58年振りの京都旅行

H15.7.19  禿かむろ 佐智子

  今年7月京都へ行って来ました。
私は 京都赤十字救護看護婦養成所に2年居りました。
病院は舞鶴海軍病院分院でした。昭和21年3月に卒業しました。
その頃は戦争が激しくなり勉強どころではありません、毎日毎日負傷兵が運び込まれ、毎日亡くなっていく様を見てきました。

終戦後進駐軍が土足で入り込み病院と寄宿舎を接収してしまいました。その時はどうしたかはっきり覚えていませんが、 東山臨済宗大本山東福寺が寝泊り場所になりました。

病院は今、京都パークホテルになっていますが、その前は賀陽の宮様の御殿がありました。そこが病院になり東福寺から白衣を着て 通天橋 をガタガタと走り病院まで通いました。(通天橋は昭和34年8月に台風により崩壊、36年11月に再建された)

三十三間堂 の西庭で、今日ではお正月に晴れ着姿の女性達が弓道をやりますが、あの時代は防毒マスクを着けて防空演習をしました。

東福寺の受付の方に58年振りに来ましたと言ったら、「あの当時の方ですか、私は看護婦さんの食事を作っていたんですよ、ご苦労されましたね」と言われ、あの時代の方にお逢いできて胸がジーンとしました。
「お泊りになった御堂を覚えていますか」と聞かれましたが思い出せませんでした。

通天橋では大勢観光の方が写真を撮っていましたが、私は夢を見ているような気持ちでした。 今でも頭の中で交錯しています。思いで深い旅行でした。