セスナ操縦訓練「南国セブで初ソロフライト」

 

 セブ島からレイテ島への飛行

 

「松木さんの操縦で悪いところは何ひとつありませんから自信を持ってソロフライトをしてください」と言い、教官パイロットが無線機を持ち、プロペラ後流に吹かれながら、機を降りて行きました。

ここは南国フィリピンのレイテ島にあるヒロンゴス飛行場です。

フライトスクールのあるセブ国際空港を飛び立ち、サンゴ礁の上を、水平直線、旋回、S字、スローフライト、失速回復などの訓練をしながら40分かけて飛んで来ました。そして、タッチアンドゴーを2回繰り返して着陸したところです。 

ヒロンゴス飛行場に到着 

 



ここはローカルの草原飛行場でタワーはありません。飛行場の職員も一人だけです。これから、地上に降りた教官と無線機で交信しながらソロで飛ぶことになります。

いつもは晴天で微風ですが、今日は雲が多く、日が照ったり陰ったりして風も強めです。機内は私一人だけになりました。初めての経験です。実は、この瞬間を長年にわたって恐れてきました。「パニックになったらどうしょうか」、「心筋梗塞、脳梗塞など、急に体調不良にならならないだろうか」、「手がふるえて操作できなくなったりしないだろうか」などと、一人で飛ぶのが心配でライセンスをあきらめかけたこともありました。

操縦は大好きで特に着陸は得意だった私ですが、操縦桿を思い切り引いて失速ブザーを鳴らす着陸に凝ってから、長いスランプに入っていました。この23日よく眠れていません。フライトスクールの格納庫にある宿舎で寝泊りしていますから、深夜の定期便の発着で目が覚めます。そのたびに不安で目が冴えます。ベッドの中でエンジンランナップやタッチアンドゴーのイメージトレーニングをしながらじっと耐えていたのです。

「無線の感度はいかがですか」と教官から無線が入りました。大きなヘッドフォンですからよく聞こえます。「感度は極めて良好です」、「そちらの感度はいかがですか」と返すと、「極めて良好」との返事です。意外なことに私の声はとても落ち着いています。

「では出発してください」、「タッチアンドゴー2回ですよ」との指示です。「タッチアンドゴーを2回行います」、「出発します」と報告してからスロットルを押しました。ここは草原飛行場ですから長い草が生えています。相当エンジンをふかさないと機体は動きません。でも少し動き出したところですぐ絞って目の前の柵にぶつからないようにしました。狭いエプロンなのです。すばやく左ラダーペダルを思い切り踏み、ペダル上部をつま先で押してブレーキをかけながら、エンジンを再び強くふかします。すると機体はスムースに頭を左に回してくれます。そんな難しい操作をしながらも、吹流しを見て風向風速を頭に叩き込みます。

滑走路への出口は草むらではっきりわかりません。中心から少しでも外れると排水溝に脚を取られます。真ん中の、そのまた真ん中を通ります。ずいぶん冷静な私です。

さあ、草原の滑走路に出ました。この滑走路は正確に南北に走っているのでわかりやすいのです。今日は南風ですから北端に向かいます。もともとセスナは草地からの離発着ができるように作られています。大きな車輪とバネの利いた脚で、広々とした緑の草原を気持ちよく進みます。今日は一人乗りの上に追い風ですから速度が速くなりがちです。パワーをいつもより少なめにしました。機は私の操作にすなおに従ってくれています。少しうれしくなってきました。

思えば、恐ろしいほどの空腹に2年間も耐えて減量し、糖尿病、高血圧、高脂血症を克服して3日にわたる厳しい航空身体検査にパスしました。朝4時起きで分厚い原書3冊を3年もかけて読破し、独力でマニラ市での学科試験に合格しました。操縦は8年間もフライトシミュレータとサイパンやグアムでの体験操縦で修行を積んで来ました。通勤電車ではイメージトレーニングで夢中になり、よく乗り過ごしをしたものです。草原を快適にタクシーする機内で色々なことが思い出されます。

滑走路末端に近づきました。パワーを落として風下になる右側に寄ってから思い切り左ラダーを踏み、エンジンを一気にふかして180°回頭し、滑走路センターにピタリと着けました。機は真南を向いています。目の前には緑を誇るようにして草原飛行場が広がっています。空には南国特有の大きい雲がポカリポカリと力強く浮かんでいます。地平線には椰子の木立が見えています。右には白い教会があります。見慣れた景色です。

 

 草原の飛行場

窓を閉めドアーのロックを確認してから無線で「離陸位置に到着しました」、「プリフライトチェックを行います」と連絡します。「了解」の返事が来ました。

無線のスイッチを入れたままにして「マスタースイッチオン」、「イグニッションスイッチオン」、「ランディングライトオン」、「フューエルタンクボース」、「トリムテイクオフポジション」と機器に触り呼称しながらチェックを行います。「プリフライトチェック終了異常なし」と報告すると「了解です」、「それでは出発してください」との連絡です。

いよいよ一人で空に向かいますが、私は作業を淡々とこなすだけで無心です。声は落ち着いています。操作する手もふるえていません。恐れていたパニックは起きていないようです。

「出発します」、「フルパワー」と呼称し、スロットルをいっぱいに押し込みました。エンジンは強力です。機は全身をふるわせながらぐんぐん加速します。最初は地上のデコボコを忠実に拾って機体が右に左に大きく揺れますが、だんだん安定してきます。

このセスナはプロペラ単発機ですから滑走中にセンターラインから大きく左に外れます。ですから常に右ラダーをチョンチョンと踏んで修正する必要があります。これは慣れてくると楽しくなります。そうしながらも油圧計、シリンダー温度計などをサッと見てエンジンの状態を確認します。

機速が増してきました。そろそろ速度計に意識を移してチラッ、チラッと見ます。55ktで操縦桿をしっかりと引きます。

離陸したら機首のカウリングが水平線より上がりすぎないように操縦桿を少し押しながら加速します。75ktになったら操縦桿を少し引いて、その速度を保ちながら上昇を続けます。

放っておくと機体は自然と左に行くので右ラダーを踏んで滑走路の延長上を飛ぶようにします。300ftでランディングライトオフです。400ftになったら左方向に航空機がいないことを確認して左90°旋回をします。「レフトサイドクリアー」、「ターンレフト」、「バンク15°」、「ロールアウト」、「ヘディング090」、「ランウェイ確認」と一人で呼称するとともに無線機で教官の耳元にも送ります。とても忙しいのです。

800ft
の少し手前で操縦桿をゆっくり押して800ftの水平直線飛行に移ります。速度が増して機体が上昇するので操縦桿を押し続けるのが大変になってきます。ここで活躍するのがトリムです。右下にある大きな円盤を上に回すと頭を抑えてくれます。うまく調整すると手放しで操縦できるのです。このままですと速度が増し続けるので100kt近くでエンジンを2300rpmに落として巡航速度にします。機内は急に静かになります。

休む間もなく左90°変針点です。「レフトサイドクリアー」、「ターンレフト」、「バンク30°」、「ロールアウト」、「ヘディング360」、「ランウェイ確認」とめまぐるしいのです。これからは風下への行程でダウンウィンドと呼ばれるところに入ります。ダウンウィンドに進入して計器を確認すると高度800ft、ヘディング360°、パワー2300rpmに針がピタリと合っていました。いつの間にこんなに上達したのでしょうか。このデータを一刻も早く教官に無線連絡しました。地上でどんなに心配して私の機を見上げていることでしょうか。「了解」と明るい声が返ってきました。ジャイロコンパスの方位を磁気コンパスに合わせます。15分に一度はこれが必要です。

5003
号機は私の操縦にすなおに答えてくれています。いままでトラブルもなく訓練も極めて順調です。早朝、入念にエンジンをランナップしている整備員のステッペン君やライアン君の姿が目に浮かびます。エンジンを始動してエプロンを離れるときに燃料のフタなどを再チェックしている彼らに感謝です。事務室では穏やかな整備長のパンピンさんですが、最終チェックで機体を見るときは、恐ろしいほど鋭い目になることも思い出されます。みんな航空カレッジ出身の秀才です。

教官も、私のように、なにごとにも鈍く、その上にわがままな中高年訓練生を相手に実に忍耐強く教えてくれました。教官には私の性格や体力まで考慮した的確なご指導をいただきました。ある日短距離離陸でフルパワーにしました。ブレーキを緩めても発進しません。おかしいと思ったら、窓を閉め忘れたために教官がブレーキを踏んでくれていたのでした。それに気がつかない私です。私が不思議そうにキョロキョロしはじめてから、「窓が開いていますよ」と注意をいただきました。その後、窓を閉め忘れることは2度とありませんでした。

着陸時のラダー操作に不慣れな私は滑走路の外に出そうになりました。そこまでじっと我慢していただいたおかげで、タッチダウン前後のラダー操作の大事さが身にしみました。着陸状況を慎重かつ冷静に把握し、瞬時にラダー操作が出来るように身構えるようになりました。

私が体験操縦で遊んでいたころ、アプローチではエルロンのみで方向を修正をしていました。ですから、最後まで蛇行していました。この癖は何度注意されても直りません。そんなある日、教官が、いきなり体を乗り出し、私の操縦桿をがっちりと握り、「この状態で滑走路に向かってください」と言いました。ラダーしか操作できません。ところが、いとも簡単にコントロールできました。以後、私の着陸技術は格段に向上したのです。

野外飛行のカミギン島航法では高度3500ftを選び、そのままボホール島を進みました。2880ftの山岳一帯に大きな雲がかかっています。とても近づけません。山におびえ雲にさえぎられて迂回を余儀なくさせられました。さんざん苦労したあとに、「5500ftだったら全く問題なく直線でカミギン島へ行けましたよ」、「5500ftだったら燃料の消費量も少ないですよ」、「高度があるから不時着も余裕がありますよ」とのアドバイスをいただきました。これは苦労したあとだけに頭に深く刻まれました。その後はそのような高度は2度と計画しなくなりました。

ミスをすぐ注意しないで危なくなってから、「こういうことになりますよ」とアドバイスしてくれました。冷や汗とともに2度と同じミスを繰り返さないようになりました。教官も大変だったと思います。人の話を聞かない私の性格まで考慮してくれた教育法でした。

私は日に2回飛ぶことはありませんでした。通常は午前中のみで、休憩込みの4時間でした。タッチアンドゴーも連続6回目から怪しくなるので5回で終わっていました。毎日、こころわき踊るような気分で元気に飛べたのは、教官が私の体力に配慮してくれたおかげだったのです。

滑走路はよく見えています。滑走路の末端が真横になったところでパワー調整です。2300rpm から1800rpm まで落とします。操縦桿を引いて高度を保ちながらフラップを10°とし80ktまで減速したところで降下をはじめ、再度パワーを1800rpmに調整します。これをしないと最後まで苦労します。ここからはスロットル固定でエレベータに集中して速度をコントロールします。

 

 ダウンウィンドからベースへ旋回

滑走路末端が左45°に見えます。ここで左90°へ旋回です。そして滑走路の延長線に対して直角に向かいます。この行程はベースと呼ばれます。

今回はこのベースにスムースに入りました。いつもは旋回途中で頭を突っ込み、高度も600ft以下に落ち、あわててパワーを入れてエレベータを引いていました。速度が100kt近くになっていることに気がつきませんでした。そこではじめて再三アドバイスされた「ベースではスロットルから手を離して」の意味がよくわかったのです。エレベータを使って速度を80ktに保っていると、うまくゆくのです。ベースでフラップを20°として70ktを維持します。今回は予定どおり、ベースの中間付近で高度600ftとなり、ランディングライトオンと順調でした。

アプローチではフラップ30°として速度65ktを維持し、エルロンとラダー併用による方向修正を続け、滑走路末端に頭が自然と向くようにパワーを調整しました。滑走路末端を過ぎたところでエンジンをゆっくりしぼり、地面が近づいてきたところで少しづつ操縦桿を引いて地面を這い、失速ブザーの音とともに操縦桿をグーンと引いて着陸です。「ナイスランディング!」と教官の声が無線に入りました。

そのままフルパワーにして再び飛び上がりました。吹流しが風に強くなびいています。教官から「風が225°、7ktに変わりました」という無線連絡が入りました。「滑走路が180°なので右45°の風」などと計算していると、「右45°から7ktですよ」との連絡です。ありがたいアドバイスです。自分の計算だけでは不安です。

このおかげでアプローチでは冷静に対処できました。

頭を少し右に向けながらアプローチです。風に押されて高度が下ったのでパワーを入れました。

滑走路末端でパワーカットしたあと、気持ちだけ右翼を少し下げて左ラダーを踏み、ウィングロー法をこころがけました。

ただ、速度が70ktと速かったので長い滑空になると思いました。 

右風のときは右脚から着地

           
やはり着地まで時間がかかりました。このまま飛行場事務所のエプロンに入るのは無理だと思ったそのとき、「そのまま通り過ぎてください」、「通り過ぎてから戻って来てください」と教官からの指示がありました。速度が十分に落ちてからゆっくりとブレーキを踏みました。まさにナイスアドバイスで感謝です。

アプローチで増速したあとウィングロー法に気をとられてスロットルを適切に戻さなかったのが原因です。このような失敗のくやしさは長く尾を引くのです。2年経った今でも残念に思っていますが、このおかげでアプローチで速度をおろそかにすることは2度となくなりました。

エプロンでエンジンを止めました。


もどかしいようにしてシートベルトを外し教官の所に走り寄りました。


そして、おもわず手を握ると、「ありがとうございました」という言葉があふれ出てきました。


飛行場職員も大喜びで記念写真を撮ってくれました。


こんな幸せな気分は何十年ぶりでしょうか。

大変お世話になった飛行場職員

                                                   

慣れた手つきでヒロンゴス飛行場を飛び立ちながら、何度も何度も、首が痛くなるほど振り返って見ました。

いろいろなことが思い出されるのです。

気が動転して手足が自由に動かなくなることもありました。頭がまっ白になって西も東もわからなくなることもありました。自分にできるだろうかと、ため息をつく日もありました。そんなときは、いつも、ヒロンゴスの大自然が私を慰めてくれました。

努力が実り、納得のいく着陸ができたとき、ヒロンゴスの景色は、私を祝福するかのように光り輝いてくれました。

そんな中で、私の操縦技術は、一歩一歩、着実に進歩を続けていました。

ヒロンゴス飛行場は、いつも私の機が1機だけで、思う存分に訓練ができました。着陸でミスをしても、千メーターの長い滑走路は私の機をやさしく受け止めてくれました。

この飛行場は私をたくましく鍛え上げてくれました。感謝の念がわいてきました。 

ヒロンゴス飛行場

  動画

機は高度1500ft、速度93kt、方位265°にピタリと落ち着いています。

何も考えなくても体が自然に動いてくれるのです。なにをしても飲み込みの悪い私が、よくここまで育ったものです。

このまま40分飛ぶとセブ国際空港に到着します。 

操縦席からの景色


私の初ソロフライトが成功して教官も上機嫌です。離陸後点検が終ると教官が、「正面衝突の緊急回避法を見せますから操縦桿から手を離してください」と言いました。いきなり海面が縦になったと思ったら次に上から降ってきました。

「こんどは、あの大きな雲に入ってください」と言います。何も見えなくなりました。機が揺れ出しました。シミュレータ出身の私はこれには強いのです。姿勢儀を中心にして、コンパス、昇降計、高度計、速度計、回転計などを見ながら何の支障もなく操縦ができます。あわてる様子もない私を見て教官も少し拍子抜けしたようです。

雲が切れて素晴らしい景色が広がってきました。左にはメガネザルで有名なボホール島、右にはサンフランシスコ島、正面にはセブ国際空港のあるマクタン島が見えます。その向こうには大きなセブ島が堂々と控えています。後ろにあるはずのレイテ島はもうかすんで見えません。下は見渡すかぎりライトブルーに光るサンゴ礁です。ここは一年中ほとんど風がありません。雨もまれで晴天続きです。機は安定していて微動もしません。まさに竜宮城の世界です。

 

 スローフライト、失速回復、不時着の訓練空域

 

 

 コバルトブルーのサンゴ礁


民家で溢れる小さな島がいくつも見えます。ある日そのひとつを訪問しました。空から見て、いつも行ってみたいと思っていたからです。島のまわりのサンゴ礁は不時着のときの目標点となるので現地も見たかったのです。

 

 民家で溢れる小さな島

 

 

セブ国際空港のあるマクタン島から40分の船旅でした。エンジンの轟音とともに朝の海原を高速で飛ばします。

サンゴ礁に入ってからは低速にし、砂浜付近では竹竿で海底を押し、ひざくらいの深さのところで下船します。

民家で溢れる小さな島への旅

波打ち際にある小屋に案内されました。今日の宿舎となるところです。生活方法や島での注意事項を聞いてから、さっそく島めぐりに出かけました。

30
分も歩けば一周するとのことです。 

 

電気はありません。水道もなく雨水の生活です。家は小屋のような作りで中がまる見えです。服装も簡素なものです。

一年中28℃くらいですから生活に問題はないのでしょうか。

漁業で少しの現金収入があるだけで主に自給自足です。とにかく何もありません。




椰子の木陰に腰を下ろしてサンゴ礁の海をゆっくりと見ました。海水はどこまでも透き通っています。セブ島付近は波や風がありませんから底がまる見えです。

サンゴ礁は白いので海水がライトブルーに光って見えます。水平線付近では紺色に変わっています。

 

 島から見たサンゴ礁

 

沖の小船から魚を網に追っている音が聞こえます。

空にはいつも青い空と白い雲がありますが、ときには筋状のスコールを落としている黒い雲もあります。

太陽はほどよい強さです。 

追い込み漁

 

小屋に戻りラッシュガードに着替えてシュノーケル開始です。

海水温度は快適です。海底は白っぽいサンゴ礁や砂で明るくきれいです。

大きな海草はほとんど見当たりません。日本の場合は山から腐葉土の栄養分が流れ込んで肥沃のため海草で埋め尽くされていますが、ここではそれがないのです。

暗礁のようなものはほとんどありませんから不時着のときに脚を取られてひっくり返る心配はないようです。深さは胸から腰くらいですから泳ぐ必要もありません。

魚たちと戯れているうちに不時着のことはすっかり忘れてしまいました。 

透き通る海水

                

この島に時間はありません。食事は母屋でみんなといっしょに食べます。

ですから母屋の娘が私を呼びに来るのです。

私が何処にいても島民500人の中からいとも簡単に見つけ出すのでおどろきです。
 

母屋の娘

鳥料理と果物の昼食をいただいてから小屋でちょっと横になったら寝てしまいました。不眠症の私がどうしたことでしょうか。

犬の鳴き声で起きました。強い日差しもおさまって、ほどよい気温になったので、島の中心部に出かけることにしました。

いつもやさしい目で私を見ている島の人に会って話しをしたかったのです。 

デジカメや百円ショップで買った紙風船などを手さげ袋に入れて出発です。もう4回目の航空留学ですから友達になる方法はよく知っています。でも島では高価なものはプレゼントしないよう厳重に注意されています。島民の生活リズムが狂ってしまうからでしょう。

森を抜けると密集している民家が見えてきました。家の中の生活はまる見えです。教会のある広場で子供たちと紙風船でバレーを楽しみました。大きな森の中ですから音が響きます。折り紙も女の子に大人気です。親たちも集まってきました。

島の人同士はこの地方のビサヤ語で会話をしますが、これはマニラに行くとタガログ語になり、まったく通じません。ですからフィリピンでは英語を公用語とし学校教育も英語にしています。文字も英語ですから助かります。私はビサヤ語で挨拶を交わしてから英語で話しはじめます。

  

 

 

                                          

子供たちは天真爛漫で目が美しく好奇心に満ち、本当に天使のようです。

お年よりは何処までもやさしく心が安らぎます。

極貧の生活の中で、どうしてこんなに心が美しくて豊かなのか、不思議でたまりません。 

お年寄りと子供たち

 

島の青年はとても真面目で、貧困からの脱出を真剣に考えています。

日本人は、努力して立派な国を作り上げたということで、この地では、とても尊敬されています。

右の写真の青年に、政治、経済、教育などについて、2時間近くも熱心な質問攻めに会いました。

いままで、尊敬されたり、真面目に耳を傾けられたりした経験のない私としては、大いに戸惑いました。

若い女性もひたむきで、よく働きます。

これからは貧困に苦しんできた発展途上国の人たちが花開く時代になると思いますが、今のままの自然の景色と人の心はしっかりと残してほしいと思いました。

 

 

真面目な青年たち 

キルトは島の産業になっています。

デザインが自由奔放で魅力的でした。

色の扱いも鮮やかです。

作業場の中に招かれ、しばし、世間話をさせていただきました。

 

 

 

木の皮を細くしてゴザを作っている家がありました。中に入って作り方を聞きながら話し込みました。

島の人は恥ずかしそうにしながらも、よく話します。

特にデジカメが大好きで、しっかりとポーズを作ってくれます。それから、必ず液晶で自分の姿を見て納得するのです。

動画になると大変です。人だかりができて、大騒ぎになるのです。 

島の名産木皮ゴザ

 

母屋の娘が私を呼びに来ました。

もう夕食です。

目印の雨水タンクを見ながら母屋に行きます。

ほのぼのとした家庭料理が楽しみです。

ご馳走、老若男女の会話、涼しい風、暗くなってゆく景色、そして、揺れるランプの炎、みんな、いいものですね。

雨が降ってきました。傘を借りて真っ暗な森の夜道を小屋まで移動です。

母屋の娘が心配して小屋の見えるところまで案内してくれました。  

 

 

目印の雨水タンク

           

 


                                               

雨で外にも出られません。ランプでは本も読めません。楽しみにしていた夜空の星も雲に隠れて見えません。

何もすることはありません。

ソファーもないのでベッドに横になり、ランプの炎で揺れる天井を見ているだけです。

部屋はランプの強い臭いで満ちていますが、「蚊取り線香の代わりになるので消さないように」と言われています。

急に、自分というものを感じはじめました。今までは仕事や生活に追われ、まったく気にも留めていませんでした。

心臓の動きに気がつきました。しばらく脈を感じてみました。こんなことは久しぶりです。鼻がスースーとかすかな音を立てています。体がせっせと呼吸をしているのです。これからも、ちゃんと動いてくれるのでしょうか。自分の体にびっくりです。限りある命の厳粛さを思い知らされました。

自分を自覚しはじめた子供のころが、しきりに思い出されます。 

ランプの炎で揺れる天井


今まで大事に思ってきたものが急に色あせてゆきます。なにか一番大切なものを忘れたまま生きてきてしまったような気持ちになりました。

            

ものすごい稲妻と雷の音で目が覚めました。豪雨で屋根が壊れそうです。ベッドが濡れています。雨の落ちないところにベッド移すとまた眠りました。不眠症の私がどうしたことでしょうか。

鳥の鳴き声で目が覚めました。

水平線がかすかに白みかけていて、島々がうっすらと見えます。嵐はすっかりおさまり、薄暗い空には大きな星が残っています。海はまだ姿をはっきり現していませんが、波はなく鏡のようです。あたりは静寂です。

雨のおかげで植物が元気をとりもどしたのでしょうか。緑の葉、赤い花、白い花、果物などを思い起させる香りでいっぱいです。

この何とも言えない幸せ感は何でしょうか。

この気持ちを文章でお伝えしたいのですが、難し過ぎます。 

雨水の回収


                                               

朝帰る予定でしたが、名残惜しいので帰りを遅らせました。満潮のときにしか船は出ませんから夕方の出発となりました。

昨夜の豪雨で、どの家も水がめは雨水でいっぱいです。島民は大喜びです。

島の水が底を尽いたため、マクタン島に水を買いに行く船を準備し、今日出航する予定だったのです。水は高価なので、現金収入の少ない島民には大変なことなのです。

島の人たちとの触れ合いであっという間に夕方になってしまいました。

民家の奥に隠れていたのですが、母屋の娘に緊急逮捕されて、マクタン島に強制送還されました。

対人恐怖症の私がどうしたことでしょうか。 

帰りの連絡船の中

 

 

教官と楽しく世間話しをしていると教官が突然スロットルをいっぱいに引いてアイドルとしました。不時着訓練です。

操縦桿を引いて高度を保ちながら着水点を決め80ktになったところで80ktを保ちながら降下開始です。トリムをうまく使い手放しでもよいくらいにします。風下から目標点に向かいながら、燃料コック、ミクスチャーレバー、イグニッションスイッチを何度か動かして再起動を試みます。緊急無線連絡、スイッチ断、ドアーオープンと続けます。

もちろん操作はしないで手続きのみですが、機は実際に降下していますから、みるみる海面が近づいてきます。高度500ftで状況中止です。

もうセブ国際空港はすぐそばです。マクタンタワーから着陸の指示をもらい、いつもの高級ホテルの上空からダウンウィンドに入りました。

 

着陸コースにある高級ホテル

 

フライトスクールの格納庫が見えてきました。私が自炊をしながら生活をしているところです。

あともう少しで無事わが家に帰還です。みんなどんな顔で出迎えてくれるのでしょうか。

ジャンボが降りるこの滑走路はとても長いのです。滑走路すれすれの高度を延々とローパスしてから末端付近でエンジンを絞って降ります。

スムースに着陸です。今日はタクシーのスピードが上がりがちです。

 

 セブ国際空港のフライトスクール

 

ソロフライト成功の儀式で整備長のパンピンさんに水をかけていただきました。

長い間見続けた夢の瞬間です。水の冷たさがわかりませんでした。 

初ソロフライト成功セレモニー

          

そのあと事務所2階のベランダでスタッフ全員が集合し、その前で、校長先生から初ソロ証明書をいただきました。

感激の瞬間でした。 

初ソロ証明書授与式

                                           

初ソロ証明書授与式あと、引き続いて事務所2階のベランダで、初ソロ成功の祝賀昼食会を開催していただき、幸せな気分でいっぱいでした。

お世話になった人たちといっしょに撮った写真は私の素晴らしい宝物です。 

祝賀昼食会

               

私の場合はフライトスクールの格納庫宿舎でお世話になりましたから、お返しに夜のバーベキューパーティーを私主催で行うことにしました。

フライトスクールのスタッフといっしょにローカルマーケットに行って新鮮な魚、肉、野菜などのバーベキュー食材と果物を求めました。次にはスーパーマーケットでケーキ、アイスクリーム、飲み物を調達です。

 

にぎやかなローカルマーケット

 

 

陽気な店員

次に格納庫キッチンで、肉をカットしてたれに漬け込み、魚の内臓を出して香草を詰めて塩を振り、下調理をしました。

 

そして、これらの食材持参で海岸の高級リゾートホテルのバーベキュー場に行きました。そこには海を見下ろすバルコニーがあり、素晴らしい夕日の景色です。ほかのグループも多く、どこも大にぎわいで、お祭りのようです。

さっそくバーべキューの開始です。

ご馳走と会話を楽しみ、カラオケで盛り上がり、ナイターの海水浴で涼み、時間の経つのを忘れてしまいました。

 

 

 

パーティーの準備

 

 

カラオケとバーベキューの大宴会


平成2098日、私が63歳のときのことでした。


 

ヒロンゴス飛行場で5003号機と私

(追記)

平成201117日:フィリピン国PRIVATE PILOTS LICENSEを取得
平成211118日:上記ライセンス書き換えで日本国自家用操縦士免許を取得


平成225
松木秀夫(記
平成25年9月更新