弁護士佃克彦の事件ファイル

「石に泳ぐ魚」出版差止事件

PARTW

「表現のエチカ」事件

 Aさんと柳美里さんとの法廷での応酬が続いている97年11月、柳美里さんは、「石に泳ぐ魚」を掲載した文芸誌に、「表現のエチカ」と題するエッセーを発表しました。
 このエッセーは、「石に泳ぐ魚」に関してAさんが柳美里さんを訴えたこの事件の顛末を書いたものでした。そしてそのエッセーで柳美里さんは、Aさんの顔に腫瘍があることをはっきりと書いた上で、Aさんのことを実名のイニシャルそのままで表記しました。また、そのエッセーでは、Aさんを侮辱しているとして我われが問題としている「石に泳ぐ魚」の原文が長々と引用されてもいました。
 Aさんは、これ以上自分に触れられたくないとして「石に泳ぐ魚」の差止の訴訟を起こしたのですが、このエッセーによってその意味が骨抜きにされてしまったばかりか、一層の被害を受けてしまったのです。
 そこで私たちは、この「表現のエチカ」の発表について、追加して損害賠償を請求しました。

原告・被告本人尋問

 係争中のこのような事件もありながら、約3年に及ぶ主張の応酬を終えて、98年に入り、いよいよ本人尋問が始まりました。Aさんと柳美里さんがそれぞれ法廷で思いの丈を語ったのです。
 先に実施されたのはAさんの尋問でした。
 Aさんは法廷で、柳美里さんが自分との交流中に、自分をモデルにした小説を書いていることを全く言ってくれなかったこと、雑誌に発表した後も自分には何も言ってくれなかったこと、そのため自分はこの小説のことを他の知人からの電話で初めて知ったことなどを語り、また、雑誌を手に入れて読んだときの衝撃をとつとつと話しました。
 その後に実施された柳美里さんの尋問では、柳美里さんの言い分がAさんの主張と相容れない様が、随所に現れました。
 たとえば、「石に泳ぐ魚」を執筆中にそのことをAさんに伝えなかった理由について柳さんは、この作品をAさんが喜んでくれると思っていたのであえて話さなかった、と語りました。もし本当にそう思っていたのなら、小説が公刊された後もなぜAさんに話さなかったのかという疑念が湧きますが、その点はともかくとして、「石に泳ぐ魚」を読んだときのAさんの気持ちについて、二人の間で完全に認識のずれが生じてしまっていることがまざまざと浮き彫りになる供述だと思います。
 さらに柳さんは法廷で、「石に泳ぐ魚」をAさんに対する愛情を持って書いたこと、この小説を読んでAさんが怒るとはみじんも思っていなかったのでAさんの怒りに接して驚いたこと、なども語り、「石に泳ぐ魚」を単行本として早く世に出したいと訴えました。

いよいよ判決へ


 98年は、Aさん、柳さん、その他の関係者に対する尋問であっという間に過ぎました。
 そして99年6月22日、ついに一審判決が言い渡されました。

つづく

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