※現実世界のお三方は登場しない、ファンタジーです。しかも長いです(^^;)


「クリスマスの贈り物」


 -2-


「はい、着いた~」ビルの屋上に足がついた途端、腰砕けの状態で座り込んだ。絶叫マシーンは苦手だと言ったのに、早く行きたいならと有無を言わせず、猛スピードで空へ上がり、まるでピーターパンのごとく空を飛んでここまで来た。
確かに早く行きたかったけど、誰も空を飛ぶほど急いでくれなんて言ってない。
「ほら、ぼくの仲間、いましたよ」
「……ちょ…待って…気持ち悪い…」
「あれ、もう慣れたかなと思ったんですけど、まだダメでした?」
「そ、そんな簡単に慣れるわけないでしょ!」

「あ~あ、もう見つかっちまった」
「やっと一杯飲んだところだったのにぃ~」仲間と思われる二人の声がした。先ほど彼から聞いた通り、どうやら本当に宴会をしていたようだ。いつも彼に仕事を押し付けては、二人は地上で美味しい物を飲み食いするらしい。
「仕事しないでさぼってるやつに、何で文句言われないといけないんだよ」
「だって、どうせ一人で解決できるでしょ?俺たちがいなくても。なぁ?」
「なー!」
「…ったく…」彼が二人と会話しているが、まだ二人の顔がちゃんと確認できていない。チラッと見たかぎりでは、子供の姿ではなく、普通の大人の姿をした男が二人……いや、一人は髪が長いようだから、男女か?
「何だよ、ここに人間連れてきて。俺たちに仕事させようとしてんの?」
「一人で引き受けた仕事だろ?俺たち巻き込まないでよ」
「うるさい、酔っぱらい。お姉さん、例のもの出してください」
「う…うん…」四つん這いになって、手に持っていた袋を男女?に差し出す。彼から聞いた、仲間の好物だ。何故私が天使たちのためにこんなものを買わねばならないのか、と思う部分もあるが、これも守ってもらうため。ここは下手にいかなくては。

「こ、これ、お二人に…」そう言ってようやく顔をあげた。そこには、まるで花見のように酒やら食べ物をあれこれ広げて、とても天使には見えない二人の男が、あぐらをかいて座っていた。
一人は真っ黒い上下のスーツ、口と顎に髭を生やし、夜なのにサングラスをしている。眉間にシワを寄せて、
「あ~ん?」と私を見た。まるで、ヤクザだ。
もう一人は、これまた対照的で、演歌歌手やアイドルも着ないだろう、奇抜かつ派手な色と柄の上下を着た、髪の長い男だった。ただ、透き通るほど肌の色が白く、顔立ちは外国人のようで、髪も艶やかで美しい。見た目は天使と言われても違和感はないが、いかんせん着ている服が天使の装いではない。
私よりちょっと年上ぐらいに見えるが、実際は子供天使のようにもっと年上なんだろう。
「え、なになに?何が入ってるの?」長髪の天使がヒューンと低空飛行して私のところまでやってきた。
「お、お二人のお好きなものを…さ、差し入れです…っ」近くで見ると、さらに白い。
「わ!俺の好きなケーキ屋の箱じゃん!!」袋を覗きながら、うれしそうに笑う。お、この天使も笑うと可愛い。
「あ、マサル!マサルの好きな酒もあるぞ!」
「ふん、たかが酒一本で、俺は乗せられねぇぞ。トシヒコはケーキに弱すぎだ」
「だって、ケーキ美味しいじゃん。それに、マサル!そんなこと言っていいのか?入ってる酒、これだよ?」長髪天使が袋から出した酒を見た髭天使は、ピクッと反応した。
「そ、それは…っ」
「なかなか手に入らない希少な酒、だろ?最近手に入らないって言ってたよな」彼、子供天使がニヤリと笑う。
「…これをどこで?」
「お姉さん行きつけの酒屋で見つけたんだよ。最後の一本で次の入荷はいつか分からないって。かなり貴重だよね」
髭天使が無言のまま手招きするので、ゆっくりと近づく。
「はい、何でしょう?」
「あんた、この酒を飲んだことは?」
「え?あ、はい。ここの酒蔵に行って試飲したことが。飲みやすくて美味しいですよね」
「酒蔵に直接行ってるとは通だな!…普段は人間とは飲まないが、あんたは特別だ。まぁ、座りなよ」
「え、いいんですか?」
「コウノスケの入れ知恵で持ってきたんだろうが、ちゃんと酒の味も分かってるし、話が合いそうだ」そう言うと、髭天使はニカッと笑った。あ、エクボが出てる。笑うと優しそうに見えるし、悪い人ではなさそうだ。
「美味しいものをくれる人に悪い人はいないしね」と長髪天使もニッコリ笑う。
おお、何て単純な二人だ。子供天使の入れ知恵は、どうやら上手くいったようだ。
「じゃ、じゃあ、お邪魔します…」
「あ、待ってください。お姉さんにコンクリートの上は寒いでしょう」
子供天使がそう言うと、ポンッと暖かそうなクッションが現れた。…もう、驚かない。驚かないぞ。
「それに座ってください」
「ありがと…」
「相変わらず、人間の女には優しさ全開だな」
「普段は氷のように冷たくて、厳しすぎて後輩たちが泣いてるのにね」
「うるさい。永久凍土に埋めるぞ」
「わー恐い恐いっ」
本当に冷たい。人間の女でよかった。

「君、コウノスケって言うのね」
「あ、ぼく、名前を言ってませんでしたね。はい、コウノスケと言います。で、この髭がマサル、長髪がトシヒコです」
「どうも」姿勢を正して頭を下げると、二人も背筋をピンと伸ばした。
「髭です」
「長髪です」
「名前を言え、名前を!」
「いいじゃん、髭と長髪で。見た目そのままの愛称でいいだろ」
「じゃあ、コウノスケは“子供”になるな!」
「もしくは”腹黒”」
「やめろ!…お姉さん!ぼくのことはコウノスケと呼んでください。あ、コウちゃんでもいいですよ!」
「…う、うん、分かった…」
少々怯えつつ、出してくれたふわふわしたクッションに座る。すると、外だということを忘れるぐらいポカポカだった。
「うわ…何これ、暖かい!」
「ふふ。人間の女性は寒がりな方が多いと聞くので、暖かいクッションは常に準備してます。ブランケットもありますよ!」ポンっと今度はブランケットが出てきて、膝の上に落ちてきた。
「今夜はどんどん冷えてきてますからね。暖かくしてください」
「…う、うん。ありがと…」何だか優しさが逆に怖くなってきた。
「?あれ?お姉さん、何か、引いてません?ぼく、何か変なこと言いました?」
「あ、いや…二人と私への態度が本当に全然違うなって…見た目と中身のギャップもすごいし」
「え、そうですか?」
「だろ?優しいのは、人間の女にだけだ」と、髭天使マサル。
「見た目は無害、でも中身は猛毒だから気をつけた方がいいよ」と、長髪天使トシヒコ。
「何言ってるんだよ、中身だって無害だよ。二人が怒られるようなことをするから、ぼくは怒ってるだけだ」
「まぁまぁ。で、コウノスケ、この人間さんの願いは聞いたのかよ?」
「いや、お姉さんはたまたまぼくたちが見えるだけであって、天使を呼んでいたわけじゃなかったんだ。だから、これは仕事じゃない」
「たまたま?どういうことだよ?」
「そういう特異体質?」と二人に聞かれ、いやいやと首を振る。
「違うんですよ。そうじゃなくて…」
「ああ、そんな敬語なんて使わなくていいよ。タメ口でいい。敬語使われるような偉い天使でもないし」
「そうそう、下っ端の下っ端だからね。人間でいう、上司に使われるサラリーマンと一緒」
そう言われると、親近感がわくが、こんな好き勝手する部下を持つ上司はさぞ大変だろう。
「上司はコウノスケくん?」
「コウノスケは上司っていうより、ただの鬼教官。自分の後輩たちを苛めて楽しんでるだけ」顔を寄せてコソコソ小声でトシヒコがそう言うが、コウノスケはすぐそこにいる。聞こえないわけがない。恐いはずの本人の前でよく言えるなと、感心してしまう。
まぁ、自分も上司だろうと意見は言ってしまうタイプだが。
「あ?」案の定、コウノスケが冷たい声で聞き返す。が、トシヒコは無視する。なるほど、そういう回避方法もあるのか。
「な、マサル」
「そうそう。上司はもっともっと、位が上の天使だ。俺たちなんて、どんぐりの背比べ。大した差はないんだよ。まぁ、経験の違い…だな」
「ふ~ん」
「おい、ぼくを無視して話を進めるな」
「それで、何があったわけ?」やっぱりコウノスケは無視する。
「あ、ああ。偶然、天使の羽根を拾っちゃったの。そうしたら、彼…コウノスケくんと会って」
「天使の羽根?…え、天使の羽根が地上にあったってこと?」
「ええ、ふわふわと舞い降りてきて。二人のうち、どちらかが羽を使って飛んだんだろうってコウノスケくんが言ってたけど」
「…あん?」とマサルが眉をひそめ、トシヒコは、
「は?何そ…」と何か言い返そうとしたが、突然怯えたような顔をすると、二人してギュッと口をつぐんだ。
「?どうしたの?」
「い、いや…っ何でも…」プルプルと二人が首を振った。
「?」
「つまり、落ちてきた天使の羽根を触ったせいで色々見える状態になっていて、ぼくたち天使と一緒にいてほしい、ということですよね?」と、コウノスケが手っ取り早くまとめてくれる。
「そ、そう、そういうことなの」
「今日はこの宴会は目をつぶってやる。だからお姉さんに協力しろ。いいな?」
「……」二人は何だか嫌そうな顔だ。
「何だ、その顔は。断れる立場じゃないのは分かってるよな?」コウノスケに言われて、二人はムッとする。
「別に嫌だとは言ってないだろ。コウノスケが恐ろしいほどの殺気で睨むからだろ」
「そうだよ。しかも人にものを頼む態度じゃないし。断ったら消すってことだろ?脅しだ脅し」
「日頃の行いが悪いからだ」
なるほど、二人が怯えた顔をしたのは、コウノスケのせいだったのか。どうやら私の後ろから、二人を睨んでいたらしい。
「ちゃんと協力するから、酒の席でそういうのはやめてくれよな。つまらなくなるんだから」
「そうだそうだ!」
「…ふん」
コウノスケの圧力のお陰で協力してもらえて助かるが、この二人はいつもどんなことをしてコウノスケを怒らせているのかも非常に気になるところだ。

「ほら、あんたも飲むだろ?」マサルからグラスを渡される。
「え、いいの?」
「この酒の美味さを語りたいからな」
「語れるほどの酒好きじゃないわよ?」
「いいのいいの、美味い美味いって言い合いながら飲めればいいんだよ」
渡されたグラスにトクトクと酒が注がれる。そういえば、部屋でビールを二本飲んで、物足りなくて買いに外に出てきたんだっけ。こんな形で飲めることになるとは。

「じゃあ、かんぱーい!」とトシヒコもグラスを持ってカチンとする。
「あれ、コウノスケくんは?見た目は子供だけど、二百歳は過ぎてるんだから飲めるでしょ?」
「ああ、ぼくはいいです。地上では飲まないので」
「どうして?」
「仕事中ですからね。二人みたいに仕事中に酒なんか飲みません」ムスッとして、コウノスケが目の前に広げてあったポテトチップスを手に取って、パクッと食べた。
「でも今日はもう仕事終わったんでしょ?一緒に飲んだらいいじゃない」
「え、いや…」はっきりしないコウノスケの横で、手をヒラヒラさせてトシヒコが答える。
「ダメダメ、この人地上では飲まないよ。寝ちゃうんだよ、酒弱いから」
「よ、弱くはないぞ。眠くなるだけだ!」
「あら、そうなの。でも、眠くなったら寝ればいいだけじゃない」
「そんなことしたら、こいつらがもっと自分勝手に行動しちゃうじゃないですか!」
「あ、そうか」
「ぼくは二人の監視役でもあるんです。だからここで飲むわけには…」
「でもさぁ、コウノスケ。人間の女と酒を飲むなんて、この先あると思う?なぁ、マサル?」
「ないだろうな」
「そ、それは……そうだけど…」コウノスケが上目遣いで私を見た。そんな顔して見ないでほしい。可愛いじゃないか。
「べ、別にそんな大げさに考えなくてもいいと思うけど…」
「俺たちが人間と関わるのは仕事だからだ。こんな風に一緒に酒を飲むなんて、本来は有り得ないことなんだぜ」
「そうなの?」じゃあ、私はかなり貴重な体験をしているってこと?いやいや、だからって、悪魔や幽霊が見えてもうれしくない。こんな体験、しなくていいんだ。お得感なんて、ない。ないはずだ。
「いや、でも、今がなかなか有り得ない状況かもしれないけど、私相手じゃ成立しないでしょ」
「こいつの顔見て、あんたじゃ成立しないと思っているように見えるか?」とマサルに言われて、コウノスケを見てみる。…ものすごく、うれしそうな笑顔が返ってきた。
「……」
「相当気に入られてるじゃん」
「まぁ、結構美人だしな」クイッと酒を一口飲み、マサルがニヤリと笑う。
「…な、何言ってるのよ…っ」
「あれ、照れてんの?可愛いじゃん」ニヤニヤしながらトシヒコが顔を覗き込んでくる。
「照れてないわよ!美人とか可愛いとか言われたことなんてないから、変な人たちだなって思ったの!」
「え、嘘だぁ」
「嘘じゃないわよ。人間の男たちに可愛いなんて言われたことなんて一度も……ま、まぁ、若い頃に一度くらいはあったかもしれないけど…。でも、可愛くない女って言われ続けてるんだから」
「何て罰当たりな!こんなきれいで可愛らしい人に“可愛くない女”と言うとは!だから人間の男は嫌いなんだ!」とコウノスケが憤慨する。何でこんなにもこの天使に気に入られたんだろう。もしかして、天界だったら私はモテるタイプなのか。
「だから、普通だってば。私がきれいで可愛らしい女だったら、恋人に振られたりしないでしょ」と、言ったところで、しまったと思う。
チラリと三人を見ると、全員が私を見ていた。ああ、余計なことを口走ってしまった。
「お姉さん…恋人と別れてしまったんですか…」しょんぼりした顔でコウノスケが尋ねてくる。
あ~あ…面倒くさいことになってしまった。でもまぁ、言ってしまった手前、黙るわけにもいかない。
「そ、“可愛くない”って振られたの。でも、だからって、元通りになりたいとか、そんなことは思ってないからね。今は新しい恋人が欲しいとも思っていないし。だから、私は天使にお願いすることなんてないって言ったのよ」
今日初めて会った、しかも天使と何でこんな話をしてるんだ。

すると、マサルがグラスのお酒を飲み干してポツリと言った。
「…それ、あんたの中身に問題がありそうだな」
…鋭い。
と思っていると、コウノスケがバシッとマサルの頭を叩いた。
「いってぇ!何だよ!」
「おまえが失礼なことを言うからだろ!すみません、お姉さん。こいつが失礼なことを言って…」
「あ~いいよ、本当のことだもの」
「え?」
「可愛くないのは私の性格。たとえ見た目で近づいてきたとしても、中身を知れば離れていくわけ」
「え~そんなに性格が悪いわけ?」
「トシヒコ!」一人で慌てふためくコウノスケに何だか笑ってしまう。
「性格も悪いのかもしれないけど、可愛い女にどうしてもなれないのよね。やっぱり男は見た目も性格も可愛い女が好きでしょ」
「それはあんたたち女だって同じだろ?見た目で男に寄っていっても、中身が悪けりゃ離れていくだろ」
「ま、そうね。どっちもどっち…ってことか」
「そういうこと。でも、あんたの場合は素直になればいいだけの話だろ」

その言葉にドキッとした。
“素直にならなきゃ”と思っているわけではないが、自分が素直ではないことは確かだ。可愛くない自分の性格にうんざりしているし、だから何かを変えなきゃいけないと分かっている。けれど、何をどうすれば変わるのか分からない。
考えても分からないから、結局、何もできないでいる。

そんな自分の悩んでいる部分を見透かされたようで、マサルがすごい人…いや、すごい天使に見えてきた。

「マサルさんって…」
「その、“さん”はやめてくれ。気持ち悪い」
「じゃあ、マサルくん?」
「…“くん”って柄じゃないが…“さん”よりはいいか」
「マサルくんって、鋭いよね。さっき会ったばっかりなのに、もう私の欠点が分かってる」
「…どういう人間かを読み取ることが俺の仕事なんでね。少し話せば、その人間が抱えている想いや気持ちがだいたい分かるんだよ」
「へぇ…つまり、職業病みたいな感じ?」
「ま、そんなとこだな。…これは仕事じゃないが、出会ったのも何かの縁だ。あんたに話す気があるなら聞くぞ、あんたの“悩み”を」
「悩み?何、この人、どんな悩みがあるんだよ?」大きな目をクリクリさせてトシヒコが首を傾げる。どうやらトシヒコには何のことだかさっぱりなようだ。
そんなトシヒコをコウノスケが向こうへと追いやる。
「トシヒコはあっちでケーキでも食ってろ。説明が面倒くさい」
「なんだよ~俺だけ除け者?」
「察せないおまえが悪い」
「ちぇっ」渋々トシヒコがケーキを箱ごと持ち、ふわふわと宙に浮きながら、言われた通り離れていった。何だか後ろ姿に哀愁を感じる。

「トシヒコはこういう話には疎いんだよ」
「そうなの?」
「天使にもそれぞれ性格がありますからね。オールマイティーに人間の願いや悩みに気づいて、良い方向に導けるほど万能ではないんです」
「へぇ、そうなんだ」
「だからって、トシヒコが役に立たないわけじゃないぞ。あいつは、俺たちが分からないようなことや、難しくて唸ってる時に、予想もしていない妙案やものすごく重要なことに気づくやつなんだよ」
「じゃあ、三人それぞれに秀でたところがあるわけね。…あ、だから―」
「そうです、だから三人なんですよ。残念ながら、ぼくだけではできないこともあります。ぼくに足りない部分をマサルとトシヒコが補ってくれている、というわけです」
「お、なんだよ、コウノスケもたまにはいいこと言うじゃないか」
「ま、九割ぐらいはぼく一人で十分だから、残り一割の話だけどな」
「…腹黒天使め」

何だかホッとする。天使も、人間と同じようにそれぞれ色んな性格を持ち、得意なこともあれば苦手なこともある。想像の中の天使は才色兼備で完璧な存在だったのだが、どうやらそれは間違っていたようだ。
「…天使も人間と同じなのね」
「そ、同じさ。完璧なやつなんて地上にも天界にも、どこにもいない。何かが必ず欠けている。完璧なように見えるやつにだって、一つくらい小さなひび割れがあるもんだ」
「ひび割れ…」
「でも、そんな他人の小さなひび割れなんて、見えないだろ?あと、そいつの努力も」
「…うん…」
「あんたが思う可愛いっていう女だって、決して完璧なわけじゃない。見えないところに欠点や短所が隠れていたり、努力してるんだと思うぜ」

そうか…
そんな風に考えたこと、今までなかった。

自分より仕事ができる同僚、気さくで誰とでも仲良くなれる友人。そして…素直で可愛らしい人…
どれもそれぞれが持って生まれた長所だと思っていた。人と自分を比べては、どうして私は欠点ばかりなんだろう…そんなことばかり思っていた。

君は一人でも大丈夫だろ?そう何度も何度も言われてきて、そのたびに傷ついてきた。私はそんなに強い女じゃない。弱い人間にはなりたくないから、強くなろうとしているだけ。
私だって甘えられるものなら甘えたい。好きな人には好きと…傍にいたいと言えるなら言いたい。
ただ、強がって素直になれないだけ。素直に言えないだけなのに、誰も私のことを分かってくれない。

どうして誰も気づいてくれないの?どうして…

でも、そんなの…気づいてもらえるはずなかったんだ。
だって、人には私のそんなところ、見えていないんだもの。

…そう。私もみんなのこと、何も見えていなかった。

もしかしたら、無理して頑張って、そういう風に見せているだけなのかもしれないのに、見えている部分だけで、その人をどんな人か決めつけていた。本当は、必死にひび割れを隠しているのかもしれないのに。見えないところでものすごい努力をしているのかもしれないのに。

私がみんなからされるのと同じように、私もみんなと同じだったんだ。

「…私、見た目や言動で判断されて、ずいぶん傷ついてきたわ。でも、私も同じことをしてるって今気づいた。見えている部分だけで、その人のことを決めつけていた。今頃気づくなんて…馬鹿ね、私…」
「自分より他人の方が優れて見えるのは仕方がないことさ。あんただけじゃない。自分じゃないんだ、中身を全部知ってるわけじゃないから、良いところしか見えてこない。どうしても自分より優れて見えるもんだ」
「……」
「でも、自分より優れて見えるやつらは、きっとあんたと明らかに違うところがあると思うぜ。何だと思う?」
「…なんだろう…色々違う気がするけど…」
「そんなことはないですよ。たぶん、たった一つです」コウノスケがにっこり笑う。
「一つ?」
「ここ…じゃないでしょうか」そう言って、コウノスケが自分の胸に手を当てた。
「…え……あ…心…?」
「そう、心。気持ちだよ。自分という人間を自分自身が受け入れているかどうかだ」
「自分を…受け入れる…」
「自分が自分を否定していたら、先に進まないだろう?」

確かに私は自分を受け入れていない。こんな自分が嫌いで仕方がない。欠点ばかりで良いところなんて何一つないと思ってる。そんな私を受け入れることなんて、無理だと思う。
「…そんなの、私には無理よ。良いところがない私を受け入れるなんて…」
「そんなに難しいことじゃないさ。あんたは自分の悪いところを認めてやればいい」
「認めちゃうの?悪いところも?」
「だって、それがあんたという人間だろ?」
「そ、そうだけど…でも―」それじゃ、私は変わらない。このままだ。そう思った私の心をマサルが読み取って笑う。
「そりゃ、自分自身を認めるだけじゃ何も変わらないさ。それなら誰でもできる。大事なのはそのあとだ」
「そのあと?」
「自分の変えたいと思っているところを変える努力をするんだ」
「…え、そんな簡単に変えられる?」
「変えたいと思う気持ちがあれば、変えられますよ」コウノスケが優しい口調で言う。
「そう…かな。だって、こんな性格だし…」
「あんた、自分の性格は変えられないって思ってるだろ?」
「…だって性格なんて変わらないでしょ?」
「変えられる部分だってあるんですよ、お姉さん」
「…変えられる部分?」
「そうです。もちろん、もともとの性格を変えることは難しいでしょうね。でも、何かを変化させることで、少しは変えることはできます」
「変化って…何を?」
「喜怒哀楽、色んな感情がありますよね。そんな感情に対して素直に気持ちを表現してみるだけでも、色々と変わると思いますよ」
「素直に?うれしいとか、楽しいとか?」
「そうです。お姉さんは、怒りは素直に出してますが、喜びや哀しみ、楽しいといった感情は表にあまり出していませんから、変えるならそこかと」
「……」何も言い返せない。
「例えば…そうですねぇ…“可愛いね”と言われて、“そんなことない!”と言ってしまうところを、一呼吸おいて、褒めてくれたことに対して“ありがとう”と言ってみるというのはどうでしょう」
「えっ!」
「褒められると、ついつい否定的な言葉を言ってしまうのは、たぶん“照れ”があると思うんですよ。そして、その照れを隠すために否定してしまう…違いますか?」
「…う、うん…そ、その通りよ」そう、褒められてうれしいけど、照れくさくて否定してしまう。
「相手に否定的な言葉を返すんじゃなくて、褒めてくれたことに対して素直に“ありがとう”って言ってみるんです」
「で、でも、相手は本当に可愛いと思って言ってるわけじゃないかもしれないじゃない。社交辞令とか、お世辞とか」
「その時はその時だろ。そんなやつらの反応なんかどうでもいいじゃん。本当に“可愛い”と思って言ってくれた人のために、素直に礼を言うっていう気持ちが大事なんだよ」
「い、いや…でも…」
「あんたの悪いところはそういうところだ。人に言われたことを何でも否定する」
「…う………」
「自分を変えたいんだろ?」
「…う…ん…」
「何か一つぐらいは変わる努力をしないと何にも変わらないぜ」

このマサルという天使、本当に人の心理を読み取る能力に長けている。私の短所やら欠点やら、何だか丸裸にされているみたいだ。
こうもストレートにズバズバ言われると、もはや誤魔化せないし、嘘もつけない。
ムスッとして、無言で空っぽになったマサルのグラスにお酒を注ぐ。マサルの顔は、何だか勝ち誇った顔に見える。
何か悔しい。悔しいが、何も言い返せない。

でも…
私の中には、悔しさともう一つの感情がある。悔しさより、もう一つの感情の方が私の心を占めている。だから、ちっとも不快じゃない。むしろ、心地よさすら感じている。
お世辞もなくて、正直で、まるで何でも言い合える友達のよう。
こういうの…悪くない。

「酔っ払いマサル、おまえはもっと優しくオブラートに包むような言い方はできないのか?さっきからお姉さんに失礼なことばっかり!」
「うるさいな。俺は的確に助言してるだけだろ。それにまだ酔ってない。ちゃんと酔いが回る前に話聞いてんだから、コウノスケは黙ってポテトチップス食べとけよ」
「酔いつぶれてもここに放置していくからな!」
「どうぞご勝手に」
「なんだとぉ!?」
「コ、コウノスケくん、落ち着いて…」
「で、でも…!」
「私は平気だから。そりゃあ、こんなにズバズバ言われてグサッとくるけど―」
「でしょう!?」
「でも、こんな風に言ってくれる人、今までいなかったから…何か…その……うれしい…というか…」
「え…?」
「私…こんな風に言い合える友達っていないのよね。表面だけで付き合ってるような、そんな感じ。だから、マサルくんの言葉は本当の友達なら言ってくれることなのかな…って思って、何かうれしいのよ」
「お姉さん…」何とも言えない顔をしたコウノスケに小さく笑い、マサルを見る。マサルが少し身構えた。
「…な、何だよ。俺はあんたと友達になったわけじゃないぞ。ただ、あんたの―」
「分かってるわよ。マサルくんの長けてる能力を使って、私を分析してくれただけ、でしょ?」
「お、おう」
「それでもいいのよ。マサルくんに色々指摘されて、心に引っ掛かっていたものが取れた気がするの。私、自分のことを短所や欠点も含めて認めることから始めてみるわ」
「ぼくは今のお姉さんでも十分可愛らしいと思ってますから、今のままでも全然いいですけどね!」
「コウノスケくんのかなり偏った個人的意見は聞いてない」
「えぇ~…」
「コウノスケくんみたいな人を見つければ、今のままでもいいのかもしれないけど、そんな人いないだろうし」
「いないな」
「いるかもしれないぞっ?」
「いてもかなりの変人だろうから、やめた方がい……殺気にまみれた目で見るなっ!」
「…ふん、おまえが悪いんだろ」
「コウノスケが超個人的意見を言うからだろ。この人が変わろうとしているところを邪魔するなよ」
「邪魔してるわけじゃない!ぼくは今のお姉さんにも良いところはいっぱいあると言いたいだけだ!」
「…だとよ」何かを訴えかけるような目でマサルが私を見る。その目は、”ほら、褒められてるぜ”と言っているようだ。
コウノスケを見ると、私からのアクションを待っているかのように、じっと私を見ている。これは言うしかなさそうだ。

…いや、そういうことじゃないんだ。

そんな風に考えているからダメなんだ。言われたから、なんて受け取っているから素直にお礼が言えないんだ。何か裏があるんだとか、何かを求められているなんて、そんな可愛くないことを思うところが私の悪いところ。言われたことに対してだけ素直にお礼を言えばいいだけなんだ。

こんな私にも良いところがあるなんて、嘘でもうれしいじゃないか。私にもちょっとは良いところがあるんだって、プラスに考えればいいじゃないか。コウノスケは出会ってからずっと、そのままの私を受け入れてくれている。私のこと、可愛らしいって、言ってくれたじゃない。
素直に…素直になろうよ、私。

変わろうよ、私。

意を決して、口を開いた。
「…あ…あ、ありがとう、コウノスケくん」
すると、コウノスケがパァ…と笑顔になった。その笑顔はまさに天使だった。とても照れくさくて恥ずかしかったが、コウノスケの笑顔を見たら、不思議とそんな気持ちもなくなって、私も自然と笑顔になっていた。
「こちらこそ、素敵な笑顔をありがとうございます。ぼくはその笑顔が見れれば満足です。ぼくたち、少しはお姉さんの力になれましたか?」
「す、少しじゃないわ。いっぱいよ。ものすごくたくさん、力になってもらった」
「それはよかった」
「マサルくんも……あ、ありがとう」
「いや、大したことはしてないさ。あんたが変わるきっかけをほんの少し作っただけだ。そうやって笑うと可愛いんだから、もっと素直に自分を出せばいい」
「……う、うん…」
「そうしたら、あんたを気に入る男が出てくるさ」
「出て…くるかな」
「一人か二人は出てくるだろ」
「何言ってんだ、マサル!一人や二人で済むわけないだろ!こんなにも素敵な人なんだから!ぼくが人間だったら毎日毎日お姉さんに会いに行って”可愛い”って言うぞ!」
「それ、ストーカーだろ。おまえはそういう発言をやめたら、だいぶ変われるぞ」
「うるさい!マサル!おまえは酒をやめて真面目に働け!」
「毎回さぼってるわけじゃないだろ。俺だって、やるときはやってるぞ」
「ごくたまに、だろ。年に数回あるかないかじゃないか」
「……」何も言い返せず、マサルが私に向かって、ペロリと舌を出した。
そうか、年に数回しか真面目に働かないのか。
「じゃあ、マサルくんは年に数回を一ヶ月に一回ぐらいに増やさないとね」
「何でそんなに増やさないといけないんだよ。俺は数回で限度なんだから無理」
「年中真面目に働いてるぼくの前で偉そうに言うな!一ヶ月に一回でも少なすぎだ、バカ!」傍に転がっていた空き缶をマサルの顔面に向かって投げたコウノスケだったが、残念ながら手でキャッチされてしまった。
「コウノスケちゃん、残念でした~」
「ちゃん言うな!」
「コウノスケちゃ~ん」ケーキを頬張りながら、遠くからトシヒコまでからかう。
「うるさい!黙れ!」
仲がいいのか悪いのか。何だかとても面白い三人だ。

「もう悩みとやらは解決した?」トシヒコがふわふわ浮かびながら、こちらにやってきた。
「ま、そんなとこだ」
「ごめんね、一人にさせちゃって」
「いいよ、謝んなくても。俺はそういう話、あんまり役に立たないからさ。じゃあ、ケーキも食べなよ。美味いよ!」
「ここの美味しいよね。あんまりケーキとか食べないけど、ここのは好きだな」
「何だ、酒もケーキも俺たちと話合うじゃん。あんた、人間にしとくのもったいないな」
「あら、そう?ありがとう」
「同じ天使なら、いい仲間になれたかもな」
「あ、マサルもそう思う?俺もそう思う!」
「何をバカなことを。お姉さんがもしぼくたちと同じ天使でも、二人と一緒に仕事したいなんて思うわけないだろ」
「確かに、仕事は一緒にしたくないわね」私が大きく頷く。
『ひどい!』二人がわざとらしく泣き真似をするが、そう思うのは当然だろう。
「だって、仕事してくれないんでしょ?」
「…ちょっとはするぜ?」
「…たまにはするよ?」
「やっぱりやだ」
「ですよね!」私以上にコウノスケが大きく頷いた。
「日頃の行いが悪すぎますからね。だいたい、やることが子供じみてるんですよ。この前なんて…」
「まぁまぁまぁまぁ!コウノスケくん!今はそんな話やめようよ!」
「そうだ!つまんない話はなしなし!酒がまずくなる!」
「…え、二人は何をやったの?気になる」
「聞いてくださいよ、お姉さん。あのですね?」
「言わんでいいっ!」
「えー教えてよ~」
「ダメ!コウノスケも言うなよ!」
「ぼくはお姉さんの味方だ」
「なら、力ずくで阻止するまでだ!」キッとトシヒコがコウノスケを睨む。何だか険悪なムードになってきた。
「は?ぼくに敵うと思ってるのか?」
「俺たちだって、一応日々鍛えてはいるんだからな」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、やれるものならやってみろ」そう言うと、コウノスケがふわりと宙に浮いた。バッとトシヒコが立ち上がる。
「やってやろうじゃないか。マサル!」
「…え、俺もやるの?」
「当たり前だろ!おまえ、あの話されてもいいのかよ!」
「嫌だけど、もう結構飲んじゃったからさぁ…」
「飲んでてもやるの!ほら!立って!」
「え~…」渋々マサルも立ち上がる。
「どうせ追いつけなくて、息が切れて終わりだろうけど」
「やってみなきゃ分かんないだろ!」
「やらなくても分かる話だ。…あ、お姉さんはゆっくり飲んでいてくださいね。ちょっと遊んできます」
「え、あ、うん」
「じゃ、スタート」ヒューン!とコウノスケがあっと言う間に空に消えていってしまった。
「うわ!コウノスケ!ずるいぞ!待て!」二人が慌ててあとを追う。二人の姿もあっという間に見えなくなった。が、風を切る音と、声だけは聞こえてくるから、近くにいることはいるらしい。
「ほら、全然追いつけないじゃん。トシヒコ、本当にそれで毎日鍛えてるのか?」
「まだ…本気出してないだけだ…っ!」
「本気出してよ。つまらないじゃないか」
「くっそぉ…っ!おい!マサル!いつもよりスピード出てないぞ!」
「酒飲んでるんだから、これ以上は無理だって!」
「ふん。酒を飲んでぼくに勝とうなんて、三百年早い」
「くっそー!待てーっ!」
「待つわけないだろ」
「うっぷ、気持ち悪くなってきた…」
何をしているのかよく分からないが、思うことは一つだった。
「…天使って、本当イメージと違うわ」

話しても、誰も信じてくれないだろうけど。


しばらくすると、コウノスケが前触れもなく空から降りてきた。
「お姉さん、そろそろ零時です」
「え…本当?」意外とあっという間だったな。三人といたお陰で、悪魔や幽霊に出会わなくて済んだようだ。…というか、見ていないから本当にいたのかも分からないというのが正直なところだが。だからって見たかったわけでもない。口にすると、コウノスケがわざわざ見せてきそうなので、このまま何も言わないでおく。

なんて考えていると、トシヒコとマサルも戻ってきた。トシヒコがハァハァと息を切らせてコンクリートの上に寝転がり、マサルは青い顔で気持ち悪そうにうずくまる。
「…マサルくん、大丈夫?」
私の問いかけに、マサルが首を横に振った。大丈夫じゃないらしい。
「酒を飲んでぼくに追いつけるわけがないだろ。トシヒコも鍛え方が足りないな。軽い運動にもならない」
「く…く、くそーっ!」
「……うぅ…」
「お、お疲れさま」
「ではお姉さん、家までお送りましょう」その言葉にピクッとなる。
「送るって、また例の…っ!」
「お酒も飲みましたし、帰りはゆっくり行きますよ」
「そ、そうして!お願いだから!私もマサルくんみたいになっちゃうから!」
「はいはい」
「それじゃあ、帰るわね。色々ありがとう、マサルくん。…気持ち悪い時に悪いんだけど」うずくまっているマサルの肩をポンと叩くと、弱々しく手を挙げた。
「…お、おう。頑張れよ」
「うん。マサルくんも鬼教官に負けずに頑張ってね。たまには真面目に仕事するのよ?」
「…気が向いたらな」
「あ?」鬼教官の声が聞こえたが、マサルに答える元気はない。
「トシヒコ…くんも、もっと鍛えてコウノスケくんより強くなってね」
「…お、おう…百年後ぐらいには追いつけるように頑張るさ」
「ひゃ、百年…」
「百年経ったって無理だ。ぼくはお姉さんを送ったらそのまま帰る。二人もそれぞれ帰れよ。…帰りが遅い時は減点して報告するからな」
「はぁ!?何だよそれ!」
「目をつぶるのは今日の宴会だけだ。他は普段通りだ」
「マサルはこんな状態だぞ?そんなすぐに帰れるわけ―」
「トシヒコが背負えばいいだろ。何のためにその筋肉はあるんだよ」
「う…」
「じゃ、そういうことで。では行きましょう」
コウノスケがそう言うと、自分の身体がふわりと浮き上がった。ゆっくりではあるけど、いかんせんビルの上。すでに高い。
「…た、高…っ」
「怖いようでしたら目をつぶっていた方がいいですよ」
「う、うん…」ギュウッと必要以上に目を閉じた。と、同時にエレベーターで上昇するような感覚がやってきた。これなら何とか大丈夫そうだ。
下の方から聞こえた声は、大丈夫そうではなかったけれど。

「…こ…の…鬼教官がーっ!!!」


足の裏に、安心する感覚が戻ってきた。
「はい、着きましたよ」コウノスケの声で目を開けると、見慣れたマンションの見慣れたベランダに立っていた。ベランダに置いてある自分のサンダルを見て、さらにホッとする。
「ありがとう、コウノスケくん」
「いえいえ。こちらこそ今日は素敵な時間を過ごせて、とても楽しかったです。お姉さんに笑顔も戻りましたし、言うことないです」
「もとはと言えば、あなたたちに巻き込まれたわけだけど…」
「それについては本当に言い訳する余地はありません」
「でも、お陰で気づけたこともたくさんあったし、巻き込まれてよかったと思ってる。マサルくんには特にお世話になったし」
「あいつの能力がお役に立ってよかったです」
「あ、でも、悪魔や幽霊が見えるとか、空を飛ぶとか、そういうのは全然うれしくないからね!」
「あれ、でも、空を飛ぶのは慣れたのでは?もう一回ぐらい飛んでおきますか?」
「もういい!ぜんっぜん慣れない!二度と飛ばなくていい!」
「え~気持ちいいのにぃ…」
「気持ちよくない!」
「ぼくはお姉さんと飛べて、とても幸せでしたよ」心からうれしそうな顔でそう言われると、くすぐったくて仕方がない。
「…そ、それはどうも!」
「ふふっ」鬼教官でも腹黒天使でも、にっこり笑うコウノスケはやっぱり天使だなと心の中で思った。そう、単に性格に少々難があるだけなのだ。人間と同じように。
「それでは、ぼくはこれで。窓の鍵は開けてあります。暖かくして休んでください」
「あ、待って」ふわっとベランダから離れていくコウノスケのコートを引っ張る。
「何ですか?」天使も人間と同じ。だから、コウノスケにも、ちょっと変わらなきゃいけないところがある。それは私が言わなくては。
「コウノスケくんはもうちょっと二人に優しくね」
「えっ!?…な、何ですか突然!」
「コウノスケくんが冷たいから二人が逆らうのよ。もうちょっと優しくしたら、素直に従ってくれると思うわ。二人のこと、大切な仲間だと思ってるんでしょう?」
「……べ、別にそんな大切だなんて…」
「コウノスケくんも素直じゃないな。私と一緒ね」
「……」困ったようにそっぽを向いた。
「私、素直になれるように頑張るから、コウノスケくんも少しでいいから二人に優しくしてあげて?」
「そ、それとこれとは話が別ですよ…」
「あら、その方が絶対にいいと思うわ。コウノスケくんにとっても、二人にとっても」
「どうしてですか?」
「あの二人、褒められたら伸びるタイプだと思うわ。叱ったら逆効果よ」
「え…そ、そうなんですか?」
「私、これでも一応、会社勤めよ。後輩もたくさんいるし、仕事で色んな人と関わるから、そういうことは分かるんだから。ああいうタイプは褒めて伸ばす。上手くおだてて手のひらで転がさないと、ね」
「!!な、なるほど!」
「後輩がいると色々大変だけど、コウノスケくんも頑張ってね」
「はい!上手くおだてて転がしてみます!」
「ははは、頑張って?」

ふと、コウノスケの後ろに白い物が見えた。一つ二つ、下へと落ちていく。
「…あ、雪…」
「おや、ホワイトクリスマスですね」
目の前に落ちてきた雪を手のひらで受け止めた。冷たさが心地いい。こんな風に清々しい気持ちで雪を眺めることも、今までなかった気がする。気持ちが違うだけで、雪の美しさも変わるのか。今日は新しい発見ばかりだ。
「…名残惜しいですが、そろそろ行きます。二人より遅くなってはいけませんからね」
「あ、うん…。もう…会えないのかな」
「……姿は見えなくなりますが、ぼくたちは空の上からお姉さんを見守っています。お姉さんなら、それを感じ取ってくれるとぼくは思っています」
「感じ取れるかしら。私、鈍感よ?」
「あはは、大丈夫ですよ。ぼくが”お姉さーん!!”ってパワーを送りますから」
「はは、殺気を感じそう」
「大丈夫ですよ、お姉さんには愛のパワーしか送りませんから」
そう言うと、ピュウッと風が吹いてコウノスケの姿が消えた。
「…あ、あれっ?コウノスケくん?」
「時間です。どうかお元気で」
「コ、コウノスケくん!」辺りを見渡したけど、見慣れた景色と空から舞い落ちる雪しか見えない。
「あ、そうだ。クリスマスですから、プレゼントを贈りますね」声だけが遠くから聞こえてくる。でも、遠くて何を言っているのか聞き取れない。
「え、何?何て言ったの?」
「明日、枕元にでも置いておきます。気に入ってもらえたらうれしいです」
「コウノスケくん!」呼んでも、もう姿を見せてくれないということは理解できた。でも、呼ばずにはいられなかった。
「素敵な笑顔をありがとうございました。空からお姉さんの幸せを願っています」
「コウノスケくん…っ!」
景色が涙で歪んでいく。哀しいわけじゃないけど、何故か涙が零れてきた。冷たい涙じゃなくて、温かい涙。これは感謝の涙だ。
ほんの数時間だったけど、私は今まででの人生で一番濃い時間を過ごせたと思う。

楽しいひとときをありがとう。
親友のように話を聞いてくれてありがとう。
そのままの私を可愛いと言ってくれてありがとう。
三人もとても素敵な天使だったよ。

「ありがとう…!ありがとね!」
空に向かって叫んだ。
ご近所に”夜中にうるさい”と言われても、やめないんだから…っ!

「本当に…ありがとう!!」

何度も何度も、私は空に向かって叫び続けた。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
ピピピピッピピピピッピピピピッ
目覚ましのアラームが私を呼んでいる。起きたくないけど、起きる時間だ。目を擦りながら、重い瞼を何とか開く。ボゥ…と見慣れた部屋の天井が見えてくる。
「…ん~…」布団の中で伸びをする。何か、夢を見ていたような気がするのだが、どんな内容だったっけ。全然覚えていない。
枕元に置いたスマホのアラームを止め、布団から出ようとしたところで、寒さを感じてブルッと身体が震える。
「寒っ…何でヒーター…あ、タイマー付けるの忘れて寝ちゃったのか…」何たる失態。寒がりの私がヒーターのタイマーを付けずに寝てしまうとは。定位置に置いてある瞬暖ヒーターは、まるで寝ているかのように無言だった。
毛布にくるまって、ベッドから這い出る。親が見たら、ため息をつきそうだ。できるかぎり腕を伸ばして、ヒーターの「入」ボタンを押す。
ピッと音がしてランプが点いたのを確認して、再びベッドに戻ろうとした時、自分の格好を見てギョッとした。
「えっ何!?何で私、こんな格好で寝てるのよ!」どういうことか、部屋着にコートという、おかしな格好をしている。
「…ど、どういうこと?私、何でコートなんて…」昨日のことを必死に思い出してみる。コンビニでビール二本とつまみを買って帰ってきた。残り物を夕飯に食べ、食後につまみを食べながらビールを飲んだはず。
テーブルの上を見ると、空になった缶ビールが二本、食べかけのつまみがあるから、それは間違いない。
「確か…二本じゃ足らなくてビールを買いに行こうとしたのよね。で、コートを着た……」その後、どうしたのか。そこからが思い出せない。

「…え、で、そのまま寝ちゃったってこと?」
あり得ない。たかが缶ビール二本で酔っぱらって寝てしまうなんて。自慢じゃないがお酒には強い方だ。缶ビールなら軽く五本はいける。そのあと、ワインだっていける。
でも、この状況からして、それ以外ない。
「やだ…私、弱くなったのかしら…」少し不安になった。これからは飲む量を少し減らそう…。

ヒーターが部屋を暖めてくれて、ようやく動けるようになった。着る服をクローゼットから引っ張り出した。考える暇がないから、定番の上下にしておく。ほぼ落ちてしまっているが、一応化粧をクレンジングで落とし、シャワーを浴びる。
洗った髪はドライヤーで一気に乾かし、後ろで一つにまとめた。もう今日はブローしている余裕はない。

「これでよし、と」バッグとコートを準備してしまえば、あとは朝食を食べて化粧をするだけだ。寝たまま着ていたコートはシワになっていて使えないから、今日は違うコートにした。
少しホッとしたところで、カーテンの隙間から弱い光が漏れていることに気づく。そういえば昨日は曇っていたが、今日の天気はどうだろう?そう思いながら遮光カーテンを開けてみる。
「…ん?……うわ!雪が積もってるじゃない!」ベランダの手摺りにうっすら雪が積もっていた。二、三センチぐらいだろうか。そして、空はまたいつ降ってきてもおかしくない曇天。
そういえば、昨日の朝、天気予報で夜遅くに雪がちらつくかも、と言っていた。ちらつく程度なら大丈夫だろうと思っていたが、まさか積もっているとは。
「ダメだわ、今日はいつもより早く出ないと!」
都会の積雪を甘く見てはいけない。この数センチで、交通は大きな変化が起きるのだ。時計を見ると、六時半になろうとしていた。いつも七時半に出るのだが、今日はそれでは間に合わないかもしれない。
「七時に出なくっちゃ」
お湯を沸かすために慌ててポットのフタを開けた。昨日、沸かしたまま放っておかれてすっかり冷たくなった水を捨て、新しい水を入れてスイッチON。オーブントースターには食パンを置き、ダイヤルを回す。
コーヒーカップにインスタントコーヒーを準備して、昨日洗っていなかった夕飯の食器類を急いで洗う。拭く時間はもったいないので、水切りカゴに放置。帰ってきたら乾いているから、それでいいのだ。

チンとトースターが私を呼ぶ。大して広くないキッチンを小走りし、トーストにマーガリンを適当に塗って、皿にも置かずに立ったままかぶりつく。母が見たら、きっと嘆く。
五分ほどで食べきると、冷蔵庫からヨーグルトを出し、飲むヨーグルトのように胃に流し込んだ。残念ながら、食べた気はしない。
お湯が沸いたので、カップに注ぎ、クルクル混ぜる。熱くて飲めないので、今日は家を出る直前に飲むことにした。
歯を磨き、化粧をする。化粧といっても必要最低限。良く言えばナチュラルメイク、悪く言えば適当。十分以内で完成する。

六時五十分、思ったより早く準備が整った。家を出るまで、コーヒーはゆっくり飲めそうだ。
窓の外の雪を眺めながら、ちょうどいい温度になったコーヒーを啜る。
少し気持ちが落ち着いた。

昨日、あんなにイライラしていたのに、今日は何故か心が穏やかだ。ビールを飲んでブツブツ言ったのがよかったのだろうか。それにしてもすっきりしている。こんなにすっきりしていることはなかなかないのだが。
「…いつもよりぐっすり寝たからかしら」と呟いてみたものの、実はよく寝たという感じでもなかった。何だか不思議な気持ちだった。
見た夢も何だか不思議だった…ような。覚えてはいないが、非現実的な内容だった気がする。

コーヒーを飲み終わり、カップを洗って、ふと気づいた。
「…あ、今日はブーツにしなくちゃ!普通の靴じゃ滑っちゃう!」慌ててクローゼットを開ける。この冬はまだブーツは一度も履いていなくて、箱に入れたままだ。いくつかある靴の箱から、それらしい箱を引っ張り出したが、違うブーツだった。
「ああっダメだ!全部出さなきゃ分からない!」ブーツと思われる箱を四つ引っ張り出し、カーペットの上に置いて急いでフタを開けていく。三つ目の箱を開け、ようやく目当ての雨用ブーツに当たった。雪が降ることは年に何度か、積もるのはあるかないか…なので、さすがに雪用ブーツは持っていない。今日みたいな日は、滑って転んだりしないよう雨用ブーツに頑張ってもらう。

「よし、これで大丈夫!」玄関にブーツを置き、引っ張り出した箱たちを元に戻して重ねていく。こういう時のために、ブーツの写真を箱に貼っておいた方がいいな…と思いながら。きっとこの先も貼らないけど。

「さ、行くかな」ふう、と一つ息を吐いて、コートを着る。マフラーとバッグを持ったが、手袋が見当たらない。
「あれ、どこだ?」ハンガーラックにかけた昨日着たコートのポケットを探るがなかった。部屋をあちこち見渡して、ベッドのすぐ下に手袋らしき物があるのを見つけた。手に取るとやはり手袋だった。
「よかった、見つかって。今日は手袋がないと寒いもの」手袋を持ったまま立ち上がった。のだが。
ベッドの枕元に何か白い物があるのを見つけて、動きを止めた。
「?あれは…」

―ドクンッ―

突然、鼓動が大きくなり、何故かその枕元にあるものから目が離せなくなった。どうしてそうなったのか、自分では分からないけれど。
ゆっくりと近づいてみる。
「これは…」
それは白くてキラキラした、とてもきれいな羽根だった。作り物にしてはリアルで、でも、鳥の羽根にしてはきれいすぎる。
まさに純白の美しい羽根だった。

昨日、どこかでコートに付けてきてしまったのか。コンビニのクリスマスの飾りを引っ掛けてしまったのか。何故あるのかを考えながらも、その羽根に異常なまでに惹き付けられている自分がいる。
どうしてしまったんだろう。何故こんなにもこの羽根に惹かれてしまうのか。
きれいではあるが、何か分からない羽根にどうして…

そっと指でつまんでみる。
窓に向けてみると、向こうが透けて見えた。
「…きれい……」
どうしてだろうか。ただ見ているだけでも、心が洗われるような気持ちになる。
それに、妙に心が暖かくて、このままずっとこの羽根を眺めていたくなってしまう。早く会社に行かなければならないのに、そんなことも忘れて。

ふと、誰かに呼ばれた気がした。部屋を見回したが、もちろん誰もいない。
「…?…変なの」そう呟いて首を傾げた。
今日は変な日だ。いつもと違うことばかりが起きている。いや、今日ではなくて、昨夜が変なのか。ビールを買いに行こうとしたあと、いったい何があったのだろうか。

羽根を眺めていると、ぼんやりと頭の中に何かが浮かんできた。
(…何?)
そっと目を閉じてみる。そこには人の姿があった。その人…いや、一人ではない。子供と…大人が二人、そう見える。
この人たちはいったい…?

そういえば、夢に誰かが出てきて……そう、そうだ。この人たちは夢に出てきた三人だ。私はこの三人と一緒にいた。誰なのかも分からないし、何をしていたのかも覚えていないけれど、私はこの三人に何か大切なことを教えてもらった。それは覚えている。
だから、その三人に”ありがとう”とお礼を言っていた。
この、素直じゃない私が。

「私が素直になっちゃうなんて、もしかしたらすごい人たちだったのかも。…そうね…例えば…ああ、この羽根の持ち主…とか。はは、もしかしてあの三人、天使だったりして……え?…天使?」
適当に言ったのに、何故かものすごくしっくりきて、自分で驚いた。
だって、天使なんて存在すると思っていないのだから。幽霊ですら信じていないのに、そんな私が”天使”でしっくりくるなんてどうかしている。

でも―

不思議だ。それでいいと思う自分がいる。
朝から不可解なことばかりだし、この羽根だって、どこからやってきたのか分からない。すべて天使のせいとするなら説明がつく。
それに、こんなにもしっくりきているんだし。

よし、天使だ。
私は天使に会った。そして、羽根をもらった。そういうことにしておこう。

「そうなると、これはクリスマスプレゼントってことになるわね。イヴの夜、私は天使から”天使の羽根”をもらった。そういうことよね?」
相変わらず真っ白できれいな羽根に目を向ける。キラッと光った気がした。
”YES”と言ってくれたと勝手に解釈する。

”天使の羽根”と勝手に命名したその羽根を、チェストの上のジュエリーケース、一番上の引き出しの中にそっと置いた。ガラスになっているその場所は、気に入ったものを入れて飾る特等席だ。
「君はここで、いつも私を見守っていてね」

”任せてください!”

と、返事をしてくれたかは…神のみぞ知る。


「…うわ!もうこんな時間!行かなきゃ!」時計を見て、ようやく会社に行くことを思い出した。
十分もロスしてしまったが、それでもいつもより早い。きっと大丈夫だ。
イライラする必要はない。今日は清々しく行こう。

だって、私は素敵なクリスマスプレゼントをもらったのだから。

「行ってきまーす!」
駆け足で部屋を出て、タイミングよくやってきたエレベーターに乗り込む。エレベーターには、昨日会ったカップルが乗っていた。
よく見ると、彼女のお腹がふっくらしていて、幸せそうな顔でそのお腹を撫でていた。妊婦さんだったのか。昨日は全然気づかなかった。
それに、タバコも香水の匂いもしない。あれは二人の残り香じゃなかったのだ。勝手に決めつけてしまって、申し訳なく思う。

「…おはようございます」と、遠慮がちではあるが珍しく挨拶をしてみた。
すると、二人ともが笑顔で、
「おはようございます」と声を揃えて返してくれた。

誤解が誤解を生んでいく。私は損な生き方をしていたんだな、そう思った。
人のこと、見た目や言動で決めつけないようにしよう。もっと、プラスに考えていこう。
だって、一度きりの人生だ。怒るより、笑顔で過ごした方がいいに決まっている。

エレベーターを降り、外へ出た。あまりの寒さに肩をすぼめる。今日は一段と冷えている。寒いのは大嫌いだ。これでもかと首にマフラーをグルグル巻いた。
雪に足を踏み入れると小さくキュッと音がした。子供の頃、雪が降ると大喜びで遊んだっけ。あの頃の純粋な気持ちを思い出して、笑みがこぼれた。
ヒュウと風が吹いて、屋根に積もった雪がキラキラと舞う。あの羽根のように真っ白できれいだった。

寒いのは大嫌いだ。でも、凛とした空気は嫌いじゃない。
この白い雪も。本当は―

好きよ。

ふと、厚い雲に覆われた空を見上げた。何もない空だけど、誰かがいるような気がして。

「…天使がいたのかな。…なんてね」

空に向かって微笑むと、私はようやく駅へと歩き出した。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
お姉さんがぼくの方を見てくれた。ぼくのパワーを感じ取ってくれたのかな。ふふ…とつい口元が緩んでしまう。
もうお姉さんは大丈夫だ。自分の力で幸せを引き寄せる強い心を手に入れた。昨日までのお姉さんじゃない。
規則違反、嘘、色々やってしまったけれど、結果よければすべてよし、だ。成績に響いても、後悔はない。

”コウノスケくんも素直じゃないな。私と一緒ね”

ええ、一緒です。だから、ぼくは―

「…何か用か」連れてきてもいない背後にいるやつらに声をかけた。
「別にー?」トシヒコがわざとらしく答える。
「別にっていう顔じゃないな」と、顔も見ずに返す。
「久しぶりの休暇なのに、地上に来てる変わったやつを見に来ただけさ」と、マサルが言う。
「変わったやつで悪かったな。そんなやつを見に来たおまえたちも変わってるってことだぞ」
「ま、そういうことだな」
「…ぼくのこと、どうして上に報告しなかった?」
「…してほしかったのか?」そうマサルに聞かれて振り返った。
「日頃の仕返しをすればよかったのに」
「自分で言う?」クククッとマサルが笑う。
「それも考えたよ。いつも鬼のような教官の違反をここぞとばかりに密告!とかさ」
「すればよかったじゃないか。トシヒコならぼくより先に戻れたはずだ。マサルを置いていけばできただろ」
すると、トシヒコがくるりと後ろを向いた。長い髪が風になびく。
「…そんなことするかよ。俺たちのミスを上に報告しないでくれてるやつを売るほど俺はバカじゃない」
意外な言葉に目を見開いた。こいつら、気づいていたのか。
何も言わないぼくに、マサルがニヤリと笑う。
「気づいてたの、意外だった?でもさ、さすがの俺たちでも気づくだろ。数々のミスに規則違反。とっくの昔にクビになってるはずなのに、今もこの仕事ができてるってことは、コウノスケが俺たちのミスを報告してない、それしかない。…そうだろ?」
「……」
「だから、今回のことは俺もマサルも黙ってるって決めたんだ」
「あの人間もいいやつだったしな。久しぶりに美味い酒も飲めたし、どっちかと言えば、俺たちはコウノスケのおかげで良い思いをしたしな」
「そうそう。ケーキも美味かったなぁ!」
「本当、おまえはケーキ好きだよなぁ」
「そういうマサルは本当に酒が好きだよな!」
「…つまり、どっちもどっち…ってことか」
「そういうこと!」
ハハハッ!と二人が笑い合う。

二人の甘さに呆れてものが言えない。そんなんだから、いつまで経っても成長しないんだ。人を踏んづけてでものし上がろうとか、たまには思えよ。
ぼくだったら、こんな絶好の機会を逃したりはしない。上に報告して、目の上のタンコブは排除、だ。

でも、そんな甘ちゃんのお陰で、今回のことは成績には響かなくて済みそうだ。まぁ、普段の二人のミスを見逃している分を考えれば、確かに大した違反でもないのだが。

けど、だからって感謝なんてしないからな。
何かお咎めを受けたとしても、ぼくは何一つ後悔などしていないのだから。

”コウノスケくんも少しでいいから二人に優しくしてあげて?”

……

”コウノスケくん”

…………ああ、もう!

お姉さんに言われたから言うんだからな。
勘違いするなよ。

「…マサル、トシヒコ」
「あ?」
「何?」
「…あ、ありがとう…」

マサルとトシヒコの顔が、この世の終わりかと思うほどの驚愕の表情に変わった。
『キ、キモッ!』

ブチッ

ぼくの中で何かが切れた。

お姉さん、ごめんなさい。
やっぱりこいつらには優しさなんて、必要ないです。

「よ、よせ!お、おおお落ち着けっ!」
「そうだ、その手を下ろせ!は、話せば分かる!」
「うるさーーーーーーーーーーーーいっ!!」
『ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』


―おわり―



***********あとがき*******************
長いお話を読んでくださり、ありがとうございますm(_ _)m
手元で温めて早や5年(温めすぎ)、この物語もようやく世に出ることができて、きっと喜んでいると思います。

ファンタジー要素のある物語を書いてみようと思い立ったものの、書いたことがなかった5年前は挫折。「Cafe I Love You」を書き進めてきて、もう一度書いてみようという気になり、今年ようやくUPすることができました(T∇T)

勝手に安月給なサラリーマン的天使を作っちゃいましたが、いかがでしたでしょうか。やたらとコウノスケくんが恐くてすみません。見た目と中身のギャップがすごいキャラにしたかったので(^^;)
メンバーらしさはあまりないかなと思いますが、あんな風に話を聞いてくれる天使がいたらいいなぁ…なんて思いつつ書いてみました。

曲のイメージでは書いていませんが、久しぶりにこういうお話を書いて、自分のアルフィー小説の原点に戻れました。込めた思いを感じ取ってもらえたら、うれしいです。

2015.12.16

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