現役時代の想いで

H14.10.7  鍋倉吉廣

  先日、以前の勤務先の日水OB会があり、久々に東京まで出かけました。
当日は250名程の先輩後輩たちが集い、まだ現役の社長以下幹部社員が同席、立食パーティー方式で開催されました。会終了後会社から土産に「鯨焼き肉」3缶をいただきました。
この「鯨焼き肉」はかすがクラブ食事会で試食することにしました。

OB会をきっかけに自分の現役時代の一部を思い出しました。
私が入社最初の勤務地函館時代・第2の勤務地札幌・その後東京勤務などで知り合った大勢の方たちと話す機会が得られました。80歳を超えた方の参加もあり42年振りの再会もありました。

現役を退いた方たちのその後は第2の人生を色々な趣味・地域ボランティア・地方に戻りゆったりとした生活を、など様々な生き方をして充実されているようでした。
共通しているのは、この会に参加する方は何事にも積極的に他人と交流する気持ちが強いように思えました。

しかし私は、会社の仲間・出身地の同窓生同期生・親戚など付き合いは多くあっても「地域の仲間」が高齢化社会を迎えつつある現在がこれからは一番大切なことと思えます。

さて、私の現役時代の時代背景などを考えてみました。
昭和30年私が入社したころは水産立国日本といわれ小さな国土で世界に活躍出来る場は海しかない。
海は世界共通の海域で特定の国の領土ではなく、世界中あらゆる海で魚を採ることが出来、戦後日本の食糧供給の担い手となることが出来ると考えていました。

戦後の水産業は、南氷洋捕鯨・北洋カニ・北洋さけます・にしん・カレイ・底引き 母船式事業が次々に立ち上げられた時代でした。
またトロール事業も北洋・南氷洋・アフリカ沿岸・南アメリカ沿岸各国に展開されました。
その後捕鯨事業は「鯨は哺乳動物で食べるのはかわいそう」とアメリカを中心とした運動が広がり、鯨に関係の無い国々を引き入れ強引に捕鯨事業が廃止される事態となりました。
その裏には「アメリカ・豪州など牛羊肉の日本への輸出」があったのです。同じ哺乳動物の牛羊豚はなぜ食べてよいのか?には人間に食べられるためにある動物なのだそうです。

昭和50年代前半には200カイリ問題が起きました。それまでは海は自国から3カイリ又は12カイリにするかで国際会議が進められていたのですが、突如海底資源権益確保などの理由もあり、アメリカ主導で200カイリ問題が確定し、その結果魚を漁獲出来る海域は殆どなくなり各種母船式事業・トロール事業は壊滅的な打撃を受け、廃業せざるを得ない状況となりました。
これもアメリカの漁業者がカニ事業に進出し2年で資源枯渇させ底引き漁業に転換させるなど、大国のエゴで日本漁業は潰されてしまいました。
私は北洋漁業全盛期に通算5回、母船総務事業部員として乗船しました。おかげで人が経験できない特殊業務を経験する事が出来ました。
乗船中は取れたてのカニ刺身・カニ入りラーメン・紅鮭の頭・鯨の刺身などの珍味を食する機会に恵まれました。

現在では魚資源の殆どは輸入に頼るようになってしまいました。