まるぼ-のつぶやき日記

2004年 1月

2004/01/22 更新


1月16日(金)曇り

このところずっと、背中の寒気がとれない。
朝ごはんの時も肩をすぼめたくなる様な寒さ。いや、部屋はもちろんあったか
い。ちゃんとタイマーでセットしてあるから、室温は充分あったまっている。

普通、ものを食べる時はエネルギーが発生するから、ごはんを食べるとあった
かくなるはずなのに、食べるにつれて寒くなる。肩をすぼめ、遂にはイスの上
に正座している始末。ワタシのいつもの順番だと、最後の方にヨーグルトを食
べ、リンゴを食べる。リンゴの段階になるともうぶるぶるしている。

朝ごはんは、いつの頃からかずっとパン食になってしまった。
もちろん、牛乳は温めているんだけど、頑固なワタシには、どうもそれだけじゃ
ダメみたい。朝ごはんは本当は温かいごはんと味噌汁がいいのだろうな。特
に冬は。

で、最近買った雑誌に冷え症対策が載っていたので早速試してみた。
ヨーグルトは早めに器にあけて室温に近づける。リンゴはチンする。え〜っ!
リンゴをチンする?!初めはそう思ったけど背に腹は変えられないのでやって
みたけど、コレが意外とイケた。

チンしてから時間が経って色が変り始めたリンゴについて、かくかくしかじかこ
ーゆうわけで・・・とオットにワケを話して、どう?と訊いてみたら、何とか大丈夫、
とのことだった。でも、やっぱりオットは普通のリンゴの方がいいみたいなので、
自分の分だけ食べる直前にチンすることにした。そしたら、ほっくほくでちょー旨
い。ホットリンゴ最高♪

パンも熱々チーズトーストにしてみた。もう、ぶるぶる震えることもなくて、ちゃん
とカラダも温まるようになった。

そして、いつも食後に飲んでる紅茶もひと工夫。
こないだ見つけて大喜びしたしょうがの粉末を入れたり、シナモンを入れてみた
り。これまた旨い。シナモンは思ったよりも温まるので驚いた。それに、なんとな
くホッとする。←朝からホッとしてどうする。

ぱきらにも、温まるよって、しょうがパウダーを入れてみたら、「辛っ、入れすぎ」
って言われてしまった。そうかなぁ・・・こんなもんだろ・・・とワタシは思うのだけ
ど。

それにしても、このシナモン。粉末じゃなくて、棒切れみたいなのを使っている
のだけど、1回で捨てるのは忍びなくて、乾かしては何度も使いまわししてまう
貧乏性のワタシなのであった。

1月11日(日)曇り時々晴れ時々雪

今日は初釜。
そして、久しぶりのお客さん。
初釜は、大抵センセイの家族の人しか水屋に入らないから、いつもお客さ
んと言えばお客さん、なのだけど、お客さんの中でも、いろいろ動いてホス
ト側のお手伝いをする役目の人も設けられる。ここ数年、その係になること
が多かったワタシは、久しぶりにお気楽に出かけた。

立ったり座ったり動き回る役目の時は、酔いが早く回りすぎてどうしようも
なくなるから、必然的にお酒も控えめにするのだけど、今日のお酒はまた
やたら旨かった。富山のお酒。ますいずみの”しぼりたて”とやら。甘酒み
たいなふわっとした甘〜い香りがするのだけど、呑むとスーッと入っていっ
た。スーッとスーッと・・・どんどん入っていった。と言っても、朱塗りの盃に
3杯ほどだけど。

いつものように、センセイ手作りの心づくしのカニしんじょうなどをいただい
て、おいしいお酒を呑んで、いい〜気分になって、次はいよいよ本番。濃
茶をいただく前に席を改められるので、さて、と立ち上がったその途端、ふ
ら〜っときた。あらら?調子に乗ってちょっと呑みすぎたかな。なんかやば
そうだったので、ほんとはしなければいけない拝見を省略させてもらって
控えの部屋に戻った。

アルコールを薄めなきゃって思って、お水をもらってしばらく座ってたけど、
すぐに生あくびと耳鳴りに襲われた。この生あくびはちょっといやなカンジ
だな、マジでやばいんとちゃうかな・・・って思ってたら、座ってもいられな
くなって、その場で横になった。マイッタな〜。脳貧血なのかな。こんな所
で。着物も着てるっていうのに。。。

傍にいた人達からいろいろ声を掛けられたけど、目も開けていられないく
らい辛くなってしまった。目を瞑ったまま「すみませ〜ん」って言うと「『す
みません』なんか言わんでもいいから、しばらく横になっとられ」って言わ
れた。みんなにも言われたけど、自分でもそうするしかなかったので、一
番きつい紐を何本か緩め、帯も解いてラクにしてから、また横になった。

しんどくて動けなかったけど意識はあったので人の声は聴こえる。
ほとんどが年配の大先輩で、わたしゃいつも六神丸を持ち歩いている、っ
て言う人にそれを分けてもらった。この際何でも飲んでみる。小さい小さい
薬の粒を二つ、手の平の窪みに乗せてもらい、手探りでそれをつまんで飲
み込んだ。もう起き上がってお水を飲むことも出来なかった。

その薬が効いたのかどうか分らないけど、しばらくすると少しラクになった
ような気がして、もう大丈夫かな・・・って起き上がってみると、ワタシの肩
から足元まで、いろんな人のショールやら羽織が掛けられていた。そして、
何か入れられてる、と思ってたアタマの下には誰かのバッグが置かれて
いたのだった。そして、みんなして、「まだ起きられんな。」「しばらくじっと寝
とられ、寝とられ。」「みんな親戚みたいなもんなんやから。気にせんと。」っ
ていろんな方向から声が掛けられた。

さっき真っ青だった顔色に赤みが差してきたらしかった。恥ずかしいな参っ
たな、って気持ちと、ありがたいな、って気持ちが入り交ざっていた。言わ
れる通りに横になっていたけど、よく考えてみたら、ワタシは帯どころか腰
紐まで解いてしまっていた。この状態をなんとかしなければ、ということが、
少しラクになったワタシの最優先課題となった。そして、ワタシはその部屋
の出入り口にどってーんと横たわっていたことにも気付いた。この長い女が。
さぞかし邪魔だったことだろう。

起き上がって「着物どうしよう・・・」って誰に言うでもなくつぶやくと、またいろ
んな方向から言葉が飛び交って、どうしたら一番いいのかが決定された。
いくらラクになったと言っても、まだ立ち上がるとふらふらする。もう、帯を締め
る気にはなれなかった。

結局、腰紐をゆるく締められ、帯板だけして、その帯板は帯揚げでくるまれた。
せめて腰紐くらいは自分で・・・と思っていたのだけど、ワタシはもうされるがま
ま、になっていた。それに帯締めを締めるとバンバン。らしかった。前から見る
限りは。さて、後姿はどうなっているかというと、前で帯板をくるんだ帯揚げは
後ろに回って、かわいくリボン結びにされていた。これで、何とか体裁は保つ
ことが出来そうだった。

そして、ワタシが仕上がった後に、もう今日は出番が終わってしまった、母の
作ってくれた名古屋帯を、「いい帯やがいね」と愛しそうに、大事そうに畳んで
下さった。

みなさんの忠告を聴いて、濃茶は飲まないで薄茶のときになって、こそこそ
っと席に混ぜてもらった。ときどき「アンタ後ろ見せてみられ」と言って、人の
後姿を見ては、かわいいと言って笑い転げる人がいた。笑われると、なぜか
うれしいワタシだった。

福引はやっぱり籤運が良くなくてハズレだったけど、良くも悪くも、忘れられ
ない初釜となった。他の人のはよく見てきたけど、自分がなるのは初めてだ
った。風邪気味やら寝不足やら疲れやら・・・いろいろ重なったのだろう。

最後にまた控えの間に行った時にしつこくお礼を言ってると、「私らみたいな
(年で)寝てるのはおかしいけど、ち〜っともヘンじゃなかったよ。似合っとっ
たよ。」って言われた。「似合ってましたか。」と苦笑いしつつ、寝てる姿が似
合うって言われるのも悪くないような、情けないようなフクザツな心境だった。

家に帰って、『帯揚げの帯仕立て』を見てみたけど、なるほど、たまたま色目
が合ってたからか、なんら違和感はなかった。もしかしたら「似合ってたよ」っ
て言うのは、この”帯”のことだったのかな。とってもラクだし、これから帯はコ
レで行こうかな(笑)。



年の瀬から年明けにかけて

12月は3つもお葬式があった。
一つ目は、もうずいぶん前のことになってしまったけど、一緒にお茶を習
ってたひとつ年上のNさん。

新聞のお悔やみ欄を見たセンセイからの知らせで絶句してしまった。共
働きをしながら出産されて、それからはお稽古にも来られなくなってしま
っていて、年賀状の付き合いさえしてなかったけど、今いる人達の中で
は、ワタシが一番長いお付き合いだったので、センセイと一緒にお通夜
に行った。まだ小さい子供さんを二人も残して旅立ってしまわれて本当
にお気の毒だった。

二つ目は、オットの会社関係の人のお父様。
ワタシの親の時に来てくださった方なので、ワタシもオットと一緒にお参
りさせてもらった。

三つ目は、ちょっと遠い親戚。
でも、亡くなる前の母がものすごくお世話になった人だった。母方の祖母
の兄弟の奥さん。母にとっては義理のおばさんにあたる。その娘さんが
祖母に似ていたので懐かしかった。親戚って言うのはそうゆうものだ。
ちょうどこの季節の、母の晩年の様子を激しく思い出してしまって哀しか
った。

でも、12月は哀しいことばかりではなかった。
お茶にはちゃんと行けたし、稽古納めにも行けて、例のお軸にも1年ぶり
に対面できた。

24日のクリスマス・イブには、新垣勉さんのクリスマス・コンサートに行っ
た。クリスマスとかに1度でいいから、そうゆうコンサートに行ってみたか
ったから、ものすごくうれしかった。もう、始まる前からワタシのワクワク度
は70%を超えていた。一方、ワタシの付き合いで仕方なく・・・てなカンジ
のオットにマイクを向けてみると、そのワクワク度は50%ということだった。

トークも多くだじゃれの連発だったけど、あたたかい、とても素晴らしい歌
声だった。休憩時間の時、すでにオットはCDを買うことを決めていた。帰
りにはオットの満足度は100%に達していた。

お楽しみが終わると、いよいよ銀行も年末の忙しさに向かってまっしぐら
だった。ただ、ありがたいことに年末は、副支店長のおかげで、パートは
ラスト2日間休ませてもらえることになった。これでちょっとは、カラダの疲
れも持ち越さず、余裕を持って新年を迎えられる。はずだった。

だけど、その余裕は、日頃のツケのおかげで見事になくなってしまった。
おせち料理はほとんどオット母任せで、ワタシはほんの少しの隙間を埋め
るだけなんだけど、今年はいつもよりもう一品多く・・・なんて思ってたのも
つかの間、その時間は全て、掃除・片付けにまわってしまった。晩ご飯の
片付けが終わる頃にはボロ雑巾の様に疲れ果て、お風呂から上がると今
度は年賀状を書いたり、オーブントースターを磨いたりする毎日だった。こ
れでも大掃除、去年よりは早くスタートさせたつもりだったんだけど。。。

でも、そのかいあって、気になるところは9割がたきれいにできた。←それ
でもまだあるのか( ̄_ ̄;) 新しい年は、「見なかったことにしよう」を止めて
もうちっと小まめに掃除しようと心に固く誓ったのであった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜除夜の鐘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

無事、新しい年が明けた。
申年。今年、おばあちゃんは8月がくると96歳になる。父が生きていたら
72歳になる。頑固な頑固などうしようもないじじいになっていたことだろう。

このお正月休み、オットもワタシも一応9連休中だというのに、どこにも行
かなかった。年末オットはスキーに行きたがったが、ワタシの方が「とんで
もない!」って言う雰囲気を醸していた。年が明けたら、お客さんが帰られ
たら、ゆっくりとあれもしたいこれもしたい、ビデオも観たいって思ってたの
に、ビデオさえ借りて来なかった。

テレビが案外おもしろかったのだ。

NHKのアンコールで入った「ちゅらさん総集編」と、大河ドラマ「独眼流
政宗総集編」にはまってしまった。政宗は昔父の解説付きで観た覚えが
あったけど、やっぱりおもしろかった。ほとんどテレビにかじり付だった。
それはそれでよかった。


9連休最後の日は、ややブルーになりながらも、リハビリで7時に起き、
オットとバーゲンに出かけた。オットがコートを見て回って何度も試着して
悩みちぎっているうちにふらふら〜っとしんどくなったけど、やっぱりこの
リハビリは重要だった。どこにも出かけないでいきなり出勤していたらど
うなっていたことやら・・・。


そうして、今に至っている。早、七草粥も終わってしまった。
それなのに、まだ「クリスマス・キャロル」を読んでいる(^-^;A"

昨日の休みの日に、勤め始めてから初めてバナナケーキを焼いた。
去年は、勤め始めてから初めて、12月に風邪を引かなかった。年末年
始も去年より元気に過ごしていたし、カラダもよく動いた。これからのま
すます寒い季節、気をつけてがんばろう。

ちなみに、オカヤドカリ2匹、サザエさんとモンジロウはときどき顔を見せ
てくれるけど、早太郎の姿をここ一ヶ月ほど見ていないのがちょっと気が
かり。潜られているハイドロカルチャーのガジュマルの木はもう傾きまく
って、葉っぱは黄色くなって来ている。早太郎よ、早く元気な姿をみせて
おくれ。


良い1年でありますように。
ことしもどうぞよろしくお願いいたします。