まるぼ-のつぶやき日記

2010 年 3月

2010/05/27 更新


1月から3月にかけて

新型インフルの病み上がり・・・というか、病み終わりつつある最中に滋賀に戻って、
前日までの上げ膳据え膳生活から一転して、いつもの家事が待っていた。
半日は休みながらぼちぼちとリハビリが始まった。幸い、最終5日目のタミフルは
要らないようだったが、いつものパターンからすると熱が下がった後の咳が心配で
どこの医者へ行こうかあれこれ調べてはみたけど、咳はさほどではなくてよかった。
時々ものすごい発作のような咳が出始めていたけど、相変わらず悩みながらもどこへも
かからず、勝手に吸入をしたり在庫の漢方薬を試してみたりしてやり過ごす日々が続い
ていた。

その間に社宅の奥さん連中だけのランチに誘われて、情報収集の為に出かけ行ったり
した。これまでの社宅生活では、休みの日に子供さんを旦那さんに預けて・・・なんて、
こんなことはなかったので、とても新鮮だった。やはりこちらの人はフレンドリーで馴染み
やすい。

社宅の住人も自治会に入っていることも驚きだった。それもこれまではなかったことだった
けど、こじんまりとした小さな社宅なので自然といえば自然だった。見かけたことのない顔でも
あぁ、またあそこの社宅に引越して来た人だろう、と思ってくださってのことか、にこやかに
当たり前のように挨拶を交わせることも、ワタシのように知らない土地へ来ているものにとっ
ては、とても有難いことだった。

初めは折込チラシを見ても一体どこがどこなのか分らず、歩いて行ける距離にあるスーパー
2軒だけが頼みの綱だった。でも、そこでは売ってないものはどこへ行ったらよいのやら・・・。
何とか住みやすくする為にもドラッグストアみたいなところやホームセンター・100均などへ行って
買いたいものはたくさんあった。そうゆうところをフラフラと見て回るのが好きだった。時には、
ちょっとしたかわいい雑貨などを見て和みたいのだけどそれも出来ない。また、歩きの買い物で
は重い生活雑貨などは、オットの休みの日に連れて行ってもらうしかないのが、かなりのストレス
だった。

実はこっちへ来てからというもの車は運転出来る気がしなかった。
社宅周辺がものすごく狭いので、とてもじゃないけど無理だった。奈良出身の奥さんは、奈良の
広い道路で好き放題にしてたので、こっちへ来てからは車の運転はしていないと仰っていた。
仲間がいてよかった。

そのうち、グーグルマップでルートを調べ、歩いて片道30分くらいで行けそうなところへは行くよう
になってきた。インターネットは本当に有難い。姪っ子の誕生日プレゼントを探しに本屋さんや
図書館へもドキドキしながら電車に乗って行ってみた。何もかもが、もう毎日が旅気分だった。
ただ、往きは下りなのでそうは思わないのだけど、どこへ行っても帰りはゆるい上り坂なので、
たくさん買い物をしてしまった日には、ものすごく後悔しながら家に辿り着くのだった。

1月半ば、まだ、咳も治ってないというのに、オットの虫が騒ぎ出した。
新聞に載っていたスキー場情報を真剣に見ている・・・やばい。
まさか、こっちに来てまでスキーはしないでいいだろうと思っていたのが甘かった。そういえば、
引越し荷物の中に、スキー用具一式、登山用具も一式あって、げげっと思っていたのだった。
オットは登山でもそうだけど、スキーも当然のことながら、手取り足取り面倒を見てくれるタイプで
はない。いきなりリフトで一番上まで連れて行かれる。そして、騙し騙し下りてくるしかない、という。
騙せないよー!去年だって、流葉スキー場の急斜面で何度も立ち往生している。思い出しただけ
で手に汗をかいてしまう。流葉の斜面を下りれたのだから大丈夫って言うけど、行ったことのない
ところはどんな感じか分らないから不安とキョーフでいっぱい・・・イヤだよぅ・・・。

一人で行っておいでよって言ってはみるけど、何だかかわいそうな気がする。
ドライブのお供に付いていって、麓の暖かいところでお茶でも飲んで本でも読んで待ってようかな・・・。
そしたら、帰りは道の駅に寄り道も出来るし。なんて、都合のいいことばかりあれやこれやと考える。
オットはオットで、「ただ、樹氷の写真を撮りたいだけだから、スキーは手段だから」っていう。
はぁ〜・・・とため息を付きながら、とりあえずシブシブ行くことに決定。

駐車場が混むと嫌だから&樹氷が溶けないうちに、ということで5時起床。はやっ!
みんなスキーなんかの為に元気だよな〜。なんで、ワタシは元気じゃないんだろう。
やっぱりいきなりてっぺんへ行く模様。午前中だけの半日券がないらしく回数券を購入。その方がワタシ
には有難かった。リフトを乗り継いでどんどん上へ。ただ、一番上へ行くリフトが整備中の為まだ運転開始を
していなかった。しょうがないので足慣らしで1回下へ滑ってみる。いつものことながら滑り初めは怖かった。
傾斜もだけど、ゆっくりボーゲンで下りて来るには幅も重要だった。ちょっと幅が狭いような・・・。オットが先へ
行ってしまってかなり経ってから滑り出す。何とか大丈夫だった。

ようやく一番上へのリフトが運転開始。でも、オットが行こうとしていたところはロープが掛けられていて進入
禁止になっていた。樹氷が見られるのはこの先のようだった。他の人がどんどん滑り降りて行く反対方向で、
そのロープの前で立ち止まっていると、係の人が「この先へ行かれますか?」と聞いて下さった。スキーを
履かないで行くのならOKとのことだった。樹氷を撮りに来たのだから、この先へ行けなければ意味がな
かった。ロープの前にいるワタシ達に声を掛けてくれたことは有難かった。滋賀へ来て思うのは、痒いとこ
ろに手が届く・・・というか・・・。みんな親切だなぁということだった。こちらが、こうしてもらえたらうれしいの
だけど、と思うことを察して下さるというか・・・、察するだけなら誰でも出来るのだけど、それを声に、行動に
起こしてくださる。そうゆうことだ。スーパーの店員さんにしてもそうだった。これは県民性なのか、関西の人
全般に共通していることなのか、とにかく、せっかくこっちに来たのだからワタシもそうありたいと思った。

話を元にもどして・・・。
おかげで、樹氷を見ることが出来た。スキー場の喧騒を離れて音楽も何も聴こえない銀世界へ入って
行くのは何とも心地よかった。私達の他には誰もいなかった。オットの念願の樹氷の写真を撮り、さて、初め
ての奥琵琶湖スキー場は何とか大丈夫だった。流葉ほど怖くはなく、楽勝?だった。
あれっ?そういえば、ワタシは下の暖かいところでお茶飲んで待っているハズだったのだけど・・・。

帰りはお楽しみの道の駅へ寄り、せっかく近くに来ているのだからと湖北へも足を伸ばした。
前に来た時と同じようにたくさんのカメラマンが三脚を立てていた。前回は拝めなかった夕日が期待出来
そうだったので、ダウンウエア上下を着込んで日暮れを待った。予想通り念願叶って、きれいなオレンジ
色の夕焼け空から紺色へのグラデーションとおまけの一番星を収めることが出来た。寒かったけどきれい
だった。今日は朝早くからスキーウエア→ダウンウエアとよくもまぁ動けたものだ。

その頃、突然オットが車を買い換えようかなと言い出した。
ーやはり撮影は早朝か夕方から夜だ。その為には現地で泊まりたい。ただ、宿に泊まってしまうと、なかなか夜中
や早朝には出かけにくい。費用のこともあるし車中泊の方がいい。車中泊はバモスで出来る。だけど、軽四のバモ
スで富山を行き来するのはしんどいから、こっちにはCR−Vで来ている。大好きなバモスは富山の車庫で、誰にも
乗られずぽつんとしていてかわいそうだ。維持費も掛かる。ーこれが主な理由らしかった。確かにそうだった。CR−
Vももちろん好きな車だし、まだ新しく、車中泊出来ないという理由で買い換えてしまうのは偲びなかったけど、オット
が色々考えてのことなので仕方がなかった。

新しい車の候補は車中泊出来ること、ということでワンボックスに決まっていた。数台の候補があった。
ワタシにしてみればワンボックスはどれも同じで、果たしてワタシに運転出来るのかと思うと、さほどうれしくもなく
むしろブルーな気持ちだったけど、とにかく試乗してみようと近くのディーラーへ。フルフラット具合も重要なので
シートを全て倒してもらい二人して寝転がってみると、寝心地はいかがですか、と訊かれた。試乗したのはこの1台だ
ったけど、どうやら決定のようだった。ただ、富山のホンダの営業の人とはもう長い付き合いなので連絡すると、富山
から遥々納車しに来るとのことだった。

CR−Vの査定はディーラーではやはり低かったので、インターネットから買取専門の業者へ無料査定を申し込んだ。
すると、その日のうちに、じゃんじゃん電話がかかってきて参った。それからはもう何が何だか分らない感じだった。
オットが運転中で電話に出られない時はワタシがとりあえずの対応をしたのだけど、本当にもう何が何だか・・・。
結局、現物を見ての査定は数社がガチンコすることになった。中には、渋滞で遅れると電話があったあと、余りにも
遅いので心配していたら事故に遭ったと連絡があったりして(幸いケガはなし)、(実はワタシ達も買い物の後、渋滞に
巻き込まれて帰宅が遅れていた)もうしっちゃかめっちゃかだった。

CR−Vは人気があった上に、オットがぴかぴかに洗い上げたおかげか状態もすこぶる良好とのことで、現物査定の
後も電話がじゃんじゃん鳴った。「ウチはここまで出せます。」という電話が替わる替わるかかってきて、オットも青ざ
めたくらいだった。少しずつ「ウチはそこまでは無理です」と言って落ちて行き、最終的には2社が残り、電話では埒が
明かないからと押しかけて来られた。そして、玄関の前で業者さん同士で話させて下さいということになり、ようやく決ま
った。現物査定してから3時間ほどのことで、インターネットから無料査定を申し込んだ翌日には、あれよあれよと言う
間に契約が決まった。ワタシ達はまだ晩御飯も食べてなかったので、もうお腹がぺこぺこだった。
ただ、その買取価格は時期的なものもあるので、今度の富山への帰省が終ったら新車の納車を待たずに引き渡すこ
とが条件となった。

2月初めの2度目の帰省は、ワタシのインフル騒ぎでお正月に出来なかった新年会をすることになっていた。
義弟一家が泊まりに来ることになっていたので何かと落ち着かず慌しかった。またお寿司を頼み、当日はオットの好き
な蟹やオードブルを買ってきた。夜には、義母がお正月から張り切って用意していた新・人生ゲームをした。皆でぎゃー
ぎゃー言って大盛り上がりで大笑いした。楽しかった。トッタも元気だった。今度こそ張り切ってたくさん散歩しようと思って
いたのに、お天気がよくないので彼が散歩を嫌がった。残念っ。暮れの時と同じく大雪だったけど、CR−Vでの最後のロ
ングドライブも終った。引渡しは翌日。富山からの帰りは、SLが走っているというので、木之本から高速を下り下道を走っ
て帰った。それから、オットが最後の洗車。引渡しの日は平日でワタシ一人で見送らなければいけないことが心もとなかっ
たけど仕方がない。お世話になったCR−Vを一人見送った。ありがとう。

1月の末からはとうとう禁断の生協に入った。
どうしようかな・・・とずっと悩んでいたのだけど、イケメンのお兄さんが勧誘に来たので。
悩んでいたのは、あのチラシを見ると欲しいものだらけでお取り寄せ気分でついつい買い過ぎてしまうかただった。
でも・・・やっぱり一度便利なものや美味しい思いをしてしまったら、なかなか辞められないものなんだな。幸か不幸か
イケメンのお兄さんが来ちゃったのでしょうがない。(後日、申し込書にハンコをもらいに来た人は、残念ながらイケメンの
お兄さんではなかった。)約2ヶ月ぶりの生協ライフの再開は、食卓と気持ちを豊かにしてくれた。財布は豊かではなくなっ
てしまったけれど・・・。

そんな頃、ワタシにはとってもとっても不安なことがあった。
冷蔵庫大丈夫なのかなってこと。ここに持ってきている冷蔵庫はワタシの嫁入り道具の一つで何度も引越しを経験していた。
今回は10年ぶりに使うもの。一応冷えてはいるようだったから持って来た。だけど、いつだったか、がっがっがっがっと恐ろ
しく大きな音を発てていた。この頃気になっているのは、冷凍庫だった。安かったので買ってきたハーゲンダッツのアイスの
容器がふにゃふにゃになっていた。えっ・・・(絶句)もしかしたら、スーパーにあった時からそうだったのかも・・・(んなわけは
ない)。とか色々想像して様子を見ていた。どうやら、場所によって全く機能していない部分があるようだった。その他の部分
は大丈夫なようだった。せっかく生協で買い始めた冷凍食品も何だか安心して入れられなかった。

ちょうどその頃、何だったか・・・よく買うヨーグルトか何かの懸賞で冷蔵庫ってのがあったので、慌てて応募してみた。
根拠もなく何だか当たるような気がして(笑)。でも、ごはんさえもガチガチには凍ってないようだったので、オットに報告すると
早く買い替えた方がいいってことなった。「もしかしたら、冷蔵庫懸賞で当たるかもしれへんけど。」「当たらん当たらん。」
「いや・・・そーゆう時に限って当たりそうや。」「当たらん当たらん。絶対に当たらん。」

テレビに車・・・ここへ引越して来てから、もうかなりのものを買い替えていた。お金に羽根が生えている。冷蔵庫よオマエもか
・・・。でも、冷蔵庫の故障は何よりも危険だ。今が冬ってことがただただ救い。有無を言わさず買い替えるしかなかった。
エコポイントが本当にありがたかった。もしも懸賞で本当に当たってしまったらオークションで売ろうと思っていた冷蔵庫は、やっ
ぱり当たらなかった。ただ、写真部のフォトコンでオットが受賞させていただいたおかげで、ブルーレイディスクプレイヤーはやっ
てきた。

2月になると、梅の撮影にとよく京都へ出かけていった。
納車待ちでちょうど車がない時期だったこともあり、電車で北野天満宮へ何度も行った。何本もレンズを持ってたくさん歩いて、
帰りはオットでさえもへとへとになった。毎週毎週、どこかへ必ず撮影に出かけていた。

歯の詰め物が取れてしまったので泣く泣く歯医者デビューも果たし、花屋さんデビューも果たした。
歩いて行けるところに花屋さんがあるのはとてもうれしいことだ。ちょっと気分が沈んでいる時にはお花が一番だもの。富山の自宅
は本当に便利なところだったんだなと改めて思う。桜餅が食べたくなったおかげで、少し歩いたところにある和菓子やさんにも行って
みた。桜餅にはちょっとうるさいのだけど、大きさといい、あんこの具合といい、道明寺粉の固さ加減といい、ちょうどワタシ好みの桜
餅を作ってくれるお店が近くに見つかってうれしい限りだ。やはりスーパーやコンビニなんかで売っているセロファンに包まれた桜餅と
は違う。そこでは、コーヒークリーム大福なんてのもあるし、草団子や三色団子も並んでいた。その辺のちょっと古い町並みもとても
好きだし、これからちょくちょくお散歩がてらに行こうと思った。

2月の末には新車号が遥々富山からやって来た。
担当の営業マンは、これまでのワタシ達の住処(今のところで6つ目になる)に漏れなく来ていることになる。
思っていたより運転し易いようで、オットはすぐにお気に入りになったようだった。結局ワタシは、ここでは全く乗らないまま3月の帰省
になった。富山までは300キロ強。ワタシはのんびり走れる北陸道の100キロを調子が悪くない限り運転することになっていた。
だので、新車デビューはいきなり高速のSAからだった。オットに言わせれば車なんてどれも同じって簡単に言うけれど、そうじゃ
ないよーーー!普通車から軽四になったならともかく、大きくなったんだから。(実際は車体長くはなったけれど車幅は狭くなった
らしい。)それに、フットブレーキって言うのか・・・アレが、いつも乗り慣れないワタシにとっては厄介だった。
「え〜〜〜〜っと、アクセルは?どっちだっけ?どれだっけ?」「・・・エンジン掛ける時は?ブレーキは?」ってな具合で、運転席
に座って発車するまでどれだけかかっただろう・・・。でもでも、運転そのものはとても楽しめた。CR−Vが楽しくなかったってこと
はないのだけど、バモスに乗っているようなウキウキ感があった。普段は高速でも80〜90キロでゆるゆる走るのに、ついついス
ピードに乗ってしまい、ナビに「スピードが出過ぎています(時速100キロに達すると言われる設定だったらしい)」と何度も言われ、
眠ろうとしているオットにうるさがられてしまった。

富山には月に一度は帰省するつもりなのだけど、オットが休める金曜日か月曜日の週末に2泊してくる。
金曜日出発となる日が多いのだけど、呑み会が木曜日にセットされることが多く、どうしても金曜日は二日酔いで体調が優れない
オットだった。オットの帰りが遅いとワタシも遅くなり、二人で代わる代わる寝て来るしかなかった。

ただ、この時の帰省は楽しいものではなかった。
帰省のちょうど前日に、伯父が亡くなったと言う知らせが届いていた。母の姉にあたる伯母の連れ合いだった。
伯母には父の介護の時もお世話になったけど、母がなくなってからは更に、まるで実家のように、オットが呑み会や出張の度に
お邪魔させてもらっては、ごはんをご馳走になったりしていた一番身近な親戚だった。まさか、ワタシが富山を離れて間もなく亡く
なってしまうとは・・・。去年も何かとバタバタしていたのであまりお邪魔出来ず、引越し間際に顔を見たかったのだけど、留守で会
えなかった。どうやら、その頃から伯父は入院していたらしかった。数年前に脳梗塞に倒れてからはかわいい伯父で、血は繋がっ
てないのだけど何故か晩年の父を思い出させてくれる大好きな伯父だった。

富山ICを下りたその足で、伯父が大好きだった今川焼きを買って伯母の家へ行き、小さくなった伯父の顔を見た。
玄関先で挨拶を交わした人は・・・お坊さん?って思ったけど、よくよく見ると伯母の息子、つまりはワタシの従兄弟だった。二十年
ぶりだろうか・・・。ちびちびまるぼーだった頃、アコガレだった従兄弟のお兄ちゃん。法事の時、おばあちゃんちでそのお兄ちゃん
の膝の上にうれしそうに飛び乗ったら、お尻の下でおにぎりが潰れていたこともあったっけ。「まるぼーちゃん」って言ってくれる人が
まだ他にもいたことがうれしかった。伯父側の親戚の方々が集まって、仕切って下さっているようだった。伯父は末っ子だったようで、
兄弟はもう既に無く皆甥っ子さんや姪っ子さんのようだったけど、みんないいお年のようだった。

不思議なことに日程は、ちょうどワタシ達の帰省している間に全て終えられるようだった。
2日目にお通夜。3日目に葬儀と初七日の法事。帰省中全てが伯父とのお別れの為の時間となった。
そのことにオットはとても感謝していたようだった。何者かに守られているとも言ったほどだった。それくらい、休める時以外は、なか
なか休めないらしかった。

出棺の前、納棺の義の頃に伯母の家に行くと、しぃ〜ん・・・あれっもう始まっている。
その時、玄関先で挨拶を交わした黒いパンツスーツのシュッとしたきれいな女性がいた。てっきりセレモニー関係の人と思いきや、
次の瞬間、またまた久しぶりの東京に住む従姉妹だということに気が付いた。びびびっくり。いつ見てもきれいでうらやますぃ。その
従姉妹の母親、つまりはワタシの叔母や栃木に住む叔父夫婦にも久しぶりに会えて懐かしかった。こんな時でもないとなかなか会
えない。山が好きな叔父もいるので、お通夜ではオットとも話が弾み、ワタシも久しぶりにたくさん話が出来てうれしかった。家に帰る
ともう11時。加圧ポンプが壊れてから取り外しているので、湯船にお湯を張るのにものすごく時間がかかるのでお風呂は諦めて就寝。
でも、何だか頭が興奮していてよく眠れなかった。

3日目も受付から始まり、葬儀、七日の法事、骨上げまで、親戚の不幸は盛りだくさんでヘトヘト・・・。今回もトッタとはあまりお散歩
出来なかったなぁ。背中の肩甲骨の辺りがずっと張っていて疲れが取れない。
帰りは車の中で着替えをして(さすがに広かった)、そのまま高速に乗って帰った。

そんな忙しい今回の帰省中、オットは今度はバモスの売却をする為に買い取り専門業者数社へ走った。なんとゆうタフさ。
でも、オットは気になることがあると、それが片付くまで動き続けるので心配になってくる。ワタシは医療費控除の申告を済ませていて
本当によかった。背中の張った感じはずっと続いていた。いつも疲労感があり眠かった。それなのに、オットは週末ごとにどこかへ
出かけると言い出すのでしんどかった。どうしてワタシは仕事もしていないのにこんなに疲れているんだろう・・・また貧血になってきて
いるのかな。

春になったので、と、今度は近江富士と呼ばれている三上山へ行くと言い出した。まぁ大したことはないだろうと思ってタカをくくっていた
ら、これがなかなかだった。ワタシの体調がよくなかったせいもあるのかな。とにかく、ワケの分らない疲労がどんどん蓄積されていった。
やっぱりワタシは薬がないと生きていけないのかなぁ。歯医者ではいよいよ麻酔をしなければいけないのに、クラクラしていたのでキャン
セルしたりもした。雨続きで気分も塞ぎ気味だった。ここの居間は午後になると日が入らなくなって暗い。だからなのか余計に気が滅入った。
富山で掛かっていた漢方の先生が、実は、近隣に時々外来に来ているので、そこへ行くことも可能だったのだけど、そこへ掛かり出すと
2週間に1度必ず行かなくては行けなくなる。調子の良い時は行きたくはないのでまたまた悶悶とする日々だった。

そんな頃、ふと出掛けた先でふらふらと本屋に入り手に取った本があった。『「全身の疲れ」がスッキリ取れる本』。
体調がよくないと、こんな本ばかりが目に入る。何冊か手にとってみたけど、それ1冊を買ってみた。この本が見事に救世主となってくれた。
この日記を書いている5月の今もまだ全てを読んではいないのだけど、その本に書かれていることのうち、とにかく2つを実行してみただけ
なのだけど、なんとなんとみるみる元気になった。それは、寝る前に布団の中で「よかった。ありがとう。」と、その日に感謝して眠りにつくこと。
もうひとつは、朝目覚めた時(実際には、アラームに無理矢理起こされた時)、「あぁよく寝た」と声に出して言うこと。たとえ良く眠れてなかった
としてもだ。たったこれだけのことで、不思議なことにずっと取れなかった疲労感が取れた。背中が軽くなった。オットは信じなかったけど、ワタ
シの身体に起こっていることだもの。自分が一番よく分った。何ともありがたいことだった。

大河ドラマ『龍馬伝』も見ている。
福山雅治の龍馬ってどうなんだろう・・・って思っていたけど、今となってはなんてぴったりなんだろうと思う。
今までの大河とは違う画作りで独特の雰囲気が興味深いなぁと思う。歴史には全然詳しくはないのだけど、幕末は(戦国時代もかな)ちょっと
見ていてしんどい場面が多くて辛くなる。辛すぎて感情移入することを拒んでいる。片付け物をしながら見ることが多いのだけど、かえってその
方がいいのかななんて思ったりするくらいだ。そんな中、龍馬の純粋でひたむきなところにはほっと救われるけど、心の痛みも伝わってくる。
やっぱり何より一番の救いは岩崎弥太郎かな(笑)。香川照之さんは元々大好きな役者さんだ。あの音楽と共に弥太郎が出てくると、重苦しか
った心がひょいと救い上げられるようだ。いよいよ大好きな大森南朋さんとのお別れの日が近づいて来ているようで寂しいけど、お龍さんも登
場してくるようなので楽しみを次につないでいこう。

そうそう、稲垣潤一のライブにも行って来た。
昔むかしよく聴いた懐かしい歌の数々に癒された。
オットはせっせと草ぼうぼうだった庭の除草をし、ガチガチの庭を耕し畝を作り、キタアカリの種芋を買ってジャガイモを植えた。
庭にはスズメやジョウビタキ・ヒヨドリなどがちょくちょく遊びに来ていたので、水浴び用にとオットが、ゴミ袋とレンガと庭にあった石ころで池風の
水溜りを造ったのだけど、ある日、なんかいつもと鳴き声が違うなぁと外を見てみたら、スズメがそこで水浴びをしていた。

近くに新たにスーパーがオープンし、かなり色んなものが買えるようになってきた。
ドラッグストアやクリーニング屋さん、パン屋さんもあり、ちょっとした花や苗も買えるようになった。これまたありがたいことだ。
ただ、自宅のように窓辺に花やちょっとしたかわいいものを飾ったり出来るスペースが殆どないのが哀しい。玄関は狭く下駄箱がない。廊下に
電話機を置く為の棚があるのだけど廊下は暗過ぎる。階段の上りきったところにある下駄箱の上もあるけど、今はまだ未整理で行き場所の無
いオットの工具や登山用のストックが置いてある。唯一、あるとしたら台所の窓辺の幅10cmのところだけだった。でも、そんなところにでもいた
だきものの苔玉風な植物やハイドロカルチャーの緑を置くと、ぷち癒しの空間が出来て少〜し部屋らしくなってきた。

初めはチャンネル数が多すぎて何が何だか分らなかったけど、関西のテレビはいつも面白い。
吉本新喜劇も探偵ナイトスクープも見れるようになった。1月には阪神大震災を振り返る某電力会社のCMとに毎日うるうるだった。
ラジオも面白い。実は去年の秋頃から、家事をしながらNHKのラジオビタミンを聴くのが楽しみになっていたのだけど、鉄筋だからかAM放送
がここでは殆ど入らない。で、地元のFM局を聴くようになったのだけど、普通に面白い。不便なことも多々あるけど、毎日心地よい関西弁に囲
まれて本当に楽しく暮らさせてもらっている。

4月から5月にかけてにつづく。。。今月中に追いつくぞ〜!