No128

沖縄珍道中(完結編)

2002.10.12掲載

6日目、7月13日(土)晴れ

いよいよ最終日。朝起きるのもなんとなくさみしい。。。
でも、そんなことも言ってられない。飛行機は15時。まだまだ遊べる( ̄w ̄*)
そんな今日を有意義な一日にするためにもきびきび行動しなくては。

昨日の石垣からの飛行機が、結局1時間ほども遅れたおかげで、昨日はレン
タカーをキャンセルし、予定していた本島での観光を今日、時間の許す限りま
わることにした。限られた時間内で効率よくまわるためには、レンタカーでまる
ぼーの当てにならないナビで走るのはちょっとムリがあるようだし、ここはひと
つ、タクシー観光しかないと思いホテルのフロントを通じて予約もしておいた。

ワタシ達にとっては初めてのタクシー観光。特に、ぱきらは生涯で絶対利用す
ることはないだろうと思っていたこと。いい運転手さんだといいんだけど・・・。

それが、約束の時間になってもタクシーは来ない。他の人のタクシーは来てる
のに・・・って、ぱきらが半ばキレかけたころ、見るからに陽気そうな運転手さ
んがけろっとロビーに入ってこられた。

まず始めに、昨日のうちにふたりで決めていた行きたいところのメモを渡した。
だいたい行きたい方向は南部に固めてあった。運転手さんの頭の中ではあっ
と言う間にどうゆうルートで行くかが決められたようだった。そのメモを見て、
飛行機の時間を訊いてから、「私は時間をたっぷりあげますから」と、のんびり
したうちなーぐちで、にっこりと。

へ?だって、時間は時間。1時間は誰にとっても同じ1時間のはず。だけど、
そう言って余裕で自信たっぷりの運転手さんのペースにすっかりはまるワタシ
たちだった。

今日最後に周るコースは、普通、初めてか、ツアーで沖縄に来たなら大抵の
人は行っていると思われるところばかり。だのに、10年前には行ってなかっ
たのだ。その新婚旅行の時も、当然ぱきらの立てた綿密な計画に則っての
行動で、岬マニアのぱきらの選んだ場所は観光名所ではない場合がほとん
どだった。

だから、ワタシ達が新婚旅行から帰って来ると、ワタシの父やなんかには呆れ
られたものだった。「沖縄に行って戦争の傷跡を見て来てないとは・・・玉泉洞
を見て来ていないとは。。。アンタら一体何しとったがけ?」実は、父はワタシ
達が沖縄に行ったすぐ1ヵ月後くらいに、会社から沖縄に行ったのだった。

そーゆう経緯もあって選んだ今回の本島観光。
まずは玉泉洞王国村。たぶん、父の行った頃は「王国」ではなかったのだろう。
ワタシ達も、ただ普通に鍾乳洞を見たいだけなんだけど、そうゆうシステムに
なってしまっているので仕方が無い。

途中、道端のいたるところで咲いている真っ赤なハイビスカスを、運転手さんが
一輪取って来てた。それをワタシの耳にかけて写真を撮ってあげると言う。やっ
だ〜恥ずかしい〜って言ってたのがいつのまにか、ハイ、ポーズ。この”サービ
ス”はどんな年齢の人でも女性なら必ずするそうな。そして、どんな人でも必ず
最後にはその気になって写真に撮られるそうな(笑)。

玉泉洞の中はひっそりしてて、うす暗くて涼しくて湿ったところをずんずん歩いて
いく。今日は晴れてて暑かったからちょっとした避暑地。凄かったし、不思議なカ
ンジがした。あんな暗い中でも、水の中にはエビとか小さい魚とかがいて、びっく
りだった。そこを抜けると、たくさんの南国の果樹園とかがあっておもしろかった。
もちろん、おいしい生ジュースも飲んだ。

後は、伝統工芸みたいな館がたくさんあった。時間もあることだしさらさらと流し
て出ようとしたら、出口近くに白い大きいにしき?はぶ?とにかくへびがいた。
千円くらい払って、そのへびさんと一緒に写真をいかが?ってことだった。他の
人が撮った写真がずらりと並んでいる。へびさんを首に巻きつけたり、腕に巻き
つけたり・・・よくもまあそんなことが出来るもんだ。ワタシは巳年だけどそんな恐
ろしいことは出来ない。

一応、係りの女の子(それも女の子!)がふたり居て、顔はお客さんの方じゃな
く自分達の方に向けていた。ふと、ぱきらが「顔を見せて♪」なんて言った。
おぉぉ〜!寒気に震え上がっていると、女の子が「触ってもいいですよ」と来た。
次の瞬間、なんのためらいも無くぱきらがすーっと触っていた。これにはワタシ
もびっくりだった。何だったかな〜エリちゃんとか、そんな風なかわいい名前が
付いていたけど、へびさんも疲れているみたいだった。そりゃそうだよね。

駐車場に戻ると、タクシーの運転手さんは仮眠中だった。車の中でエアコンをか
けて居ると快適の余り、ついうとうとするんだって。「あれ?もう出てきたの?時
間はたっぷりあるのに。」

あ〜それにしても、昨日ちくっとした手首の内側がやたらかゆい。昨日はその後
全然きにしてなかったんだけど、掻いてるせいか、ちょっと赤く腫れて来た。

道路の両側にはさとうきび畑。このタクシーに乗ったお客さんで、「ざわわの音を
聴きたい」って言う人がいたらしい。『さとうきび畑』という歌の中ではさとうきびは
”ざわわ”と揺れることになっている。その音を聴きたいと。そしたら運転手さんは
このさとうきび畑の中にそのお客さんを降ろして「そこで聴いていなさい」って言っ
たのだそうだ。「だって、そうするしかないでしょう」だって。

運転手さんの言われるまま、お次はひめゆりパーク。今日ワタシが一番行きた
かった所。途中、運転手さんが「これは・・・奥さんの希望ですね」って言われた。
入り口で写真を撮ってもらって、ウキウキと中に入っていく。始まりにあるお土産
もの売り場の館でもそわそわ。

その館を抜けると、いよいよめくるめくサボテンワールドかぁ〜・・・って期待に胸
を膨らませていると、ぱきらが何やらごそごそと荷物整理。んもう、早く行こうよ〜
ってたんたん踏んでると、ゲートの向こうでかわいいつなぎのズボンをはいたおじ
いさんが、こっちに向かってしきりとぺこぺこお辞儀をしていた。

たぶん、園内を周るバスに乗りませんか?ってことなんだろう。早くおじいさんに
近づいて断らなくちゃって思うんだけど、相変わらず、ぱきらはまだごそごそして
いた。ワタシもそこで、ジェスチャーででも断ればよかったのに、結局おじいさんは
ワタシ達が近づいていくまでそうやって待っておられた。ごめんね、おじいちゃん。

昨日の手首に加え、入り口で写真を撮ってもらった時にどうやらやぶ蚊に刺され
たらしく、そこたら中が痒くて溜まらない。思わず、アロエの葉っぱを拝借して塗り
たくってしまった。かゆみに効くのかどうかは知らないけど。

暑い中、汗を拭き拭き歩いて周ったけど、結局サボテンや多肉植物は同じ種類
の繰り返しで、園芸やさんには叶わなかった。ワタシにとっては初めてのサボテ
ン公園だった。だけど、ぱきらに言わせると、どこもこんなもんらしかった。そんな
んだったら、あの待っててくれたおじいさんのバスに乗ってひと周りすればよかっ
たな。駐車場に戻ると、運転手さんが言った「早かったね〜。なにもそんなに慌て
なくてもいいのに。」別に慌てたわけじゃないんだけどね。

次はひめゆりの塔。
これから、いよいよ戦争の傷跡を周るんだと思うと、ちょっと気が重かった。何も好
き好んで、とか興味本位で行くわけではなく、日本人として行っておかないとダメ
なような気がして・・・。ワタシ達が沖縄に行くことになってから、オット母が「ひめゆ
りの塔」のビデオを借りてきてくれてから、どんなことがあったのかも知っていた。
運転手さんは「単なる壕だよ」って言った。みんな「塔」があるって思い込んで来る
そうな。ここは合掌だけしてきた。

ひめゆりの塔に行く途中と、平和記念公園に行く途中も運転手さんが話してくれた
のは、戦争で亡くなった人達の慰霊塔はそれぞれ県民ごとに場所が散らばってい
るって言うことだった。富山は立山を形どったものらしかった。たぶん、慰霊塔があ
ところはその部隊があったところなんじゃないかなって言うのが運転手さんの思い
だった。なんだかいろんな思いがこみ上げてくる。

平和記念公園もいっぱいだった。思ったより新しい。ここには運転手さんも付いて
来てくれた(ひめゆりの塔はコワイからって来られなかった)。海の見える摩文仁
(まぶに)の丘には沖縄戦で亡くなった大勢の人達の名前が、やっぱり県別に石
に刻まれていた。もちろん外国の人の名前も。ここはまだ出来て新しいらしかった。
だから、10年前にはなかったんだ。

そして、ここに来た観光客が必ずすることは、自分の知った人の名前がないか探
すそうな。ワタシ達も探してみた。でも、ここに来る人の半分は地元の人で、まる
でピクニックにでも来るように家族揃ってお墓参りに来るそうな。ここは、最後まで
がんばっていた部隊がずっとこの南に向かって後退し続けて、とうとう逃げ場がな
くなったところではないかという事だった。だんだん、言葉が少なくなるワタシ達だ
った。

記念館の方は運転手さんも入場料を払わなければいけないと言う事で、ワタシ達
だけで入った。晴天のまぶしい丘から、新しく明るい建物の中へ。ワタシは、こうい
う類の記念館は長崎の原爆記念館に続いて2度目だった。だから、予め心構えは
出来ていたとは言っても・・・原爆を落とされたわけじゃないと言っても、やっぱりい
ろんな当時の情報を見るにつけ、心はずっしり重い鉛のようになっていった。

何かをオットに話そうとすると泣きそうになる。それでなくても涙がこぼれ落ちそうに
なるのを必死にこらえているのだ。お互いに黙って見て歩くしかなかった。悲惨な
ことから目を逸らしたいって言う気持ちと、事実を事実として知っておかなければ
って言う気持ちと、時間に限りがあることで、変に焦ってしまう。ここはもうちょっと
時間をかけないとダメだったね・・・と出てきてから、ぱきらや運転手さんと言い合っ
た。時間をかけたいようなかけたくないような・・・そんなところだ。

時間はもうとっくに午後を過ぎていた。いよいよ、最後は止めの旧海軍司令部壕。
ここは・・・こここそは、ワタシは敬遠したいところだった。だいたい名前からしてな
んだかおどろどろしい。いっそのこと、平和記念公園でゆっくりして、ここを省いて
もらってもいいと密かに思っていた。だけど、ぱきらはこーゆうところが好きなんだ
なぁ。場所は、ちょうど空港に帰る途中らしく、コース的にもなんら問題はないばか
りでなく、ちょうどよかったらしい。ここも、運転手さんは「駐車場で待ってるから」っ
てことだった。

一日のうちでもたぶん一番日差しの強い外から、ひんやりひっそりとした壕の中へ
恐る恐る入っていく。思ったより中は広く長かった。そのところどころに、部屋らしく
掘られたところもあった。その至るところにーここは実際に○○に使われた場所で
・・・−などという説明書きが掛けられていて、当時の差し迫った状況に思いを馳せ
てはまたまた心がずっしりと重くなっていった。

その中の、当時の軍の司令官大田少将が、ぎりぎりの状況でこれだけは、と本部
に宛てた報告書に胸を打たれた。そこには、沖縄の一般の人達がいかに軍に協
力し、がんばって戦ったかが報告されていて、だから、この沖縄にはそれなりのこと
をしてくださるように、と言うものだった。当時の文体そのままでかなり読みづらかっ
たけど、最後の使命としてどうしても伝えておかなければ、というものが感じられた。

壕を出ると最後に資料館があった。
その最後の最後、出口付近に沖縄の美しい景色を背景に、拡大された文字が並
ぶ大きなパネルがあった。それは、さきの大田少将の確か高校生くらいのお孫さ
んが、何年か前の終戦記念日に読み上げられた作文らしく、やわらかなわかりや
すい文章だった。

これまでずっと涙をこらえて喉の奥が痛かったのが、もう堪えきれなくなってしまっ
た。別にこらえなくったっていいじゃないか。ワタシがそう思って開き直ってしまうと、
ほんとに顔がしわくちゃになってしまう。

そうして、この沖縄旅行の最後を締めくくった。父との約束をようやく果たせたような
気がした。別に約束したわけではないのだけど。

飛行機時間には余裕たっぷりだったけど空港へ向かった。着いたのは1時間も前
だったけど、まだお昼ご飯を食べてないんだよね。楽しかった運転手さんともお別
れをして、那覇空港で搭乗手続きをする。とうとう帰ってしまうのね。。。

沖縄最後のごはんは空港内のキリンかどこかのビールやさん系レストランで、タコ
スライスを食べた。ずーっと食べたかったタコスライス。もう諦めていたのに、こんな
最後の最後に食べれるなんてうれしい。単にタコスの具をごはんにかけてみました
ってカンジなんだけど、見た目以上においしかった。だけど、やっぱり旅の終わり特
有のさみしさもあって、さすがのワタシもなんとなくしんみり。

たくさん乗った飛行機もこれでやっと最後。それだけはうれしかったりする。
ただ、沖縄は晴れていても、どうやら北陸付近には発達した雨雲がいるらしかった。
そこを通過しないといけないので機体が揺れることが予想されます。サインが消え
てもシートベルトはそのまま締めていてください、という機長のアナウンス。まったく
最後まで飛行機揺れ運はついてなかった。北陸上空に来ると、グレー一色だった。

無事着陸したはいいけど、預けた荷物がなかなか出てこない。
どうやらワタシ達の飛行機が着陸した直後にすごい雷雨になって、それで荷物を
運び出せない状態らしかった。1時間以上もそうして待たされたけど、ワタシ達は
まだよかったのだ。この後、東京から来た便は降りられずに上空で待機している
っていうことだった。もう、これ以上空の上にはいたくないもんね。

                    ーおわりー


その後、ワタシは本能の趣くまま手首を掻きちぎり、翌朝には手首内側の血管が
見えないくらいに腫れあがり、ぷちぷち細かい水ぶくれも出来て非常に気持ち悪
い厄介なことになっていた。熱も持っているようで(掻くからや!)熱く、腕がけだる
かった。ぱきらもやたら心配するし、このままでは治りそうにもないので、休み明け
の仕事帰りにお医者さんに寄ると、症状は毒蛾に刺されたものに似ているらしかっ
た。もらった薬を塗って2日ほどして久しぶりに手首の血管に再会した。おかげさん
で1週間ほどでだいたい治った。

また、石垣島のとある海岸からぱきらが連れ帰ったオカヤドカリは、3ヶ月経った今
も何とか生きていてくれる。いろいろネットで調べるうちに、天然記念物だということ
が分って青ざめたこともあったけど、責任持って大事にしていこうと思ってる。姿が
見えなくて、牡蠣の貝殻や流木を除けてみると、5匹でかたまってうずくまっていた
りして、みんな同じふるさと(いや町内)から来た仲間なんやな〜って思わず笑みが
こぼれてしまう。これから寒い冬を迎えるけど、縁あって遥々我が家にやってきたん
やもん、何とか無事乗り越えてもらえるようにがんばらなくては。。。

(オカヤドカリについては、そのうちまたUPしようと思います。)


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