※高見沢さんをイメージして書いています




「Aube−新しい夜明け−」




三日月を見上げたまま、僕はすべてを闇に取り込んでしまいそうな深いため息をついた。
馬鹿馬鹿しいほど、相当にまいっているらしい。
こんな風になるのなら何故。
自分でも…よく分からない。

ほんの数時間前のことだ。


些細な言い争い、そしてほんの少しの気持ちの行き違いで、愛しい人を傷つけてしまった。
それが些細なことだとしても、愛するがゆえの嫉妬心だったとしても、事の大きさや気持ちは関係なくて。
何より愛する人を傷つけた事実は変わらない。

傷つけるつもりはなかった。
目に涙をいっぱいためて、逃げるように僕の部屋を出て行った君。
出て行く君を追えなかった僕。
現実なのか夢なのか、しばらくの間理解できなかった。
自分が発した言葉さえ、ぼんやりと頭の隅にあるだけで、君の泣き顔もまるで夢の中で見ていたようではっきりとしない。
夢だと…僕自身が思いたかったのかもしれない。
けれど君がいたその場所に残された涙の粒は、確かにそこにあった。
君の瞳から零れ落ちた涙。
これは…
現実だ。

ようやく現実だと理解した僕は君の後を追った。
けれど君の姿はどこにもなく、名前を呼んでも返事はない。
タクシーに乗ったのか電車に乗ったのか、それすらも分からないのに、僕はただあてもなく君の姿を探した。
きっと君はまだ泣いている。
僕のせいで。
後悔という思いが大きな波となって押し寄せてくる。
胸がたまらなく苦しくなった。


君の部屋を訪ねたが、戻っている様子はなかった。
君の泣き顔を思い出し、様々な不安が頭をよぎる。
一人、君は泣いているのか。
電話をしても、君が電話に出ることはなかった。
「一体どこへ……」
辺りを探してみたが姿はなく、部屋の前でしばらく待ってみたが戻ってはこなかった。
きっと僕がここへ来ると君は予想していて、戻ってくる気はないのだろう。
もう僕の顔すら見たくもないのかもしれない。
何もかも、現実に押しつぶされそうだった。

何故あんな言い争いをしたのか。
僕の心には後悔ばかりが溢れてくる。
どうして…。
こんな現実…消してしまいたい。
消せるものなら消し去りたい。
消せるものなら…。

けれど過去を消し去ることはできない。
痛いほど分かっている。
だから君は僕に姿も、声すらも聞かせてはくれないのだろう。
そんなことは分かっている。
言われてなくても分かっている。
けれど…。
それでも僕は君を失いたくない。
僕には君しかいない。
君を傷つけてしまった僕だけれど、誰よりも君が好きだから。
想いは今も変わらない。


僕はただ、探すあてもなく君の姿を求めて街を彷徨った。
一緒に行った店、一緒に行った公園…。
君と繋がる場所へと無意識に足が動く。
時折、君の泣き顔が浮かんでは消える。

どうして僕は…
自分の不甲斐なさに情けなくなった。

空を仰ぐと、そこには星々とともに三日月が美しい光を放ちながら僕を見下ろしていた。
部屋を出た時から、月はずっと僕を見ている。
君を探して走り回る僕に、月はずっとついてくる。

きっと月は僕をあざ笑っているんだろう。
“そろそろ諦めたらどうだ”と。
そう思うと、腹立たしくなった。
何故月はそんなにも美しく輝いていられるのか。
ただ、そこにあるだけなのに。
美しい光も、地位も人々の愛も…何もかも月は手にしている。
きっと僕のように人を傷つけるような愚かなこともしないのだ。
この地球(ほし)の周りをぐるぐると回っているだけなのに…!

…責任転嫁をしているのは自分でもよく分かっている。
月と僕では存在の大きさが違いすぎる。
比べることに何の意味もないのだ。
けれど、何かに擦りつけなければ自分という人間を守れない気がしたから。
何があっても輝き続ける月は、今の僕にとって何より妬ましい。
憤りを感じながら僕は月を睨んだ。

ふと月の光が哀しげに見えた。
僕の擦り付けに哀しんでいるのか。
月に感情があるわけでもないのに…


歩き疲れて立ち止まると、そこは見覚えのある時計塔の前だった。
「…ここは……」
無意識のうちに君と初めて出会った思い出の場所へ来ていたらしい。
見慣れた時計を見上げる。
君が僕の部屋を出て行ってから、もうずいぶん時が過ぎている。
君はどこにいるのか…。

君との待ち合わせはいつもここだった。
いつも君は遅れてくる僕をここで待っていてくれた。
「ごめん、遅れた!」と謝りながら僕が慌てて駆け寄ると、
「また遅刻よ。あんまり遅いから今、帰ろうと思っていたところよ!」って君に不機嫌に返される。
顔が真っ青になった僕を見て君は、
「…うーそ。私も今来たところ!」ってちょっと意地悪な笑顔を僕に向けるんだ。
いつだって君はここで僕を待っていてくれた。
それが…この場所から君の姿が消えて、君の笑顔にも逢えなくなるなんて…。

もう一度君に電話をかけた。
呼び出し音だけが、僕の耳に響く。
その音がやけに大きく聞こえるのは何故だろうか。
「……声すらも聞かせてはくれないんだね…」
時計塔にもたれかかり、ずるずるとその場に座り込んだ。
もう、歩く気力もなくなった。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
君を見つけられないまま、僕はただすべてを闇に取り込んでしまいそうな深いため息をつくしかなかった。
ここに座り込んで、もうずいぶん時が経った。
日付はすでに次の日なのだろう。
頭上に時計があるというのに、それを確かめることすら億劫だ。

ここにどんなにいても、何度ため息をついても何かが変わるわけでもない。
何をしても壊れたものは元には戻らない。
分かっていても、僕にはもう他にできることは何もないんだ。
ただ月を見上げることだけが、今の僕に唯一できること…。


僕を見ている月。
すべて分かっているような、そんな顔をして。
月はただ見ていることしかできないのに
どんな変化があろうとも、それを見つめ続けるだけなのに
どうしてあんなにも美しく輝いているのだろうか。
己の想いを伝える術も言葉も持たない。
いつも月はこの地球(ほし)を見つめているだけ。
この地球(ほし)で何が起きようとも、月はそれを止めることもできない。

けれど月はあんなにも美しく、存在は大きくて人の心を我が物にする。
月のような美しさを手に入れれば、悲しい運命を背負っても輝くことができるのだろうか。
そうすれば僕の気持ちは君に届くのだろうか。
…いや。
僕には無理だ。
月のようにはなれない。
月のように強い心など持つことはできないし
月のような大きな存在にはとてもなれやしない。
僕は弱いから。
弱い…人間だから。


…そうだ。
僕は月ではない。
喜び、怒り、哀しみ…様々な感情を持つ人間。
月のようにいつも光り輝くことも、たった一人でこの地球(ほし)の運命を見つめ続ける強い心もない、ちっぽけな人間だ。
人は脆くて弱いもの。
一人では決して生きていくことはできない。
それは僕だけではなく、この地球(ほし)の誰もがそうだ。
人は誰かの力を借りて生きている。

この世に完璧な人間など存在しない。
いや、人間だからこそ完璧ではないのだ。
弱さ、脆さ…欠けている何かがあるからこそ、僕たちは人間でいられる。
どんなに前だけを見ようとも、人の心のどこかには闇はある。
強い人間なんてこの世に一人もいないのだ。
君も決して強い人ではない。
だから僕たちは出逢ったのだ。
欠けている何かを互いに補い、支えあうために。

それなのに僕は君の優しさに甘えて、君の弱さに目を向けようとはしなかった。
本当は僕が支えてあげなければならなかったのに。
支え合っていたのではなく、僕が支えられていただけ…。


ふと僕の影が消えた。
月が流れる雲に姿を隠したのだ。
いや、隠されたというべきか。
月明かりが消え、まるで時が止まっているかのように辺りは静寂に包まれた。
月が、僕に時間をくれたような…そんな気がした。

僕はそっと目を閉じた。

何もない世界。
もちろん月も…君もいない。
もしかしたらここは、自分と向き合う場所なのかもしれない。
ただ目を閉じているだけなのに、今まで気づかなかったことが見えてくる。
君の泣き顔も今、はっきりと思い出せる。


…やっと分かったよ。
僕に足りなかったもの。
僕には君を守る強さが足りなかった。
自分の弱さから目を背け、ただ逃げていた僕。
僕には自分自身と向き合う勇気がなかったんだ。
自身と向き合わなければ、人は愛せてもその人を守ることはできない。
愛する気持ちだけでは、君を守ることなんてできやしないんだ。
僕は、自分の弱さと向き合いほんの一握りでもいいから、強さを、強い心を持たなければならなかったんだ。

僕は弱い自分から逃げてばかりだった。
自分は弱くない、強いんだ…と言い聞かせてきた。
何があっても傷ついていないふりをして。
本当は傷つき、嘆いていたのに。
そんな気持ちにふたをして、君の愛だけにすがって…
僕の弱さを君が代わりに背負い、いつの間にか君の弱さまでも心の底に押しやっていた。
君の涙は、僕が無理やり押し込めてしまった君の弱さの表れ。
僕が包んであげていたなら、君は涙を流さなくてもよかったんだ。
僕にほんの少しの勇気があれば、君を傷つけることはなかった。


…今更分かったところで君を傷つけた事実は消せない。
けれど、このまま君と別れることなんてできない。
未練たらしい男だと思われてもいい。
君にどんなに償っても僕たちは元に戻れないかもしれないけれど、それならば一言でもいい。
君に謝りたい。
君を傷つけたこと、泣かせてしまったこと…
そして…君の愛に甘えてしまったこと。
僕にできるのは君への償い。
できることはそれしかないんだ。

月が…
僕を照らしてくれたあの月が、それを教えてくれた。
今なら本当の意味で君への償いも、想いのすべても伝えられる。
まぶたの裏に、君の姿がぼんやりと浮かぶ。
幻ではない君に逢いたい。
願いが叶うのならもう一度…

君の笑顔に……


…何故かとても柔らかい光を感じた。
何かに包まれているような、微笑まれているような…。
不思議な感覚に、僕は目を開けた。
目の前には僕の影がまた、姿を現していた。
月が雲から再び顔を出したのだ。
柔らかな月明かりが僕を照らしている。
見上げた先の月は、何だかさきほどとは違い優しげに見えた。
どうしてそんな風に見るたびに月の表情は変わるのだろうか。
それとも僕だけが感じることなのか。

さきほどの包まれているような感覚は一体何だったのだろうか。
愛情すら感じるほどの温かさがあった。
ここには誰もいないし、あるのは月だけで…
「まさか…月が何かを…いや、そんな馬鹿な…」
一瞬よぎった考えに首を振った。
そんなことはないだろう。
月にそんなことができるはずがない。
だって月はただ見ているだけで何もできなくて…
それが月の運命で…


カツン…

靴音が聞こえた。
頼りなげな靴音。
月を見上げたまま、僕は静止した。
月が地上に降りてきたのか…?
いや、月は今も空に輝いている。
では誰が…

僕は恐る恐る地上へと視線を戻した。
そこには…
「……え?」
幻ではないのか…?
君が…今にも涙をこぼしそうな顔をして、僕を見つめて立っていた。
美しい月明かりを浴びて。
「どうして…ここへ……」
あまりのことに僕は放心したまま君に尋ねた。
ふらふらと立ち上がった僕に、君がゆっくりと近づいてくる。
幻ではない。
「私…あなたに謝りたくて……部屋に戻ったらいなくて、ここじゃないかと思って…」
「…謝る?君が謝ることなんて、何一つないよ!謝るのは僕の方だ。僕は君を傷つけて…」
「ううん、違うわ」君は小さく首を振った。
「私もいけないの。あの後、一人でずっと考えてみて分かったの。私があなたの苦しい気持ちにもっと早く気づいてあげられたら、あなたとあんな言い争いには……ううん、そうじゃない。本当はあなたの気持ちに気づいていた。なのに私は気づかないふりをしていたの…あなたを支えてあげなければいけなかったのに……」
「それは僕だよ。僕は君のことを支えてあげなければいけなかったのに、自分の弱さから逃げて、ずっと君に甘えていた。もっと自分と向き合って強い心で君を守らなければいけなかったんだ」
目を閉じて首を振る君の手をそっと両手で包み込んだ。
「君を傷つけたこと…許してもらえないと思うけど、きちんと君に謝らせてくれ。君の優しさに甘えていた僕のせいで、君の心に傷を負わせてしまった。本当にごめん…」
「…ううん。いいの。私も…自分の弱さから逃げてた。あなたのこと支えてあげられなくて…ごめんなさい」潤む瞳から涙が一粒零れた。
流れた涙をそっと指でぬぐう。
「もう…いいよ。何も言わなくていい。君にもう一度逢えた、それだけでいいんだ」
君は泣きながら僕の胸に顔をうずめた。
君の頼りない身体をそっと抱きしめる。
幻ではない君が、僕の腕の中にいる。
君の温もりが何より心地よかった。


君を傷つけたこと…
それは一生消えることはない。
けれど…僕はもう一度君と…
なんて諦めの悪いやつなのだろう。
君が許してくれても、元のように僕を愛してくれるとは…

ふと気づくと、君が僕を見上げている。
「…どうした?」
「……もう」
「…え?」
「…私のこと…嫌いになった?」
「何を…嫌いになるわけないだろ。僕は今でも…君こそ、僕のこと嫌いに…」
「なるわけないじゃない。嫌いになったらここには来てないわ」
「……うん」
「…ね…もう一度−」
「それは僕から言わせてくれないか」
「……」君が僕を見上げる。

僕を照らす月の光が僕に勇気を与えてくれているような、そんな気がした。

「…君を泣かせてしまった僕は君に相応しい男じゃないのかもしれない。こんな風になって大切なことに気づくなんて、情けない男だと思う。でも…僕は君が好きだ」
「……」君の目からまた涙が零れた。
「もう一度だけ、チャンスをくれないか。もう二度と、君を悲しませるようなことはしない。君のために弱い自分と向き合ってもっと強くなる。そして君を守る。…約束するよ」
君の目から流れた涙のしずくが、月の光に照らされてキラキラと輝いている。
そっとぬぐうと、君は頷いて僕に小さく微笑んだ。
まるで…空に輝く美しい三日月のように。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
この地球(ほし)で僕が守るもの。
それは…
ただひとつ。

月より光り輝く
愛する君の笑顔。

僕たちを見守る月が、いつも優しく光り輝けるように…。


―Fin―


********あとがき*********************
読んでいただきありがとうございましたm(__)m
最後はハッピーエンドではありますが、全体的に暗くて何だか申し訳なかったです(^^;)
これでも暗い部分は少々カットしたんですよ(笑)
書いた時期が時期だけに(やや情緒不安定な頃ですね…)どんどん暗さが増してしまって。これじゃ最後はハッピーエンドにならないよ〜(T_T)と思いながら、とにかく彼が立ち直る方向へ進めるように努力しました。
まだこのテーマでの完成度はかなり低いなと思っています。ちょっと難しいテーマを掲げてしまい、下手さをさらけ出しております…恥ずかしい…(>_<)
でも“月”という大きな存在を題材にした話を書きたいと思っていたので、書けたことはよかったなと思っています。
いつか同じテーマでもう少し完成度を上げた作品を書けたらいいなと思います。…いつのことやら…。

2006.03.15


感想をいただけるとうれしいです(*^^*)
メール または 賢狂のブログの拍手コメントへ