まるぼ-のつぶやき日記
2010年 7月
2010/09/08 更新
7月まとめ書き 今年の梅雨は雨が多く、毎日部屋干しでウンザリしていた。 オットは夏休みの休暇をこの時季に取っていて、山へ行くと言って張り切っていた。 2年前、荒天の為に頂上を断念した鹿島槍ヶ岳だった。この夏休み前って言うのは、 山小屋が空いてることもあるけど、梅雨は明けてない確率の方が高い。 それでもこの時季に行きたい理由は、多分梅雨空特有のドラマチックな空が見られ る可能性があるからだろう。最近は雲ひとつ無い青空よりも面白い雲に出逢えた 方がフォトジェニックでわくわくするようになっていた。 ただ、やはりワタシのコンデションはあまりよくなかった。 梅雨時は身体が浮腫みやすいせいか、足指の巻き爪がずっと痛かった。 だから、オフシーズンにワイヤーで巻き爪矯正とかしてもらってたらよかったのに・・・。 いつも思うことだった。でも、前に皮膚科に行って診てもらったら、この何重にもなった 爪ではもろくてとてもワイヤーはムリって言われてからどうしようもなくなっていた。 この足で山に行けるのかな。山登り用のシューズは保護力があるから紐をぎゅっと 結んでいれば大丈夫なような気もしていた。だけど・・・もしも歩けないくらいに酷くなっ たら・・・と思うとやはり気が進まなかった。ムリなようならワタシは行かない。でも、オット は一人でも行く気満々だ。一人で行かれるのは心配なこともあってなんだかなぁと言う 感じだった。それに、日本全国雨続きで山も地盤が緩んでいる可能性が大だった。行く か行かないかはもちろん天候等熟慮してから決めるとのことだったけど、いっそのこと、 大雨でも降ってくれればと思わないでもなかった。 ただ、そのおかげで、竜王にオープンしたばかりの三井アウトレットパークへ行くことが 出来た。買い物には滅多に興味を示さないオットなので、近くにアウトレットパークが出 来たところでどうせ行けるはずもなく・・・って思っていたから、オットが行くって言い出した 時は心底驚いた。有難いことにモンベルがあるからだった。トレッキングを始めるように なってから10年以上経ち、そろそろ合羽を新調したいと思っていたようだった。夢のよう な展開だった。山へ行く気は今ひとつ盛り上がらなかったけど、グッズを買うのはまた次元 の違う話だった。旧モデルのものでサイズがあったので、ワタシとしては珍しいターコイズブ ルーにした。きれいな色だった。好きなモズグリーンはちょっと地味な気がしたから。実は これもオットの作戦だったのかもしれない。 せっかく来たのだから(もう2度と来ないかもしれないから?)と、一応一通り見て回った。 ワタシの大好きなルピシアもあった。輸入食品のお店では、オットが選びに選んだ安い白 ワインが本当に美味しかった。なんだオットも楽しんでるじゃん。オットも買い物が嫌いなワ ケじゃなく、ただちょっと他の事と比べると優先順位が低いだけなのだ。だけど、今度は いつ連れて来てもらえるかは未定なようなので、そのうち電車とバスを乗り継いで一人で ぷらぷら遊びに来ているのかもしれない。 相変わらず連日の雨続きで、行けるかどうかも分らないけど、とりあえず山行きの準備を 整えて、リュックやら登山靴やらストックを積んで富山へ帰省した。富山もやはり雨だった。 お天気のせいか身体がだるくてどうしようもなく、ふたりしてトロトロトロトロ眠り呆けることが 多かった。毎日天気予報で天気図と睨めっこ。本当は2泊でゆっくり行きたいところだけど 向こうへ帰る日も一日要るから、最悪の場合は1泊になるかもとのことだった。この時点で ワタシの巻き爪は大丈夫な感じだったので行くつもりではいた。せっかく合羽も新調しても らったことだし。あっ、やっぱりまんまと作戦にのせられてしまったようだ。 雨が続いているおかげで、久しぶりにお茶の稽古にも顔を出すことが出来た。 手土産にお茶菓子を持っていくと「こんなもん持ってこんならんと思うから、なかなか顔出せ んがやろ」と先生に怒られた。そういえば、先月か先々月だったか、引越しして初めて先生 んちに顔を出した時「こんにちは〜」って玄関で声を掛けると、すぐ横のトイレから「まるぼー ちゃん?」って先生の声がしたんだった。声だけで判ってもらえたんだってうれしかった。 一人を除いて皆さんが来られている日だったようで、皆さんの顔を見れてよかった。 お点前もさせてもらったけど、ワタシがちゃんと覚えているかどうか、しぃーーーーーーん・・・ となって注目されてしまったので、めちゃくちゃ緊張した。80歳の先生、どうか富山に戻るまで 元気でいて欲しい。 さて、幸か不幸か梅雨明けの兆しが見えて来て、山行きが決定した。 もう一日早く明けてくれたら2泊出来たのだけど、残念ながら1泊になってしまった。 この山行でのことはまたトレッキング奇行に書くとしよう。(本当に書きますから!) 山から帰った次の日はもう車を運転して滋賀に帰らなくてはいけなかったのだけど、梅雨明け 直後の快晴のおかげで、山の全ての大量の洗濯物が午前中に乾き、片付け物がほぼ済んだ 状態で帰れたことは本当にありがたいことだった。なんと言っても社宅の洗濯機は4キロしか 洗えないから。 帰る日は3連休の最終日だったので、高速千円効果の渋滞が気になっていた。初めの渋滞は、 敦賀付近で遭った。海かぁ〜。みんな梅雨明けしたばかりは海に行きたいんだよな。敦賀の海って きれいなのかな。その次は米原付近からだった。色々考えた挙句八日市で下りた。このまま高速 に乗っていた方がいいのか下りてよかったのかは分身がいないと判らない。 今回の休暇は5泊6日だったから植物の水遣りが心配だったのだけど、庭の方はこの為に自動 水遣り器を買い、玄関横のゴーヤーと朝顔のプランターにはもうちょっと単純なからくりの”水遣り 当番”なんてのを買ってセッティングした上で、もしも土が乾いてた場合はお願いします、とお隣さん まで巻き込んで、更にはお隣さんも3連休に帰省するらしいので、別の棟の人にもお願いしていた のだけど、日程の半分以上が雨だったので全然大丈夫だったようだった。 そして、その次の週末はまた山で泊まることになった。 またぁ?オットからそれを聴いたときは絶句してしまった。今度こそ家の畳でのんびり週末を過ご したかったのに・・・。(って言ったら、「平日は普通に畳の上で過ごしてるやろ」って言われた) ただ今度は登山はなく、伊吹山ドライブウエイの頂上の駐車場で車中泊をするだけのことらしかった。 登山がなければOKだった。伊吹山のお花畑と夕日と朝焼け・・・。この季節はたくさんの人が訪れる と噂で聞いていたから、中途半端な時間に行って渋滞に遭うよりは朝早くドライブウエイに入ってしま って、のんびり過ごすのもいいように思えた。 またもやたくさんの荷物を積んで、渋滞に遭わない為に早起きしておにぎりを作って出掛けた。 有料道路に入ったのは7時半くらいだったかな。上から下りてくる車に数台会ったけど、さすがに スイスイだった。頂上駐車場には既に泊まり組と思しき車が崖側にずらっと並んでいたのが夏休み が始まっていること実感させてくれた。崖側だと後ろに車はいないから何となく安心感がある。それ に眺めが良さそうだった。上手いことに一番端っこに空きがあった。少し水平ではなかったので、こ こぞとばかりにオットが車の下に三角のものを入れて調整した。いそいそと”巣”を作り、そこに乗り 込んで後のドアを開け放つと、やはり後ろの山々の眺めが最高だった。そして何より涼しかった。 この駐車場は伊吹山の9合目で標高は1,266m。梅雨明けからの連日の暑さを忘れさせてくれる 素敵な避暑地だった。 持って来た雑誌をぺらぺらめくっていたオットはいつの間にか眠っていた。 ワタシはまたごにょごにょと何をしていたのか・・・巣を住み易いようにしていたのか覚えてないけど さぁワタシもちょっとたらっと寝てみようかなって思って横になったら、隣でオットがむっくり起き上がる。 「さっ、伊吹山行ってくるぞ」って、いじわるですかー。「えーっ、だって、午後までゆっくりするって言って たやん!」「もう飽きた。」「でもワタシちょっと眠りたい。」んで、少し眠らせてもらった。開け放っていた 後ろのドアから涼しすぎる風が吹いてきて頭が寒く風邪でも引くかと思ったくらいだった。 駐車場には続々と車が入ってきていて、観光バスもいた。 そろそろ売店も開いたようなので、その辺をぷらぷらしてきた。お腹が空いたので車の後ろの崖側に オットお手製の木箱のテーブルを出して、山並みを眺めながら作ってきたおにぎりを食べ、切ってきた スイカを食べてから伊吹山頂上へ下見に向った。 ピンク色のシモツケソウがちらほらと咲き始めたばかりのようで、その間から更にちらほらとクガイソウ やギボウシ、コイブキアザミが顔を出していたけど、まだお花畑とまでは行かず少し早かったようだっ たけど空が澄んでいて気持ちがよかった。山頂では青空に生ビールやソフトクリームの幟がはためい ていて賑やかだった。ゆっくり写真を撮りながら登って来てウロウロしてたら小腹が空いたので、伊吹 そばをふたりで半分こして食べたけど、薬草が練りこんであるっぽくて美味しかった。このお店がまた 海の家の山編みたいでとてもいい感じで和んだ。下の売店で買った草餅を持って来なかったことが悔 やまれた。 それからまたゆっくりウロウロと写真を撮って歩き、夕方、日暮れまで堪能した。 遠くまで見える山並みが刻一刻とピンクやブルーに色を変えて行くのが本当にきれいで飽きることなく 写真を撮リ続けた。駐車場に戻ったら、西の空の一部を除いてもう殆ど暗かった。晩ご飯にはレトルト カレーとパックのごはんを買ってきてあった。ちょうどみやげ物屋の前に木のベンチとテーブルががあった ので、そこでカセットコンロでお湯を沸かして紙皿でカレーを食べた。同じような人は他にもいて、一人 で来ていた男の人が山用のガスでお湯を沸かしていたけど、そっちの方が速かった。さっさとカップ焼 きそばを食べていてうらやましかった。その人はヒメホタルが目当てなのか「どうなんでしょうね」って言 ってた。ワタシ達もヒメホタルがいれば撮ってみたかったけど、風が強かったのでおそらくは見れない だろうと諦めていた。 ヒメホタルは諦めていたけど星空は期待していた。 で、朝は3時起きでまた上に行く予定で早めに眠りに就いた。 まぁまぁ眠れたんじゃないかと思う。朝はやはりワタシとは張り切り方が違うオットが先に起きた。 外に出て星空の様子を見てきて「あんまりパッとせんなぁ」と言う。パッとせんけど行こか、と。パッと せんけど行くんかぁ・・・とまだ寝床でぐずぐずしてると数台の車の音。一台が隣の空きスペースに入った かと思うとずっとエンジンが付けっぱなしで切る気配が無い。うるさくて起きた。今何時だと思ってるんだろ う。まだ4時前だよ。寝てる人の迷惑になるとかは全く思わないようだった。どうやら、ご来光目当てで夜明 け前から登り始めるご一行様のようだった。とにかく、おかげで起きれた。オットは最近ワタシが夜中でも 起きれるようになったことに感心しきりだった。出掛ける前にトイレに入ったあと、太ももの内側やお尻の先 に鋭い痛みのような痒みが走ったので見てみたら、何かに刺されたようでその刺され口が見えた。一体何? 何がトイレにいたん?人がお尻を出して無防備な姿でいる時に卑怯極まりないヤツだ。 確かに星空は下界で見るのとあまり変わらないくらいでガッカリだった。 去年の能登や室堂で見た星空が懐かしかった。そして、それを写真に収めることが出来なかった悔しさ を思い出した。グズグズしてたら夏の朝はすぐに明けてしまうから、そろそろとまた緩い坂を登り始めた。 頂上までは行かず、琵琶湖の夜景を撮ったりしているうちに早くも夜が明けてきた。昨日の夕焼けもきれ いだったけど朝焼けもきれいだった。山並みが本当にいいのだった。朝陽を浴びた野草はまたイキイキと していてよかった。ゆっくり写真を撮りながら下りてきて、駐車場で朝ごはん。お湯を沸かしてもらって、まっ たりとアールグレイを飲んだり・・・車中泊はやっぱり楽しい。 さすがに朝っていうか夜中早かったので、二人して少し眠った。 また今日もこの避暑地でゆっくりするのかなって思ってたら、もう出発するって言う。 今度は米原の梅花藻撮影だった。まぁ、ここからだと近いからね。この涼しい避暑地を離れがたかったけ ど、いつまでもここにいるわけには行かないので下りて行った。 下界はやっぱり暑かった。この暑い中、梅花藻が咲いてるっていう地蔵川沿いを歩いた。 花は思ったよりも?な感じだった。まだ少し早いらしかった。こないだニュースでやってたから来たのに 見頃は来月以降なんだって。仕方がないから梅花藻のソフトクリームを食べた。海草の香りが何ともいえ ず美味しかった。伊吹山でよもぎソフトクリームを食べれなかったからリベンジだ。 車は駅で停めていたのだけど、その駅の横に上手い事ワタシの大好きな道の駅もあった。 道の駅では全ての棚を隈なく見て回るのがお決まりだった。ひと通り見た後、まだ10時半だったけどお腹 が空いてることに気付いた。道の駅の前では朝市もやっていて、地元のおかあさん方が手作りのお弁当や 野菜を売っていたので、焼き鯖寿司とちょっとしたオカズの折を買ってそこのベンチで食べることにした。 ちょっとしたオカズは鯖そうめんとやらで、もうワタシのひと目ぼれだった。鯖を炊いた汁でそうめんやごろっ と大きめに切ったニンジンや筍も炊かれてあった。それは期待を裏切らない味で本当に美味しかった。 暑くて死にそうで、お目当ての梅花藻もイマイチだったけど、美味しい地元の食べ物に出逢えたことで帳消 しになった。 途中寝たとはいえ朝の3時過ぎから起きてうろうろして、その後梅花藻の撮影に行き・・・でも、それだけでは 終らなかった。次は海に行くのだそうだ。海と言っても淡海。琵琶湖の湖水浴だ。まったくオットの「ついで根性」 には付いていけない。でも、気持ちは解らないでもない。せっかくここまで来たのだから、という気持ちは解る。 ちょっと下見を兼ねてどんな風なのか見てみたいのだそうだ。どうせ運転するのはオットなのだし、そこまで 言うのなら・・・とシブシブ付いていく。だから、いつも大変な荷物になるのだった。今回だって、入る入らないに 関わらず一応水着は持ってきてあるのだ。 ホントは福井のきれいそうな海にシュノーケリングに行ってみたかったのだけど、今日のところは、とにかく ついでの下見ということで。湖北を経由して湖西へ走る。既に職場の人から、あの辺りなら・・・との情報は 得ているらしかった。琵琶湖をぐるっと一周してからワタシもだいたいの土地勘は付いてきていた。目的地付近 には着いたけど、ほんのちょっとだけ水に浸かるだけの為に着替えるのは女子としては真にめんどくさいこと なので、ワタシは入らないつもりではいた。まぁそんなテンションなので、せっかくだからオットも足だけでも浸 かろうかみたいな感じだった。そもそも、あの石川県の岩場だらけの海に潜っていたオットが、浸かるだけの ほんとの文字通りの海(湖)水”浴”をするはずもなかったのだけど、せっかく琵琶湖の畔に住んでいるのだか ら1回くらいは浸かっておきたい、みたいな気持ちのようだった。ちなみにそこの足元(一応湖底)は丸い石こ ろが敷き詰められていて水も透明できれいだった。まるぼーの長い一日はようやく終った。 さて、今度はまた別の友達が大阪にコンサートに来たついでにと会いに来てくれた。 ほんとは石山寺にでも・・・と思っていたのだけど、連日の猛暑日にとてもムリと判断し、前から気になっていた 薬膳のお店にランチに行った。そこでは中国茶をポットで頼むと、好きなだけお茶を飲みながら話していられる というワタシ達にはうってつけのお店だった。薬膳のランチはすごく美味しかったけど、量的には女子向けなの かなぁ。オットだと足りないかもしれない。ふたりでお茶をしこたま飲んでお腹がたっぷんたっぷんになった。実 はその日、その店に入った時点で、冷房対策のカーディガンをどこかで落として来ていることに気付いて落ち込 んでいたのだけど「また新しいのを買える楽しみが出来たと思えばいいやん」と友達に言われて切り替えられた。 確かに、そのカーディガンはセットもので添え物みたいに付いていたので、さほど気に入っていたものではなか ったのだった。家に帰って思い当たる駅などに問い合わせてみたけど、やはり出てこなかった。ごめんね縁が なかったんだね。誰かに拾われて着てもらえてるといいんだけど。 その後、伊吹山のトイレで刺された痕は、アレルギー体質ってこともあり痒みと腫れと赤みでひどいことになって いた。ただの蚊ややぶ蚊でないことは確かだった。実は鹿島槍ヶ岳でブヨに刺されていたのだけど、それとそっ くりだった。オットは痕が残るといけないから医者へ行けとうるさいので、いよいよ皮膚科デビューすることにした。 耳鼻科もあるようなので、ついでに止まらない鼻水と喉の痛みも診てもらおう。社宅の奥さんにリサーチ済みだっ たそのお医者さんへは歩いて20分。この暑さの中で歩いて行くのはちょっとなぁと思ったけど、自転車だと日傘も 差せないし帰りは上り坂だし、かと言って電車に乗って行くほどでも・・・ぐずぐず言ってる間に着いてしまうので歩 いて行った。太ももの内側だったけど女医さんって聞いてたから安心だった。お尻の方まで見せなくてもいいだろう。 痒み止めパッチを貼っていたせいか、その部分だけがひと際赤くなっているのだけど、それはかなり激しく吸われた からだろうとのことでやはりブヨだろうってことだった。家ではやぶ蚊に刺され、山に行ったらブヨに刺されるワタシ って一体・・・。んで、デルモベートとオイラックスの混合の塗り薬を処方された。しつこかったけど、おかげで治った。 やぶ蚊に刺されたとことも市販の薬ではなかなか効かないのだけど、これがあれば安心だった。鹿島槍から帰って 来てからグズグズ言ってた鼻も懐かしい吸入をしたらピタッと治まった。 その次の週末はようやく畳の上で迎えられた。 でも、のんびりはできなかった。念願の蓮の花の撮影に行くことになったのはいいけど、またもや早起きだった。 夜が明ける前までに現地に着いて起きたかったから3時過ぎ起床4時出発。またもやオットはオドロキの色を隠せ ないようだった。ワタシも眠くないといえばウソになるけど、久しぶりの花の撮影にウキウキだった。烏丸半島の蓮 は見事だったけど、一面に広がる蓮の群生をどう撮っていいのやら・・・やっぱり難しかった。もうお日さまも高くな って暑くて帰りたいなって思ってた頃、木陰に人が集まっていたので近づいて行ってみると、なんと羽化中の蝉だっ た。そこにいた人たちで見守りながら写真を撮った。帰りには道の駅で念願のトマトを買って帰った。こういうところ のトマトは人気なのか、遅い時間に行くとトマトだけが売り切れていることが多かったので、やはり早起きは三文の 徳だった。 その頃、社宅ではお隣さんに転勤の噂が出ていた。 ワタシが転居してきた時はウチを入れて6世帯だった。それが、年齢制限でこれまでに2世帯が出ていき、その出て 行ったファミリーと仲良しだったファミリーがツラれて家を建てることになったらしく9月には転出と聞いていた。残る はウチを入れて3世帯。結局、予想通り望み通りお隣さんに転勤の内示が出た。他県に自宅があるので、ものすご く帰りたがっていたのでさぞかしうれしかったことだろう。庭に出て草むしりをしている時や洗濯物を取り込む時など に一緒になれば時々少し話をしていたのでさみしくなるな。残るはウチを入れて2世帯になってしまった。ところがだ。 そのファミリーも仲良しグループの近くに土地を求めて来年の春にはココを出て行くというのだ。それまでに入居する 人がいなければウチだけ?これにはワタシも少なからずショックを受けた。なんと言うことだろう。まぁ、ウチは子供が いないのでどうしてもそういう面では少し距離があり、でも、こちらの人はみなフレンドリーに接してくれるので本当に ありがたくうれしかったのだった。 この頃ワタシはかなり不安定になってしまった。でも、知り合いのいない他県に来ることを選んだのは自分だった。 ここは近所の人もみんなフレンドリーだ。今はインターネットがあるし、ワタシは割とひとり遊びが好きなようだった。 だけど、友達を作りたい、作った方がいいと思った。せっかく好きな関西に住んでいるんだもん。地元の友達が出来 たら楽しいだろう。やがて離れてもずっと付き合っていけるような友達が出来たら。やはり同じような立場だった友人 はアルバイトに出た。働くか、どこかカルチャーセンターに習い事に行くかだろう。オットもそうした方がいいって言って くれた。それに、社宅で一世帯っていうのも案外自由でラクな面もあるだろう。転出時の餞別はもらえないけど・・・。 まぁ、とにかくそうやって暑い中7月は過ぎて行った。
|