「三天使物語(4)-生誕一周年記念小話-」


「…あれ、コウノスケは?」
「いないじゃん」
集合時間ぴったりに到着したマサルとトシヒコは、そこにコウノスケの姿がないことに気づいた。
いつもは必ず先に来ているのに。普段、何分前には来ているのか、それは先に来たことがないからまったく分からないが。

一瞬、まさかまた熱が…と思ったが、仁王立ちしてこちらを睨んでいる上司の様子からして、それはなさそうだった。もし熱が出たのなら、あの時のように慌てふためくはずだ。
「遅い!」
「すんませ―」
言い終わらないうちに、チッという舌打ちが返ってきた。
「…いつまで経ってもギリギリにしか来ないなんて、本当にやる気がないな。やる気がないなら、さっさとやめてくれよ」
二人に聞こえるように独り言を呟く。上司はいつも通り機嫌が悪いらしい。二人は小さくため息をついた。

上司に嫌われていることは分かっている。だから、こんな態度はいつものことで慣れている。けれど、慣れてはいても毎日のように冷たい言葉を投げつけられるとやはり心が荒んでしまう。

以前よりはマシになったが、二人にはまだ”問題児”というイメージがしつこく残っている。チームで好成績を出しても、”コウノスケがいるから”と思われているところがどうしてもある。
いや、思われているわけではない。皆がそう思い込むようにしているのだ。
この仕事は一人が優秀でも好成績は取れない。三人それぞれが力を発揮しなければ成立しない。それを分かっていながら、二人の実力を認めたくない者たちが、言い訳として”コウノスケがいるから”という理由を使っているだけなのだ。

”問題児”というレッテルがそう簡単に剥がれるとは思っていないが、こんな発言をする者が一人や二人ではない天界の状況からして、天界にはびこる問題は、コウノスケが言っていたような適材適所に人材を送り込めていないという部分だけでなく、天使らしからぬ心を持った者たちがわんさかいるということも、大きな問題のように思える。

こんな天使たちが人間を手助けしているなんて、人間が知ったらガッカリするだろうな、とマサルは思った。
そこにはもちろん、半人前の自分たちも含まれている。いつかコウノスケも、そして周りも認める一人前の天使になって、その中から抜け出したいものだ。

「コウノスケはどうしたんすか?」
「休みなんですか?」
「主天使様のところへ行った」
『えっ!』
「急に呼び出しがあって、先ほど向かった。しばらく戻らないだろうから、今日の地上の仕事は中止だ」
「え、何かあったのかな…」
「急に…ってなると、気になるな。主天使に何かあったとか…」
「マサル!主天使様を呼び捨てにするとは何事だ!」
「あ…、すんません」つい、いつものクセで呼び捨てにしてしまった。
「自分より上位、しかも中級の方々に対して、失礼な態度を取るでない!もし怒りを買ってみろ。おまえたちなど、天界の果てに飛ばされるぞ」
「え、でも、主天使様はそんな人じゃないから大丈夫―」
「バカ者、あの方が特別なのだ。他の中級天使様方だったら、容赦なく飛ばすぞ」
トシヒコをキッと睨む。
「そうなんすか。うわ~怖いなぁ…」
「偉い天使もろくなヤツがいないな」
マサルの発言に上司はさらに険しい顔になる。
「マサル!!」
「はいはい、すんませんでしたー」
「何だ、その態度は!いいか?おまえたちが失礼なことをすれば、それはすべて上司である私に責任がふりかかってくるんだ!面倒だけは起こすな、分かったな!?」

ほら、本音が出た。マサルは心の中でチッと舌打ちする。
上司は、何だかんだ色々言ってくるが、本当に言いたいのは”自分を巻き込むな”ということだけだ。

(自分の経歴に傷をつけたくないんだろうけど、言っちゃ悪いが大した経歴でもないだろ。たかだか大天使ごとき、上級、中級天使にしてみれば一人二人いなくても支障ないだろうよ。…俺たちも…だけど。)

「…分かってますよ。俺たちだって、ここをクビになりたくないですから」
「…だったら、もう少しマシな態度を取れ。半人前は半人前らしく、誰よりも謙虚に振舞え。自分たちが天界の底辺にいることを忘れるな!いいな!」
『……』
「まったく…主天使様に気に入られているからと、いい気になっているんじゃないぞ。本来であれば、おまえたちのような者たちなど引き取らないのだからな。主天使様たっての依頼だから面倒を見てやっているんだ。立場をわきまえろ、この落ちこぼれがっ!」

マサルは何か言い返したかったが、何とか堪えた。言い返せばまたさらに口論になり、きっと最終的には手が出てしまう。
トシヒコも、隣で何か言いたそうな顔を上司に向けているが、やはりマサルと同じように堪えているようだ。

昔の自分だったら、二人とも今のでキレてこんな職場、辞めている。本当は色々言い返したいし、殴りたいという気持ちでいっぱいだ。
けれど、こういう時、真っ先に浮かぶのはいつもコウノスケの顔だ。あいつの顔に泥を塗るようなことだけはしたくなかった。
こんな風に上から言われる二人を、コウノスケは引き取ってくれた。そして、認めてくれている。コウノスケのおかげで今がある。

こんなヤツ、いつか実力で見返してやる、二人はギュッと拳を握った。


「相変わらず嫌なヤツだね」
「大した経歴でもないくせにな」
「はは!本当だよね」
「しかし、面倒な仕事を与えられたもんだな。こんなもん運べ、なんてさ」
二人の手元には、なかなかの重みの木箱が二つ。地上の仕事の代わりに上司から与えられたのは、この木箱を運べ、というものだった。どう考えても、運んだところで何の影響も誰かが助かるものでもなく、目の前にあった不要物を運ばされることになっただけ、だろう。
「嫌われてるもん、しょうがないよ」
「ここぞとばかりにやってるよな、あいつ。どうせこんなもん、その辺に置いといても何ら支障のないものだろうに、わざわざ保管倉庫に持っていけとか、嫌がらせだな」
「保管倉庫、相当遠いしね。泉の遥か向こうだよ」
「行ったことあるのか?」
「一回だけね」
「じゃあ、場所は大丈夫だな」
「でも、本当に遠いからね?言われた時間までに帰るの、結構キツいよ」
「え、そんなに?二時間もあるのに?」
「往復二時間はかかるもん」
「はぁ!?」
「だから、本当に嫌がらせなんだと思うよ、これ。時間までに帰ってこられなかったら減点ってことだし、減点させるためにやってるとしか思えない」
「あの…野郎っ!!どこまで嫌なヤツなんだよ!!」
「本当だよね。だからさ、余計に時間までに帰ってきてやるって思わない?」
「思う!…でも、俺が足を引っ張りそうだ。全速力で飛んでいったら、帰りに体力がもつかどうか…」

トシヒコが保管倉庫があると思われる方向を見ながら、真剣な顔で考え込む。きっと、作戦を考えている。マサルはトシヒコの策を待った。
「…マサル、行きは力をあんまり使わずに普段通り飛んでいいよ」
「え、でもそれじゃ―」
「俺はマサルの後ろから力で押していく。俺の力に乗って飛んで。きっとそれで、行きは早く着ける。帰りはとにかく全力で飛ぶ!それしかないよ」
「わ、分かった。でも、俺は倉庫の場所分からないぞ?」
「大丈夫、まずは泉に向かって飛んで。泉からはそのままひたすら真っ直ぐ!」
「お、おう!」
「あいつは俺たちに嫌がらせしてるつもりだろうけど、これはいいトレーニングになるよ。バカだよね、成長させるようなことをやらせちゃってさ」
以前のトシヒコには考えつかない発想だ。もちろん、マサルにも。昔の二人はもういないのだ。
「…そうだな。あいつに、”おまえなんて、すぐに追い抜かせるんだぜ”ってことを見せつけてやるか」
「うん!よぉし、行くよ!」
「よっしゃーっ!!」

二人は木箱を抱え、保管倉庫とやらに向かって飛び立った。

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「理解していただけましたか?」
コウノスケは会議室から出てきた主天使に歩み寄る。
扉を閉め、くるりとこちらを振り返ると、
「ええ。皆さま、”なるほど”と納得されていました」と答えながら、主天使はにっこり笑った。
「そうですか。安心しました」
主天使が歩き出したので、コウノスケもそれにならった。通路を二人で歩いていく。
「ぼくが作った資料がまさか上級まで行っているとは思いませんでした」
「上級の皆さまも興味を持たれるのではと思い、先日私がご案内したのですよ。やはり思ったとおりでした。資料に対して、質問までされたわけですからね。それだけとても素晴らしい資料だということです」
「そうでしょうか。ぼくにはそこまでの価値はないと思いますが…」
「ありますよ。近いうちに地上に関する資料として、天界図書館に置かれるでしょう」
「置かれたとしても、読む者などいませんよ」
「いますよ。…もう、相変わらずですねぇ…」
「……」
「地上に行くところを引き留めて申し訳なかったですね。マサルとトシヒコが怒っているかもしれませんね」
「…二人はぼくより上司に怒っている気がします」
「?それはどういうことですか?」
「彼は…二人をよく思っていません。今頃、おそらく他の仕事として何か与えられていると思いますが、はたしてそれが本当に仕事かどうか」
「無意味なことを仕事として与えたかもしれない、ということですか?」
「ええ。嫌がらせ…地上の言葉を借りるならば、いわゆるパワハラですね。問題児とレッテルを貼られている二人がいること自体、迷惑に思っていますから。ぼくの前では露骨にそんな態度は見せませんが、二人しかいない時はおそらく…」
「あれだけ成長しているのに、ですか?」
「今は、”だから”でしょう」
「え?」
「そんな二人がぼくのチームメンバーとして好成績であることをよく思っていないのです。…問題児は問題児のままでいてほしいのでしょう。その方が扱いやすく、何かあればそれを理由にクビを切れます」
「…二人からはその件について何か話は?」
「詳しくは何も。ですが、二人の顔を見ていれば、上司との間に何があるのかはだいたい分かります」
「…同じ階級の天使がよく思っていないのならば、それはよくある話ですが、上司がそのように幼稚では話になりませんね」
「どこにでもある話です。上に立つ方々が皆、主天使さまのようなお気持ちで下位の者たちと接することができるわけではありませんから」
「…コウノスケがそう言うのであれば、そのような大天使は一人や二人ではなさそうですね。…私たちは指導方法を間違えたのかもしれませんね。…はぁ……」
心底残念そうなため息をつく。

「…僭越ながら、主天使さまの直属部下だった大天使の方々にはそんな方はあまりいらっしゃらないと思います。主天使さまの意志を受け継いでいらっしゃる素晴らしい方ばかりです」
「そう言っていただけると、少しばかり救われます。しかし、言い換えれば私の直属部下以外は問題ありということになりますね」
「…さすがにそれに”はい”とは言えませんが…」
「大天使のみならず、上に立つ位にいる中級、下級の者たちすべて、私から厳しく指導しておきます。部下に対して問題行動があれば、適切に対処しましょう。…もちろん、あなたがたの上司も含めて、です」
「そうしていただけると助かります。二人も正当に評価されるべきですから」
「ええ、もちろんです」
「お願いします」
「…ふふっ」
「?何ですか、その笑いは」
「コウノスケは二人が大好きなのだなと思って」
「だっ…大好きとは何ですかっ!そ、そんな感情はありませんっ!」
「だって、離れている時まで二人のことを気にかけているだなんて、大好きの他にありますか?」
「は、半人前だから気にかけているだけです!!同じチームメンバーとして、不当な扱いを受けているのを見過ごせない、それだけです!」
「またまた…」
「事実です!」
「ふふっ照れなくていいのですよ」
「照れてなどいません!」
断固として否定するコウノスケが可笑しくて、主天使はどうしても笑ってしまう。いつか、”ええ、大好きですよ。それが何か?”などと返ってきたらいいのに。
「主天使さま、おかしなことを考えないでいただけますかっ?」
「…あら、ばれましたか」
「そんなニヤニヤされたら、誰だって分かりますっ!」
「…想像するくらい良いではありませんか」
「想像もやめてくだ―」
「コウノスケ?」ひょいと、主天使が顔を覗き込む。コウノスケがビクッとして逃げ腰になる。
「な、な、何ですか」
「二人が一人前になったら、こちらに来ていただけますか?」
「……っ」主天使の言葉にコウノスケの表情が一気に曇る。
「中級になって私の所へ来ていただきたいと、ずいぶん前からお願いしているのに、あなたはちっとも来てくれません」まるで子供のように頬を膨らませる主天使に対し、コウノスケは顔を逸らして言いにくそうに口を開く。
「…以前からお伝えしていますが、ぼくはこの職場を離れるつもりはありません。それは、二人がいようがいまいが、です」
「…二百年いても、まだですか?あなたならば、大天使・権天使を飛び越え、中級への昇格試験もストレートで合格できると思いますよ。あなたに来ていただけたら、私もこれまで以上に様々なことを改革していけると思うのです」
「…天界を改革することはぼくも賛成ですし、主天使さまであれば天界を良い方向に導いてくださると確信しています。ですが、この職場を離れることはできません。主天使さまのご希望に添えられず、申し訳ありません」

コウノスケはこの話になると、表情がさらに硬くなり、まるで昔のコウノスケのようになる。主天使はそれを分かってはいるのだが、いつまで経っても詳しい理由を話してくれないので、つい聞いてしまう。
これまでなら、ここで諦めたのだが、今日の主天使はいつもと違っていた。
「…先日、書庫を整理している時にあなたの二百年前の報告書を見つけました」
「…そうですか」
「ここに来た当初の報告書は、それはまぁひどいものですね。読み返して、つい笑ってしまいました」
「…当然でしょう。やる気の欠片もなかったのですから」
「地上へ行きたくなくて逃亡した日は、マイナス三十点になっていましたよ」
「それは主天使さまが怒り狂ってつけた点数でしょう。歴史に残るマイナス点です。ぼくでも付けたことがありません」
「ふふ、私も若かったのですよ」
「…あの、主天使さま。む、昔の話はもう―」
「あの頃、ずいぶん日数をかけて手助けした人間がいましたね」
「……」
「確か、あなたが初めてたった一人で手助けした人間、でしたよね。当時はまだ個人行動も許されていましたから、あなたは一人でその人間を手助けしていました」
「……」
「…その人間を手助けしてから、あなたは変わりました。仕事だけでなく、日々の言動も…何もかもです。その人間との出会いが、あなたを根底から変えたと私は考えています」
「……」
「この職場にこだわる理由には、その人間と何か関係があるのではありませんか?」
「……今はまだ…話せません。話せる時が来たら、お話しします」
「それはいつなのでしょう」
「…それは……ぼくにも分かりません。まだ…ぼく自身、気持ちの整理ができていません。……申し訳ありません」

コウノスケにしては珍しい歯切れの悪さだ。本当に今はまだ話せないし、この先、気持ちの整理ができて話せるようになるのかも分からないのだろう。
これ以上何を聞いても無駄だと主天使は感じた。

だが、コウノスケが変わった理由に、その人間が関係しているのは明らかだ。その人間と出会わなければ、おそらくコウノスケは問題児のままで、天界の果てに飛ばされていただろう。最悪、天使という位すら失っていたかもしれない。

その人間と出会って二百年。すでにその者は亡くなっている。それなのに、何故、二百年経っても気持ちの整理ができないのだろうか。
主天使は、その者はコウノスケの荒んだ心を洗い、清めてくれた素晴らしい人間だと考えている。その人間を手助けし、救ったのであれば、そのように悩むことはないのではないか。

主天使の心は相変わらず晴れないが、もし、その人間がコウノスケにとって心の支えならば、それを奪ってはいけない、そう思っている。
天使といえど、人間と同じように心がある。弱さもある。自分の元に来てもらうことが一番の希望だが、コウノスケが昔のように心を閉ざしてしまっては意味がないのだ。

「…分かりました。あなたが話せる時が来るまで、もう聞くのはやめましょう」
「…申し訳ありません」
「あなたは優秀な天使です。中級へ昇格し、下級天使たちの育成にあたってほしいという気持ちもあります。決して、興味本位で聞いているのではないということは分かってくださいね」
「…はい、それは…十分、分かっています」
「ならばよいのです。聞かれたくないことを聞いてしまいましたね。申し訳ありません」
「いえ…」
「今の話は忘れてください。さぁ、早く戻りましょう。二人が心配です」主天使はいつも通りの微笑みをコウノスケに向けた。

コウノスケがコウノスケらしくいられること―
主天使は何よりもそれを願っている。

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上司の部屋へ向かい、ノックしてから扉を開けた。
「戻りました」
「え、コウノスケ?もう戻ったのか。早かったな…と、主天使様!」上司は慌てて立ち上がり、主天使に深々と頭を下げた。
「地上への仕事に向かう直前にコウノスケを呼び出したりして、申し訳ありませんでした」
「い、いえっ!そんな、お気になさらず!もう…お済みですか?」
「ええ。以前、コウノスケが作成した資料で、上級から問い合わせがありまして。至急の確認だったため、突然の呼び出しとなってしまいました」
「そうですかそうですか。上級からの問い合わせでしたら、それは特急の処理が必要ですね!いや、無事に解決してよかったです」
「はい、とても助かりました。コウノスケ、二人にも謝っておいてもらえますか?地上の仕事ができなくて申し訳なかったと」
「今からでも行けますから問題ありませんよ。少し遅れましたが、これから地上へ行こうと思います。…マサルとトシヒコは一旦部屋に戻っていますか?」
「あ、いや、二人は…」
「他の仕事を与えたのであれば、ぼくもそちらに行きますが」
「あ、ああ、いや…」
上司の態度はどう見てもおかしかった。
(…こいつ、やはり二人に何かしたな?)
コウノスケが口を開きかけた時、主天使がそっと肩に手を置いた。見上げると、主天使がにっこり笑っている。その笑顔は普段と変わらないが、コウノスケには違いがすぐに分かった。一歩下がって主天使に任せることにした。

「二人に与えた仕事は何でしょう?」
「え、あ、その…」
上司も普段との違いを感じ、どんどん顔が青ざめていく。
笑顔はいつもと変わらないが、違うところがある。主天使の気だ。全身から感じる気は、普段はふわふわと穏やかだが、今は違う。
そう、怒りが含まれているのだ。その怒りは、言うまでもなく目の前の幼稚な大天使に向けられている。
「やましいことがなければ、言えると思いますが?」
にっこり笑う主天使。すると、
パンッ!
突然、上司の机に飾ってある上司が毎日磨いているお気に入りの水晶の置き物が弾け、割れた破片が上司の顔をかすめていった。
「……っ」上司の顔が引きつる。
「大天使なら、はっきりおっしゃってください。それとも、私は半人前の天使と話をしているのでしょうか?」
「…っ いえ!……マ、マサルとトシヒコには、使わなくなった物品を保管倉庫に運ぶ仕事を…与えましたっ」
「保管倉庫に…ですか?変ですねぇ…私の記憶が間違っていなければ、保管倉庫への運搬時期は決まっていたはずですが…。違いましたか、コウノスケ?」
「三月末に一年分をまとめて運ぶことになっています」
「ですよねぇ…今は…」
「十二月です」
「ですよねぇ…それ以外に運搬するという話はコウノスケは聞いたことがありますか?」
「いえ。それ以外に保管倉庫に物品を運ぶことがあるというのは、初耳です」
「二百年ここにいるコウノスケが初耳ですか…」
「……っ」主天使にジッと見られて、上司は今や全身汗だくだ。
「…どういうことか、説明していただきましょうか」
彼の大したことのない経歴に大きな傷が付くのは、もはや避けられそうもなかった。

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 ・

「…つ、着いたぁ…っ!!」バターッとマサルが倒れ込む。
「マサル!木箱!俺が倉庫に入れてくるから!」
「た、頼む…っ」
マサルから木箱を受け取ると、トシヒコはガッと両脇に二つ抱えて倉庫に投げ込んだ。かなり乱暴だが、今回は致し方ない。運べばいいのだ、運べば。
「これでよし!任務完了!マサル、どう?飛べる?」
「時間…あるなら、少し…休みたい…」
「あと…一時間十分あるから、五分ぐらいは休めるよ」
「五分…待ってて…」
「分かった。マサル、力抜いてゆっくり呼吸してみて。呼吸を落ち着けると、力の回復が少し早くなるから」
「…お、おう…」
倒れ込んだまま、マサルが荒い息を何とか落ち着けようと、できるかぎりゆっくり呼吸する。水が飲みたかったが、ここには倉庫以外、何もない。最後までもつのか、マサルは不安で仕方がなかった。
トシヒコも少し上がった息を整える。力を使ってマサルを押しながら飛んでも、まだ力は残っている。以前より力が増している、それを実感できてうれしかった。
「すごいな。ここまで五十分で来れるようになるなんて。…でも、コウノスケならあっという間に来ちゃうんだろうなぁ…」
実力が違い過ぎるので当然といえば当然だが、それでもトシヒコは早く追い付きたかった。
まずはコウノスケと並んで飛ぶ、それが目標だ。

「…よし、時間だ。マサル、行くよ」
「おう。…ふぅ…」
少々だるそうに立ち上がったマサルだが、上がった息はすでに整っていた。
日に日に回復が早くなってきている。力の使い方が上手くなってきた証拠だ。
(そのうち追い付かれるかもね。…明日からトレーニングの量、増やそう。)
マサルは仲間であり、良きライバルだ。負けるわけにはいかない。
「帰りは作戦なんてないからね。とにかく全力で行くだけ」
「分かってる」
「低めに飛ぼう。風の抵抗もできるだけ受けない方がいい」
「了解」
「途中でもう無理だって思ったら言って。マサルのこと、引っ張ってくから!」
「トシヒコ格好いい~!…って、バカなこと言うなよ。トシヒコに頼らずに自分の力で帰るさ。死ぬ気で飛ぶ」
「マサル格好いい~!」
「ふん、俺を誰だと思ってるんだよ」
「チームコウノスケのマサル!」
「おうよ!もう昔の落ちこぼれじゃないってことをあいつに見せつけてやる!」
「じゃあ、行くよ!」

二人は勢いよく駆け出した。
飛んですぐ、マサルの隣でトシヒコは風の抵抗を受けない位置を探り、マサルに飛ぶ高さを合図する。マサルは頷いて、トシヒコと同じ高さに並んだ。
「俺、少し先を飛ぶね!」
「ああ!」
トシヒコがスピードを上げてマサルの前に出る。先に飛んでマサルを誘導するためだ。天然のくせに、こういうところはしっかりしている。

トシヒコは疲れた様子もなく、涼しい顔で飛んでいる。ここまでマサルを押しながら飛んできたのに、少しの休憩ですぐに回復してしまったトシヒコは、やはりすごいヤツだなとマサルは思った。
どんどん差が開いているようで少し不安もあるのだが、それぞれ向き不向きがある。人間の悩みに対して、トシヒコが的確なアドバイスをするのかといったら、それは相変わらず全然できない。
それぞれの得意分野で、己の力を磨き、成長していけばいいのだ。
自分は自分、人は人なのだから。

徐々にトシヒコとの距離が開いていく。自分は自分、と言えども、これでは足手まといになってしまうレベルの差だ。
(…さっきは強がっちまったけど、最後まで体力もつかな…)
最悪、自分のことは捨てていけと言う羽目になるかもしれない。
しかし、不安はあるが、先ほど口にした言葉も嘘ではない。
自分の力だけでやり遂げたい。もう落ちこぼれとは呼ばせない。

こんな半人前の天使でも、やればできるんだ!


「…あれ?」
先を行くトシヒコが何かに気づいた。
「どうした?…あ?」
マサルも気づいた。前方から弾丸のように風を切って飛んでくる者が一人いるのだ。その速さは凄まじい。その人物の首には、トレードマークの黄色の星柄マフラーがはためいている。
『…コウノスケ!?』
キキキーッと二人はブレーキをかけて、転がり落ちるように下へ降りた。
コウノスケは涼しい顔で二人の前でピタリと止まり、ふわりと着地。相変わらず無駄のないきれいな降り立ち方で憎たらしい。しかも息すら切れていないとはどういうことか。
「倉庫まで一時間以内で行けたようだな」
「主天使様の用事は?」
「済んだ。戻ってきたら、不要物を倉庫に運ぶように指示したと聞いたから、様子を見に来た」
「もう置いてきたよ。あとは帰るだけ」
「そのようだな」
「でも時間がギリギリなんだよ。時間までに戻らないと減点なんだ。だから早く帰らないと。トシヒコ、行こう!」
「うん!」
「…安心しろ、時間までに戻れなくても減点はない」
『…え?』
二人はキョトンとする。
減点がない?それはどういうことなのか。
「ど、どういうことだよ?あいつが減点しないって言ったのか?」
「ああ。撤回するそうだ」
「あいつが?まさか!」
「そうだよ、あいつがそんな―」
「もちろん、本人が自分から言うわけがないだろう。主天使さまだ」
「…へ?主天使?」
「主天使さまと上司の部屋に行ったら、様子がおかしかったんだよ。おまえたちに何かしたと確信した主天使さまが腹を立てて問いただした」
「…で、白状したわけか」
「ああ。主天使さまは相当、腹を立てていたからな。顔面蒼白だったぞ」
「主天使様が怒るって、想像できないけど…」
「俺も。いつもニコニコしてるしなぁ…」
「あのままだぞ」
『え?』
「気配に怒りを感じるだけで、見た目は変わらない。いつも通り笑っている」
『…え…』
「だが、たったそれだけで周囲の物を破壊してしまうほどの力がある。お優しい方だが、中級天使の最高位におられる方だ。おまえたちも怒らせるようなことはしないことだ」
ゾクッとした二人がウンウンと何度も頷く。マサルは、とりあえず普段から”主天使様”と呼ぼうと思った。

「で、どうする?」
『え?』
「時間を気にせず、のんびり帰るか?」
コウノスケにそう聞かれて、二人は顔を見合わせた。言葉を交わさなくても、思っていることは同じだ。
「のんびり帰る―」
「わけないだろ!」
「…ふぅん。時間までに帰ると?」
「当たり前だ!嫌がらせだっていうのは初めから分かってたし、時間までに戻ったところで何にも得られないのも分かってた。それでも俺たちは時間までに帰る。あいつに俺たちが落ちこぼれじゃないってところを見せてやるんだ」
トシヒコの言葉を聞いて、コウノスケがマサルを見た。
「俺も同じだ。撤回されたからってのんびり帰ってたら、昔と変わらないだろ。言われたことはやってやる」
「そうか」
「よし、マサル!行こう!」
「おう!」
「ちょっと待て」
コウノスケがトシヒコの服を引っ張った。トシヒコがバターンッとその場に倒れる。
「いったぁ!何だよ!早く行かせてよ!」
「飲んでから行け」
「え?」
コウノスケの手には、透明の液体が入ったビンが二本あった。
「もし、おまえたちが時間までに戻ると言ったら渡そうと思っていた」
「…もしかして酒!?」
「そんなわけがあるか。ただの水だ。往きで体力を消耗している。水分補給しろ」
「…え、でも時間が…」
「水分を補給することで、力も少し回復する。時間までに帰りたいなら飲んだ方がいい。…安心しろ、変な物は入っていない」
先を急ぎたいが、もちろん喉はカラカラに渇いている。喉の渇きには勝てない。二人は有り難く飲むことにした。

ゴク…ゴク…ゴク…

「ぷはぁ!生き返るぅ!」
「うん、美味しい!本当は喉、カラカラだったんだよね」
「俺も。酒でもよかったけどな!」
「酒を飲んだら、マサルはフラフラになって確実に時間までに戻れないじゃん!」
「いや、リラックスして案外早く飛べるかもよ?」
「絶対”気持ち悪い”って途中でダウンする!」
「…おい、あと五十分だぞ」
「ヤバイ!行こう、マサル!!」
「お、おお!じゃあ、俺たち行くぞ!」
「早く行け。時間までに戻って、あいつに一泡吹かせてやれ」
『!?』二人はギョッとする。コウノスケが上司に対して、そんな言葉を言うなんて、初めて聞いた。コウノスケを見ると、少しムッとしたような顔をした。
「あんなレベルの低いどうしようもないヤツ、上司だと思っているわけがないだろ」
「え…おまえ、あいつの…知って―」
「気づかないとでも思ったのか?おまえたちの顔を見ていれば分かる。…ぼくにも似たような経験があるからな」
「…え、コウノスケも上司に嫌われたことあるんだ?」トシヒコがびっくりする。
「……」マサルが驚いていないのは、例の話を知っているからだろう。
「…どんな上司とも良い関係が築けるヤツなんていないさ」
「まぁ、そうだけどさ」
「あいつ、いつかどうにかしてやろうと思っていたが、手間が省けた。時間までに戻って、あいつを見返してやれ」
ニヤリと笑うコウノスケ。コウノスケも気にかけてくれていたことを知り、二人はさらにやる気が出た。
『おうっ!!』

コウノスケと別れ、二人は再び飛び立った。力を翼に送り込み、全力で先を急ぐ。マサルは飛んですぐ、心なしか力が少し回復しているような気がした。身体も少し軽く感じる。休憩と水分補給をしたからだろうか。それと、コウノスケの腹黒いニヤリ顔を見たせいか。
倉庫に着いた時の状況を思い返す。もう少し力を出して飛んでもたどり着けたと思う。あとは帰るだけだから、もっと力を出してもきっとイケる!
先を行くトシヒコに声を掛ける。
「トシヒコ!往きと同じスピードで飛んでくれ!」
「えっ?でも…」
「さっきの休憩と水分補給のおかげで、だいぶ力が回復してる!おまえよりは遅れるけど、必ず時間までに帰るから、おまえはおまえで全力で行ってくれ!俺も全力で追いかける!」
「…分かった!!絶対時間までに来いよ!」
「おうっ!」


「…スピードを上げたな。マサルの判断、悪くない」
どんどん小さくなっていく二人の姿に、コウノスケは頼もしさを感じた。途中でやめなかったことをうれしく思ったが、口にはしない。代わりに報告書で加点をつけておこう。

二人は時間までに戻れるだろう。途中でマサルに予期せぬ問題が発生したとしても、トシヒコがいる。たとえ、マサルがサポートを断っても、トシヒコは有無を言わさず連れて行くに決まっている。
上司は時間までに戻ってくるとはこれっぽっちも思っていない。二人が戻ってきた時の顔が見物だ。

彼は今後どうなるのだろうか。謹慎か、異動か、はたまた降格か。
やっと二人を能力の発揮できる職場に配置できたのに、幼稚な大天使が二人の前向きになった心を逆戻りさせかねない行為を働いていた。
主天使が一番嫌うことを、しかも主天使が連れてきた二人にしたのだから、処分一つでは済むまい。

そんな未熟な上司の間抜けな顔を見に行きたい気持ちもあったが、それよりも行きたいと思う場所があった。今日は特に…そう思う。
ふわりと上昇し、その場所へ向かう。

「……」
主天使の言葉が、コウノスケの頭の中でぐるぐる回っている。
主天使の気持ちは以前から十分、知っているし、昇格して育成という立場になるべきだという、自分のことも分かっている。

けれど…ダメなのだ。
今の職場を離れるわけにはいかない。
約束したのだ、ずっと見守ると。
その約束を果たしきるまで、離れるつもりはない。

約束した相手は、”もういいのに”と呆れているかもしれないが。

それに、まだ、本当にこれでよかったのか、納得できていない。
二百年、毎日のように考えているが、何が最善だったのか未だに答えが見つかっていない。
だから余計に区切りもつけられず、ここからも離れられないのかもしれない。

前方に泉が見えてきた。相変わらず鬱蒼とした怪しげな森だ。けれど、コウノスケにとっては心落ち着ける場所。どんなみてくれでも、目に入るだけでホッとする。

二人が一人前になる頃には、答えも出ているだろうか。
あの時のことを誰かに語れるようになるだろうか。

それはコウノスケにも…そして、誰にも分からない。

コウノスケは、見つかるのかさえ分からない答えを…

今日も探している。

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翌日。
天使寮の掲示板に、一枚の紙が貼られた。
見に来た天使たちから驚きの声が次々と上がり、その騒がしさから、なんだなんだとさらに集まってくる。
あっという間に人だかりができた。

「何やったんだろう、あの人」
「あの部門、天界の果て…だろ?」
「あんな異動、今まで見たことあるか?俺、初めて見たよ」
「俺も」
「何か降格もあったらしいよ。二ランク落とされたとか」
「え、今日から仕事休むって聞いたけど。十日間とか」
「え、ってことはまさか、謹慎に降格でさらに異動?」
「おそらくな」
「相当、マズイことをやったんだな…」
「あんなところに飛ばされたくないよ…」
「俺も…」

そんな人垣から少し離れたところで、三人の天使が遠巻きにその貼り紙を見つめる。
「…翌日には降格と異動、さらに謹慎とは、主天使さまは相当お怒りのようだな」
昨日、時間ギリギリで戻ってきた二人を、かなり間抜けな顔で出迎えた上司。主天使の隣で一回りも二回りも小さくなっている姿を見たら、何だか可哀想になってしまったが、だからといって嫌がらせや暴言、色々あったことを水に流せるほど二人はお人好しではない。
「…ってことは、もう今日からあいつはいないってこと?」
「…日付が今日だから、そういうことだろうな。なぁ、コウノスケ?」
「だろうな」
「え、じゃあ…今日から誰が上司になるの?」
「さぁな。次はまともな大天使だといいのだが」
コウノスケは、やれやれとため息をついて部屋へと戻っていった。

貼り紙の前では、まだたくさんの天使たちがざわついている。
何をしたのか、誰か何か知らないか…
まだまだ静かになる気配はない。


二人は、主天使が上司に言った言葉を思い出していた。

「そんなに保管倉庫がお好きなら、管理していただきましょう」

主天使は上司に向かってにっこり笑ったが、その瞬間、部屋が揺れ、すべての窓ガラスが割れたことは夢ではなく現実だ。

あの笑顔が消え、もし本気で怒ったら…

「…マサル…」
「…トシヒコ…」
二人は顔を見合わせて、決意したかのように頷いた。

何があっても、主天使だけは怒らせてはいけない。


<人事異動>

大天使 ○○  保管倉庫管理部門へ異動




『…しゅ、主天使様!万歳っ!!』



「…はい?どなたか…呼びました?」


―おわり―


***********あとがき*******************

小話…とは言い難い長さの小話、いかがだったでしょうか?(^^;)

このお話の本編をUPしてからちょうど一年なので、生誕記念で書いてみました(^^)
コウちゃんが生まれて一年だ!と盛り上がっている人がいますので、親も盛り上がっておこうかと…なんてw
いずれ書く予定の「過去編」の前に書いておきたい部分があったので、一年という区切りで書いてみた次第です。
もちろん、マサルとトシヒコの成長も書きたかったですし、主天使のちゃんとしているところも書きたかったので(^^)
ちゃんとしているというか、怖いところになっちゃいましたけど(^^;)

「過去編」を書くのはまだ先になりそうですが、今後も我が家で活躍してもらおうと思ってますので、これからも我が家の三天使…あ、怖い怖い主天使も、どうぞよろしくお願いします!

そして、今回もろきちゃんがイラストを描いてくれました♪
毎日残業でお疲れなのにありがとう!
コウちゃんと仲間たち(こら)も喜んでるよ!

画面にイラストが表示されない方のために、下にも飾ります♪


2016.12.16

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