「信じている未来」


ビルの屋上から、目の前に広がる街を見下ろす。
いつもと変わらない空、街並み。そして、うんざりするほどの賑やかさと活気。
人間たちは相変わらずだなと…そう言えたら、どれだけよかったか。
いつもとは違う街を見つめ、コウノスケは小さく息を吐いた。

今、地上では大きな出来事が起きている。
新しいウイルスが発生したのだ。
感染者はどんどん増え、数ヵ月で世界中に拡がった。
学校や企業、施設が閉鎖され、外出自粛となった地域もある。
感染者のいない国は、入国を禁止してウイルスが自国へ侵入することを阻止しようと必死だ。
薬やワクチンがなく、命の危険すらあるウイルスなのだ。必死になるのは当然だろう。

一週間前、久々に下り立った地上の様子は、普段とはかけ離れていた。
多くの店がシャッターを閉め、賑やかさがない。
行き交う車の量もずいぶんと少なく、歩く人間の姿もまばら。閑散とするその様は、まるで見知らぬ街のようだった。
自分の心の拠り所でもある地上が、こんな状況になるとは。

もちろん、過去にも様々なことが地上では起きている。
飢饉や戦争、そして災害。人間が招いたことや自然の脅威、理由や原因は様々だが、何度も何度も繰り返されている。
二百年と少し、コウノスケもこれまでに色々な出来事を見てきた。だが、ここまで暮らしが豊かになった地上で、新たなウイルスがまん延し、世界中が混乱すると誰が想像しただろうか。
医療だってかなり高度になり、人間の寿命も昔に比べて長くなった。様々な分野で技術が向上している。
けれど、それでも防げない未知のものが生まれ、人間の脅威になる。
まるで、人間をあざ笑うかのように。

しかし、それに屈する人間ではない。負けずに挑み続け、倒れてもまた這い上がる。未知のものが生まれたのならば、それに打ち勝つものを作り上げる。人間は決して諦めない。
だから、今のこの状況も、きっといつかは過去のものになる。未知のものに打ち勝ち、人間はまた前に進むのだ。
数ヶ月後か、一年後か、いつになるのかは分からない。
それでも、きっと人間はまた這い上がるだろう。
コウノスケはそう確信している。

そんな地上へ何故来たのかといえば、新しいウイルスがまん延している地上を調査しろという非常に厄介な指令を受けたからだ。
上級や中級天使は天界を守るために地上へは下りられない。そのため、下級天使の中で特に優れた者たちが集められ、調査をするように命じられた。
コウノスケは地上で何か大きな出来事があると、今回のように派遣要員として選ばれる。もちろん、地上に行きたいコウノスケにとっては、願ったり叶ったりな指令なのだが、だからといって、こんな状況より平和な時に来た方が良いに決まっている。

そして、今回の調査には特に厳しい条件があった。
天使はウイルスには感染しないが、何かあってもいけない。地上に下りるのは、全身に完璧にシールドが張れる者のみ、とされた。
中級天使と大差ない実力を持つコウノスケは、言わずもがな条件を軽々クリア。その他にも大天使と権天使が選ばれ、こうして地上へとやってきたのである。

しかし、厳しい条件をクリアしたのはほんの数人。優秀な者たちばかりとはいえ、この広い地上、すべてを調査するのだ。さすがに一日二日では無理だ。
話し合い、それぞれの担当地域を一週間程度かけて調査することになり、コウノスケと他の天使たちは地上へと散らばった。

調査中にこれまで手助けした人間たちの状況も確認してきた。大変な中、それぞれが現況を受け入れ、前を向いて頑張っていた。もう天使の手助けなど、誰も求めていない。それは何よりも喜ばしいことだった。
彼らならもう大丈夫。きっと、この先も。

そして、地上へ下りてから一週間の今日。ようやく振り分けられた担当分の調査を終え、集合場所へ戻ってきた。
他の天使はまだらしい。全員の気配を探ると、ここへ向かっている途中のようで、一人はすぐ近くだ。十分もすれば全員揃うだろう。

他の天使は皆、大天使や権天使なので、コウノスケより上位だ。しかし、年齢はコウノスケの方が上で実力も上。つまり全員後輩にあたる。
年齢も実力も上なのに、下位のコウノスケの扱いに戸惑っている者もいたが、さすが上が選んだ者たちだけのことはある。聡く変な嫌みを言う者もいないし、数人という状況に文句も言わない。与えられた任務を全うすることを第一に考えてくれるので、とても仕事がやりやすくていい。

「お、早いな」
権天使の一人が空から下りてきた。
「お疲れ様でした。そちらはどうでしたか?」
「僕が調査した地域ではまだまだ感染が拡がっていたよ。一旦は収まったらしいが、再び感染者が増えているそうだ」
コウノスケが持っていた調査記録書を手渡すと、彼は頷いて手に取った。記録書に手をかざし、今見てきたことすべてを書の中に送り込む。これで記録は完了だ。補足があれば、それは後から手書きで追加する。
「…第二波が来ていますね」
「そのようだね。…ああ、コウノスケの方は結構改善されていたんだね」
すでに記録済みのコウノスケのデータを読み取った彼が、少しホッとしたような顔で言う。
「ええ。ぼくが調査した地域はある程度抑えられているようです。日々の生活も徐々に戻りつつありました」
「地域によってかなり差があるな。国の対策の違いもあるんだろうな」
「外からウイルスを持ち込まれないように早い段階から入国制限などをした国は、感染拡大を阻止できているように感じます。これだけ世界中行き来できる時代です。外からの入国が一番の鍵なのだと思います」
「そうだな。さて、他の者たちはいつ頃来るかな?」
他の天使たちの気配を探ろうとする彼に、コウノスケがすかさず答える。
「皆、こちらに向かっているところです。全員、あと十分以内に到着します」
「さすがコウノスケ。全員の気配をチェック済みだったか」
「…二百はとうに越えていますから、一応そのくらいのことはできます」
そう返すと、ははっと笑われる。
「なにそれ、年の功みたいな言い方して。コウノスケの実力の成せる業でしょ?それにさ、僕は後輩なんだから、その敬語はやめてよ。そりゃ、位は上だけどさ」
「上位者に年齢や経験は関係ありません」
「…相変わらずだな」
「この性格は早々直りません」
「そうだろうね。百年前と変わってないんだから、あと百年経っても変わらないだろうね」

彼は百年近く前にコウノスケと同僚だった権天使だ。今回の調査のリーダーを務めている。
主天使の教えを受け、立派な権天使になった。未来の主天使候補だ。

「コウノスケのチームの二人も最近は頑張ってるみたいだね」
「ええ。ようやくそれなりに働くようになりました」
今はぐうたらと部屋で過ごしているようだが、と天界の二人の気配で今の状況を察する。おおかた、天界の仕事を与えてもらえず暇をもて余しているのだろう。
マサルとトシヒコは残念ながら条件を満たすレベルに達していないため、天界で留守番中だ。
こういう時にトレーニングをすればいいものを、何をダラダラしているのかと、少々不機嫌になる。
「コウノスケはすごいよね」
「…はい?」
「あの二人をあそこまで育て上げてさ。僕だったら途中で投げ出してるよ」
「…案外、単純なヤツらですよ」
「そうかな。まぁ、褒めたら図に乗りそうではあるけど」
「図に乗りそうではなく、図に乗ります」
「はははっ でも主天使様がコウノスケのチームにって連れてきたんだから、持っている能力は仕事で役立つんだろ?」
「…そうですね。やる気になれば、二人の能力は仕事にかなり役立ちます」
「そこだよ。本人たちがやる気にならないとダメなんでしょ?僕にはそこが無理だ。あの二人にやる気を出させるのが難しいよ。何て言ってやる気にさせたの?」
「…特に…何も」
「本当に?何も言わずにああなるとは思えないけどなぁ…」

本当に特に何か言った記憶はない。
仕事をしていくうちに少しずつではあるが行動が変わってきたように思う。天界では…あれこれあったように思うが。
と、二人に近づく強大な力を持つ者が一人。またあの方は…と呆れ果てる。おかしなことをしなければよいのだが。
「…まぁ、コウノスケの姿を見て、学んだんだろうね。君の人間に対する想いは人一倍だから」
「…そうですか?」
「そうだよ。コウノスケほど、人間のことを想っている天使はいないよ。百年前は、面倒な同僚だなと思ったけど」
「…それは今もでしょう」
「いやぁ、昔は、だよ。大天使になって部下ができた時、コウノスケみたいなベテラン天使がいるとすごい助かるなって分かったんだ。後輩の指導もしてくれるし、言葉が足らない時は補足もしてくれる。いてくれて助かった部分が多かったからね。今回も色々サポートしてくれてありがとう」
「お礼を言われるほどのことは何も…」
「めちゃくちゃしてもらってるよ。リーダーに指名されたけど、こんな大規模な調査なのに数人だろ?正直、人員不足で頭抱えてたんだよね。コウノスケが三人分引き受けてくれて助かったよ」
「…お役に立てて光栄です」
「戻ってからの記録書の補足チェックも頼んでいいかな?」
「はい、ぼくにできることでしたら」
「頼もしいな。今度何かおごるよ。…お、三人戻ってきたな」
空を見上げて、姿を見せた天使たちを確認する。
全身にシールドを張っている分、常に力を消耗していて疲れきっているようだ。皆、力尽きたように屋上に下りてくる。
「お疲れ!」
「はぁ…本当疲れたよ」
「お疲れ様です…」
「リーダーとコウノスケ、戻ってくるの早くないですか…」
「僕も今戻ったところだよ。すこいのはコウノスケの方だよ。三人分頼んだのに僕より早く戻ってきてたからね。しかも疲れてもいないし」
「…そ、それは…」
「す、すごいな…」
「さすがです…」
「恐縮です。残りの方は…あと八分ほどかかりそうです」
「そっか。あと三人、戻るまでもう少しかかる。それまでは休憩がてら、記録書にインプットしててくれる?」
三人は頷くと、その場に腰を下ろして各々記録書にデータを書き込んでいく。

悪化しているところ、改善されているところ、きっと様々だろう。
今回の調査結果で上がどう判断するのか。まだまだ地上の仕事をする許可は下りそうにないが、まずは状況が正しく伝わればいい。一つの大きな仕事が終わり、コウノスケは少しホッとした。
実は他にも色々と天界の仕事を頼まれているのだ。戻ったら次の仕事に取り掛からなければ…と頭の中で今後の計画を立てる。
暇を持て余している二人に手伝わせたいところだが、今回のようになんだかんだと条件を付けられてしまうため、なかなか叶わない。
早くマサルとトシヒコも一人前になり、こういう仕事もできるようになってほしいものである。

おそらく、周囲はこういった仕事を任せられるようになるのは、まだまだ当分先だと思っているだろう。やっとそれなりになってきたところで、全身へのシールドすらまだ張れないのだ、そう思うのも当然だ。
しかし、飲み込みは早いため、コツを掴んでしまえばシールドなんてすぐに張れるようになるはずだ。そのために密かにやらせているトレーニングもずいぶん上達している。本人たちは、何のためのトレーニングなのかはまるで分かっていないが。

そして、本人たちがよりやる気になれば、もっと早い成長が見込める。位が上がるかどうかは別にして、能力はすぐに他の者に追いつき、あっという間に追い越すだろう。
このまま順調に行けば…
(あと数年だな)

二人に貼られたレッテルは必ず剥がす。
コウノスケはそう心に決めている。
誰にも問題児などと言わせない。
そのために、自分にできることは何でもやるつもりだ。
一人前になるまで。
周囲が二人を認めるまで。

二人が、コウノスケの元を離れるその日まで。


「…あ、コウノスケ」
「…はい?」
「コウノスケは先に戻ってくれていいよ。あとは記録書にインプットしてもらうだけだし。他にも仕事頼まれてるんでしょ?」
「いえ、他の仕事は急ぎではないので、大丈夫です。皆揃ってから一緒に天界へ…―っ」
「?」
「すみません、やはり先に戻ります」
「え?」
「あの方は本当にもう!」
「どうし…わっ」
リーダーの返事を待たず、コウノスケは飛び立った。そして、ものすごいスピードで一気に天界へと上っていく。あっという間に米粒のようになり、キラリと光って見えなくなった。
「ほぇ~やっぱりすごいな、コウノスケは」
「…は、速っ…」
「な、何かあったのか?」
「リーダー、コウノスケは一体…?」
休憩していた三人が不安げに尋ねてくる。
リーダーは空を見上げつつ、最後に言い捨てていった台詞を反芻する。“あの方“と言っていた。“あの方“とは、もしかすると“あの方“だろうか。
「う~ん、天界で何かあったみたいだよ」
「えっ」
「じゃあ、我々も戻った方が…」
「いや、僕たちは予定通りあとの三人が戻ってきたら帰ろう。大丈夫、天界で事件とかが起きたわけじゃないよ」
「でも、あんなに急いで戻るなんて、よほどのことなんじゃ…」
「コウノスケがあそこまで急ぐなんてなぁ…」
「やっぱり我々も…」
「大丈夫だって。たぶん、きっとあの方が何かしただけだから」
「…へ?」
「あの方…?」
「何かって…?」
「よく考えたら、コウノスケが天界を離れてもう一週間経ってるもんな。そろそろあの方がヤバイことになりそうだ。きっと、コウノスケが戻ってくるように何かしたんだろうなぁ、ははは」
『はぁ?』
「そういう人なんだよ、あの方は」
リーダーが面白そうに笑うと、他の三人はただただ首を捻るのだった。


一方、天界に戻ったコウノスケは寮へと向かう。
先ほど、二人とともにいる主天使の気が一瞬張りつめ、二人が動揺していた。主天使が何か良からぬことを思いついたのだと思われる。
気がつけば、地上に下りて一週間。
何十年前にも似たような状況があったことを、すっかり忘れていた。あの時は、一人で長期の調査に出掛けたところ、数日後に主天使が“コウノスケが戻らなければ会議を欠席する“と言い出して、困った上司から呼び戻されてしまったのだ。
(そうだ、あの方はそういう方だった…)
そして、今はマサルとトシヒコが天界で留守番中だ。コウノスケを天界に戻すための道具にされる可能性は大いにある。…いや、すでに道具にされそうになっている。

こんな時、共に地上へ行くことができれば…。
主天使はよほどのことがない限り、地上には下りられない。コウノスケがいないことで天界で何かが起きるかもしれないが、二人が共に地上へ下りれば巻き込まれることはなくなる。
それに……できれば、地上の仕事はマサルとトシヒコ、三人がいい。優秀な天使たちとの仕事も悪くはないが、二人がいないとどうにも落ち着かない。

(…一日でも早く成長してもらわないとな。…よし、マサルとトシヒコの育成計画を見直そう)
まずはこの待機期間中に様々なトレーニングを追加だ。
頭の中であれこれ考えながら、コウノスケは三人の気配があるマサルの部屋へと向かうのであった。


『コウノスケ!?』
窓の向こうに現れたコウノスケを見て、妙にうれしそうな二人。
主天使のせいで、ハードなトレーニングがあれこれ追加されたことはまだ知らない……



―おわり―

***********あとがき*******************
二人が天界で暇を持て余している時にコウノスケは何を?と思い、書いてみました。
春ツアー全公演が延期となってしまいましたね。
でも、頑張って延期で検討してくださるメンバー、スタッフのみなさんには感謝しかありません。
ライブに参加できる日を楽しみにしています!

2020.06.13

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