まるぼ-のつぶやき日記

2008年 2月

2008/04/08 更新


昨年末から年明け〜2月にかけて

まぁ〜・・・ほんとにほんとに長いこと日記の更新をサボってしまいました。
働いていたときでさえ、こんなに長いことサボったことはなかっただろうに。。。
長々と更新できなかったワケをこれから書いていこうと思います。
もったいぶる訳ではないのですが(そんなにたいそうな理由でもないし(笑)、
いっぺんに書こうと思うと、膨大な?時間がかかってしまいそうなので、槍ヶ岳
トレッキング奇行(未完)みたいに、細切れですがUPしていきたいと思います。
ただ、日々の中でHPの日記を書くという習慣がすっかり抜け落ちてしまっている
ので、とにもかくにも一行!一行でも書き出せばスタートできると思ったので、
今日はとにかく♪始めの第一歩〜♪

それは、11月の下旬に引いた風邪が始まりだった。
朝起きて、ヤケに背中が痛いなぁ・・・前日の作業により(何をいていたのかは
もはや思い出せない)筋肉痛にでもなったのだろうと思い、ストレッチなどをして
いたのだけど、どうもおかしい。背中ばかりか腕にかけても、太ももからふくらは
ぎまでもがだるくなってきたのでもしやと思い熱を計ってみたら微熱があった。
そして、午後には38度近い熱が出て来た。あまりの急展開にびっくりだった。
いつも弱い喉も痛くなければアタマもまた然り。鼻水もなし。それなのにいきなり
のやや高めの熱?こんな風邪は初めてだった。

何事もなければ漢方のお医者さんへは二週間に一度行けばいいのだけど、
風邪を引いたりするととたんに通院ペースがめちゃくちゃになってしまう。薬も
様子を見る為に一週間分しか出ないから足繁く通うことになってしまうのだ。
ドアtoドアが平均2時間なので、たまになら読書タイムと割り切れるのだけど、
年末に向かっていよいよお尻がもぞもぞとしてくる11月の下旬ともなると、かな
りのストレスになるのだった。でも、この風邪は案外早く治った。熱が出たから
だろう。

11月末にはオットと義母と三人で中島みゆきさんのコンサートへ行ってきた。
数年前には金沢へ行ったけど、今回はなんと富山に来てくれた。中島みゆきが
富山に?!これはエライことだった。今回のは、後列にクラシック系の楽器を
奏でる草食動物みたいな繊細そうな方々(なぜか”方”)もいて、さらにまた素
敵なコンサートだった。

さて12月。
風邪は先生もびっくりするくらいきれいさっぱり治ったし、いよいよ年末大掃除と
行きたいところだったのだけど、ある朝テレビの電源が入らなくなってしまった。
そういえば、1週間ほど前から電源を入れると入りそうな気配(音)はあるのだけ
ど入らなかったりすることが多かったっけ・・・。テレビのない生活はテレビ大好き
のワタシには耐えられないことだった。それにしても、このテレビはオリンピックの
直前に買ったものだからまだ3年しか経っていないのにもう壊れるなんて・・・。
ワタシが毎日データ放送で現在気温を一日に何度も確認していたからだろうか・・・。
とにもかくにもメーカーに電話をして修理をお願いした。

ただ、修理に来られるってことは・・・テレビの裏側も掃除しとかないといけないと
いうことだった。11月になってから少しずつ大掃除を始めてはいたけど、それも、
11月になってから扇風機を掃除したりしていたレベルだった。ワタシは一体何を
していたのだろう・・・だって、だってだって、我が家には茶の間以外に台所と洗面
所にも扇風機がたくさんあるんだもん。。。

その上、先月の風邪引きによって予定が狂ってきたのでテレビの後ろはしないで
おこうと思っていたワタシの心を誰かに見透かされたような気がした。ー手抜きは
ダメですよ。そこもちゃんと掃除しようねーって。

だけど、テレビの故障だけでは済まされなかった。
次は台所のカップボードの引出しが壊れてしまった。いや・・・正直に言うと、壊して
しまった。その一番下の大きな引き出しは乾物や保存食などを入れる食品庫にして
いたのだけど、たくさん入れすぎていた為出入れの時に袋モノが本体に触れ、引出
しの奥の方にが落ちていってしまうこともしばしばだった。その奥に落ちてしまったモ
ノを引出しそのものを引っ張り出さずに無理矢理取ろうとしていたら、突然ばきっと音
がして何か部品が飛んだ。横着をした為引出しにワタシの体重がかかってしまった
ようだった。引き出しの奥行きはワタシの腕くらいもあり、それより奥の狭いところへ手
を延ばして底に落ちているものを拾うにはさらに奥へ身を乗り出さなければならず、
今から思うとどう考えても無理なことだった。あぁぁぁ〜〜〜〜〜〜この年末にやって
しまったよぉぉ〜・・・・・・・。

自業自得だった。いつかはこんなことになるんじゃないかと思っていた。せめて引出し
の中身(広い空間なので整理の為プラスチックの容器をいくつか入れてあった)を出し
て高さを何とかしてからしていればこんなことにはならなかったのだ・・・。いや、それ
よりも何よりも、ものを入れ過ぎていたのがいけなかったのだ。そのままではレールを
滑らせて引き出すことが出来ないので、自分の力で持ち上げ気味に引出すしかなか
ったが、そうするにはあまりにも大きくて重かった。仕方がないので、とりあえず泣く
泣く中身を全部出した。こちらも修理依頼の電話をしなければいけないのだけど、テレ
ビ裏側の掃除がまだだったのでそっちを優先した。

それにしても、引き出しの中身を全部出してみて、その量の多さに愕然とした。賞味期
限切れのものもちらほら。これは確か・・・この家に引越してきた時からあった缶詰だよ
なぁ・・・。非常食を備えてなくても何日分もありそうだった。非常食ならいいとして、山
奥に住んでいるのならいいとして、こんなに便利なところに住んでいるっていうのに、
これはちょっと・・・いや、かなりおかしいんじゃないかなと思わずにはいられなかった。
買ったら使わないと。

そんな時に限って余計な仕事は増えるもので、市では水道管の老朽化により急遽取
替工事が行われることになった。ワタシは目の前のことに必死だったこともあり、特に
気にせず呑気にしていたのだけど、ローカルニュースで万が一に備えてペットボトルの
水を買いに走ったり、売切れたりしている様子を見て驚いた。万が一濁り水が出たら
飲料にはしないでとのことだったので、工事の始まる朝に汲み置きをすることにした。
家中のありとあらゆる鍋釜やボウル、保存容器、空きペットボトルに水を汲み、階段に
並べた。

結果的に、この工事による水道水への影響は殆どなく、我が家でも大丈夫だった。
それはもちろんよかったのだけど、その後の汲み置き水の処理には結構手間取った。
そのままジャーっと排水溝へ流してしまえばラクなのだけど、もったいなくてそう簡単に
はいかなかった。工事開始に汲み置きしてから三日程経過していたので、そのまま
飲料に使うには躊躇われた。仕方がないので、めんどくさいな〜と思いながらも洗い
ものとかそういったものの度にちまちまと消費していった。ただ、水をそういう使い方を
したことで、災害時など水道水が使えなくなった時ってこんな感じなんだなぁ・・・って、
ちょっとだけ想像することが出来た。

ワタシが大事に水を使っている間に、テレビの修理は無事終った。
オットが
独り言に書くくらいこだわりの最後のブラウン管テレビが直って本当によかった。
高圧をコントロールする何とかっていう部品が機能しなくなっていたとかで、3年にして
は早すぎるらしく無償修理となりラッキーだった。修理に来た人は職業柄、茶の間に入
るなり、狭い茶の間にはでか過ぎる奥行きのブラウン管テレビと、その下のオーディオ
ラックに納まっているAV機器をチェックしたようで、二人でメーカー名を囁いたり、これは
100枚連奏のCDプレイヤーだの言っていたのが耳に入り笑ってしまった。オットがい
たらさぞかし話に花が咲いたことだろう。

やれやれテレビが直って、現在気温もいつでもチェック出来ると喜んだのも束の間。
次は洗濯機だった。そろそろ洗濯終ったかな・・・と見に行くと、すすぎに入る状態のまま
水位ランプが各水位を行ったりきたりしていた。洗濯物はバスマット一枚なので低水位
で充分なのにおかしい。手動スイッチで水位を決めようとしたけど全くきかず、どうにもこ
うにもならないのだった。そのまま放っておいては大切に使っていた水道水を浪費してし
まう。センサーが壊れてしまったようだった。

こんなことって・・・こんなことってあるのだろうか。テレビ、引出しに続いて今度は洗濯機。
その洗濯機はワタシの嫁入り道具なので、そういえばもう14年選手だった。14年といえ
ばそんなものかなぁ・・・。

仕方がないので電源をオフにするしかなかった。洗濯機の中の水は抜けないままだ。
不幸中の幸いだったのは、途中になった洗濯物がバスマット一枚だったからよかったもの
の、これが普段の洗濯物だったら・・・と思うとぞっとする。それでもワタシのテンションは
下がりまくりだった。バスマットをたらいに移してすすぎ、絞れるだけ絞ると、殆どズクズク
のまま外のベンチに干した。

その頃ワタシは市の健康診断を受けていた。
こんなに歳も押迫ってから・・・。
でも、もうここ何年も血液検査をしていなかった。
パートに行っていた頃は名目だけの健康診断で、身長体重に視力だの聴力だのレントゲ
ンだの・・・といった就学前の子供の身体検査かよっ!ってな具合だったので、いつも今年
こそは!って思うのだけど、ギリギリにならないと出来ない性分なので、気が付いたらもう
期限が過ぎていた。2月28日までって思い込んでいたのだけど、よくよく見たら12月28日
だったのだった。今年こそは!と三年目の正直でいつものかかりつけの漢方の医者に予約
を入れ、ようやく検査にこぎつけたのが12月10日だった。

検査の次の日の夜、その先生から電話があった。
検査の結果、貧血がひどいので鉄剤を補給してもらいたいから、次回の二週間後を待たず、
なるべく早く来て欲しいとの連絡だった。鉄剤ももちろんだけど、出来れば即効性のある点
滴も併用した方がいいとのことだった。患者の身体を心配してのありがたい電話だった。
そうかぁ〜・・・やっぱり貧血だったんだ。どうりでしんどいと思っていた。ワタシも一刻でも早く
鉄分を補給してもらって少しでも早くラクになりたかった。でも・・・そのためにはまたまた出入
り2時間も要る・・・。しかもこの師走ともなるとそれ以上に時間がかかるのは目に見えていた。
かと言って、他の誰でもない自分の身体のことだし、どうしようもないので、忙しい時間の合
間を縫いまくって出かけた。

まずは結果の説明を受けると、ヘモグロビンの数値が7.4というのは三千メートル級の山で
生活しているようなものと言われ、妙に納得した。しんどいのもあったけど、この頃特にふわ
ふわしていた。お茶の稽古では立ったり座ったりすることが実に多いのだけど、その度にくら
くらしていた。お点前中もものすごい睡魔に襲われ、目をしばしばさせながらやっとの想いで
お茶を点てていた。毎朝6時20分過ぎにオットを送り出したあとはぐったりしていた。どれも
これも、オットが単身赴任を止めて自宅通勤にしてから寝不足なのだろうと思っていた。
貧血だったんだ〜・・・。それにしても、普段から三千メートル級の山にいるワタシが(まるで
高地トレーニングではないか)さらにプラスして三千メートル級の山に登っていたなんて・・・。
コチラもどうりでしんどかったはずだなぁ・・・。

とにもかくにも原因が分ってスッキリした。
普通の貧血ならば、鉄剤さえ補給すれば症状は改善されるはずだ。鉄剤を飲み、おまけに点
滴までしてもらえるのなら、ぐんぐん元気になれるだろう♪そう思っていたら、先生と薬剤師さ
んがやたら心配したのは、ワタシが鉄剤を飲めるかどうかということだった。随分前に飲んでた
時もそんなに問題はなかったはずと言うと、とにかく食直後に飲んで欲しいと念を押された。
何なら食事の途中に飲んでも構わないと。あんまり言われるので、だんだん飲むのが怖くなっ
てきた。この鉄剤を飲むと一体どうなるのだろう・・・。でも、全然大丈夫だった。便秘になります
よって言われたけどそれも大丈夫だった。真っ黒なウンが出ますよって言われたけど、期待した
程でもなかった。ワタシの身体はいろんな予告?を裏切りながら、どんどん鉄を吸収していった。
一週間もすると、ぐんと身体がラクになったように感じられた。

一方では、壊れてしまった洗濯機の買換えのついでに冷蔵庫まで買換えることになってしまっ
たから大変だった。この冷蔵庫は、結婚する少し前にオットの実家で買換えたものだったから
もう15年以上経つものだ。5年位前の真夏に冷凍庫が冷えなくなり、コンプレッサーとかって
いう部品を5万円も掛けて交換してもらったのだった。電気製品は年々新しく、省エネ型が進化
していくものだ。どうしてあの時買換えなかったのかとオットはずっと悔やみ続けていたのだった。
ここ1年くらいは音が大きくなり、近所で何か工事が始まったのかと思うくらいで、いつ壊れるか
とヒヤヒヤしていたので、これ幸いとオットが買換えを決めた。

それはいいのだけど、冷蔵庫の中身も食品庫の中身同様ぎっしりだった。
真冬だから、一時的にクーラーボックスや廊下に避難させてもいいくらいだったけど、それにした
って少ないに越したことはないので、新しい冷蔵庫が届くまでは頭をひねりながら、在庫処分
料理が続いた。賞味期限切れのビンモノは、牛乳パックに新聞紙を入れて処分した。これまで
何度も引越しをしてきたけど、それと同じ状態でもう毎日がしんどかった。敢えてウォーキングを
しなくても、万歩計の歩数は毎日一万三千〜五千歩に達していた。

そんな日々が続く中で、ワタシは今度こそ、今度こそ、買い過ぎない暮らしをしようと心に固く誓
った。この暮れに起こった一連の出来事は、神様からの(ぱきらからの?)熱〜いお灸だったよ
うに思う。。ワタシの根底にあるおかしな癖がよ〜〜〜〜く分った。非常食?いやいや・・・買った
らさっさと使う!循環をよくしなければ。毎日毎日そんなことを思いながら目の前のことに必死だ
った。ツタヤデビューを果たしてレンタルしてきたブルーハーツとmihimaruGTのベストでガンガ
ンに自分を奮い立たせて。

クリスマスイブの日におニューの冷蔵庫と洗濯機が届いた。大きなドでかいクリスマスプレゼント
だ。引越しするのかと思われ、慌てて義母のところへ駆け込んで来た近所の人もいた。運送会
社の人達は大きな冷蔵庫を五人がかりで、それはそれは難儀して2階へあげてくれた。引越し
の時もそうだったから予想は出来たのだけど、我が家の狭い回り階段が最大の難関だった。は
じめは二人で来たのだけど、とてもじゃないけど無理と判断して応援を頼み、その日最後の配達
となった。何度も何度も上げたり戻したりして、狭い周り階段を廻しながら上へ上げる技はやはり
プロだった。プロジェクトXみたいで感動した。ただでさえ配達の多い日らしくあまりにも気の毒な
ので、はじめに来て一旦帰った時も、あとで出直して来た時にも缶ジュースを渡した。気は心だ。
ワタシの嫁入り道具の一つだった洗濯機。父と母に買ってもらったものだった。慌しさに紛れてし
まったけど、トラックの荷台に乗せられてから見送った。

無事、冷蔵庫も据付けられたのは6時だったか7時だったか・・・。
とりあえずは、と晩ご飯を食べようとしたら、今度は炊飯器が壊れた。
最後の最後にがんばって、美味しいおこげのごはんを何とか炊き上げてくれて助かった。
もう笑うしかなかった。出費が重なりまくっているのと、もうお店に行く気力もないので、炊飯器は
ぱきらが通販で程々の値段だけど評判の良いものを探してくれた。

さて、話は少し戻るけど、壊れた引き出しはまだそのままだった。
冷蔵庫の整理を優先して、ハウスメーカーに修理依頼の連絡をしそびれていたのだけど、さすが
にこのまま年を越すのはマズイだろうと、ようやく連絡を取ると、今からでは年内はどうともいえな
い、とのことだった。が、が〜〜〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・・・・!身から出たサビとはいえ、そ、そ
そんなぁ〜〜〜〜〜〜。。。。。

あれから、引き出しが壊れてから、その膨大な量の”中身”はストック容器に入れて、隣の部屋に
置いていた。”それ”が必要になる度にいちいち隣の部屋へ行くのはかなりめんどくさいことだった。
それが・・・年末年始の忙しい時もそんなことをし続けないといけないなんて・・・。ワタシはこれほど
自分を恨めしく思ったことはなかった。あれもこれもあれもこれも・・・みーんなワタシの悪い癖の為
に起こったことだった。おまけに、オットがネットで注文した炊飯器も在庫が無いため年明けになる
とのことだった。ダブルパンチ・・・・。義母が使っている炊飯器があることがせめてもの救いだった。

そうかと思えば、ウッドデッキの下でのらの子猫が死んでいたり・・・オカヤドが脱皮の失敗で1匹
☆になってしまったり・・・ともうしっちゃかめっちゃかだった。オカヤドは2サザエと1チビになってい
た。(始めは、1サザエと2チビだった)死んでしまったのはサザエに入っていたコなので、ワタシ達
が沖縄から拾ってきた最後の生き残りのモンジロウなのか、友達からもらい受けたチビコロなのか
分らないままだ。どっちにしても胸の痛むことだった。

そんな中、うれしいこともあった。
やけに大きな箱が届いたと思ったら、パンに付いてたシールを集めて送った懸賞が珍しく当たった
らしかった。リサとガスパールのおっ!きいお皿と5つのミニボウルプレゼントだった。「もれなく」
ではなく、懸賞が当たったのは本当に久しぶりのことで嬉しかったけど、こんな時だったからなお更
うれしかった。

色んなことを受け入れて、出来ることを精一杯やっていくうちに、今度はなぜかミラクルが起こり始め
た。ハッキリと年内は無理と言われていた、引き出し修理用の部品が間に合って届いた。やった!
これで年末年始の忙しい時に不自由な思いをしなくて済む。それから、在庫がないと言われていた
炊飯器もなぜか年内ギリギリに間に合った。何とも嬉しいことだった。

そんなこんなで2007年の年も暮れていった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

無事、2008年の年が明け、犬1匹、オカヤド2匹、コクワガタ1匹と共に新しい年を迎えた。

義弟一家が来ていつも通りの賑やかなお正月だった。
元旦の朝から、皆がテレビに釘付けになっていた。
ワタシは忙しく立ち働いていたので、ようやく席につき、さぁ食べようかな・・・と思ってテレビを見ると
アニメが入っていた。なに?アニメ?正月早々大人も子供も、皆がじぃーーーーーーっと真剣に見つ
めていたのはアニメだったの?!そう思っていたのだけど、次の日、ちょっと家事がラクになってから
ワタシもそのアニメにハマッてしまった。『メジャー』だった。もうおもしろ過ぎる。これまでの放送分を
一挙放映しているようで、朝8時半から12時頃まで延々とやっていた。オープニング曲とエンディン
グ曲もそのままなので、歌も覚えてしまうこらいだった。正月2日と3日はオットと二人どっぷりと『メ
ジャー』漬けだった。今年からは第四シリーズが始まるらしいから、必ず見るぞ〜〜!それにしても
正月に放送されたのは第二シリーズまでだった。年明けから始まるのは第四シリーズ・・・ってことは
あれれ?第三シリーズは?第三シリーズはどうなったの?高校生になった吾郎くんと寿也くんはどう
なったの?めっちゃ気になるんですけど〜〜〜!

ぱきらの短いお正月休みが終ると、またいつもの生活が始まった。
そして、毎年のことながら年末からの疲れがどっと出て、寒さに負けて風邪を引いた。いつも必ずこの
時季だ。年間体内時計にインプットされているかのようだ。そしていつものことながら、お正月休みが
終わると次の土日はほっとする間もなく初釜が待っている。お茶の先生は去年腰の手術をして、暮れ
もちょっと他のところで具合がよくなかったので、初釜はないものと誰もが思っていたのだけど、先生は
当たり前のように「初釜はいついつだから」と仰った。ただ、いつもと違うのは、料理はするけどしょっ
ちゅう立ったり座ったりは出来ないから若手が運んで欲しい。お点前も初釜の時だけは先生が全てさ
れてたのだけど、今年はやはり若手で手分けしてすること。

ということで、一応まだ若手の部類に入れてもらっているワタシは炭点前の役割を仰せつかっていた。
炭点前というのはその名の通り、きれいに炭をついでいくお点前だ。いつも遅めにお稽古に行ってた
ワタシは、その日の一番にお稽古をする炭点前をする機会が少なくて、なかなか覚えられないままで
いた。でも、初釜といえども発表会ではない。これもお稽古の延長なのだから、これを機に炭点前を練
習して身体で覚えてしまいたかったので、12月は炭点前を優先して練習させてもらっていた。

そんなこともあって、一応若手の中ではワタシが一番の古参なので責任もあり、初釜を休むワケには
行かなかった。早めに医者へは行ったものの、今回は高熱を出す元気がなかったのと、どうも薬のタ
イミングが合わなくて、こじれにこじれてしまった。微熱はすぐに下がったけれど、珍しく鼻水が酷かった。
かんでもかんでも鼻水が後から後から出て来た。一日のうちの起きてる時間の3分の1は鼻をかんでた
ような気がする。こんな状態でちゃんと着物を着て炭点前が出来るとは思えなかった。まず、着物を着る
ということが億劫でしょうがなかった。ただ客として行くだけなら、先生にお許しをいただいて洋服で行く
ことも出来るのだけど、お点前をするとなるとそういうワケにはいかず悶々としていた。鼻水をピタッと止
めるには副作用のかなりキツイ西洋の薬を飲むしかないのだけど、さらに拗れるのもイヤだったので運を
天に任せるしかなかった。

結果的には何とか着物を着てお点前も出来た。
ただ、どうしても襦袢の半襟を付けるという作業をする気力が出なくてどうしたものかと思っていたら、引き
出しの中に、二部式の洗える襦袢を見つけて嬉々としてそれを着ていったら、どうも着物との袖丈が合わ
なかったようで、袂から襦袢の袂がガばっと出てきてしょうがなかった。やっぱりインチキはダメだったか・
・・と思っていたのだけど、実は自分の手をおかしな場所から出していたからそんな風になってしまったこ
とにあとになって気付いた。それから、先生に「それは夏用だねか」と突っ込まれた。えっ・・・夏用?そう
かぁ〜こんなものにも夏用と冬用があったのか。。。着物はめんどくさいなぁ・・・もっとしっかり勉強しなお
さないとダメだなぁ。。。

袂にティッシュと、鼻をかんだ後のティッシュを入れる為のナイロン袋やら諸々用意していたのだけど「鼻
水よ〜出るな〜」と言い聞かせながら、お点前は何とか終れた。
結婚式のスピーチを頼まれている時みたいに、それさえ終れば気楽なものだった。
料理の後のお点前を任されているコ達は落ち着いて料理を満喫出来る心境ではないようで気の毒だっ
た。

鼻水がすっきり治るまでには2週間ほどかかり、さらにその後は咳も待っていた。
これだけこじれたので薬を飲んでいるだけでは治りそうにない咳だったので、いつものようにワタシの民
間療法のバイブルの中からいろいろ試してみた結果、れんこんを粉末にしたその名も「コーレン」が劇的
に効いた。恐るべし、民間療法。

初釜が終ってからは、鼻をかみかみ着なくなった洋服の整理というか処分も大々的にしていた。
どの引き出しもいっぱいで引き出すのが困難になくらいなのに着たい服がない、というのがどれくらいお
かしなことかということに気が付いた。流行遅れで着る事はない洋服。だけど、傷んでも汚れてもいない
洋服を捨てるのがどうしても忍びなかった。最近では衣類もリサイクルされるようになったので、明らかに
汚れているものはそこへ出したりしていたけど、流行遅れの健全な衣類の行き場がなかった。もういやだ!
こんな引き出しはいやだ〜と思っていたところへちょうど頃合良く、友達の親戚の方がネパールへ古着を
送る活動をされているということを知り、これ幸いと整理を始めるきっかけが出来た。そもそも親子代々モ
ノを捨てられないタチだからこんなことになっていたのだが、誰かに着てもらえるというのならこんなにあり
がたいことはなかった。海外なら流行遅れとかそんなのも大丈夫だと思うし、未だに瀬整理の出来てない
両親の洋服も整理出来るような気がした。ついでに、前から気になっていたリサイクルショップへも持ち込
んでみた。ウワサで聞いてはいたけど45Lの袋一杯くらいの衣類がたったの500円という買取金額にが
くっときたけど、大きな荷物が減って気分は爽快だった。思いがけず20年以上も前の洋服を買い取っても
くれた。海外分と合わせて結果的に45L3〜4袋分の衣類を処分出来たけど、まだまだ整理は続いてい
る。。。

1月の末には、オットの研修に付いて関西へ行った。
寒い季節で動きたくはないのだけど、冬の京都と聞くと何とはなしに心惹かれてしまうのだった。
その前日はオットの研修中にワタシ一人になる時間があり、ちょっと迷ったのだけど勇気を出してネットで
長くお世話になっている友達に連絡をとってみた。メールをしたのが前日だったというのに、即答で色好
い返事が返ってきた。出発当日は朝早く5時半に起きないといけないのに、前日はオットの帰りが超遅く、
布団に入ったのは午前1時。おまけに朝の4時半頃には震度3の地震で起され、寝不足中の寝不足で頭
がぐぢゃぐぢゃだったのに電車の中では初めてのオフ会のことで興奮して殆ど眠れなかった。午後からの
ほんのひと時だったけどそれは楽しい時間だった。ありがとう。

京都ではあちこちで冬の特別公開をやっているらしかったので、それを目当てに出掛けた。
この頃冬には毎年のように京都に行ってるので記憶がごちゃごちゃになってしまってよく思い出せないの
だけど、知恩院、智積院、東寺へは間違いなく行ったと思う。知恩院では経蔵と山門だった。三門の特別
公開っていうけど三門なんていつもあんな姿だし、一体何を特別に見せるって言うんだろう・・・人もたくさん
行列ついてるし止めようか・・・ってことになりかけたけど、せっかくだからと思いとどまってよかった!お恥
ずかしい話が、三門の上があんなことになっているとは全く想像もしていなかったのでただただ驚き感激し
た。経蔵の中も素晴らしかった。寒い日で時々降りしきる雪が堪らなくよかった。

JRの特別公開のチラシを捨てなければよかった・・・と今ものすごく後悔しているのだけど、智積院では長
谷川等伯の描いた障壁画や、確か奥の部屋では様々な襖絵(っていうのかどうか)を見せてもらえた。これ
また面白かった。あまりの寒さにお昼ごはんを食べに入ったお店では熱燗と湯豆腐を頼んだ。東寺では、
金堂内の薬師寺三尊と十二神将がど迫力で、ワタシは「はぁ〜・・・」とか「へぇ〜・・・」とかを連発しっぱな
しだった。今回の旅は一日だったこともあり近場でコンパクトだったけど(いつものようにぱきら任せ)とても
よかった。京都に来たな〜って気がした。ただ、去年行った居酒屋さんが美味しかったのでまたそこへ行こう
と思っていたのが一杯で入れなかったのは残念だった。これからは要予約だ。帰りに駅の2階で買った焼
き栗は旨かった。

楽しい旅から帰るとトホホなニュースが待っていた。
去年自費出版をした出版社が倒産しかかっているという話は今月に入ってから知らされていた。譲渡先を
探して交渉中とのことだったのが、京都から帰り、呑気に数日してからHPを見てみると、話し合いがつかず
一月末で倉庫業者との契約も切れるから、自著分を買取りたい場合は申し込み期限までに知らせて欲しい
なんてことになっていた。その期限はもう目の前で、発信元は保全管理人の弁護氏の名前だった。たとえ
あんなに薄い本でも、編集担当の人と一生懸命なんやかんやと言って作りあげた本が廃棄されてしまうの
だけは避けたかった。電話が繋がるとは思えなかったので、FAXをしメールも送ってみた。先方の状況を想
像すると、申込みたい意思がちゃんと届くのかどうかが何よりも心配だったが、意外と早く先方から連絡が
あり、在庫全てを買取りたいと伝えると、これまた意外と少なくなっていてほっとした。いろんな事情がある
らしく先払いとなったので本が届くまでも心配だったけど、これも思っていたよりずっと早くに届いた。しかも、
薄い文庫にしていたことがこんな時に幸いした。その箱は200冊弱も入っているとは思えない程のコンパク
トサイズで大きなスペースを占領されずに済みそうだ。分厚い単庫本を出した人は大変なことだろう。金額
的にもさほどでもない。とは言っても、自費出版したモノを結局は自分で買取らざるを得なくなったのは事実だ。
在庫分もスペース要らずとは言え、あのままにしておくわけにはいかないので、何らかの方法でネットを利用
して手売りしたいと思っているので、またその時はよろしくお願いします。差し当たっては、興味を持ってくださ
った方がいらっしゃいましたらメールにてお問い合わせください。

こんな感じで一月の末から二月にかけては、新風舎がらみで何をしてても気もそぞろだった。

【この間に読んだ本】
○「ガラクタ捨てれば自分が見える」ーこの本はかなり効いた。ものすごく説得力があった。完結していない
槍ヶ岳トレッキング奇行やこの日記みたいに、やりかけて途中になっているものはものすごくエネルギーを奪っ
てしまうものなのだそうだ。考えてみたら、この家に越してきてからやがて10年近くになるっているのに、それ
以来殆ど手を入れてない引き出しや物入れの多いこと。ワタシはこれまでどれだけのガラクタを溜め込んでい
たのかと思うとぞっとした。それからは、そこたらじゅうが気になって仕方が無くて手を付け始めたら日記を書く
という習慣がこっぽりとどこかへ行ってしまった。整理はすぐには完結出来ないけど、気持ちをすっきりさせるた
めにも毎日コツコツがんばろうと思う。ー

○「陰日なたに咲く」ー図書館で予約していたのが半年以上待ってようやく順番がまわってきた。これは意外と
面白かったなぁ。。。ほんとに。読み返す時間がなかったので、もう一度じっくり読みたいなと思ーう。

【この間に観た映画】
「涙そうそう」ーオットの好きな長澤まさみちゃんと、ワタシもちょっと前まで好きだった妻夫木聡が出ていたの
と、大好きな沖縄が舞台だったから、テレビで入った時にとりあえあず録画してあったものだ。キャスティングが
軽すぎるからそんなに期待はしていなかったのだけど、その分号泣してしまった。なんと言うか・・・お兄ちゃん
の妹を想う気持ちがとにかく泣けて仕方がなかった。オススメです。ー

はぁ〜・・・やっと完結した年末〜2月編。。。
周回遅れを取り戻さなくては〜!