まるぼ-のつぶやき日記
2006年 3月
3月31日(金)雪のち晴れ どうしたものか・・・ワタシの胃袋の機嫌はなかなか治ってくれない。 そろそろいいいかな・・・って、少しずつ、お粥から普通のご飯に戻し、豆腐や白身の魚の 煮付けなどを食べ始めてみたけど、ちょっとでも、食べ過ぎてしまうと、容量オーバーの分 だけ、ちょろっと返却されてくる。 腹8分目、がいかに大事なことかが分かる。 自分がこれまで、いかに、胃腸を酷使してきたかが分かる。 ちっとも労わってくれずに、絶えず食べ物を送り込んでくる主に対してストを起こしているの だろうか・・・。それにしては長すぎる。 こんな状態なので、いつものかかりつけのお医者さんでは2週間分の薬はもらえず、1週 間ごとの診察になるから、またそれも疲れる。。。先生曰く、ウィルスがお腹に入った後で 荒れてるのかな・・・って。で、「早く元気になりたいからって、無理に食べても、元気にはな れないですよ。」って。「かえって、胃腸に負担をかけていては治りを遅らせるから、ここは焦 らず、急がば回れ、で、身体もゆっくり休めるように。無理をしないように。」って、遺言のよう に先生は仰った。 そう、あろうことか、こんな時に先生が変わるのだ。 開業医なのにありえない。 理由は研究に戻りたい、とのことだった。機会を与えられ母校に戻られる、とのことだった。 そりゃあ先生の人生だけど・・・、そ、そ、そ、そんなぁ〜。。。 ワタシには、オットや友達の他に、死んでもらっては困る人が、今のところ二人いる。 そのうちのひとりが先生だった。この先生は、やせて顔色もよくなく、医院も忙しいので、い つも先生の体のことが心配だった。まだ50代のはずだけど、いつか、先生が死んでしまった らどうしよう・・・って思っていたけど、まさか、こんなに早く、お別れしないといけなくなる日が くるなんで思ってもみなかった。まさに、青天の霹靂だった。本当にショックだった。 それは、去年の暮れから知らされてはいたことだけど、一緒に通っているオット母もショックを 受けていた。その医院は、カルテと共に新しい先生に引き継がれることになっていた。この 3ヶ月の間に、必ず新しい先生に一度は診察してもらうよう、工夫がされていた。 新しい先生にも会ったけど・・・若い。ワタシよりもかろうじて、ほんの少しだけ年上なことが 救われた。自分も年々年を重ねていくし、仕方がないことなのだけど。オット母にしてみれば、 自分の息子と変わらないような先生に身を預けるのは、心もとないようだった。 その新しい先生は、いきなり「胃の検査しときますか」って事も無げに言われた。 「え、え゛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。。。」っと思わず言ってしまった。激痛が走っているわけで もないのに?「体重も減って来てるし・・・」って、胃袋も腸袋もカラッカラの空っぽになった上 に、こんな食生活1ヶ月近くも続いてたら、そら誰だって体重減るやろ。 先が思いやられるな〜。新米先生じゃあるまいし、それなりに肩書きも付いているけど・・・。 ほんとに大丈夫かな・・・。この新しい先生は、今までの先生と違って、健康そうだ。 虚弱なワタシの気持ちを分かってもらえるだろうか。。。 今後が不安だけど、しばらくはお互い慣れるまで時間がかかるのは仕方のないことだ。特に 和漢診療だから。今の状態を脱したら、これを機に、薬に頼らないようになるのもひとつの道か もしれない。虚弱なだけで病気ではないのだから。 そして、今月はもうひとつお別れがあった。 西武デパートが閉店することになった。市内ではたった2つしかないデパートのうちのひとつが 無くなってしまうのは、とってもさみしい。 ましてや、西武デパートは、ワタシと同じ頃富山にやってきたので、思い入れもあったのだった。 大阪から引っ越してきたばかりの頃、デパート好きの母と祖母に連れられて、よく、開店した ばかりの賑やかな西武デパートに行ったものだった。その頃、サンリオショップで祖母に買って もらったキティちゃんのマグカップは今でも大事に使っている。 さみしいな。。。 もうひとつの老舗のデパートはどっちかって言うと、催し物とかを頻繁にやってて、おばさま方の ハートを鷲づかみ!ってカンジなのだけど、西武の方は若い人をターゲットにしていてスマート なカンジだった。ただ、もうひとつのデパートに比べると、客を集めるのが下手だなぁ・・・っていう のはいつも思っていたことだった。やり方が下手だったのだ。 とにかく、世の中はどんどん動いて変わっているんだな・・・ってことを痛いほど思い知らされた 今日この頃だ。 そうして、三度目のお粥生活に戻っている。たんぱく質もまだ控えた方がいいなんて、もう何を 食べたらいいのか分からない、って先生に訴えたら、じゃがいもとかのデンプン質のものをグツ グツ煮つぶしてスープにして食べたりしてもいいよ、ってヒントを得たので、早速じゃがいもとに んじんとたまねぎをコンソメでグツグツ煮て、どろどろにして食べている。これは、胃を手術した ばかりの父に、母がよく作っていたものだ。「これ食べるとすっごく元気になるんだって〜」って 言ってたのを思い出して、「これ食べるとすっごく元気になるんだ〜」って思って食べている。コ ンソメと野菜だけでやさしい味だ。 れんこんやさつまいもでもやってみようと思っている。こうなったら楽しまなくちゃ。 そして、主なおやつはまた、お子様せんべいとえびぽんせんべい。 一体いつになったら、普通のごはんが食べれるのだろう。。。 あとは、気功とツボ刺激でもして、がんばってみよ〜っと。 フランス人並みの、食べることへの執着心の強いワタシにとっては、ツライ日々が続いている。。。 |
3月20日(月)くもり時々雪 その後、食欲だけはみるみる快復していった。 先週一週間、お粥しか食べてないので、早く元気になりたかったのと、もちろん食べ たくて、少しずつ、消化のよさそうなものを作って、先週始めから食べ始めたのだけど、 返却されてくるものも多かった。 ほうれんそうの卵とじさえも・・・。 これは、ワタシが小さい頃、具合が悪いときに必ず母が作ってくれたものだった。 もちろん、美味しく食べた。あとこれに、しらうおが入っていたら最高だったのだけど。 でも・・・、お腹の中には収まってくれなかった。 動物性たんぱく質がまだダメなのかな・・・。オットの朝食の時に、ついでに焼いた鮭も、 ほんのちょっぴりほじって食べてみただけだったのにダメだった・・・。 だんだん、食べるのが怖くなってきた。 うどんも、用心深くよ〜く噛んで食べた時は大丈夫だったけど、慌てて食べて、最後、 ちょっと多いかな・・・と思いながらも、残さず食べきってしまったら、やっぱりダメだった。 動物性たんぱく質だけじゃなく、量も問題なのかな・・・。 食べたくて食べたくてしょうがなくても、早く元気になりたくても、胃がまだそれを拒否し ているのなら、無理にそうしてもしょうがない。そうすることによって、余計、胃の機能の 快復も遅らせてしまっているのかもしれない。 今度ばかりは、自分の食い意地が恨めしい。 ひもじくてひもじくて、情けなくなってくる。 食いしん坊はつらいよ。 週末帰ってきたオットの為に、大好きな鮭の西京漬けを焼き、いい〜匂いを嗅ぎながら 食べれない、拷問のような日々は一体いつまで続くのだろう。 それで、今週始めからまた、お粥生活に戻ってみている。 パンも大丈夫なので、お腹が空いたら、お菓子をつまむんじゃなくて、とにかく、パンや お粥を少しずつ、少しずつ食べるようにしている。まるで、胃を手術した人みたいだ。 食パンなのだけど、ちょっとしたマイブームになってるのは、魚焼きグリルで焼くことだ。 たまたま先週の『試してガッテン』で見て、魚焼きグリルで焼くと、なぜか魚臭くなく、し かも、美味しいって言ってたからだった。 うっそだ〜!絶対うそだ〜!魚臭くならないなんて信じられない〜! でも、やってみた。 そしたら、それが、すごーく旨かったのだ。ごく普通の安い食パンなのに。 表面はカリッと焼けて、香ばしく、パンの味がちゃんとしているのだ。 これだと、なーんにも付けなくても、サクサク食べれるのだった。 でも、ただ、ぼ〜っとしていたのでは、美味しく焼けない。 なんでも、温度が下がる時に、匂いとか味はしみるものなので、焼けたらすぐに取り出せ ば、匂いは移らないのだとか・・・。 だから、ガラスの窓から、じぃ〜っとパンの焼けるのを見張ってないといけない。 ウチのは特に、両面焼きじゃないので、ちょっとめんどくさいけど、それでも、そのくらいの 手間なんて、この美味しいトーストを食べれるのなら、へっちゃらだった。 あともうひとつのマイブームは、お粥のメイプルシロップがけ。 これは、マドンナの朝食らしい。確か、こないだ来日したときとかのインタビューで言ってた ことだった。 初め、聴いた時は、え゛ーーーーーーーーーっ!何それーーーーーーー! って思った。 でも、ちょっと想像してみたら、案外イケソウナ気がしてきた。 ワイドショーのゲスト達も、えーーーっ!って言いながらも、恐る恐る食べてみたら、あら♪ ってなカンジだったので、いつかやってみようと思っていたのだった。 今ようやく、そのときが巡ってきた。 お粥とパンで命をつないでいるこの時こそ、やってみるべし。 やはり、思っていた通りの、うっとりするような、まったりとした美味しさだった。 なんかもう、別の食べ物だった。 ごはん、と思わずに、おやつ、と思えば全然おかしなシロモノではなかった。 そうやって、お腹が空いては、魚焼きグリルに張り付いてパンを焼き、お粥をチンして、 メイプルシロップをかけて食べている。 こんなことでもしてないと、やってられない。 |
3月16日(木)くもりのち雨 久しぶりに、長いこと日記をお休みしてしまったのは、先週明けから、お腹に くる風邪に見舞われてしまったからだった。 お腹に来る風邪・・・って、聴いた事はあったけど、なったことはなかった、と思う。 まさか、あんなに酷いものだとは思ってもみなかった。 (ココから先は、おやつを食べながらの方や食事前の方には、おすすめできません) その日は朝からやたら調子が悪く、立っているのもしんどくて、食欲もなかった けど、寝不足のせいだろうと思っていた。午前中半休をとっていたオットが、午 後から出勤したので、ずっと布団の中で休んでいたのだけど、夕方になって、 気持ち悪くなってきて、嘔吐と下痢がダブルで来た。 休んでいても、ラクになったという感じはなかった。 薬も受け付けてくれず、脱水になるといけないからって飲んだ白湯さえも、飲ん でしばらくすると、律儀にも上から・・・下から・・・しゃーって、倍返しで返却され てくるのだった。 当然、夜もいつもより超早く布団に入ったのだけど、実は、そこからが本番で、 長い長い夜の始まりだったのだった。 布団の中で、ふと、肛門付近に微かに感じるものがあったので、普通にガスだと 思ってお腹に力を入れて出してあげようとした。 でも・・・・ん?んんんんんん? いつもの、軽やかな感じではなかった。 ・・・・・・・・・なんかヘンだな・・・・なんかヘンだぞ、おかしいぞ・・・・・。 あり得なかった。 もぉ泣きたかった。 間に合う、とか、間に合わない、とか以前の話だった。 もはや、固形状ではなくなってしまっていたので、その物体を認識出来ないのだ った。 夜、無理に、ほんの少しだけ食べたお粥そのものだった。 まるで、それからスイッチが入ってしまったみたいに、トイレに駆け込み続けた。 お腹が痛くなるわけではないのだけど、なぜか予感がしてトイレに行くと、まるで、 おしっこみたいにシャーって音をたてて、肛門から大量の水分がでてくるのだった。 一瞬、音の出所を確認したりもしたけど、おしっこではなかった。 ほんの少しだけど、口から入れたものは、胃も腸も素通りして、全く消化も吸収も されずに、出てくるのだった。そういえば、おしっこは殆んど出てなかった。 そうこうしていると、むかむかむかぁ〜ってしてきて・・・もう忙しいったらありゃしな かった。吐き気と下痢、それが、なぜか、同時にくるのが不思議だった。 もう、出し尽くして、出るものもないはずなのだけど・・・。 その度に、洗面所で手を念入りに洗い、時計をみると、ちょうと1時間置きにそんな ことが繰り返された。早く布団に入った意味がないよ〜。当たり前だけど、鏡の中の 唇は血の気がなかった。 たまたま、出張の関係で家にいたオットも、その度に起こされて迷惑だったろうな。 我が家の寝室はトイレのすぐ隣なのだ。 これだけ、水分を出し続けて・・・、何か水分を摂った方がいいだろうし、摂りたかっ たけど、もう怖くて、何も口から摂れなかった。ふらふらだった。おしめもした。 そんなことを、2時くらいまで繰り返していて、救急車も思わなくもなかったけど、幸 い痛みがなかったので、そこまでは・・・と思い、そのうち、いつのまにか眠っていた ようだった。 5時の目覚ましで目が覚めた。 その日、赴任先へ向かうオットには悪いけど、とても起きられる状態ではなかった。 熱はないと思い込んでいたのだけど、38度近くの熱もあった。どうりでしんどいはず だった。 点滴は必至だろうと思っていたので、近くのお医者さんへ連れて行ってもらった。 尿検査では、激しい嘔吐によって自家中毒を起こしていることが分かった。500ml を2本してもらい、こうなったら、久しぶりの西洋医学で、ラクになるためには何でも してもらおうと貪欲になり、熱さましの注射もしてもらった。でも、この注射の効き目 はほんの3時間くらいだった。 めまいのしそうな量の薬をもらって帰った。 薬の効能と副作用を読んでいると、これまためまいがしてきそうだった。 ー腹が張る。下痢。便秘。胃部不快感。倦怠感。ー これじゃ、自分の元からの症状なのか、薬による副作用か分からないじゃん。 もう、やけくそだった。この際だから早くラクになりたくて、解熱剤も飲んでやった。 点滴に入れられてた薬も効いてか、下痢と嘔吐の症状は、とりあえずはなくなった。 トラウマはなかなか消えなかったけど、恐る恐る、お粥やホットポカリを口に入れてみ たけど、もう大丈夫なようだった。 あとは、熱によるからだの痛みと倦怠感がどうしようもなかった。38度2分まで上が った。解熱剤も熱さましの注射と同じで、一瞬ラクになったようでも、まだぶり返すの だった。 それと、口がもう苦くて、まずくて、どうしようもなかった。 食欲もなく、オット母が米から炊いてくれた、いつもなら美味しいはずのお粥も、すずめ の涙ほどしか食べれなかった。舌を見てみると、真っ白の苔がびっしりとついていた。 あんまり口がまずいので、りんごをすりおろして食べてみた。これさえも、初めは、お腹 がやたら張ったり、ぎゅるぎゅる言ったりしてたけど、次第に収まるようになっていった。 西洋の薬は、2日間飲んだあと、飲むのを止めて1日様子をみた。 症状は変わらなかったのと、少し元気が出たので、いつものかかりつけのお医者さん へ行った。 予め、オット母から大まかなことを知らされてた先生は、お腹を診ながら 「普通にしてて、こんな風邪にはかからないよねぇ。」と言われた。 アイタタタ・・・・。センセイはちゃんとお見通しだった。 ものすごーく寝不足が続いていたことを。自分で早く寝なかったことに加えて、たまた ま、早く布団に入っても寝つきが悪かったりして、最悪だったのだった。自業自得なのだ。 腰もやたら痛かった。 寝ているときは、寝返りするのも痛くて、しょっちゅうエアーサロンパスをスプレーして誤 魔化し、起きてるときは、おばあちゃんみたいに、腰をくの字に曲げてないといられなか った。 寝すぎのせいもるみたいだけど、センセイ曰く、病んでる内臓(今の場合は胃腸)をガー ドするために、まわりの筋肉ががちがちに硬くなっているそうな。だから、お腹が治らない と腰も治らないよって言われた。 その頃、まだ微熱はあるものの、食い意地の張っているワタシは、お粥に嫌気が差し て来ていた。食べた量は少なくても連続4日目だった。お医者さんの帰り、丁度お昼 になったので、近くのパンやさんでパンを買って帰り、むしゃむしゃと食べた。 そしたら「まだパンはダメです」と言わんばかりに返却された。 体ってなんて正直なんだろう。ワタシは、無駄な抵抗は諦めて、オット母から借りた お粥を炊ける炊飯器でまた新しくお粥を炊いた。たった一合だけなのに、ものすごく 大量のお粥が出来るのを初めて知った。 週末になり、オットが帰ってくる頃には、CMやチラシの食べ物の絵を見るのが、もう 拷問のように思えて来た。マックの春の新作梅ソースチキンナゲットの何て美味しそ うなこと!カラーチラシのイチゴの美味しそうなこと!何を見ても、美味しそうで美味し そうでどうしようもなかった。それだけ元気になった証拠なのだけど。 で、帰ってくるオットに、カンロ飴か純露を買ってきてくれるようお願いした。 考えに考えた末、それくらいのおやつなら、お腹に負担はかからないだろうって。 遅くに帰ってきたオットから手渡されたコンビニの袋には、なつかしいカンロ飴と黒糖 飴が入っていた。やったぁーーーー! でも、その他に、カップラーメンといなり寿司とアーモンドチョコも入っていた。 あぁぁぁぁ〜食べたい。なんてウマそうなんだろう。もう、何もかもかなぐり捨てて、食 べてみようか。って思わなくもなかったけど、大人しくカンロ飴で我慢した。 熟慮?のかいあって、カンロ飴はちゃんとお腹に収まってくれた。しあわせだった。 ほんのりとやさしい味だった。今のワタシなら、すばらしいコピーを思いつけそうだった。 なかなかしつこい風邪で、結局週末の間も、なんかしんどいって思ったら、、まだ微熱 があり、半分は布団の中だった。せっかく帰ってきてるオットにも申し訳なかったけど、 スーパーで、刺身やらお寿司やら、好きなものを買ってきてもらって食べてもらった。 それをまた、恨めしそうに眺めながら、生唾を飲み込んで、目の前のお粥をすするワタシ だった。 「ねぇねぇ、そうやってさー、テレビ見ながらろくろく味わいもしないで、ただ食べ物を口に 入れていってるけど、何でも普通に美味しく食べれることを、ちゃんとありがたく思ってる?」 などと言って、オットにしつこく絡みながら。でも、何でも食べられるオットがうらやましくて しょうがないのだ。言わずにはいられないのだった。 そうして、ようやく今に至っている。 1週間寝込んでいたため、わずかな筋肉もやせ衰えて、寒くて寒くてしょうがなかった。 そう、今週初めには雪が積もったのだった。夜には、何年ぶりかでアンカも出動した。 それまで、ウォーキングしたりして身体を動かしてがんばってたけど、ほんのちょっと寝 ていただけで、もうこんなになってしまうんだな・・・って改めて思い知らされた。また1から やり直しだ。 そして、今度こそ肝に銘じた。 早寝早起きしようって。 今週初めに、久しぶりに階下へ降りてきたら、お雛さんの時はまだつぼみだらけだった桃 の花が満開になってた。 今月から替わった、めざましテレビのテーマソングがまったりとしてて、病み上がりには とても心地いい。おまけに、普段から朝は弱いので、あれくらいのテンションで始まって くれると、とてもうれしい。
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3月1日(水)雨 オリンピックが終わってしまって、何だかさみしい。 さほど、入れ込んで見ていたわけではないのだけど、やっぱりお祭りが 終わってしまったなぁ・・・って。 週の初めに、早、総集編をやっていて、見るとはなしに見ていた。 フィギュアのメダル候補だった中国のペアが、競技中に転んでしまい、動 けなくなってしまい、競技を中断して、もはや断念するかと思われたのが、 そのまま根性で競技を続行し、メダルをとってしまった話とか。そうかと思 えば、アイスダンスで、メダルを目前にしてたペアが、最後に失敗をしてし まって、お互い激しく睨みあっていたり・・・。 また、エアリアルに出てた44歳の選手が、着地に失敗はしたものの、皆 からあったかい拍手に包まれたとか。スピードスケート女子の岡崎選手が 1回目の滑りのあと、2回目までの間に何があったか・・・とか。 ただ、競技や結果だけを見ていただけでは分からないようなことだった。 みんなそれぞれ、いろんなドラマがあったんだねぇ〜・・・としみじみしてし まった。 なかでも、ついつい、見ると笑顔になってしまうのは、フィギュアのペアに アメリカ代表として出場した井上選手のペアだ。この二人は、本当にいつ 見てもステキだなぁ・・・って思う。いろんな苦難を乗り越えて、お互いを信 頼して、尊敬し合っているっていうか。特に、相手のボルドウィンの井上選 手への接し方を見ていると微笑ましくなってくる。結婚したりはしないのかな ・・・などと、余計なことまで思ってしまう。 そして、やっぱり、何度見ても飽きないのは女子フィギュアのシングルだった。 荒川選手は本当に美しかった。もう、オーラが違っていた。競技前の、スル ツカヤとコーエンの顔とは明らかに違っていた。あの、イナバウアーの真似 を、タラララララララ〜♪って口音楽と共にしようとするけど、ワタシの硬い腰 はちぃーっとも曲がりはしない。他の選手がよくやってる、あの、片足を前斜 め上方へあげたまま滑る真似をしようとするけど、とてもじゃないけど、足は まっすぐになってくれない。 仕舞いには、オットに「もう危ないからやめてくれ。」と言われた。 次の日も、民放のワイドショーでやってたオリンピックのダイジェスト版を、デ フ・テックのBGMと共に見ていると、なんでか涙が止まらなくなってしまった。 終わって寂しくなったものが、もうひとつある。 NHKの土曜日の連ドラ『氷壁』だった。物語的には、別にどうでもしてくれ〜 ってカンジなんだけど、やはり、あのエンディングの、山の神々しい映像と、 リベラの歌う、魂の洗われるような音楽を聴けなくなるのはさみしい。 そういえば、ちょっと前のテレビで、リベラが生出演して、その歌をフルコー ラスで歌っているのを見れた時はカンゲキだった。ワタシはその時初めて、 リベラが、少年の合唱団だってことを知った。てっきり、14〜15歳くらいの 女の子ひとりだと思っていたのだけど。 その後、久しぶりに、雪の立山連峰が見えた日、ワタシは思わず、リベラの そのキーの高い歌を、カスカスの声で口ずさんでいた。 なんだかんだ言ってテレビばっかり見ている。 |