弁護士佃克彦の事件ファイル

第2の「赤坂署事件」

警視庁銃器対策課不正経理疑惑事件

PARTU

第1回期日が始まった

 東京地裁での審理は1999年6月29日に始まりました。
 私たちは、某警視庁職員氏の撮影した「現金出納簿」と「捜査費証拠書類」という綴りが撮影された写真を証拠として提出しました。
 その写真には、原告の人たちの名前を勝手に使った領収書や、原告の人たちに謝礼を渡したというウソの内容の報告文書がバッチリと写っています。つまりここに撮影されている書類は、警視庁職員が原告の人たちに謝礼を支払ってもいないのに支払ったように見せかけるものなのです。
 原告の人たちは、警視庁の書類の中で、受け取ってもいない謝礼を受け取ったとされ、書いてもいない領収書を書いたこととされているわけであり、私たちは法廷で、原告たちの名前を勝手に使ったことは警視庁による不法行為だと主張しました。


予想通りの被告の答弁

 さて、この主張に対して被告である東京都はどう答えたか?
 被告側の答弁は、見事に予想通りでした。
 いわく、“捜査費の帳簿に関することは一切認否できない”というのです。

 そして認否をできない理由として、
“認否をするということは、捜査活動の具体的内容を明らかにすることになるが、そうすると捜査に支障を来してしまう。また、捜査の内容を明らかにすると、捜査に協力してくれた人の安全を確保できなくなる。だから認否は一切できない”
と述べました。

 かくして被告は、事実関係についても認否しませんでしたし、写真に撮影されている帳簿類が本物かどうかも認否しませんでした。
 赤坂署の事件でも警察は、裏金作りの動かぬ証拠である「参考人呼出簿」について認否をしませんでしたが、今回の東京都も全く同じ対応をしてきたわけです。


言いたいことは山ほどある

 被告のこの答弁は、ツッコミどころ満載です。

 そもそも、捜査費の支出の状況が記録されているに過ぎない帳簿について認否をしたって、「捜査活動の具体的内容を明らかにする」ことにはなりません。なぜなら帳簿は、お金の出入りが記録されているだけなのですから。つまり、帳簿から分かることは「○月○日に警部の甲野太郎が△△駅前で乙山二郎に情報謝礼として1万円を支払った」ということだけであって、警察が捜査で究明しようとしている事柄が書いてあるわけではないし、それどころか、被疑者も被疑罪名も被疑事実さえも全く記載されていないのです。

 それに、名前を勝手に使われた原告の人たちは、警視庁の捜査に協力をしたこともなければ謝礼を受け取ったこともないのですから、この人たちのことについて認否をしても、警視庁の「捜査活動の具体的内容を明らかにする」ことにも「捜査に支障を来す」ことにもなりません。原告の人たちが関わった「捜査」など、はなから全く存在しないのです。

 また被告は、帳簿のことについて認否をすると、捜査に協力してくれた人の安全を確保できなくなるとも言っていますが、これもおかしな理屈です。本件の原告の人たちは、捜査に協力したことがないのですから(つまり事件とは全く無縁なのですから)、被告が帳簿関係について認否をしたとしても、何かの事件にからんで人から恨みを買うようなことはあり得ません。


被告から出てきた大胆な主張


 私たちからこのような反論をしたところ、被告から突然、とても大胆な主張が出てきました。
 いわく、“捜査協力者は時どき、領収書に自分の名前を書かないで他人の名前を書くことがある。だから、仮に原告たちの氏名が帳簿に載っていたとしても、それは原告たちを指すものではない。他にいる本物の捜査協力者が、仮名として原告たちの名前を使ったに過ぎない。”というのです。
 要するに、“警視庁の職員は本当に捜査協力者にお金を渡したんだ。でもその捜査協力者が原告たちの名前を使ったから、原告たちの名前が帳簿に載ってしまっているのだ。だから警視庁職員が原告たちの名前を勝手に使ったわけじゃないんだ。”という言い分です。

でもこれって…

 でもこの主張って、答弁書に出てきた主張と矛盾していませんか?

 もし帳簿に載っている原告たちの名前が、“他にいる本物の捜査協力者”によって書かれたものだというのなら、つまり、原告たちを指すものでないのなら、もはや原告たちが警視庁の事件捜査と関係ないことは明らかです。したがって、被告が帳簿関係について認否をしたって原告たちに迷惑がかかることは全くない筈です。つまり、“帳簿について認否をすると捜査に協力してくれた人の安全を確保できなくなる”という理屈は全くあてはまらなくなるのです。
 要するに被告側は、認否をしない理屈を場当たり的に小出しにしているうちに、前の主張と矛盾することを言い出してしまったわけです。

 そこで私たちは、「帳簿上の原告の氏名が原告を指すのでないなら、帳簿について認否ができる筈じゃないか!」と反論するとともに、“他にいる本物の捜査協力者”が領収書に原告らの名前を書いたという弁解が全く信用できないことを幾重にも主張しました。
 たとえば…
@ そもそも警察に情報を提供した人は、その時点で自分のことが捜査書類に記録されていることは覚悟しているだろうから、領収書にだけ自分の名前を書くことを渋るということは考え難い
A 百歩譲ってその情報提供者が自分の名前を書くことを渋ったとしても、その人たちは、任意のペンネームを書けばよかった筈である。それなのにどうしてその情報提供者たちは、実在する原告たちの氏名を使ったのか。しかも住所まで原告らとぴったり符合するというのは不自然だ。 それにそもそも、なぜ情報提供者たちが原告たちの住所氏名を知っていたのか、理由の説明がつかない
などなど。

訴訟の展開

 このようにこちら側は、被告の主張のおかしな点を逐一突いて、「帳簿について認否しないのはおかしい。認否をしろ。」と迫っていきました。

 被告が帳簿に対して認否をすることに私たちがこだわったのには理由があります。
 いくら帳簿を写した写真があっても、写真に写っている帳簿が本物かどうかという問題が残っています。私たちは、帳簿が本物かどうかについての論戦に被告が正面から向き合い、その論戦に打ち勝たなければ、裁判所が帳簿を本物だと認定してくれないのではないかという懸念を抱いていました。ですから私たちは、被告に対して帳簿に対する認否をあくまでも求めていったのです。

 すると下田文男裁判長は法廷で、「被告の主張は不合理だという原告の主張は分かりました。不合理なことは不合理だと合理的に認定していきますから、まあ認否にこだわらなくたっていいじゃないですか。」と言いました。
 つまり裁判長は、被告に認否をこれ以上求めないことにし、その代わり、「他にいる本物の捜査協力者が原告たちの名前を使った」という被告の言い分は不合理だと判断する、ということを宣言したのです。
 そして裁判長は、「原告は、領収書を作ったこともないしお金を受け取ったこともないということを書いた原告本人の陳述書を提出して下さい。あとは法律判断だと思います。」と言いました。

 裁判長のこの発言を聞いて、私たちは「勝った!」と思いました。
 裁判長は、
@ 原告の人たちが「自分は領収書にサインをしていない」という陳述書を出せば、“原告名義の領収書を原告が作っていない”ということを裁判所は認定する
A “では原告名義の領収書を誰が作ったのか”という問題点については、「他にいる本物の捜査協力者が原告たちの名前を使った」という被告の言い分は不合理だと裁判所は判断する
ということを法廷で堂々と発言したわけです。
 ということはつまり、“問題の領収書を作ったのは、原告でもなく捜査協力者でもなく、ほかならぬ警視庁職員だ”と判断してこちらの言い分を認めてくれるのだろう、と私たちは考えたのです。
 こうして判決言渡期日が2000年3月28日に指定されました。


仰天判決!!

 法廷での裁判長の発言からすっかり勝訴を確信した私たちは、気楽な気持ちで判決言渡の日を迎えました。
 ところがその判決は…「原告らの請求をいずれも棄却する。」。
 つまりこちらの全面敗訴でした。
 「え? なんで? 不合理なことは不合理だと判断するって言ったじゃないですか裁判長っ!」
 私は心の中で叫びました。

驚きの判決理由

 狐につままれたような気持ちで裁判所から判決正本を受け取ると、こちらを敗訴にした理由がまた驚きの内容でした。

 判決は、問題の領収書について、
「原告ら以外の者が、原告らに無断で作成したものであることが認められる。」
ということは認定しました。
 しかし、“では原告以外の誰がこの領収書を作ったのか”という問題については、
「警視庁職員が…作成した(偽造した)と推認することはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。」
と述べてこちらの請求を棄却したのです。
 つまり、“領収書は、原告の人たちが作ってないことは認めるけど、そうかといってこれを警視庁職員が作ったとまでは認められないよ”ということです。

 でもこれって、裁判長の法廷の発言と違いますよね?

 裁判長は法廷ではっきりと、「不合理なことは不合理だと認定していきますから」と言って、“領収書は、他にいる本物の捜査協力者が原告たちの名前を使ったのだ”という被告の言い分を「不合理だ」と判断すると宣言していたのです。
 ところが、いざ判決の段になったら、“被告の言い分は不合理だ”とは判断せずに、“警視庁職員が作ったという証拠がない”と言い出したのです。

 こちらはもともと、“警視庁職員が作った”という点については証人尋問で立証するつもりでいました。
 しかし、裁判長が「不合理なことは不合理だと認定します」とか「原告から陳述書が出ればあとは法律判断です」とか言うから、“警視庁職員が作った”という点を認定するについて裁判所はこれ以上の証拠を必要としていないのだろうと私たちは判断したのです。
 裁判長があんな発言をしなければ、私たちは当初の予定通り警察関係者の証人尋問の申請をするつもりでいたのです。
 それなのに、言うに事欠いて「証拠がない」だなんて…。

 しかしまあこれは私たちの言い訳です。
 裁判長の法廷での発言を額面通り信用した私たちが甘かったのだと反省せざるを得ません。

 私たちは直ちに控訴をしました。

つづく

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