06年8月16日
飲酒運転に対する問題意識



通安全標語などで、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」という言葉をよく聞くが、実際この意味を
本当に理解している人はどれだけいることだろうか。
飲酒運転に対して規制が厳しくなったことは承知のとおりだが、飲酒運転による逮捕者は残念ながら
未だに出てくるのが現状である。
そもそも、日本は年末年始や冠婚葬祭、歓送迎会、夏には暑気払いなど、人と酒を飲む機会が何かと
多いという。現に「飲ミュニケーション」という言葉までできてしまっているくらいである。
飲んだら運転しない、運転する予定がある場合は絶対飲まないという意識を自ら持つことは当然の
ことで、「後で代行車を呼べばいい」など、安易な気持ちになることも問題であると考えるが、
「酒を飲ませる」側にも問題がないとは言い切れない。



道路交通法が改正され、飲酒運転によって捕まった場合、その運転者はもちろんのこと、
「酒を飲ませた人間」も処罰の対象となる。つまり、これからクルマを運転することを承知で飲ま
せることは問題行為となるのである。
このように、道路交通法が厳しくなったにもかかわらず、未だに逮捕者が後を絶たないことと大いに
関係するのが「酒の強制」ではないかと考えるのである。
現在の日本では酒を強制する習慣があることは否めない。体質上アルコール類を受け付けない、
つまり飲むことができないにもかかわらず無理矢理飲ませる、もうこれ以上飲めないというのに、
できあがった先輩や上司に無理矢理飲まされる、次の店に強制的に連れて行かれるなどといった
ことが少なからず起こっている。
例えば、営業職などの場合で、明日朝から客先をまわるのでクルマを使うが、今夜は飲み会など
といった場合は特に気をつけなければならない。店をいくつもまわるなどもってのほかで、逆に
クルマを使うことを知っていて無理矢理連れ出すような行為は絶対にあってはならない。これに
加えて次の日に「2次会に行かなかった」とかネチネチ言う人間など最低最悪であり、例え冗談でも
言うようなことではない。
これより、飲酒運転で逮捕されたともなると、運転した人間も悪いが、強制的に酒を飲ませた人間も
責任を取ることは当然のことである。最悪は会社の責任となっても何の文句も言えないだろう。

そもそも、これからクルマを運転する予定があろうがなかろうが、「酒を強制する」こと自体問題
だと考える。酔った勢いなら無理矢理酒を飲ませたっていいとか思っている人間など問題外。
「ちょっとくらいいいじゃない」とか「かたいこといわないで」などといった言葉も、あたかも
強制ではないように聞こえるが、これだって立派な強制である。

酒を強制する側の問題はいろいろと挙がってくるが、「断る勇気」も当然必要。
決して間違った行動を取っているわけではないし、「周りに嫌われる」とか「もう誘われない」
などといったことを恐れてはならない。断ったからといってネチネチブツブツと言われるような
場合は、それを言う人間、またはその会社や組織がおかしい。
クルマの運転に関わる場合は「もし飲んだら・・・」「もし飲ませたら・・・」という問題意識を
持つことが大前提となる。この意識が欠けているために飲酒運転が止まないのである。これより、
「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」を本当に理解している人がどれだけいるのかが疑問なのである。

これまで述べたような背景から、自分は「飲ミュニケーション」という言葉はどちらかというと
あまり好きではなく、これまでに述べたような「酒を強制する」人間は大嫌いである。
また、自分はクルマでの通勤をしており、飲み会などは年に数回あるかないか程度。
だからか、前ほど飲めなくなっている。
飲み会がある日は当然クルマを使わず、公共交通機関を利用しての出社となる。
クルマでの通勤者が多いこと、夜遅くまで仕事だという人が多いことから、突然今夜飲み会に
なるといったことは皆無に近い。



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