♪:主よ人の望みの喜びよ(バッハ)
No.013 |
出会い |
2001.03.07 |
平成7年10月のその日、私とオットは最高に最悪なムードだった。 前の日からの喧嘩が尾を引いていて、朝オットはごはんも食べずに出かけたかどうかは覚えてないが、とにかく恐ろしく無言で、 もちろん「いってらっしゃい」のちゅーもせずに黙って出勤していった。 振り向きそうにないオットを見送ってから、私はわんわん泣いた。今度こそオットはこのまま帰ってこないような気がした。 オットに見捨てられたら、私はひとりぼっち・・・。 長くなりそうな一日の始まり・・・私は何もする気になれず、ただぼんやりと時間を過ごしていた。 そんな気持ちのまま、いつの間にかお昼を過ぎていた。 ふと、どこかから赤ちゃんの泣き声のような声が聞こえてきた。お隣にはそんな気配はないはずだけど・・・。 ほんとに赤ちゃんの声だろうかと思って外に出てみた。激しい泣き声。なんだろう?どこだろう?表を歩いてみた。 あれ?あんた誰?運命の出会いだった。一目惚れだった。 そこには小さな薄茶色の仔犬がいた。私を見ると、人なつこそうに寄ってきた。かわいい。鼻が真っ黒。 仔犬は本当に小さかった。こんなにしっかり動けるのに、こんなに小さな仔犬を見たのは初めてだった。 生きて、動いているのが不思議だった。彼は見るものすべてが珍しいのか、人を見つける度に飛んで行った。 そして、そこにちょこんと座って後ろ足で首の当たりを掻いたりしていた。かと思うと、通りを走る車に走り寄って行ったりする。 私はそんな仔犬をどうしたものかとハラハラして見ていたが、とても危なっかしくて見ていられなかった。 一体どこのわんこだろう・・・それとも野良?こんなにかわいいのに。 そういえば、お隣さんとこのボクは最近夕方になると騒々しかった。もしかしたら、お隣さんかもしれない。 見ると、お隣さんの囲いの切れ間にはその辺にあるもので間に合わせた、簡単な”バリケード”がしてあったが、仔犬といえども、 人恋しさのあまり、元気な彼はそれを乗り越えて外に出たのだろう。 そう思ってお隣の奥さんの勤め先に電話して訊いてみた。やっぱりそうだった。ボクが友達と海で拾ってきたとか。 そのおうちにはすでに猫とアヒルと、そしてわんこもいる・・・だから、いずれは誰かもらってくれる人がいれば、とのことだった。 「とりあえず、今はおたくの囲いの中に入れときます」と言って電話を切った。 それにしてもかわいい仔犬。しゃがんで呼ぶと耳を後ろに倒して全力疾走してきた。抱きかかえるとあまりの軽さに驚いた。 「ここで大人しくしてるんだよ」たぶん、また出てくるだろうと思いながらも、そう声をかけて、バリケードを直して家に戻った。 一息つく間もなく、またあの仔犬の泣き声がした。今度はさっきのよりも一段と声が大きい。まるで何かを訴えているように。 また、つっかけを履いて表に出た。でも、彼の姿は見えなかった。声はすれども姿は見えず・・・。 お隣さんの囲いを見に行っても中はもぬけの殻。やっぱりバリケードは壊されていた。 どこにいるの? ふとその声が移動していることに気づき、足下に目をやると、いた。彼は溝の中にいた。溝の中を走り回っていた。 狭い溝の中に落ちたのか、入ったのかは知らないけど、そこから自力では出られないことが解って激しく泣いていたのだ。 なんて元気なんだろう・・・私はひとりでに笑いがこみ上げてきていた。 彼を溝から拾い上げ、また囲いの中に戻した。あまり意味のなさそうなバリケードをして。 「もう出ちゃだめだよ」そう言って、家に戻った。もう朝のオットのことなどいつのまにか忘れていた。 それよりも、頭から彼の事が離れない。ちゃんと中で大人しくしているだろうか。 しばらくして、私はいても経ってもいられずにまた彼の様子を見に行った。珍しくバリケードは無事だった。 彼は溝の一件でよほど疲れたのだろう。大人しく眠っていた。もう少ししたらボクも帰ってくるだろう。ようやく私も一安心だ。 今夜オットが帰ったら彼のことを話そう。出来ることなら彼を家族の一員にしてもらおう。 そう思うと心のもやもやが晴れていった。 |