判例【東海旅客鉄道事件 大阪地裁 平成11年10月4日】 |
Yは、昭和50年度の新入社員募集のために近隣の大学、専門学校等に求人斡旋を |
依頼し、Xらはこれに応募してYから採用内定通知を受けた。Xらはそれぞれの学 |
校を卒業して、昭和50年4月1日からYで勤務し始めた。Xらは、入社後支払われ |
た賃金額が、求人票記載の基本給見込み額を下回っていたことから、求人票記載 |
の賃金見込み額と実際に支払われた賃金額の差額分の支払いを求めて提訴した。 |
判決の内容 労働者側敗訴 |
本件では、YがXらに送付した合格通知書・採用内定通知のほかには労働契約締結 |
のための特段の意思表示をすることが予定されていなかったから、Yの採用通知 |
は、Xらの求人申込みに対する承諾であって、当該採用通知を発した時に、Xらと |
Yとの間に、いわゆる採用内定として、労働契約の効力発生の始期を昭和50年4月 |
1日とする労働契約が成立したと解される。 |
Xらは、この労働契約成立時(採用内定通知発令時)に、基本給額が各求人票記 |
載の額で確定したと主張するが、「求人票に記載された基本給額は『見込額』で |
あり、・・最低額の支給を保障したわけではなく、将来入社時までに確定される |
ことが予定された目標としての額であると解すべきである。」すなわち、新卒者 |
の求人が入社の数か月前から行われ、また、例年4月に賃金改定が一斉に行われ |
るわが国では、求人票に入社時の確定賃金の記載を要求するのは無理が多く実情 |
にも即しない。求人は労働契約申込みの誘引であり、求人票はそのための文書で |
あるから、求人票の内容がそのまま最終の契約条項となることが予定されていな |
い。そのため、採用内定時に賃金額が求人票記載の通りに当然確定するとは解す |
ることができず、またそのように解しても労基法15条の労働条件明示義務に反す |
るものとは思われない。ただし、賃金は最も重要な労働条件であり、新卒者は、 |
入社に際して求人者から低額の確定額を提示されても受け入れざるを得ないので |
あるから、求人者はみだりに求人票記載の見込額を著しく下回る額で賃金を確定 |
すべきではないことは信義則上明らかである。本件についてみると、賃金が求人 |
票の記載よりも低くなった経緯には、石油ショックが背景にあり、他に社会的非 |
難に当たる事実は認められず、Yも内定者に入社前に一応の事態を説明し注意を |
促しており、各低額も見込み額よりは3000〜5000円程度下回るが、前年初任給 |
よりは7000円程度上回っており、労働契約に影響を及ぼすほどに信義則に反する |
ものとはいえない。 |
2.労働条件明示義務 |
雇用主は、労働契約を締結する場合には、労働者に対して、賃金、労働時間など |
の労働条件を具体的に明示しなければなりません(労基法15条1項)。明示義務 |
の対象となる事項は、契約期間、契約更新の有無や更新の基準、就業場所、従事 |
すべき業務、所定労働時間、賃金、退職に関する事項、安全衛生、職業訓練、災 |
害補償、業務外傷病扶助、休職等です(労基則5条1項)。また、特に重要な労働 |
条件については、書面により、労働者に提示しなければなりません(同条2項、3 |
項)。なお、使用者が、公共職業安定所や民間の職業紹介事業者を介して求人を |
行う場合には、使用者が、まず、これらの機関に対して労働条件を明示し、これ |
らの機関は、雇用主が明示した労働条件を求職者に正確に伝えることになります |
(職安法5条の3)。 |
締結時に明示された労働条件と実際の労働条件が異なる場合には、労働者は、即 |
時に労働条件を解除することができます(労基法15条2項)。労働契約を即時解 |
除した労働者が、契約解除から14日以内に帰郷する場合には、雇用主にその旅費 |
を請求することができます(同条3項)。また、労働条件明示義務違反者に対し |
ては、30万円以下の罰金刑が用意されています(労基法120条)。 |
パートタイマーについては、パート労働法によって、労基法15条による労働条件 |
明示事項に加えて、「特定事項」(昇給、退職手当、賞与の有無)を文書によっ |
て明示する義務が課せられています(パート労働法6条、施行規則2条)。派遣法 |
では、派遣元事業者に対して、派遣先の就業条件を書面交付等により派遣労働者 |
に明示する義務が課せられています(派遣法34条、施行規則26条)。 |
3.求人票の記載と契約締結時に示された労働条件の相違 |
上記判例は、実際に支払われた賃金額が求人票記載の基本給額を下回っていたと |
いう事件です。裁判所は、まず、求人票は、労働契約の申込みの誘引のための文 |
書であり、そこに記載される基本給額はあくまで「見込額」と解されるべきもの |
であって、求人票記載の基本給額が最終の契約条項と解することはできないため、 |
本件において労働条件明示義務違反があったとは認められないとしました。しか |
し、他方で、求人者が、みだりに求人票記載の基本給見込額を著しく下回る額で |
賃金支給額を確定することは信義則上許されないとも判示しています。なお、こ |
の判例では、会社が入社前に内定者に経済状態の悪化について注意を促しており、 |
確定した賃金額も信義則に反するほど低いものではないとして、不法行為の成立 |
が否定されていますが、他方で、美研事件では、募集広告に示された基本給額が |
試用期間満了後に引き下がることについて会社が何らの説明もしなかったとして |
(本採用後は能力給が支給されるため基本給が減額される仕組みであった)、労 |
働者の同意ない基本給の減額が無効とされています。 |
これまでの判例をみると、雇用主が、採用選考の面接の中で、求人票の記載とは |
異なる労働条件を提示し、労働者がこれに合意したり、異議を留めずに契約書に |
署名押印したりした場合には、労働者に著しい不利益をもたらす等の特段の事情 |
がない限り、面接時や契約締結時の合意が求人票の記載の内容に優先すると解さ |
れているものが多くみられます。 |