55年ぶりの小学校恩師との交信

H17.1.10  鍋倉吉廣

  今年の年賀状でたまたま函館時代小学校6年の担任の先生(女性)が、千葉県習志野市に居られる事がわかり、年賀の挨拶をしたところ返信があり、電話をしてみました。

昭和24年卒業以来55年ぶりでした。先生が担任した頃は教師になりたての頃です。
戦後のまだ混乱期でしたが我々の学年(昭和23年)から修学旅行が始まったと記憶しています。

当時私の家は社宅でしたがその頃には珍しく内風呂があり、先生も同じ町内に住まわれていたこともあり、我が家に家庭訪問かたがた来てくれ入浴していかれました。

なにしろ55年も経過しているので、私を覚えてくれているか心配でしたが返信があり元気なことが判り、早速声を聞くことにしました。

お年を聞くと77歳になられた由で、函館で5年勤務後千葉の学校で教鞭をとり、当時では珍しい女性の校長を10年間勤務(女性校長が少ないころで開拓者としてご苦労されたようです)退職後はボランティア活動で人権擁護委員を16年間担当され、昨年やっと自由の身になった由でした。

今でも函館時代の教え子何人かと年賀のやりとりをしているとのことで、お互いの近況となつかしい思い出話をしながら、今年の東京同窓会(函館東川小学校)には是非参加してもらえるようお願いし電話を終えました。

我々の年代では恩師がお元気でおられる方も年々少なくなり、久しぶりにすがすがしい年頭を迎えることが出来たと思っております。

高齢化社会を迎えるこれからは、お互い元気なうちに遊びを中心に同じ人生なら楽しく過ごすことに心がけたいものです。