No.014
始まりの日
2001.03.26

 

お隣さんとオットの許しを得て、とうとう彼が我が家にやって来ることになった。

わんこと暮らすのは生まれて初めてだった。いや、厳密にいえば、私が小さい頃に、父が

職場の近くで生まれた小犬を連れて来たことがあったが、一晩中泣いていてあんまりかわ

いそうだったから、父がまた次の日、親の元に返しに行ったこともあったっけ。だから、本

格的に暮らすのは、これが初めてなのだ。それも、降って湧いたような縁で。

                                                     

さて、名前をどうしようか。私的には彼の名前は「ちび」でよかった。小さい頃から飼ってい

たハムスターの名前は代々「ちび」だったから。だけど、オットは珍しく何か別の名前を考

えていたようだ。これは意外だった。オットってこんな人だったかしら。「何でもいいよ」と言

うと思ってたけど、その口から出た名前は「とった」だった。「オレとまるぼーの名前を一字

ずつとって”とった”でどうや?」「ああ、いいね。」私は即答していた。オットにしては上出来

だ。言葉の響きがいいし、キュートだ。たぶん、世の中の誰もそんな名前を付けてはいな

いだろう。「とった、今日からおまえはとっただよ。お隣ではどう呼ばれていたか知らないけ

ど」彼は・・・いや、とったは、少しでも私たちの姿が見えなくなると泣きわめいていた。

小さい顔を口だらけにして、近所中に聞こえるような声で。とりあえず、裏口にも敷いてあ

る玄関マットの上をとったの居場所にした。 

                                                   

その日の晩には、とったの居場所は玄関の土間に落ち着いた。傘立ての足にとったの引

き綱の輪っかをを引っかけて。そして、やっぱり彼は私たちの姿が見えなくなると泣きわめ

いていた。テレビを見ていてもごはんを食べていても、気になってしょうがなかった。かわい

そうだったけど、とったを飼うに当たって買ってきたわんこの本には、ー泣いてるときに行く

とくせになるから止めた方がいいーと書いてあったのだ。ーボクが泣けば誰かが来てくれ

るーそう、わんこは学習してしまうらしい。とったはずーっと泣いていた。かわいそうだけど

かわいい。かわいいけどかわいそう。なんだか、おかしな、複雑な気持ちだった。

                                                     

夜は、普段から私たちは2階で寝てたので、「とった、おやすみね。」と声をかけて、2階へ

上がっていった。なんだか、後ろ髪が引かれる・・・。

「きゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃん

きゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃん」

私たちが2階へ上がっていくのを不安げに見上げていた彼の泣き声はさらに大きくなって

いった。行ってはイケナイ。今、行ってはイケナイ。私は自分に言い聞かせた。あぁ・・・

でも、うるさいし、近所迷惑だし、私たちも寝れそうにないし、とったもかわいそう。どうしよ

う、どうしよう。とったよ、がんばれ。今ががんばり時なんだよ。乗り越えるんだよ。あぁ・・・

それにしても自分たちはいいとしても、近所迷惑だ。弱ったな・・・。時計の針はどんどん進

んでいった。

                                                     

その時、ふとその泣き声が止んだと思ったら、とことことこ・・・と何かが階段を駈け登って

くる音がした。その音は隣の部屋に入っていった。???何だろう???

布団を抜け出して部屋を出て、隣の部屋の電気を付けてみると、そこにはしっぽを千切れ

んばかりに振って全身でよろこびを表しているとったがいた。私を見つけると飛んできた。

おぉ!とった!この階段をその小さいからだで登ってきたんだね。私たちに会いたさに。

とったの興奮は冷めそうになかった。私たちが2階へ上がって行ったのをちゃんと見てた

んだね。小さいとったを抱きかかえて、私はまた下へ降りて行った。なるほど、引き綱の

輪っかが外れても不思議ではなかった。仔犬だと思って甘く見ていたよ。でも、また同じ

やり方で輪っかを引っかけて、私は2階へ戻った。

「きゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃん

きゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃんきゃん」

今夜の寝不足は覚悟しよう。だけど、いつの間にか眠りに落ちていたのだろうか。夢なの

かうつつなのか、とったの声は夢の中でも聞こえていたような気がする。とったは眠れたの

かな。

                                                      

次の日もやっぱりとったは私たちの姿が見えなくなると泣きわめいていた。だけど、心なし

か泣き方が違う様な気がした。何だか嘘泣きっぽい感じがしないでもなかった。ちょっと泣

いて見せてる、という感じだった。夜もそんな感じでややあっさりと泣いていた。もう少し。

もう少しの辛抱だから、ご近所のみなさまごめんなさい。私は昨日よりはよく眠れた。

そして、その次の日の夜から、とったはほとんど泣かなくなった。やった。ほんとに本の通

りだったんだ。

                                                      

それからしばらくして、2階の寝室に使っている部屋の、隣の部屋にある荷物の間から、

からからに乾いたとったのウンチらしきころころの茶色いのが3つ出てきた。

                                                  

                                                     

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