「クルマなんて走りゃいいんだ」その一言に物申す
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「クルマなんて別に走りゃいいんだ」こんな言葉を聞いたことがないだろうか。
ただ、走ればいいということは、あとのことは別にどうでもいいのかということになって
しまう。「走るのに必要なものさえあれば、あとの装備は決して使わない」こういうことを
指すんではないかとどうしても思えてならない。
極端な話、走ればいいならパワーステアリングはいらない、窓は手で開ければいいんだから
パワーウィンドウもいらない、エアコンもラジオもいらない、CDプレイヤー、カーナビなんて
もってのほか・・・・こういう展開になってしまう。
でも、今時パワステとかエアコンとかラジオとかがついていないクルマの方が珍しい。
CDプレイヤーが標準装備という例も決して珍しくない時代となってきた。
実は「走ればいいんだ」と話す年代はほとんどが中年層以上。このことから、クルマに
対する価値観の違いなのだろうかとまず考えさせられる。
まず、20代、30代の乗っているクルマを街で見かけると、社外アルミ、エアロパーツ、
スポーツマフラー…走りをおもしろくするパーツがついているクルマが多く見受けられる。
30年、40年ほど昔は、ラジオもなければエアコンもない、パワステもない世界だった。
夏で暑い時などで、外から新鮮な空気を入れられるように、「三角窓」なんてものがついて
いたりした、重いハンドルをヒーヒー言いながらまわして運転していた、こんな時代が
今では考えられないが実際にあったのである。
それから、「クルマという家より狭い空間でもいかに快適な時間を過ごせるか」をどこの
メーカーでも考えるようになり、エアコンがついたり、パワーステアリングがついたり、
CDプレイヤーがついたりするようになったのである。
我々の年代では、こういった快適装備がついていることに対して「当たり前」といった
価値観でいることだろうと思う。こういった装備がまだない時代を生きていないからである。
昔はパワステなんてなかった、エアコンなんてなかった・・・こういった時代を生きた人々と
価値観がちがうのは無理もないかと思わされる。
もっと極端な話、こういった快適装備がついていないことによって、車検や定期点検といった
ものにひっかかるかといったら、これはひっかからない。
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そのような点検では、「走る」場合で必要なものに異常がないかどうかを点検するだけに
すぎないから、パワステが壊れた、エアコンが壊れた…ということになって車検に通しても
何の問題もないのである。
話を戻すと、別に走ればいいのであれば、これらの快適装備をつけることなどもってのほか、
税金やガソリン代などといったランニングコストも安く済む軽自動車だってなんの支障も
きたさないはずである。だから、走ればいいとか言っているにもかかわらず、エアコンを
治そう、ナビをつけようといった言葉を聞くと、どうも違和感が残ってしまう。
私はクルマに対して「走ってておもしろくなければダメだ」と思う。決して「走ればいい」
というだけで話を片付けるようなことはまずできない。あくまでも私個人の考え方なので、
他にいろいろな考え方が出てきてもおかしくはない。ただ、クルマを買っても「乗り心地
悪いな・・・・」「非力だな・・・・」とか、買ったクルマに対して不満がたくさん出て
きてしまったらおしまいだと思う。「これは乗ってて気持ちいい」「このクルマはレスポンス
が良くていい」「これは中がとても広くて使いやすい」とか、その買ったクルマに対して
ワクワクする要素がないと、そのクルマにかけた200万、300万もの大金が無駄になってしまう
のではないか・・・・とこう思うからである。
自分も、今後いろいろなクルマと出会い、その中から気に入った1台を手にすることだろう。
その際は、「いかに使いやすいか」「いかに乗っててワクワクするか」を基準にして選ぼうと思う。