まるぼ-のつぶやき日記
2007年 3月
2007/09/25 更新
9月25日(火)雨のち晴れ どうも”まとめ書き”のくせが抜けなくてダメだ。もっとマメに更新しなくては。 今回もここ2週間程のまとめ書きになってしまうのだけど、富山で映画のロケがあった。 『剱岳・点の記』という新田二郎原作の映画化の話は知っていたし、富山でもロケが行われることも 知ってはいた。だけど、知り合いの人からエキストラ出演するとのメールをいただき、そんな話があっ たことも知らなかったワタシはただただびっくりこいた。やられたぁ〜〜〜!というのが正直な想いだ った(笑)。撮影予定日には、たまたまその日仕事が休みだったパートの先輩が見に行かれるという 話だったのだけど、ちょっと遠いし朝から身体がしんどく気力の出ない日だったので、ワタシはまた次 の機会に・・・と思っていた。 だけど!メールで送られてきたロケ便りがとってもリアルで、もう矢も立てもたまらなくなり、その日の ロケ地になってる立山町の岩峅寺駅にワタシも駆けつけてみた。車は農協の駐車場に停めるといいよ と先輩に教えてもらっていたけど、すでに駐車場は満車だった。困ったなぁ・・・どうしようかなぁと思って いたら、前にで〜んと停めてあった大きなトラックの周囲にいた人が「農協に御用ですか?」と近づいて 来たので、叱られるのではないかとビクビクしながら、でも正直に「い、いいえ・・・」とやっとの思いで返 事をした。「(それでも)ここに停めてもいいですかねぇ・・・」と恐る恐る訊くと、その若い人は「大丈夫じ ゃないですかねぇ〜」とやけに他人事で平気だった。その辺にウロウロしていた人たちは皆黒いTシャ ツを着ていて、よくよく見ると、『剱岳・点の記』と書かれてあった。なんだぁスタッフの人たちだったんだ 〜大ボケだった。 一旦涼しくなってから久しぶりに暑さが戻ってきた日だったけど、エキストラの皆さんは明治の出立ちで さらに暑そうだった。どんな格好なのかはロケ便りをいただいていたのですぐに分かった。撮影待ちらし く、駅のホームの向かい側から手を振ると、大きく手を振り替えし、大声で「あちらの方に香川照之さん がいらっしゃるんですよ〜!」とこれまた大声で教えてくださった。 そうだった。どんな人が出演する映画なのかはすっかり忘れていた。香川照之さんは大好きな役者さ んだ。見ると、それらしい人はすぐに分かった。他には誰か来ているのかなぁ・・・。そう思っていたら、 すぐ近くにいた人が「浅野忠信さんも隣にいるよ」と教えて下さった。香川さんとすんごく喋っている男は 誰だろうと思っていたけど、それが浅野忠信さんだった。へぇ〜・・・カメラのレンズをズームにしてみると いつもの?お髭のないつるんとした浅野さんが見えた。かっこよかった〜。もっと近くで見たかったなぁ。 その後も、撮影は遅々として進まず、かと思えば、同じシーンを繰り返し撮るばかりで、あっという間に 時間が過ぎた。日も傾きかけてきて、近くで見れそうな駅から出てくるシーンまでは待っていられなか った。何より、朝からそんな調子の撮影を見ていた先輩が酷く疲れているようだったから(笑)。でも、 なかなか面白い経験だった。室堂という標高の高いところでのロケにもその人が出られるらしく、もしか したら仲村トオルさんも・・・なんてウワサもあったのだけど、室堂へ行くにはケーブルと高原バス(マイ カー乗り入れ禁止のため)を乗り継いで行くため、ものすごくお金がかかる。なんとすぐ前の日曜日に 家族三人で行ってきたばかりだったのだった。もうちょっと日がずれていたらなぁ・・・。 そうそう、その日の山は晴天から一気に冷たいガスが出てきて、そのおかげでワタシは治りかけていた 咳がひどくなってしまったのだけど、ガスのおかげで雷鳥を三度も見ることが出来た。こんなことは初め てだった。雷鳥の鳴き声といえば、カエルみたいにグエッグエッって言うものだと思っていたのだけど、 何かおかしな声がするなぁ・・・まさか、どこかで女の人でも倒れていて、泣きながら助けを求めている のかも・・・と思い、目を凝らしてみたら、なんと雷鳥がいたのだった。 その後は、急に思い立ってジャム作りに精を出したりしていた。 いちじくジャムと桃ジャムだ。なんで急にジャムなのか分らないのだけど、あぁ・・・そうだった。何だか 買ったジャムが美味しく感じられなくなったからだ。 それから、オットのおばあちゃんの法事も済んだ。 台風の影響でフェーン現象になり、猛暑日が続いた三連休の最後だった。 本当にいつまでも暑い9月だったので、水遣りも手が抜けなかった。それでも、季節は着実に進んでい てもう日の暮れるのがやたらと早い。薄暗くなりかけた中で慌てて水遣りをしていると、おかしな気分だ。 いつもなら、こんな季節ならそんなに一生懸命水をまかなくてもいいはずなのに・・・。おかげで、今でも ミニトマトは赤くなるのでぽつりぽつりと忘れた頃に収穫できる。夏の始めに買ったユニクロの麻混のワ イドパンツが今でも大活躍だ。こんな9月の終り頃なら、寒がりのワタシはとっくにジーンズに戻っている はずなのに・・・。 とにかく、もうすぐ10月だってことは忘れずにいようと思う今日この頃だ。 |
7月から8月、9月にかけて まぁ〜なんとなんと!2ヶ月も日記を更新していなかったなんて・・・。 愛読してくださっている方がいらっしゃったら、申し訳なかったです。 7月に入ってから、オットが急に「単身赴任止める」と言い出した。 あまりにも突然だったので「へ?」と思ったけど、そもそも県内だし初めは単身赴任になるなんて 思ってもみなかった。通って通えないところではなかったので”慣れ”っていうのはコワイもんだなぁ って思った。オットにしても、いろんなことを考え合わせての決断らしかった。今後、もっと遠くへ転 勤にならないとも言えないのだから、通えるところならば通ってもらう方がありがたい。 それで、毎日5時起きの生活が始まった。 ちょうどその頃に遅い梅雨が明け、オットが寮から持ち帰った大モノの洗濯物や、冬物の洗い物に 翻弄された。 それからは、これまでラクしてた分、やたらバタバタと毎日が慌しく過ぎていった。 オットが帰るまでにお風呂を済ませなければいかなかったりして、朝と夕方からが大忙しだった。 その間に、オットと一泊で山へ行きテント泊デビューを果たし、お盆では相変わらず海へ入り、暑い 中も(8時半で30度を超えていた日でも)ウォーキングをがんばったりしていたので、顔が黒い。 今頃になって、足のくるぶしの辺りの皮がまだぼろぼろと剥けている。 お盆の後にはいつもより長く、姪っ子たちのみを預かったりもした。 あ、そうそうそれから、お茶の先生が4月の終わりに急性のヘルニアで入院され、しばらくお稽古が なくてのんびりしていたのが、手術をして、思ったよりも早い回復で復活された先生が7月からもう お稽古を再開された。もしかしたら、もうこの先生の下でのお稽古は無理なのかも・・・と思ったりもし ていたので、それは喜ばしいことなのだけど、まだ完全復活というわけではないので、お稽古の前後 に準備と後片付けを皆で手分けしてすることになり、それにも時間がかなりとられるようになったのだ った。 そうして、気が付いたらもう9月になっていた。 オットが通いになったおかげで、毎日の生活に張りが戻った。ハリがありすぎて、夜10時半を過ぎる とどうにもならない睡魔が襲ってきて、毎日倒れこむように布団に入ってぐっすり眠れる。暑かった夜 も窓を開け放って安心して寝ていられた。料理も楽しく気合を入れて作れるようになった。 そして何より、オットの体脂肪がみるみる減った、らしい。 寮生活では全く歩くことがなかった生活だったのが、今、片道たったの15分弱の徒歩と、食生活が 変わったことで、体脂肪が2%減りお腹のたるみが眼に見えて減ったのが分った。ワタシの方も、真 夏の暑い時に、ペットボトル片手に熱中飴を舐めながら歩いたことがようやく実を結んだようで、元の 一年前のワタシに戻りつつある。身体は本当に正直だ。メンテナンスは日々怠ってはいけないのだ なぁ・・・。特に40歳を過ぎるとこのことを実感する。 8月の終わりに一旦涼しくなったときに風邪を引き、治りかけた頃にまた山へ行き、冷たい空気を思 いっきり吸い込んだおかげで咳が酷くなり、漢方のお医者さんへ通っている。でも、先生には「まるぼ ーさんは前と違うね。前は青白くて弱々しかったけど、今は・・・」「黒いですか(笑)」とワタシが聞くと 「いや、逞しくなったっていうか、普通(人並み)になったよ。すぐに治りますよ。」と言われた。 ワタシは夏が一年で一番元気な時だからなぁ・・・(笑)。それに、今の先生に初めてお会いした頃は、 お腹に来た風邪がなかなか治らなくて食べれなくて、お腹に力が入らなくて最悪の時だったから、そ の印象が強いのだろうとは思うけど。まぁ、今は顔が黒いことは確かだ(笑)。ウォーキングの成果も 間違いなく出ているのだろう。 おかげさんで、新風舎さんの方の日記の契約も終わり(そろそろアチラも消滅する頃だと思われます)、 こちらも元の生活が戻ってきました。ありがとうございました。また、ぶつぶつ日々をつぶやき、更新途 中の槍ヶ岳などもがんばって更新していきたいと思っていますので、またこれからも変わらずよろしくお 願いいたしますm(__)m |