後編




さすがにご主人様も慌て始めます。
セルファード公は一言。

「なぜ」

ご主人様がちらっと僕を見ました。
目が状況説明を求めています。
えっと、えっと、ご主人様が他の事を考えていたからだと思います!
しかもアートレイズ公の名前を出してカッコイイと言ったのもまずかったんだと思います!
セルファード公はご主人様の事が大好きなので従属している僕に対してもたびたび嫉妬します。
そのたびに生きた心地がしません。
とにかく今はこの状況になった理由をご主人様に伝えなければと口を開いた途端、 僕は水から出された魚のように パクパクと口を開閉させる事しか出来なくなりました。
なぜならセルファード公が射抜くような視線を向けて来たのです。
あぁ……ご主人様が僕の事をずっと見ていたからセルファード公が……。
凍てつくような眼差しにそれだけで気が遠きます。
後ろに倒れながらもお二人の会話ははっきりと聞き取れました。

「キオ!?ジル離せっ。うわっ、バカ!何すんだよ!!下ろせよ!横抱きはするな!」
「俺を見ろ」
「見ろって、今見てんじゃん。何だよ、その顔。何が不満なんだよ……」
「忌々しい」
「ひっ!おおお、俺!?」
「あの男、殺す」
「へ?あの男?……って、誰?う、うわっ!首を舐めるな!俺は絶対にやらないからな! や、やらないって言ってんだろ!?キオー助けて〜!!」

ご主人様が助けを求めています。
ですが僕は床に倒れたまま未だにセルファード公の威圧から逃れられません。
息を吸うのが精いっぱいで身動きが取れないのです。
な、情けないです。
僕はご主人様のヴァルタだというのに、 立ち向かうことすらできないなんて……。
少しするとセルファード公がご主人様を連れて転移したのか室内が静かになり、 ようやく身体を動かせるようになりました。
上半身を起こすと先生が傍に立っていて僕を見下ろしていました。
いつの間に。

「ジハイル様がお帰りになられた気配がしたのでこちらへ来たのですよ。ちょうどキオがジハイル様の気に 押しつぶされている時でしたが」

あんな恥ずかしい格好を先生に見られてしまいました。
きっと叱られてしまいます。
しかし……何も言われません。
なぜだろうと思って先生に聞きました。

「キオ、ジハイル様の気に当てられて立っていられる者は限られます」

それでも、ご主人様を助けられなかった事には変わりないです。
今の僕は耳とシッポが垂れ下がっていて それがさらに情けなく、頼りなく他の人の目に映る事でしょう。

「大丈夫ですよ。お相手はジハイル様なのですから」

で、でも…… ご主人様は助けてって言ってました。

「それは助けなくて大丈夫な『助けて』です」

さっぱり意味が分かりません。
助けなくていい『助けて』があるのでしょうか。
僕は初めて聞きました。

「キオがもう少し大人になれば分かってきます」

そうなのでしょうか。

「しかしこの先ジハイル様相手でも身を挺して助けなければならない事もあるかもしれません……が、 きっとあのような事は起きないと信じています」

あのような事。
ご主人様が人間界に帰ろうとしたためにセルファード公に酷い仕打ちをされた事がありました。
ぐったりしていたご主人様を見て泣きそうになりながら必死に治癒をした事を覚えています。

「今はあの時と違って心が通われています。ジハイル様と聖司様の愛は確実に育まれています」

先生はとても嬉しそうにほほ笑んでいます。
その顔を見てなんだか僕も嬉しくなってきました。

「分かっていると思いますがこの例外はジハイル様のみ通用するものです。聖司様が助けを求めたら どのような相手でも立ち向かうのですよ。――たとえ私でも」

え?
僕がこの時どんな顔をしていたのか分からなかったけど先生は間を空けた後、真剣な顔を崩して笑いました。
たとえの話しですよ、と。
ああ、ビックリしました。
変なふうに心臓が鳴っています。
でも、先生と戦ったら僕はすぐに負けてしまいそうです。
あ、ダメですっ。
それではいけないのです。
いずれ先生よりも強くならなければ!
そしてセルファード公と同じくらいに強くなってご主人様を護るのです!

「では、修業を怠らないように」

僕は大きな声で返事をしました。
ああ、それと、と先生が言葉を続けます。

「もし、キオがジハイル様と同じくらいに強くなって聖司様を救出しなければならない時が あったとします。キオの他にはジハイル様がいます。聖司様は捕らわれの身です。 敵は本気を出すまでもないレベルです。 どのような行動を取ればいいでしょう?」

せ、先生からの質問です。
えっと、えっと。
僕がセルファード公と同じくらいの力があるんだから……。
セルファード公の手を煩わせる程でもないので僕が敵を倒してご主人様を助けに行けば いいと思います。
正解だと思ってそう答えたのですがどうやら違うみたいです。

「キオ、ジハイル様や聖司様の立場になって考えてみなさい」

ご主人様とセルファード公の立場になって?

「きっとジハイル様はご自分で聖司様を助けに行きたいと思うでしょうし、聖司様も己の僕よりも 愛するジハイル様に助けに来てもらえた方が嬉しいでしょう。 貴方は聖司様の元へと一秒でも早く辿り着けるよう、救出に向かわれたジハイル様に立ち向かってくる 敵を一掃すればいいのです。 まず自分に置かれている状況、敵の情報を把握した上でどう動いたら主人に対してベストなのかを 良く考えて行動を取りなさい。これは日常でも言える事ですよ。分かりましたか?」

姿勢を正して大きな声で返事をしました。
先生はほほ笑みながらよろしいと頷きました。






一人前になるにはまだまだ勉強と努力が必要です。
将来、ご主人様から頼られるヴァルタになれるようにがんばります!
まずはおいしい紅茶の入れ方の練習に励みたいと思います!
そして僕の紅茶が一番好きだって言ってもらえたら。

――パタパタパタ。

あぁっ!またシッポが……っ。




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