「お見舞い」


「…ん?」マサルは遅い朝食を食べようと部屋を出て歩いていると、窓の向こうから小さな、だが誰よりも強い男が寮に向かって飛んでくる姿を見つけた。
今日は久しぶりの休日。どうせ朝から地上へ行ったのだろうと思っていたのだが、天界にいるとは。何かあったのだろうか。
「マサル?どした?」先を歩いていたトシヒコが付いてこないマサルに気づいて戻ってきた。
立ち止まった理由を指差す。
「コウノスケが戻ってきたからさ」
「え?…あ、本当だ。今日は地上に行ってなかったんだ?」
「でも、どっかから帰ってきたっぽいよな」
二人でジッと見ていると、その視線に気づいたコウノスケがこちらを見た。普段と変わらない顔だったが、マサルとトシヒコには少し困っているように見えた。
(何かあったのかもしれない)

他の天使たちにはいつもと何ら変わらないムスッとした顔だ。到底、感情の起伏に気づけないだろうが、二人には何となく違いが分かる。マサルには、大きな黒目の中に僅かに揺れる何かが、そしてトシヒコにはコウノスケがまとう気に僅かな乱れを感じるのだ。コウノスケという人物の人となりがそれなりに分かってきたからか、それとも誰の前でも感情を出さないコウノスケが二人には見せるようになったのか。
どちらにしても、二人にしか分からないコウノスケの心の乱れを感じてしまっては、見て見ぬふりはできない。
マサルは窓を開けて軽く手をあげると、コウノスケは羽を僅かに動かしてスピードを上げた。キーンと音が聞こえてきそうな速さで窓の目の前まで来ると、ピタリと止まりマサルたちと窓越しに向かい合った。
「休みなのに、珍しく早起きじゃないか」
「厭味なヤツだな、早いなんてちっとも思ってないくせに」
「ホントホント」
「おまえたちにしては早い方だろ。珍しいことをすると天変地異が起きそうだからやめてくれ」
「俺たちが休みの日にちょっと早く起きたぐらいで天変地異なんか起きるかよ。そういうおまえこそ、休日に天界にいるなんて珍しいじゃないか。何があったんだよ?」
「…別に何も」
「嘘だぁ!じゃあ何で気が少し乱れてるんだよ?」
「……」
「そうそう。何もないなら、おまえはそんな目はしないしな」
二人からツッコまれ、押し黙る。誤魔化せないらしい。
「…地上でちょっとな」
「地上で?手助けした人間に何かあったとか?」
「いや、仕事とは関係ない」
そこまで聞いて、二人はピンと来た。仕事とは関係のない地上がらみで動揺しているのならば、関係する人間は限られる。
「どこの誰サンに何があったよ?母か?」
「それとも東北のオネーサン方?」
「……」
ほぼ言い当てられてしまった。自分の感情の起伏に気づき、言い当てるようになるとは、ずいぶん成長したものだとコウノスケは密かに感心する。
ただ、気づかれたのは、窓から自分を見る二人の姿を見て少し気が緩んだせいもあるかもしれない。二人には言うつもりはないが。

「…幸乃さんが風邪をひいてしまったそうだ」
「え、あのコウノスケ大好きサンが?」
「結構前の方の席でも本家のことを双眼鏡で凝視して、時々本人ににらまれちゃったりするあの?」
肯定していいのか少々悩んでしまうコウノスケだったが、事実なのでコクリと頷く。
「仕事が忙しくて夏のイベントにも参加できなかったからな。そこにこの異常なまでの暑さだ。身体に負担がかかってしまったんだろう」
「まぁ、確かに今年の夏はとんでもなく暑いからなぁ」
「この間のイベント会場も屋外かと思うほど暑かったから、イベントに参加した人の中にも体調を崩した人がいそうだよね」
「ああ」
「それで、朝から見舞いに行ってきたのか?」
「そうしたいのはやまやまなのだが、まだだ」
「え、おまえのことだからマッハで見舞いに行ってきたんだと思ったのに」
「風邪をひいているところに顔を出してはご迷惑だろう。泉で様子を見てきただけだ」
「ふぅん。で、様子はどうなんだ?」
「良くはなってきたようなんだが鼻声で心配だ。ぼくとしては一刻も早く傍に行き、完治するまで添い寝して付きっきりで看病をしたいところなのだが…!」
くぅ…っと悔しそうにコウノスケが拳を握る。
「…迷惑っつーか、コウノスケが幸乃をそんな手厚く看病したら、逆にぶり返しそうだな」
「ね。熱が上がりそう」
「熱が上がっては意味がない。何とか回復のお手伝いをできたらと思ってあれこれ考えているが、良い案が浮かばない」
「じゃあ、何か見舞いの品とか持っていったら?」
「ああ、それいいかもな。風邪に効く物とか」
「そうそう」
「風邪に効く物か…」
「寮の売店に何かあるかもよ?」
「あるかもな。あそこ、無駄に品揃えがいいし」
「売店……売店か………」
コウノスケが心底、嫌そうな顔をしたのを二人は見逃さなかった。


「…ええっ!!コウノスケ様!?え!本物ですか!?うわ!!これ、夢じゃないですか!?」
店長の第一声を聞いて、コウノスケが嫌そうな顔をした意味が何となく分かった気がした。
マサルとトシヒコは何度もこの売店を利用しているが、こんな態度を取る店長は初めて見る。

天界の同僚天使たちのコウノスケに対する態度はだいたい三種類に分けられる。おそらく七割ほどは恐れて必要以上に関わらないようにしている者たち、そして二割強がコウノスケを妬む者たちだ。そしてごく一部として存在するのが、主天使のようにコウノスケLOVEな者たち。そんなコウノスケLOVEな天使は決まって熱狂的で変人であることが多いらしく、どうやらこの店長もその一人のようだ。

「コウノスケ様!お久しぶりです!お元気そうで何よりです!!」
「……トオルも元気そうだな」
「はい!!コウノスケ様の生写真を部屋に飾って、毎日話しかけてから一日を始めていますから、すこぶる調子がいいです!」
「……そ、それはやめてもらえないだろうか」ひどく青い顔でコウノスケが言うが、店長は全く聞いていない。
「ああ…っ コウノスケ様から”元気そうだな”だなんてお言葉をいただけて、私はもう死んでもいいぐらい幸せです…!」ヘラヘラと笑いながら、レジの前でクルクルと回り出した。店長の周りには色とりどりの花がポンポンと咲き乱れる。主天使とはまた違うタイプのコウノスケLOVE天使だなとマサルとトシヒコは苦笑いを浮かべた。
黒縁の眼鏡をかけ、いつもニコニコして接客している少々小ぶりな男、という印象しかなかったが、おかげでだいぶ印象が変わった。

「コウノスケ、売店の店長と知り合いかよ?」
「……百年ぐらい前からな。何故かやたらと気に入られてしまった」
「…え、百年も前から?つーことは今は結構な位の天使なのか?」
「いや、トオルは食堂で働く天使と同様で階級が変わらない勤務形態の異なる天使だ。位で言うとぼくたちと同じ最下級の天使になるが、近々大天使に昇進する予定だ」
「え、大天使に?」
「ああ。彼は売店の店長でもあり、副寮長でもある」
「あ、副寮長なんだ」
「今度、寮長になることが決まっている」
「え、寮長?この人が?」
「ぼくにはこんな態度だが、仕事はできる。寮長へ昇進し、兼務している店長は解任、売店からはいなくなる」
「へぇ、この人が新しい寮長かぁ…」
「それにしても、何でおまえにゾッコンになんだよ?何したんだよ、おまえ?」
「特に何もしていない。知り合った翌日からこんなだ…」
本人が気づかないうちにきっと何かをしてトオルをトキメかせてしまったんだろう。見た目か、はたまた男前なところか。

「…あれ!君たち、たまに来る二人組だよね?」トオルはようやく二人の存在に気づいたらしい。
「店長は稀なコウノスケLOVEだったんだな」
「コウノスケのこと、”様”って付けて呼んでるなんて、相当だよね」
「そういう君たちはコウノスケ様と何か親しげだけど、一体どんな関係?」
「俺たちはチームコウノスケの一員さ!」エッヘンとトシヒコが胸を張ると、トオルがえええっと仰け反った。
「うそ!君たちがコウノスケ様のチームメンバーなの!?コウノスケ様が怒って寮を木っ端微塵にしちゃった元凶!?酒とプロテインとお菓子しか買わない君たちが!?」
「ふ、古い話を掘り返さないでよ!!」
「そして買ってる物を記憶すんな!つーか、何だ、その言いようは!!俺たちは客だぞ!!そんなこと言うなら、二度と買いに来ねぇぞ!」
「大した金額を使ってくれない君たちなんて、来なくても痛くもかゆくもないよ」
「な!」
「しかもたかだか三十歳程度の天使なのに、偉そうだし。先輩への経緯ってものを知らないよね。…よし!そんな君たちには、これからは値札の二倍で売ることにしよう」
『はぁっ!?』
「…副店長!」
「はい?」
「この二人が来た時は値札の倍で売ってね」
「えっ?」
『ちょっと!!』
「君が店長になってもそれでいいから。私が許可します」
「え、あ、はぁ…」
「あんたなぁ!俺たちの態度が気に入らないからってー」
マサルが文句を言おうとすると、店長のトオルは眼鏡の奥の目を細めて普段は見せない真剣な顔になった。あまりの変わりようにビクッとする。
「当然だろ」
近々大天使になるという彼の気迫に恐ろしさを感じて二人は身構えた。
が、トオルの口から発せられた言葉は予想外でものすごく単純なものだった。
「私の…私のコウノスケ様を独占するなんて!!」
『…はい?』
きょとんとして聞き返す二人をトオルはキッと睨み返す。
「コウノスケ様と常に行動をともにするなんて許せない!!ずるい!!意地悪してやるんだもんね!」
「…も、もしかして…」
「…嫉妬?」
「ははは!そうだ、嫉妬だ!悪いか!酒とプロテインとお菓子が欲しかったら、仕事を頑張るんだね!はははははーっ!!」高らかに笑う店長。
もうすぐ大天使、そして寮長となる副寮長は、嫉妬深くて意地の悪いことをする大人げない男だった。
『……』
コウノスケLOVEな変人には慣れている二人もさすがにポカンとしている。
だからここには来たくなかったんだ…コウノスケは深くため息をついた。


「なるほど、風邪に効く物をお探しですか」
「ああ。何か良い物はないだろうか」
「そうですねぇ……あ、これなんてどうです?ネギ!!」
「見舞いにネギ…」
「何だい、マサルくん。ネギは風邪をひいた時にいいんだよ」
「そうかもしれないが、見舞いの品には向かないだろ」
「確かに向かないな…」
「コウノスケ様がそうおっしゃるなら、やめましょう!では……これなんてどうでしょう!ショウガ!!」
「見舞いにショウガ…」
「トシヒコくん、ショウガは身体を温めるから、風邪をひいた時には食べた方がいいんだよ」
「それは知ってるけど、ネギと一緒で見舞いの品には向かないでしょ。それに今は、夏だし」
「確かにそれも向かないな…」
「コウノスケ様がそうおっしゃるなら、ショウガもやめておきましょう!」
「他には何かないだろうか」
「そうですねぇ…あ、龍角散とか!」
「薬は病院で処方してもらってるだろうから、いらんだろ」
「もらっても困ると思う」
「マサルくんとトシヒコくん、うるさいよ」
「あんたのチョイスに問題があるからだろ」
「見舞いに向いてないもん」
「トオル、野菜や薬以外でお願いしたい」
「はい!!では…のど飴はどうですか?色々ありますよ。梅、きんかん、ゆず…」
「味の好みがあって難しくない?」
「嫌いな味を選んだら幸乃に嫌われそうだな。”私の苦手な味を選ぶなんて、コウちゃん嫌い!”なーんて」
「嫌だ!嫌われたくはない…!」青い顔をしてブルブルと首を振る。人間の女性に嫌われるなんて絶対に嫌だとコウノスケは思う。
「……あのコウノスケ様?そんなこと言っていたら、何にも選べないですよ?」
「……」

その時、食堂内がざわついた。
コウノスケたちはその理由がすぐに分かった。あの方の気を感じたからだ。
振り向くと見惚れるほどの美しい真っ白な羽を背に持つ主天使が微笑みながらこちらにやってくるところだった。
食堂内にいる天使たちが頭を下げようとするが、主天使がそれを手で制していく。
「みなさん、そのままで。お食事中に申し訳ありません、少々お邪魔させていただきます」
にっこりと笑いかけて柔らかな物腰で振る舞う様はまさに真の天使と呼ぶに相応しい。皆がほぅ…とうっとりしている。中身を知らないというのはおめでたいことだ、とマサルは思った。本当はコウノスケLOVEな変人なのに。
コウノスケがスッと姿勢を正し、深々と礼をしたので、それにならって二人も礼をした。店長も、
「うわぁ、一番の同志までいらっしゃっるとは、何て幸運な日だ」とうれしそうに言いながら頭を下げた。その言葉にコウノスケが微妙な顔になったので、くくくっとマサルとトシヒコが笑う。
「こんにちは、みなさん」
「主天使さま、今日はどうされたのですか?寮までいらっしゃるとは、何かあったのでしょうか」
「いえ、コウノスケが休日なのに天界にいるようなので、遊びに。今日は地上へは行かないのですか?」
「…主天使ともあろうお方が、こんな下級天使の寮へ遊びにいらっしゃらない方がよろしいかと思います。非常に目立っています」さすがに”迷惑です”という言葉は飲み込んだ。
「ああ、そうですね。みなさんに気を遣わせてしまいますから次に来る時は変装してきますね」
「そ、そういうことでは…はぁ…。それと、ぼくの気配を探るのはやめていただけませんか」
「コウノスケの気配を探ってしまうのは、条件反射のようなもので、仕事をしていてもコウノスケはどうしているのかと気になってしまうのですよ。トオルならば、この気持ち分かっていただけるでしょう?」にっこりとトオルに笑いかければ、待ってました!と言わんばかりにレジからズイッと乗り出してコクコクと頷いた。
「もちろんです!!仕事をしながらも、ついついコウノスケ様のお姿や気配を探してしまうのは、もはや仕方のないことです!」
「そうなのです、ついつい探してしまうのですよ。もはや仕方のないことですよね。ふふふ」
「やはり主天使様とは気が合いますね!!いずれゆっくりお話しさせていていただきたいものです!」
「そうですね。寮長になられたら、お祝いも兼ねてゆっくりお話ししましょう」
「ありがとうございます!楽しみにしております!コウノスケ様について語りましょう!!」
「ふふふ、楽しみです。ですが、一晩で足りないかもしれませんね」
「確かに!では、三日三晩開催しますか!題して“コウノスケLOVEトーク3DAYS“!!」
「まぁ!よいですね!」
「そ、そんな会、開催しないでください…!」
コウノスケが止めようとするも、二人のトークは止まらない。
「主天使様、ぜひコウノスケ様の若かりし頃のお話を聞かせてください!私が生まれる前のコウノスケ様のことを知りたいです!!」
「では、私には寮でのコウノスケの様子を色々教えていただけますか?」
「お任せください!!寮を木っ端微塵にした時のことも事細かにお話ししますよ!あ!あと、珍しく遅くまで残業で帰りが遅かった時の眠そうなコウノスケ様とか!」
「まぁ!それは非常に楽しみです!…ああ!三日では足りませんね!3DAYSではなくWEEKにしませんか?」
「主天使様!なんって素晴らしいご提案!!そうしましょう!そうしましょう!」
まるで地上の若い女性たちのようにきゃあきゃあする二人。
変人が二人揃うと会話がヤバイなとマサルとトシヒコは後退りした。コウノスケはすでに売店から離れて、無関係を装っている。いつの間に。
「こりゃダメだな」
「時間の無駄だね」
盛り上がる二人を残し、コウノスケたちはそっと食堂をあとにした。残された二人は、その後お客そっちのけでコウノスケトークに花を咲かせ、気づいた時には日が暮れていたとかいないとか。
「…はぁ……」
トオルが寮長になったら天使寮はどうなるのか、天界の心配事が一つ増えたコウノスケなのだった。


「…で、どうすんだよ?結局、見舞いの品は何にも買えてないぞ」
「……」心底困った顔をするコウノスケだったが、そんなコウノスケにトシヒコが言う。
「…ねぇ、別に何かを持っていく必要はないんじゃない?」
「え?」
「だって、コウノスケ大好きサンなんだから、一番喜ぶのはコウノスケが見舞いに来てくれることでしょ」
「確かにコウノスケが見舞いに行ったら、それだけで喜んでくれそうだな」
「そうそう。で、にっこり笑ってさ。早く良くなるようにってコウノスケが願えば、それが何よりのパワーになると思うよ」
「トシヒコ、良い事言う~!!」
「えっへん!」
「…そうか、そうだな。ぼくがどれほど元気になってほしいと思っているか、その気持ちが何より大切なことだな」
「そうそう」
「早く行ってやれよ。んで、風邪菌、死滅させてこい」
「分かった。二度と人間に感染できないようにブラックホールに落としてくる。色々助かった。行ってくる」
コウノスケはそう言うと、早速飛び立った。
「幸乃の風邪菌、ブラックホールまで飛ばされるのか」
「コウノスケの大好きなオネーサンを感染させたんじゃ、手加減なしだろうね」
『風邪菌、ご愁傷様…』
影も形もなく、木っ端微塵になるだろう風邪菌に少し同情しつつ、二人はブランチを食べに再度食堂へと向かうのだった。


「幸乃さん、待っていてくださいね。ぼくが風邪菌を木っ端微塵にしてやりますからー!」

コウノスケは幸乃の元へと向かう。
風邪菌を死滅させるべく、そして、笑顔と想いを届けにー



幸乃さん、早く良くなりますように!(*^人^*)



―おわり―


***********あとがき*******************
昨年夏、お世話になっているアル友の幸乃さんが風邪でダウン!と聞いた時にバババーッと走り書きした小話です。
「お大事に!(>人<)」と勝手に捧げてきましたが、思いのほか喜んでいただいて、そしてその後風邪もよくなって本当によかったです(*^^*)

このお話に登場したトオルが今後ストーリーにも登場するのかどうかは私にも分かりませんw

2020.01.08

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