことじゃないかな。タケシくんも含めて、ね。俺たちなんて“こうあるべきだ!”なんてのがないから、いつまで経っても方向性が定まんないんだよねぇ」
「でもうまくいってるならいいよ。それが三人のスタイルなんでしょ?」
「お、いいこと言うねぇ。…まぁ、そうかな。だからこそこんなに長く一緒にやってきてるのかもしれないな。もう居るのが当たり前になっちゃってるくらいだから」
「……」居るのが当たり前、なんて言葉を素直に口にできる桜井サンがとてもうらやましかった。
俺だって本当はそんな仲間が欲しい。ずっと一緒に歌を歌える仲間に会いたい。

「…そうか、タケシくんはバンド辞めちゃったのか」
「うん…」
「それで?」
「…え?」桜井サンの問いかけの意味が分からなかった。何が“それで?”何だろう。
その問いかけに首を傾げていると、桜井サンは言った。
「…何か、話したいことがあるんじゃないの?」
「……ど、どうしてそう思うの?」
「…誰かに話を聞いてほしそうな、そんな顔してる」
「……何で…」
「ん?」
「何で…桜井サンには分かるんだろう」
「何がだい?」
「俺の気持ちっていうか、悩みっていうか…今まで誰も気付いてもくれなかったんだ。親も友達も誰も。血の繋がった親でさえ気付いてくれないのに…」
「…他人だから、かもしれないね」
「え?」
「他人だからこそ、気付いてあげられることも中にはあると思うよ。…ほら、何の先入観もないでしょ?タケシくんっていう人物がどういう性格の子で、こんな考えを持っている、だなんて情報、俺は持ってないもん。なまじ身内や友達は昔の君を知ってるから、そんな先入観にとらわれて今の君をしっかり見ることができないのかもしれない…なんてね、俺はそう思うな」
「…そういう考え方もあるんだ。桜井サン、すごいね。格好いいよ」
「ええっ?そう?いやぁ〜はははっ」
こんな風に桜井サンと話してる俺もすごいね。本当に。
俺は心から笑った。
   ・
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   ・
俺のことを見つけてくれたのは、俺の憧れの人だった。

桜井サンはその時、俺のつまらない話を真剣に聞いてくれた。学校のこと、親のこと、バンドのこと。俺は誰にも話したことのない自分の気持ちを初めて口にした。
自分自身も、その言葉を自分の声で聞くのは初めてだった。
初めて言葉となって出てきた俺の気持ち。自分でも驚くぐらい、溜め込んでいたらしい。

本当は、ずっと心のどこかで待っていたんだ。
誰かが俺を見つけてくれるって。
でもそんな弱いところを誰にも見せたくなかった。
ずっとずっと強がって、自分を隠してきたんだ。

でもあの日、目の前にいたのは、俺が待っていた人そのものだった。
気持ちを隠すことも、嘘をつくことも必要ないと思った。
俺は自分の言葉で、必死に抑えてきた気持ちを話した。
桜井サンは最後まで目もそらさずに聞いてくれた。

「自分から自分の気持ちを話すのも、一つの勇気だよ」
桜井サンが最後にそう言った。
その頃の俺に何より必要だったのは勇気。桜井サンは何でもお見通しだった。
心にふたをして、今時という姿のカラをかぶって、ただ必死に自分を守ってきた俺。
俺はようやく、ただ自分自身を守っているだけではダメなんだと気づいた。
壊れることを恐れてはいけない。
壊さないように、壊れないように隠れていてもいけない。
「親であっても違う人間。口にしないと伝わらない気持ちっていっぱいあると思うよ。自分の言葉で今みたいに伝えてごらん。きっと伝わるから」
桜井サンの言葉と笑顔は、一歩ずつ踏み出す勇気を、俺に与えてくれた。

あの日、自宅に戻った俺は、初めて気づいたことがある。
いつもは父親が仕事に出掛けてから家に戻るようにしていた俺。でもあの日はいつもより早く帰った。
そこで見たものは、電気のついていないリビングのソファに座る両親の姿。テーブルの上にポツンと置いてある、昨夜の夕飯と思われる料理一人分。
知らなかった。
両親が俺の帰りを毎日朝まで待っているなんて、知らなかった。
毎日俺の分も夕飯を作っているなんて、知りもしなかった。
二人も俺と同じだったんだ。
自分と同じように苦しんでいたんだ。
必死に自分だけを守っていた俺のように。

それでも二人は、俺を待っていてくれたんだ。
苦しいのに。
毎日、毎日。
誰が分かってくれないって?
違うじゃないか。
分かろうとしてくれているのに、俺が逃げていただけじゃないか。

みんな、俺を待ってくれてるじゃないか。

「ただいま。……ごめん。………ごめん。父さん、母さん」
その日俺は、泣いた。
両親もまた、泣いていた。
それは悲しみの涙なんかじゃなくて、とても温かい涙だった。

その日から俺の中で、何かが変わった。
桜井サンに話したことを、両親にも話した。二人も桜井サンと同じように、真剣な顔で聞いてくれた。
俺はそれだけですごく嬉しかった。
そして、もう一度高校へ行くことにした。昼間はバイトをして、夜学校へ。両親は学費をもつと言ってくれたけど、学費は自分で払いたくて断った。これだけは甘えてはいけないと思ったから。
正直、勉強は苦手だ。得意なものは何一つない。卒業できたのが、今でも信じられない。
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
そして現在(いま)。
俺は念願のミュージシャンになった。
学校で同じクラスだったやつらとバンドを組み、それが地元で意外にも人気になり、とんとん拍子にデビューが決まった。
もちろん最初から全国的に売れたわけじゃないけれど、地元のファンがいつも応援してくれたおかげで徐々に人気も出てきたらしい。
自分にもようやく自信がついてきた。仲間ともうまくいってる。
この世界に、桜井サンと同じ世界にいることで、それもまた自信の一つに繋がっていると思う。
少しでも長く、ここにいたい。
歌を歌いたい。


そんなある日、マネージャーに呼び出されて事務所に行くと、メンバーも全員来ていた。
「あれ、みんなも呼ばれたんだ?」
「そうなんだよ〜何かあったんかなぁ」メンバーそれぞれ不安そうに俺を見る。
何だろう。俺も呼び出された理由がまったく分からない。
しばらくすると、マネージャーが部屋へやってきた。やぁ!と言ったマネージャーの顔があまりに笑顔だから逆に怖い。
「ど、どうしたんすか?何かあったんすか?全員集めるなんて…」
「まぁまぁ、タケシ。みんなも聞いてくれ。…みんなを集めたのは他でもない。すごいニュースがあるんだよ」
「…ああもう!もったいぶらないで早く言ってくださいよっ!」耐え切れずにメンバーの一人が訴えた。俺もできれば早く言ってほしい。こういう心理状態は身体に良くない。
「分かった分かった。いいか?よーく聞けよ?」
「……」全員息を呑んだ。
「なんと…」
「…なんと?」
「テレビ出演が決まりましたー!!」
「えええええっっっっ?!!」
「マジですかっ!?」
「な、何で!?」
「何の番組!?」
「歌番組!?」
「はいはい、聞きたいのは分かるけど一度に聞かないでくれよ!それにタケシ!」
「は、はいっ」
「何だ今の質問は。“歌番組?”って聞くなよ」
「いや、だって、その…昔そういう話聞いたから…」もちろんそれは桜井サンからだ。色んな番組に出たと面白おかしく教えてくれた。
「安心しろ。ちゃんとした歌番組だ。それにな、生放送だから」
「…な、なななな生放送!?」
「そう。みんなもよく知ってる番組だ。他にも色んなアーティストが出演する。とにかく君たちは新人だ。一番下。いつも言ってるが、先輩方には何より挨拶をしっかりしろよ?」
「は、ははははいっ」
「当日は出演前に他の出演者の方々の楽屋回って挨拶するからな。それにこの前出したファーストアルバムを一枚ずつ渡すことになったから、ちゃんと挨拶して覚えてもらうんだ。いつどんなことが次に繋がるか分からないんだからな。話はそれだけだ。これ、収録日と出演者のリスト。今日から新曲の練習いつも以上にしっかりやれよ!」
「はいっ!!」
夢みたいな話だった。案の定メンバー全員、放心状態だ。
エレキ担当のメンバーがマネージャーに渡されたリストを持ったまま固まっている。
徐々にみんなが騒ぎ出した。
「す、すごいな…俺たちがテレビに出るんだぜ?…しかも生!」
「な、なぁ衣装はどうすんだろう?」
「司会と喋るんだろ?きっと新人の〜って紹介されるんだろ?どうする?誰が喋るんだよ?」
「え、しゃ、喋るのはやっぱりリーダーだろ?タケシが喋ればいいんじゃないか?」
「え、俺!?」突然名前を出されて我に返った。
「だってリーダーはそういう時に喋るもんだろ。ライブハウスでやってる時みたいに好き勝手喋るわけにもいかないし」
「そ、そうか…俺が喋るのか…どうしよう…」心臓が口から出そうだ。
「そ、そうだ。それで誰が出るんだよ?」ドラム担当のメンバーがリストを手に取る。
「うわ〜すごい人ばっかじゃん!と、隣に座ることになったら俺どうしよう!…あ!!タ、タケシ!!」
「…え?」
「こ、これ見ろよ!ほらっ!」差し出されたリストを見た。確かにすごいメンバーが勢ぞろいだ。どのアーティストたちもCDを出せば上位確実な人たちばかり。新人は俺たちだけらしい。
はたして俺たちがその場にいていいものか、と不安になった時、あるアーティスト名を見て固まった。
「……え?」
嘘…だろう?
「な?タケシ、おまえ夢叶うじゃん!やったな!」
このリスト、印刷ミスってことはないのか?
「ほんとだ!すごいじゃんタケシ!」
これは現実?夢じゃないのか?
「ほうけてるなよ〜!喜べよ!!」
「…これは夢、じゃないよな?」
「そうだよ!現実だ!!」
「会えるんだよ!憧れのあの人たちに!!」

同じステージで。
同じアーティストとして。
ずっとその日を夢見てきた。
あの日からずっと。

桜井サンと同じステージに立てるんだ。


―生放送当日―

俺たちはどのアーティストたちよりも早く楽屋入りした。用意されているお茶を飲む余裕もない。
マネージャーも落ち着きがなく、さっきから楽屋の前で右往左往している。
メンバーも俺も、楽器の手入れをしてはいるがどうも集中できない。何かを間違えそうでどうしようもないほど不安になる。
しばらくして、
「みんな!」とマネージャーがドアを開けて顔を出した。目が血走っている。
「徐々に他の出演者の方々が到着しているようだから、挨拶に行くぞ。アルバム持って!」
「はっははははいっ!」ぎこちなく全員立ち上がった。
「落ち着けっ!ととととととにかく落ち着け!それぞれのマネージャーさんに話を通してから挨拶させてもらうから、まままままずは俺についてこいっ」マネージャーも相当緊張しているらしい。
当然だ。マネージャーも初めての体験なのだから。

ぞろぞろと出演者たちの楽屋の前を歩く。楽屋のドアに貼ってある名前が、余計に俺を緊張させる。途中、桜井サンのバンドの名前を見つけた。まだ、到着していないようだった。何故かホッとする。まだ心の準備ができていないからかもしれない。
他のメンバーは誰も喋らない。無言で俺についてくる。こんなんで大丈夫か、と思わずにはいられなかったが、正直自分も声を発することができないでいる。無事今日のテレビ出演が終われるのかも自信がない。

すでに到着しているアーティストが数名いて、挨拶に快く顔を出してくれた。
「新人かぁ、初々しいね。頑張れよ」
「生放送、頑張ってね」
結構みんな優しく声をかけてくれた。そのお陰で俺たちの緊張も少しずつほぐれてきたように思う。中にはつっけんどんな人もいたが、とにかく俺たちは丁寧に挨拶を繰り返した。
「…よし、これでほぼ終わったな。あとは到着され次第、楽屋に伺おう。とりあえず楽屋に戻るぞ」マネージャーに言われて自分たちの楽屋に向かう。途中、楽屋入りするアーティストたちに出会い、通路で挨拶をするはめになったりした。何が起こるか分からないからドキドキする。
桜井サンのバンドはまだのようだった。
(高見沢サンが遅れてたりして…)密かにそう思った。

リハーサルに呼ばれ、あれやこれやと指示を受ける。歌も一回歌ってOKが出た。
「何か結構簡単に終わったな」メンバーの一人が呟くと、マネージャーが言う。
「新人にそんなに時間を使ってくれないんだよ。なのに本番で何か失敗すると一番怒られるんだ。気をつけろよ?」
ぶわっと嫌な汗が出た。
「…あっ!」楽屋に戻る途中、マネージャーが突然前を見て叫んだ。誰かを呼び止める。
振り向いたスーツの男は、にこやかにマネージャーに頭を下げてから俺たちを見た。
「あ、今日出演される新人さんですね。聞いてます。初々しいですねぇ」
「はじめまして!今日はよろしくお願いします!」俺は礼儀正しく一礼した。もう何度と頭を下げているからだいぶ慣れた。誰に頭を下げたかは…正直覚えていないけど。
「よろしくお願いします」ニコニコとスーツの男は俺たちに向かって会釈した。
「もう、メンバーはおそろいですか?」うちのマネージャーが尋ねると、ええ、とスーツの男は頷いた。
「一人遅れてたんですけどね、さっき揃いました。リハは最後なので、今なら時間ありますよ。行きますか?」
「そうですか。ではぜひ、お願いします!ほら!みんな!行くよ!」
「は、はい!」
マネージャーについて金魚のフンみたいに通路を歩く。
あと何回このドキドキを繰り返せばいいのだろうか。

「はい、ここです。じゃあ呼びますね」コンコン、とスーツの男がノックしてドアを開けた。
ドアの横に掲げられている名前を見て、最高潮に鼓動が高鳴った。
(…さ、ささささ桜井サンのバンドだ…っっ)
では一人遅れてたというのは、高見沢サンだろうか…いや、今はそんなことを考えている余裕などない。手足が震えてきた。心の準備ができていないまま、ここに連れてきたマネージャーを恨みたくなる。
「ほいほい、新人くんだって?」ひょいっとドアから顔を出したのはギターで尊敬する坂崎サンだった。背筋が伸びる。
「は、はいっはじめまして!今日−」
「ああ、そんなとこから遠慮がちにしなくていいよ〜。入って入って。その方が一度で済むでしょ?他のメンバーにも顔見せてやってよ」ニコニコしながら坂崎サンは俺たちを手招きした。
(な、なななな中に入れっていうのか?そ、そんなの無理だよ…っ)焦ってマネージャーを見た。
「坂崎さんがそうおっしゃっているんだ。みんなっここまで来なさいっ」
…マジかよ。
「タ、タケシ、リーダーだろっ先に入れよっ」後ろからメンバーたちが背中を押してきた。
「お…おいっ」まだ心の準備が…
「タケシ!早く!みなさん時間を割いてくださってるんだ。もたもたしない!」
心の準備など、誰も待ってくれそうになかった。
どうにかこの場を乗り越えなければならない。そうだ、俺がリーダーなんだからしっかりしなきゃ。
荒い呼吸を整え、意を決して、他のメンバーたちを従えて楽屋に一歩足を踏み入れた。
「し、失礼します!!」
「お、現れたね、新人くん」
「いいね〜俺らにもあったなぁ、こういう時代が」
「懐かしいなぁ…」三人は笑顔で俺たちを迎えてくれた。その中にはもちろん−
(さ、桜井サンだ……っ)全身に一気に汗が噴き出す。
「タケシっ!挨拶っ!」後ろからマネージャーの小さな声がした。
「え、あ、あの、今日番組をご一緒させていただきます!メ、メンバーは5人で、お、僕はアコギとボーカル担当してます、タケシです!よ、よろしくお願いします!!」
「あはは、緊張してるねぇ」
「そりゃ緊張するって。俺らだって緊張しただろ?」
「したした。怖い人とかいたしなぁ」
「ほらっみんなも一言ずつ挨拶してっ」マネージャーからつつかれる。
「え、あっ俺は…じゃないっ僕は−っ」
メンバーが次々に自己紹介していくが、みんなが何を言っているのか耳に入ってこない。自分の動悸で桜井サンたちの声も聞こえない。

桜井サンは俺のことを覚えているのだろうか。
俺があの時のタケシだと、気づいてくれただろうか。
聞きたいこと、言いたいことはいっぱいある。
俺が言いたいのは自己紹介なんかじゃない。
バンドをよろしく、なんてことでもないんだ。
伝えたいことをまだ何も伝えていない。
俺が伝えたいのは、桜井サンに聞きたいのは−

結局、俺は何も言えないまま、聞けないまま、夢のような楽屋訪問は終わった。

どうやって桜井サンたちの楽屋を後にしたのか、よく覚えていない。
メンバーに聞いたら一応、一礼して“ありがとうございました”と言った、らしい。
(情けないなぁ…俺。よっほどあの時の方が言いたいこと言えてたよ。)
でも立場が変わったのだ。ただのファンではない。不良少年でもない。
同じアーティストとして向かい合っていたのだ。
違う意味で、気安く話しかけられなくなってしまった。
少し、悲しくなった。

リハーサルは順調に進んで、今最後の桜井サンたちのリハーサルが行われているらしい。
予定通りのスタジオ入りだとマネージャーは言った。
「頼むから本番前になってトイレ、とか言うなよ」
メンバーはみんな次々にトイレに走った。きっと言わない自信がなかったんだろう。
俺はみんなが戻ってきて、最後にやっぱり行っておこうと楽屋を出た。

今日を逃したら次はいつ桜井サンに再会できるか分からない。
まさか本番中に話しかけるわけにもいかないし。
もう一度だけ、桜井サンと話せる機会がほしかった。
でも、とても叶いそうにない。
まだデビューしてまもないこんな下っ端じゃ、対等に話せるなんて無理なんだ。
それに俺自身がこんなんじゃ、もう一度会ってもきちんと話せない。
自分が人間としてもアーティストとしてもまだまだだってことを思い知らされた。

トイレから出てくると、“お疲れさまでしたー”という声が聞こえてきた。声のした方を見ると、桜井サンたちが楽屋に入るところだった。リハーサルが終わったようだ。
数メートルしか離れていないが、とてもあそこに向かう勇気はなかった。
トボトボと自分の楽屋へ向かう。
「あ!君!」坂崎サンの声がした。振り向くとなんと俺に手を振っている。
「…え、え?」キョロキョロ周りを見渡すが、誰もいない。
坂崎サンは手招きをしているように見える。見間違えでなければ。
坂崎サンの後ろには、桜井サンが立っている。また汗が全身に噴き出る。
とにかく行くしかないようだ。俺以外に、人はいないし俺を呼んでいるとしか思えない。
小走りで向かう。
「ごめんね、呼び止めて」坂崎サンは笑顔で謝った。
「い、いえ、な、何でしょう?」
「え〜と…君は確か新人くんのリーダーだったよね。名前は…」
“タケシです”と言おうと口を開いたら、
「タケシくん、でしょ」と桜井サンが言った。
―ドクンッ―
「ね?…あれ、違った?」桜井サンが不安そうに聞き返す。
「えっあっ…はいっそうですっ!タケシです!」
「桜井すごいね。もう覚えたの。さすがだねぇ…」
「だってさっき自己紹介してくれたばっかりでしょ。坂崎はもう忘れたの?年?」
「うるさいよ。5人もいたから忘れちゃったの!…あ、ごめんね。でね、タケシくん。あのね、これ、さっきメンバーの誰かが落としてないかと思って。ピックがね、うちの楽屋に落ちてて。君たちが帰ってから見つけたからさ。違う?見覚えないかな」坂崎サンから手渡されたピックは、メンバーのものだった。嬉しいような、恥ずかしいような何とも言えない気持ちになった。
「は、はい。メンバーのです!す、すみません!ありがとうございます!」
「そう、よかった。きっと大事なものなんだろうなぁと思ってね。裏にサイン入ってるし」
「…本当だ。あいつ…」大好きなギタリストのサイン入りピックを落とすなんて信じられない。
「緊張しすぎてそのピックのことも忘れちゃってんだろうね」
「は、はい、たぶんそうだと思います。本当にすみません」俺は何度も頭を下げた。
「ううん、持ち主が分かってよかったよ。じゃあ渡しておいてね」
「はい!ありがとうございます!」
「もうすぐ本番だね。頑張って。トイレ行ってきた?」クスクス笑いながら坂崎サンが言う。
「あ、はい。今行ってきました」
「そう。…もう一回くらい行った方がいいかもね」
「経験者は語る?」楽しそうに桜井サンが口を挟む。
「いやーだって初めてでしょ?俺も初めての時はそりゃ緊張したからね」
「何言っての。坂崎はいつだってトイレとお友達でしょ」
「余計なことは言わなくていいのっ!じゃ、じゃあ…ええと…」
「タケシくん」桜井サンに名前を呼ばれると何だかドキドキする。
「ああ、そうそうタケシくん。メンバーによろしく。君たちの曲、楽しみにしてるよ」
「あ、はい。ありがとうございます!僕もみなさんの大ファンなので、演奏と歌、とても楽しみにしています!」
「ありがとう。じゃあね」坂崎サンは手をひらひらさせて楽屋に入っていった。
「頑張れよ〜タケシくん」
「はい!」坂崎サンに続けて桜井サンも楽屋へ入っていく。
パタンとドアが閉まった。


もう十分だ、俺はそう思った。
覚えてくれていなくてもいい。
桜井サンはもう、俺の名前を覚えてくれた。
それだけで、俺はもう十分だ。
もっともっと頑張って、もっともっと上に行こう。
そうすれば、また共演できる日が来る。
いつか追いつける日が来るかもしれない。
もっと胸を張って面と向かって話せるようになったら言おう。
あの時のお礼を。
心からの“ありがとう”を。


メンバーには感謝しなきゃいけない。大事なピックを落としてくれてありがとうって。
本人は気づいてないけど。これから楽屋に戻って渡す時の顔が楽しみだ。

ようやく俺は自分の楽屋に向かうべく歩き出した。何だかさっきより足取りは軽い。
もう本番のことだけを考えなきゃ。生放送なんだから失敗は許されない。
俺はリードボーカルなんだから。

「タケシくん!」
誰かに呼ばれて振り向いた。桜井サンが楽屋から顔を出している。
またメンバーの落し物が見つかったのか。もしそうならリーダーとして恥ずかしすぎる。
桜井サンはキョロキョロと辺りを見渡してから、サングラスを少し下げた。桜井サンの目がちらっと見える。
「…えっ!?」
ギョッとする俺に桜井サンは言った。

「もう、ビールケースは蹴るなよ!」

相変わらずの少年のような笑顔で。



―Fin―


*******あとがき***********************

「BLUE AGE REVOLUTION」でございました。
曲のような激しさはありませんでしたが、いかがでしたでしょうか?
きっとみなさん物語の最後は想像できたんじゃないかと思います。相変わらず物語にひねりを入れるのは下手です(^^;)

最初は桜井さんの視点で書いていました。つまりタケシくんを見つけた桜井さんが…という具合です。途中で、逆の方がこの二人の出会いの印象をより強められるのではと思い、書き直しました。結果自分としては、タケシくんの想いが表現できてよかったかな、と思っています。

不良少年の心理は私には分からないので、どう書いていいものか悩んだのですが、タケシくんのように、自分の居場所や存在価値が分からなくなっていわゆる”不良”になってしまう子が多いんじゃないかなぁと思います。つまり不良全員が悪い子じゃないってことですね。
筋金入りの不良も中にはいますが、そんな子は一握りで、ほとんどの子はタケシくんのように気付いてくれる人を求めているのではないでしょうか。
もちろんこれは私の想像でしかないのですが…。

この物語、予定よりずいぶん長くなってしまいました(^^;)テレビ出演のシーンは短い予定でした。ところがどっこい書き進めていくと何と長いこと。でもタケシくんの緊張感ははずせませんし、最初から桜井さんたちに会ってしまっては面白くないですし。と、つい物書き根性が出てしまいました(笑)
やはり「短編」と言い張るのはそろそろ無理がありますかねぇ(^^;)
ああ、あとがきも長い…っ

みなさんも長い短編小説(笑)お疲れさまでした。読んでいただきありがとうございます(*^^*)

2005.10.15


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