まるぼ-のつぶやき日記

2010年 1月

2010/03/18 更新


2009年12月から年明けにかけて

とったとの散歩もないのに、オットの通勤時間が5分になり、夕方が忙しくなった。
だって、帰るメールが来てから、あっと言う間にピンポ〜ン♪って鳴るんだもん。
思わず「えぇ?!はやっ!」っと言ってしまう。
これまでは帰るメールが来てからお風呂に入っても充分間に合ったのに・・・調子が狂ってしまう。
これまでは田舎の電車通勤だったから、限られた電車時間が頭に入っていて、だいたいの帰宅時
間帯も予想出来たのだけど、徒歩になってしまったらそれは突然やってくる。もちろん、オットに早く
帰って来て欲しくないわけではない。ワタシがもうちょっと早めに取り掛かればいいだけだ。定時よりも
早く帰ってくることはないのだから。要は生活のリズムだ。

通勤時間が短くなってオットは心の底からうれしそうに何度も何度も「楽だ、楽だ。」と言っている。
朝早起きしなくてもいい生活は精神的にも余裕が出来るようで、早く寝ないといけないという強迫観念
に囚われて殺気立って寝室へ行くこともなく、ゆったりのんびりした時間を過ごせている。

それを実感出来るのが、何と言っても日曜日だった。周りがあまりにも静かなもので、すやすやすや
すや・・・もうぐっすり寝入っていて、携帯のアラームさえも子守唄にしてなかなか起きられない。お隣
さんがガーっと襖戸を開け、階段を下りていく音が聴こえて、ようやくあぁ・・・起きなければ・・・と思う。
新聞が扉の郵便受けにささったままだと起きてないことが一目瞭然だから起きなければ・・・と思うの
だけど起きれない。隣のオットは更にそんなことは気にならないのですやすやすやすや・・・。ワタシも
またツラレテ寝てしまう。この季節は富山に居たら、毎週白鳥の撮影に出かけ忙しくしていたのだけど、
幸か不幸かここには白鳥もいないから早起きしなくていいからラクちんだわ・・・などと思いながら。

そのうち、外でこの静寂を打ち破る音が聴こえてきた。灯油の配達の「雪〜やこんこん♪あられやこん
こん♪」ではない。布団の中で耳を澄ませて聞いていると、聴こえてきたのは「てんとうむしのサンバ♪」
でどうやら古紙回収車のようだった。てんとうむしのサンバのおかげでようやく目が覚めて布団から起
き上がることが出来た。そんな週末を過ごしていた。

少し落ち着いてくると早速京都へ撮影に出かけた。あぁ京都。ワタシの大好きな京都がこんなに近い
なんて夢のようだった。花灯路という催しがあり、嵐山一体がライトアップされるらしいので出かけてみ
たけど、土曜日は買い足した家電用品の配達があり、日曜日の夜になった。日曜日の夜にお出かけ
するなんて、前の遠距離早起き生活では通常は考えられないことだった。改めて、職場が近いと言う
のは本当に有難いことだと思った。

11月から12月にかけては知り合いの人の訃報の知らせが相次いだけど、バタバタしてお悔やみに
行けなかったので、滋賀に来てからいくつもの現金書留を送った。

さて、そんなこんなで早暮れの帰省。
持ってはきたけど不要なので持ち帰るもの、今度社宅へ持ってくるものをたくさんリストアップして、たく
さんの荷物と共に久しぶりの富山へ。殆ど毎日義母とはメールをしていたから様子は聞いていたけど
かわいいトッタに会えるのが何よりうれしかった。この冬は大雪でどうなることかと思ったけど大丈夫
だったし、高速道路の一律千円もなかったので思っていたよりスムーズに行けてよかった。

富山に着くときれいな立山連峰がお迎えしてくれた。
秋口から元気がなかったトッタも、ちゃんと元気に立ち上がってお出迎えしてくれた。
2階へ行くとがらんとした茶の間がやはり落ち着かない。あるはずのものがない。頭が混乱してくる。
あぁそうだった。大掃除もしなければ・・・。忙しい帰省になりそうだ。

荷物を運び込むと、休む間もなくオットはそわそわして早速白鳥を撮りに出かけると言う。なんという
元気さ・・・。実を言うと、連日のオットの呑み会の帰りが遅かった為寝不足続きで、ワタシはいつになく
酷い肩こりであまり調子がよくなかったのだけど、こんなに良いお天気は今日までらしいので、せっかく
なので一緒に出かけることにした。

久しぶりに間近で見る白鳥。かわいい鳴き声。
琵琶湖の北部には白鳥もいることが分ったけど、遠いので顔まではとても見えない。有難いことに飛ん
でもくれたので、久しぶりに大きな白鳥を撮ることが出来た。その日はそれで終っていった。

翌日は30日。大掃除をするはずだった。年内はあと二日。今年は割切って、ワタシは料理は何もしな
いことにした。だけど、やっぱりワタシの体調はすぐれなかった。というより、悪かった。オットが何か用
事をしに出かけたけど、ワタシは動ける感じがしなかったので、とにかく薬を飲んでがーっと寝ることに
して布団に潜った。午後になっても身体がだるくて起き上がれず、眠り続けた。結局、一日中眠ってしま
った。年末でしなければいけないことは山積みだ。寝ている場合ではないのだけど仕方がなかった。そ
のうち身体の節々が痛くなってきた。夜になって、熱を計ってみたら軽く8度を超えていてびっくりした。
明日は大晦日だって言うのに・・・。

いつものことながら、熱で体中が痛くて殆ど眠れなかった。
翌朝には熱が軽く9度を超えていた。何も食べたくない。頭がくらくらする。まさか・・・この年末に新型イ
ンフル・・・?こうなったらもう医者に行くしかなかった。もうどこも年末の休みに入っているので、雪の降る
中オットが救急センターへ連れて行ってくれた。予想通りたくさんの人だった。待ってる間もとにかくしんど
くてしんどくて身の置き処がなかった。こんな時、年末じゃなかったら点滴とかしてもらえたら随分とラクに
なるのだろうけど、多分してもらえないのだろうなぁ・・・。

インフルかどうかの検査結果を、若い男の先生が明るく元気に「まるぼーさん!やはりピンポンでしたね!」
と言ったことに何故だか救われた。新型か季節型かはこういう忙しい時だから調べないのかどうなのかは
分らないのだけど、新型の可能性も大いにあるけど、タムロンを飲むという治療法は同じだからと言われた。
・・・ん?タムロン?なんか違う。先生はタムロンとは仰ってないのだけど、ワタシにはどうしてもタムロンとし
か出てこない。タムロン?オムロン?と熱でぼやけた頭で、あの有名な治療薬をオットと思い出そうとする
けど思い出せない。

ワタシ:「”タムロン”が違うことだけは分るけど、タムロンて何の名前だっけ?」
オット:「”タムロン”はレンズメーカーの名前だよ。」
ワタシ:「ほ〜レンズメーカーの名前をとは、ワタシも大したカメラボケだねぇ。で?薬の名前は?オムロンも
     絶対違うよねぇ・・・。」

そうそう、今やっと思い出しました。タミフルでした。気を取り直して・・・。

なんと今年2度目の隔離。オットは茶の間で寝ることにした。(と言っても昨日同じ部屋で寝ているのだけど)
水疱瘡になった年の最後の最後に待っていたのは新型インフルエンザだったなんて。しかし・・・どこでもら
ったかなぁ・・・。富山ではなくなってしまった西武があるのがうれしくて買い物に出かけた時、マスクをしてい
なかったのだった。しかもものすごーく空調が効いていて空気がカラッカラに乾燥していたのだ。潜伏期間を
遡ると、多分あの時なのだろうなと思う。まぁ、元はと言えば、寝不足が続いていたのが最大の原因だろう。

オットが、ことの経緯を義弟に知らせると意外な事に、そういうことなら今年は年末に行くのを遠慮すると言
ってきた。あれれ・・・。ワタシは隔離部屋で一人大人しく寝ているから、義母も楽しみに待ってることだし、
どーぞいつもにように・・・とオットの意見も同じだったので、そう言ってもらったのだけど変わらなかった。
まぁね、病の巣があるところに誰も来たくはないよね。子供達もいることだし、しょうがないか。何日も前から
料理を作って準備万端整えて、孫達が来るのを心待ちにしていた義母には本当に悪いことをしてしまった。
すまんこってす。

それはそうと、タミフルの副作用は知っていたのでちょっと怖かった。もしも幻覚が見えたらどうしよう・・・。
幻覚は見えなかったけど、とにかく頭がくらくらした。これが副作用なのか、熱のせいなのか、何も食べてない
せいなのか・・・。トイレに行きたくなって起き上がろうとするともうクラクラ・・・。それで、しばらく布団の中でじ
っとしているしかない。とにかく、寝ている状態から違うことをしようとすると、実際にそれが出来るようになる
まで1時間くらいかかった。お粥さえも食べたくなくて、でも、オットや義母が何か食べたいものは?と聞いて
くれるので少し考えて、ようやく浮かんだのがイチゴだった。イチゴだけは食べれた。元気なときに食べても
そうなのだけど、身体の細胞の隅々にまで染み渡るような美味しさだった。

いつまでも節々の痛みが続き時間はかかったけど、少しずつ回復の兆しは見えてきた。重症化していなくて
よかった。持病がない人でも新型インフルで亡くなった人はいるのだから。少し元気が出てくると、オットが持
ってきてくれたラジオが有難かった。いつものように回復期には軽い漫画がちょうど良く、「あたしんち」を読んで
笑った。そうそう、笑いは免疫力を高めてくれるから。

オットの休みは暦通りなので、今年のカレンダーは一番短いパターンだ。
4日には仕事始めなので、3日には滋賀に戻らなければいけない。う〜ん・・・ワタシはどこまで回復出来るのか
なと思った。一人残って、いつもの富山のかかりつけ医に行った方がいいのかな・・・。いやいや、でも、一人で
満員の電車で帰って来るのもしんどいものがある。どんな状態でも、車なら寝て来てもいいのだから。

タミフルは5日間キチンと飲み続ける必要がある薬なのだけど、救急病院の特性上、他の病院が開くまでの日
数分しか薬を出せないらしく、この正月休み分として処方されたのは4日分しかなかった。休みが明けたら、か
かりつけ医に行って、あと一日分もらって飲んでくださいねと言われはしたけど、4日分飲んで症状が治まって
いるようなら大丈夫かもしれないけど・・・とも言われていた。幸いなことに、タミフルが無くなる4日目の3日で
快方に向っていたので予定通り、オットと帰ることにした。前日まで寝ていたのが、急に起きて帰り支度をして
いるなんて、なんだか仮病みたいで決まりが悪かった。

てなことで、ワタクシめのせいで、今年はひっそりとした年末年始となってしまった。と言っても、タミフルを飲んで
クラクラしながら闘病していたワタシは実際に目にしたわけではないのだけど、注文していたお寿司を二人前に
変更してもらい、どうしようもないオードブルやおせちは、義弟のヨメさんが取りに来て、お年玉と一緒に少し持っ
て行ってもらったようだった。楽しみにしていたトッタとの散歩も1回きりで、殆ど顔を見ることも出来ず、いつもな
ら年末にする実家の墓参りにも行けず、オットがワタシの分まで行ってくれた。新型か季節型かが気になるところ
だけど、どうせなら流行に乗りたい。新型ということにしておこう、オットもそう言っていることだし。
紅白歌合戦も見れない年末だったけど、つい先日テレビを見ていて、なんと永ちゃんがサプライズ出演していた
ことを知ってたまげてしまった次第だ。




2009年11月から12月にかけて


11月も忙しくしていたけど、ずっと心は落ち着かなかった。
月末付けでオットの転勤が決まっていたからだ。転勤することは確実だったけど
それが一体どこになるのか・・・ソワソワソワソワと心は騒いでいた。

そんな中、今月いっぱいで冬季運休に入る立山黒部アルペンルートの株主優待券をいただいて
しまった。今年は年会費を払って、行けば行くほど交通費の割引率が高くなるという『何とかクラブ』
に入ってみたので、元を取る為に結構立山へは行っていたけど、せっかくいただいてしまったから
には行くしかなかった。

11月末ともなれば山の上は銀世界だ。あ〜寒そうだな。
何を着ていくんだろう・・・。数年前に浄土山に登った時はスキーウエアだった。
あの時は、薄く積もった新雪の下は岩場が凍ってつるっとしていて、簡易アイゼンでは恐ろしくて
しょうがなかったっけ。恐る恐る、浄土山へ登ったりするのかと訊ねてみると「それはないよ」という
やけにアッサリした答えに心底安堵した。

オットの目的は満天の星空だった。
冬の星空・・・晴れていたらさぞかし綺麗だろうな。でも、そっちにしたって寒そうだ。当たり前だけど
星空は気温の下がる夜に撮るものだから。でも、今のワタシ達にはアレがあった。去年白鳥撮影の
為に買ったダウンの上下が。ありとあらゆる防寒グッズを詰め込んで出かけた。

黒部ダムへ抜けるルートは久しぶりだった。
室堂まででも結構な交通費がかかるけど、さらにトロリーバスだのロープウエーだのを乗り継いで
雄山の裏側へ出る。出発した日は生憎の曇天で、写真日和ではなかったけど、大観峰の駅にいた
売店のおじちゃんが面白かった。まもなく営業終了するので、おみやげ物を売り切ってしまいたい
ようで、地酒饅頭の試食用がたんまりとあり、ものすごく薦めるのだ。オットとひとつずつ頂くと「もっと
もっと」と目配せするのが本当に可笑しかった。ごぼうこんにゃくもとても美味しく、地酒饅頭と共にちゃ
んと帰りに買いましたよ。

宿泊は室堂ターミナルの上にあるホテル立山。
夕方からは吹雪いてきた。満天の星空は期待薄かなぁ・・・。

夕食後は冬季休業前の感謝祭として、ちょっとしたミニコンサートが予定されていてラッキーだった。
ソプラノの耳慣れない歌よりも、麦屋節の踊りに食い入るように見てしまった。コンサートの後は、
お楽しみ抽選会だった。景品はあまり期待してなかったのだけど、売店の残り物と思われるモノも
たくさん放出されていてびっくりだった。中にはウエストポーチやダウンジャケットなどもあり、そこに
いる人達の半分くらいの人がどんどん当たってるっているのに、ワタシとオットはだんだん寂しくなっ
てきた。どうせこんなものだよね・・・と諦めかけた頃、なんとオットに某アウトドアメーカーのダウンジ
ャケットが当たった。オットだけでも当たってよかった。ワタシの番号は最後まで読み上げられることは
なく、そんな人の為に用意された貼るカイロをもらってとぼとぼと部屋に帰った。外はやっぱり吹雪だっ
たけど、星空撮影が一番の目的だったので、一応目覚ましをかけて就寝した。

3時の目覚ましが鳴った。
窓際で寝ていたオットが窓の外を見て「あかんな〜」まだ吹雪らしい。
念のため3時半に更に目覚ましをかけて寝た。2度目に起きた時はオットが感嘆の声をあげた。
「おぉ〜スゴイ!」出動だった。

久しぶりに見る満天の星空だった。
山へは行っているけど、体力温存の為夜中に起きて星空を見ることはしなくなっていた。
あっ、そうだった。今年は能登へ棚田の撮影に行った時に久しぶりに逢えたんだった。
でも、この銀世界の中での満天の星空は格別で、まるで夢の国にいるようだった。星空撮影が難しい
のはよく分っていた。今回は撮りたいなぁ・・・全く自信はないけれど。ただ、三脚はひとつしか持って
来ていなかったのでオットと交代で使った。シャッタースピードが遅いのと、悪天候の為撮影を始めたのが
4時過ぎ。夜明けまであまり時間が無い中、撮れる確率が限りなく低いワタシより、やはりオットが優先
だった。三脚なんでもう一つ持って来なかったなぁ・・・登山するわけでもないのに・・・。それでも、せっかく
そこにいるのだから何とか収められないかと、真っ暗な中カメラバックの上に置いて撮ってみたりした。

夜が明け、剱岳に朝日が当たり、大日三山にも陽が当たった。
たくさんの人が撮影していた。かわいい雷鳥の足跡も見つけた。ここを歩いて行ったんだなと想像すると
足跡も愛しかった。そんな時、突然ワタシのカメラが使えなくなった。ーカードにアクセスできません。初期
化するかカードを交換してくださいーなんてメッセージが出て、二進も三進も行かなくなってしまった。が〜
ん・・・。なんでぇ〜・・・。ワタシの予備カードなんてあるわけもない。最近初期化してなかったからかなぁ・・
・自業自得だけどショックだなぁ・・・。撮影できなくなると、とたんに暇でつまらなくなってしまった。早く家に
帰りたいなぁ・・・なんて。

いつも早く帰ろうと言っていて、早く帰ったためしはなかったのだけど、オットは珍しく宣言どおり早く帰った。
なんだかんだ言って、4時前から起きてこの寒い中活動しているのだから疲れてもいるし、何より異動のこと
もあったのだろう。実は立山へ行く前日、オットが上司に言われていた言葉が引っかかっていた。
「布団用意しといた方がいいかも。」それって単身赴任覚悟ってことだよね・・・。
行き先が分らない状態で仮定の話をしてもどうにもならないけど、どうなるんだろう・・・。

さて、帰宅して一番気になるのはワタシのメモリーカードだった。
ワタシはごはんの支度があるので、オットがPCに取り込んでくれようとしたけどダメだった。何度やってもダメ
で、前にやはりオットがカードの初期化を怠って似たような状態になった時にした有料の復活ソフトを使っても
ダメだった。
「諦められ。初期化するよ。それしか方法が無いもん。」「えぇーーーーーっ!ちょっと待って!」
満天の星空なんてどうせ撮れてはいないだろう・・・それは分ってる。だけど、寒い中、眠い中、がんばったの
に・・・。もしかしたら・・・もしかしたら、まぐれで撮れてるかもしれないじゃないか・・・。でも、どうしようもなかった。
で、カメラに戻して初期化をしてもらったのだけど、なんと初期化さえも出来なかった。不良品か・・・。

新しいカメラを買った時に同時に求めたメモリーカードは1ヶ月も経っていなかった。
こうなるともう購入元に問い合わせてみるしかなく、カードを送り、出来ることなら復活させて欲しいと言ってはみ
たけど、結局のところは初期化不良とやらで返金となった。中身を復活させてくれるなら返金も要らないと思った
けど、そこまでは保証対象外とのことだった。このあとしばらくは激しく落ち込み、元気が無かった。どうせ撮れて
はいないのだけど・・・。

さて、落ち込んでいるうちに1週間が経ち、オットに内示が出た。
その日の朝9時過ぎに、出勤したオットから電話があった。果たして、行き先は滋賀だった。
ほんとは「おめでとう」って言わないといけないのだろうけど、泣きそうになるのをぐっとこらえて「うん分った」って
言うのがやっとだった。でも、滋賀かぁ・・・なぜかホッとした。何より大好きな京都に近いことが少しだけワタシの
気持ちを明るくさせた。それと不思議だなと思ったことがひとつ。写真部で、滋賀の石山寺の紅葉の写真をUPさ
れている人がいて、京都みたいに混まないから穴場ですよと教えてもらい、石山寺に行ってみたいなって強く思っ
ていたのだった。

オットは単身赴任するって言うに決まってる。さみしいけど、その方が面倒な引越しもしなくて済むし単身赴任手
当ても出る。オットが毎週必ず帰って来てくれることが条件だけど、滋賀なら近いから帰ってこれるだろう。だけど、
オットもせっかく京都の近くに居ても、毎週帰って来ていては少しも楽しめなくて可哀相だなぁ・・・ワタシが時々
出向けばいいのだ。オットがいない間はこれまで更新をサボっていたHPもじゃんじゃん更新して、トレッキング
奇行だって全部UPして、片付けもしまくって家中ぴかぴかにして友達と遊びまくろう。・・・なんて、ワタシも覚悟を
決めつつあった。用事で車を走らせていると、ラジオから泰葉の新曲だという『
I Believe』という曲が流れてきた。
聴くとはなしに聴いていると、なぜだか涙がこぼれて止まらなくなった。

だけど、帰宅したオットが開口一番言ったのは「明日、滋賀へ行くぞ。下見に行くぞ。」
「・・・へ?」一体何を言っているのだろう。口あんぐりのワタシ・・・。
なんと、ワタシも滋賀へ一緒に行くことも選択肢のひとつに入っているらしかった。ただ、今更社宅もしんどいし、
職場の近くに住むところを探しに行こうというのだった。それにはワタシもたいそう驚いた。そして、オットはインター
ネットで職場周辺を色々調べ始めた。結局、賃貸はやはり高いので社宅に入ろうと言うことになった。10年ぶり
の社宅・・・。でも、県内ならともかく、結婚して初めて県外に住むことになった身としては、まわり中知らない人だ
らけの賃貸よりも、社宅という囲いがあった方が安心な気がした。

方向が定まってなかったので週明けにならないと社宅の空き状況は分らないけど、とにかく単身赴任ではなく、
一緒に行くことになり、急激に忙しくなった。社宅が決まらないので引越しの手配も出来ず、当然梱包材もまだな
ので準備と言っても中途半端な感じだけど、一週間後のオットの着任に合わせて、とにかく準備を始めるしかなか
った。この状態で出来ること・・・しなければいけないことは、季節柄まずは車のタイヤ交換だった。乗っていく車と
義母の軽四。この2台の冬支度から始まった引越しだった。

いつまで経っても後回しの性格のおかげで、こんな切羽詰った状況で健康診断の予約から始めなければいけなか
った。この時ばかりは自分を呪いたくなった。それから、ずっとアレルギー性の痒みで医者通いをしていたトッタの
ことも気がかりだった。痒みによるストレスが続いているせいか、見ているのもちょっと辛くなるような状態になって
きているトッタと離れなければいけないのが本当に心残りだった。それで、思い切って病院を変えることにして、あと
は義母に連れて行ってもらうことになるのだけど、とにかく引越し前に行ってみようと思い、近いところではないのだ
けど動物病院へも行った。

治療中の虫歯もあったのだけど、10月の末から体調不良や用事が重なって休んでいた。
この調子だと歯の沁み具合も大丈夫そうだから、このまま滋賀へ行きます、と伝えると笑われた。引越し前に一度
見せに来て欲しいと。ただ、やっぱり笑ってもらえると褒められたようにうれしくなるワタシっておかしいな。全てがこ
んな調子で引越しそのものの作業はちっとも進まない。

正式な辞令が出て無事社宅も決まり、引越し業者と打ち合わせをし、梱包材も来た。
オットは休暇を取っていたけど、なんやかんやと送別会や諸々の手続きに出かけて行ったり、滋賀の新しい職場へ
早朝から出張で出かけ、おまけに呑み会付きで、深夜遅くに帰宅したりと・・・相談したり聞きたい事がたくさんあっ
てもちっとも進まない状況の中、引越し準備を進めなければいけなかった。先に社宅を見てきたオットが写真を撮っ
て「ノスタルジックな社宅だよ」とPCにメールをくれていたようだったけけど、そんなの見る暇もなかった。

費用は会社持ちなので当然らくらくパックなのだけど、普通の引越しのように「これ全部詰めてください」と言うわけ
には行かない。月に一度くらいは帰って来るので、自宅でも最低の生活が出来る状態にしておかなくてはいけない。
一部しか持って行かないという今回は、持っていくものと置いていくものとを仕分ける作業があるので予想以上にし
んどかった。

こんな時に風邪なんて引いていられないので、捕中益気湯という漢方薬を飲みながら乗り切るしかなかった。この
薬は字のごとく気を養う薬で、これなしでは絶対に無理だったと思う。健診の結果を聞きに行き、当面の薬をもらって
薬局で引越しの話になり「こんなんで明日本当に引越し出来るのかな・・・」って言うと、「大丈夫!引越しはどんな
状況であれ出来るものなんです!」と力強く言われた。その言葉に間違いはなかったなぁと後日しみじみ思ったが、
その人は、らくらく便ではなかったのに結果的に間に合わなくてらくらく便みたいになってしまったって笑っていた。

そういえば、転出の手続きをしに市役所へ行った時、焦っているのできょどっていると「まるぼーちゃん?」って声が
どこからか聴こえてきた。へ?こんなところで声を掛けてくる人ってだれ・・・?顔をあげると、高校の同級生だった。
仕事で来ているようだったけど、まぁこんな時にこんなところで逢うなんて。しかも、風邪予防の為ワタシはマスクを
していた。マスクで変装は無理だということがよく分った。そのコとは、それほど親しかったワケではなく普通のクラ
スメイトだけどったけど明るいキャラで話やすいコだった。年の初めの大事件(まだUPしてないけど)があった時にも
逢ったコで、つくづく縁があるんだなぁって思った。

結婚してから引越しは今回で5度目で慣れているつもりではいたけど、今回は県外ということもあり、部分的という
こともあり、日程がタイトということもあって本当の本当にしんどかった。荷造り以外にもたくさんの雑用がついてまわ
り、連日0時を過ぎていた。こんなんで本当に明日引越し出来るのかなぁ・・・。こんな状況だっていうのに、向こうへ
行って落ち着いたら暇だろうから、オークションしまくって不用品の整理をしようかなって言って、あれも持っていくこれ
も持っていく・・・って言ってたら、「今オークションのことまで考えんといてくれ」と言われてしまった。はい、仰る通り
でございます。すぐに年末になって帰ってくるのだから、とりあえずなくても死なないものは考えないことにして、本も
CDも選ばずその辺にあるものを突っ込んだ。

ただひとつ、なんとしてもしておかなければいけない面倒な作業が残っていた。万が一の為にPCのHDのバックアッ
プを取っておきたいのだけど、空き容量が少なくて出来ないらしい。それで、こんな時になって写真の整理をしなくて
はいけなかった。写真部に入ってからというもの週末ごとに撮影に出かけ、ワタシは週末以外にも家で、庭で、ご近
所で、バカみたいに写真を撮りまくり、撮ってはUPし・・・と、殆ど整理もしないで撮りっ放しにしていた。そのツケも
こんな時に回ってきた。搬出前夜のギリギリまで、そんなことをやっていた。あ〜あ・・・しんど。

引越しは出来ました。薬局の若い人が言ってた通り出来ました。
土曜に荷物の搬出。翌日曜日に搬入。
引越しの真っ最中に、幼なじみの京都好きの友達が京都の本を持って逢いに来てくれたり、差し入れにワタシの大
好きなだんごを持って来てくれた友達もいた。今から思えば、10月に色んな友人知人から「会わない?」と声を掛け
られ、忙しい中ひぃひぃ言いながらもみんなと会っていたことには意味があったんだなと思った。バタバタ忙しかった
けど会えていて本当によかった。カメラのカードが壊れた立山の帰りにもパートの先輩の家に寄らせてもらい、その時
いただいた自家製のゆずも本当に重宝した。薄くスライスして砂糖漬けにしたら思いの外日持ちがしたので、忙しくて
ずっと気が張っていてしんどい時にも、柚子茶にして飲むとほっとして身も心もあったまった。

さて、搬出が終ると全ての荷物を持っていったワケではないのに、部屋はがらんとして急に広く感じられた。10年も
暮らして馴染みきっていたはずの部屋が何だか急によそよそしくなった。こんなに広い部屋だったんだ・・・と感慨に
浸る間もなく、今度自宅に帰って来るのは年末だと思うと、年末=来客なので、ある程度までは片付けて使える状
態にしておきたかったので、休む間もなく片付け整理に追われた。本当にあっという間に時間が過ぎていく。トッタと
過ごす時間が過ぎていく。布団に入る直前まで、トッタの新しい病院への道順を、そこへは行ったことのない義母に
出来るだけ分り易いように何度も書き直した。

翌日は午後から搬入が始まるので、少しでも早く着いてお昼ごはんを食べて掃除をしておきたかった。
朝7時の出発。本当は少し早起きしてトッタと最後の散歩をしたかったのだけど、結局は作業に追われて出来なかっ
た。義母に抱っこされてワケが分っているのかいないのか・・・そんなトッタを撫でているとまた泣けてきた。最後に
忘れ物が無いか確認して玄関を出る時、何食わぬ顔でお皿をカラカラ言わせてごはんを食べているトッタを見ると
笑えた。義母にトッタと留守を頼み、トッタにも留守と義母のことを頼んで、水槽にホッカイロを貼った、今年8度目の
冬を迎えるモンジと、やはり沢山になってしまった手荷物を車に積み、家を後にした。

高速へ向う車の中で、ふと白鳥の鳴き声がしたような気がして上を見上げると、フロントガラス越しに二羽の白鳥が
鳴きながら飛んでいくのが見えた。なんという偶然だろう。走っている車の中から頭上を飛んでいる白鳥を見上げる
ことが出来る確率を想像してみる。うれしい見送りだった。また、降ったり晴れたりを繰り返している空のおかげで、
高速走行中にこれまで見たこともないすごい濃い虹を見た。海から空にかかる虹を見たのも初めてで感動した。
「運転してない人は撮ろうと思えば撮れたんに・・・」あとでオットに言われてショックだった。どうもワタシには、こう
言った瞬間を撮ろうとする気構えが全く出来ていない・・・。これまた上手く撮れる自信は皆無だけど、もったいない
ことをしたなぁ。

何度か休憩の為に立ち寄ったSA。こういうところが大好きなワタシ達。変わったおみやげ物や美味しそうなものが
いっぱいでワクワクしたけど、また今度。これからは富山に帰る度にちょっとずつ楽しもう。楽しみすぎてなかなか家
に辿り着かなさそうだ。

そうこうしていると、オットの携帯に電話。走行中なので代わりに出ると、水道局の人からだった。
水道の栓を開けに来たけど、どうもどこかの水道の蛇口が開いているようで、このまま開けて帰るワケにはいかず、
立会いの元で開けたいとのことだった。仕方がない・・・。でも、次に来るのは2時とか3時になるらしく、それまで水
道が使えない。う〜ん・・・掃除したくても出来ないよ。と言ってみてもどうしょうもない。

とにかく着いた。何だか狭い道をくねくねと入っていったところにあってぞっとした。
これまで入ったことのないこじんまりしたかわいい社宅だった。出張の際、先に見にきていたオットに聴かされていた
通り、メゾネットタイプで中に階段があり、その階段まわりだけが木製なところがなんともレトロで気に入った。階段を
昇り切ったところに木製の靴箱があるのも、何だか古いアパートを思わせてとても懐かしい感じがして好きになった。

ささっと社宅の皆さんのお宅へ挨拶を済ませ、今日初めて見た部屋の一体どこに何を配置するのか、搬入が始まる
13時までに決めなければいけなかった。掃除機を引越し荷物と一緒に積み込んでしまったので、自宅から持ってきた
ほうきで掃除をして、まだ水が出ない為お隣さんの外水道から水を借りて拭き掃除も済ませた。近くにあるコンビニで
弁当を買ってきて暖房器具のない部屋で正座をしてお昼ご飯を食べる。ごはんを食べながらも、配置を考える。今まで
住んだことのある社宅もそうだけど、自宅もほぼワンフロアーで暮らし易かったので、ここみたいに2階建てとなると
だいたいのところに適当に置いてもらって後で動かすっていうのもちょっとしんどいので、どこへ配置してもらうかかなり
悩んだ。

いよいよ搬入が始まって家具が入り始めると、あらかた決めた配置の他に向きをどうするか悩んでしまう。
その間にも、「この箱は1階ですか?2階ですか?」「どの部屋へ持っていきますか?」の質問が飛んでくる。
女性スタッフからは「このカーテンはどの部屋にしますか?「この照明は・・・?」と。次から次へと決めていかなくては
引越し業者さんの仕事が進まない。う〜ん・・・。

そして、メインの居場所になる1階の茶の間の狭さが際立ってくる。四畳半・・・ここに家具調コタツを置き、テレビを置く
為のローボードを置き、PC机を置くと、はぁ〜・・・ため息が出て来た・・・。でも、テレビもコタツもPCもここでなくては
ならない。実はこの部屋の外には庭がある。この庭もうちょっと狭くてもいいから、この茶の間をもうちょっとだけ広くして
欲しかったなぁ・・・。

台所では冷蔵庫の位置はスグに決まったけど、テーブルと食器棚と電子レンジ(台)の配置を決めるのにちょっと時間
がかかった。やはり台所も狭い。田舎の富山のようにはいかない。テーブルの一辺は壁にくっつけるとして、オットは
その壁に対して垂直方向に長く置く・・・と言うけれど、それじゃあ通路が狭すぎるよ。一番動線が大事なキッチン。
毎日三度三度身体を蟹状態にしてそこを通過するのは絶対に無理!と言っても、オットも譲らない。でも、そばにいた
女性スタッフがワタシに味方してくれた。立場上ハッキリとは言えないのだろうけど、オットの主張に対して首を捻る
ワタシと一緒になって、う〜ん・・・と首を捻ってくれた。見るからに主婦歴の長そうなその人の意見は本当に有難かっ
た。他の同じような社宅の引越しにも何度も立ち会って来たらしく、こんな風にしてるところもあったし、あんな風にして
るところもあったよ、といくつか例を挙げてくれた。壁に対して長い方を平行に置くとしっくりと来た。うん、絶対にこれし
かない。

家具類の配置が決まると、あとは出来るだけダンボール箱から中身を出してもらって、ちゃっちゃと収納場所を決めて
いかないと進まない。この人たちが引き上げてしまうと、あとは延々とこれをしなければいけないのだから。箱を開け
ながら、やっぱり自宅とは違って収納場所が少ないなぁと思い知る。必要最低限の物しか持って来てないつもりなの
になぁ・・・。すると、女性スタッフの一人が上の方を指差して「ここにもありますよ」と、全く認識していなかった収納場
所を教えてくれた。え?ほんと?あぁうれしい。嬉々として脚立に昇り、その中の広さを確認してみる。すると、なんと
前の人が残していったのか忘れて行ったのか・・・油の入ったお鍋が置かれてあった。なにこれ〜と文句を言いながら
それを下そうとして扉を開き切った途端、ワタシの身体は宙を舞った。次の瞬間、背中から脇腹にかけて激痛が走り
息も出来ないくらいだった。どうやら脚立を移動させないまま隣の扉を開けようとして、その扉が描いた円が思ったより
も大きく、それを避けようとしてバランスを崩し脚立から落ちたようだった。それだけならまだよかったのだけど、運の悪
いことに後ろにはテーブルがあり、その角で背中から脇腹を強打したようだった。

隣の茶の間で電化製品の配線か何かをしていたオットも何事かと飛んできた。すぐ傍で見ていた女性スタッフが「痛か
った痛かった・・・ワタシが上ればよかったですね・・・」と言いながら背中をさすってくれたけど、痛いのはそこじゃないん
です・・・とも言えず、実際声も出せないくらい痛かった。でも、気持ちは有難かった。骨は折れてないだろうけど、ヒビ
くらいは入ってしまったんじゃないだろうか・・・とも思えた。スタッフの人も、とにかく明日お医者さんに行った方がいい
ですよと言った。

食器類も全て出してもらい、収納場所の決まらないごちゃごちゃした物の入ったダンボール箱はそのまま置いて行って
もらい、業者さん達は引き上げて行った。ワタシは主に女性スタッフと一緒に過ごしたけど、やっぱり関西の人は馴染み
易くて話し易い気がした。その後の作業は力仕事はもちろん無理なので、出来る範囲で・・・なのだけど、腰を痛めた時
と同じで、咳・くしゃみ・笑ったり、立ち上がったり座ったり・・・いや普通に歩いても笑っても・・・もう何をしても響いて痛か
った。参ったなぁ。

背中は痛かったけど、夜になってごはんを食べに行くついでに買いたいものもあるし気分転換にちょっと車でぶらっと出
かけることにした。ぶらっと出かけたはいいけど国道はひどく渋滞していた。そういえば、誰かがそんな話をしていたっけ。
どうしても買いたかったものは消臭剤と冷蔵庫用の消臭剤。しばらく空き部屋になっていたトイレや、トイレ横の物置の匂
いが堪らない。10年ぶりに使う冷蔵庫の匂いも気になった。それから、気休めだとは思うけど湿布。ちょっと出かけたつ
もりが、えらく時間がかかって帰宅した。とったは・・・義母はどうしているかなぁ・・・。

それにしても痛かった。椅子からだとそうでもないのだけど、コタツに座って立ち上がるときが地獄のようだった。
でも、寝る為に身体を横たえる時の方がもっと地獄だった。朝になって、身体を起こすときはさらにもっと大地獄だった。
結局、寝返り打つのも地獄だったので、身体中ガチガチになって殆ど眠れなかった。ほんとはようやくゆっくり眠れるは
ずだったのに・・・。

オットが昨日早速頼んでくれていたおかげで、朝、新聞が入っていたのが何だかうれしかった。
あぁ・・・でも、引越しの翌日、朝一番にしなければいけないのが病院へ行くことだなんて・・・。幸いすぐ近くに病院があ
った。オットがまだ休暇を取っていたので助かった。エアコンの取付け工事があるから、ワタシ一人で行っておいでと
言われるのを覚悟していたけど一緒に歩いて付き添ってくれた。横になって撮るレントゲンは初めてだった。頭が枕に届
かず身体をずらそうとしたら痛みの為に思わず「いてててて・・・」と言うと、技師の方が「あぁっ、ごめんなさいね!」と言っ
て慌てて枕をあわせて下さった。レントゲン室の前で聴こえていた会話もそうだったけど本当に親切だった。いや、この
技師の人だけじゃなく、関西の言葉はやはり馴染みやすいし皆親切だなぁ・・・と傷みを抱える身には殊更沁みた。

結果、見えにくい場所ではあるけれど、骨は大丈夫だろうとのことだった。全治2〜3週間。
24時間の呼吸がついてまわるので、あばら骨に対しては安静ということが出来ないから、どうしてもちょっと長引く傾向
にあるらしかった。呼吸もしんどいようなら、コルセットで締めてあげると少しはラクかもしれない、とのことで、気休めだけ
どやはり湿布とコルセットをもらって帰った。骨に異常がないということで少し気がラクになったけど、痛みは増していって
るようだった。痛みのピークはここ2〜3日とのことだった。

エアコン取付けも無事済んでようやく暖かくなれるという期待と背中合わせに、これまた10年ぶりの運転で動くのかどう
かとても不安だった。リモコンの反応も悪く不穏な空気が流れた。数日ほど機嫌が悪かったけど徐々に運転の仕方を思
い出してくれたようで、今は元気に働いてくれている。トイレに入れば配管から水が漏れていたり、台所の流しの下の配
管からも水が漏れていた。築何十年か知らないけど、古い社宅なので直すところが出てくるかもしれないと担当者から
言われていた通りだった。道も地名も方向も全く分らない。まだ当分、一人では買い物には行けそうにないので、オットの
いるうちにと足りないものを買いに走り、なんとダイソーでは3千円以上も買ってしまった。

その翌日からはいよいよオットが新しい職場へ着任で出かけて行った。なんと通勤時間は徒歩5分。
これまでの通勤時間とはえらく違う。あんなに早起きに慣れていたつもりなのに、こんな状況になると途端に怠け者だ。
どうしようもない寝坊すけの二人になってしまった。これまでは電車通勤だったから絶対に遅れることが許されず、寝室の
照明を起きる時間に自動点灯するようにリモコンで設定していた。その方法は最強だった。それが出来れば起きれると
思うのだけど・・・。

オットが行ってしまうとワタシは少しずつ、これまでの疲れを取りつつ片付けをしていくしかなかった。
だけど、一番したいことは洗濯だった。実は洗濯機がなかった。自宅には義母がいるので洗濯機は置いてきた。
社宅用にはシンプルな機能のものを安く買うことにしていた。いいのがあれば中古でもよかった。富山で搬出が終った後
オットにネットで探してもらっていた。ちょうどその画面を見ていた時、オットに電話がかかってきた。短い電話ではなかった
その間、電話で話しながらPCを触っていたオットがポンと落札してしまったのだそうだ。「ポンと」って言うけど、落札すると
次の場面は必ず「これでいいですか?」と確認の画面になるはずなのに、一つの操作だけで落札されてしまったと言う。

ワタシが文句をついつい言いたくなってしまうのは、そこの業者さんは土日が休みだということだった。
休みの間は相手とはやりとりも出来ないから決済も出来ず当然配達もあるわけもなく・・・。オークションじゃなく、普通の
家電屋さんで翌日配達OKなんてのも当然あったようで、もっと言えば、滋賀に来てからリサイクルショップとかで探したっ
てよかったのだ。冬とはいえ洗濯物が溜まっていくのを見るのは主婦にとってはとても耐え難いことで、どうしてもイライラ
してしまった。決済が済んでからも洗濯機はなかなか届かなくて、電話帳と地図と睨めっこしてコインランドリーを探してみ
たけどこの辺りにはなさそうだった。さあしあたって、タオルの残数が少なくなって来たのでどうしようかなと思い、小さな
洗面所でお湯を貯めて手洗いをした。そうだ、昔はこうしてみんな手で洗っていたんだな。

そうこうしているうちに、待ちに待った洗濯機が到着した。もう木曜日だ。早く洗濯がしたいなと思うのだけど、電気屋さんが
運んできたのではなく宅配業者さんが運んで来たので、セッティングまではしてくれない・・・。うぅ・・・うらめしや〜。こうな
ったら自分でやってみよう・・・排水ホースを排水口に突っ込んで、蛇口にホースをセットして電源を入れさえすればいいは
ずだ。・・・だけど、残念ながらホースはそこにある洗濯機用と思われる蛇口には構造上セットできなかった・・・同じ口径だっ
た。何かジョイントする為の器具が要るようだった。ワタシは洗濯機に呪われているのか・・・。その日も洗濯は出来なかっ
た。たまたま早く帰ったオットに見てもらうと、蛇口が古いからかなぁ・・・ということだった。もう知らんわ〜。ホームセンター
にでも走って器具を買ってくるかと思いきや、その辺にあるものを利用してビニールテープでぐるぐる巻きにして無理矢理
ホースをジョイントさせた。すごい。見事だ。この柔軟性は本当に尊敬に値すると思った。

テープぐるぐる巻きに多少の不安があったので、洗濯機洗いを兼ねて洗濯物を入れずに試運転してもらった。水はどこから
も漏れなくてほっとした。翌日、引越ししてから一週間近く経ってようやく洗濯が出来ることと相成った。が、しかし、いざ洗
濯しようとすると取説というものが付いていなかった。一体何回すすいでくれるのだろう・・・。たまたま新製品のーすすぎは
一回でOKですよ、エコですよーっていう液体洗剤を買ったので、すすぎの回数を設定したかったのだけど、そんな設定は
出来ないようだった。どこまでもケチを付けられる運命の洗濯機だった。スタートボタンを押して台所へ行き、細かい食品類
の収納に頭を悩ませていると、ものすごい音が鳴り響いてきた。洗濯機だ!呪われた洗濯機!まさか壊れたか!と思って
慌てて飛んでいくと、どうやら脱水をしているらしかった。何もそんなすごい音を立てて脱水せんでも・・・と突っ込まずには
いられなかった。

さて、お次は電話だった。木曜日に開通予定だった電話。
夕方になってそうだと思い受話器を上げてみる。・・・?無音だ。無音のはずがない。昨日までは「ツーツーツー・・・」と音が
していたのに・・・おかしい。夜になって念のためオットに見てもらってからNTTに電話をした。翌日になって、現場の担当者が
来て見てもらったら、電柱からの配線に問題があったらしかった。ふぅ〜・・・。とにかくトラブル続出だった。その間に、トイレ
の修理に何度か業者さんが来て、オットが富山にいる間ネットで注文していたものがバンバン配達され、もうとにかく落ち着
かなかった。あ、そうだった。インターフォンの音がちっとも聴こえなくて、在宅だったのに宅配業者さんからの不在票が入って
いることが続き、もう〜!この社宅はどないなってんの!と一人フンガイしていたのだけど、オットに見てもらうとインターフォン
の音が最小になっていたらしかった。

ようやく一応洗濯も出来るようになり普通の生活が整ってくると、とあることに気が付いた。毛布がない。
普段着ている毛布ではなく、真冬用の合わせのあったかい毛布がないのだ。これは結婚するときに親が揃えてくれたもの
でペアになっているもののブルー、つまりオットのものだけがないのだ。それともう一枚。これは寝るとき用ではなく、こたつの
下にでも敷こうかなと搬出作業中に持っていくことを付け足したものだった。この二枚がどれだけ探してもないのだ。もしかし
たら、自宅に残っているのかと義母に連絡してみてもらうけど、どこにもないようだった。最後にチェックもしたし、引越し業者さ
んの荷物に残っていることは考えにくかった。もしも荷物が残っていたらこちらに連絡がくるに決まっている。その連絡がない
ということは・・・。だけど、ないものはないのだ。もしかしたら、家具の養生用の毛布と間違えて持って帰ってしまったのかも
・・・。そういえば、そっくりな毛布を持っていたのを覚えてる。何度も考えを巡らせてみたけど、業者さんに訊いてみるしかな
かった。

だけど・・・どっちに訊けばいい?搬出側?搬入側?・・・そんなことを考えているといやになってしまって、気が重〜くなってし
まって、なかなか電話できなかったのだけど、だからと言ってこのままにしておくのも気持ちが悪いので、思い切って電話す
るしかなかった。やはり荷物としては残っていなくて、養生用の毛布と勘違いして持って行ってしまっていたとしても、使い物
にはならないから、新しい毛布をこちらで購入し領収書を送って欲しいとのことだった。やっぱりそうなったか・・・。母が買って
くれた毛布・・・だけど、しょうがない。もう一枚はある。この変則的な引越しは色々あったなぁ・・・。

引越した次の週末には社宅の忘年会があり、ちっちゃな子供がわーわー言ってておもしろかった。世帯数が少なく家族的な
雰囲気で、新参者のワタシにもみんなとてもフレンドリーだった。だんなさん連中と奥さん連中とテーブルを分けていたのだけ
ど、一人で呑んでるみたいに顔を真っ赤にしたオットがいつの間にかワタシの年をばらしていた。なんで早々から年をばらす
かなぁ・・・。

その後、やはりウォシュレットと暖房便座は必需品、と便座を買い、音が出なくなっていたテレビは買い換えざるを得なかった。
壁が寒色で殺風景なトイレ。冷たい便座に便座シートを貼ってもやっぱり冷たくて、自然とトイレが遠くなってしまっていた。
いきなり音が出なかった持ってきたテレビは、オットがDVDレコーダーに繋いで何とか音は聞けるようにしてくれてたけど、テ
レビを見る為にDVDレコーダーの電源も入れなければいけないことが、どうにも嫌だった。さらにはアナログだったので、データ
放送でワタシの好きな現在気温が見れなくて、一体今はどんな寒さなのか気になってしょうがなかったのも解決された。
こうして、ようやくいつものワタシ達らしい生活が出来るようになってきた。