スケッチの旅


5月半ばの良い季節に、今年も同好の方々とバルド三国とロシアのサンクト・ぺテルブルグを訪れ
世界遺産を観光し美しい風景を堪能し、スケッチを楽しむことができました。


サンクト・ぺテルブルグ


ヴァ川は威圧するかの様に広く、また運河が多いので色々ないわれのある橋もあり
説明をする通訳のロシア青年の歴史感も面白く興味をひく
路幅は東京等に比べるとはるかに広く、信号も少なく横断歩道 信号も余り見られず
車数はかなり多く横断するのがとても危険に思われた。
まだ路面電車 トロリーバスもみられた。
夜は10時過ぎてもまだ明るい白夜である。ただ広大な土地と云うのが実感である。


市内は 聖イサク寺院・血の上教会等ギリシャ正教特有の派手な彩色、金色に輝く教会があちこちに見られる。
「世界遺産」の見学は各国の観光客で賑わっていたが、公園は多く広々として、緑も若葉で美しく
のんびりとスケッチを楽しみ、その土地の雰囲気を満喫出来ました。

キリスト復活聖堂
皇帝アレクサンドル二世が致命傷を
負った場所に建立されたので
血の上の教会
いわれている。聖堂の装飾は見事で
大変な文化的な価値をもっている
聖イサク寺院
キューポラを戴く寺院の中にあって
聖イサク寺院はその規模で世界で
4番目にかぞえられる
エルミタージュ国立美術館
エカテリーナ二世が1764年西欧絵画コレクション
所蔵に建立されたと言われている
現在の所蔵数約300万点
夏の庭園
市内最古の庭園である

1704年に造園が始まり
18世紀後半までネヴァ川から
ネフスキー大通り間で広がっていた

多くの噴水や彫刻が見事である

永久に係留された
バルチック艦隊のオーロラ号
暮れかかったネヴァ川

         マトリョーシカ人形など売る露店        

サンクト・ぺテルブルグからバスで約360km途中ロシヤとの国境の町ナルヴァに立ち寄る。
ナルヴァは東西の歴史の出入り口となってきた。
ナルヴァ城は13世紀にデンマーク人が建設を開始し、15世紀にリヴォ二ア騎士団により完成された。
現在は博物館になっている。
ナルヴァ城


エストニア

美しいナルヴァ湾の景色を眺めながら、エストニアの首都タリンに着く
現地エストニアの通訳とガイドさんから建造物や歴史等の説明を聞きながら改めて
共和国としての独立までの困難さや、それ故の愛国心の強さをつくづくと感じる。
どこを見ても要塞の地だった故、高い塔、城壁が続く。
城壁の展望台よりの景観も素晴らしく教会の先端が際立っている。


木造りの歩廊が
備えつけられた城壁
城壁の展望台より眺めた市街
旧市庁舎 16世紀のヴィル門
オレヴィステ教会 市議会薬局
最も古い歴史を持つ薬局である
二グリステ教会 砲弾が埋め込まれた
キーク・イン・キョク

バルト海のフィランド湾を臨むエストニアの首都、タリンの旧市街は中世の雰囲気を残した
美しい町である。街を歩いても見上げるものばかりで、
写真下手は尖端まで撮れなかったが、記念に残した。
5月にしては暑い位で、緑がとても美しく、古きものとの調和が素晴らしかった。
絵を描くにはどこへ行っても良いという感じでした。

スケッチ

サンクト・ペテルブルグ
血の上教会
タリン
ニグリステ教会

エストニアの首都タリンから陸路ラトヴィアへ向う

ラトヴィア・リガ

バスで初夏にしては暑くて緑も美しい道をラトヴィアへ向かう。。
途中エストニアの夏の首都と云われるパルヌに寄る。
パルヌはパルヌ湾沿岸に位置する町で、白く美しい砂浜は遠浅で、
避暑地として最適の地であるらしい。丁度土地の高校生がスポーツの競技で砂浜を走っていた。

リガ

リガ市街は思ったより気温も高くマロニエの花も咲き、やはり教会の高い塔ばかりが目にはいる。
リガはラトヴィア共和国独立回復が宣言されるまでの長い間
ドイツによって建設されポーランド・スウェデン・ソ連等の支配下にあった為
宗教・風習が複雑なせいかヨーロッパ的にも見えた。
古い町並みもそのまま残され石畳の道もかなり多く女性等はロシア人より大柄に思えた。
車も大型車は少なく日本製も多くは見かけなかった。ホテルや町のトイレ(全部有料)は
ロシヤ・エストニア・と同じくウオシュレットはなかった。町はのどかで明るく食べ物は
ロシヤ料理とも洋食とも少し異なりサーモン・鳥料理が多かった気がする。
   ↓クリック

リーガ大聖堂 スウェーデン門
オペラ座 リガの町並み
自由記念碑↑クリック 聖ヤコブ教会
                     スエーデン門前でスケッチ
                                             (現存している1668年建設された 唯一の城門である。)
     

リトアニア

ラトビアの首都リガより陸路約400q移動しリトアニアの首都ヴィリニュスにむかう。ロシヤよりバルト海に沿って
南にあり、初夏の最も良い季節らしく暑い位だ。、田園風景の広がる道をバスで行く。
濃い緑の中マロニエ・リラの花も美しく、それにも増して見渡す限り真黄色の菜の花畑が続く


     

シェウレイの十字架の丘
芝生のある広い広場に忽然と十字架の丘がある。
 15世紀位から十字架が立てられる様になったが、19世紀になってから恵みを求めて、
感謝を表す為に、次々と作られ現在大きな十字架は2万本以上も立てられ、その中
1本は1993年のローマ法王・ヨハネ・パウロ2世の訪問の際の贈り物だそうです。


←クリック    

シェウレイの十字架の丘より少し離れた風車のあるところで、昼食になり、
珍しい土地の料理を戴く


      
                       ツェべリナイ
                            リトアニアの伝統的な名物料理 
                                 形が飛行船に似ている事からこの名前になったらしい
                                    外側はポテトの粉を練って、中にはひき肉やきのこ等はいっている。
                         

カウナス

カウナスで日本人としてどうしても行きたい「杉原千畝記念館」
杉原千畝氏はナチスの迫害を逃れようとした多くのユダヤ人に
  本国の命に背き6000枚を超える日本通過のビザを発給し続けた
勇気ある外交官であった。リトアニアより
「諸国民の中の正義の人賞」を日本人として始めて受ける。

  

杉原千畝記念館              書斎

     
      記念館の周りは美しい緑の中に紫色のリラの花が満開でした。
              訪れた私達に近所の少年が花を摘んで持ってきてくれたのがとても嬉しかった。


ヴィリニュス
 
朝リガを出発してからやっと夕刻リトアニアの首都ヴィリニュスに着く
日本よりずーと日が長くまだまだ明るく夜が長い。
   ヴィリニュス旧市街が世界遺産になったのは、1994年で中欧・東欧の中で最も美しい
旧市街の1つで、南欧の建築様式が導入された都市の最北の首都という事です。
  旧市街は過去の繁栄と美しさをそのまま映しだし、バルド3国の開発のリーダーとして
、世界の最も美しい都市のベスト20に入っているそうです。

   休息後、市内観光を兼ね明日のスケッチ場所の下見に行く
  やはり市街は教会の塔ばかり目に入るが、落ち着いた美しさのある都市に思われた。
   市内は古い教会や建物そして石畳の路が新しい建造物とよく溶け込んで居るようだ。

朝ホテルの窓越しに気球が上っているのが見えた

 

        
    朝から観光に出る。教会前の広場には、お土産を売る屋台が所狭しと並び賑わっていた。
また特産品の麻地・琥珀の高級な店も目抜き通りに多くあり楽しい。

聖アンナ教会
創建は16世紀後半総レンガ造り
丘の上にあるゲディミナスの塔の遠景 教会の見える旧市街
ヴィリニュス大学の中庭で
吹奏楽をやってる少年達にあった。
聖ペテロ・パウロ教会
創建は1668年完成までに
7年を要した。内部はバロック調の
漆喰彫刻は圧巻。
丁度リトアニア大統領が(中央)
来られていた。
オールセイント教会 夜明けの門
 過っては城壁の1部で16世紀に
タタール人の侵入に備えて
作られたもの。

ヴィリニゥスの空港

2週間のロシア・バルト3国のスケッチ旅も楽しく終わり帰国した
友人に写されたおかしいスケッチ姿

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