「三天使物語(2)」


「…ったく、何で俺がこんなことしなきゃいけないんだよ…っ」
マサルはブツブツ言いながら、手に持っている大きなダンボールを睨んだ。
文句を言いながらも真面目に仕事をしているように見えるが、実はそうでもない。当然のことながら、自らすすんで運んでいるわけではない。そして、頼まれて運んでいるわけでもない。
そう、コウノスケに”脅されて”運んでいるのである。

”ぼくは他に用事がある。殺されたくなかったら、これを運べ”

そんな仕事の頼み方があるだろうか。いや、もはや頼んでいない。これはただの命令だ。それも脅し付きの。断固拒否したいところだが、本当に殺される可能性もあるので、マサルは泣く泣く運ぶことにした。トシヒコも別の仕事を押し付けられていたので、今頃同じようにブツブツ言っていることだろう。

「しかも腹立たしいほど重いし!」
いったん足を止め、重みで下がってきたダンボールを持ち直す。
大きいだけなら力を使って浮かせて運ぶのだが、かなりの重量があり、マサルの力では安定して運べない。仕方なく手に持って運ぶことにしたのだが、思っていた以上に目的の場所は遠かった。まだまだ先だというのに、もう腕は限界に近い。
一回休憩するしかない。前方を見やると、通路の先にテーブルとイスが置いてあるスペースを見つけた。
「あ!あそこで休もう!」マサルは小走りで向かう。が、腕に力が入らなくて、どんどんダンボールがずり落ちていく。
「…う…うわっ…ヤバイ!もう…落ちる…っ!」
テーブルは目の前だ。マサルは最後の力を振り絞り、グッと腕に力を入れてダンボールを一番近くのテーブルの上に載せた。
「…はぁ…はぁ…ま、間に合った……ふ、ふぅ…」

(何で俺たちばっかりこんな目に遭うんだ…)マサルは心の中で嘆いた。

先日、天使寮を吹っ飛ばしたのはコウノスケなのに、全部マサルとトシヒコのせいにされて、おかげで上からの視線が今まで以上に冷たくなってしまった。寮のヤツらからもブツブツ言われるし、肩身が狭くて仕方がない。
「そりゃ、寝坊して仕事の時間に遅れた俺たちも悪いけどさぁ!でも、だからって寮ごと吹っ飛ばす必要あるか?コウノスケの減点なんてたかが一点なんだし。あんなに怒るこたぁねぇだろう!」
身もボロボロになり、さらには真面目に頑張っていた十日間の評価もコウノスケによって消された。今月の給料日は(も)期待できない。

唯一の救いは、寮の建て直し費用を給料から差し引かれなくて済んだことぐらいだ。二人の給料なんてたかが知れている。もし、窓ガラス数枚分程度にしかならないような給料を取られ、今後もずっと差し引かれることになったのなら、ここは天界じゃなく天使の姿をした悪魔がいる地獄だ、とマサルは言いたい。

そんな天使寮、実はすでに再建されている。噂によると、コウノスケの知り合いのお偉いさんがちょちょいと建てたらしいのだ。どうやればちょちょいと建てられるのか気になるところだが、マサルとトシヒコはそれ以上にその再建した人物が非常に気になっている。コウノスケの知り合いのお偉いさんとなれば、あの辺の事情も知っているのではないか…?そう思うのだ。

あの辺…とは、トシヒコが泉で会った先輩が言った言葉だ。
”コウノスケの指名でチーム入りしたからって―”

本当に自分たちはコウノスケの指名でチームに入ったのだろうか。その先輩に寮で会ったら問い詰めてやろうと思っているのだが、残念ながらまだ会っていない。とはいえ、単なるウワサ話を聞いただけの可能性もある。ばったり会って首を絞めて聞いたところで、時間の無駄かもしれない。
きっと、指名ではないのだろうと思うのだが、本当に指名なのかもしれないと思う気持ちもあるにはある。コウノスケが変人なだけに、どちらでも有り得ると思うのだ。
どんな職場でも問題児扱いされてきた自分たちを指名するなんて、正気じゃない。コウノスケの指名なのなら、何故指名されたのかが知りたい。ただ単に”あんなヤツら、ぼくが鍛え直してやります”などと言った可能性もある。もしそうなら、指名じゃない方が幸せだ。

本人に聞けばいいのにと思われるかもしれないが、それができたら苦労しない。コウノスケにしつこく聞いて、”うるさい!黙れ!”とまた寮を吹っ飛ばされても困る。さすがにここがクビになったら、路頭に迷う。もし無職となれば、ヒゲも髪も伸び放題、服も買えないし飯だって食えない。そして命の次に大事な酒も飲めなくなる。
それは困る!非常に困る!!

…そんなわけで、誰にも聞けないまま、今日に至るのである。

「あ~あ…給料は減らされるし、集中できないし…やる気しねぇなぁ…」
マサルは深いため息を落とした。何が入っているのか知らないが、いっそのことダンボールをここに放置して寮に帰りたい。
「…ん?」前方に人の気配を感じてマサルは顔を上げた。そこにいたのは上司だった。こちらに向かって歩いてくる。会ったらまた小言を言われるのは目に見えている。できれば会いたくない。慌ててダンボールの陰に隠れる。まさかダンボールに助けられるとは思ってもみなかった。
ダンボール越しに覗くと、上司は前を歩いていた人物に声を掛けていた。相手は見たことのない人だが、上司がペコペコしているから、どうやら位が上の人らしい。
(そういえば、今日はお偉いさんたちとの会議があって上はいないってコウノスケが言ってたっけ。ということは、相手はかなりのお偉いさんかもな。)マサルはできるだけ気配を消し、二人が立ち去るまで隠れることにした。しかし、聞こえてくる会話に耳を澄ますことは忘れない。

「このたびは寮の再建にお力を貸していただき、本当にありがとうございました」
「いえ、私の元部下がしたことですから。色々とご迷惑をおかけしているようで、申し訳ありません」
「いえ!そんな!コウノスケは仕事もできますし、後輩の指導も人一倍やってくれています。それなのに後輩の出来が悪くて、思うように成長しないことに積もりに積もった怒りが爆発したのでしょう。ですから、悪いのはチームのマサルとトシヒコです。次に何か仕出かした時には、チーム解散も視野に入れています」
「そんな…それでは二人が可哀想ではありませんか。二人ばかりが悪いとも言い切れません。コウノスケは手加減できない子ですからね」
「は、はぁ…ですが、マサルとトシヒコの問題行動には目に余るものが…」
「それは二人が来る時にすでに分かっていたことではありませんか。今のところコウノスケからも二人からも異動希望は出ていないのですよね?もう少し様子を見た方が良いと思いますよ」
「いや…しかし…」
「あの二人がコウノスケのチーム以外で真面目に仕事をするとお思いですか?コウノスケの他に二人を操れる者など、いないと思いますよ」
「…それは…確かに…そうなのですが……」
「また何かあれば、私もお手伝いしますので」
「はぁ…」
「色々指導は大変だと思いますが、よろしくお願いします。では、私はこれで」
「あ、はい。今後ともよろしくお願い致します!」

ペコペコ頭を下げ、お偉いさんを見送ると、上司もその場を後にした。二人の気配が完全に消えたところで、マサルが顔を出す。
(まさか、こんな形で情報を得られるなんてな。ダンボール運んでてよかったぜ。)
上司の発言に色々言い返してやりたくなったが、まさかお偉いさんがかばってくれるとは思わなかった。コウノスケの元上司でコウノスケのこともよく分かっているようだし、マサルたちのこともだいたいどんな人物なのか理解しているようだ。それに、話しぶりからマサルとトシヒコがコウノスケのチームに入った経緯も知っていそうな感じがする。
「寮を建てたのはあの人か。何か格が違ったなぁ…」
上司や位の高い天使を特に毛嫌いしているマサルでも、今の人は感じが違って好印象だ。美しい長い髪の、女でも通用しそうなキレイな顔をした男だった。背はトシヒコと同じぐらいだっただろうか。とにかく穏やかそうで、マサルが知る天使の中には決していないタイプだ。彼なら、地上で”私は天使です”と人間に言う時も、羽がなくてもすぐに納得してくれそうな気がする。
「あの人に聞けば分かりそうだけど、俺みたいなヤツが聞いても答えちゃくれないだろうな」
「そんなことはありませんよ」
「わぁぁっ!!」突然背後から聞こえた声にマサルが驚いて飛び上がった。と同時に、運悪くテーブルに膝をぶつけ、その場にうずくまる。地味に痛い。
「いっ…てぇ…っ!」
「あらあら、大丈夫ですか?」
「ちょ、あんた!背後から突然声掛けるなよ!!びっくりするだろっ!!」噛みつきそうな勢いで振り返ったものの、そこにいた人を見て言葉を失った。
「…え」
「ごめんなさい。こんなところでお会いできるとは思っていなかったので、うれしくてつい声をかけてしまいました」
先ほどまで上司と話をしていた、例のあの人だ。つまり、上司の上の上のそのまた上の…どのくらい上の人か分からない、お偉いさんだ。

(まったく気配を感じなかったぞ?…いつの間に背後に来たんだよ……)
優しく微笑んではいるが、彼の強大な力がひしひしと伝わってくる。きっと今マサルが感じている力はほんの一部で、本来の力はその数倍はあるはずだ。見えない彼の力に思わず身震いした。
「こうしてお会いするのは初めてですね。初めまして、マサル」
「…あ、あああ……ど、どうも…」
上司より偉い天使とまともに会話などしたことがないマサルは、激しく動揺した。何を言えばいいのか分からない。
(かばってくれたから、お礼を言った方がいいのか…いや、盗み聞きしてたんだから言わない方が…かと言って位や名前を聞くのは失礼だし…。と、とりあえず”ご機嫌麗しゅう”とか言えばいいのか…っ?)
”お偉いさんとの接し方”なる書物でも読んでおけばよかったとマサルは後悔した。そんな書物があるのかは知らないけれど。
「…どうしました?」
「え、あ、その…」マサルの下がりきった眉を見て理解したのか、お偉いさんはクスッと笑った。
「ああ、普通にお話ししてくださっていいのですよ。位とか、そんなことはお気になさらず」
そんなことを言われても、いくらマサルでも”はい、そうですか”と割り切って普通に話せるわけがない。けれど、相手はそんなことも気にせず話を続ける。
「寮のことでコウノスケがご迷惑をおかけして申し訳なかったです。手加減できるようになりなさいといつも言っているのですが、年齢を重ねてもなかなかそれだけはできないようで…」
「……は、はぁ…」返したいことは色々あるのだが、さすがに言えない。できないことは手加減だけではない、とか。あの性格は何とかならないのか、とか。
それに、寮の吹っ飛ばし事件から話を切り出すあたり、マサルが盗み聞きしていたこともバレているようだ。できるかぎり気配を消していたが、上司のようには誤魔化せなかった。相手が一枚も二枚も三枚も上手で、マサルはただただ恐縮するしかなかった。

「あなたの能力は人間を手助けするために、とても有効な能力だと思います。その能力で多くの人間を救ってあげてくださいね」
「は、はい…っ」
「トシヒコはコウノスケに追いつくために、毎日トレーニングを頑張っているそうですね」
「…あ、はい、それはバカみたいに頑張ってます」
「良いことですね。そうやって、一つでも頑張れることがあれば、それがいつか仕事にも繋がります。今はまだ経験が少なくてミスをしたり、できることが限られていると思いますが、経験を積めばできるようになります。あなたの上司も昔はあなたたちと同じようにミスばかりでしたからね」
「…え、そうなんですか?」
「ええ、何度同じミスをしたことか。ですから、部下に”何度同じミスをしたら気が済むんだ!”などと言っているところを見ると可笑しくて。ふふ」
「あ、ははは…」
「…あ、上司には内緒ですよ?」口元に人差し指を当てて、にっこり笑った。

偉い人なのになかなか面白い人だ。偉い天使は、冗談も通じないつまらない人たちばかりだと思っていたのだが、どうやらそれは間違っていたようだ。こんな人が上司なら、マサルもトシヒコも素直に従うかもしれない。マサルの中の毛嫌いしてきた高位者のイメージが少し崩れた。
それに、仕草、目の動きから見てもどこにも嘘がなく、口にしているのはすべて本心だ。心からコウノスケを思い、マサルとトシヒコのことも思ってくれている。何て出来た人なんだろうか。位が上の天使というのは、こんなにも心が美しいのか。下位の天使にも分け隔てなく接し、微笑む彼。天使のあるべき姿なのかもしれない。

そんな彼の雰囲気も手伝ってか、聞けそうな気がしてきた。勇気を出して聞いてみる。
「あの…」
「はい?」
「…一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
「俺…いや、自分たちがコウノスケのチームに入った経緯をご存じですか?コウノスケの指名で入ったのだと、先日先輩から聞いたんです。自分は、コウノスケと初めて会ったその日に、上司から同じチームになるように言われました。トシヒコもです。それは…違うのでしょうか」
「……それを知ってどうするのですか?」
「え?」
「もしコウノスケの指名だったとしたら、あなたはどうするのでしょう?今すぐにでも異動希望を出すのですか?」
「いや、そんなつもりは……ただ、もしそれが本当なら、何故自分たちをコウノスケが指名したのか知りたいんです。問題児の自分たちが、成績優秀なコウノスケのチームに入るなんて、誰が見てもおかしいですから」
「…そうですか?私はおかしいとは思いませんでしたよ。あなたたち二人が職場を転々としていると聞いた時、すぐにコウノスケの顔が浮かびました」
「え…?」
「皆は次の職場が思い当たらず、悩んでいましたけどね。私はその日のうちにコウノスケに話しました。このような二人がいると。もちろん、どんな能力を持っているのかも伝えました。ですから、私から打診したというのが事実ですね」
「そう…だったんですか」
なんと、意外な事実が発覚した。この人が発端だったのか。ダンボールを運んで事実に行き着くなんて、一ミリも思っていなかった。
しかし、まだ明らかになっていないことがある。そう、コウノスケの返事だ。あのコウノスケが何と言ったのか、そこが問題だ。
「あの…そ、それで…コウノスケは…何と…?」
「仕事に役立つ能力の持ち主なので引き取る、そう即答しましたよ」
「え!?」
コウノスケが即答?そんな馬鹿な。いくら役立ちそうな能力を持っているからって、即答なんてするわけがない。
驚くマサルに少し寂しそうに微笑むと、お偉いさんは窓の外を眺めながら言った。
「…コウノスケはもしかしたら、昔の自分の姿を重ね合わせていたのかもしれませんね」
「え?昔の…ですか?」
「ええ。自分に似ていると」
「は?に、似ている?」どういう意味なのかさっぱり分からない。すると、
「…ここだけの話ですよ?」と、周囲を見渡してお偉いさんがマサルに顔を寄せた。
「あの子、今は成績優秀な素晴らしい天使ですが、昔はまったく違いました」
「…え?」
「そうですね…あなたの言葉を借りれば、”問題児”といったところでしょうか」
「えっ!?」
「コウノスケに渋々でも従っているあなたたちなんて可愛いものですよ。あの子は先輩や上司にちっとも従いませんでしたし、仕事だって誰よりも不真面目でした」
「……え?…ええ!?」
マサルは衝撃の事実に開いた口が塞がらなかった。コウノスケが問題児?自分たちよりも?そんなまさか。性格は別として、あんなにも人間のために日々仕事をしているコウノスケが、仕事にも不真面目な問題児だったなんて…!
「もうずいぶん昔の話です。あの子がどんな職場に行っても問題を起こしていたので、最終的に今の職場に追いやられたのですよ。その時、上司だったのが私なのです」
「そ、そうなんですか!」
「ええ。すごい子が来たなと思いましたよ。あの子は新人の頃から力に関しては大天使並みでしたから、こちらの力で抑えることもなかなか難しくて、私はいつも傷だらけになっていました」
「新人ですでに大天使並みの力…」
「天界にある建物は、一度はどれもコウノスケに壊されているといっても過言ではありません。私が何度直したことか。ひどい時は翌日にまた壊されたこともあるのですよ」
「そ、それはひどい…」
それじゃまるで、この前トシヒコが想像したという黒いコウノスケじゃないか。想像上の人物だと思っていたのに、まさか実在していたとは。

それにしても不思議だ。そんなコウノスケが何故真面目に仕事をするようになったのだろうか。
「今は何故、あんなにも熱心に仕事を…?」
「ある日を境に変わっていきました。地上で手助けした人間の影響のようです。よほど、心に響く出来事があったのでしょうね。コウノスケは、人が変わったかのように熱心に仕事をするようになりました。そして人間を手助けすることが生きがいになったようです」
「…心に響いたという…それは一体どんな…?」
「さすがにそこまでは…。提出された報告書を読んでも、コウノスケの心の変化までは読み取れませんでした。もともと、自分の気持ちを表に出すことが下手な子ですからね。報告書に個人的な感想や気持ちは一切書いたりしないのです」
「そう…ですか…」
「けれど、その日から地上で人間と接している時だけ徐々に感情を出すようになっていきました。コウノスケにとって、人生を変えるような経験をしたのは確かなようです」
「え?それは…つまり…昔は人間に対してもあんな態度だったってことですか?」
「ええ。ほとんど感情を表に出さず、いつでもどこでもあの顔でしたよ。そして成績も果てしなく下でした」
あんな顔をしていたら、人間が怯えて逃げ出してしまうし、天使だなんて余計に信じてもらえない。当然、仕事なんてうまくいくわけがない。
「今は、人間の前では笑うこともあるそうですね」
「あ、はい。それはもう、にっこりと」人間の女にだけですけど、という言葉は飲み込んだ。
「天界でも同じように笑ってくれたら良いのですけどね」そう言って寂しそうに笑う。
「そ、そうですね…」と、マサルは当たり障りのない返事をしておく。
コウノスケが笑っているところを見たい、そんな気持ちが嫌というほど伝わってくる。一切笑わなかったコウノスケが一瞬で人間を癒したり、心を温かくするような笑顔を見せるのだから、この人にとってはきっと大ニュースだ。地上の仕事に同行して観察したいぐらいの気持ちがありそうだ。
しかし、こんなお偉いさんに付いてこられては仕事がやりにくい。”今度よかったらご一緒に”とは口が裂けても言わない。

「マサルもご承知の通り、コウノスケはなかなか扱いが難しい子です。そのため、メンバーの入れ替わりが激しく、いつもチームが長続きしません」
「…でしょうね…」マサルは大きく頷いた。
しかし、性格は難ありだが、コウノスケは成績優秀。同じチームになれば、一気に上位が狙えるため、コウノスケと上手くやれるのなら、同じチームになりたいと思っている者はたくさんいるはずだ。コウノスケを上手く扱える攻略本があれば、きっとみんな買う。
「ですが、あなたたちなら、きっとこれからも上手くやっていけると思います」そう言って、お偉いさんはにっこり笑った。はぁ?とマサルは思う。
「…そ、そうですか?毎日のように痛め付けられていて、すでに上手くやっていけてないですけど…」
今なんて、中身の分からない重い荷物を運ばされている。上手くやっていくというのは、”これ運んでくれない?””いいよ!”なんてやり取りがあって成り立つ言葉だ。これは、”殺されたくなかったら運べ”なのだ。ちっとも成り立っていない。
「十分、上手くやっていると思いますよ」
「えぇ…そ―」その根拠は何ですか?そう聞こうとしたが、何かを思い出したようにお偉いさんがハッとしたので、
「ど、どうしました?」と尋ねてみる。
「話に夢中になってしまって忘れるところでした。そろそろ行かないと。ダメですね、一度お話ししたいと思っていたので、つい長々と話してしまいました。荷物を運んでいる最中に声を掛けて申し訳なかったですね」
「え、あ…い、いえ!」
「ところでその荷物、どちらまで?」
「あ、えっと…三〇一会議室までです」
「あら、奇遇ですね。これから私が行くところです」
「えっ!」
「…ということは、おそらく中身はあなたたちの上司にお願いしていた会議に使う資料類でしょう。重かったでしょう?ここからは私が持って行きましょう」
「えっ…でも…」
躊躇ったものの、お偉いさんが軽々とダンボールを浮かせたので、”自分が責任を持って最後まで運びます!”などという責任感のある言葉は一瞬で消え去った。そもそもここに放置して帰りたいぐらいだったのだから、持って行ってもらえるのなら甘えてしまおう。
「あ、じゃあ…すみませんが、お願いします」
「ご苦労様でした。…あ、私が話したことは皆には内緒ですよ?コウノスケの過去を知っているのは、私を含め数人です。コウノスケに伝わったら、すぐに情報源が私だと分かってしまいますから」
「は、はい…」
「それでは」
最後の最後まで微笑みを絶やさず、コウノスケの元上司であるお偉いさんはダンボールを宙に浮かせてクルクル回しながら去っていった。その後ろ姿は何だか楽しそうだ。マサルに会えたことが本当にうれしかったのかもしれない。とても偉い人とは思えない。
(…まさかコウノスケが昔、問題児だったなんてな。天界に激震が走るレベルの大ニュースじゃないか?戻ったらトシヒコにも……いや、これはトシヒコにも言えないぞ。誰にも言えない天界のトップシークレットだ!)
トップシークレットを得た上に、荷物もなくなり身軽になったマサルは、上機嫌で寮へと戻って行った。
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「あ、マサル!遅かったじゃないか」寮のエントランスホールでトシヒコが待っていた。
「あれ、トシヒコは早かったんだな」
「飛ばしてったからね。あ、そうか。マサルのは超重かったんだっけ」
「そう。だから途中で休憩したりして運んだんだよ。三〇一会議室、遠すぎ。腕がパンパンだよ」
「お疲れ」
「やっと帰ってきたか」コウノスケも顔を出した。
「おう。運んでやったぞ。感謝しろよな」
「三〇一会議室までちゃんと運んだんだろうな?」コウノスケがジッとマサルを睨む。見えないところに汗をかきつつ、当たり前だろ!と返す。
「運んださ!会議室にいた人に引き取ってもらったって」
「そうか」
「あ~腕が痛い。明日筋肉痛になっちまうよ」
「…これで頼まれた仕事は片付けられたな。よし」メモ用紙を見ながらコウノスケは頷いて、”済”のサインを書いた。
(ツッコまれなくてよかった…)マサルは一人、安堵する。
「じゃ、もう部屋に戻っていいだろ?」とトシヒコが聞くと、コウノスケがムスッとした顔で、
「ダメだ」と答えた。
「え、何で」
「ちょっと付いて来い」
「は?」
「どこに行くんだよ?」
「…いいから付いて来い」そう言うと、エントランスを出てふわりと浮いた。飛ぶつもりだ。
「ちょ、ちょっと待て!」慌てて二人もエントランスを出たが、
「待てない」とコウノスケはさっさと飛んで行ってしまった。
「あっこら!待て!そんなスピードに付いていけるかーっ!!」マサルが一瞬で米粒になったコウノスケに叫ぶが、待つようなヤツではない。キラッと光ってあっという間に姿が消えた。
「もー!!!」地団駄を踏むマサルの隣でトシヒコが、あ!と声を上げた。
「マサル!あの方向、あれだよあれ!」
「あれ?あれって何だよ?」
「ほら、泉だよ。泉!」
「泉ぃ?何でそんな泉なんて…」
「とにかく行ってみようよ。付いて来いって言ったんだから、行くしかないよ。ほら、こっちこっち!」手招きするトシヒコにマサルは渋々付いていく。
(何であいつ、俺たちを泉に?まさか嘘がバレてて、泉に沈められるのか?なんて、まさかぁ~!……と笑えないところが恐ろしいぜ…)

トシヒコの話によると、例の泉は怪しい雰囲気が漂う、とても入りたいとは思えないところらしい。てっきり、見惚れてしまうような美しいところだと思っていたので、マサルは心底驚いた。怖いもの知らずのトシヒコですら足を踏み入れなかったのだから、相当入りにくいところなのだろう。
少し前を飛ぶトシヒコに声をかける。
「なぁ、トシヒコ!」
「ん?」
「あのな、俺たちがコウノスケのチームに入った経緯が分かったぞ」
「え!!なに、誰に聞いたの!?」
「コウノスケの元上司って人。偶然、荷物運んでる時に会ったんだよ」
「元上司?」
「そ、元上司。寮を再建したのもその人なんだって」
「そうなの!?」
「ああ。相当、位の高い人だったぞ。あの人ならちょちょいと再建できるのも頷ける」
「へぇ!…でも、その人が何でチームに入った経緯を知ってるんだよ?」
「コウノスケに俺たちのことを話したのが、その人だったんだ。俺たち、コウノスケの指名じゃなかったんだよ」
「え?どういうことだよ?」
「俺たちが前の職場でクビ切られた時にさ、さて次の職場はどうしようってなったんだとよ。で、その人がコウノスケに”こんな二人がいる”って俺たちのことを話したんだそうだ」
「そしたら?」
「コウノスケが、この仕事に役立つ能力があるから自分が引き取るって即答したんだって」
キキィー!と足でブレーキをかけてトシヒコが急停止した。
「うわっ!」マサルも慌てて止まるもトシヒコの背中に衝突、二人してゴロゴロと前方へ転がった。
「いってぇ…突然止まるなよぉ!」
「ててて…俺も痛いよ!もう!上手く避けてよ!」
「無理だって!目の前で急に止まられて避けられるわけないだろ!」
「ねぇ!それ、嘘でしょ!即答で引き取るなんて!!」
「俺もそう思ったさ。でも、即答したんだとさ」
「……」信じられない、そんな顔でマサルを見る。
即答したと思われる理由も聞いたけれど、それはさすがにトシヒコにも話せない。コウノスケが昔問題児だったことを話せば、トシヒコに漏らす気がなくても必ずどこかに漏れる。あちこちに広がって本人にもいつかきっと伝わってしまう。誰から漏れたのかなんて、すぐにバレる。バレたら…殺される…!
トシヒコに言いたくて仕方がないのだが、ここは自分の身を守るためにも黙っていなければ。
「…即答…本当かよ…」
「嘘みたいな話だけど、本当なんだって」
「俺たちの能力だけが理由じゃないよね。それだけで即答なんてしないよ、普通。…何があるんだろ…」
「そ、そうだなぁ…でもさ、あいつのことだから”ぼくが二人を鍛え直してやる”とか思ってチームに引き入れたのかもしれないぜ?」
「ああ、そうか。そうかもなぁ…。でも、即答ってことはないんじゃ…」
「ほ、ほら!泉に行くんだろ?コウノスケに”遅い!”って怒られるぜ!」
ブツブツ言いながら、ふよふよ浮いているトシヒコの背中を押して先を促した。
「う、うん…」
まだ納得できていないトシヒコだったが、とりあえず泉に向かうべく、再びスピードを上げた。ホッとしてマサルは付いていく。
「…即答…あいつが…」
(まだブツブツ言ってる…ごめん、トシヒコ。)
トシヒコの背中に心の中で謝った。

しばらくすると、前方に森のようなところが見えてきた。
「マサル!あれが泉!」
「え、あれ?あの森みたいなところ?」
「そう!」
霧に包まれたようにぼんやりとしたあんな森に泉があるのか。悪魔でも潜んでいそうで、とても天界とは思えない雰囲気だ。
「ね!入るの躊躇う感じでしょ?」
「ああ!」
森の手前にコウノスケの姿が見える。二人はコウノスケの元へ向かった。

「遅い!」
「おまえが飛ぶの速いんだよ!」降り立ったマサルはムッとする。
「おまえたちが遅すぎるんだろ。もう少し速く飛べるようになってもらわないと困る。トシヒコ、トレーニングしてその程度なんて、ちっとも成長していないじゃないか」
「…こいつが即答……」
「あ?」意味不明なことを言われて、コウノスケが怪訝な顔になる。
「コウノスケ、おまえさ…」
(ヤ、ヤバイ…!)マサルが慌ててトシヒコを引っ張る。
「え、な、何だよ!」
「バカ!本人に聞こうとするなよ!」ヒソヒソ声でトシヒコに囁く。
「だって…!」
「あいつが言うわけないだろ!怒って終わりに決まってるじゃないかっ」
「でも気になるじゃん!」
「そうだけど!」
「…何の話だ」
「何でもない何でもない!」マサルがプルプル首を振る。
「…何でもないようには見えないが」
「何でもないって!な、トシヒコ!何でもないよな!」
「……」
「トシヒコ!」残念ながらトシヒコは察しが悪い。目で訴えても分かってくれない。トシヒコにちゃんと口止めしておくんだった…と後悔した。
「マサル」冷め切ったコウノスケの声に、マサルの背筋が無意識に伸びる。
「は、はい!」
「……」そ~っと振り向くと、コウノスケが無表情でマサルを見ていた。
(…こ、怖えぇ…)
「…おまえ、荷物を運ぶ途中で誰かに会っただろ」
ドッキーン!!!
「…え、ええ?べ、別に誰にも…」
「マサル何言ってんの?さっき…」
「しっ!」
「…会ったな?」
「だ、だから…その……」俯いて言い淀んでいると、ふぅ…とコウノスケのため息が聞こえた。
「…お元気だったか?」
「…え?」意外な問いに顔を上げた。そこには、諦めたような顔をしたコウノスケがいた。
「会ったんだろう、ぼくの元上司に」
コウノスケから言われるとは思わなかった。目をパチクリしてとりあえず頷いた。ため息交じりにコウノスケが口を開く。
「…前からマサルとトシヒコに会いたいと言っていたからな。見かけて声をかけていても不思議じゃない。三〇一会議室での会議の出席者でもあるからな」
「そ、そっか…」怒られなくてよかった…マサルは心の底からホッとした。
「で、お元気だったのか?」
「元気…だったんじゃないか、あれは。会議室に行く時なんて、ダンボールをクルクル回して持ってい…」しまった!と口をつぐんだが、時すでに遅し。
「…おまえ、途中から運んでもらったな?」
「だ、だだだだって!!自分も三〇一会議室に行くからあとは自分で持って行くって!」
「だからって運ばせるな。あの方が誰か知っているのか?主天使さまだぞ」
「……し、しゅしゅしゅしゅ主天使ーっ!?」マサルが大口を開けて固まる。
「主天使って…確かすっごい偉い天使じゃ…」位に疎いトシヒコにも偉い天使だというのは分かったようだ。
「中級三隊のトップだ。本来であれば、ぼくたちのような下級の、しかも最下位の天使と対等に話せるような相手ではない」

確かにすごい強大な力を感じたが、まさか中級のしかも主天使とは。
(俺……そんな人と普通にしゃべった上に、荷物まで……)
今更ながら激しく後悔する。今日はもう三回も後悔している。あと何回後悔するのだろうか。
「マサル、そんな偉い人にダンボール運ばせたんだ?すごいな!」
「だって…っ」マサルが涙目になっていて、トシヒコは吹き出した。
「なんだよ、その顔~!」
「うるさい!」
「ははは!」
「笑うな!もう!」
「だって面白いんだもん。よかった、俺そっちに行かなくて」
「くそ…っ」
「あ、寮もその人が再建したんだって?さっきマサルが言ってたけど」そうコウノスケに尋ねると、ため息交じりに頷いた。マサルは後悔ばかりだが、コウノスケは先ほどからため息ばかりだ。
「…ああ。頼んでもいないのにな。お節介なんだ、あの方は」
「主天使様に”お節介”とか、失礼じゃん」
「…お節介なのだから間違ってはいない」
「なに、コウノスケはその人嫌いなの?」
「…嫌いではない。ただ…」
「ただ?」
「…何でもない」
「何だよ、気になるじゃん」
「…大したことじゃない。個人的な話だ」
確かにコウノスケは嫌いではないようだ。けれど、苦手意識があるように見える。そうマサルは感じた。
(…自分の過去を知っているから、かもな。言ってみれば自分の秘密を握っているわけなんだから。あの人と会ったら、こいつどんな風になるんだろ?ペコペコ頭下げるのかな。…見てみてぇ!)
などと考えて心の中でニヤニヤしていると、突然コウノスケがマサルを見た。ビクッとする。
「それで、主天使さまは教えてくれたのか?」
「へ?」
「…どうせ自分たちがぼくのチームに入った経緯を知らないかと聞いたんだろ」
すっかりお見通しだった。マサルはガクッと脱力する。もう黙っている必要はなくなった。あの話を除いて。
「ああ、おまえが教えてくれないからな。あの人…主天使様がおまえに俺たちのことを話したんだろ?」
「そうだ。こんな二人がいて、皆が次の職場に困っているとおっしゃっていた。確かに数々の問題を起こしてきたおまえたちを受け入れてくれる職場などないだろうからな。当然、上は悩むだろうな」
「どうせ俺たちは上を悩ませる問題児だよ」フン、と鼻を鳴らしてマサルがそっぽを向く。
「…言っておくが、主天使さまは他の方々のようにおまえたちを問題児だとは思っていないぞ。問題児だと思っていたら、ぼくに打診なんてしない」
『…え?』二人がきょとんとする。
「上は頭が固いお方たちばかりだ。何か問題があると”問題児”で片付けてしまう。ご自分たちの頭の固さが生んだ”問題児”だというのに、まだそれに気づいていない。これは何百年経っても変わらない、天界の悪いところだ」
二人とも、コウノスケの言っている意味が分からなかった。
「???」
「……は?どういうことだよ?俺たちに分かるように説明してくれよ」
「…おまえたちがこれまでの職場で上手くいかなかったのは、自分の能力が発揮できなかったからだろ?」
『え……』
「違うか?」

二人は顔を見合わせた。
確かにコウノスケの言う通りだ。マサルもトシヒコも、自分の能力を発揮できない職場をそれぞれ転々としてきた。持っている能力をどこに活かせるのか分からないまま、ただ言われたことをやってきた。当然、成績なんていつも最下位だ。
そんな状態で真面目に仕事をしろだなんて言われても無理に決まっている。サボリ、遅刻、同僚とのいざこざ…。荒れる一方で、”問題児”というレッテルを貼られ、あちこちに飛ばされては同じことの繰り返し。
そんなことを繰り返していたら、誰だってやる気はなくなるはずだ。

「おまえたちの能力を理解しないまま、上が能力を発揮できないところに配属させた。それがすべての原因だ。それをずっと繰り返してきて、いつしか”問題児”にさせられた。主天使さまはそのことを理解した上で、ぼくに連絡してきたんだ。この仕事なら、それぞれの能力を活かせるのではないか、とな。あの方の人を見る目は確かだ。あの方がこの仕事ならばと思ったのなら、ぼくは疑う必要はない。だから即答したんだ、引き取ると」
『……』
二人はポカンと口を開けて絶句した。
この職場でも、今までの職場と同じことを繰り返すだけだと思っていた。結局、問題児扱いされてクビを切られて、また違う職場に飛ばされる。そう思っていた。
今までで一番長くここにいるけれど、それはたまたま運がよかっただけのこと。自分たちのような問題児が、ずっとここにいられるわけがない…と。
けれど、そうではなかった。問題児としてではなく、自分の能力を活かすために自分たちはここにやってきた。まさか、そんな真実が隠されていたなんて。

「…そ、それならそうと、チームを組んだ時に言ってくれよ!」
「そうだよ!俺、そんなこと何にも知らずに―」
「職を転々としてきて”問題児”になったおまえたちに話したところで、こんな話、信じたのか?」
「…それは……」マサルは口ごもる。
確かにこんな話をされても、”嘘つけ!”と信じなかったと思う。隣で俯くトシヒコも同じ気持ちだ。それだけ、あの頃は誰も信じられなくなっていた。
「誰も信じていない目をしてるおまえたちに話したって無駄だと思ったんだよ。だから時機を見て話すことにした」
「それが…何で今なんだよ?」
「地上での仕事で二人の能力が発揮されるようになったからな」
『え……』
「自分の能力が役に立っているという実感も少しは出てきたはずだ。そうなれば、心にも余裕ができて人の話にも耳を傾けられる。そう思ったからだ」

コウノスケはお世辞や嘘は言わない。褒めるなんてことも今まで一度もなかった。そんなコウノスケが今、自分たちの能力が発揮されていると言った。間違いなくそう言った。聞き間違いではない。
まさか、そんな言葉をコウノスから言われるとは夢にも思っていなかった。いつも怒られてばかりだし、二人を誰よりも”問題児”扱いしていると思っていたから。
だから、上ではなくコウノスケに見捨てられてクビになるのではないかという不安の方が大きかった。”全然役に立たないからいらない”なんて言われて。

思ってもみないことを言われて二人は動揺した。どうリアクションしていいのか困ってしまう。
それに、自分たちの能力が役に立っているなんて、実感もない。あるのは、少しは役に立っているかも?というぐらいの気持ちだ。
「…そ、そりゃあ…ちょっとは役に立ってるとは思ってるけど……でも、能力が発揮されているかどうかなんて…俺には分かんねぇよ」
「…俺も…」
「…トシヒコ。ぼくたちのチームが今、何位にいるか知ってるか?」
「え?…えっと…三位…だっけ」
「でもそんなの、コウノスケがいるからだろ。俺たちなんて―」
「この仕事は三人の能力が発揮されて初めて結果が出るんだ。ぼくだけが頑張っても上位になれない。一人で片付けられるような簡単な仕事は評価もされないからな。大事なのは内容であり、三人がいかに能力を発揮して手助けしたか、だ」
「え…」
「じゃあ…俺たち…」
「何十とあるチームの中での三位だ。それだけ、それぞれの能力が発揮されているということだ。…だから、自信を持てばいい」


誰かに認めてもらいたいなんて気持ちはずいぶん昔に捨てた。何をやってもどうせ誰も認めてはくれない、そう諦めていた。
けれど、それは違っていた。

”自信を持てばいい”

マサルは素直にうれしいと思った。能力が発揮されていると言われて、喜んでいる自分がいるのだ。捨てたと思っていた気持ちは、心の片隅にまだ残っていた。
誰かに認めてほしい。
誰かの役に立ちたい。
消えていなかった思いが、マサルの心の中で喜んでいる。

相変わらずの冷たい口調だけれど、コウノスケがそんな言葉を口にしたというだけで、マサルには胸を熱くするものがあった。
見捨てられるかもしれないという不安もあったし、役に立っているという自信もなかったから。
ここに来てからずっと、コウノスケにダメだバカだと言われ続けてきた。怒ると半端なく恐ろしいし、容赦がない。天使だなんて、絶対嘘だと疑った時もあった。
こんな仕事辞めてやる!と思ったことは数えきれないほどある。

ただ……ある時気づいたのだ。
地上へ行った時、二人に指示したことはそれぞれに任せて口出ししたりしないし、あとから”あれはこうするべきだった”などと注意されたり、怒られたこともない。マサルが読み取ったその人間の”人となり”は何一つ疑わないし、トシヒコが考え付いた突拍子もない発言やぶっ飛んだ案も、作戦に取り入れることも多い。
それは、チームを組んだ時からだ。コウノスケは最初から二人の能力に対しては、何一つ文句をつけたことがなかったのだ。

そのことに気づいた時、コウノスケは単なる厳しいヤツではないんだと分かった。
そして今、新たに気づかされたことは、コウノスケは最初から二人の能力を認めてくれていたということだ。
何一つ文句をつけなかったのは、二人の能力を信じていたから。
コウノスケは最初から、二人を受け入れてくれたのだ。

(…ヤベ…泣きそう…)
マサルはコウノスケに背を向けて鼻をすすった。コウノスケが最初から受け入れてくれていたこと、そして、それを言葉にしてくれたことがうれしくてたまらなかった。
悔しいけれど、こんなにうれしいと思ったことはない。込み上げてくるものを堪えていると、トシヒコもマサルと同じようにコウノスケに背を向けた。上を向いて涙を堪えている。トシヒコもきっと気づいたのだろう。
どんなヤツだって、認めてもらいたいという気持ちは決してゼロではないのだ。それはいくつになってもきっとなくならない。どんな辛い日々を過ごしてきても。どんなに心が荒んでも。

「…なぁ、マサル」
「……ん?」
「…俺たち、まだ間に合うかな」俯いてトシヒコがポツリと言う。言いたいことは分かった。”問題児”というレッテルを貼られた二人。それでも、これから頑張れば何とかなるのか。それとも、もう手遅れなのか。
それはマサルにも分からない。きっと何とかなるなんて、そんないい加減なことも言えない。
「…どうだろうな」マサルも俯いた。
すると、二人の背中に向かってコウノスケが言う。
「間に合うさ」
『…え……』
「おまえたちは少し回り道をしただけだ。その分を取り返すためにおまえたちはここへ来た。貼られたレッテルはここで剥がしていけばいい」
コウノスケの言葉が胸にジンときて、どんどん視界がぼやける。
「…な、長いこと貼られてんだ。なかなか剥がせないかも…しれねぇぞ…っ」マサルが震える声で言う。
「…そ…そうだよ…っ 」トシヒコも声を絞り出す。
「…それはおまえたち次第だ。剥がしたいのなら、それだけ頑張るだけだ。…もし、それでもおまえたちが剥がせない時は…そんなもの、ぼくが剥がしてやる」
『……っ』
堪えていたものが溢れてくる。止めたくても止められなかった。

まだ間に合う。間に合うんだ。
この貼りついて離れないレッテルが剥がせるかもしれない。
ここで。
マサルとトシヒコと…

そして、コウノスケの三人で。

二人は静かに泣いた。



「…もう、気は済んだか」背後から聞こえてくるコウノスケの声で我に返った。マサルはサングラスを取って袖でゴシゴシ顔を拭くと、ふぅ…と一つため息をついて再びサングラスをかけた。
「…おぅ…」そう返事をしたものの、恥ずかしくて振り向けない。
トシヒコを見やると、手で何度も目をこすっていた。その大きな目は真っ赤だ。ということは、自分の目もきっと真っ赤だ。マサルはサングラスがあってよかったと心から思った。
「…主天使さまに感謝しろよ。すべてはあの方のおかげなのだから」
「…あ、ああ」
「う、うん…」
確かに主天使のおかげだ。自分たちのことをコウノスケに話したからこそ、今があるわけで。けれど、コウノスケが引き取らなければ、今も職を転々としていただろうし、”問題児”から抜け出すきっかけもなくしていただろう。
そして、泣いてしまうほどうれしかったのは、コウノスケからもらった言葉だ。きっかけは主天使でも、やはりコウノスケに感謝すべきだと二人は思う。
素直に”ありがとう”なんてとても言えないし、言ったところで”やめろ!気持ち悪い!”と吹っ飛ばされる可能性もある。二人は心の中で感謝した。

(あの人が言っていたことも、少し分かった気がする。)
マサルは、主天使との会話の中にコウノスケの本質に繋がる言葉がいくつもあったことに気づく。
人の心や気持ちを読み取る能力に長けているマサルでも、感情をあまり表に出さないコウノスケの心は読み取りにくい。何を考えているのかなかなか見えてこなかったのだが、ようやくコウノスケの内面に少し触れられた気がした。

「じゃあ、行くぞ」唐突に言われて、マサルとトシヒコはえ?と振り返った。
「行くってどこに?」
「泉に決まってるだろう。ここがどこだか忘れたのか、泣き虫め」
「な、泣き虫って言うな!」
「そこは触れないでいてやるのが大人だろ!」
「残念ながらぼくは子供だ」
「見た目だけだろう!そういう時だけ子供になるな!」
「そうだそうだ!」
「うるさい。なんだ、チームを解散してほしいのか」
『嫌です!すみませんでした!』二人は即謝った。チーム解散は困る。”問題児”のレッテルは今の二人ではまだ剥がせそうにない。もっと自分に自信がつくまでは、コウノスケにいてもらわないと困る。二人が真っ赤な目をうるうるさせて見つめると、コウノスケは心底嫌そうな顔をした。
「……気持ち悪いからやめろ」逃げるようにコウノスケが森の入り口へと向かう。真っ赤な目の二人は黙ってコウノスケの後ろを付いていった。冗談が通じない相手にやりすぎは禁物だ。怒り狂って痛い目に遭う前にやめておく。

「…うわぁ…近くで見るとさらに気味が悪いなぁ」
森を目の前にして、マサルの眉が見事な八の字になる。
「なぁ、何で急に泉に連れて来たんだよ?」
「そろそろ泉に入っても大丈夫だと思ったからだ。ここはある程度のレベルにならないと危険なんだ」
「危険?」
「この怪しい雰囲気!やっぱり何かいるのか!?」
「泉に地上の人間が映ることは知っているな?」
「ああ、それは知ってる」
「泉は複数あって、見たいものによって見る泉が違うんだろ?この前会った先輩が言ってた」
「そうだ。人間の願いによって映る泉が違う。手助けはしないが、悪事を働く人間たちが映る泉もある」
「何でそんなのまで映すんだよ」
「泉は良い人間だけを映すところではない。人間とは何かを知るための場所だ。悪事を働こうが、人間は人間だ」
「ふ~ん…」
「それに、そういう人間を専門に扱う天使もいる。改心させる、そんなスペシャリストだ」
「へぇ!」
「よほどの強い心の持ち主でないと扱えない分野だから、扱う天使も少ない。成果も出にくいからな」
「確かに…」
「チームの能力を考えて、手助けする人間を選ぶことが必要だ。だが、その前にここに入る時は気を付けなければならないことがある」
入り口に立って、コウノスケが振り返る。
「…な、何だよ?」
「この森の中は、人間の欲望や哀しみで溢れている。ある程度のレベルにならないと、自分を見失ったり心が壊れたりする」
「こわっ…」
「あ、だから半人前の俺たちを今まで連れて来なかったのか」
「そうだ」
「でも、この前会った先輩は、”まだ教えてもらってないのか”って言ってたけど?」
「…あいつは半人前なのにリーダーの教えを守らずに、勝手に泉に来るようになったんだ。まだ来るべきレベルでもないのに森へ入ったため、本人は気づいていないが、人間の悪しき心に取り憑かれてしまっている」
「ええっ!?」
「と、取り憑かれてんの!?」
「トシヒコが会ったあいつ、どこかおかしくなかったか?」
「え?…あ、そういえば妬みとか悪口ばっかりで何こいつって思ったけど…まさかそれ?」
「そうだ。心の隙間に入り込まれ、闇が出来る。元々人を妬むところがあるヤツだから、さらに妬む気持ちが増幅してしまったんだろう」
「そいつ、これからどうなるんだよ?」
「死にはしないが、さらに歪んだ心になっていく。そのうちチームの他のメンバーにも影響が出てくる」
「え、それヤバイじゃん!」
「上にはぼくから話した。他に影響が出ないうちに上が対応してくれる」
「そ、そっか、それなら大丈夫だな。よかった…」トシヒコはホッとするが、
「…でもさ、俺たちもまだまだ半人前だろ?入って大丈夫なのか?」とマサルが疑問を口にする。
「あいつよりは大丈夫だ。ただ、保証はないが」
『ないのかよ!!』
「おまえたちが一人で入ったら保証はないが、ぼくといれば近づいてこない」
「ほ、本当かよ?」
「相手のレベルを見て寄ってくるんだ。入り込めない者には近づかない。中に入ったら、念のためぼくから離れるな。離れると隙を見て寄ってくる可能性がある」
「マジかよ…」
「寄ってきたらどうすりゃいいんだよ?」
「安心しろ。おまえたちぐらい、指一本で守れる」
(…なに、こいつ、格好いい…)
心の中でキュンとしてしまう二人なのだった。

「行くぞ」
『お、おう…』
コウノスケの後ろにぴったりくっついて、二人は森の中へと足を踏み入れた。
その途端、嫌な空気に包まれる。無数の何かが渦巻くような、そして何かに見られているような感覚。さらにはひどい耳鳴りまでしてくる。
目に見える風景は普通の森だが、明らかに森の外とは違う。
「…頭痛てぇ…」
「俺も…」
「それが無数の人間の声が集まった音だ。聞えてくる音に耳を傾けるなよ。ただの雑音として聞き流せ。そうすればそのうち治まる。一番奥の泉に行くぞ。離れるなよ」
「分かってる…!」
「あ~音がウザい!」
「今日はまだ静かな方だ」
「これで!?」
「いつもどんなんなんだよ……あ、あれ?少し治まってきたぞ」トシヒコの表情が少し和らいだ。
「トレーニングのおかげだろうな。成果が表れているじゃないか」
「そりゃ、頑張ってるからね!」
しかし、マサルはまだダメなようだ。耳を押さえて、眉間にシワを寄せている。
「く~……」
「マサル、頑張れ!」
「酒を控えて、トシヒコみたいにトレーニングした方がいいな」
「うるせー!…う~…っ」
「ねぇ、一番奥の泉って何が映るんだよ?」
「…今までやってきた仕事を思い出してみろ。共通点が見つかるはずだ」
「ええ?共通点?」
一通り思い出してみたが、トシヒコにはピンと来ない。そもそも、どんな人間たちだったか、ほとんど忘れてしまっている。共通点など見つかるはずがない。
「…トシヒコ、おまえもう忘れたのか」
「え…あ…あはは…」
「おまえの記憶力の無さは異常だな」
「異常って言わないでよ、傷つくじゃん」
「異常なのだから仕方がないだろう。これまで手助けした人間のこともできるかぎり記憶に残しておけ。今後の仕事で役に立つこともたくさんある」
「え~…」
すると、マサルが言った。
「…思いを口に出せない人間。一人で悩んでいる人間。一歩前に踏み出せない人間。そんなところか?」
「あ、マサルも治ってきた?」
「ああ、ちょっとマシになってきた。総合すると、”勇気が出せない人間”かな」
「…そうだ。あと一歩踏み出せば変われるのに、その一歩が踏み出せない。そんな人間たちが映る泉だ」
「その泉に映る人間を選んでいるのは、俺たちの能力が活かせるから、か」
「答えは単純だが、人それぞれ勇気が出せない理由は違う。答えに導くためには、やはりその人間の”人となり”を読み取り、一歩踏み出すのは簡単なことなんだと前向きになってもらう必要がある。それには心に寄り添える者と新たな着眼点を見い出せる者が必要不可欠だ」
「なるほどね。だから俺たちに向いてるってことか」
「メンバーの能力に合わせた人間を選ばないと、何の成果も生まれない。だから、ここでの人選は重要なんだ。着いたぞ」
二人の前に現れたのは、木々に囲まれた大して大きくない泉だった。特別な感じも見受けられない。水面も特に変わった様子はなく、一面さざ波が立っているだけだ。
「…地上でいうところの池って感じだな」
「うん、そんな感じ。人間が釣りとかしてそう」
覗き込んでみたが、泉の底は見えなかった。そういえば、風もないのにひたすらさざ波が立っている。よく考えると不思議だ。このさざ波が普通の泉ではないことを物語っているのか。
「トシヒコ、水面に手をかざして、さざ波を止めてみろ。波がなくなったところに地上が映る」
「え、俺?…できるかな…」
「できなかったら減点だ」
「ええっ!?」
「大丈夫大丈夫、トシヒコならできるって」マサルが隣で頷いた。他人事だと思って…とトシヒコはムッとする。
「どこにそんな根拠が…」
すると、コソッとマサルが耳元で囁く。
「今のコウノスケの言葉、裏返しに考えればいい。あいつは、”心配しなくてもできる”って言いたいんだよ」
「…え、本当に?」
「きっとな。じゃなきゃ、ここに連れて来ないって。さっきの話でこいつのこと、少し分かっただろ?」
「そりゃあ…まぁ…」
「マサル、うるさい」
「…あれ、聞こえてた?」ペロッと舌を出すと、いつものあの顔が返ってきた。けれど、何か前と違う気がする。冷たい表情なのだが、どこか違う。
そう思うのは、コウノスケの気持ちを少し知ることができたからだろうか。

コウノスケが昔、問題児だったのなら、きっと自分たちと同じ思いをしたはずだ。自分の能力を活かせず、自分の存在価値を見い出せない。周囲からは白い目で見られる。
二人の能力を活かすために引き取ってくれたこと。そして、手助けする人間を的確に選んでくれていること。すべてが、経験者だからこその行動にも思えてくる。
目には見えないコウノスケの優しさが、マサルには見えてきた気がした。

(こいつは性悪じゃないのかもしれない。単に口が悪いだけ…なのかも。)

「あ!見えてきた!」手をかざして集中していたトシヒコが声を上げた。見ると、手をかざしたところのさざ波がおさまり、水面に人間の姿が映し出された。
「できたじゃん!」
「へへっ」照れくさそうにトシヒコが笑う。
「やめればまたさざ波が立つ。同じように繰り返せば、その都度様々な人間が映し出される。前に見た人間を映したいなら、その人間を強く思えばいい」
「へぇ…。じゃあ、手助けした後は、その人間を思えばいいわけだな」
「そういうことだ。ただ、何度も見たりするのは体力を使う。調子に乗ってあれこれ見ていると、力が弱まって心に入り込まれるから気を付けろ」
「うへー怖い怖い」
「トシヒコ、次の人間を映してみろ」
「分かった」一旦手を引っ込めると、じわじわと水面にさざ波が立った。また手をかざすと、さざ波が徐々におさまり、また人間の姿が見えてくる。
「…この人間、以前から気になっている者だ」
「そうなんだ?」
「勇気を出せないことで、状況がどんどん悪い方へと向いてしまった。答えは単純なのだが、それすら見えなくなっている」
「このまま放っておいたらどうなる?」
「おそらく、犯罪に手を染めてしまうだろう」
「そうなる前に止めてやらないと!」
「ああ。明日はこの人間にする。マサル」
「あん?」
「おまえの能力が特に重要だ。この人間の心を読み取って、キーとなる言葉を見つけるんだ」
「…分かった」
「トシヒコは、今回はこの人間の周囲を監視しろ。僅かだが悪魔の匂いを感じる」
「え!」
「強い力ではないが、悪魔に取り憑かれた人間が近くにいる可能性がある。その者がこの人間の心を操っているのかもしれない」
「分かった。悪魔を見つけたら祓っていいんだよね?」
「ああ」
「オッケー!最近そういうのなかったから、つまんなかったんだよね。よぉし!帰って早速筋トレだっ!」そう言って手を引っ込めると、トシヒコが出口の方へと駆け出した。
「あ!バカ!おい!」マサルの声も届かず、トシヒコは行ってしまった。ここが森の中だということをすっかり忘れている。
「大丈夫か!?あいつ、おまえから離れちまったぞ!?」
慌ててコウノスケを見ると、コウノスケが目を閉じて出口の方へ手をかざしている。
「?何やってんだ?」
「念のため、トシヒコの周りに結界を張っている。トレーニングに燃えているようなヤツだから、近寄ってはこないだろうけどな。…よし、もう森を出たから大丈夫だ。まったく、世話が焼けるヤツだな」
(やっぱりこいつ、ちょっと格好いい…)
またちょっとばかりキュンとしてしまうマサルだった。

「ぼくたちも行くぞ」
「あ、待て!一人、見たい人間がいるんだけど!」
「見たい人間?」
「ああ。手助けした人間のその後って、強く思えば何度でも見られるんだろ?」
「…見ようと思えばな」
「クリスマスイヴに手助けした人間が見たい!」
「え…」珍しくコウノスケの顔が驚きの表情に変わった。マサルからその人間が見たいと言われるとは思っていなかったのだろう。
「翌日の姿は地上で見たけど、その後どうなったのか、実はずっと気になってたんだよ」自分のことをまるで友達のように思ってくれたあの人が最後に見せてくれた笑顔は、マサルの心に今も強く残っている。
「…そうか」
あの人はここで選んだ人間ではない。どういう経緯でコウノスケがあの人を見つけたのかは分からないが、規則違反をしてまで手助けした人だ。コウノスケもあの人のことは他の人間以上に心に残っているはずだ。マサルですら、その後が気になっているのだから、コウノスケはもっと気になっているに決まっている。
とはいえ、コウノスケはあれからも毎日のようにここへ来ている。その後も何度となく泉に彼女を映しては、ストーカーのように眺めている気がしてならない。
さすがにそれはあえて聞かないけれど。

「俺でも映せるか?」
「……安定した力と、思いが強ければ」
「じゃあ、コウノスケの方がいいな」
「…おまえが見たいんだろう。自分でやれ」
「コウノスケだって見たいくせにぃ」
「……」
「否定しないのかよ」
けれど、自分でやることに意味がある気がして、マサルは水面に手をかざした。トシヒコよりも力の弱い自分でも頑張ればできる!なんて、自信をつけたい気持ちもある。
「……」マサルは目をつむって、集中する。
あの人を心に強く思う。照れくさそうに笑ったあの人を。

”マサルくんも…ありがとう”

”ありがとう”があんなにうれしかったことはない。自分がこんな能力を持っていてよかったと、初めて心からそう思った。照れくさくて、コウノスケみたいに満面の笑みで返せなかったけれど。

無駄な能力だと思っていた。自分の存在価値なんてない、そう思っていた。
すっかり曲がってしまった心。この仕事をするようになって少しずつ良くはなってきていたけれど、マサルの心をキレイに溶かしてくれたのはあの人だ。
そして、自分たちと過ごした記憶を消されても、心に僅かに残った記憶の欠片で変わることができる人間の心の強さを見せつけられた。
天使なんかより、人間の方がずっと強い。マサルはそう思う。
長くても百年しか生きられない人間に、こんなにも学ぶことがあるなんて思わなかった。

(あんたなら、もう大丈夫だとは思うんだけどさ。どうしても気になっちまうんだよ。)

水面のさざ波が、少し小さくなってきた。うっすらと、人影が見えてくる。
「マサル、あと少しだ。そのまま集中しろ」
「分かってる!」
が、力が安定していないのか、さざ波が立ったり消えたりして人物がはっきり映ってこない。
「…くっそ…!」マサルの力ではこれが限界なのか。悔しいが、まだまだ力が足りない。腕もプルプルと震えてきた。
(あー!くっそー!!!)腹の底から力を絞り出したが、雑念が入り集中力もなくなってきて、さざ波が元に戻って行く。
「ダ、ダメだ…」
すると、コウノスケがマサルの腕を押さえた。
「それくらいにしておけ。体力を消耗しすぎると寄ってくるぞ」
スッとコウノスケが水面に手をかざす。カッと閃光が走り、泉全体が一瞬にして鏡のように静かになった。
(…す、すげぇ!)
「ここまでやれるようになれとは言わないが、安定した力で人間の姿をはっきり映せるようにならないとダメだ。今日運ばせた荷物が基準だ。あれを力で安定して運べるようになればできるようになる」
「…あの重さにも意味があったのかよ…」
「当然だ。ぼくは無駄なことはしない」
さすがとしか言いようがない。コウノスケもあの主天使同様、一枚も二枚も三枚も上手だ。
「…映ってるぞ」
「あ!」水面には、あの人が映っていた。仕事帰りか、誰かと歩いている。その顔は、翌日見た時よりもさらに柔らかな笑顔をしていた。彼女がその後も良い方向に進んでいることは一目瞭然だ。
「…いい顔してんじゃん」
「ああ」
チラリとコウノスケを見ると、地上で見るあの笑顔になっていた。誰もが一瞬で温かくなる、満面の笑み。この顔は、本当に誰が見ても天使だ。いつもこうであればいいのに。
(天界でも笑う場所あるじゃん。主天使様にはこいつの笑った顔が見たいなら、泉に行きなって今度教えてやるかな。)
水面に視線を戻すと、彼女の隣にいる人物におや?と思った。
「あれ、男じゃないか。…何か同僚って感じでもなさそうな…」
「…あの後、何人もの男が彼女の魅力に気づき始めたんだ。だから言っただろう、一人や二人じゃないと」
やはり何度もここで彼女を見ていたようだ。マサルの予想は当たっていた。
「ふ~ん。あ、じゃあ、あれは彼氏か」
「知らん」プクッと頬を膨らませて、コウノスケは水面から手をどけた。ザバンッと大きな波が起きて、一瞬にして彼女の姿が見えなくなる。
「…何怒ってんだよ。あ、ジェラシーかよ」
「うるさい。帰るぞ」
「彼女の幸せを願う天使がそんなんじゃダメだろぉ」
「おまえ、一人で帰れ」そう言うと、コウノスケが突然ダッシュした。一瞬でいなくなる。
「えっ!あ!おいっ!こら!ちょっと待て!」マサルが大慌てで追いかけるが、追いつくわけもない。途端に森のあちこちから、数えきれない程のおぞましいモノたちが近づいてくるのが分かった。入った時以上の耳鳴りが襲ってくる。
そして、言葉にならない無数の声は、耳だけでなく直接心にも囁いてくる。まるで身体の中に入り込まれているようで、全身から嫌な汗が吹き出る。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!!)
マサルは耳を塞いでひたすら出口を目指して走った。早くここを出なくては…!焦るほど前に進まない。脚がもつれて転びそうになる。

ようやく前方に出口が見えてきた。
(もう少しだ…っ!)
外の光に向かって、マサルはひたすら走る。とその時、頭上から木の実が一つ、マサルの頭の上に落ちた。
―コン―
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」驚いて猛ダッシュする。が、出口まであと少しというところで足元の石につまずいた。
「うわっ!」マサルは前方に転倒。が、勢いもあってそのまま転がりながら何とか森からは脱出した。
「はぁ…はぁ…はぁ…」落ち葉や小枝まみれのマサルをコウノスケが覗き込む。その顔はやはり見慣れたいつもの顔だった。
「なんだ、思ったより速く走れるじゃないか」
口が悪いだけかもしれないなんて、何故思ったのか。
「……はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……や…やっぱり…こいつ……性悪…」
マサルは今日、最大級に後悔した。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「そうそう、その調子!」トシヒコの声が寮の裏手から聞こえてくる。トシヒコが声を掛けているのはマサルだ。そんなマサルは真っ赤な顔をして汗だくになって必死の形相をしている。その手元にはまたもや大きなダンボールがあった。
「く…っ」
しかし、今日はこの前とは違う。手ではなく、自分の力を使って浮かせて運んでいる。

泉でのこともあり、このくらいできるようにならなきゃただの足手まといだと、マサルは珍しく奮起。この前と同じ重さのダンボールを用意して、トレーニング中なのである。トシヒコにも協力してもらい、何かあった時にサポートをしてもらうために付いてきてもらった。

(人間を手助けしてもその後が一人で見られないなんて、情けないもんな!)
せっかく能力を発揮できる職場に来たのに、やっぱりダメなヤツだったなんて言われるのもシャクだし、トシヒコがどんどんレベルを上げているのに負けてなんていられない。
だからって成績を上げたいとか偉くなろうなんて気はさらさらない。ただ、自分をここへ導いてくれた主天使とコウノスケに、仕事で恥だけはかかせないようにしたい。ここでレッテルを剥がす。それが、マサルとトシヒコの今の目標だ。

とはいえ、昨日今日で突然できるようになるわけでもない。目標にしていた場所にたどり着くのは難しそうだ。集中力も切れてきた。
「ぬぉ…っ」
「そろそろダメ?」
「く……もぅ…無理だぁ…っ!」
プツンと糸が切れたように一気にダンボールが落下する。
「うわぁ!!」慌ててトシヒコが腕を伸ばすと、地面ギリギリのところで制止、何とかゆっくりと地面に降ろすことができた。
「ちょ、マサル!突然離すなよ!」
「…だ、だって…もう無理だったんだよ…」
「余力を残さなきゃダメだよ。ギリギリまで頑張ったって、ゼロになったら何にもできないんだぞ」
「そんなこと言われても…」
「ひとっ飛びできるぐらいの力を残しておかないと。だって、泉でコウノスケが離れた途端、いっぱい寄ってきたんだろ?」
「……」おぞましいあの状況を思い出して、マサルはゾクッとした。
「今はいいけど、もし一人で何かあった時に助けも呼べないとか、逃げられないなんて状況に陥ったらマズイだろ?そうならないためにも、力を使い切らないようにセーブしなきゃ」
「どうすりゃできるんだよ、そんなこと」
「トレーニングすればできるようになるよ。毎日三回、腹筋百回と背筋百回、あとは―」
「他に方法はないのかよ…そんなの無理だって…」
「そんなこと言ってたら、いつまでたってもできないよ。いいの?そんなんで」
「やだ…」
「泉で見たいんでしょ?愛しのお姉さんを」
「い、愛しのってなんだよ!違うって!」
「照れちゃって。頑張らなきゃコウノスケからお姉さんは奪えないぞ、マサルくん!」
「だから違うって!!」
「も~素直じゃないなぁ~」
「ああぁぁぁもうっ!!」
「くくくっ」
惚れたとか、そんなことではないのに、何度言ってもトシヒコには分かってもらえない。
何故分かってもらえないのか。それは、トシヒコはまだマサルのように心に残る人間と出会っていないから。手助けしたその後が気になるほどの人間がトシヒコにはいないため、マサルの気持ちが分からないのだ。
(トシヒコにだってそのうち現れる。そしたら分かるはずだ、俺の気持ちが。)
その時は大いにからかってやろう。マサルは密かにその時を楽しみにしている。

「じゃ、今日の練習はここまでだな」
「おう。付き合ってくれてありがとな。悪いな、トシヒコにはトレーニングにもならないこと頼んでさ」
「いいよ、気にしなくても。二人で頑張って貼れたレッテル剥がそうって決めたんだ。どんどんレベル上げて、二人でみんなを見返してやろう」
「ああ」
マサルとトシヒコはニッと笑い合い、二人でダンボールを持ち上げて寮のエントランスへ向かう。


ここに来た時、二人は同じ目をしていた。やる気のない濁った目。

”俺、マサル。あんたは?”
”…俺はトシヒコ。”

お互い、一瞬で分かった。自分と同じだ、と。
性格はまったく違うけれど、これまでの境遇や抱えている闇はまるで同じだった。
だから、初めて”仲間”に出会えたと思った。
苦楽を共にできる仲間。
もう独りじゃない、ただそれだけで心強かった。

そして、チームが結成されて、もう一人仲間ができた。
彼のことは、まだ少ししか理解できていないけれど、誰よりもマサルとトシヒコのことを認めてくれている。

仲間がいるなら頑張れる。
三人ならきっと乗り越えられる。
きっと。


「なぁ、これ片付けたら美味い酒飲もうぜ。この前、地上でこっそり手に入れたんだ」
「あ、悪いヤツだね~。俺もこの前、地上で美味いつまみを手に入れたから、マサルの部屋に持ってくよ」
「おまえも悪いヤツだね~」シシシッと笑い合う。
すると、ハッとしてマサルが足を止めてキョロキョロ辺りを見回した。
「マサル?どうした?」
「いや、コウノスケが出てくるんじゃないかと思ってさ。あいつ、俺たちがこっそり何かしようとすると現れるじゃん」
「確かに。でも、気配はないし今日は大丈夫だよ。自分の部屋にいるんじゃない?」
「何言ってんだよ。気配を感じなくても現れる可能性はあるぞ。完全に気配を消したら、まったく気づかないんだから」
「え~」
「本当だって。この前、主天使が背後に来たのまったく気づかなかったんだからな」
「マサルが気づかなかっただけじゃないの?」
「そんなことないって。絶対トシヒコも分かんないって」
「またまた~。俺は分かるって、そういうの敏感だもん。そんな、完全に気配を消して背後に来るなんて、そんな―」
「私のこと、呼びました?」
『わあぁぁっ!!!』
突然、聞こえた声に二人が飛び上がった。と、同時に、二人の手からダンボールが離れた。
『あ……』
スローモーションのようにダンボールが落下していく。その先にあるのは、マサルとトシヒコの足。二人は驚愕の表情になる。
未来は変えられるというけれど、変えられない未来もある。それをこの一瞬で思い知る二人だった。

ズドンッ!!

『っ!!』

「あらら」
呑気な主天使の声のあと、二人の叫び声が天界中に響き渡ったのは、言うまでもない。



そんな様子を寮の窓から見ている無表情の天使が一人。
その手の上には、何やら粉々になったものがふわふわ浮いている。
「…こっそりだって?甘いな。バレバレだ」

マサルとトシヒコが手に入れた酒とつまみ。
どちらも二人の口に入ることなく、すでにこの世から消されていることを、二人はまだ知らなかった。


二人が報われる日は、まだまだ遠い。


―おわり―


***********あとがき*******************
(2019.12.23…タイトル変更に伴い、あとがきも少し変更)
三天使物語(2)、読んでくださってありがとうございます。
いかがだったでしょうか?
一作目、三天使物語(1)では謎だった部分をこの三天使物語(2)で書いてみました(^^)

二人が落ちこぼれになった理由、チーム結成の秘密も明らかになりましたねぇ。
三天使物語を書くにあたり、仲が悪いようで実はお互いを認め合っている、そんな三人が書きたかったんです。今回の三天使物語(2)でほぼ書けて、私としては満足です。
このシリーズで一番書いたり消したりが多かったですし、手直しにも時間がかかりました。それだけ私の気持ちもこもってます。
まぁ、ラストはいつものように二人が報われていませんが、これも愛ですw

そして!三天使物語(1)に引き続きコウノスケ大好き!ろきちゃんにイラストを描いてもらいました♪今回はマサルが頑張るよ~と伝えたところ、マサルにも愛を込めて描いてくれています。
※イラストが表示されない場合もあるので、こちらにも載せます(^^)


2016.02.20

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