No112

親戚というもの

2001.4.24掲載

 先日、親戚の法事があった。父方の兄妹の連れ
合いだから、直接血のつながりはないのだけど、
どうして私ばかり、こうゆう気の張った場所へば
かり出向いて行かなければならないのだろう、と
思うと自分の宿命を呪いたくなった。もし、父か
母のどちらかでも生きていてくれたら、私が行か
なくてもいいものを、といつまでも愚痴っていた。

私の両親がそれぞれの兄弟の中では、一番早く亡
くなってしまった為、ひとりっこの私は必然的に
その後の親戚づきあいをして行かなくてはならな
いのだった。しかも、昔の事なので兄弟の数がび
っくりするほど多く、父方が12人、母方が6人
兄弟なのだ。とは言っても、その方にはやはり生
前お世話になっていたわけだし、それに両親がい
なくなった今となっては、こういった時でもない
と、なつかしい顔に会えないし、料理を楽しみに
して、両親の代役を果たさせてもらおうと、奮い
立たせてその日に臨んだ。

そんな私の気持ちを知ってか、知らずか、その日
は、珍しく父が夢に出てきてくれた。はい、はい
分かりました。父ちゃんの代わりに行って来るよ。
そう、いつも私の心の中にいる父に語りかけて出
かけた。

「おはようございます.。」と言って玄関に入ると、
早速、懐かしい顔が私を出迎えてくれた。「あれ
ぇ、まるぼーちゃん、忙しいのにありがとうね。」
ああ、笑顔のやさしいこの人は誰だったろうか。
全身で私を受け入れてくれるこの心地よさに暫し
浸りながら、はて?この人は誰だっけ・・・?
ようやく、私の中の検索が終わった。どんなに久
しぶりでも、自分とこの親戚の顔が分からないわ
けはない。私はまだそれほど年をとってはいない。
今日の主役、つまり亡くなった方の妹さんで、だ
から私とは直接の親戚ではないのだけど、お勤め
の関係で、私の親の葬儀の時はとてもお世話にな
った方だったのだ。それ以来の、親が亡くなって
からのお付き合い。不思議なものだ。その方が、
こんなにも親しげに話しかけて下さる。ありがた
かった。やはり、私はここに来なければいけなか
ったのだ。

そして、部屋に入っていくと、これまた懐かしい
面々が勢揃いしていた。「おばちゃん、元気?」
とか「ご無沙汰してます」とか・・・。でも、や
はり、当たり前のことだけど、みんな少しずつ老
いて来ている。それは、みなに平等の時間だから、
私自身も「あら、まるぼーちゃんも・・・」って
思われてるだろうけど。
中には、かなり弱ってきている伯父の姿があった。
ここだけの話、私が一番好きなおじちゃん。父の
すぐ上の兄なので、親しみやすい事もあったが、
一番父に似ているような気がするから。
その伯父の様子が心配だった。みんな必ず年をと
ってゆく。そして、遅かれ早かれ、必ず死ぬのは
分かってはいるのだけど、今度は親に似たこのお
じやおば達をいつかは見送らなければならない日
が来るのだと思うと、泣きたくなってきた。
親がおじいちゃんやおばあちゃんになる姿は想像
できない。いつまでも、あの、まだしわのない顔
のままだ。親がおじいちゃん・おばあちゃんにな
った顔を見れない代わりに、老いてゆく姿を見な
くていい代わりに、このおじやおば達の老いてゆ
く姿を見届けなければならない。それもまた辛い
ことだ。

兄弟の数が多くて親戚づきあいが煩わしいと思っ
ているのも今のうちで、ある日、親に似たおじや
おばがひとりもいなくなってしまう日が必ず来る
のだ。今度はいつ会えるのだろうか。今度遭える
ときまでどうか元気でいて下さい、と祈らずには
いられない。そんな事を思った。





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