「涙の向こうに見えるもの」


 -4-


「あぁ~疲れた。…で、そっちは終わったのか?」
疲れつつも清々しい顔でトシヒコがこちらにやって来た。
「今終わった」
「あ、終わったんだ。じゃ、帰ろうよ。お腹空いた!肉!肉が食いたい!!」
「相変わらず肉食だな、トシヒコは」
「肉食べて、もっと力つけないと!今度回る時は一時間五十分、切ってやる!」
「頑張るねぇ~」
「その時はマサルもやれ」
「はっ!?」
「トレーニングで地上に降りる申請をしておいてやる」
「はぁ!?そんな申請いらねぇよ!!」
「え、マサルもやろうよ。なかなか面白いよ!」
「やめてくれ!!ちっっとも面白くなんてない!!俺はトシヒコみたいに鍛えてねぇんだから!!」
「この機会に鍛えればいいだろう」
「そうそう。一緒に頑張ろう!」
「嫌だあぁぁぁぁぁぁーーーーーっっっ!!!」

……頑張れ、マサル。


「では、ぼくたちはこれで」
コウノスケから急須とお茶を譲り受け、俺は取引先にするように深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「そんなかしこまらなくてもいいのにー」トシヒコがケラケラ笑う。さっきまで地球を回っていたとは思えないほど、その顔は清々しく爽やかだ。どんな体力の持ち主なのだろう。
と、マサルが俺の頭に手を置いたと思ったら、髪をクシャクシャにされた。
「わ!ちょっと!!」
両手がふさがっているから抵抗できない。
「ははは、変にかしこまってるからだろ。普通でいいんだよ、普通で」
「だって…お礼はちゃんと言わないと、と思って…」
「真面目~」
「マサル、からかうのはそのくらいにしておけ」
「へいへい。じゃあな、頑張れよ」
「…うん」
「…あんたは生きたいと願い、温かい涙を流した。あの時、あんたは生まれ変わったんだ。命を絶とうとここへ来た時のあんたはもういない」
「!」
「今日がスタートだ。まず一つ、出来ることから始めてみな。きっと何かが変わる」
「…うん、俺は生まれ変わったんだよね。逃げ続けてきた俺はもういない。出来ることから一つずつ始めてみるよ。ありがとう」
「おう」
「ぼくからも一言よろしいですか」
「うん」
「……」何だか少し言いにくそうだ。
「…うん?」ちょっと屈んで、コウノスケの顔を覗き見る。
「……世の中には生きたくても生きられない者もいます。もう、命を絶とうなんて思わないでください。あなたに与えられたその命、どうか大切にしてください」
悲しそうな目でそう話すコウノスケ。”生きたくても生きられない者"…誰か病気で失ったことがあるのだろうか。
「…うん、もう思わない。君たちに助けてもらったこの命、大事にするよ。まだ、俺に何ができるのか分からないけど、生きるって決めた。今日から一歩ずつ前に進んでいくよ」

そう、俺は生きるって決めたんだ。
生きたいと願ったんだ。
ここへ来た時の、すべてに絶望した俺はもういない。

ふわりと三人が浮いた。
ああ、お別れか。
そう思ったら急に寂しくなった。

「あの…!」
「はい?」
「もう…君たちには会えないのかな」
「……」
トシヒコの顔を見て、会えないんだと分かった。
思いきり目を逸らすんだもん、分かりやすいったらない。
「残念だな…せっかく天使と知り合ったのに…」
「…あんたがまた強く想えば会えるかもな」マサルがポツリと呟く。
「え…」
「あんたの想い次第だ。俺たちは強い想いに導かれて来るんだからな」
「…そうか、そうだったね。強く願えば、また会えるかもしれないね。会いたくなったら、また強く願って呼ぶよ!」
「まぁ、いいけどさ。でもな?」
「うん?」
「もしまた俺たちを呼ぶんだったら、その時は―」
「わっ!」
ビュウッと急に風が吹いて、たまらず目を閉じた。

目を開けようとしたが、何故かできなかった。
眠くもないのに意識が遠のいていく。
ちょっと待ってよ…!
ちゃんと見送りたかったのに…!!

その時は?その時は、何?

遠のく意識の中で、微かにマサルの声が聞こえた気がした。

”笑っててくれよな”ってー…







「……ん…」
目を開けると、小さな点がいくつか、ポツポツと光っている。
ぼーっとそれらを見つめていると、ようやく何なのか分かった。星だ。
星が見えるということは、俺は空に向かって仰向けになっているということになる。
俺はどうしたのだろうか。何をしていたんだったっけ…?

辺りを手で触ると、コンクリートの冷たい感触があった。
ハッとして起き上がった。
そうだ、俺は屋上に来たんだ。
ここでもう人生を終わりにしようと思って。

「…飛び降りようと思って来たのに、寝ちゃったのか…?そんな……えっ!もうこんな時間!?」
腕時計を見るともうすぐ日付が変わる、そんな時間だった。何時間もここで寝ていたということか。
何てマヌケな。
覚悟を決めて来たはずなのに、俺は何をしてるんだろう。

周りを見渡してみると、自分以外、誰もいなかった。
ここに来た時と同じように、シンとして一人だけ日常から取り残されているような、そんな空気に包まれている。
変わった様子はない。が、小さな異変はあった。
「……何だあれ?」
すぐ脇に、黒いバッグと並んで何故か急須と「玉露」と書かれた茶葉らしき袋が置いてあるのだ。
バッグは俺のものだ。でも急須と茶葉の袋は知らない。ここに来た時は何もなかったはずだ。
茶葉の袋は開封されていて、何て名前だか分からないが密閉する便利グッズで袋の口はしっかりと止められている。
こんなところで誰かがお茶を飲んだのか?そんな馬鹿な。そもそもお湯も湯呑みもないのに。

そして、もう一つ異変があった。
思い詰めていた気持ちが、何故だかすっきりしているのだ。
胸の中にギュウギュウに詰まっていたモヤモヤがない。
これじゃ、飛び降りる理由がないじゃないか。
「…何なんだよ、もう…」
訳が分からなくて両手で頭を抱え込み、髪をグシャグシャにする。

”はは、すげぇ顔”

「え?…だ、誰…?」
見渡したが、もちろん誰もいない。
でも、確かに声が聞こえた。聞こえたはずだ。

いや、違う。
ここにいる誰かじゃない。
自分の中からだ。
自分の中から聞こえてきたんだ。
まるで、さっきまで誰かがいたかのように。

「な、何だよ……き、気持ち悪いな…」
慌てて立ち上がり、服についた埃を払う。
今日はもう止めだ、帰ろう。
バッグを持って階段へ向かう。

が、どうにも気になる急須と茶葉。
持って行かないと誰かに怒られそうな気がしてならない。
俺のじゃないのに。
仕方がないので、急須と茶葉も持って帰ることにした。
無理やりバッグに入れる。さすがに手で持って帰りたくない。
何とか入ったが、急須のせいでビジネスバッグがいびつな形になってしまった。みっともないったらない。


くれるなら急須と茶葉を入れる紙袋もほしかったよ。

……

……って誰に言ってるんだ、俺は?

いびつになったバッグのファスナーを閉まるところまで閉め、階段を駆け下りる。
時計を見て、終電に間に合うか心配になった。間に合うか間に合わないか微妙な時間なのだ。
もし間に合わなかったら、帰る手段はタクシーしかない。給料日前なのに痛い出費だ。

あ~あ。
どうせなら家まで送ってくれたらよかったのに。

……

……って、だから誰に言ってるんだよ、俺は!?

「……?」
ひたすら首を傾げながら、家を目指した。
日付が変わった頃、ズボンのポケットでスマホが何かを受信したことにも気づかずに。


何故だろう、こんなに頭は混乱しているのに、今日はよく眠れそうな気がした。







「…どうだった?」
泉から戻ってきたコウノスケにマサルが尋ねた。
「…おまえの予想は?」
「そうだな……今日は休日だから、実家にでも行ったんじゃないか?」
「え、早速?そんなにすぐに行く?」
「だって今日はあいつの誕生日だろ」
「え!誕生日?あの人の?」
「そ。だから、実家に呼ばれたんじゃねぇかなぁって」
「なるほどね~。で、どうなの、コウノスケ」
「…日付が変わった瞬間、誕生日を祝うメールが父親から来ていた。彼は家に着くまで気づいていなかったが。メールを打ったことのない父親からメールが来て、椅子から落ちるほど驚いていた」
「ははっ!そりゃ驚くわ!」
「それで?」前のめりでトシヒコが尋ねる。
「父親からの祝いの言葉がうれしかったんだろう。泣きながら電話をかけていた。せっかくだから家に来いと父親に言われ、今日は実家へ行った」
「へぇ!すごいね、マサルの予想通りじゃん!」
「あいつと父親の行動パターンが分かりやすいだけだって。ま、これでやっと親の想いに少しは気づけただろ」
「ちょっとでも気づけて良かったよね。まだまだ気づいてないこと山ほどあるだろうけど」
「一つずつ気づいていけばいいさ。まだまだ人生は続くんだ。あいつのペースで一歩ずつ前に進んでいけばいい」
「そうだね」

そう、俺たちのように、一歩ずつ前に進んでいけ。
自分を想ってくれる者たちがいれば、何だってできる。

何だって乗り越えられるのだから。

「そういえばさ、マサル」
「あん?」
「ずいぶん気に入られてたよね。男にも気に入られちゃうなんて、ニクいねぇ!」
「何言ってんだよ。久しぶりにまともに会話したからうれしかっただけだろ」
「え~そうかなぁ。半分惚れられてたと思うけど」
「や、やめてくれ!!そんな趣味はねぇ!」
「え~でも、最後に”笑っててくれ”って言ってたじゃん。実はマサルも…」
「んなわけあるか!!」
「忘れられちゃって寂しいねぇ」
「寂しかねぇ!!」
「数年後、またあの人間から強い想いを受け取ったマサルが地上へ…そこで運命の再会!!マサル!会いたかったよ!!俺もだ!!二人は熱く抱擁を…」
「ト、トシヒコォ~ッ!!!」耳を真っ赤にしてマサルがトシヒコに詰め寄る。
「キャー!俺もマサルの餌食になっちゃうぅぅ~!」超音波のような高音を発して、トシヒコが走って逃げた。
「トシヒコッ!待てーっ!!」追いつくはずもないが、マサルがトシヒコを追いかけていく。
「キャーッ!」逃げるトシヒコはとても楽しそうだ。
「……」冷めた目でそんな二人を見つめるコウノスケ。仕事はまぁまぁできるようになっても、こういうところは一向に変わらないからコウノスケはいつも呆れてしまう。
「こういうところも成長させるにはどうしたらいいのだろうな…」
「あら、良いではありませんか、あのままで」
「っ!」
コウノスケがビクッとして後ろを振り返ると、そこには笑みを湛えた主天使が立っていた。
「主天使さま…!いつの間に…」
「今来たところですよ。あなた方の姿が見えたので、お仕事の話でもお聞きしようかなと思いまして」
「そ、そうですか。では、二人から報告させ…」二人を呼ぼうとしたコウノスケだったが、主天使に腕をガシッと掴まれた。
「…な、何ですか…?」
「邪魔はいけません」
「じゃ、邪魔…?」
「二人はあのように楽しそうにじゃれあっているではありませんか」
「じゃ、じゃれ…?」
「そうです。ですから、私たち邪魔者は消えましょう。私の部屋でゆっくり聞かせてくださいな」
「…そ、そんな恐れ多い!主天使さまの部屋へなど、ぼくは行けません…!」
「何をおっしゃいます。コウノスケは特別なのですから、いつでも来てくださって良いのですよ」
「行けません…!それに、ぼくはこれから報告書のまとめを…」
「あら、報告書のまとめならば、少しの時間で終わるでしょう?泉での確認も終わったのですから」
「そ、そうですが…っ」
「ならば良いではありませんか。今日は上級との会議もなく、時間を持て余していたところです」
主天使はコウノスケの腕をしっかりと掴んだまま、スタスタと歩き出した。
「しゅ、主天使さま…!あの…っ」コウノスケの戸惑った声にも耳を貸さず、ズンズン進んで行く。
「私は運が良いですねぇ…。どなたか話し相手がいないかと部屋から出てきて正解でした。コウノスケに会えたのですから」うれしそうに話す主天使。
(…ダ、ダメだ!何を言っても聞き入れてもらえない…!誰か…っ)
コウノスケは助けを求めようと振り返ったが、そこには笑ってこらちを見ているマサルとトシヒコしかいなかった。二人が手を振ってきた。
「ごゆっくり~!」
「…!!」
「まぁ、気の利く二人ですねぇ」二人に手を振り返す主天使。とてもうれしそうだ。
(…な、な、何が”ごゆっくり”だ…!後で…覚えておけよ…っ!!)

「さぁ、行きましょう」
見上げると、主天使がにっこり笑っている。その顔に、コウノスケはゾクッとした。
この顔は、何かおかしなことを考えている時の顔だ…!
逃げたかったが、腕は相変わらずしっかり掴まれている。こんな人だが、中級天使だ。力ずくで逃げるとなったら、片腕を捨てる覚悟がいる。 一応、元上司であり、世話にはなっている。さすがに戦いレベルのことはしたくないコウノスケは、逃げるという手段はグッと堪えた。
「…ま、またおかしなことを考えていますね…っ!?」
「おかしなこと…ですか?考えていませんよ?」
「その顔はそうです。きっとそうです。絶対にそうです…!」
「おかしなことではありませんよ。私はただ…」
「た、ただ…なんですかっ」
「二人を見ていてうらやましくなってしまったので、私もしたいなと思っただけですよ」
「…な、何を…ですか…?」
「ほら、先ほど二人がしていたではありませんか。追いかけっこ」
「はい!?何をおっしゃっているんですかっ!!二百歳もとうに越えた天使が何故追いかけっこなどしなくてはならないのですか!嫌です!」
「またまたそんな。意地を張らなくてもいいのですよ。本当はコウノスケもしたかったのでしょう?先ほど二人をうらやましそうに見ていたではありませんか」
「意地など張っていませんし、うらやましそうにも見ていません!」
「もう、嘘ばっかり」
「嘘ではありませんっ!!」
「昔はよく追いかけっこをしましたものねぇ。懐かしいですねぇ」
「それは仕事から逃げたぼくをあなたが追いかけてきただけでしょう!好きで追いかけられていたわけではありません!というか、聞いていますかっ!?」
「聞いていますよ。本当、意地っ張りですねぇ…」
「主天使さま!?全然聞いていませんよね!?」
「大丈夫ですよ。私はあなたのことを誰よりも分かっていますから。二人で追いかけっこをして、じゃれあいましょうね」
「だ、誰よりも分かっていませーーーーーーーーんっっ!!!」

「…やっぱりあの二人…(ひそひそ)」
「そういう…(ひそひそ)」

「違ーーーーーーーーーーうっっ!!」
「まぁ、コウノスケ。そんな、全力で照れなくても」
「照れていませーーーーーーーーーんっっ!!!」


(…ああ…もう嫌だ……)


―おわり―


***********あとがき*******************
三天使のお久しぶりな地上のお仕事の話、でございました~。
一作目以来ですね。三人の仕事、思い出していただけましたか?w

久しぶりに地上の仕事の話を書こうと思い、選んだ人間が男性の場合のコウちゃんを書いてみました。
昨年の秋、軽い気持ちで書き始めたのですが、やはり地上のお仕事の話なら真剣に書かねば…と思い、そしてどんどん長くなり、完成まで半年以上かかってしまいました(^^;)

天使だと信じられなかった彼が、三人を受け入れていくシーンがこのお話のポイントだと自分では思っているので、すごく時間をかけて拘って書いています。
途中から彼の中で三人の呼び方が変わったのを気づいてもらえてたら、うれしいです(^^)

長~いお話、読んでくださってありがとうございました!

2018.06.08

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