後編




ふと目が覚めた壱は身体を動かそうとしたが人に言えない場所に
違和感を感じた後、腰に激痛が走りそのまま動く事が出来ず歯を
くいしばって痛みが和らぐまでその場に突っ伏した。
顔に触れる上質なシーツに一瞬思考が止まりこの場所が自分の
家ではない事を自覚して己の身に起きた事が鮮明に蘇ってくる。
腰をかばいつつ怒りにわなないていると寝室のドアが開き東条が
入って来た。

「起きたか」
「お、起きたかじゃねぇ!…いってぇ」

がばっと壱は顔を上げ東条に怒りをぶつけるが腰の痛みに再び
ベットに沈んだ。
その様子を東条は微笑みながらカーテンを開ける。
差し込む朝日に壱は目を細め突然、気付いたように声を上げた。

「まさか今、朝か!?バイト無断欠勤してしま…った!」

上京してから壱は居酒屋でバイトをしていて店長の信頼も厚かった。
昨日は出られる人数がギリギリで休める状態ではなく壱が来なかった
事により回らなくなってしまった事が容易に想像出来る。
罪悪感と責任感に取り巻かれているのを尻目にくつくつと笑い声が
聞こえてきた。

「てめっ!何が可笑しいんだ!?」
「いや、昨日俺に抱かれたというのにバイトの心配をしているからな。
それにバイトの心配はしなくていい代わりの者を行かせた」
「…へ?」

東条はうつ伏せで呆けている壱に近づき顎をすくって軽く唇を合わせ
幸せそうな微笑みを見せる。

「おはよう。シャワーは済ませといた」
「――――――!!?」

部屋の中で怒号が響いた。





「マジでありえねえ!マジでありえねえ!」
「冷めるぞ早く食べろ」
「うるせえ!これは俺が作ったやつだ!」

純和風な朝ごはんを目の前にビシッと東条に人差し指を突き立てた。

あの後即行で帰ろうとしたが無理矢理リビングに連れて行かれ
朝ごはんだと言われ出されたモノを見ると何やら黒い歪な物体が
ブスブスと音を立てつつ皿の上に転がっていた。
どうやらこの氷の麗人は真面目に料理が苦手らしい。
何でも出来るイメージがあった壱は意外にも感心してしまった。
そして我に返りこんなモノを食べたら命が危ないと実家でも忙しい
母親の代わりに家事全般をこなしていた経験を活かし少ない材料で
痛む腰を庇いながら立派な朝ごはんを作って見せた。

「てめー何でにんじん避けてんだ!」
「これはウサギの食いものだ」
「はぁ?じゃあ何で冷蔵庫の中に入ってんだよ」
「にんじんがないと彩りがないだろ」

真っ黒な料理にするのに彩りって関係あるのかと言いそうになったが
寸前で飲み込んだ。
しかし自分が作ったモノを食べずに嫌だと言われるのは我慢ならない
と壱は避けていたにんじんを箸で掴み東条の目の前にずいっと
差し出した。

「文句は食ってから言え。ほら食ってみろ」

一瞬東条の動きが止まったが素直ににんじんを口の中に入れ
食べた。

「ほら、不味くはないだろ?ってなんで笑ってんだよ」

他の奴らには無表情だと思わせる東条の感情の変化に壱は
気付いた。

「うまいよ。壱が食べさせてくれたからな」
「な!?」

別に壱には他意はない。
それなのに東条はニヤリと笑いながら新婚みたいだなと言うので壱は
腰の痛みも忘れて反り返った。

「ホントありえない」

東条が皿を片づけている音を聞きながら壱はソファーで腰をさすり
ながら横になっていた。
人生何があるか分からないとはこういう事だなとゴロンと仰向けに
なった。
幸い今日は大学は休みだしバイトはないが連絡は入れといて
とりあえずさっさとここから出て行って家に帰らねばと考えている壱の
上に影が落ちる。

「そう言えばバイト代わりの者行かせたって言ってたけど
誰行かせたんだ?」

上から見下ろしている東条に気だるそうに聞いた。

「壱が気にする事ではないさ」
「はぁ?何言ってんだよ。俺のせいって言うか100パーセントお前の
せいだけど迷惑かけてんだから知る必要はあるだろ?」
「バイトの事は考えなくていい。もう行く必要もない」
「……は?」

ポカンと口を開けたまま止まった。

「どういう事だよ」
「そのままだ。バイトは辞めさせた」
「辞めさせたって!?店長が他人から言われて承諾するわけない
だろ!」

思わず起き上がって言い返した。

「あの居酒屋は東条グループが経営している会社系列の店だ」
「へ?」
「上からの命令なんだから承諾しないわけがないだろ」

何言っているんだと当たり前のように言われて壱は再びポカンと口を
開けたまま止まった。

「お、お前っ…!」

抗議しようとしたがピンポーンと呼び出しのチャイムが鳴り遮られた。
東条が壱から離れてモニターを見る。

「何の用だ」
『何の用じゃねぇよ!さんざんこき使いやがって!俺はお前の召使い
じゃねぇんだよ!頼まれていたもん持ってきたから開けろよ。
そこにリフがいるんだろ?待っててねーリフちゃー』

東条は不機嫌になりいきなりブチッと切った。
そのまま音声が出ていたので壱には丸聞こえだった。

「今の誰?」
「しばらく寝室にいろ」
「ふざけんな!俺は帰る!」

いきり立って玄関に向かおうとしたが腕を掴まれた。
振り払おうとしたがいかんせん東条の方が壱よりも頭一個分大きい
上に昨日の情事で見た均等のとれた綺麗な筋肉の体躯に勝てる
はずもなくずるずると巣窟に連れて行かれる羽目になった。
しかし壱は最後まであきらめず寝室のドアにしがみつく。

「手を離せ」
「嫌だーっ―――いってぇ!!」

壱の手が思いっきりドアに挟まりその場にうずくまった。

「大丈夫か?」

うずくまった壱の肩に手を置き見せてみろと挟まってしまった手を
取ろうとしたその時、壱は一瞬の隙を見て玄関に駆け出した。
急いでチェーンを取りドアを開け外に飛び出した――はずだった。
勢いよく外に出た身体は何かにぶつかって再び玄関に跳ね返った。

「いってー」
「お?大丈夫かぁ?」

尻もちをついた壱が見上げると金髪のチャラい格好の男がジーパンに
手を突っ込んで立っていた。
この男の後ろには数人の制服を着た引っ越し業者が段ボールを
抱えている。

「おーい!帝人、この荷物右の部屋に入れとくぞ」

チャラい男は引っ越し業者を誘導して荷物を置かせ帰らせた。
そして壱をじっと見てニカッと笑った。

「リフー超久しぶり!」
「わ、わわわわ…わー!」

壱を抱きしめると頬にキスをしてきた。
この男も東条と同じくらいの体格なので抵抗するにもビクともしない。

「貴様、壱を離せ」

機嫌の悪い低い声が聞こえたと思った瞬間、壱は東条の腕の中にいた。

「いてーなぁ。殴ることないだろー。なぁリフちゃん?」

頭を撫でながらウインクされどうリアクションすればいいのか壱は
思案したがとりあえず思った事を口に出してみる事にした。

「えっと…あんたは誰?リフって誰?」

そう言った途端、男の目が大きく見開いて行く。

「え?リフ俺の事分かんないの!?何で!?帝人!お前何か
しただろ!?」
「言ったはずだ。壱は転生の記憶は持たない」
「じゃあ俺とあーんな事やこーんな事をしたのも忘れちゃった
わけ!?」
「お前と何かあるはずがないだろう」

冷たく東条に言われ男は小さく舌打ちをした。

「ま、自己紹介すると俺の名は海堂要。今のリフが転生する前世で
会ってるよ。そん時の俺の名前はレイドだけど今は要って呼んで」
「あー俺の名前は宮森壱で…す」

何だか訳分かんないのがもう一人増えたなーと遠い目をしていたが
いつの間にか東条に捕まっているというか後ろから抱きしめられて
いる事に気付き慌てて振り払う。

「いつまでいる気ださっさと帰れ」
「ひっでー聞いた?いっちゃん」
「え?」
「俺はー昨日、いっちゃんの代わりに明け方までバイトしてーその
帰りにいっちゃんのアパートに行って荷物詰めてー運んで来たのにー」
「ん?」
「バイトしたのはお前の舎弟で荷物詰めて運んだのは引っ越し
業者だろ」
「帝人はいつも二言三言多いんだよっ」
「ちょっとまって!バイトの件は助かりました、ありがとうございます」
「礼なんていいよーいっちゃんからの熱いキス…って睨むんじゃ
ねぇーよ帝人」
「か、海堂サ…ン?俺のアパートに行って荷物詰めたって…?」
「おうよ。いっちゃん、要だよ、カナメ。帝人に頼まれて荷物運んで
きた」

あの数箱の段ボールがアパートにあった壱の荷物だったのだ。
壱は己の中の堪忍袋の緒が切れた音がはっきりと聞こえた。

「勝手なことしやがって!不法侵入罪で訴えてやる!」

東条の胸倉を掴んで叫んだ。
しかし怒り心頭な壱に東条は平然と言ってみせた。

「あのアパートは俺が買い取った」
「……買い取った?」
「つまり俺が大家ってわけだな」

ニヤリと笑う。
あまりな話しに頭が付いていかず壱はフリーズした。

「ひ、非常識にも程があるぞ!」
「こいつは非常識を常識にしちゃうやつだから諦めな、いっちゃん」

理不尽な仕打ちに抗議する壱の頭を慰めるように海堂はポンポンと
撫でた。
壱はこのやるせない思いを海堂に無言で訴える。
しかし横から強い力で引き寄せられ再び東条の腕の中に納まった。

「用は済んだだろう。帰れ」
「へいへい。お邪魔者はとっとと帰りますよー。また大学で会おうなー
いっちゃん」

東条に追い払われるように海堂は出て行った。

「壱の部屋はそこを使え」
「…っ!使えじゃねえよ!ふざけ…」

東条を睨み付けた壱は言葉を途中で噤んだ。
なぜなら東条の綺麗な瞳はその場にいる者を凍らせるかのように
冷たく光っていたからである。

「俺から離れる事は許さんぞ」
「な…。何なんだよ、昨日のことと言い。昨日の事は犬に噛まれたと
思って忘れてやるからさ。誰にも言わねえし」

だから帰らせろと言おうとしたが床に倒され荒々しく唇を奪われた。

「忘れるだと…?」

聞いたことのない怒気を含んだ低い声色に壱は抵抗するのも忘れて
体を強張らせる。

「またお前は俺を忘れるのか」
「東条…?」
「俺はお前を忘れた事などないのに!愛していると言ったお前がまた
俺の前から消えるのか!あの時の様に!」

東条の色素の薄い瞳は切なく揺れ壱には自分ではない誰かを見て
いる様な気がした。
何故か心苦しくなった壱はしがみ付いて離さない東条の頭をぐしゃ
ぐしゃと撫でた。
手触りのとても良い綺麗な黒髪。
前は、少し癖のあるブロンドの髪だった。

……前?

『許して。あなたを置いて逝く事をどうか許してください。今度こそ
私たちが幸せになるために…』

頭の中に沁みわたるように切なく響く声。
壱はこの声を知っていた。
かつて自分が持っていた声なのだから。

『泣かないで』
「泣くなよ」
『私が傍にいるから』
「俺が傍にいてやるから…」

肩に頭を埋めていた東条がハッと顔を上げてジッと壱を凝視する。
その目は濡れてはいなかったが不安げに揺れていた。

「壱…本当か?」

何が氷の麗人だ。
感情がないと言っていたやつは誰だったか。
壱は軽く溜息を吐く。

「壱」

返答を返さない壱に再び問いかけた。
壱はチラリと目線を合わせる。
そして今度は深く溜息を吐いた。
とても弱いのだ、捨て犬が助けを求める切ない目は。

「―いるよ、いてやるよ!」

半ばやけくそ状態に叫んだ。
その瞬間、骨が折れるんじゃないかと思うぐらいの強さで抱きしめて
きた。

「壱、ずっと俺の傍にいろ。離れるな。また俺の前から消えようとしたら」

壱はもしかして間違った選択をしてしまったんじゃないかと冷汗が流れる。
自分の上に乗っている東条をどかそうと押しのけるが手を掴まれ指を
軽く噛まれた。
東条はククッと実に楽しそうに悪の笑みを浮かべる。

「外には二度と出さず閉じ込めてしまおう。ああ、逃げられないように
手足に枷を付けなければな。大丈夫、毎日愛してやるから」

幸せそうにそう言う東条に壱は顔が引きつる。
おい、さっきの東条はどこに行ったーと壱は内心叫びながら東条の
下でもがき続けるのであった。







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