「三天使物語(1)」


「ねぇ、マサル!コウノスケ見なかった?」トシヒコがひょいっとマサルの部屋に顔を出した。今日も相変わらず、よく分からない柄の上下を着ている。トシヒコの服は仕事着も普段着もだいたい”何柄?”と聞きたくなるものが多い。今日の柄も、幾何学模様のような、違うような、とにかく何の柄が分からない。
逆にマサルはいつもの飾り気のない黒スーツ。仕事も終わったので、ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンも外してダラッと着崩している。でも、サングラスは外さない。いつでもどこでもサングラスをしていることがマサルのポリシーだ。
こんな二人だが、背中には立派な羽がある。一応、天使である。

「コウノスケ?部屋にいるだろぉ?さっき部屋に入っていくところを見たぞ」
「え、いなかったよ?……ねぇ、さっきっていつ?」クイッとグラスで酒を飲み干すマサルを見て、トシヒコが問う。
「…あ~この酒がまだココまであった頃かなぁ」そう言って、マサルは瓶の上の方を指差す。その瓶の中身はもうほとんど無い。
「ほぼ無いってことはだいぶ前じゃん!」
「…まぁ、そうなるなぁ」
「も~酒飲むと役に立たないんだから。いいよ、自分で探す!」
「なに、コウノスケに何の用だよぉ?実は…好きなんだ!とか告白―」
「するか!気持ち悪い!」
「じゃあ何だよ?とうとう決闘でも申し込むのかぁ?」
「まだあいつに全然追いついてないんだから、決闘なんて無理に決まってるだろ。やったって負けるだけだ。聞きたいことがあるんだよ」
「聞きたいこと?スリーサイズとかぁ?」
「あんなお子ちゃま体形のやつにスリーサイズ聞いてどうするんだよ!今日の仕事のことで上からこっちに問い合わせが来てるんだよ。俺らじゃ分からないんだから、コウノスケに聞くしかないだろっ」
「…なんだ、仕事の話かぁ」
「コウノスケと話すのなんて、仕事のことに決まってるじゃん」
すると、首を振りながら、マサルがトシヒコの肩に手を回す。出たよ、絡み酒…とトシヒコはうんざりした。マサルは飲むと必ずと言っていいほど絡んでくるのだ。だから、普段はマサルが酒を飲み始めたら、できるだけ酔っぱらう前に自分の部屋に引っ込むようにしているのだが、今日は自分から来てしまったため、逃げるに逃げられない。これさえなければ、いいヤツなんだけどな…と心の中で思う。

「たまには仕事以外のことも話してやんなよ。あいつ、上からは気に入られてるけど、同僚や下のヤツらからは目の敵にされてるんだ。俺らぐらいしかしゃべれるヤツはいないんだからさぁ」
「自分が嫌われるようなことしてるんだから、目の敵にされるのは自業自得だろ。それに、しゃべったって冷たく返されるんじゃ、誰も寄ってこないに決まってるじゃん」
「…まぁな。でも、あれがあいつの精一杯の返しなんだって。二百年はひねくれてるんだ、あれはもう直らない。返事があるだけ機嫌がいいって思わないとやっていけないぜ。あ~酒なくなっちまった。ちぇ…」空っぽになった瓶を逆さまにして、最後の一滴までペロリと舐めた。
「…今日はやけにコウノスケの肩持つね。どうしたんだよ。マサルこそ、実はコウノスケが好き―」
「んなわけあるかぁ!!気持ち悪い!」サングラスの奥の目をカッと見開いて、マサルが叫ぶ。
「だよね。あれだけの仕打ち受けてて、もし好きならドMのロリコンだよね」
「俺はロリコンじゃねぇぞ」少し酔いが覚めたのか、声のトーンが普段のマサルに戻っている。トシヒコは内心ホッとした。
「知ってるって。でもさ、あの日からマサルって何か変だよね」
「ああ?あの日って何だよ」
「クリスマスイヴ!あの規則や成績にうるさいコウノスケが規則違反した日だよ」
「…別に変じゃねぇよ」
「変だよ」
「どこが!」
「あれから、珍しく真面目に仕事してる」
「……」
「なに、あの人間のお姉さんに”もうちょっと仕事してね”って言われたから頑張っちゃってんの?もしかして惚れちゃった?」
「ばっ…ち、違う!」
「その慌て具合、ますます怪しい」
「だから、違うって!」
「じゃあ、なに?鬼教官に痛め付けられても、上から圧力かけられても自分のスタイルを変えなかったマサルが、なんで真面目に仕事する気になったのさ」
「そういうおまえだって、前より仕事してんじゃん」
「…そ、そんなことないよっ」
「そんなことあるだろ。上から問い合わせが来たって、前は放置してたじゃん。それをわざわざコウノスケに聞きに行くなんて、今までそんなことしてなかったぜ?」
「…それは…」
言い返せなくてトシヒコが下を向く。が、トシヒコはすぐに顔を上げて”おまえもだろ!”と言いたげにマサルを見た。そう、マサルも同じようなものなのだ。言われる筋合いはない。
トシヒコに見られて、マサルはペロッと舌を出す。
「…バレたか」
「何だよ、自分のことは棚に上げちゃってさ」
「ははは~」
「”ははは~”じゃないよ。この酔っ払いめ!」
「はは。でもさ、何でいつもより仕事しちゃってるのか、本当は自分で分かってるんだろ?そんな顔してるぜ?…当ててやろうか?」
「……」
「あの人間の変化を見たから…だろ?」
「……やっぱりマサルには分かっちゃうか…」
「いや、それ俺もなんだよ。だから、手に取るように分かる」
「…え、なんだ、マサルも?じゃあ、真面目に仕事してるのは俺と同じ理由なんだ?」
「そういうこと。休暇だからって、からかいがてら付いて行ったのが間違いだったなぁ。その後の結果確認はいつもコウノスケがやってるから、今までどんなもんか分からなかったけど、ああやって手助けした人間のその後を見るのってダメだな」
「うん、俺らみたいな半人前はダメだね。ああいうの見たら、自分のダメなところが気になって気になって」
「そうそう、自分もどこか変わらなきゃって思っちまって、案の定これだ。まぁ、しばらくしたら、元に戻るとは思うんだけどな」
「じゃなきゃ困るよ。コウノスケみたいにこの仕事に全力注いでないもん。もう少し気楽にダラダラやりたい」
「俺も。昇進なんて興味ないし、誰かに勝とうなんて、そんな気もないしな」
「だよね。…でもさ、コウノスケってすごいよね。どんな人間に会おうと、その人間がどう変わろうと、自分を見失わない。ずっとあのままだろ?」
「確かにな。…まぁ、あの性格を変えるには、相当の何かがないと無理だろうけど」
「…すでに何かがあって、あんな性格になったのかもしれないよ」
「まぁ、そうかもしれないけど、興味ないなぁ…コウノスケの過去なんて」
「はは、俺もない!…あ、コウノスケ、あそこにいないかな?」
「あそこって?」
「あいつがよく行く例の泉」
「ああ、あそこかぁ。確かに一番確率が高いな」
「俺、見てくる!」
「おお。いるといいな」

トシヒコはマサルの部屋を出て、泉へ向かうべく羽ばたいた。
天界にあるその泉は、水面に地上が映し出される特殊な泉。トシヒコたち”お助け業務”の天使たちは、その泉で天使を必要としている人間を選んで地上へ向かう。もちろん、偶然地上で出会うこともあるが、その場合は想いが人一倍強い人間が多いようだ。人間というものは、時に天使をも引き寄せる計り知れない力を持っていることもあるのだ。
そして仕事が終わった後、自分たちがどれくらいその人間の力になったのかを泉で確認する。その結果とともに上に報告し、ようやくその仕事の評価が出るのだ。
結果次第では頑張っても評価されない時もある、なかなかシビアできつい仕事だ。

泉はそんな仕事のためにあるのだが、コウノスケは仕事以外でもその泉に行っていることが多い。地上の様子を見て、何が楽しいのかトシヒコやマサルにはよく分からないが、地上好きなコウノスケにとっては癒しの空間なのだろう。
ただ、何故コウノスケがそんなにも地上に執着するのかは誰も知らない。過去に何かあったんだろうと推測するが、この仕事をしている天使の中でコウノスケが一番の勤務歴で、さらに年長者でもあるため、聞ける者がいないのだ。加えてあの性格。聞こうなんて思う者もいないだろう。
「…あ、あれかな?」
眼下に、泉があると思われる森のようなところが見えてきた。しかし、霧がかかったように視界が悪くて、泉らしきものも見えない。本当にここなのかと疑ってしまう。
実はトシヒコが泉に来たのは初めてだ。泉に映る何人もの人間から誰を選ぶのかも経験が必要だ。変化した人間を見ただけで、自分を見失いそうになっているような半人前では、どの人間を選べばいいのか判断できない。泉に来るのと手助けした人間のその後を見るのは、経験豊富なコウノスケの役目なのである。

泉の入り口と思われるところに降り立ったが、中がどうなっているのかもコウノスケが本当にいるのかも分からない。さすがに入るのを躊躇う。
「…何か出てきそうで嫌だなぁ。中、どうなってるんだろう…?入ったら分かるのかなぁ…どうしよ…」
入り口でウロウロしていると、中から一人の先輩天使が出てきた。コウノスケよりは下だが、トシヒコよりは上だ。顔に見覚えがあるだけで親しいわけでもないので、とりあえず敬語で話しかける。
「あ、あの、すみません!」
「あれ、珍しいな、あんたが泉に来るなんて」
「どうも。あの、コウノスケを見ませんでしたか?ちょっと探してまして…」そう言うと、彼の顔が途端に強張った。鈍感なトシヒコでもこの人はコウノスケのことが好きではないということは分かった。
「…奥に歩いていくのを見かけたから、いつものごとく一番奥の泉にいるんじゃない」
「一番奥?…え、泉っていくつもあるんですか?」
「そうだよ。泉は複数あって泉によって映し出されるものが異なるんだ。だから、目的によって見る泉が違うわけ」
「へぇ…そうなんですか」
「あいつから泉のこと聞いてないんだ?」
「泉のことはまだ何も。まぁ、全然信用されてませんからね」
「相変わらずだな、あいつは。あんたらも大変だよな」
「まぁ、大変ちゃ、大変ですね。毎日痛めつけられてますから」
「まったく…上のそのまた上にだって上がれるレベルなのに、あいつ何でこんな下っ端の安月給な仕事に執着してんだか。迷惑なんだよな、あんな強大な力持ってるヤツが同僚なんて。扱いにくいったらない」彼は心底嫌そうに言って、深いため息をついた。相当コウノスケが嫌いなようだ。
「…そんなに強いんですか、あいつ」
「僕らが束になっても無理だろ。本来はこんな仕事をしているレベルのヤツじゃないんだ。本気で怒らせたら、僕らなんて片手で簡単にプチッと潰されるぞ」
「…うわぁ…」背筋がゾッとする。
「いつもムスッとして話しかけてもろくな返事がないし、性格も悪くて冷酷で。それでも天使かよって思うよな。そのくせ成績トップで上から気に入られているときた。やることなすこと、すべてが癇に障るよ。性悪天使はとっとと上に上がってここから出てってもらいたいもんだよ」
「……」

彼が言うように、コウノスケの性格に難ありなのは事実だ。冷酷なのも重々承知している。コウノスケに怒られてケガが絶えないし、のんびり仕事もできないから、窮屈で仕方がない。できれば違うチームに行きたいぐらいだ。

でも、この人はコウノスケのことを何にも分かっていない。トシヒコやマサルにも、まだまだコウノスケの知らない部分はたくさんあるが、一緒に仕事をしてきてコウノスケが悪いヤツじゃないことは分かった。
確かに天使らしくないかもしれないが、コウノスケの笑顔に癒され、救われた人間が地上にはたくさんいる。ただ笑っただけで人間を癒せるなんて、いくら天使でもなかなかできることじゃない。
天界では笑ったところなんて、見たことがないけれど。

それに、あのイヴの日。
いつだって規則を守るコウノスケが、規則違反をしてまで人間のために力を使った。
そこまでした理由は分からないが、成績や上の評価にこだわるコウノスケにも心を動かされる時があるということだ。

トシヒコたちがしてきた数々のミスも、いくつも報告せずにいてくれている。落ちこぼれの二人が最終的に追いやられたのが、このコウノスケのチームだ。ここで大きなミスをすれば、即クビになるだろう。
それを知っていて、ミスの数を誤魔化してくれているのかは分からないが、今も働いていられるのは、紛れもなくコウノスケのおかげだ。
性格が悪くて冷酷で笑いもしなくて、毎日毎日”馬鹿”だ”未熟者”だとあれこれ罵られるけれど、あれでも良いところもあるのだ。

そんな、隠れた部分を知りもしないで、コウノスケが単なる冷酷で天使らしくない天使だと罵る先輩天使に、何だか無性に腹が立った。
コウノスケのことは好きではないが、同じチームの自分たちが言うならまだしも、違うチームのヤツに言われるのは心外だ。

「…確かにコウノスケは性格が悪いけど、あんたも相当性格悪いじゃないか」
「……何だって?」先輩天使が険しい顔でトシヒコを睨んだ。
「だってさっきから妬みやら悪口ばっかり。そんなこと言ってる天使も、天使らしくないと思うけど」
「…おまえ、先輩に対する口の利き方を知らないようだな」
「はは、俺、落ちこぼれですから~」トシヒコはケラケラ笑ってそう答えると、フッと真顔になった。その顔に先輩天使がビクッとする。
トシヒコはコウノスケに追いつくために毎日トレーニングを欠かさない。飛ぶスピードや体力だけでなく、天使の力も日々養われている。経験や歳は下だが、備わった能力はもはや対等かそれ以上だ。
先輩だろうが、気に入らない相手には容赦しない。トシヒコの目がそう相手に訴える。

「…ふ、ふん、やっぱりあいつと同じチームのヤツは、同じように性悪だな。ま、せいぜい成績トップのコウノスケさんの下で頑張るんだな」
先輩天使はそう言いながら一歩二歩と後ずさっていく。トシヒコの目でその強さを悟ったのか、ケンカをしても勝てないと判断したようだ。そんな先輩にトシヒコは意地悪く大きく一歩踏み出して、
「はーい、落ちこぼれなりに頑張りま~す」と少年のようにニカッと笑ってやった。言われた通り確かに自分もなかなかの性悪だな、とトシヒコは思う。
「……チッ」舌打ちをして、先輩天使が逃げるように飛び立った。が、去り際に捨て台詞を吐いていく。
「コウノスケのご指名でチーム入りしたからってお高くとまってんじゃないぞ!そのうちコウノスケに見捨てられてクビ切られて終わりだ!」
「…は?」彼の言葉にトシヒコがポカンとする。今、何て言った?ご指名?
「…ちょ…!おい!待てよ!何だよそれ!ご指名って…!」
トシヒコの問いに答えるわけもなく、先輩天使はさっさと行ってしまった。残されたトシヒコは一人、呆然と立ち尽くす。

ご指名とは一体どういうことなのか。
トシヒコは上からの指令でこの仕事に就いた。マサルもそう言っていた。そして、コウノスケとはここに来て初めて会い、その場で上から三人でチームを組めと言われたのだ。
だが、それは真実ではなく、コウノスケによって作られたチームだというのか。
もしそうだとしても、そうする理由が分からない。数々の問題を起こしてきた落ちこぼれをチームに入れて、何の得になるのか。どう考えても損しかしない。

では、一体何のために…

「………ああっもう!ぜんっぜん分からん!!」長い髪をクシャクシャにして、トシヒコはブンブン首を振った。どう考えてもコウノスケにメリットがない。それに、こういう推理みたいなことは苦手だ。トシヒコには向いていない。
「戻ったらマサルに話し…いや、今日はもう酔っぱらって寝てるな。明日話そう…」
「…おい、ここで何をやっている?」
「うわぁぁぁぁっ!!」背後から凍るような冷たい声がして、トシヒコは飛び上がった。顔を見なくても誰だかすぐに分かる。
「コ、コココウノスケッ!その冷え切った声で突然背後から話しかけるな!」
「…ぼくに気づかないおまえが悪い」
「誰のせいだよ!誰の!」
「何の話だ。そんなことより、半人前のおまえがここに何しに来た?」
「え…あ、そ、そうだった!ちょっと聞きたいことがあって探してたんだよ!」
「聞きたいこと?もっと真面目に仕事をするにはどうしたらいいかという質問なら、みっちり三日かけて教えてやるけど?」
「ち、違う!上から問い合わせが来たんだよ!」そう言うと、コウノスケの眉毛がピクリと動いた。上司が絡むと成績にも影響するから気になるようだ。
「何て言ってきた?」
「今日の仕事のことで、確認したいことがあるって。俺に聞かれたけど、ちゃんと把握してないからコウノスケに確認して返事するって伝えて、で、ここに来たんだよ」
「……」真顔で聞いていたコウノスケだったが、そのトシヒコの言葉を聞いて、少し驚いたような顔をした。
「…何だよ?」
「……いや、トシヒコがそんな風にわざわざぼくに言いに来たのは初めてだなと思って」
「マサルと同じこと言うなよ。俺だってそれぐらい―」ムッとしてコウノスケを見たトシヒコだったが、コウノスケの顔を見て固まった。
(え…?)
しかし、そう思ったのは一瞬だった。もう目の前にはムスッとしたいつもの顔をしたコウノスケしかいない。
(あれ?ほんの一瞬、笑ったように見えたんだけど…)
ズイッと顔を近づけて確認してみたが、やはりいつも通りムスッとしている。見間違いだったか。

「…何だ、ケンカなら買うぞ」
「違う違う違う違うっ!ケンカなんか売ってない!今、コウノスケが…っ」
「ぼくが何だ」
「い、今……今……いや、やめとく。何でもない」言ったところで冷たい顔をされ、”ぼくがおまえに笑いかけるわけないだろう。馬鹿者め”なんて返ってくるのは目に見えている。腹が立つからやめておこう。
「…おかしなヤツだな。普段からおかしいが」
「俺より変人に言われたくないんだけど」
「ぼくはトシヒコよりマシだ。一緒にするな。その羽をもぎとって天界から突き落とすぞ」
やはり見間違いだとトシヒコは思った。こんなセリフを平然と吐くこいつが笑うわけがない。こいつが人間の女以外に笑ったら、きっと天界が滅亡するような恐ろしい出来事が起きる。

そう、例えば…

天界は黒い炎に包まれ、身も心も悪に染まった黒い羽のコウノスケが、天界の者たちを次々と殺めていく……
手始めに殺されるのは俺とマサルだ。一番気に入らない相手だろうから。…いや、逆だ。動けなくなる程度に痛めつけて、満面の笑みを浮かべながら、きっとこう言うんだ。
「ぼくに散々迷惑をかけたおまえらは、最後だ。最高に苦しいひとときを与えてやるから、楽しみに待っていろ」

(…ああぁーっ!!怖いぃぃーっ!!)背筋をゾクゾクさせながら、トシヒコはコウノスケを見下ろした。”そんなことあるわけがない”と言い切れないから怖い。

トシヒコが恐怖に戦いていることなど露らず、コウノスケはスッと指を回して業務報告書を取り出すと、スラスラと何やら書き始めた。
「?…何書いてんだよ?」
「トシヒコの今日の評価、加点をつけておいてやる」
「加点?」
「まだまだだが、きちんと報告に来たからな。…まぁ、一点だな」
「たった一点かよ!」
「加点されるだけでも有り難く思え。本来は報告なんてものは、当たり前なんだ。普段していないおまえは、本当は毎日減点でもいいぐらいなんだからな」
「う…」毎日減点はさすがに困る。それに、よく考えたら一点でも加点されるなんて珍しいことだ。いつ気が変わるか分からないし、ここは素直に有り難く加点をもらっておいた方がよさそうだ。
コウノスケ、優しい!天使みたい!と強制的に自分に言い聞かせていると、コウノスケがふとペンを止めた。もう気が変わったか…!?とビクリとする。
「…え、あの…やっぱり加点なし…?」
すると、報告書を見つめたまま、コウノスケがポツリと言う。
「…あと…特別にもう一点やろう。合計二点だ」
「え?…何で?」トシヒコが不思議そうに尋ねると、
「なかなか面白いものが見れたからな」と答える。
「…面白いもの?」
コウノスケがペン先でとある方向を指し示した。ペン先に視線を送ったが、トシヒコには何も見えない。
「え?何だよ?何にも見えないけど…」
「…経験も歳も下のトシヒコに迫力負けして逃げていったヤツだ」
「…あっ!」
言われて気づいた。ペン先が指しているのは、先輩天使が飛び去った方角だ。
…ということは……そういうことだ。
「おまえ、見てたのかよ!」
振り返ると、先ほどまで目の前にいたコウノスケの姿がなかった。見上げると、コウノスケがふわふわ浮いて遠くを見つめていた。
「あいつ、昔同じチームだったんだ」
「え!」
「…たった三日間だけどな」
「み、三日間?何それ、短すぎだろ」
「仕方ないさ、あいつが仕事できなさすぎて、役に立たなかったんだから」
「え、そんなに?…って、俺が言うのもなんだけど…」
「おまえやマサルとはまた違うタイプの仕事のできなさだ。三日間、大量に減点したら上がチームから外したんだよ。さらに降格させられて飛ばされた。降格させられたのは、ぼくが必要以上に減点したせいだと根に持っているんだ」
「はぁ?仕事ができないのは自分のせいだろうに」
確かにコウノスケは厳しいが、偽った減点や嘘の報告はしない。本当に仕事ができなかったんだろう。上もこれでは仕事にならないと判断したからこそ、降格させてできそうな他の仕事に飛ばしただけだと思う。
「学校の成績は良かったらしいがな」
「ああ、なるほど、そういうこと。頭は良いけど仕事ができない残念な人か。うん、何か納得。口だけっぽいヤツだったもんな」
「顔を合わせれば、嫌みばかり言われてうんざりしていたところだ。あれで少しは静かになるだろう」
「っていうかさ、見てたんなら出てきてガツンと言えばよかったんじゃないのか?」
「ぼくが出て行って、徹底的に潰してしまえばよかったのか?」
「それはさすがに上に怒られるだろ。あいつも再起不能になるだろうし。手加減しつつ、ちょっとした爆弾落としやればよかったんだよ」
「面倒な。ぼくは手加減なんてできない。やるなら徹底的にやる」
「…それ、天界全体が破壊されそうだからやめて。…って、あんな性悪のことはどうでもいいよ!なぁ、あいつとの会話、全部聞いてたんだろ!?」
「……」
「あいつが言ってたこと、本当か!?」
「…何のことだ」
「俺とマサルがコウノスケのチームに入った経緯だよ!おまえが指名したのか?」
「……さぁな」
無表情で感情が読み取れない。少しでも動揺すれば、答えに近づけるかもしれないのだが、さすがにコウノスケ相手にそれは無理なようだ。
コウノスケが真っ白な羽をゆっくりと羽ばたかせる。
「ぼくは上に報告してくる。面白いものが見られて今日は気分よく一日が終われそうだ。じゃあな」
「あ!おい!」
「明日も早いぞ、さっさと寝ろよ」
そう言い残してコウノスケは上司の元へと飛んでいってしまった。あのコウノスケが簡単に教えてくれるはずがないとは思ったが、”さぁな”だけで終わらせるとは。
本当か嘘かも何一つ分からず、モヤモヤだけが残ったトシヒコは悔しそうに地団駄を踏んだ。
「くっそー!!気になって寝れねーよ!こんっの…性悪めーっ!」
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― 一週間後 ―

いつも以上に不機嫌な顔のコウノスケが、天使寮の通路をズンズン進んでいく。すれ違う天使たちは、通路の端に寄ってビクビクする。話しかけたり少しでも行く手を邪魔しようものなら、一瞬で消されそうな、そんなオーラが出ているから。
通路の先にあるのは、トシヒコの部屋だ。同僚の天使たちはこれから起こることが嫌でも分かった。
「…お、おい!みんなに知らせろ!ヤバイから外に出ろって!」
「わ、分かった…っ!おーい!みんな!ヤバイぞ!急いで外に出ろーっ!!」
「あいつら、今度は何やったんだよ!?」
天使たちは同僚たちに声を掛けては、慌てて外へと逃げていく。

周囲がワーワー騒がしいが、コウノスケはそんなこと気にしない。いや、気にしないのではなく、気にならないほど不機嫌だからだ。
「……どうしてくれようか」
静かに怒りに震えるコウノスケ。
今日、地上勤務に向かうはずだったのだが、時間になっても二人が現れず、上はご立腹。今日の仕事は中止になってしまったのだ。おかげで、指導員のコウノスケの評価にも一点のマイナスがつけられてしまった。
真面目に仕事をしようとしている自分までも巻き込まれたため、コウノスケの怒りもいつも以上なのだ。

ここ十日間の業務報告書を上から返却してもらい、すべて灰にしてやった。つまり、この十日間の評価もゼロ、一週間前のトシヒコの加点も撤回だ。
最近、真面目に仕事をするようになって、ようやく仕事とは何たるかが分かってきたのかと少し安心していただけに、騙された気分だ。
所詮は半人前。人間の変化を見て一時的に真面目になっただけだったようだ。しかもそれが十日程度しか続かないとは、何というヤツらなのか。
一週間前、らしくないことをしたからかもしれない、コウノスケはひどく後悔した。
(…あの時、笑うんじゃなかった。)

トシヒコの部屋が見えてきた。
先ほどマサルの部屋のドアをぶち破ってきたが、そこにマサルの姿はなかった。そうなると、トシヒコの部屋に二人ともいるのが濃厚だ。
二人で飲み食いして、そのまま寝たんだろう。いい歳して寝坊だなんて有り得ない。

手のひらにポゥ…と光の玉を作った。その玉がどんどん大きくなり、バチバチと玉の中でいくつも閃光が走る。竜巻のように風が渦巻き、通路にある窓ガラスはコウノスケの力と暴風に耐えきれなくなって次々と割れていく。

その時、ようやく目が覚めた二人がトシヒコの部屋から慌てて出てきた。ボサボサ頭の二人は、シャツを着ながら言い合いをしている。
「も~!何でアラームかけるの忘れるんだよ!」
「トシヒコがかけてると思ったから、かけなかったんだよ!」
「マサルにアラームセットしといてって言ったじゃん!」
「聞いてない!」
「言った!マサルが酔っぱらってて聞いてなかっただけだろ!」
「酔っぱらいにアラームセットしろなんて言うなよ!」
「飲みすぎるマサルが悪い!」
「トシヒコが俺に頼むから悪い!」
「………」
冷たい視線とただならぬ気配、吹き荒れる暴風にようやく気づき、二人がこちらを見た。
『………あ。』二人の顔からサーッと血の気が引いた。
「飲み過ぎた上にアラームに頼るからそんなことになるんだ。安心しろ、明日からは毎日ぼくが起こしに来てやる」
「い、いや、け、けけ結構です…っ」ブルブルとマサルが首を振った。トシヒコはマサルの陰に隠れて言葉もなくアワアワしている。
「遠慮するな。起こすのなんて、たやすいことだ。…ああ…でも、ぼくは手加減なんてできないから、起きる起きないの前に……粉々だけどな」
「…や、やめろ…!やめて…!ごめんなさい!…許して…っ」
「許さん!地獄に落ちろ!」
『う…うう、うぎゃああぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!!!!』

ドォゴオオォォォーーーーンッ!!!!!



その後、天使寮は跡形もなくなったとさ。
めでたしめでた―

『どこが”めでたしめでたし”だーっ!!!』


―おわり―


***********あとがき*******************
(2019.12.23…タイトル変更に伴い、あとがきも少し変更)
三天使物語(1)、いかがだったでしょうか?
第一作に登場した彼ら(特にコウノスケ)が結構好評で、身近に特にハマッている人がいるので、それなら小話でも…と思いまして、書いてみた次第です。
ページのイラストも描いてもらいました。

第一作を書いた時は、天使たちのストーリーはあまり深く考えていませんでしたが、続きを書くにあたり、少し過去とかも考えてみたり。
この続きも読んでいただけたらうれしいです♪

※スマホからだと、イラストが表示されない場合があるようなので、こちらにも載せておきます(^^)


2016.01.14

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